後編② 呪いと願い
ずっと、心の中に何かが引っかかっていた。幸せを感じる度に。
「パパ、この本欲しい」
「いいよ。これだけでいいの?」
「んー……」
ビャクヤの手を引き、本が並ぶ棚を練り歩く。子供向けの絵本コーナーから離れた場所にある、ハードカバーの小説達に目を輝かせながら。
「じゃあこれも」
「これ、ママの小説だね。ママが持ってるんじゃない?」
「自分のお金で買わなきゃだめ。ずるになっちゃう」
「そっか……大人だな、シオンは」
「うん」
嬉しそうに我が儘を言うシオンを見て。
「これ、切れない……」
「あー、エル、それじゃ指が……」
「っ!」
野菜から滑った包丁が指を掠めた。血が滲んだ指を口に咥えようとするエルシディアの手を制止し、ビャクヤは絆創膏を巻いた。
「包丁持ってない手は猫の手」
「猫の、手…………」
「こう、にゃーって」
指を曲げた手を見せると、鏡の様に真似をして見せた。
「にゃー……?」
「ぶっふ! ご、ごめ、似合わない……!」
「……」
照れた様に小さく笑うエルシディアを見て。
心に刺さった何かが痛む。
しかもそれを忘れられる瞬間がある。それはどうしようもない現実を同時にビャクヤへ突きつける。
機動兵器に乗っている間は、実戦に出ている間は、痛みを感じない。その度にまた自己嫌悪する。
8年経った今もまだ自分の心は、戦場に縛られているのだと。
デスワームの腕が鞭の様に振るわれる。アルトリウスの黒い装甲に爪が突き立てられ、引き剥がそうとする。対するアルトリウスは両腕のガトリングで応戦。
アクトメタルで構成されたデスワームの装甲を前に、アルトリウスのガトリングは成す術もなく弾かれてしまう。
「弾丸はよぉ、生身でも機動兵器でも喰らいたくねぇもんだとばかり考えてたが……なに、存外悪くねぇ感じだ!」
アルトリウスを無理矢理引き寄せると、肩の蛇腹剣を手に持って振り下ろす。不安定な体勢から左手の盾で防いだが、デスワームの細腕は重装甲のアルトリウスを押していく。
「慈悲なんていらねえからよ、早く殺しに来い騎士王様ぁ!!」
「っ、くっ!!」
喰い込んだ爪を装甲ごと引き剥がし、盾で突き飛ばして距離を取る。
いつもであれば平和な日常の記憶を忘却の彼方に押しやり、戦闘本能を引き出していた。しかし今のビャクヤの中では、様々な記憶が混ざり合い、濁っていた。
(何を動揺してる……今更!!)
頭を振り、アルトリウスと共にデスワームへ向かう。再び腕が伸びるが、今度はそれを盾で防ぎ、盾の裏からロングソードを抜く。
「そうだ、来い、来い、来い!!」
ロングソードと蛇腹剣がぶつかり、鬩ぎ合う。2機のアンテナが接触し、互いの通信が繋がる。
「こりゃいいな! 作戦が上手くいきゃこんな戦いをまだ楽しめるって訳だ!」
「その声……軍事演習の時の!!」
「っ、奇遇だなぁおい! お前がそれのパイロットだったのか!!」
アルトリウスが退き、距離を取ろうとする。だがデスワームの腕が伸び、無理やり鍔迫り合いを続行させる。
「離れんなよ……もっとお前も見ておけ……俺の、EAを!!」
「もう会う事なんか……ないと思っていたのに!!」
「こいつは良い! 戦争の火種にしちゃ豪華すぎるぐらいになぁ!!」
ロングソードが斬り裂かれるのと同時に、アルトリウスの鎧に深い傷が刻まれる。
EAであるデスワームの性能は確かに高い。しかし極秘裏且つ少ない資源で作成された以上、8年前に猛威を奮い続けたEAに比べれば性能は遠く及ばない。パイロットとしての練度に関しては比べるまでもない。
これほど押されているのは他でもなく、ビャクヤの心に出来た迷いという名の腫瘍の所為だ。
「騎士王様もEAの前には打つ手なし……勝手に期待してたのはこっちだけどよぉ、悲しいぜ」
ヴァランは一気に冷めた表情へ変わる。両肩の蛇腹剣はのたうちまわる様にアルトリウスを襲い、黒い装甲を破壊していく。
