前編③ 滾る記憶
絶えず耳を犯す爆発、銃声、悲鳴。
軍にいた頃ならば自分も銃を持ち、立ち向かっただろう。だが今、エルシディアが守れるのは胸に抱いた我が子だけ。
通路を進むにつれて人の数は減り、進みやすくなる。無事脱出したのか、別の出口へ散ったのか、逃げ遅れたのか。後ろを振り返る余裕がない今、知る術はない。
「とにかく外に……!」
「ん……ん、ママ…………?」
シオンの目が僅かに開く。身体は依然グッタリしてはいるが、意識は回復したようだ。
「おっきな音……」
「大丈夫、もう少しで外だから……!」
出口が見えてくる。そこに辿り着けさえすれば。
だが、目の前に見えた入り口は突如光に包まれた。
凄まじい熱を持った突風が、入り口に近づいた人々を吹き飛ばす。
声を上げる暇もなく床に叩きつけられる。痛みに抗いながら目を開けると、抱いていた筈のシオンの身体が少し離れた場所で蹲っていた。掠れた声で泣いている。
「シオン!!」
「残念、こっちの出口は外れでしたってな」
倒れ伏した人々の前に、1人の青年が姿を現した。白い髪は半ばから薄い赤色に染まっている。その手に握られた銃の獲物を探すように、灰色をした目が忙しなく動いている。
「ん〜? 割とまだ生きてる奴がいるみたいだな。起爆タイミングしくじったなオッサン達。仕方ねえ俺がやっとくか。お残しは母ちゃんに怒られちまう」
言い終えるより早く、青年は銃を発砲。痛みに呻いていた中年の男性に引導を渡した。次はそれを見て悲鳴を上げた少女へ、次は瓦礫に足を噛まれて動けない老人を。平等、否、無差別に殺していく。
青年の銃はやがて、シオンの方を向いた。
「あー、ガキなぁ……命の価値は等しくなきゃならんよなぁ。泣くしか出来ねぇガキも、歩けねえジジババも、みんな平等に」
何ら躊躇う素振りも見せず、青年の指は引き金を引いた。
空気が破裂する。その時シオンの目蓋越しに見る視界が、僅かに暗くなったのが見えた。埃が鼻に入り込んでも分かる火薬の香りに鉄臭さが混じる。
目を開けると、涙でぼやけた視界いっぱいに母の姿が映る。
「ママ…………?」
「おいおいおいおい、順番があるんだよちゃんと守れよ」
更に銃声が響いた。鉄の匂いが濃くなっていく。しかし、彼女は笑って、
「大丈夫……大丈夫だから……」
娘を濡らさないように結んだ口の隙間から僅かに溢れた血が、シオンの頬に落ちた。
「どいてくれねぇや。しょうがねえな、じゃあ要望通り順番変えてやるよ」
銃口が、エルシディアの後頭部へ向けられる。
銃声が響く。だがまだ青年は引き金を引いていない。
「何だと……?」
青年の手から銃が弾き飛ばされる。この時点で脅威を察知した青年はすぐに柱へ身を隠す。
そしてエルシディアの身体が浮き上がったかと思うと、シオンの手が誰かに引っ張られる。
「え……?」
「早く逃げるよシオン!」
その手を引いているのはクレア。エルシディアの身体を背負って走るのはエリーザ。
「クレア、シオンちゃんの手を離さないで!」
「うん!」
「ママ……? 何で、背中、赤い……」
訳も分からぬまま、シオンは外へと連れ出された。
「ちっ、何処の誰だ邪魔したのは……」
「お前、テロリストの仲間だろ」
青年が隠れている柱に向かってかけられる声。だがそれには耳を貸さず、予備の銃を抜くと柱から飛び出して発砲。弾は間違いなくその人物の右肩に着弾した。
だが向こうもすぐに発砲。青年の右膝に直撃する。
「はっ、残念だったな。俺の右足は義足だ。前の仕事で吹き飛ばされてな」
「奇遇だ。僕も右手が義肢でね」
ビャクヤは銃口を青年の左膝へ移す。反撃が間に合わないと踏んだ青年は再び柱へ隠れる。
「お前、形からして元軍人だろ?」
「だったら?」
