この箱庭がハッピーエンドであるわけがない
ランクに関わる手続きが終わったから図書館に来てほしいと呼び出しがあったのは朝のことだった。
「気をつけろよ。司書は一筋縄じゃいかないからな」
司書ヴェルダは『前週』の記憶も記録もすべて持っている。
25階で見せた数々も彼女が保管している記録のひとつだ。
そんなヴェルダがわざわざ呼び出すのだ。絶対に何かある。
ランクのことなどもう建前でしかない。
「はい、ありがとうございます」
気をつけろと忠告するチェイニーにフォルはしっかりと頷く。
図書館に向かう背中を見送り、チェイニーはふぅと息を吐く。まったく、役割に沿った行動というのも面倒だ。
「全部覚えてるのはこの一瞬だけだからな。さっさと『次週』に引き継ぐ内容をまとめないと」
「手伝おうか?」
「頼む」
***
「ごめんなさいね、わざわざ来てもらって。はい、これ、受領証。あとはランク2の証明書」
もうランクがどうとかどうでもいい段階に来ているのに。
白々しくも書類を渡してくるヴェルダから硬い表情で証明書を受け取る。
「そんなに怖い顔をしないで。真実がどうであれ、あなたたちはランク0だったんだから」
事情を考慮してこれまでは容赦されてきたが、ランク0への風当たりは知っているだろう。
まだ本格稼働は遠いとはいえ、編成所の業務が再開しつつある今、その風当たりは本来のものになってくる。
そうなればどこに行っても宿泊拒否だ。中層に行けば不正をして忍び込んだと思われて石を投げられる。しっかり手続きをしていないと町では居場所がなくなってしまう。
もはや町での宿泊などしないだろうが、やるべきことはきちんとやっておかねばならない。
「そう、やるべきことはやらなくてはならないのよ」
ねぇ、とヴェルダはフォルを見る。
何のことかは言わずともわかるだろう。配置された駒は役割を淡々とこなすしかない。誰も彼もそうだ。
すべての記録を知る司書とてそれは逃れられないのだ。抵抗などするだけ無駄。
ヴェルダも、抵抗した巫女の気概を買って便乗してみたが、そこまでだ。結末と大筋が変わらない程度に引っ掻き回すまでにとどめた。それ以上は巫女と同じ運命になってしまう。
そろそろ真面目に役割を遂行しなければならない時だ。アドリブを挟んで遊んでないで、襟を正して背を伸ばし、決められた台詞を舞台の上でそらんじなければ。
「いい加減逃げるのをやめなさいな」
「っ、あの!」
ゆっくりと追い詰めるような口ぶりでフォルに語りかけるヴェルダに昴が割り込む。
これ以上フォルを追い詰めさせやしない。庇う昴の姿にヴェルダはわずかに目をみはる。
「聞きたいことがあるんだけど」
「えぇ、いいわ。どうぞ」
何でも質問に答えてあげよう。頷くヴェルダに、ちょうどいいわ、とサイハが口を挟んだ。
「私も聞きたいことがあるの。皆に聞かれるとちょっと憚られることだけど……」
「そう、じゃぁ提出のついでに聞きましょう」
どうせ1対1で話を聞くなら知識の提出もついでに請け負おう。
ここまで話が進んでしまうと、もはやランクもレベルもどうでもいいことだろうが定められた手順は踏んでおかなくては。
奥の部屋にいるから順番にどうぞ、とヴェルダはくるりと踵を返す。
赤い髪の下で青い目が愉悦に細められた。
「ったく……なんだ」
ぶん殴りたい筆頭だなとリーゼロッテが呟いた。
あぁいう『自分は何でも知っている』というタイプは苦手だ。ここにきて苛立ちが増す。
もし頂上にたどり着いて、この世界を壊す力を得ることができたら、真っ先に図書館は潰してやろうと心の中で誓う。
「じゃ、えーと、サイハから先に行く?」
「じゃぁお言葉に甘えて。すぐ済むわ」
そう言って、サイハが奥の部屋へと入っていく。
3人だけになった部屋で、リーゼロッテが本を手に取る。
「今のうちに上層の情報探しておこうぜ」
30階までは中層だ。そして、31階からは上層となる。
下層、中層のように31階に町があり、探索者が上階に挑む準備ができる場所となっている。
