世界を背負って進むのだ
28階。
――世界を背負って進むのだ。
まったく。辟易する思いだ。リーゼロッテが溜息を吐く。
世界を背負って進むのだ。止まることなど許されない。そう強制する碑文だ。
「霧が濃いですね……」
「霧じゃないわ、魔力よ」
少し離れれば互いを見失いほど濃い霧が階層内を満たしている。
ただの霧ではないことは霧が帯びている金色の光でわかる。
これは魔力だ。空気中の水分が多ければ霧となるように、濃い魔力が満ちている。
「こんな霧……不吉ね」
「何か思い出が?」
「元の世界にあったのよ、こういう光景が」
サイハが生きていた世界では、大陸を4分割して作られた4つの国があった。
互いに協力はしないが敵対もしないという絶妙なバランスで保たれていた4国のうち、北の国が東の国へと侵攻した。
そのまま国王を殺し国を植民地として支配したのだが、ある日、東の国は謎の攻撃を受けて更地となった。
「空気中の水分が集まって霧になって、霧が集まって雨になって……そして、洪水になったみたいな……そんな桁外れの災害が起きたのだそうよ」
圧縮された超高密度の魔力が叩き落されたのだ。
叩き落され、拡散した魔力は物理的衝撃を伴って国土を根こそぎ吹き飛ばし、地に満ちた。
地に満ちた魔力は本来の機能を発揮した。すなわち、魔法の発露だ。
「そうして魔法にめちゃくちゃにされて死都になって10年。行ったことがあるけれど……そこの風景と同じよ、ここ」
死都と化した国には依然として魔力が満ちていた。金色の光を帯びた白い霧に満ちた光景を、国境に建てられた城壁から覗き込んだことがある。
この階層の光景はそれと同じだ。ということはこの階層でどんな現象が起きるのかもだいたい予想がつく。
以前、ネツァーラグが言っていた。
濃い魔力はあたりの光景をその場に焼き付ける。時間と空間を切り取るように、その場に幻影を留め置く。永遠に。
だとするなら、この階層で起きることはいつかの誰かたちの幻影の再生だ。
幻影を見せ、圧をかけるつもりなのだろう。挫折した人々の思いを背負って進め、どうか我々の犠牲を無駄にしないでくれと。
「フォル、はぐれるなよ」
「はいっ」
***
「そろそろ上層かな」
「そうね」
あとは粛々と見送るだけだ。ヴェルダはゆるりと足を組む。
結局できないのか、やり遂げてしまうのか。エラーが修正されるかどうかの話で、どちらにしろ『全消去』は変わらない。
「31階がレストエリア。32階が……いよいよ、か」
「そうね。他のルッカも到達しているし」
正常に稼働している塔ならば、もう少し上に伸ばして選定を続けるのだが。
巫女の浄罪のため、早く結論を迫るために上層はごくごく短くなっている。
32階が頂上だ。そこには『扉』があり、到達者は自身の肉体を捨て『鍵』となして『扉』をくぐる。
その『扉』の向こうの世界で願いが叶う。どんなことでもだ。
本来、『鍵』を作るための装置を動かすのは巫女の役目だ。だが巫女がそれを拒否したために現在では精霊の権能によって作られた装置がその役目を担う。
果実から果汁を搾るように、装置の中で肉体は『鍵』へと加工される。肉体から解放された魂は『扉』をくぐる。
そうして『扉』をくぐる者の選定が済んだら次の選定へ。『全消去』してまた新たな選定を始める。
「僕らも再配置というわけだ」
「そうね。まるで砂山を掻いて登る無限努力だわ」
この役割を楽しんでいるので別に後悔はしないのだが。
『次週』はどういう立ち回りにしようか計画し始めてすらいる。
「さて、僕も準備しようか」
「準備?」
「見事な簪を見に」
そう言うと、ネツァーラグは転移武具でどこかへと消える。
やれやれ。彼は終末になると嬉々として活発になる。終わりを楽しむかのように。
まぁ、人のことは言えないのだが。
「意味深な会話しかしない舞台装置も飽きてきたし、次は立ち回りを変えてみようかしら……」
***
金色の光を帯びた霧が風もないのに揺らめく。
そのゆらめきの合間に幻影が見える。いつかの誰かの記憶が再生されている。
「うっぜぇな」
不快だ。リーゼロッテが敵意たっぷりに吐き捨てる。
唾棄するように呟くのは何度目だろう。この世界を知れば知るほど嫌気がさす。
どうせこの幻影も精霊によるものだろう。
自分たちを頂上に進ませるための圧力のためにこんな階層を作り上げた。
そんなことをしなくてもきちんと登ってやるというのに。
「リーゼロッテさん、頂上に何があるのか知っているんですか?」
フォルのそれは質問ではなく確認だ。
リーゼロッテがどの程度知っているのかは知らないが、この先、つらい運命しか待ち受けていないというのは確実だ。
――頂上で、お前は好きな人を殺す。
本に告げられた予言がフォルの脳裏によぎる。
この『好きな人』というのは恋のことだけではない。親愛の感情も含まれる。
つまりフォルは昴もリーゼロッテもサイハもその手で殺すと言われているのだ。
リーゼロッテはそのことを知って言っているのか。それとも知らなくて言っているのか。
「ルフと黒衣と約束したろ」
頂上に登り、何があるのかを見定めるとルフと約束した。
頂上にあるものは尊く正しいと信じて疑わない風の大鳥に、それは傲慢で一方的な押し付けだと答えるために。最終確認の答え合わせを頂上で行う。
神を殺すために刃を握る黒衣と約束した。
スカベンジャーズは探索者が1歩でも到達した層にしか行くことができない。だから黒衣が神を殺すために頂上に登るためには、探索者となって地道に1階から進むか、頂上に到達した探索者に便乗するしかない。
現れることさえできれば神は葬れる。その手段があると黒衣は言っていた。
神殺しの兵器を頂上に呼び出すためには、昴たちが頂上に到達し、それを経路として黒衣が来るしかないのだ。
「やらなきゃタイムアップだ。どうせ頂上には行かないとダメだろ」
結局逃げ道なんてどこにもない。
選べるのは、どう終わらせるかだ。自分の命の終結の仕方が選べるだけ。
だったら生になんて執着しないで、さっさとやり遂げて願いを叶えよう。
リーゼロッテはそう言って迷わずに進んでいく。
魔力の霧の向こうに消えそうになって、慌てて追いかける。
その背中をいつかの誰かの幻影が見送っていく。