「何、今の軍にいないなら俺達と同じなんじゃねえかと思ってな。こんな平和ボケした世界で燻ってる。また戦いたくて堪らないんじゃねぇかってな」
「同じじゃないよ。戦いも人殺しも、好きでやったことなんか一度もない」
「何だよ、結局お前も牙が抜けた犬だったか」
青年はガッカリしたように溜息を吐く。
「今の世界はつまらない。戦争が終わった後の8年間、俺達傭兵や戦争屋はみんな生き辛くなっちまった。無くなられちゃ困るんだよ、戦争は」
「だからテロや紛争を起こすんだろ、今回みたいに」
「飯をくれねえなら自分で作る。仕事を貰えねえなら自分で仕事を作る。何か間違ってるかよ」
銃を懐にしまう。骸が転がる通路を、愉快な表情を浮かべて見つめる。
「けど黙ってても仕事が来る方が楽なのが本音だ。さて、どうすりゃまた戦争が始まるのかねぇ」
口振りは既に方法を知っているような響きを含んでいた。その場から逃げる態勢になる青年を逃すまいと、ビャクヤは走り出そうとする。
その時、柱から小さな物体が転がり出る。物体はすぐに炸裂し、鼓膜を破かんばかりの爆音と閃光を放った。一瞬視界がホワイトアウトし、耳を反響音が支配する。
感覚を取り戻した時には、既に青年の姿は無かった。
その後、政府軍によってすぐにテロリスト達は鎮圧された。このテロによって、その場にいた観光客や警備員、スタッフから、死傷者や負傷者も多数出る事となった。だがその場にいたスタッフが迅速に動いていなければ、更に多数の死傷者が出ていただろう。
「…………とはいえだ」
その報告をフブキから受け取ったティノンは眉を潜める。本来こういった軍の報告を、あくまでパイプ役でしかないティノンが受ける義務はない。特殊部隊の隊長であるフブキがかなり特殊な立場であるため、彼女からのみティノンは報告を受け取ることが出来るのだ。
「持ち物検査は徹底した筈なのに、あれだけの爆発物や銃火器を持ち込めるか? 果ては機動兵器輸送ヘリに、旧型ばかりとはいえ機動兵器まで……」
「拘束した奴等を絞め上げて話を聞いてる。まだ何も吐いちゃいないけど、協力者でもいなきゃ出来ないでしょ。それこそ、腹の中じゃアルギネアとグシオスが仲良しこよしするのを嫌ってる連中なんて軍の内部にも山程いる」
「嫌っているだけなら構わない。だが一般市民に手を出した以上、お前達だけに任せる訳にもいかなくなった」
「…………てなると、アレを出す気?」
フブキの問いには言葉では答えない。だがティノンの眼を見ただけで、フブキは答えを受け取った。
「近い内に軍からも指示が出ると思うが、その時にまた来てくれ。私はこれから行かなきゃならない場所がある」
「見舞い? エリーザもそれがあるとか言ってたな……あの女、そんなに好かれてるわけ?」
「当たり前だ」
コートを羽織り、眼鏡をかけたティノンの表情は、何処か浮かないものだった。
ティノンとエルシディア、そしてビャクヤとの関係はフブキも知っている。いつかの酒の席で潰れたティノンが暴露した為だ。
「いったいどんな気持ちでいつも会ってるんだか……ほんとよく分からない」
心音を知らせる機器の無機質な音の繰り返し。それがシオンの不安を更に煽る。
ベッドで横たわり、人工呼吸器をつけたエルシディア。音が一定間隔で鳴っている間は安心出来るだろう。だがこの音が鳴り続ける瞬間が来てしまったら、その時は。
「ママ…………ぅ、ぅぅ、ママ…………」
涙が出てしまう。胸が張り裂けそうになる。手を握って名前を呼んでも返事がない、その事実が更に追い討ちをかける。
「ママ……ママァ……!」
「シオンちゃん」
後ろからかかる声。それはシオンもよく知る女性の声だった。
「スティア……お姉さん……?」
「おばちゃんで良いのよ。……偉いね、毎日お見舞いに来て」
