人並みカッコカリ
「さて……これで提出完了……かな」
奥の部屋での『情報提出』は聞いたとおり不思議なものだった。さっきの光景を思い返す。
司書のヴェルダが額に指を押し当ててきたかと思ったら指が離れて、白くぼんやり輝く光を帯びた指が紙をなぞって、光が消えたと思ったら紙に奇妙な模様が描かれた。
それで記録の提出は終わったのだ。一体何をどうしたのか検討もつかない。
ともあれこれで情報の提出は完了した。レベルは一体いくつになったのだろう。
「レベルは2ですね。一応、『みなしランク1』と言って差し支えないかと」
ステータス上はランク0だがレベルは0でないのでランク1相当の身分なのだと『みなす』ことができる。そういう表現だ。
「カンパーナ……あぁ、受付にもう一度提出完了の報告をしてください。それで手順は完了です」
「ありがとうございました」
「いえ……仕事ですから」
にこりとヴェルダは微笑み、昴たちを受付へ送り出す。
昴たちが出ていった扉を閉め、それからふぅと息を吐く。
「あれが……ねぇ……」
信じられない。誰もいないはずの部屋で闇に向かって彼女は呟いた。
***
受付に戻る。それはいいんだが、あの態度にまたさらされるのかと思うと気が重い。重たい足取りで受付に戻ると、ちょうど昴たちを受け付けた担当者の窓口が空いていた。
また雑な態度だったら殴るからなとリーゼロッテが威嚇しつつ窓口に立つ。司書のサインが入った用紙を渡すと、ぱっと朗らかな笑顔が受付嬢の顔に宿る。
「はい、提出完了ですね。確認しました! ありがとうございました! またのご利用をお待ちしています!」
態度が。態度が違いすぎやしないか。あの冷淡な受付はどこにいった。投げ捨てるような突っ返し方とか奪い取るような取り上げ方とか。
さっきと違ってきちんと礼儀正しく丁寧な受付をしている。
「『みなし』とはいえランク1相当だから……ってことか?」
「でしょうね。……それにしたって露骨すぎる気がするけど」
ここまで手のひらを返されると対応に困る。受付でこれなら飲食店の店員の態度はどこまで変わるのやら。
昴とサイハが話し合っているうちに手続きが終わってしまった。またどうぞ、とにこやかに手を振る受付嬢に見送られて図書館を出る。
「なぁ……またどっか喫茶店入らないか?」
「いいなそれ。やるか」
店員の態度がどれくらい変わるのか見てみたい。興味本位で提案した昴にリーゼロッテが乗り、あとの2人も同意する。辛辣な態度を取られたカフェ・レスタにもう一度行ってみるのはどうだろう。
そうと決まれば行こう。図書館のすぐ近くだ。歩き出してすぐ、賑わっている建物を見つける。
「あれは……クエスト関係の建物……でしたっけ……?」
頭の中の知識をなぞってフォルが確認のため口にする。町の住民や探索者の頼み事を取りまとめ、クエストとして提示する施設のはずだ。
探索に出て塔を攻略するという大前提のもと探索者は活動しているが、目標が漠然としすぎていてどう進んでいいかわからない。たいていの探索者は大目標の前の小目標のような感覚でクエストを受注する。らしい。後付けの知識曰く。
「んでその正面に……っと、ここか」
「いらっしゃいませ~!」
あのカフェを見つけた。入店の気配を察して店員が素早く出てきた。
「ランク1の4人なんですけど……」
「はい! 席空いてますよ~! こちらにどうぞ!」
あっさり。あの辛辣な接客はなんだったんだと言いたいくらいあっさりと通してくれた。
席も机と椅子の立て付けがいい。木の机にはささくれひとつなく、表面は丁寧にやすりがかけられている。釘が飛び出ていることもない。
注文をして出てきた飲み物もホコリもゴミも浮いていないしグラスもきれいだ。
「なんていうか、人権を得たって感じ……」
「はは、確かに」
人並みに扱ってもらえることが嬉しい。やっとこの世界の一員に数えられた気分だ。
つい安堵の息を吐いてしまう。ようやく周りを見る余裕が出てきて、ぐるりと視線をめぐらせる。何気なく入り口を見ると、新しく客が入ってきたようだった。
「はぁい、いらっしゃいませ~! ランクはおいくつですかぁ?」
「あぁ……1だ……」
ランク1を名乗った男の横。
入り口に飾られている観葉植物の花の花びらがさっと赤みを帯びた。気がした。
「そうですか、すみません。今ちょっと店内混んでて……席がないんですよ~!」
「え……そこの座席空いて……」
「あそこは別のお客様の席でして~! お客様の席がないんですよ、申し訳ありません~! 別の店をあたってください~!」
