これからのことについてだけど、わかる?
目的の店は雑談を交わして歩くまでもない距離だった。
「代金、共通の財布から出すわね」
「そうするか」
サイハの問いに昴が頷く。個人が持つ財布と、パーティで共有する財布があるというのもまた後付けされた知識だ。
ちなみに初期費用として個人用にも共用にもいくらか入っているのだということも知っている。
「いらっしゃいまっせぇ! ランクはおいくつでしょうか!」
店に入ると給仕の娘が出迎えた。ランク0の新人探索者だと告げると、すぐさま席に案内してくれた。案内された席に座り、適当に飲み物を頼んでから、改めて自己紹介、そして現状確認に移った。
ここは塔、そして自分たちは塔を探索する探索者。探索者は4人以下でパーティを組んで塔の制覇に挑戦する。塔は魔物が徘徊する迷宮になっており、武具を用いて魔法を起動して戦ってひたすら上に登る。
そしてこの町は塔の中にある。巨大な巨大な塔の1階にあたるのがここなのだ。上を見れば空ではなく石の天井がある。2階は探索者を支援する町の人々の住居エリアとなっており、肝心の迷宮は3階以上になる。
塔の外に出ることはできない。町の住民が切り開いて畑や牧場にした土地はあるが、その先は魔物が徘徊する薄暗い森があり、さらにその先は底も見えぬ崖となっている。地平線には何も見えず、対岸は存在しない。
それがこの世界なのだ。探索者は塔を登るしかない。崖を降りたり対岸を探すことは『不可能』なことだと頭の中にある。
その存在を疑いはしない。頭の中の知識に従えとスティーブは言っていた。それが常識なのだ。1足す1の答えを疑わなくてもいい。疑って検算するだけ無駄だ。
「問題は、塔の上に何があるかだ」
「あぁ……『扉』があるって話な」
塔の頂上には扉があり、鍵がある。具体的に何なのかはわからない。ともかく『ある』のだ。
鍵で扉を開けると『何かいいことがある』。それは財宝かもしれないし名誉かもしれないし他の何かかもしれない。解釈は人によるがともかく過酷な探索を終えると褒美があるのだ。
「進むしかないってことね」
塔を登る。それ以外の道はない。崖を超えることも地平線の向こうを探すこともできないので逃げ道はない。怠惰に日々を過ごせばランク0探索者として冷たくあしらわれる。進むしかないのだ。
逃避も停滞もできないようにしてから褒美をぶら下げて進行を強制的に誘導するだなんて。とんでもないことに巻き込まれてしまったとサイハは肩を竦めた。
「そうと決まったら行くしかないな」
「そうね。ランク1にならないと始まらなさそうだし」
早ければ早いほどいいだろう。現に今、ランク0の待遇がつらい。案内されたのはがたつく机と壊れかけた椅子の座席だ。出された飲み物はろくに洗ってなさそうな薄汚れたコップに入っているし、表面にはゴミか埃かが浮いている。早く出ていけと無言の圧力をかけてくる店員の視線も痛い。
とにかく人並みの待遇を受けたい。時刻は朝だ。日を改めずともこのまま探索に行けるだろう。さっと探索に行ってランクを上げる。でなければ宿すら危うい。ランク0で宿を取ってから探索に行くより、探索に行ってランクを上げてから宿を取った方がはるかにましなベッドで寝られるだろう。
ランク1のなり方は非常に簡単で。とにかく1歩、ちょっと踏み出すだけでランク1になれる。探索の始まりは3階からだが、その3階に踏み出すだけでいい。たった1歩だ。何かの試練があるわけでもない。
「チュートリアル終わって最初のステージ選択ってところかな」
昴が呟く。何のたとえだと他の3人には首を傾げられてしまった。
そうと決まれば行こう。そろそろ店員の視線に耐えられない。立ち上がって店を出る。
***
町は塔の1階にあり、探索は上に登っていく形となる。ならば階段で2階、3階と行けばいいのだ。
この町の各所にも2階へ続く階段がある。案内看板に従って石の階段を上り2階。3階への階段は町の最北端にある。その1か所しかない。
何せこの先は魔物が徘徊する迷宮。そんなところから魔物が迷い込んで来たら危険極まりない。だから3階への階段は門番が立っている。
その門番に話しかけて交通スタンプを押してもらうことがランク1への昇格条件だ。
「下とずいぶん様子が違うな」
1階の町は活気があった。だがこちらは静かで落ち着いている。人気がないというわけではなく、余計な喧騒がないのだ。1階は商店街、2階は住宅街という言葉が合う。
人が住むための住居があり、人が生活するための店があり、人が生きるための田畑がある。生活というものに主眼を置いた町だ。
一方で1階は人が活動することに主眼を置いている。探索者の編成所、案内所、取引所、市場、食料品店、薬店、休憩所。探索者に向けた施設はすべて1階にある。
しかし本当に広い。塔という建物の中だということを忘れるほどに天井と壁が遠い。石の壁という無粋なものを見ないようにという配慮からか、外周には目隠しのように樹木が配されている。
