犠牲同盟
「おい、昴」
「ふぁい」
情けない声が出た。だが食事中だったので許してほしい。
今まさに口の中に入れようとしていたノンナの干し肉を下ろし、声をかけてきたリーゼロッテへ振り返る。
26階に戻り、いい時間帯だからと昼食にしようとしていたところだ。
図書館に寄る前に買ったパンに干し肉と野菜の切れ端を挟んでかぶりつき、余った干し肉を胃の中におさめようとしていた、まさにその時だ。
「話がある。来い」
「へ? え、ちょっと!?」
有無を言わせない圧。首根っこを押さえて引っ張られたらかなわない。
そのままずるずると引っ張られていく。助けてとサイハやフォルに縋るものの、フォルはどうしていいか困った顔をするばかりで助けてくれる様子はなく、サイハに至っては笑顔で手を振られた。
男一人。味方ゼロ。これだから女は徒党を組むと怖いのだ。
ずるずると引っ張られ、そして25階の人気のないところまできたところでようやく解放される。
服の襟首を直しつつ、昴はリーゼロッテを見た。
「お前、隠してることがあるだろ?」
「えっ」
隠していること。心当たりがありすぎる。
だが鍵のことなんて言えやしない。自分たちが死ぬことが巫女の浄罪であるだなんて。
そして、自分はその役目からフォルを解放しようとしている。頂上に至った時、叶えられる願いとして。
それに、他にもある。チェイニーの家で、あの晩、えぇと。
「吐け。胃の中のもの吐かせてでも白状させるからな」
「ひぇ」
怖い。リーゼロッテに両手を挙げる。彼女の場合、本当にやりかねない。
降参を示しつつ思考を走らせる。隠し事を吐くまでリーゼロッテは満足しないだろう。だとするなら、何の情報を吐くかだ。
頭の中で、白状する情報に優先順位をつける。小さいものから告白していこう。
「えぇと……フォルに告りました……」
恐怖のあまり、思わず敬語になってしまった。
ふぅん、とリーゼロッテは呟く。
「それだけじゃねぇだろ?」
そんなことだけではないはずだ。でなければ、あんな深刻そうな顔はしない。
タイミングから推測するに、書架でひとりずつ引き離されて真実とやらを見せられた時に何かあったはずなのだ。
ほら吐け。本に何を教えられた。
「ぅ…………ごめん、教えられない……」
まだ言えない。だめだ。言えない。
腹を殴られて胃の中のものをぶちまけようとも言えやしない。
だって、昴はリーゼロッテを手にかけなければならないのだ。
フォルを巫女の役目から下ろすためには、到達者とならなければならない。ただ頂上に着くだけではだめだ。『鍵』を作り、『扉』をくぐらなければならない。
『鍵』は頂上に至った探索者の肉体。頂上にある装置で『加工』しなければならない。要するに死ねということだ。
それをなすために、リーゼロッテとサイハを装置に放り込む。自分も入る。
事をやりやすくするためには、何も知らず戸惑う隙を突くのが一番だ。だから言うわけにはいかない。
「あ?」
「っ、ごめん!!」
本当に殴られる前に逃げる。ごめん、と言い残して昴は駆け出した。
その場から逃げ出す。おいこら待てと怒号が背中から聞こえるが振り向かない。
25階が本棚ひしめく書架でよかった。スクリーン以外何もない26階だったら逃げも隠れもできないところだった。
書架の隙間を縫うようにめちゃくちゃに走り、リーゼロッテをなんとか振り切る。本棚に手をついて息を整え、顔を上げたら。
「あら。昴?」
本をぱらぱらとめくって読書真っ最中のサイハがいた。
「あれ、フォルは?」
「あっちにいるわ。考え事したいから1人にしてくれって」
本を読み、『前週』にあったことを把握する。そこから何かが見えてくるかもしれないから、と。
それならと暇潰しがてら冒険録をあさっていたところだ。
