たった1つの希望のために
「あの、さ」
「ナァニ?」
もし。だが。
躊躇しながら昴は口を開く。
もし自分たちが頂上に至って、『鍵』となって。
フォルが巫女としての役目を果たして罪が精算された時。
その時にフォルはどうなるのだろう。
「『次週』ニ行ッタラ? 何モ覚エテナイワヨ」
昴の問いに精霊は答える。
罪は精算されたのなら、もう責め立てる必要はない。
エラーを是正したのだからあとは通常のシステムに戻る。死者の魂を救済しつつ、選定する塔としてのシステムにだ。
「キレイサッパリ。何モ覚エテナイノヨ」
だから巫女が『前週』のことで心を痛めることもない。
25階の書架で記録は閲覧できるだろうが、その時に何も思い出すことはないだろう。
記録は残っても記憶は残らない。それはこの世界に残された唯一の温情かもしれない。
「頂上に行ったら……どんな願いでも叶うんだよな?」
「エェ」
その時の形は様々だが。
人間の情緒や解釈とは相容れないことも多々あるが、どんな無茶でも通してやろう。
この世界を壊すことを願った到達者だっているし、その願いは叶っている。『全消去』の時に現れる破壊神として。
そう答える精霊に、じゃぁ、と昴は思う。
――だったら、フォルを巫女の役目から下ろすこともできるのではないだろうか。
***
「うぉっと!」
取り込まれた時以上に押し出される時は強引だ。
ふらつく足を踏ん張って頭を振って見渡せば、ちゃんと皆揃っていた。
どうやらそれぞれ本の中に取り込まれて真実とやらを見せられていたようだ。
それがいったい何であるかは、今は問わないでいいだろう。
全員、表情が固い。特にフォルなんかは深刻だ。その状態で、どんな真実を突きつけられたのか問うのは酷だ。
物事を人に説明するためには自分で理解する必要がある。理解するということは受け入れるということだ。顔面蒼白になるほど深刻な顔をしたフォルにそうしろとは言えはしない。
「……とりあえず、野営にする?」
疲れた。空腹を感じないくらい腹も減っている。
とにかく休みたい。休んで、今考えていることをいったん投げ出したい。
提案するサイハに、そうだな、とリーゼロッテが頷いてレストエリアを探して歩き出す。
その後にのろのろとフォルがついていく。相当に精神がやられているようだ。無理もない。
「フォル、手」
「……え……?」
「そんな足取りじゃコケるぞ。ほら」
「あ……はい……」
差し出された昴の手を握る。
嬉しいことのはずなのに心が痛い。この温かい手がいつか引き離されるのだ。
ネージュはあれきりどこかに行ってしまって、呼んでも戻ってきやしない。
その光景を後ろから見つつ、サイハの胸がほんの少し痛んだ。
可哀想に。恋の芽はまだ芽生えたばかりで、これからゆっくりと育っていくはずだったろうに。
急に現実を突きつけられて、発展しきっていない恋心に締め付けられて。
ただ痛めつけられているだけだ。こんな状態では、あらあらうふふと未熟な恋を眺めることもできやしない。
できることなら代わってあげたいとさえ思う。
――代わってあげればいいのではないだろうか?
***
「レストエリアねぇのかよここ」
知識をおさめる書架ならそれもやむなしか。
26階以上に登るのは論外。24階のだだっ広い空間の端を借りて野営をするのもありだが、レストエリアでないところは何に襲われても文句は言えない。
魔物か神の眷属か精霊か、それとも他の探索者か。何がやってくるかわからない状態で気を張りつめながら休めるかといったら否だ。
最後にあったレストエリアは20階、スカベンジャーズの巣だ。そこまで迷宮ではないから今から降りてもすぐにたどり着けるだろう。
サイハの"探索者による帰還"を用いて町に帰ってもいいだろう。20階の転移装置は使えるのだし、25階までまた登ってくるのは楽だろう。ドラヴァキアも火の鳥も立ちはだかりはしないはずだ。
「レストエリアまで戻……」
さてどうする。意見を聞こうと振り返りかけ、リーゼロッテは沈黙する。
フォルも昴もずいぶんと痛ましい顔をしている。今日はどこで休むべきかなど考える思考の余地はなさそうだ。
そこまで精神を摩耗させられた姿を哀れだと思う。だがそれ以上に世界への腹正しさが勝つ。
この世界はろくでもない。リーゼロッテが元いた世界も良いものではなかったが、少なくとも人は玩具などではなかった。
未練を救済するという希望を餌に争わせ、上澄みを選定する。そんな目的のために作られた箱庭ではなかった。
ずいぶんと身勝手で傲慢じゃないか。そのくせ、『救ってやる』など上から目線の高慢さが気に食わない。
――こんな世界、ぶち壊してやりたい。
世界に殺意がわく。まったく腹立たしい。
勝手な基準で見下し、哀れみを押し付けてくる神など。玩具のように弄ぶだけの世界など。
すべてなくなってしまえばいいのに。
「……レストエリア、ほんとにねぇな……」
この殺意の行き先はともかく、今は休む場所を探さねば。
沈痛な表情をした2人ごしにサイハを見る。"探索者による帰還"がほしければ発動するぞと言いたげにカードをひらめかせられる。
「サイハ、頼む」
「えぇ。……"探索者による帰還"!」
***
町は変わらずの喧騒だった。
ちょうど昼だったらしく、賑やかな声が行き交っている。
「迷宮の内部と時間ズレすぎんのは問題だろ」
時差ボケという問題ではない。町の中の時間では、昴たちがスカベンジャーズの巣を目指して旅立ってからまだ半日も経過していなかった。
あれだけ濃密な時間を過ごしていたのに、たった数時間とは。だからこそ日付は意味をなさないと言われるのだが。
「おや。ずいぶん早く帰ってきたね」
時間の流れが違うのでそのあたりは意味のない話なのだけれど。
憔悴している昴たちの様子を察して、あえて明るい声音で話しかけたスティーブは人当たりの良い笑みを浮かべて微笑む。
「どうだい。探索者同士、情報交換といかないかな?」
「あー……えっと……」
「何があったかは知らないけど、話しているうちに落ち着くこともあるよ」
迷宮の内部でどれほどの時間が経ったかは知らないが、町の時間では半日ほど。
その短い間でこれだけ憔悴するほどの衝撃的な事実があったのだろう。それが何であるか興味があるではないか。
スティーブとてまるっきり善意というわけではない。
こちらとて、通過させるには信用できないとかなんとかでスカベンジャーズにあれこれ雑用を言い渡されて参っているのだ。世界の真実を検分する神秘学者の本分はどこへやらだ。
そこにルッカが戻ってきたのだ。しかも憔悴するほどの衝撃的な事実を知らされて。
いったいどんな情報を知らされたのだろうと根掘り葉掘り聞いて真実を確かめたいというのが正直なところだ。
素直にそう言うには良心がとがめるので言わないだけで。
「チェイニーのところに行こうか。そこで落ち着いて話を聞かせてくれるかい?」