嘘だ。昴は理解した。だって店内はじゅうぶん空いている。たった1人案内できないほど混んではいない。向かいの席だって窓際の席だってどこでも空いている。予約席というわけでもない。
それなのにそう言うということは、つまり遠回しな入店拒否。入店拒否をするということは、きっと客になりそこねた男はランク0なのだろう。ランク1だと嘘をついたが、どういうわけか嘘を看破して入店拒否に持っていった。
あの態度に自分たちもさらされていた。第三者視点で見てみてよくわかった。本当にランク0の身分は難しかないのだと思い知る。
「ランクが正義ってか」
「じゃ、じゃあランクを上げ……るのは無理ですから……レベルを上げればいいってことですよね」
「そうだな。まぁともかく……今日のところは休めよ。まだ宿取ってねぇんだからさ」
レベルを上げれば待遇がよくなる。人並みに扱われるしそこそこ高ければそこそこ扱ってもらえる。だったら上げない手はない。レベルが物を言うと強く強く自覚したフォルにリーゼロッテが水を差す。
探索が大事なのはよくよく思い知ったので今日のところは休もう。もう日が暮れる。どたばたと騒動があったせいで忘れていたが自分たちは今日の宿すら確保できていないのだ。
まずは適当な宿を取って休んで、明日また改めて情報収集と探索をしようじゃないか。
***
そして一番目についた宿に転がり込んで部屋を確保して。夜。ふぅ、と昴はベッドに寝転がった。
1日の密度が高すぎた。何日分も体験した気分だ。気がついたら知らない世界にいて、知らない知識を持っていて、知らない人と一緒に行動することになって。
探索者だとか武具だとか知らない概念を覚えて。探索に出て。探索者の先輩にも出会って。帰還者という恐ろしい存在もいて。
ランク0の待遇を受けたりランク1になった途端に人並みに扱われたり。濃密すぎた。
改めて昴は現状を確認する。自分のことだ。気がついたらこの世界にいたが、それまで何をしていたか思い出せない。
自分は制服を着ているし、よく無意識に学校や授業といったものにたとえる。ということはどこかで学生をしていたのだろうが、どこの生徒だったか思い出せない。通学していた学校どころか、住んでいたはずの家や地域のこともさっぱりだ。そういう意味ではフォルと同じく記憶喪失なのかもしれない。
そしてその空白を埋めるように差し込まれたのがこの世界に関する知識だ。
はっきりとこれは後付けの知識だという認識が自分の中にある。この知識を知っているということに違和感がある。
スティーブはこの知識に従えと言ったが、正直言って、この後付けの知識が疎ましい。知識を参照するごとに自分の中の何かが書き換わっていく気がした。
もちろん知識を利用するメリットはある。武具の知識がなければあの戦闘で電光を食らって重傷か最悪死んでいた。
戦い方をさずけてくれた点については感謝している。1日が濃密に思えるほど事が運んだのも後付けの知識のおかげだ。
武具。そう、武具だ。
魔法を起動するための仕組みを組み込んだアクセサリーであるというのがサイハが教えてくれた概念だ。
後付けの知識も同じことを言っている。これを使って戦闘から日常生活までこなせるという。
たとえばこれだ。いつの間にかポケットに入っていた小さな銀の玉。
ポケットからこぼれて落ちないように紐が通してあってズボンに結わえ付けられているそれは使用すると一抱えほどの鞄に変わる。ここに物を入れて鞄を玉に戻せば、コンパクトに物が持ち運べる。
昴の上半身ほどもある大きな鞄が親指くらいの銀の玉になってしまうのだ。これはとても便利なものだ。
ちなみに鞄の中に財布も入っている。支度金としてなのか、最初からいくらか入っている。個人用と共用と。
驚くべきことに共用の財布は中身をフォルたちがそれぞれ持っている共用の財布と共有している。
喫茶店での飲食の代金をサイハが共用の財布から支払ったが、後で昴が自分の共用の財布を見てみれば中身が減っていた。同時に手を突っ込んだら中で指先が触れ合った。
こんな便利なものがあるのがこの世界なのだ。
サイハの知る世界では武具はありふれたものだという。大容量の鞄になる銀の玉も持ち主を区別して中身を共有する財布も当然ある。手のひらくらいの大きさと薄さなのに無限に書き込める手帳も汚水を浄化して飲水に加工する銀壺もあるのだそうな。
すごいなぁ、と感慨深くぼやく。リーゼロッテが言うように、まるでおとぎ話だ。
こんな世界でやっていくのかという不安よりも好奇心の方が強い。胸にあるのは冒険心と探究心だ。
早く明日になればいいのに。そうしたらまた冒険に出かけよう――




