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絶望の至るところ

 これまで私の生い立ちについてお話してきました。いよいよ、そんな私がなぜ人を殺そうとしたのか、そのお話をしましょう。

 マッチ売りの少女の童話はご存じでしょうが、そんな冷え込みの厳しい雪の吹きつける夜、私は売れない布を持って家々を訪ねていました。冬以外の季節は村長さんの家に売って卸売りということにして売り上げを頂いていましたが、冬は老いた村長さんと奥さんに売ってまわらせるのはしのびなく、私が布を売っていました。しかし私の手からは誰も布を買いません。買っても原価より安い値段まで値切られました。売れない布は雪をかぶってどんどん重くなります。どうしてそんな目にあうのか、私は知っていました。

 私が罪人の子だからです。先の弁八村長の裁判で、父も母も罪人とされており、村から追放されたのです。父と母が何をしたか。それは「生命の砂」を盗んだのです。「生命の砂」は私と紅春さんが初めて出会ったあの湖の砂です。父と母は「生命の砂」を盗み砂丘のてっぺんに撒きました。そこから水が迸りあっという間に花が咲き、蝶が舞い、木々が繁り、森となり、山となりました。本来実りを分けてもらうだけで満足すべきところだったのですが、両親は有罪になっても反省の色はなかったそうです。曰く、「私たちは始まりの民だから当然の権利だ」と、いうことでした。

 そんな両親の娘です、最初のうちは布も盗んだものではないかと疑われました。皮肉なことにその時の方が布はよく売れました。疑いが晴れてしまえばだれも関心を示さなくなりました。反応のない戸を叩いてまわり、肩に食い込んだ縄で傷が出来る頃、諦めて帰路につきました。あかぎれに雪がすりこまれるたびに奥歯を食いしばり痛みに耐えました。指先、足先の感覚は裂けるような痛みのほかは他人のもののようで、筋肉痛で動かぬ手足を動かしました。肩は重いのと擦れるのとでどんどん肉が割けていきます。私は少しでも苦痛を軽くしようと、胸の中に青空を想い瞼の裏に描いて顔を上げました。

 そこには本来希望があるはずだったのです。

 青空を描こうとした私の目には、紅春さんの隣できゃらきゃらと笑う妹の姿がありました。

「今日の踊りすごく綺麗だったよ。誰かが『あんなありきたりなショールが美しく見えるほど彼女は美しい』なんて言ってさ。」

「あら、じゃあもっと練習しないと。それというのもね……」

派手なイルミネーション、きらきら輝くメリーゴーラウンド、売れない風船を持ってたった一人で立っている私。それらの移動遊園地の光景が幻想であることはよくわかっていました。イルミネーションは家々の灯り、きらきら輝くメリーゴーラウンドは点滅する外灯、けれど私が一人なのは変わりませんでした。風船を配っているのは私なのに。あれは私が妹のために特別美しく織ったショールなのに。気温が一気に低くなりました。風は突然強く激しく冷たくなりました。心に抱いていた青空は、ひっくり返りました。雲一つなく、どこにもつかまるところがなく、大地から足が離れて空に向かって落ちてしまいそうでした。そして、今はもう青空が、私に飛び降りろと言っているかのようにしか思えなくなってしまいました。真っ暗な闇夜に塗り潰されれていきます、星も、月もない夜に……。そうして世界が真っ黒になった時、自分はいらないんだと分かってしまいました。

 どうして父も母も私を愛してくれないんだろう?紅春さんまで妹を選びました。私はそこまで醜いのでしょうか?だから誰も愛してくれないのでしょうか?

 父と母の子どもは、妹一人で十分でした。

 私の脚は帰路を外れ、オアシスへと向かいました。一人になりたかったのです。けれどオアシスは紅春さんの家の敷地です。私の居場所はどこにもないと、脚は止まりました。するとそこへ、蛇が現れました。私は驚きませんでした、むしろ待っていたような気すらしました。

「海って知ってるかい。」

「塩が沢山とれるところでしょう。」

「そう、水があってね。君は知らないだろうけれど、この土地の砂漠は細長くて、オアシスまで行けたらもう半分で海まで行けるんだ。行ってみないかい。」

「そうね、楽しそう。」

ぶっきらぼうな声を後悔しましたが、蛇はとくに気にした様子もありませんでした。歩き続け、歩き続け……私は、「地平線」ではなく「水平線」という言葉も存在する意味を知りました。信じられないほどの量の水がひいたり寄せたりを繰り返していました。オアシスや山の湧き水なんて比較になりません。

「こんなにたくさんの水があるのに、実りがないのはどうしてかしら。」

「塩水じゃあ枯れるだけさ。あとは水温が……入るのかい?」

「ええ、もう、すべてどうでもいいの。」

籠を下ろし、少しずつ足を冷たさに慣れさせながら、私は海へ入っていきました。

「これに比べれば、涙ってなんて温かいんでしょうね。」

蛇はもう何も言いません。私ももう何も期待しません。一歩、一歩、浸かっていきました。私を止める人はどこにもいません。心の中にすら私をとどめようとする人はいませんでした。両親には妹がいる。妹には両親や紅春さん、ショーのファンがいる。紅春さんには妹がいる。村の人たちはそもそも最初から私には無関心。一体誰が悲しむでしょうか。ここで死ねば誰も私が死んだことには気付きません。いなくなったことにすら気付かないかもしれません。一部の、私が消えたことに気付く人がいたとしても、自殺を選んだことが分からないなら良心が傷むことはありません。蛇だけはやはり私の味方でした。蛇とは嫉妬も羨望もなく接することができ、私に適切な助言をしてくれました。縄の食い込んだ傷痕に海水が染みて一瞬躊躇ったとき、声が聴こえました。

「姉様!」

妹でした。死ぬことさえ許してくれないのでしょうか。

「姉様、ごめんなさい。ごめんなさい。」

貴方のせいじゃないの一言が出ませんでした。

「姉様、私足跡を追いかけてここまで来たの。どうしてこんなところがあるって知っていらしたの。」

嘘つき、風で足跡なんか消えていたでしょうに。和美の優しさを疑いたくないのに、私は私だけを責めていたいのに。私は妹の手をとって言いました。

「ごめんなさい、もう戻りましょう。」

急拵えで貼り付けた笑顔で顔がべたべたしました。いや、もうあんな地獄に戻りたくない。あそこには私の希望なんてどこにもない。

 そうだ。希望は、自分で作るんだ。このままでは、私は私に殺される。だから、その前に、妹を、殺そう。

 これが、妹を殺すに至った私の心の変遷です。

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