それは堅牢なる意思だった
"修練の門"から出て先を目指す。立ち止まるわけにはいかなかったし、立ち止まる理由もなかった。
21階。
――それは堅牢なる意思だった。
20階から階段を上がって、目の前。壁をぶち抜いて広々とした空間には1匹の巨竜が横たわっていた。
死んでいるのかと思うくらい動かない。おとがいを床につけ、じっと動かずに伏せている。
いや、じっとしてくれて正解なのだが。21階のフロアを埋め尽くすくらいに大きい体躯が動いたらどうなることか。
そしてその周りをスカベンジャーズの人間があちこち歩き回っている。
巨竜の腹には、竜の背に届くほどの高い壁が組み上げられており、やぐらを登って壁の中に木箱を投入している。
壁の下の方には人の身丈ほどの穴があり、穴から出てきた何かを集めてまた新たな木箱へと詰めていっている。
「おい、階段で止まるな。通行の邪魔だ」
昴の後ろから、木箱を抱えたスカベンジャーズの男が階段を登って現れる。
彼はそのまま昴たちの横を通り過ぎ、やぐらを登って壁へと木箱を放り投げていく。
いったいあれは何をしているのだろう。そのあたりの暇そうなスカベンジャーズの青年をつかまえて質問をぶつけてみる。
「うん? 見てわかんだろ、ゴミの処分だよ」
曰く。呼吸で上下する竜の腹を使い、ゴミを圧縮粉砕しているのだそうだ。
これほどの巨躯だ。呼吸で上下する腹の圧力で多少のものなら潰れる。
壁は圧力が逃げないためのものだ。腹を包むようにして壁で囲っている。
「『掃除』で出たゴミをグシャっと潰してんのさ」
つまりはこういうことだ、と青年は昴の腹を押さえた。
呼吸に合わせてわずかに膨らむ腹が手のひらに押されて圧迫される。
この手が壁、昴が竜だ。それと同じことをあの巨竜でやっているというわけだ。
「成程……」
説明を終えた青年は昴の腹から手を離す。押された腹をさすりながら昴は納得した顔で頷いた。
規模が大いに違うが、成程。理解はした。
「あの竜は何なんですか?」
「あれは土神の眷属さ。ドラヴァキアっていうのさ」
フォルの質問にあっさりと返す。
堅牢なる怠惰の竜ドラヴァキア。
土神の眷属であり、かつては自身と、ひいては土神を信奉する一族とともに生きていた。
竜を象徴する一族は素晴らしい身体能力と生命力を有していた。本気で刃物を突き立てても貫かれることのない堅牢な肉体は不死とさえ言われるほど頑丈だったし、彼らは指弾で頭を吹っ飛ばすほどの超越的膂力を持っていた。
しかしそんな一族でさえ絶滅しかねないほどの未曾有の危機が世界を襲った。危機を悟ったドラヴァキアは、一族を飲み込んで体内で保護するという手を取った。
魂さえ無事であるなら、肉体は後から作れる。ひとつずつの魂を卵にしてドラヴァキアは腹の中で一族を育んでいる。いつか卵たち孵化し、一族が復活する日を夢見て。
そのドラヴァキアが生み出した分身が、この横たわる竜だ。
ドラヴァキアは塔のことにはあまり関知せず、自身の目的である一族の復活の時にしか興味がない。
分身も同じで、探索者の前に立ちはだかったり、ルフのように怒り狂って襲ってきたりということはしない。
ただじっと、堅牢な体内で卵が孵化する日を待っている。動かず横たわるだけであるがゆえに、怠惰と呼ばれる。
「……ドラヴァキア本体はどこに行ったの?」
ドラヴァキアとは。サイハが元いた世界にも同じものがあった。
あっちは竜などではなく山脈だったが。ドラヴァキア山脈に住む竜族は土神を信奉し、すさまじい身体能力を持つ。
今スカベンジャーズが語ったものと共通点が多い。奇妙な縁だなと思いながら、サイハが質問をぶつける。
「本体? ここだよ、ここ」
そう言って青年は足元を指す。
ここ、とは。足元にはただの石畳しかない。
「……まさか、塔の土台とか言うんじゃねぇだろな?」
「そのとおりさ」
