死んだのはどちらか
家に帰るまでの間に妹は私の背負った籠から売り物の布をとっては私に巻き付けました。震えながら家まで帰ると妹はさっと中に入って暖炉の前に椅子を寄せました。
「姉様、ここに座って。まるで氷のようよ。」
どうしたのかと顔を出した両親に妹は事情を説明しているようでした。私はそんな親切な妹の殺し方を考えていました。父が私のところまで歩み寄りました。怒られるのか、それとももしかして心配してくれるのか。一瞬現れた期待を自分でうち消したのは正解でした。父は、暖炉の火に灰をかぶせました。
「この寒いときに海へ入るような馬鹿をやったんだから自業自得だ、薪が勿体ない。」
よかった、これで心置きなく妹を恨める。両親の寝室から鼾が聴こえる頃、私はまだ冷えた暖炉の前で考えていました。私は私の肺が凍るのではないかとさえ思いました。そうしてとうとう思いつきました。妹の肺を凍らせてしまえ、と。
次の日、早速私はかつて妹が私の頬を冷やしてくれた洞窟へ行きました。氷は立派に育っていました。細く伸びた氷柱を割って麻袋へ詰め込むと、その麻袋を何度も岩壁に打ち付けました。音が軽くなると、、袋の中をのぞき氷の欠片が粉々になっているのを確認しました。あの時、妹は「他の人にはない繋がりが私たちにはある」と言いましたが、繋がりではなく鎖でしかなかったと思い返しながら家に戻り、その氷の欠片を織り込みながらショールを織りあげました。白い光沢のあるひやりとしたショールが出来上がりました。私は妹にそのショールを渡しました。
「ありがとう、和香姉様。今回は一段と綺麗ね。」
「ええ。昨日思いついて。今晩のショー見に行ってもいいかしら。」
「勿論。嬉しい。」
妹の踊る小屋は小さく狭いものでしたが、人が集まり大変な熱気で、それで氷が融けてしまうのではないかと危ぶむほどでした。祈りながら待つうちに妹がトリで登場しました。跳躍しながらステージの上に踊り出ました。照明がステージの中心で止まった妹一点を照らしました。そして妹は踊り始めました。ショールを体に纏わせ、ほどき、伸ばし、うねらせて。しばらく妹の踊りに気を取られていた私は計算違いに気付きました。妹が肺の中に氷の細かな粒を吸い込むより早く、照明の熱で水になってしまうのです。やがてステージ上は水浸しになりました。妹は水の上で舞う精霊のようでした。始めは野次をとばしていた酒臭い観客が、帽子を取り鼻を鳴らしながら泣いていました。そして妹が頬の赤みを残しながら一礼したとき、満場が拍手喝采で沸き立ちました。
「今回のは今迄で一番美しかった。寿命が延びたよ。」
「ああ、とても神聖なものを見た気分だ。」
そう口々に感想を述べる人々の中で絶望に打ちのめされていたのは私だけでした。
次はどうしようか、いっそ確実な方法で私が死のうか、そんな風に思い巡らせながら春が過ぎ夏になっていました。殺そうとしたことと殺せなかったことの両方に責め立てられていました。どうして前回はだめだったんだろう、どうしたら人を殺せるんだろう、何かヒントはないだろうか、ずっと、ずっと考えていました。妹との思い出が頭をよぎりました。そして、もう一つ、殺害方法を思いつき私は機織り機の前でショールを織り始めました。
ショールが出来上がると、私はショールの両端を一本の枝にくくりつけ、山のてっぺん、シロツメクサの思い出しかない花園へ行きました。そしてかつて妹に「近付いてはいけない」と言った真っ白な蝶の群れへ歩み寄り、ショールで覆うように振りました。鱗粉がショールに付きました。いける、と確信しもう一度蝶の群れへ振り下ろしました。一匹がショールに羽が絡まり離れられなくなりました。手袋した指先で羽を持ち、布から離して観察しました。一見真っ白なのに黒い斑点があるのが、無害な姉面して殺そうとしている私にお似合いだと思いました。櫛の歯のようなものがある触覚を振るように動かし、私に「どうか逃がしてくれ」と言っているようで、これ以上冷酷になりたくない私は言うまでもなく逃がすことにしました。少し強めに押さえていたのでしょうか、羽が指先にくっつき、多少もがくようにしながら、蝶は指先を離れ上へと昇っていきました。ひょっとすると蛾だったのかなと思いましたが、毒さえあれば構いませんでした。私は鱗粉をショールに付け続け、触って手袋の痕が残るのを確認していよいよ決心を固めました。以前と同じように妹にショールを渡しました。鱗粉については花粉だと説明しました。花で染めたのだと。妹は喜び、再度ショールをその晩のショーで使いました。鱗粉の針が思惑通り舞うたびに妹の肺に入り血管を破る様を思い描き手を組んで待ちました。
そして、妹は喀血しました。
妹はそれでも踊り続けようとしました。何度も口から血を溢れさせ、息するたびに苦痛が増すであろうに、むしろ微笑んでくるりくるり舞いました。その様が尋常でなく末恐ろしく感じられたので私はその場所から逃げ出しました。家に帰り所定の場所にその日の売り上げを置くと、私は寝室へ駆け込み蒲団にくるまりました。しかし鬼気迫る妹の舞いが焼き付いて離れず、恐怖に慄いていました。しばらくして、激しく家の戸が叩かれました。寝ていた両親が出ました。
「和美さんが、踊ってる最中に血を吐いて倒れたぞ。医者が来るまで紅春くんが人工呼吸してなんとか一命はとりとめた。正直あんたら家族には関わりたくないが、和美さんは徳があるからな。一応伝えに来た。今は村長の家で休んでる。」
「分かった。すぐ行く。」
両親はすぐに服を着て出て行きました。家に一人残された私は、妹を再び殺しそこなったことと、紅春さんが妹を助けたということにショックを受けていました。もうこうなったらまどろっこしい真似はしていられない、この手で殺さなければ。そう決断しました。妹は一週間して帰ってきました。喉は腫れていましたが、息は楽に出来るということでした。両親は自分の脚で帰ってきた妹を強く抱擁し喜びました。両親は私の夕食を食べるとすぐ寝てしまいましたが、妹は私に話があるらしく、食器を仕舞い終えるのを待っていました。
「どうしたの?」
妹は紙に、今夜時計の針がてっぺんに来る時にオアシスの湖で紅春さんと逢う約束をしているのだと書きました。
「そう、よかったわね。」
私は微笑み、両親の喜びをすぐ終わらせたくないという想いを覆し、今日中に殺すことに決めました。
「まだ病み上がりなのに歩いて帰ってきて偉いわね。約束の時間までゆっくり休みなさい。」
なぜこの口からは簡単に嘘が次から次へと出るのでしょう。蒲団にくるまった妹の上にまたがり、両手で首を絞めました。早く死んでくれ、早く死んでくれ、そう願いながら目をぎゅっと瞑って万力を込めました。首に触れている掌が冷えてくるころ、ようやく安心して私は目を開きました。瞬間、目を瞠りました。
妹は薄く目を細め、微笑んだまま息絶えていました。殺されようとしているのに暴れなかったのです。殺そうとしている私に一切の抵抗もせず、受け入れたのです。このことは一生私から切り離せない、心にできたケロイドのようになって残ることとなりました。