姉妹の空
この村に来る前、私は砂漠の向こうに住んでいました。この村に来て変わりましたが、昔、私は他人に評価されるのが嫌いでした。そんなものあてになるかと反発しているつもりで、きっと一番他人の評価に影響されていました。
私は誰に呼ばれるときも「そばかす」と呼ばれて育ちました。先生も笑いを口に含みながら、私のことを「そばかすさん」と呼びました。そこに先生の嘲りを感じ取りながら、幼い頃の私はそれがどうしてなのか分からず、呼ばれるままにされていました。親もほとんど名前を呼んでくれませんでした。歳をとり化粧でそばかすを隠すようにすると名前を呼んでくれました。妹と私はちょっと離れていれば双子のようにそっくりだったので、両親も名前なしには判別できなかったのです。妹だけが私の名前を「そばかす」ではなく「和香姉様」と呼んでくれました。
特に意地悪く私を呼ぶのが村長の隣の家のおばあさんでした。
「和美ちゃんは綺麗な肌をしているねえ。そばかすと同じ腹から産まれたとは思えないね。お前の姉さんはどうしてああなんだろうねえ。」
そう言って嗤うおばあさんに、妹は、
「それは和香姉様の心が綺麗だから、神様が頬に星を降らせたんでしょう」
と答えていました。和かで、美しい。妹は名前のとおりの人間でした。美しいのは顔だけではありません、手も、脚も、なめらかで滑らかな曲線には傷ひとつありませんでした。白磁のように白く、真珠の光沢さえ感じさせる肌は夏でも損なわれることはありませんでした。それにひきかえ私の手は、指先や関節がぱっくり割れ、皺が寄り、赤黒く、とても妹とは比較になりません。夏のうちに繊維となる植物を採りに山中をめぐり、毎日籠一杯に採集したそれらの不要な部分を削ぎ落し、川から水を汲んで来て、洗い、乾燥させ、そして水にもう一度つけて柔らかくしてから細かく繊維を割き、より合わせて糸にし、そして機織りでその糸を使って布を織りあげます。織りあげたら予め妹に村で買ってもらった染料で彩り、冷たい川の中に足と手を入れて余分な染料を流しました。それらの作業が私の手足を荒れさせました。それが私の仕事でした。それをしなければ生きていけなかったので仕方がなかったのです。どんなに手が傷もうが、妹の肌の色、細さからかけ離れようが、父も母も仕事をしないので私が布を織って売るしかなかったのです。愛しく思う一方で妹への劣等感は年々増していきました。
いえ、違います。本当は違うのです。私と妹の差は、私が望んでそうしたことです。夏には妹の肌を守るため日差しから隠れるマントを織ってやりましたし、冬には手荒れせぬよう手袋や耳当てをつくってあげました。妹が糸をつくる手伝いをしようとしたとき、厳しくそれを禁じました。私は私の心が美しくないことは知っていましたし、そんな私を美しいと言ってくれる妹こそが美しいということも知っていました。ですから妹の、和美の、心も体も傷ついてはならないと、この犠牲が私の使命だとも思っていました。家事は一切私がこなし、食事も妹が一番多くなるよう用意しました。だから私ががりがりのやせっぽちで、妹が発育良くすらりとした体躯の差が生まれたのは必然なのです。むしろ私が羨んだのは、妹の無邪気さでした。それが決定的になったのは、両親の結婚記念日の夜でした。
私は両親に布を送りました。心血注いで織った布です。両親はろくに見もせずに「ありがとう」と言って脇へ置きました。次は妹です。妹は私の織った布を纏って両親の前で踊ってみせました。両親は手を叩いて喜び、踊り終えた妹を強く抱きしめました。
私の心に穴が開いた瞬間でした。
私は、昼頃妹に今日が両親の結婚記念日だということを伝えたのです。妹より私の布のほうが手間も時間もかかっているのです。なぜ妹が、と思いました。そしてぞっとしました。なぜ妹なんかが……その心の延長線上には、妹がいなければ、という心が隠れていました。叫びそうになり息を止めました。かきむしりそうになり拳をぎゅっと握りました。爪が伸びていたので、肉に食い込み血が流れる感触がして、床を汚す前に静かに立ち上がり台所へ行きました。三人とも私の存在が消えたことに気付きませんでした。私の織った布が床に落ちていることにも気が付いていませんでした。涙を流すには、すでに私は色々なことを諦めてしまっていました。
それでも悪夢は何度でも繰り返されます。
きっかけは妹の一言でした。
「私たちが成人したお祝いに、今日まで育ててくれたお礼もかねて何か贈り物をするのはどうかしら。」
結婚記念日のお祝いはあの日以来していなかったため、久々に両親に贈り物をすることになりました。私は妹のために薄く長い布を織り、両親のためにも布を織っていました。染める段階でなかなか思うようにいかず、そのたびに山へ行っては繊維を集め糸をよりました。いよいよ明日妹と約束した日になり、まだ母の分が出来上がっていなかったので、髪を売って糸を買いました。その糸で織った布は、それまでの布より圧倒的に綺麗に染め上がりました。私は満足して、久しぶりにゆっくり眠ることができました。
朝、私は両親の寝室に行って起こしました。朝食を食べながらそれぞれ両親への贈り物を披露することにしていたのです。わたしはとびきり豪華な朝食をつくり、両親に布を渡しました。喜んでくれると思った私は果たして傲慢なのでしょうか?両親は言いました。
「髪はどうした」
と、口々に、混乱したように。糸を買うために売った、と答えると母は悲鳴をあげ涙を流し、父は怒りました。
「こんなもののために大切な髪を売ったのか」
父は呆然とする私の肩を揺すりました。私はみっともなく縮み上がってごめんなさいと繰り返し謝りました。なぜ両親が動揺しているのか私には分からなかったのですが。
そこに妹が、
「お父さん、お母さん、私の贈り物もちゃんと見てよ。」
と割り込んで、父を座らせると、踊り始めました。
場の空気を変えるには十分な舞いでした。あるときは炎のようにゆらめき、あるときはその炎に誘われた蝶のように。体だけではなく布まで一体となって幻想的な表現を体得していました。母は涙を拭って微笑み、父は口を真一文字に結びながらも唇を震わせ、目には涙を溜めていました。そして妹が舞いを終え、一礼し、
「今日から私はこの踊りでお金を稼ぎます。」
と告げると両親は拍手し妹を抱きしめ両頬にくちづけしました。父は何度も「素晴らしいことだ、ああ、素晴らしいことだ」と告げ、涙をぼろぼろと零していました。母は言葉にもならぬ様子で、妹の手をとり拝むように額に当てていました。。
嫉妬深い私の目にも、反論の余地なく妹がその舞いで稼いでいけるであろうということは目に見えていました。どれだけ練習したのでしょう。私は途中妹の足の裏を注意して見ていましたが、傷は少しもありませんでした。これが才能というものなのでしょうか。才能であってほしいと私は願いました。才能なら嫉妬できる、努力なら自分の努力不足を恨まねばならない。私は精根尽くして布を織りました。それなのに両親には「こんなもの」程度にしか映らなかったのです。また自然に生えてくる髪の方が大切だったのです。親心が分からないわけではありません。しかし卑屈な私が囁きかけます。
「お前の両親にはお前の心がけなんて理解できないさ、今迄だってそうだったろう。」
妹が底抜けに明るい青空なら、私の心には積乱雲が育ち始めていました。