「は?」
まさかと思って聞いてみたらそのとおりだった。思わず間抜けな声が出た。
素っ頓狂な声を出してしまったリーゼロッテの顔を見て、にんまりと青年は笑う。
「寝そべっているドラヴァキアの背中に大地を盛って、その上に塔を建てた。伝説上ではな」
本気で信じている人は少ないが、言い伝えではそうなっている。
本当かどうかは知らない。分身も語らないので真相は闇の中だ。
「ま、そんなわけで俺たちがゴミの処分にちょっとだけ使わせてもらってるのさ」
業務の邪魔さえしなければ通行は自由だ。好きに通るといい。
見学もまぁ、危険がない範囲でなら自由にしてもいい。見られて困るようなことは『ここでは』していない。
ちなみに22階への階段はあっちだと青年が指し、それから業務に戻っていった。
「行くか」
見ていても何も収穫はなさそうだ。
すぐ行けるところだし、必要になったらまた戻って来ればいい。
昴が口火を切って先に進む。巨竜の横をそっと通り抜けようとした時だった。
「きゃっ……っ!?」
不意に、巨竜が目を瞠った。
大地と同じ色の鱗に縁取られた黒曜石のような瞳が驚いたように見開かれ、そして、はらはらと涙をこぼし始めた。
突然のことで意味がわからない。涙に濡れる黒曜石の瞳は戸惑う昴たちを見ている。
スカベンジャーズたちもこのような事態は初めてらしく、顔を見合わせていた。
――あぁ、すまないね……。
ゆっくりと巨竜が瞬く。目から伝い落ちた一滴の雫が大きな水溜りとなって床に落ちた。
万感の思いを体内に押し止めるように長めに瞬きをした巨竜は、昴たちにしか聞こえない声で語りかけた。
――君たちの運命があまりにも過酷で……哀れみのあまり……。
哀れみのあまり泣いて嘆いてしまった。そう巨竜は語った。
過酷な運命というのは、自分たちの心が折れた時、世界の『全消去』が行われることの話だろうか。
昴たちが折れたら即終了ではないが、破滅の引き金の一端を握っていることに違いはない。
――塔の頂上に至ってはならない。けれど、心折れてはいけない……。
「は……? どうして?」
矛盾したことを言う。
心折れてはいけないという部分はわかる。その理由はわかる。
だが、塔の頂上に至ってはならないとはどういうことだろうか。
意図を掴みそこねて昴が問う。巨竜は何かから目を逸らすように目を伏せた。
――きっと、後悔するからだ。
頂上に至った時、必ず後悔する。
『前週』で到達者となった黒いローブの女は塔の頂上にあった真実を見て大いに嘆いた。
このままでは、それと同じことになってしまう。
だから止めるのだ。この先は後悔しかない世界だと警告する。
何も知らないほうが良かったと嘆くだろう。次の階層には何があるだろうかと希望と好奇心を疼かせて言葉を交わしていた日々の輝かしさを思って泣くだろう。
「何があるっていうんですか……?」
――それ以上語る資格を持たない。真実は別の者が語るだろう。
怠惰に目を閉じ、それきり、巨竜は沈黙した。
「後悔するって……」
「でも、進まなきゃならねぇんだ。アタシらは止まれねぇんだよ」
閉じた目を見据え、リーゼロッテははっきりと言い放った。
後悔だなんて結構。いったい何があるのか見定めさせてもらおうじゃないか。
おそらくその『後悔すること』というのは、ルフのつがいであった守護者が頂上に登ることを拒否したこととつながっているだろう。
『後悔すること』を厭うて守護者は頂上に至ることを拒否した。
しかし、迷宮で見つけた手記には『願いが叶う』ということが記されていた。
探索者に後付けの知識として植え付けられている『いいこと』というのは、その『願いが叶う』ということであると書かれていた。
『願いが叶う』が『後悔する』。矛盾する言葉だ。
いったい何があるのだろう。22階へ至る階段を見つめるが答えはなかった。




