愛し君よ、さぁ捧げ給え。いざ世界の礎に
ひらひらと精霊が舞う。きれいな光景だと思う。
けれどこんなところでゆっくりしている暇はない。早く塔を登らなければと体が突き動かされている気がする。
早く昴たちと合流しなければ。……でも、リーゼロッテとは?
今にして思えば、リーゼロッテの言うことは間違ってないのだ。
どうしてこうも伯珂にこだわるのだろうと自分でさえ不思議に思う。
でも、あのダレカはこの世界に存在してはならない。伯珂の感情をこの世界にこびりつかせたままではいけない。
きちんと送ってやらねばならない。思いが残ったままでは死んでも死にきれない。
だけど、そう思うのはどうしてだろう。
「ドウシタノ?」
「あ……えっと……」
「アナタ、ズット暗イ顔シテル。ソレデ何デモナイナンテ言セナイワ!」
ぷんぷんと怒った風情で精霊の1体がフォルに詰め寄る。
金色の光をおさめ、晒した姿は薄い水色とも白ともつかぬ色だ。
「水神ノ子ニ何カ言ワレタ? 大丈夫、ワタシハアナタノ味方ダカラ」
誰にも言わない、ここだけの話にするから打ち明けてごらん。
まるで内緒話のようにささやく精霊に、戸惑いつつも打ち明ける。
うんうんと聞いた精霊は、そうねぇ、と答えた。
「心ッテ、大変ヨネ。チョット主張シタラスグブツカッチャウ」
リーゼロッテとやらの主張も正しい、フォルの気持ちも正しい。
どちらも間違っていないし、どちらもそうだ。
問題はどこで折り合いをつけるかだ。
それはたぶん、ここで精霊に囲まれているだけでは解決しないだろう。
「ワタシハ、アナタノ心ノママニスレバイイト思ウワ」
だからここを発つべきだ。こんなところにいないで話し合えばいい。
そのためなら協力しよう。ひらりと精霊はフォルの肩に乗った。
「ありがとうございます……えっと、氷の精霊さん」
「ソンナ呼ビカタ、ツマラナイワ!」
他の精霊とは違ってあなたの味方なのだから、区別する意味も含めて何か名前で呼んでほしいと。
そう主張した氷の精霊に、はいと頷く。
「雪……ネージュさんと呼んでいいですか」
「ネージュ! イイ名前ネ」
「では、これからよろしくおねがいしますね、ネージュさん」
えぇ、とネージュは頷く。
さてここを発つ方法だ。話を本筋に戻す。
精霊たちはルッカを逃さない。
原初の契約により、神が力を与えた見返りとして信仰という奉仕を課す。つまり有り体に言えば、フォルは精霊の餌だ。
だからこそ絶対に逃さない。探索者などやめて、その心、神に捧げろと迫ってくる。
それはフォルの望むことではない。先に進んで塔の頂上へ行ってもらいたい。それがネージュの願いであり、そのためなら協力を惜しまない。
「でも……どうしてネージュさんが私に協力を……?」
「ソレガ氷神ノ子の本質ダカラ」
氷の属性は秘密と真実を司る。
気に入ったものを氷に閉ざす逸した嫉妬の力は真実を氷に閉じ込めて秘密にする。
その気質ゆえ、真実を追い求めるものに加護を与える。
塔の頂上を目指す者に力添えをするのが氷の精霊の役目だ。
だからフォルが塔の頂上を目指すというのなら協力しようではないか。
「アナタニハ、頂上ニ行ッテモラワナイトイケナイノ。ソレガ禊ダカラ」
「禊……?」
それはどういうことだ。
訊ねようとして、その瞬間、鋭い声が響いた。
「キャァ! 帰還者ヨ! 帰還者ヨ!」
「完全帰還者! 前週ノ遺物ガ何ノ用!?」
フォルの問いかけを遮るように、不意に精霊たちが騒ぎ出した。
いったい何が起きたのだと見回してみれば、精霊峠の入口で精霊たちが飛び回っている。
ざわめく金色の光に構わず、精霊峠を埋め尽くす花畑を踏み荒らして現れたのは、"完全帰還者"ネツァーラグ。
精霊には目もくれず、まっすぐフォルのところへ歩いてくる。
「ネツァーラグさん……?」
「氷の精霊から面白い話を聞いたからね。帰還者の浄化だって?」
ずいぶん面白い話をしているとわざわざ精霊が教えに来てくれたのだ。
詳しく聞こうじゃないか。いったいどんな苦難に挑もうとしているのか。
ネツァーラグの肩から金色の光が飛び降り、フォルの肩からネージュが飛び降りる。
「アナタモソッチ側?」
「エェ、ダッテ、氷神ノ子ダモノ!」
精霊2体は内緒話を交わすようにきゃっきゃと笑い合う。
それを横目に、ネツァーラグが話を切り出す。