果たして上層はどのような場所なのだろう。多少の情報は本に記されているはずだ。
そう思って本を開いてみたのだが、記されている情報はそれくらいしかなかった。
下層が受難の層、中層が苦難の層と呼ばれるように、上層は困難の層と呼ばれるということくらいしか目新しい情報がない。
あとはその目で確かめろということか。そういえばはるか以前にスティーブが言っていた。上層にたどり着けるのはごく限られた一部の探索者だけなのだと。
その一部の探索者というのがルッカなのだろう。ルッカは通し、ルッカ以外は通さない。スティーブたちが中層で止まっているのも、それ以上上に行かないように精霊たちが妨害しているせいだろう。
それも巫女の浄罪というシステムありきのためだ。
巫女の浄罪に関われる一部だけを残してあとはぞんざいに扱う。
まったく、嫌気がさしてくる。
「ただいま。ごめんなさいね、割り込んで」
どうぞ、と戻ってきたサイハに譲られて昴が奥の部屋へと進む。
いつもの情報の提出のように、ヴェルダが応接用のソファに座って待っていた。
「聞きたいことって?」
「えぇと……フォルを巫女の役割から下ろすことはできる?」
頂上にたどり着いた時の昴の願い事はひとつ。
フォルを巫女の役割から下ろし、ただの人間とすること。
そのためなら自分がどうなってもいいし、『鍵』とするためにリーゼロッテやサイハも手にかけてもいい。絶対にフォルの手は汚させない。
その願いは実際に可能なのだろうか。昴が気になるのはそこだ。
頂上に至った時になって『できません』と言われたら終わりだ。だから先に確証を得ておきたい。
「えぇ。可能よ」
フォルを巫女の役割から下ろすこと。可能だ。
それどころか、昴が願えばフォルともども『扉』の向こう、再構成された世界にも行くことができる。
その先で何の力のない平凡な只人として生まれ、恋人となり、結ばれることもできる。
『次週』で誰かいい人に出会えるようになどと願いを託す必要もない。
もちろんそれを望むのなら、この塔の世界で町の住民の1人として再配置もできるが。
「悲劇のヒーローとなる必要もないってわけ。ハッピーエンドよ」
ただその過程に多少の苦痛が伴うだけで。
なに、願いが叶うついでにそのあたりの記憶は都合よく修正される。
塔の世界での選定を勝ち残り、好いている相手と添い遂げたいという願いを叶えたという記憶くらいしか残らない。これはありのままを覚えた状態で『扉』の向こうに渡り、発狂しないための措置だ。
到達者であるヴェルダもまた自分のそのあたりのことは記憶にない。記録にはあるので知ってはいるが。
「本当に?」
「えぇ」
だから思い残すことなくやり遂げるがいい。
その努力を応援しよう、とヴェルダは言った。
所謂、『砂を掻く努力』というやつだ。
人間の努力というものは膨大な砂の山の頂点に登るかのようだ。
いくら掻いてよじ登っても柔らかい砂は簡単に崩れて麓に引きずり下ろす。
それでも人は足掻く。砂に爪を立て、登ろうとする。その爪が剥がれてもなお頂点に向かって血反吐を吐きながら掻きむしる。
そして掻いて掻いて掻いて滂沱とした時間をかけて莫大な努力でもって頂点に登りつめる。
だから人は愛おしいのだ。ゆえにヴェルダはその努力を肯定し、時には力添えをする。
「結末までちゃんと走りきりなさい」
絶望の崖っぷちでも、勢いをつけて跳べばあっさり飛び越えられるかもしれない。
そう言ってヴェルダは昴の背中を押す。にこりと微笑んで勇気づける。
「ありがとう。……うん、がんばる」
「えぇ。後悔しないようにね」
晴れやかな表情で部屋を出ていく昴を見送る。
ぱたんと樫の扉が閉じて、その気配の残滓さえ消えた頃、ふぅと息を吐いた。
「大丈夫よ。全部帳尻が合うようにできているんだから」
巫女の役割を交代することはできるのかと聞いてきたサイハの姿を思い出し、ヴェルダはうっそりと笑った。
「席が空いたら、別の駒が再配置されるだけなのに」
この箱庭がハッピーエンドであるわけがない。




