誰かが言った。「終わらせなきゃ」
懐に入れていた羽根が急に声を発した。
――覚えているか。
「わっ!?」
驚いているフォルをよそに、羽根はひとりでに懐を飛び出す。
宙に浮き上がり、羽根が裂けて鳥の形に変わる。
ルフが力を分割して作り出した分身のひとつだ。
頂上に至れば願いが叶う。
それにより永遠の命を手にし、永久に添い遂げることもできたのに、どうして妻はそれを拒否したのか。
神の側に召し上げられることは尊く正しいことなのに。
なぜ妻は拒否したのか。
神の眷属とヒトでは価値観が違うのか? ヒトはそれを願わないのか?
疑問に苦悶する風の大鳥は昴たちに問うた。
それを確かめる約束を交わした。
頂上はもうすぐ。じきに約束の時が来る。
「そんなの……もう答えなんてわかってるよ」
昴はふるりと首を振る。
願いが叶う。だがそれは必ずしも理想的な叶い方ではない。
無限に旅をしたいと願えば一箇所に留まれぬ運命を仕組まれる。世界の真実が知りたいと願えば発狂しようとも教えられる。人々の記憶をとどめたいと願えば、帰還者という形で億万の光景を焼き付ける。
それはきっと、『こんなはずではなかった』と叫ぶ結末だ。
だが神はそれらを『良いこと』と定義しているのだ。
神の側に召し上げられることこそ尊く正しいことであるとも言っている。
それは高慢な神の傲慢な押し付けだ。だからこそ認められず、ルフの妻は限りある命をまっとうすることを選んだ。
――我らが間違っているというのか!!
ぎぃい、とルフが激高する。それは羽根が変化した分身からのものではなく、塔の外で飛んでいるルフ自身から発せられたものだった。
否定されて怒るルフは巨大な爪を昴たちめがけて蹴り込む。塔の壁ごとぶち壊してねじ込まれた蹴爪は、しかし対象を捉えられずに空を切った。
壁があってよかった。おかげで怒りに任せたがむしゃらな一撃を避けることができた。
だがさっきの一撃で壁は壊れた。開いた壁の穴の大きさは狙いを定めるには十分。次は当たる。
「鬱陶しい……!!」
「リーゼロッテ! 上行くぞ!」
ルフの相手をしている暇はない。さっさと頂上に登ってやり遂げなければ。
ルフの狙いは自分たちだ。彼らは大事な予備なのだし、ここにいる他のルッカまで狙わないはず。
昴たちがここから離れることが、彼らを安全にする方法だ。
「フォル、行くわよ」
「え……っ、あ、はい!!」
サイハに手首を掴まれ、引っ張られるようにして上階への階段へ走らされる。
その背を見、怒り狂うルフが蹴爪の狙いを定める。
――我々を否定する愚か者など、蹴爪で引き裂いて殺してくれる……!!
そうして翼で空気を叩いて飛び出しかけ、刹那。
ルフの姿が消えた。
消えた。いや、正確には叩き落された。
それをやったのは昴ではない。フォルではない。リーゼロッテではない。サイハではない。この階にいる誰でもない。
神でも精霊でも守護者でもない。完全帰還者でも司書でも観測士でも神秘学者でもない。
呪うような断末魔を最後に、ルフの気配が消えた。
それはまるで、小鳥を鷲掴みにして握り潰すような。
「大変! 大変ヨ!!」
崩壊した壁の穴から精霊が滑り込んでくる。
その切迫した声は異常事態を告げていた。
「破壊神ガ起キタワ! 起キチャッタノ!」
「破壊神って……
破壊神が起きた。その知らせを聞いて、皆がざわついた。
まだ時間はあるはずなのに。どうして。もうタイムアップだと。口々にそう言い、顔を見合わせる。
「早く行かなきゃ……!」
タイムアップが近い。
精霊曰く、破壊神メタノイアは1階から順番に破壊を撒き散らしながら上へと向かっているという。
否。向かっているという言い方は適切ではない。メタノイアは出現した場所から動いてはいない。
歪な形の手を伸ばしているだけだ。手といっても本物の手ではなく、肘のような関節があり、先端が指のように何股かに別れているので手と仮称している物体だ。
ひとつの大きな手から小さな手が生え、いくつにも枝分かれし、そして手当り次第に何でもかんでも掴んでいる。人も物も魔物も何もだ。ルフさえもその手に掴み取ってしまった。
そして掴んだものを手のところどころに開いている口のような裂け目に取り込んでいる。
そうやって取り込むごとに体積は大きくなり、手の本数は増え、より上階へと向かって手を伸ばす。
「モウ10階ニ届イテル……下層ハモウダメネ」
まだ完全に下層のすべてを食い尽くしたわけではない。だが伸ばし続けた手はそのまま中層の町を食い荒らし始めるだろう。
それが上層に至るまで時間の問題だ。早く行かなければすべてが食い尽くされる。
「フォル!」
「でも、わたし……!!」
頂上に行ってやり遂げなければすべてが終わる。だが、『鍵』を作るということは、つまり。
そんなことできやしない。たとえ問題を先送りしてでも昴たちを手にかけられない。
「いいから! 俺に任せて! フォルが手を汚さなくていい方法がある!」
「……はい!」
詳しくは言えないが任せろと昴がフォルの手を引く。
何をするつもりなのかはわからないが、昴が大丈夫というのだから大丈夫だろう。
全幅の信頼で頷き、フォルも上階への階段へと駆け出した。
「……馬鹿ナ子」
終焉へと向かって走り出した運命を見送り、遅れて到着した雪の名前をつけられた氷の精霊がそうっと呟いた。
昴が大丈夫と言ったのだから大丈夫なのだろう、なんて。
そうやってハッピーエンドを期待すると絶対に裏切られるんだって、あなたは何週すれば学習するのだろう。
誰も幸せになれやしないのだ。