遠目でよく見えないが、建材用の木か果樹だろう。上を見て、石の天井でようやくここが室内だということを思い出す。
そこにぎっしりと家が積み重なっている。建材は塔そのものと同じ石でできている。ブロック状に切り出された石を積んで四角い家を作り、それを重ねて集合住宅にする。雨が降るわけでもないので窓は布のカーテンだけだ。
そして家々の隙間に網目のように石畳の道があり、殺風景な石を飾るために植木鉢や飾り布が提げられている。
広めの道と道が交差するところには井戸や湧き水があり、生活用水はそこから汲み出す。生活排水や汚水は側溝に流され上水と混じることはない。よくよく整備された町である。
「ゴルグに似てるわね」
「ゴルグ?」
「あぁ……私が旅で行った町の名前よ」
放浪を愛する性分なので旅をよくするのだ。その数々の旅の中で、ここと似たような風景の町を見たことがある。整然と整備されていて、それでいて雑多としたような。
道を歩きながらそう答えたサイハは思考を巡らせる。ここは塔の中。室内なのだ。それなのに昼の屋外と変わらない明るさがある。上を見ても太陽や照明があるわけでもない。それに窓もない室内なら風が通らないはずだ。それなのに空気がよどむこともない。
その疑問の答えはサイハの知識にも後付けされた知識にもない。サイハの知っている概念では、風を巻き起こす武具もあったし明かりをともす武具もある。だが町ひとつの空気を入れ替えられるほど、昼の屋外と変わらない明るさを提供できるほどのものはない。
魔法の仕業でないのなら精霊の仕業だろうか。神の眷属である精霊なら風も光も自在だ。精霊ならばこれくらいの所業はできる。だが精霊の仕業とするなら、それを指示した神がいるわけで。では神は何のためにこの塔を運営しているのだろうという疑問に行きつく。そしてその答えはわからないのだ。
「きれいすぎて落ち着かねぇな」
リーゼロッテがぼやいた。彼女の知る世界では、人が住む場所はこんなに整然としていなかった。少し隙を見せればあっという間に身ぐるみどころか内臓まで抜かれて打ち捨てられるような場所だ。
家と呼べる寝床でも安全ではない。いつ窓から爆発物が投げ込まれて強盗が入りこんでくるかわからない。安全も安心も安泰も安寧もありはしない。
それ以上にないのが魔法だ。魔法などというものはありはしない。片手で数えられる年齢の時、文字を覚えるためにゴミ捨て場から拾ってきた薄汚い絵本に書いてあったおとぎ話の内容でしかない。
そんなものが現実に存在するというこの世界が信じられなかった。だが『ある』のだからそう認識しなければならない。冗談じゃない。たちの悪い悪戯じゃないのかとさえ思う。
しかも見知らぬ人間と行動しなければならない。この世界は、リーゼロッテのこれまでの生き方や認識とは真逆を強いる。打ち捨てられたおとぎ話は現実であり、信用できるかどうかもわからない人間に背中を預けろというのだ。
「そうか? これくらいじゃないか?」
室内ということはさておき、昴にとっては風景自体に違和感がない。これくらいの規模の町ならこれぐらいの整備がされているだろうし、これぐらいの賑やかさがあるだろう。
風景に対して抵抗感がない分、むしろちょっとした遠出をした気分だ。しかも、遺物である魔法がこの手にあるのだ。
そう、昴の世界では魔法は失われた遺物だった。かつてはるか昔、魔法は当たり前のものだった。しかし、"大崩壊"と呼ばれる未曽有の大災害以降失われてしまった。魔法はロストテクノロジーでオーバーテクノロジーなのだ。そんな伝説となった魔法を自在に使える。少年の冒険心が疼いてしまうのも仕方ない。
「皆さん、本当に物知りなんですね」
少し気おくれしたふうでフォルが眉を下げる。後付けされた知識以外の知識も記憶もないフォルにはこの世界がすべてだし、基準だ。旅先の風景に似ているとか治安が良すぎて落ち着かないとか、伝承上の存在を手にした高揚感があるとか、何の感慨も起こせないし起こらない。
わからないぶん、中立的に物事を見ることができる。サイハは魔法がありふれた世界にいて、昴は魔法が失われた世界にいて、リーゼロッテは魔法が空想となった世界にいた。
そしてそれに比例して治安も荒廃している。仮に3人の世界が一続きなら、繁栄期と衰退期と滅亡期からそれぞれ引き上げられたのだ。
本当に一続きかどうかはわからないが。なにせ情報がなさすぎる。満足な情報を得るためにもまずはランク1の探索者にならなければ。条件上、1歩踏み出して即踵を返せばそれだけでランクが上がる。そうしてランクを上げてから宿の確保と情報収集をするつもりで3人と意見は一致している。
「フォルの記憶の手がかりも探さないとな」
気おくれが歩調に出て遅れ気味のフォルを振り返って昴が言う。
記憶喪失。一切思い出がないなんてつらすぎる。どうして記憶を失ったのかとか、記憶を戻すにはどうしたらいいかとか、それが見つからないならせめて元の記憶につながる何かでも見つかるといい。
心配する昴にフォルは曖昧に頷くだけだった。




