浄罪を求めて歩いた道
27階。
――浄罪を求めて歩いた道。
ここは水神の眷属の領域だ。それを示すように、フロアは巨大な湖だった。底が見えないほど深く彫り込まれた中に濁濁と水が溜まっている。
まるで、水を溜めた大きな桶のふちに立っているかのようだ。27階と言ったが、上り階段が長かったからもしかしたら2、3階ぶんくらい登っていたかもしれない。だとするなら、この湖は3階層ぶんの深度がある。
開け放たれた壁から吹き込んでくる風に揺られる以外波立つことのない水はどこからか流れ込み、また流れ出している。
その水面に点々と足場があり、対岸の上り階段へとつながっている。
「ここは塔の水源だって、記録にはあったけど」
ここから水が流れ出し、各階や町へと流れているのだとか。
書架にあった冒険録にはそう書いてあった。読んだばかりの知識をそらんじてサイハが水面を覗き込む。
底は見えない。暗い暗い暗闇があるだけだ。何かが潜んでいる様子もない。
「……最後の到達者が、水神の眷属となったことに由来するそうです」
こんな高層階にこんな大量の水があるわけは、過去最後の到達者が水神の眷属となったからだ。
大量の水を管理するなら、こんな高層階に置くよりも地上の方がいい。塔の中にとどめておかず、塔を支える大地に湖を作ればいい。
だが、前回の到達者という偉大な功績を残した人物を低い地上にとどめるわけにはいかないと、わざわざこんな高層階を水神の眷属の領域とした。
過去の記録にはそうあったとフォルは語る。
本は真実の断片としていろいろなことを教えてくれた。
「前回の到達者はイルスという人だそうで……願いを叶えて、水神の眷属となりました」
こんな世界など見ていたくない、眠っていたいと願い、神が新しく紡ぎ直した世界で願いを叶えた。
彼はイルス・リヴァイアと呼ばれる海竜となって眠りについているそうだ。
だからこの階は水神の眷属の領域ではあれど、眷属がいるわけではない。ルフやドラヴァキアのように、力を分割した分身がいるわけでもない。
静かな湖面が示すように、何もいないのだ。
「そういうように……きちんと願いを叶えるから臆することなく進め。……本にはそう書いてありました」
25階で真実を知って立ち止まってしまうかもしれないが、成し遂げた者にはこうしてきちんと願いを叶えてやる。
何でも願いを叶えるという褒賞を与え、尊い神の側に召し上げている。だから立ち止まらずに進めと檄を飛ばすことを目的とした階なのだ。
「上から目線かよ」
神の意図のなんと傲慢なことだろう。リーゼロッテは吐き捨てる。
神の側に召し上げるとは。それではまるで神が上位で人間は下位のようではないか。否、そう確信して疑わないのだろう。
下位だから好き勝手に弄んでいいと思っているし、そうして翻弄された哀れな下等生物に慈悲を与えてやる優しさに酔うのだ。
そんな意識なら、こんな世界になるのは当然のことだ。
「メッセージも……もう隠し立てしていないな……」
階に着いた時に見える石碑に書いてあるメッセージも直接的になってきた。
下層の頃は断片的で要領を得ない文章ばかりだったのに、今では未来がないことも頂上で何をなさねばならないかもはっきりと告げてきている。
1階。それはかの者の思いつきから始まった。
2階。紡がれた言葉は世界となり、作られた世界は並列に存在していた。
3階。やがて創造主の手を離れた世界は自ら走り始めた。
4階。それはさながら歯車のように噛み合い始めた。
5階。それは混ざりあった世界の中の塔。
6階。繁栄と衰退と荒廃。ならば新興はどこだろうか。
7階。すべてが収束する終息の塔で果ての夢を見る。
8階。神は人に試練を授けた。これをもって受難の開闢とする。
9階。受難を越え、恐怖に直面せよ。果てには奇跡。
10階。自らの落とし前をつける時が来る。
11階。剥奪されてまで手に入れた尊厳。
12階。すべては神に捧げられ贄となった。
13階。それは神に背いた代償に奪われたもの。
14階。尊い君は堕ちて足掻いている。
15階。無力反抗の無限反復。
16階。終了だが完了ではない。
17階。試行回数が増えるごとに、罪もまた増える。
18階。逃げ道などないことがなぜわからないのだろうか?
19階。受難を受け、苦難を行く。歩く足で跪け。
20階。堕ちて足掻いてまた来週。
21階。それは堅牢なる意思だった。
22階。燃え盛る意思が熾る。
23階。熾った意思は未だ燻っている。
24階。希望すら燃え落ちる。
25階。すべてなくなっても記録だけは残る。
26階。記憶と記録の流れる場所。
27階。浄罪を求めて歩いた道。
これらの碑文はおそらくこの世界の歴史だ。1階から順番に、創世から現在までを語っている。
ぼんやりとした創世神話のようなものから始まり、10階の碑文が示す記録までは正常に稼働していた。
しかし巫女が役目を拒否したことで世界の構造は一変し、巫女の罪を責めるものとなった。
11階。剥奪されてまで手に入れた尊厳。剥奪されたのは巫女の権能。手に入れた尊厳は『鍵』のために探索者を殺すという非道を受け入れられない心。
12階。すべては神に捧げられ贄となった。巫女の罪を責める世界にするために『全消去』が入った。
13階。それは神に背いた代償に奪われたもの。神に背いた代償に奪われた巫女の権能。
14階から20階はひたすらの反復だ。巫女が浄罪をなすまで、何度も『全消去』を行ったこと。
しかし何度やっても最後に巫女は役目を果たせない。拒否する。その意思を呆れ気味に記したのが21階の碑文になる。
火を起こすように目覚めてしまった心を示す22階。心は消えず、燻るようにずっと残り続けているからこその23階。
どれほど反抗しようとも、結局絶望しかない今の状況を説明する24階。
だが絶望しかなくてもその活動は記録として残るのだという25階。26階の碑文はおさめた記録を閲覧する故に。
そして、すべてを知り、頂上を目指す昴たちが歩くのは浄罪の道。
まったく。おかげでここから先の階の碑文の内容が予測できてしまう。
頂上を目指すことは正しいだとか、神の側に召し上げられることが尊いとか、そういう言葉が並べてあるに違いない。
読むのも馬鹿馬鹿しい。そんなことをして追い立てなくてもやってやるというのに。