「なんならやる気出すんだよ、なぁ? 挑発でもしてみるか? 安い挑発でも、割と効いたりするってもんだ」
デスワームを近づけ、アルトリウスのアンテナを掴む。
「なぁパイロットさん、俺とお前が会った時によ、ガキ連れた女撃ったんだが……もしかしなくてもあれ、お前の女とガキだったか?」
「っ!」
「いや悪い事したなぁ、幸せ家族をぶっ壊しちまった訳だ。まぁでもよ、俺とかみたいに物心ついた時にはもう親がいないよりは良いだろ。幸せな時間を知ってるってのは、それだけで価値があるんだからなぁ!」
残る腕でアルトリウスの頭を殴りながら、ヴァランはビャクヤの怒りを煽ろうと言葉を連ねる。
「時間になったら街もろともガキも女も消えるぞ? そら、早くやる気出して……」
そこまで言いかけた時だった。
アルトリウスの腕がデスワームの腕を捻じ伏せ、頭部に強烈な一打を見舞った。細い体躯が宙を舞い、木々を薙ぎ倒しながら倒れ伏す。
「ってぇ……く、ひひ……ようやくやる気になったかよ、えぇ!?」
ヴァランの叫びを遮る様に何かが投げつけられた。腕についていたガトリングだった。撃ち尽くした訳ではない。ならば何故装備を外したのか。
目の前で起きている答えを見た時、ヴァランは目を見開いて釘付けとなった。
「おい…………おいおいおいおい!!! こいつは、凄え! それが騎士王様の真の姿って奴かぁ!!」
ヴァランの挑発に乗った訳ではない。
ビャクヤの元へ届いた1つの通信。それが彼の心に激怒の炎を灯したのだ。
『ビャクヤ君、エリーザだけど……答えなくて良い。ただ聞いて欲しい事がある』
沈んだ声。機体を苛烈な攻撃から守りながらもその真意を掴めないでいると、彼女は消え入りそうに続けた。
『反政府集団側のEAに使われていたデータは……ネヴァーエンドの物だって、開発した1人が白状した。つまり……あのEAは……ネヴァーエンドの、後継機になる』
嗚咽が挟まる。だが次の言葉を発する時には、既にエリーザの声は元に戻っていた。
『…………ビャクヤ君、お願い。あの人を……もう一度、眠らせてあげて』
黒い装甲が剥がれ落ちる。その下から現れた白銀の鎧と、羽化する様に広げられた巨大なウイングバインダーが、炎の揺らめきを反射した。
バックパックに懸架された巨大な機械槍を片手で携える。アルトリウスの機体全高に迫るそれを目の当たりにし、ヴァランは絶頂と恐怖で唾を呑み込んだ。
「っっっ、良いな、良いな良いな良いな、最っっっっっっ高に良いなぁぁぁ!!!」
肩の機銃と腰のランチャーを乱れ撃ち、蛇腹剣を射出。弾幕に紛れた蛇腹剣はその名の通りアルトリウスへ這い寄り、喰らいつこうとする。
しかしアルトリウスのウィングバインダーが持ち上がったかと思うと、蛇腹剣を回避。かと思った時には既にデスワームの眼前に迫っており、大剣と見間違える程に分厚い穂先を振り下ろした。
マチェットを交差して受け止めるが、槍の質量とアルトリウスのパワーに押され、脚部が地面に埋れていく。
「君は……君達は…………」
「何だ、やっぱり家族の事になればキレるか? 別に、ただお前の本気が見たかっただけさ。そんな事よりも俺には大事な事があるからな」
槍の軌道を逸らし、デスワームは離脱。片方のマチェットを投擲するが、アルトリウスはそれを片手で弾き飛ばした。
「俺はずっとずっと、EAに乗りたかった! 初めて戦場で見た黒いEA、あの時から俺の心はそいつに喰い尽くされたんだよ!! けど、ははっ、神様ってよぉ、ちゃんと見てくれてるんだぜ? あの黒いEAの設計データと記憶領域の一部を回収出来たって事はよぉ、今度は俺が黒いEAに乗る番なんだってなぁ!!」
振るわれた悪魔の鉤爪がアルトリウスのブレードアンテナをへし折る。返す一撃、裏拳の様に振るわれた腕が頭部装甲にヒビを入れた。
