芽吹きを待って空を見る
11階へと向かい、そのまま精霊峠へと登る。
精霊峠に入ると、あたりに浮遊していた精霊たちがいっせいにこちらを見た。
「ルッカヨ!」
「ルッカダ!!」
「オカエリ!」
「オ友達モイル!」
遊べだの構えだの、金色の光が群がってくる。
フォルの肩からネージュがしっしっと手を払う。
この獲物は私のものなのだと主張したげにあたりを睨んでいる。
「マッタク……」
「あはは……それで、この種はどこに植えればいいんですか?」
試しに適当なダレカにやってみたものと、伯珂の思いが焼き付いたダレカから作った種と。
この2つの種はどこに植えればいいのだろう。
樹の精霊に聞いてみればいいのだろうが、見える範囲にそれはいない。
「えぇと……樹の精霊はどこに?」
「知ラナイ!」
「探シテミレバ?」
「見ツケルマデ出ラレナイ、帰レナイ!」
成程。そういうことか。
植える場所がわからなくて困っている自分たちを精霊峠に閉じ込めようというのだ。
樹の精霊が見つからない限り、フォルが種を植えるべき場所がわからない。
種を植えなければ契約の不履行として扱われてしまう。その時どんな仕打ちを受けるかは予想がつかない。
そうして困っている様子を眺めて楽しみ、植えて契約をなすまで精霊峠から帰さないということだ。
独占を象徴する樹の精霊らしいというか、なんというか。
他属性の精霊たちもそれに便乗したというわけだ。
「ネージュさん……」
「ワタシハ何モ言ワナイワ」
結局根っこではそちら側なのだ。フォルがここにいてくれれば嬉しい。
肩からひらりと落ちて、ネージュはフォルの助けを求める視線をはねつけた。
「ぶちのめすか」
「だめです!」
拳を握るリーゼロッテを慌てて止める。物騒なことを言うんじゃない。
睨みつけるリーゼロッテに対して精霊たちは平然としている。
殴れるものなら殴ってみろ。その瞬間に全権能をもって迷宮探索を妨害してやるとでも言いたげだ。
「……だと思っていましたよ」
「イルートさん!」
背後から誰かが来た。気配に気づいて振り返ってみればイルートだった。
こうなることは予想がついていた。精霊たちの思考などだいたい読める。
たまたま呼びつけていた水の精霊が精霊峠へのルッカの来訪を感知してここに向かってみれば案の定だ。
人間と精霊の仲立ちをするのが精霊の守護者だ。
精霊の守護者として、この騒動をおさめて昴たちを先に行かせるようにしなければならない。
「樹の精霊、見ていらっしゃいますでしょう?」
「……イルートガ出テクルナンテ……ズルイワ」
こんな手段を取るあなたがたの卑劣さほどではありませんよ、とは言わず、微笑みだけを返す。
おずおずと出てきた樹の精霊にイルートはそっと中央の大樹を指し示す。
「植えるのはあちらで構いませんよね? では、そのようにお願いします」
「……ハァイ」
渋々といったふうに樹の精霊が大樹の方へと飛んでいく。
ついてこいと手振りで呼ぶ樹の精霊に従って、昴たちもそちらへと向かう。
イルートはついてこないようだ。精霊峠の入り口でにあたるこの場所で、昴たちの背中を見送る。
大樹はものすごい大きかった。12階の高い天井でも窮屈そうに枝葉を伸ばすその様子はまさに大樹という言葉にふさわしい。
天井で阻まれているだけで、もしこれが屋根のないところで育ったとしたら、それはもう天をつくほどの大木へと成長するだろう。
枝の間に板を渡して足場を作り、家を作って住むこともできるかもしれない。
「……ココヨ」
青々と茂る大樹の根本を樹の精霊が指す。
まるで台座か何かのように幹にうろが空いている。
精霊峠の植物はすべてこの大樹が管理している。精霊峠に何かを植える時は、植えていいものかどうかを大樹に伺いを立てなければならない。
「種を置けばいいんですね?」
樹の精霊に促されるままに、幹に空いたうろに種を置く。
その途端、うろが閉じる。まるで食べ物を口に入れて咀嚼するような動きを見せた後、ゆっくりとうろが開かれる。
