その大鳥が荒れ狂うわけは
「ははぁ……ルフがね……」
成程、と茶をすすりつつスティーブが納得した風情で頷いた。
自分たちの時はちょうど不在だったのでうまく通り抜けられたのだが、まさか今帰ってきたタイミングで通り抜けようとしたとは。
「あれは常に荒れ狂っているからね」
「そうなんです?」
「そうさ」
これは図書館で調べた内容だけれど、と前置きしてスティーブは話し始める。
言い伝えでは、はるか昔は穏やかな鳥だったらしい。
塔の存在を脅かすものをその蹴爪で捕まえて塔の外の奈落に放り出すという役目を負っていた。
しかし、何らかの事情でつがいを失ってしまった。その悲しみと怒りから常に荒れ狂うようになった。
今では、探索者をはじめとして見えるものすべてを襲う凶鳥だ。
「精霊は何かしないんですか?」
塔の維持を担う精霊がその大鳥の存在を見逃しているのは疑問だ。
探索者を襲う凶鳥となったのならば、それなりに対処するだろうに。
フォルの質問に、あぁ、とスティーブは頷く。
「あれでも一応きちんと本来の役目もこなしているし、不在の時に通り抜ければいいっていう攻略法があるからね」
塔の維持的にはまったく問題がないのだ。
ルフが巣に戻っているタイミングで通り抜けようとした馬鹿のことまで気にかけてはやらない。
「ルフが飛び去るのを待つしかないってこと?」
「それしかないだろうな」
ぶちのめすという提案を真っ先に口にするリーゼロッテが珍しくその提案をせずにサイハに同意した。
あれはぶちのめそうとした倒せるものでもない。さすがは神の眷属というべき威容だった。
「あの……これを言ったら、また皆さん怒るかもしれないですけど……」
「ん? どうした?」
おずおずとフォルが手を挙げる。
これを言ったらまたリーゼロッテあたりが何か言ってくるかもしれない。
伯珂の思いが焼き付いたダレカをどうにかするという我儘に付き合ってもらったばかりでこれを言うのもはばかられるが、それでも。
「……ルフの怒りを解くことって……できませんか……?」
「怒りを? 解く?」
「はい。あの……だって、逃げたってルフがどうにかなるわけじゃないですか」
飛び去るのを待って通り抜けて、それで自分たちはいいかもしれない。
けれど次は。次の探索者が通り抜ける時はどうするのだ。またルフがいないタイミングを待って通り抜けなければいけないのか。
それは問題の先送りで解決にはなっていない。
怒り続けるにはエネルギーがいる。どんなに激しい感情でもいつかは薄れて消えていく。
それでも、ルフは怒り続けている。憎悪を吐き、憤怒を撒き散らしている。
時間の経過では薄れないほどの強い強い怒りを抱いている。
その怒りを解決してやりたい。気を晴らしてやりたい。そう思うのは悪いことだろうか。
「まぁたお前はそうやって……」
リーゼロッテが溜息を吐く。
フォルは本当に心優しい。目の前のものを看過せずに憐れみを垂れる。
吐き気がするくらいの甘さだ。
「すっ、すみません……ごめんなさい。やっぱりなしで……」
本当に甘い。吐き捨てたリーゼロッテに慌ててフォルが謝る。
また喧嘩の再来は嫌だ。焦って撤回の言葉を口にする。
「……ま、いいんじゃねぇの」
半泣きで撤回しようとするフォルを遮って、リーゼロッテが頷いた。
フォルは甘い。すぐ慈悲を垂れようとする。まったく理解できない。
だが、それに付き合うことも悪くないと思い始める自分がいる。
これが"修練の門"でバッシュが言っていた『変化を受け入れること』だろうか。
「どうせ飛び去るまで待つしかねぇんだ。ぼーっと待ってるより何かやってみたっていいだろ」
「男前」
「あ? うるせぇよ」
サイハの茶々を小突いて止めさせる。誰が男前だ。
「リーゼロッテさん……ありがとうございます!」
「おう。昴もサイハもそれでいいよな?」