「EAは戦争をする為に生まれた最高傑作の兵器!! だったらもっと楽しまなくちゃなぁ、損ってもんだろぉぉぉ!!!!」
「…………これ以上、侮辱するな」
デスワームの腕が掴まれる。引き戻そうとするが、アルトリウスは微動だにしない。
「侮辱……? いつ、誰が、誰に?」
「EAに込められた呪いと願いを、侮辱するなと言った!!」
手首装甲が展開。直後撃ち出された熱杭はデスワームの腕を撃ち貫き、肩にまで突き刺さる。
「野郎、装甲が無い場所にぶち込んだのか!?」
「何も分かってない……君は何も、分かってない!!」
肩に刺さった杭を引き抜くと、今度はデスワームの頭部目掛けて突き出した。ヴァランは反射的に機体を反らせて回避、しかしアルトリウスのウィングバインダーに備えられた機銃が火を吹き、距離を離される。
「EAは戦争の道具じゃない! もう二度と戦争の道具にしちゃいけないんだ!!」
「戦争の道具にしちゃいけないだぁ!? 10年前にEAが世界を変えたんだぞ、最強の機動兵器として!!」
「君も戦場に出ていたなら、見た筈だ!! アンブロシアツリーの光は……」
「あれが戦争の火種を消したからって何だってんだ! 俺達にはまだ必要なんだよ、戦争も、戦争の道具もな!!」
機銃を躱し、デスワームがアルトリウスへ飛びかかる。獲物を押さえつける獣のように左手の爪を立て、肩の機銃を撃ちながら右手で殴る。
「火種が消えたなら何度だって作ってやる! 平和な世界なんてな、俺達のような人間には必要ねぇんだよ!!」
「僕の事なんかどうだっていい!!」
アルトリウスはデスワームの頭を掴み、腹を蹴り上げる。浮かんだ機体へ体当たりで追い打ち、よろけた頭部を殴りつけた。
「僕は戦いから離れられないかもしれない、でも! 戦うしかなかったあの時とは違う! 守りたいものが、未来に繋ぎたい希望が、僕にはある!!」
デスワームの頭部を掴み、更に一撃。顔面の装甲が破損し、生皮を剥がされた髑髏のようなフレームが露わとなる。
「EA相手に、こんな……こんなの、最高だぁ!!」
両腕を伸ばし、アルトリウスを引き寄せようとする。アルトリウスも引かれぬように脚部の爪を展開、EAの力に拮抗する。
「永遠に続けたいぜぇ、こんな滾る戦いを、永遠に!!」
「いや……もう、終わりにする」
逆にデスワームごと引っ張り、地面に突き刺さった槍を手に取った。
ウイングバインダーから炎の翼が噴出。引き寄せようとする力をも利用し、突貫。
「ぬ、がぁぁぁっ!?」
2機は木々を薙ぎ倒しながら突き進む。やがてミサイルサイロに到達。アクトニウムミサイル手前の発射台に激突した。
「やってくれたなぁおい、EA相手に!!」
「このミサイル……これが切り札か!」
「立派だろ? こいつなら…………あっ?」
ヴァランは気づく。自分が一切触れていないにも関わらず、デスワームの腕が動いた事に。
「何だ、一体……何が……っ!?」
今度ははっきりと見えた。蛇腹剣が展開。2つの切っ先はアクトニウムミサイルの側部を貫いた。
「馬鹿なっ!? 暴発させる気か!?」
「んなわけあるか!! こいつが勝手に……何だよこれは、これもEAの性能なのかよぉ!?」
蛇腹剣を伝い、アクトニウムの結晶がデスワームへ纏わり付く。時を待たずして内部にも群青の結晶は侵入する。
「こい、つ……ぐっ!? ぉ、が、ア、アクト、ニウムが……!!」
「脱出しろ!!」
ビャクヤは叫ぶ。既にデスワームの装甲を突き破り、アクトニウムは剣山の様に連なり始める。
だがそんな中で、通信機から聞こえたヴァランの声は狂った様に笑っていた。
「うぁっはははははは!!! こいつ、俺の操縦じゃ物足りねえってか!? 良い、良い、凄く良い!! だったらお前の好きにしてみやがれ、EA!!!」