どうやら、植えていいものなのかどうかうろに置くことで大樹が検査するようだ。そしてこの様子だと、植えても良いと許可が出たようだ。
「コッチヨ。コッチ」
ちょいちょいと手招きして樹の精霊が少し離れた場所の地面を指す。
ここに植えろということだ。
「土掘らなきゃな」
「なら道具を取りに行かないと……」
「いやいや、手でいいって」
スコップやシャベルの類など持ってきていないし、今から道具を手に入れてくるのは面倒だ。
そんな大きな穴を掘るわけでもないし、さっと手で掘ってしまうとしよう。
手が汚れてしまうが、まぁそこは必要な労力だったということで納得しよう。
指示されたところにしゃがみ、腕まくりした昴が地面を掻く。
あらかじめ掘っていたかのように土が柔らかい。これなら手でも難なく掘れそうだ。
「昴さん、すみません」
「いいっていいって。汚れ仕事と力仕事は男の仕事だしな」
たった2掻きで種を植えるのにちょうどいい大きさと深さの穴を掘ることができた。
フォルの方を振り返り、穴を指す。フォルがそこにそっと種を置き、その上から土をかぶせる。
同じようにもうひとつも。こちらの種は伯珂の思いが焼き付いたダレカを浄化して得た種だ。
穴の中にそっと置き、土をかぶせる。まるで埋葬のようだった。
***
同時刻。図書館には来客がいた。
「珍しいわね、呼びつけてもないのに来るなんて」
司書ヴェルダが来客をまっすぐ見据える。
本当に珍しいことだ。見た目はどうあれ本質は人間と異なるからと人のいる場所を避けたがるネツァーラグがこんなところに来るなんて。
「面白いものを追いかけて……さ」
まさか本当に浄化の力を手に入れるなんて思ってもみなかったのだ。
本当に面白い。そして哀れだ。誰の話か。今現在、フォルと名乗っている少女の話だ。
世は本当にままならない。すべての真実を知ってなお、黙っていることを義務付けられるなんて。
破れば言語崩壊を起こして言葉が不明瞭になってしまう。
これじゃぁ真実を求めて足掻く人々を罵れもしない。
「巫女に課せられた罰は長いね」
「えぇ、でもすぐに理解するでしょう」
所詮、誰も彼も箱庭の駒でしかないということを。
すべての真実を知っているヴェルダもネツァーラグもだ。駒として役割を果たしている。
それに反することはできないし、反しても他の手段を切り開けないということを。
「いい加減喋りたいんだけれどね?」
「そうね」
あんなところで足を止めてないで早く書架に行ってほしいものだ。
こちらはもう、とっくに真実を提示する用意は十分に整っているのに。
最初から何もかもを教えてはいけない。
しかし、ある程度したら真実を提示しなければならない。
それが司書ヴェルダに課せられた『今週』の役割だ。
その役割を終えるためにも、早く少女たちには書架へとたどり着いてほしい。
何ならその情報を世界を希求する観測士に渡したって構わない。
早く。早く見せてくれ。真実を目にした表情を見せてくれ。
絶望しかないことを知ってくれ。どうもならない世界だということを理解してくれ。
「塔の魔女は趣味が悪いね」
「何とでもお言い。それが私よ」
この台詞は別の"リグラヴェーダ"の受け売りだが。
受け売りと言えば、他にもこんなものがある。砂を掻く努力というものだ。
困難を巨大な砂山にたとえ、その砂の山を登る行為を努力とたとえたものだ。
柔らかい砂はどんなに爪を立ててもさらさらと崩れてしまって、まったく指をかけることもできずにずり落ちてしまう。
困難とは、そんな砂山を登っていくようなものだ。爪を立て砂を掻き続け、爪が剥がれて指の肉が削れ骨が見えようとも登りきれるとは限らない。
そんな人間の血のにじむような悲痛な努力のさまを砂を掻く努力と呼ぶ。
そうたとえた"リグラヴェーダ"がいたのだ。
「成程ね。あぁ、僕も覚えがあるな、その"リグラヴェーダ"には」
「あらそうなの」
「僕がこうなるきっかけを与えた悪い魔女さ。葬られることなく死んだけどね」
これ以上の話は秘密の氷の下で。顔を見合わせ笑い合い、ヴェルダとネツァーラグはこの話を終えることにした。