「もちろん!」
「えぇ」
それなら、解決のための糸口を手に入れなければ。
話がそうまとまりかけたところで、成り行きを見守っていたスティーブらが口を挟んだ。
「それなら図書館はどうだい?」
さっき語った情報も図書館からのものだ。
昴たちなら図書館の本から別の情報を引き出せるかもしれない。
昴たちが塔の真実の一端に至ったかもしれないという話は通信武具でチェイニーから聞いた。
詳細はこれから聞きに行くところだが、それがもし本当なら、図書館の本もまた一歩踏み込んだ情報を提示してくれるかもしれない。
「さっき行ったばかりだけど……」
「あはは。よくあるよ。それじゃ、僕らもチェイニーのところに行こうかな」
***
図書館に行き、情報閲覧を申し込む。
通された小部屋にはローテーブルを囲むようにソファが据えられ、その机の上には分厚い本が安置されていた。
この本は触れた者が欲しい情報を提示する。通常の本のように文字が書き込まれているのではなく、欲しい情報を紙面に浮かべる。そういう武具だ。
「ルフについて……っと」
昴が表紙をめくる。日に焼けて薄茶色に変色した紙にじわりと文字が浮かび上がってくる。
――風の大鳥。探索者の間ではルフと呼ばれる。
塔に反する者を奈落に突き落とす役目を負う。
そんな文章で始まった情報はスティーブが語ったことと同じだった。
しかし、つがいを失って怒り狂っているという文章で締めくくられているはずの文章に続きがあった。
スティーブたちが知らないその続きが現れたのは、昴たちが『前週』の存在を知るからだろうか。
何はともあれ、その文字列を目で追う。
――風の大鳥は自身を使役していた守護者をつがいとし、寄り添っていた。
しかし只人であった守護者は寿命により死亡し、つがいは永遠に失われた。
それ以来、風の大鳥はつがいを失った悲しみに暮れている。
「……寿命……」
ぽつりと呟く。
誰かに殺されたのでもなく、病でもなく、寿命で死んだ。
その事実を知って、荒れ狂うわけを何となく察した。
つがいの死を誰のせいにもできないから荒れているのだ。
要するに八つ当たりだ。そして、どうにもできない八つ当たりだからこそ、根本的な解決は無理だ。気が済むまで放っておくしかない。
結局放っておくしかないのか。解決法を探る昴たちがページをめくる。
新たな羊皮紙にじわりと文字が浮かび上がってくる。
――何故だ。何故だ。何故塔の頂上に至らぬ。
塔の頂上に至り神の■■を受ければ無限の命を得ることもできたというのに。
賢く美しかった妻よ、そこだけはどうして愚かだったのか。
限りある生命だからこそ尊いなどという愚昧な考えを信じて死んでしまった。
限りある生命を成し遂げて満足だったと、妻が今際の際に言い残したことが棘となって我を苛む。
永遠にともに生きることこそ正しいことのはずなのに。
しかし賢く美しかった妻が間違ったことなど言うはずがない。
矛盾する思考がすべてを埋め尽くす。
正しいのはどちらか。あぁ、誰か。我が間違っていないことを証明してくれ。
それは風の大鳥の苦悶の言葉だった。
命の期限を成し遂げての離別か、命を歪めて永遠に寄り添うことか。
どちらが正しいのだろうか。後者を願うことは愚かなのか。
その答えに至れずにルフは煩悶して荒れ狂っているのだ。
ならば。
「わたしたちが塔の頂上に行って確かめるというのはどうでしょう?」
後付けの知識には、塔の頂上には『いいこと』があるという漠然とした認識がある。
それがきっとおそらく、塗り潰されて読めなかった神の何やらという文言なのだろう。
それは一体何なのか、見て確かめて、そしてその正否を伝えよう。
塔の頂上には何があるのか。真実を掴むという自分たちの目的とも合致する。
そうすればきっと、ルフだって気が晴れると思うのだ。