「帰還者の浄化は僕も頼みたいことでね。まったく、困ったことだ」
「……でも、それあなたまで……」
理性と自我を保有していても、ネツァーラグは帰還者だ。
仮にフォルが帰還者を浄化する術を手に入れたとして、ネツァーラグまで浄化されることにならないだろうか。
そう訊ねたら、彼はやれやれと肩を竦めた。
「僕は生半可なことじゃ消えないからね。『完全』とはそういう意味さ」
たとえるなら、焦げ付いた鍋の底の汚れのようなものだ。
そんなもの、水で流したとて流れるものでもない。
自嘲気味に話すネツァーラグは、それよりも、と話を変える。
「帰還者を消してくれるのはありがたい。下層のはともかく、中層のは腹立たしいものばかりだからね」
「それはどういう……?」
フォルの問いに答えず、ネツァーラグは肩に乗ったままの金色の光に訊ねる。
もう言っていいかい、と何かを確認して、内緒話真っ最中だった金色の光が頷いたのを見てフォルに向き合う。
「帰還者には前週のものも混じっているからね」
「前週……?」
「塔の頂上にたどり着いた者がいないわけないだろう?」
これだけ探索者がいて、塔の頂上にたどり着いた者がいないはずがない。
それがいつかは知らないが、いつか、必ず探索者は頂上へと到達するだろう。
そして頂上にたどり着いた者はこの世界の真実を知る。
「……で、その情報を持ち帰らないのはなぜか。頂上にたどり着いたなら、頂上に何があったか言いふらしたっておかしくないはずなのにだ」
頂上にたどり着いた。それなのに帰らないのはなぜか。
考えてもみてほしい。頂上にはこんなものがあったと語りに帰る探索者だっていたっておかしくないのに。
そういう者がいないのはなぜか。
「答えは簡単だ。『リセット』が行われるからね」
ゲームを遊んで、駒がゴールについた時。
またゲームを遊ぶにはどうするか。すべての駒を除去して最初から配置し直す。
それと同じだ。塔の頂上にたどり着いてゴールした探索者がいたら、またリセットする。
「"破壊神"によって塔のすべてはリセットされる。皆殺しさ」
リセットが行われる時、すべての探索者は殺される。
殺される。死ぬ。その時に何が起きるか。死者の嘆きが魔力によって焼き付く。
焼き付いた情動は帰還者を生み出す。
「……じゃぁ……帰還者は……」
「もちろん"今週"で生まれたやつもいるけどね。この世界は■度もリセットされている」
リセットしきれなかったバグデータだと思えばいい。
忌々しそうにネツァーラグはそう言った。
「まったく神はひどいものじゃないか。■■■で……」
「ネツァーラグ、言語崩壊」
「……おや。今日はこのへんでお終いかな」
肩に止まり直した氷の精霊に止められ、肩を竦めてネツァーラグは話を止める。
今回はずいぶん長く喋ることができた。
まだまだ語り足りないが、真実の一端は示せたのでそれでよしとしよう。
「君も配置された駒さ。……何がルッカだ、ただの神の呪縛じゃないか」
それじゃぁ今日の話はここまで。ついとネツァーラグは踵を返す。
そうして振り返ることなく精霊峠を立ち去っていく。
ネツァーラグの背を見送り、フォルはネージュを振り返った。
彼の言っていることは本当なのだろうか。
「エェ、本当ヨ。……本当ダケド……氷ミタイニ情ノ無イ言イ方ネ!」
氷の精霊に気に入られるくらいはある。あぁまったく。
憤慨した様子でネージュは声をあげる。
愚痴ているネージュをなだめ、フォルは思考に沈む。
配置された駒、とは。まさか、記憶がないのもそのせいか。
冷静に、主観から客観へ思考を切り替えてみれば、確かに納得する部分はある。
理由もなく、塔の頂上に登らなければと思う感情も仕組まれているものだとしたら。
「……アナタノコトハ私カラ言エナイ、禊ダモノ」
「配置された……『前週』のことってことですか?」
「……マダ言エナイワ、ゴメンナサイ」
まだ。まだ教えるわけにはいかない。
試験の問題文を解く時に、解答を教師に聞くようなものだ。
考えて悩み抜いて、予想を立ててから訊ねに来てほしい。
「……わかりました」
「ゴメンナサイネ。デモ、時ガ来タラ教エテアゲルカラ」
それだけは真実を司る氷神の眷属として保証しよう。
それよりも、今は目の前の問題を片付けるべきだろう。
「ソロソロ、オ迎エガ来ルンジャナイ?」




