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祖母の話

 人生は空の色をしている。朝焼け、青空、曇天、雨、そして黄昏。必ず朽ちるこの肉体は、永遠を求めていては満足できない。滅びる幸福こそが、人間の幸福の在り方だ。その人間の生きざまは、まさに空そのものだ。自然の中に幸福はある。自然の中に『人間』はある。

 これから紹介するのは、私の祖母がよく私に話して聞かせた祖母の体験談である。

 祖母はこの話の終わりに必ず、だから命は大切に、と結んだ。

 祖母ほど命の大切さを知っている人はいなかった。

 それゆえか、大切な人を失った人は必ず祖母のところへ来て、母体に縋るように泣いた。

 そうしてそんな人に祖母は一反の布を渡し、せめてもの慰めに、と施した。

 祖母の織る布は奇跡の布だった。軽くてかけていても忘れるくらいなのに、冬でも寒くなく、むしろ温かい。夏には汗を感じさせず涼しい。きっとその奇跡は祖母の優しさのなせる業なのだろうと思わせた。

 どんな評判の悪い人でも、例えば葬式すらあげてもらえない人でも、祖母は身を削って作った布で遺体を包み、その人徳で集めた人々と共に墓を立てた。

 あれは強欲な借金まみれのおじいさんだったと思う。歯が抜けて記憶が抜けても、身にしみついた暴力は抜け落ちなかったらしく、村の人間が避けるようになっても庭の木に止まる雀や烏を杖で追い払っていた。誰も彼に関わろうとしなかったため、死んだことに気付いたのは夏の盛り、一週間後だった。腐敗臭が風にのって山と砂に囲まれた村を覆った。「死んだあとまで人に迷惑をかける人だ、白骨になるまでこの臭さに慣れないといけないなんて」そう人々は噂した。祖母は機織りで布を織り始めた。母は祖母を嫌っていた。その理由は分からないが、祖母のその後の行動がどうも理解しかねる、といった具合で、部屋にこもって織物をする祖母のわずかな気配にまで眉を顰めていた。そしてとうとう織り上がったそれを抱え、祖母が黒衣をまとって外へ出て行ったので私は慌てて追いかけた。

「和香さん、またか。」

「ええ。放っておけないんです。」

「じゃあこの老骨も動くとするかね。」

そんなやりとりを道中何度か重ね、男性三人がついてきた。スコップを持って。

「あんたも物好きな人だよ。」

そう言って、刺激臭の元である家の扉を開けた。私はその場で食べたものを吐いた。

「これは畳ごと剥がさないとだめだな」

中で男の人の声がした。祖母の織っていた布が、畳でも十分入る大きさだったことを私は思い出していた。しばらく肉のつぶれる音と硬いものの擦れる音がして、静かになった。

「そら、通るぞ。嬢ちゃん、退きな。」

布からは異臭の元のさらに元が染みて垂れていた。墓場までの道、振り返れば蠅がその垂れた痕に集まっていた。臭いにはまだ慣れない。父である村長が村の端で目を光らせていた。祖母は村長の元へ寄った。

「この人を村で葬る権利をください」

村長が一瞬私たちの後ろを見た。目で追ってみれば、気付いていなかったが、村中の人が集まっていた。

「母さん、駄目だ。そいつはもうこの村の人間ではない。」

皆何も言わなかった。村長は砂の広がる乾いた大地を指差した。

「村の外なら私の権限の及ぶところではない。」

人だかりはどよめいた。「あんな人でなし、埋葬しなくても布でくるんであるんだからそのまま山に棄てて虫に食わせればいいのに。」祖母は村長に一礼し、砂の大地へ歩み出た。私にとっては初めての、村の外だった。短く鋭い葉が、だんだんとまばらになっていき、完全に砂だけになる。祖母は小さく「ここに」と呟いた。そのぼそっとした口の中だけで終わったような声が聴きとれたのか、男性たちはスコップで穴を掘り始めた。私はうずくまって砂を弄りだした。砂はさらさらと指の隙間からこぼれて、手から金色の滝がこぼれているように見えるのが楽しく、何度も同じことを繰り返した。そんな児戯に夢中になっている間に、穴は掘り終えたらしい。布がどさっと砂埃をあげて穴の中に落ちた。その上に砂をかぶせていく。

「今日はこれ以上は無理だ。」

一人の男性が言った。風が強くなってきて、目に砂が入った。

「おばあちゃん、目、痛い」

すると細く硬い腕が私を抱え上げた。

「どうか、貴方の生き方が無意味ではありませんように。」

優しい哀しい声だった。自分が死ぬまで祖母は人を埋葬し続けたし、命は人一人で抱えられるほど価値の薄いものではないのだと教えてくれた。誰もが誰かの命の一部である、と。

 そんな祖母が、私は誰より好きだった。だから、祖母の言うことなら、私は人生をかけても命を空虚にするまいと思ったものだった。


 そう、言い忘れていたが、私の祖母は人殺しである。

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