身体はアクトニウムを介してコクピットに貼り付けられ、半分以上が結晶に呑まれて尚、ヴァランはデスワームの操縦桿を離さない。
自らを貫いた槍をアクトニウムで呑み込み、取り込む。半ばから折れた柄を、ビャクヤは震える目で見つめる。
「またか、また、こんな…………」
「どうしたよぉ、騎士王様ぁ? お前も、この力、試してみろぉ!!」
デスワームの腕が伸びる。アクトニウムが生長を続け、回避するアルトリウスを執拗に追い回す。更には背中から放たれた大量の結晶針が降り注ぐ。
「アルトリウス…………耐えてくれ!」
針がいくつか突き刺さる。装甲表面のコーティングはある程度のアクトニウムを弾くものの、先端が鋭利な針は薄い層を容易に傷つけ、引き剥がしていく。
「逃げるだけか? 仕方ねぇ、じゃあ場を整えてやる!」
地面が隆起。アルトリウスが退避しようとしたルートを潰す様に結晶が現れる。
足を止めたアルトリウスへ2本の悪魔の腕が襲う。身を捻って躱すが、ウイングバインダーを貫かれた。咄嗟に背中との接続部をパージすると、地面に落ちるより早く翼は粒子となって消える。
翼を捥がれた騎士王を追い詰めるべく、邪竜の腕は猛追。
「ずりぃぜ8年前の連中は! こんなに凄え、ごふっ、兵器使って!! 」
「その力はもう世に放ったら駄目なんだ!! 戦場にいたなら、人の心があるなら分かる筈だろ!?」
「分かるわけねえんだよなぁ……こんなものがあんのに戦争やめちまった奴等の言い訳なんて!! てめぇらはただ、デカ過ぎる力にびびっちまっただけだろうがぁ!!!」
爪に脚が斬り裂かれる。瞬く間に小さなアクトニウム結晶が生長。ほんの小さなもので済んでいるのは表面の膜のおかげだが、これが剥がされてしまえばアルトリウスもただでは済まない。
「俺達にはまだ、戦争が、力が必要なんだよぉ!!!」
群青色の巨大な爪が振り下ろされる。結晶を纏い、機体よりも遥かに肥大化した塊が押し潰さんと迫る。
回避しようにも結晶が足元を覆い尽くす中。一歩でも踏み出せば足を取られてしまう。
「…………」
光で視界が覆い尽くされる。結晶の輝きで目を焼かれたのか。だがそれがすぐに間違いだと気づく。
ゆっくり、ゆっくり、隣を歩いて行く影。その影を、ビャクヤは知っている。
振り向いた彼は、ビャクヤへ手を差し出した。何かを差し出す様に。
今度は背中を押される。2人の手がビャクヤの背中を温かさで包み、懐かしさが肌を撫でる。
3人は何も語らない。それは既に、ビャクヤに全てを託して散って行ったから。
きっと彼等だけではない。今の世界を懸命に生きている人達を、過去の戦争で命を落とした者達は側で見守ってくれている。
「ゼロ…………母さん…………」
背中を押した2人へ礼を言い、差し出された手を取った。
「アレン……ありがとう」
彼は何も言わない。小さな笑みを浮かべ、再びビャクヤを世界へ返す。
アルトリウスは、背からナイフの様に小さな刀身を持った剣を抜いた。しかしその身は瞬く間にアクトニウムの結晶を取り込み、長大な刃を持つ直剣へ姿を変えた。
群青から琥珀色へ。生命の色となった直剣は、空から落ちる爪を両断。落下した破片は粒となり、剣へ吸収されていく。
「あぁ……? 何だ、それ……?」
「俺には、託されたものがある」
髪を掻き上げる。その目に宿る光に、普段は現れていない覇気が溢れ出ていた。
「その力を使った以上、お前に情けをかける理由はない」
ビャクヤはパネルに浮かぶコマンドを弾く。アルトリウスが持つ、真の性能。禁忌を犯した愚者を粛清する力を解き放つ。
武装を全て排除し、装甲の各部がスライド。排熱用のダクトが開き、背中から6枚の放熱フィンが展開。揺らめきを超え、蒼炎が噴き出す程の熱量が吐き出される。
「その機体も、力も、破壊する。未来の為に」
アルトリウスの眼は、コバルトグリーンの燐光を放った。
続く