「もう旅なんてできないから……じゃぁ、他の人の記録を見て満足しようかなって」
この世界が死後の世界だというのなら、サイハはもう元の世界で旅をすることができない。
死んでいるのだから旅などできるわけがない。
だから、この塔に挑んだ探索者たちの記録を読んで、その探索に思いを馳せることで冒険心を慰めようとしたのだ。
「リーゼロッテとの話は終わったの?」
「あ……うん……」
逃げ出してきたとは言えず。曖昧に頷く。
そう、と返したサイハは本を本棚に戻し、片方しかない瞳でまっすぐ昴を見つめる。
「何か隠しているわよね?」
「う」
サイハもか。どうしてこうも首を突っ込んでくるのか。いやわかりやすく深刻そうな顔をしていた自分が悪いのか。
言葉に詰まった昴の様子に小さく溜息を吐き、私はね、とサイハが切り出す。
「サイハって名前、偽名だって話は最初にしたわよね」
偽名というよりは仮名なのだがその細かい違いは今は捨て置こう。
要するに『サイハ』は本名でないということだ。
「名を捨てるついでに過去も捨てた……いえ、逆ね。過去を捨てたかったから名を捨てたの」
血生臭い過去だ。忌まわしい記憶だ。隠したい身分だ。
ベルベニ族の旅を愛する特徴を利用して、流れ者の暗殺者一族として息づいていたあの日。
言えば軽蔑されるだろうか。どうして黙っていた、無害なふりをして暗殺の算段でも踏んでいたのかとあらぬ疑いをかけられるだろうか。それが怖くて封印していたのに、今更引っ張り出すなんて。
自嘲しつつもサイハは自分の過去を告げる。
「見損なっても構わないわ」
「そんなこと!」
そんなことない。あるはずがない。
暗殺者なんてことをやっていたというのは驚きだが、だからといってそれを理由に軽蔑も差別もするはずがない。
むしろ、それを吐露するほどに信頼してくれたことが嬉しい。そう告げると、サイハの目が小さく伏せられた。
「さて」
成程、こういうところにフォルはほだされたのだなと納得しつつ、さて、と話題を変える。
隠したい話をわざわざしたのには理由がある。そう、昴の隠し事だ。
「私が言ったんだから言えるわよね。このままじゃフェアじゃないもの」
「ぐぅ」
「おう、アタシも混ぜろよ」
「ぎぇ」
前門の虎、後門の狼。前門のサイハ、後門のリーゼロッテ。
もうこれは正直に告白するしかない。隠して不意打ちで事をなすより、打ち明けて協力を仰いだ方がまだ話は通じるだろう。
覚悟を決め、昴は口を開いた。
***
「……は、成程な」
昴の話を聞いて、リーゼロッテは口端を吊り上げた。笑っていなければ正気を保てないくらいだ。
この世界を仕組んだ神とやらは本当にろくでもない。『鍵』の正体がまさかそんなものだったとは。
成程それは深刻そうな顔をするのはやむなしだ。
3人全員が『鍵』とならなければ巫女の浄罪は完了しない。
フォルは絶対に躊躇するだろう。だから昴は自分の手を汚して『鍵』を作ろうと考えた。
好きな女のために仲間も殺す。その気概は気に入った。黙っていたことは気に入らない。
「要するにアタシらが装置に入って死ねばいいんだな?」
『鍵』となることでようやく願いが叶う。
この世界を壊すという願いを叶えるためには、一度死ねというのだ。
「……わかった、やってやるよ」
だとしたらそれを受け入れよう、とリーゼロッテは言った。
タイムアップか挫折で『全消去』はやってくる。どうせ死ぬということは変わらない。
死に方が選べるだけだ。だったら得をする方を選ぶ。
「私もそれでいいわ。願いを叶えなくちゃいけないんだもの、必要な犠牲よ」
サイハも頷く。必要な行程ならそれを受け入れよう。
できれば痛くないほうがいいが、それは大丈夫かと現実逃避じみた心配をしつつも、運命を了承する。
かくして彼らは礎となることを選んだのだ、




