すべては神に捧げられ贄となった
12階。
――すべては神に捧げられ贄となった。
石碑の文言を読みつつ、ぐるりと周囲を見渡す。
12階は冷たい石の迷宮ではなく、埋め尽くすほどの花畑だった。
壁はツタで目隠しがなされており、中央には大きな樹が生えている。
精霊や妖精といった不思議な存在が暮らす場所と言われて連想する幻想的な光景をそのまま抽出したような風景だ。
「アラ! 何ノ用?」
「遊ビマショ!」
「13階ニ行キタイナラ、ワタシタチト遊ンデヨ!」
立ち入った昴たちにひらひらと金色の光が群がってくる。
遊べだの構えだの、口々に要求してくる精霊たちを見、昴は用件を告げた。
「フォルがいるだろ? 返してくれないか?」
「ルッカ? ルッカノコトネ!」
「渡サナイ! 帰リナサイ!」
敵意を剥き出しにして精霊たちは飛び回る。
この様子だと、イルートが言っていたことは本当のようだ。
――神に通ずる力を与えられた対価に信仰を返すこと。
相応の信仰を返さなければいけないというわけだ。
信仰を返すといっても、ただ捧げものをして手を合わせればいいものでもない。
それで話が済むならイルートは警告をしない。
信仰を返すというのは、探索者などやめて人生を捧げろということだ。
毎日祈り、祝詞をあげて神を敬う。何時間もだ。
「言って聞く話でもないか。ブチのめすぞ」
リーゼロッテが盾を出す。
無理を通して道理を引っ込めさせてやろう。返さないというのなら、力ずくで取り返すまで。
「……待って!」
鋭い制止が割り込んだ。
花畑を踏み散らし、フォルが昴たちの元に駆け寄ってくる。
「お願いします。争わないでください」
争ってはだめだ。精霊は塔の維持を担う。
その精霊と敵対することになれば、塔の探索は過酷になるだろう。
どう道を探ろうとも、1歩も進めずに阻まれてしまう。
それでは本末転倒だ。フォルの使命は塔の頂上に至ること。
もちろんそれは、昴たちと一緒にだ。
「わたしを帰して、わたしたちを進ませてください」
やらねばならぬことがあるのだ。
リーゼロッテと対立してしまった意見を話し合わねばならない。
昴やサイハは中立だが、それぞれ思うことはあるだろう。意見を聞かなければ。
伯珂の思いが焼き付いた帰還者を還さないと。
そのために浄化の力を得ないと。
やらねばならぬことはたくさんあるのだ。
頂上に至らなければならない。こんなところで止まってはいられない。
信仰を返せというのなら、役目を果たしたその後で。
「イツ返シテクレルノ? 頂上ニ着イタラ『リセット』ナノニ?」
帰したら、フォルは探索者として頂上を目指すだろう。
それは結構。だが、頂上に至ったら。そこで待っているものは無残な全消去。
それでいつ、人生を信仰に捧げてくれる暇があるというのだろう。
「それは……」
「――モウ! 樹神ノ子ッタラ!!」
ひらり、とフォルの肩から金色の光が飛び出す。
樹の精霊へとネージュは言い放つ。
探索者を塔の頂上に登らせる。それはこの塔に用意された全障害の意味だ。
それらを維持して管理する精霊として、探索者の行く手を止めることは使命に反する。
たとえそれがルッカだとしても、信仰を返させることよりも塔の頂上へ進ませることを優先すべきだ。
かいつまんで言うとそのようなことを主張する。
「コンナトコロデ束縛シチャ駄目デショウ?」
「そ、そうです! どうかお願いします……!」
フォルの信仰心が目的というなら、毎日祈りを捧げよう。ないがしろにすることはしない。
それでどうにかおさめてはくれないだろうか。
進まなければならないのだ。
「…………イヤヨ! イヤ! ルッカハワタシタチノモノナンダカラ……!!」
樹の属性は束縛を司る。
土の中で絡む根のように、柱に絡むツタのように、その場に繋ぎ止める。
逃さない。逃してなるものか。信仰を返すためにここにいろ。
ざわざわと地面がうごめく。否。うごめいているのは地面ではない。花だ。
