ただ愛する
あの時はどうだったでしょうか?
母の膨らんだ腹に耳を当てて訊きました。
「ここに私の『いもうと』がいるの?」
「そうよ、貴方の妹。大切に、守ってあげてね。」
今ではもう忘れてしまった、私に向けての母の笑顔。黒ずんだ記憶のページにすら救いはありませんでした。
「うん、私、守る!大切にする!」
それがどういうことなのかも知らずに誓った約束がいまだに私を縛り、絞首台へと引きずっていく心地だと言えば分かっていただけるでしょうか?しかしあの時、感じた愛しさは「ただ愛する」だったのではないでしょうか、いえ、違います。あれは犬や猫に対して抱く愛着と変わりありませんでした。あの時の私には、一人の人間が生まれ、私の妹として生きていくということがどういうことなのか分からなかったのです。親の関心や愛が日に日に妹へ割かれるようになると、幼い私は妹を呪いました。幼いが故の直情でした、死んでしまえだなどと。つまり私の妹への感情は「ただ愛する」ではなくただの「無知」だったのです。
それならあの時は?
母は私に料理を任せるようになりました。父が作ってくれた踏み台にのぼり、妊娠中の母が食べられるものを色々と試行錯誤しながら料理しました。母は食べたいものを私に伝え、一口食べてみて味付けについて指南しました。最初のうちはつわりもあって、料理の匂いがし始めただけで、吐くこともありました。そんな時には私は火から釜をおろして母の傍へ走り、謝りながら母の着衣を変え、蒲団を変え、床の汚れを掃除しました。そして釜の中のご飯を粥にし、山菜を添え食べてもらいました。そのあとは必死に服の汚れと蒲団の汚れを近くの川で洗い流しました。指南してもらえるようになったのは大分腹が膨らんで、母の腹を蹴る音が聞かせてもらえるようになった頃です。その頃には火加減も覚え、山に入って何が食べられるのかをすっかり知っていました。ある日、母が汗を流して痛みを訴えました。父は粥を用意していた私にぶつかったのも構わず産婆を呼びに行きました。廊下を掃除し、そのあとで火傷を冷やしました。水が触れただけで痛みました。けれど私の心に不満はありませんでした。期待がありました。無知な私はそれが妹が生まれることへの期待だと勘違いしましたが、実際は、これまでの努力と献身が形となって生まれてくることへの期待でした。ですからここまでの献身は「ただ愛する」ではなく「見返りを求め」ていたのでした。
妹はとても小さく、抱えることが恐ろしく感じられました。しかし抱っこしてみると、火傷にあたって痛いのに嬉しくて、私の両目からは涙が出てきました。
「やあね、そんなに喜ぶこと?さすがお姉さんね。」
さすがお姉さん。涙の理由が母の想定とは違うことは先ほど述べたとおりです。私はようやく成し遂げたと安堵したのです。小さな手の握る力は思うより強く、腕はぷくぷくと肥っていました。全部、私が調理したものが成した形です。
けれど献身に終わりなどということはないのです。
いつの間にか、なぜか、私が料理するのが当然になっていました。その空気を払拭したくて父に「あそこには背が届かない」「奥の方が取れない」「いちいち椅子をずらしていられない」などと告げて子どもの私に料理させる理不尽を察してもらおうとしました。父は私の言葉を聴いて「分かった。もう大丈夫だ」と答えてくれました。しかし、そのたびに父は新しい踏み台を用意して、私が料理しやすい環境を整えました。私は不満を抱きながら父に「ありがとう」と言わなければなりませんでした。それでも数週間経てば、私はすっかり不自然に慣れてしまって、乳離れの時期になってしまえば自分から母に離乳食の作り方を教わっていました。自分の食事は後にして、両親と、妹の離乳食だけ用意し、妹の涎や垂れた液体をふき取り匙で口へ運び、繰り返し、毎日。妹が離乳食を卒業しても、両親の後ろで一人妹の成長を喜んでいた私の姿は「ただ愛する」だったでしょうか。いいえ、成長を喜ぶ私の心には、まるで人間が二人住んでいるのかと疑うほど正反対の感情が渦巻いていました。不満、嫉妬、瞋恚……結局はやはり見返りを求めていただけなのです。ですからやはり「ただ愛する」には到底届きません。
じゃあせめてあの時は?
洗濯、料理、掃除、家事をこなしながら、母に機織り機の使い方を教えられている間、私はこれから生まれてくる妹のことを考えていました。その時使っていた機織り機は、父が作った子ども用の機織り機で、脚が届きました。覚えるのはそれほど難しくなく、つい妹の方へ気をやっていると母に竹ぼうきで背中を叩かれましたが、あの時の私の心には温かいものがあったように思うのです。しかしそれすら純粋なものではないのです。初めての布で作ったのは妹の乳児服でした。その小ささに、これは本当に人間が着るものだろうかと疑問に思ったものです。私はすぐに母のところへ飛んでいきました。お母さん、できたよ、と。最初のうちは母は私の頭を撫でてくれました。
その掌の温度はもう思い出せませんが。
褒めてくれたのは最初のうちで、母はあれを作ってくれ、これを作ってくれ、と次々に注文するようになりました。私は喜んでそれらを作りました。けれど母がもう私を褒めず、腹の中の妹と二人きりで話す時間が増えるようになると、やはり喜びは薄れていきました。ですからこれすら「ただ愛する」とはかけ離れているのです。心の中にあった温もりは綺麗な言葉で言えば「希望」でした。母が私をもっと愛してくれるという希望。かけがえのない存在になれるだろうという希望。それは言い換えれば「欲」でした。
ここまで考え、これまでの人生で一度たりとも「ただ愛する」ことができていなかったということに気付いた私は、妹への嫉妬で死にたくなりました。
私は生まれてからこの方、自分本位な人間だったのです。