車椅子に乗ったスティアが、シオンの頭を優しく撫でる。エルシディアによく似た雰囲気を纏ったスティアに、シオンはよく懐いていた。
「ママ、大丈夫かな…………死んじゃったりしたら……」
「シオンちゃんが毎日来てるのよ。絶対良くなる。ママのお姉ちゃんが言うんだから大丈夫」
「でも…………」
「証拠はおばちゃん。だってママとシオンちゃんがいつもお見舞いに来てくれるから、おばちゃんも頑張ろーってなって。だから今はほら、自分で車椅子に乗れる様になった」
スティアは元の足の悪さと8年前の一件で、寝たきりのまま一生を過ごさなければならないと宣告されていた。だが彼女の努力もあり、8年の間で車椅子に乗れるまでの回復ぶりを見せたのだった。医師からすれば奇跡だという。
「だからシオンちゃん、ママのそばにいてあげてね」
「…………うん」
「よし、偉い!」
「……はい、面会は一旦終了で」
スティアの車椅子に触れる手が。いつの間にか背後にはビャクヤの姿があった。悪戯が見つかった子供の様にスティアは肩を竦める。
「見つかっちゃった」
「お姉さんはまず自分のリハビリを頑張りましょうね」
「はーい。じゃあね、シオンちゃん」
車椅子が押され、2人の姿が病室から消える。またシオンとエルシディアの2人だけになる。
手を握って、額をその手に重ねた。
「早く元気になってね、ママ」
「ありがとうございます、お姉さん。シオンもずっと沈んでて……」
「あらあら、沈んでるのはビャクヤくんもでしょ?」
「……バレてましたか」
「だって顔、ずっと怖いままだもん」
僅かに振り向いたスティアは、全てを見透かす様にビャクヤを見つめる。
「本当、情けないです。エルに痛い思いをさせて、シオンを泣かせて……」
「情けなくなんかないよ」
普段は掠れているスティアの声が、はっきりとした響きで発せられる。
「エルがね、いつも私に会う度に貴方とシオンちゃんの話ばかりするの。とても嬉しそうに。エルがあんなに明るくなったのも、ちゃんとお母さんになれたのも、ビャクヤ君がいたからなんだよ。だから自分を責めないでね」
「……ありがとう、ございます」
込み上げる感情で喉が詰まりかける。義姉からの言葉が、ビャクヤの心を救った。
病室ヘスティアを送り届けると、廊下で見知った顔とすれ違った。
「ティノン? どうしたの?」
「見て分からないか。見舞いだよ」
小さな花束を見せる。いつも力強い光を宿しているティノンの目に、光はなかった。
「いくら詫びても足りない。もっと警戒を強めるべきだった」
「ティノン達の所為じゃない」
「……次はもう間違えない」
しかし再び彼女の目に鋭い光が宿る。怒りなどという生易しい感情ではない。
「近い内に、大統領が緊急防衛宣言を出すと言っていた」
「フェーズは?」
「2だ。大規模かつ過剰な戦力を有する武装集団に対し、防衛ではなく制圧を目的とした作戦を立案、決行する……あぁそうだ、アルトリウスを出す」
ビャクヤの目が細くなる。
「今、侵攻部隊を編成しながら、特殊部隊を斥候に奴等の寝ぐらを洗い出している。作戦開始予定日は2週間後。その間に来るテロリストを迎え撃つ戦力は既に用意してある。私達もラインをフル稼働して軍備を増強している最中だ」
「そうか……」
「不満か?」
浮かない顔をするビャクヤにティノンは尋ねる。だが彼は静かに首を振った。
「むしろ、賛成だよ。ほんの少し私情混じりだから複雑なだけ。あと……エルとシオンをまた、お留守番させなきゃならないのが少しね」
「それに関しては心配するな。面倒を見ると名乗り出ている2人がいる」
「あぁ……だったら、安心だ」
ティノンはもう気付いている。
今、ビャクヤの心が、滾っている事を。