足元を覆う花畑の植物が荒れ狂っている。
逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。
逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。
逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。
逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。逃さない。
「逃サナインダカラ……!!」
執着に似た独占欲を剥き出しにして樹の精霊は猛る。
その瞬間、紫電が散った。
「雷神ノ子、ドウシテ? アナタハワタシノ味方ジャナイノ?」
「黙レ。……妥当性ヲ見出シタダケダ」
より妥当だと思ったから味方した。そう雷の精霊は言い放つ。
雷の属性が象徴する性質は過激と苛烈だ。
そして、天から地へ一直線に降り注ぐ雷は一途さも象徴する。
降り注いだ電雷が焼き跡を刻むように、結ばれた約束や契約を重視し、遵守する。
ゆえに原初の契約に基づいて信仰を返すのは当然であると思う。
だからこそ精霊峠にフォルを引き止めることに賛成した。
だが、フォルの肩に乗る氷の精霊の言うことも納得できる。
どちらがより優先されるかと考えた結果、後者であると判断した。
それに樹の精霊は過剰すぎる気もする。
信仰を返すことよりも、ここに留め置くことに主眼を置いていると感じられる。
それならば叱責を与えなければならない。神の意に反するものに罰を与えることは雷の属性の役目である。
「引キ下ガレ、樹神ノ子」
「ヒドイ! ヒドイワ!」
「……樹神ニ告ゲルゾ」
「キャァ!!」
雷の精霊が凄むと、樹の精霊が文字通り飛び上がって逃げ出した。
精霊峠の中央の大樹へと一直線に飛んでいく。
その背を見送り、雷の精霊は溜息を吐いた。
「……スマナイコトヲシタ」
「いえ……助かりました。ありがとうございます」
気にするなというように首を振り、そして雷の精霊は昴たちを見据える。
「あの……何か?」
「……オマエタチガルッカノ連レカ」
昴。リーゼロッテ。サイハ。こいつらが、と冷淡に見る。
フォルから聞いた話しか知らないが彼女が語るにとても信頼できる良い人と聞いた。
昴とやらのことを話す時と、リーゼロッテとサイハのことを話す時とで表情の明るさが少し違ったが、そこはまだ咲かぬ蕾を見守るとしよう。
「帰ルトイイ」
他の精霊に見つかる前に帰るといいだろう。
氷の精霊の1体はフォルになついているようだが、他の氷の精霊はどうだろう。
土の精霊は怠惰な性情ゆえに物事をただ受け入れるからいいとしても。
火の精霊も水の精霊も風の精霊も、フォルが精霊峠を出るとなったらどう反応するか。
「いいのか?」
何やら精霊同士揉めているうちに話が済んでしまった。
もっとこう、フォルが戻ってきてくれたらどうとか説得するくだりがあると思っていたのに。
肩透かしをくらう昴に精霊は首を振る。
「……守護者ノ使イナラ、精霊モ納得シヨウ」
守護者イルートから頼まれた用事のためにいったん立ち去るということにして帰るといい。
守護者と精霊の契約により、イルートの用事だというなら精霊たちも渋々帰してくれよう。
戻ってきたらその時はどうなるかわからないが、そこはその時の出方次第だろう。
問題を先送りにするともいう。
「いいんですか?」
「神ニ礼節ヲ欠カサヌトイウナラ、文句ハ言ウマイ」
イルートに祝詞と作法を習い、その通りにするというのなら信仰を返すことになろう。
人生を捧げてまで尽くす必要はない。そうしてくれるというなら歓迎だが。
「ありがとうございます」
「忘レルナ。礼ヲ失シタ時、罰ヲ与エルノハ我々雷ダト」
「は、はい!」
それでは帰れ。ひらりと雷の精霊が手を払う。
それに見送られて、というか半ば追い出されるように精霊峠を後にした。




