それは神に背いた代償に奪われたもの
13階。
――それは神に背いた代償に奪われたもの。
風の大鳥ルフ。圧倒的な威容が目の前にある。
塔の中に体が入りきらず、塔の外壁に空いた穴から乱雑に頭を突っ込んでいるだけだと知ったのは、ルフがゆっくりと首を引いてからだった。
寝そべっているかのように見えたが、ただ穴に頭を突っ込んで顎を乗せていただけ。
頭を引き抜いて昴たちを睥睨したルフはくちばしで器用に羽根を引っこ抜き、さっきまで頭を突っ込んでいた穴から塔の中へ押し込む。
羽根から分身が生み出される。羽根が軸に沿って縦に裂け、そこから大鳥が生まれ出る。
甲高く鳴いてルフは塔の外へ飛び立っていく。残されたのは、力を分割された分身。
――あぁ、人間だ。人間だ。塔を登るという正しいことをなす人間だ。
本当に? その行為は正しいのか。
正しいに決まっている。正しいと神が定義した。だから正しいのだ。
ではその正しいことを否定した我が妻は愚かだろうか。
否。我が妻は賢く美しかった。妻が唱える言葉はいつも正しかった。
では正しい妻が否定した神は?
正しいのは誰だ? わからない。わからない。わからないわからないわからないわからないわからない――
「待ってください……!! 話を、聞いて……!!」
フォルの懇願は分身が発した空気を震わす咆哮に掻き消された。
話が通じない。話をする余地がない。矛盾する思考で煩悶する大鳥はもはや破壊衝動しか残っていないのだろうか。だとしたら。
「――待チナサイ!!」
怒りの咆哮をあげて襲ってくるルフの分身と昴たちの間に鋭い制止が割り込んだ。
きらきらと輝く金の光。ネージュ、と呟いたフォルの声は羽ばたきの風圧でかき消える。
だめだ。止められない……!!
「運営者ノ権能! 塔ノ運営ヲ担ウ精霊トシテ、風ノ大鳥、アナタノ行動ヲ禁ズ!」
「――っ!?」
息を呑んだのはルフだ。まるで見えない糸でがんじがらめにされたように、分身はその場に縫い止められる。
羽先ひとつ動かせない。ぐるぐると唸るのが精一杯。
本体の大鳥は塔が覗ける位置で滞空して羽ばたいている。さすがにあちらまでは止められなかったらしい。
「少シクライ話ヲ聞キナサイ。相手ハルッカナノヨ?」
ルフの分身の憎悪の目が昴たちを見た。
二度、三度瞬いて、その目に宿っていた憎悪が薄れていく。
驚愕と、そして憐憫のような色が混じっていく。
「……モウイイワヨ。話、シチャッテ」
「え、あ……ありがとうございます……?」
拘束も必要ないだろう。戒めを解いてからネージュがフォルたちに話を譲る。
「あの……ルフさん」
分身と本体とどっちに向かって話せばいいのやら。
両方に視線を往復させつつ、フォルが口を開く。
図書館の本からルフの煩悶を知ったこと。
正しいのは神か、ルフのつがいだった守護者か。迷っているというのなら、自分たちがそれを確かめよう。
塔の頂上には何があるのかを見て、それは人間にとってどういうもので、そして人間にとって必要なのか。自分たちが確かめるから。
漠然とした『いいこと』という認識が指しているものはいったい何なのか。
「…………」
ルフが金色の目でじっとフォルを見る。そして、おもむろに翼を広げた。
威嚇か。襲われるのかと思わず身構え、リーゼロッテが"エイジス"を出した。
しかし予想に反して蹴爪が来ることはなく、ルフは自らの羽根を翼から引き抜いただけだった。
――信用しよう。
声なき声で告げ、ルフは引き抜いた羽毛をフォルへと寄越す。
これは証。約束がなされるかどうか確かめるための。
塔の頂上で正誤を見極めるというのなら、やってみせてもらおうではないか。
この羽毛を持っていれば、どこにいるかがわかる。
もし逃げるようであればその瞬間に羽毛が分身となってフォルたちを殺害するだろう。
そう言い残してルフは飛び立った。分身もまた、元通り羽根に戻って床に落ちた。
見上げても見えないほどに高々と空を飛んでいった背中を見送り、ふぅ、と息を吐く。
よくわからないが、あれで納得してもらえたようだ。
「……モウ!! ワタシガ来ナカッタラドウスルノ!」
「ごっ、ごめんなさい!」
割り込んだからよかったものの。まさか無策で対面するなんて。
憤慨したネージュがフォルの頬をひっぱたく。体格差ゆえに全然痛くないのだが。
「まぁまぁ。いいじゃん」
「ヨクナイワヨ!」
宥める昴にくってかかる。本当に危なかったのだ。
フォルがルッカだとわかって止まってくれたからよかったものの、そうでなければどうなっていたことか。
本当に無茶をするものだ。そんな無茶などもう許される身分ではないのに。
「~~~~!! モウ! サッサト行キナサイ!」
しっしっと手を払う。一応これで14階に進めるようになったのだから進めばいい。
25階ですべての秘密が暴かれる。知っていて黙っているという苦痛からようやく肩の荷が下ろせる。
だから昴たちには先に進んでもらわなければ困るのだ。
――でなければ、終わってしまうものがある。
***
ばさり。翼音高らかに、風の大鳥は空を飛ぶ。
13階などという超低層階が巣だが、別に塔の頂上に行けないわけではない。
ゆっくりと旋回しながらそこに降り立つ。
ここにたどり着いたヒトのために用意された諸々を踏み壊さないように気をつけながら、風の大鳥はそっと『扉』に身を寄せる。
――我が妻はどうしてこの扉を潜ることを拒否したのだろう。
探索者として、塔の頂上に至れる実力はあった。
この風の大鳥と人間の間の仲立ちをする守護者の役目を取っただけで、探索者になることは十分に可能だった。
そう、条件は揃っていた。なのに彼女はそれを拒否したのだ。
永遠の命を得てともに歩むこともできたのに、限りある生命をまっとうする道を選んだ。ヒトであることを選んだのだ。
――ヒトであるといえば。
塔の巫女のことだ。
彼女が巫女の役目を捨てて神に反逆したが故にヒトに堕ちてから長い。
哀れな娘だった。塔の頂上に至れそうな探索者を導き、頂上で『鍵』を作り『扉』を開ける役目を負った。
娘は同行した探索者に感情移入して神側ではなくヒト側に立ってしまった。そうして役目を捨てたとして罰を受け、半神から人間となってしまった。
その罰はまだ続く。風の大鳥からすれば瞬きにも満たぬが、ヒトの間隔では相当の年月が経っている。この間に何度も『再起動』が挟まってしまった。
――お前が罰を終えるまで、この箱庭はお前に用意された拷問場だというのに。
終えるまで、ずっと繰り返し続ける。
もし巫女だった娘が罰を完遂する前に死ねば『再起動』で駒の配置のし直しだ。
そうしてもう何週もした。それでもまだ完遂できない。
いったいいつまでかかるつもりだ。焦れる。苛立ちが止まらない。
確かに最初は何も知らないだろう。知らないように仕向けられている。
そしてすべてを開示される時が来る。その時に役割を自覚してその通りにすればいいのに、どうしてそれを拒否するのだろう。
だからこそ罪が重なって、だからこそ罰が続くのだ。
――いい加減終わらせてくれ。
でなければ、妻を思う暇もありはしない。




