嘲笑
***
風が冷やかさを帯びてきた。夏が去り、秋が訪れたのだ。街角にある民家が世話するこぢんまりとした土壌では、コスモスの愛嬌のある薄い花弁が風に揺れていた。
恋人のルイーゼが別れましょうと打ち明けた時、ぼくはまず――多くの場合そうなるように――びっくり動揺して、頭が真っ白になってしまったように感じた。ところがその反面、自分の中に、既視感のあることを知った。自分では根拠を明らかにすることが出来ないが、何となく、この展開が予想されていたようだ。
ルイーゼはその打ち明けの後、すっきりしない余韻に沈黙し、綺麗なブロンドのミドルヘアーの襟足の辺を、イライラした風に掻いた。
ぼく等は広場のベンチに向かい合って座っていた。彼女は別れ話を打ち明ける際、両肘を机上に置いて手を組み、いかにも積もり積もった話があるという雰囲気だった。
ぼくは呆気に取られて二の句が継げなかった。
「あ、あ」、と、アホみたいにうろたえるばかりで、どうにか返事のロジックを組み立てようとはするものの、言葉の積み木はたやすく崩れてしまうのだった。
その実動揺していたぼくは、ルイーゼの冷めた目を見つめると、恐ろしい思いがしたものだが、同時に滑稽さを覚えた。彼女の色を正した態度が妙におかしく感じられ、あわあわ吃る口の奥では、かみ殺した笑いが潜んでいた。
その笑いを押さえるのがどうしてか骨で、ぼくは目線をルイーゼより向こうの畑のコスモスに移さざるを得なかった。
「ちょっとハワード」
責め付ける鋭い眼光。
彼女が立腹するのは無理もなかった。真剣な話を持ち掛けているというのに、パートナーが――最早契りを撤回するパートナーだが――心ここにあらずといった風に馬耳東風しているためだ。
「言うべきことは言ったわ」
彼女はきりっと目を瞑り、立った。
そして「それじゃ」、と冷淡に呟くように言って去っていった。
彼女がすっくと立った時、ぼくはその容姿を、改めてよく見て、感心する気がした。輝く滑らかな髪。一文字に結んだ聡明そうな口元。虚偽を貫く細いしっかりした瞳。
彼女に惚れ、口説き、付き合うようになった頃の思い出。ドライブに出かけたり、グルメを堪能した思い出。暑苦しい湿気の中、汗ばんだ体を抱いてその華奢さと肌の柔らかさを愛した思い出。
あぁ、溜息が思わず漏れる。彼女は美しかった。だが、最早ぼく等の関係は終わった。破局だ。むなしいことだ。
だのに、どうしてぼくは、笑いたい気分になるのだろう。忍び笑いを押し殺しているのだろう。あれだけ優しく力加減に用心して愛撫した相手が、今では指で弾きでもして遊ぶちゃちい玩具同然に思える。
彼女はひょっとすると、知らぬ間にぼくにとって、恋人ではなくなったのだ。恋人ではなくなって、とどのつまり用が済んで、軽んじられるようになったのだ。ぼくは彼女に飽きてしまったのだろうか……
罪悪感は暗がりの灯のごとくはっきりと存在して、ぼくは申し訳ないと思った。
だが、
――フヒヒ。
思いがけず笑みがこぼれた。まったく好ましい笑みではなかった。むしろ不快で、毒々しく、陰険であった。
真夏の夜――その思い出は、あぁ、ごく最近のことのように回顧される――ベッドの上で、あれだけ、ぼく自身もそうだったし、彼女も同じだったように、法悦に目を潤ませていた、あの事実は、一体何なのだろう。今となっては茶番としか思われない。
ハァーハッハッハ。
大笑いが堰を切ったようにぼくの吃っていた口を通って出てきた。
ぼくは腹が破裂するのではないかと怖く思うほど涙して笑いまくった。
☆
「ハワード」、と揺り起こされた時、ぼくは即座に、自分が額に球の汗をかき、またよだれを垂らして、ずいぶん汚らしくだらしない寝相をさらしていることを察知した。
起こしたのはルイーゼだった。寝ているぼくが突然笑い声を上げたのでびっくりして起こしたようだった。
「泣くほど笑っちゃって、一体どういう夢を見たの?」
「あぁ、実はね……」
ルイーゼは怪訝そうに耳を傾けた。
当然、ぼくは嘘を付いた。しょうもないエピソードを捏造して語った。ルイーゼは申し訳程度に苦笑いして返した。
話の途中、ぼくはその肩越しに広場の畑を見た。コスモスがあるのだと思った。
だがぼくは驚き、目を疑った。
風に揺れているのは、ひまわりなのだった。
(終)