だってそれは仕方のないことだから
「伯珂さんは……ダレカになった……んです、よね?」
デザートも食べ終えてのんびり食後の時間を楽しんでいた時。
不意にフォルが窓の外を見つめてそう言った。
「たぶん……そうなんじゃない?」
認めたくはないがそうなのだろう。
いや、あのダレカは伯珂そのものではない。伯珂が変異したというよりは、伯珂の情動が焼き付いた影が歩き出したにすぎない。
ダレカに殺されたか何かして、その時の伯珂の思いがあの場に焼き付いて動き出した。
「っていうことはやっぱり……」
「なぁ。まだやんのか、その話」
暗い顔をするフォルに溜息混じりにリーゼロッテが吐き捨てる。
もう何度その話を繰り返すのか。裏切った、死んだ、それに対してどうこう言ったってどうしようもないのだ。
すっぱり割り切ったリーゼロッテからみたら、フォルのその後悔や哀惜は冗長なものでしかない。
「いい加減鬱陶しいんだよ。いつまで悩んでんだ」
「リーゼロッテさん!」
どうしてそんなことを言うのか。フォルが食ってかかる。
確かに騙した。結果のための過程だったのかもしれない。だけどこの世界について教えてくれた伯珂の優しさは本物だったはずだ。
ただ人気のないところに連れて行って殺すだけならあんな助言などする必要などなかった。
信用させるために教えるというだけなら、たった1つ2つで十分信用は取れたはずだ。
それなのに色々と教えてくれたのは、伯珂の優しさではないのか。その優しさは本物だったはずだ。
「はん。どうだか。信用させるための方便だろ」
「そんな……!!」
「死んだのも因果応報だ。何人やったか知らねぇけど、殺したんだから殺されるのも当然だろ」
冷酷に冷淡にリーゼロッテは突き放す。
リーゼロッテの知る世界ではそうだった。詐欺も殺しも当たり前。騙される愚鈍が悪い、殺される隙を見せるのが悪い。
だからそのルールに則って、伯珂たちは殺したし殺された。弱肉強食の因果応報だ。
「リーゼロッテさんは人の心がないんですか!」
「あ? アンタのそれがヒトノココロっていうやつなら、ないね」
終わったことに拘泥して冗長な後悔や哀惜を重ねることが人の心というのなら、そんなものはとっくに路地のゴミ箱に捨てた。
リーゼロッテの関心事はやたら親しげに絡んでくるスティーブたちが伯珂らの再来でないかどうかだ。あとは塔の上階やそれに関する障害諸々。
伯珂のことはすでに終わったことだ。もし何かの機会で10階に来た時、アレを見たら昴やフォルは躊躇してしまうだろうから逃げ一択だな、という感慨しかない。
「しつこい。もう死んだ悪人なんかどうでもいいだろ」
「……っ!!」
ばっと顔を上げて目を見開き、フォルはとっさに何かを叫びそうになって息を詰まらせる。
胸中に渦巻く百万語を適切に吐き出せずにフォルの唇がわななく。
言いたい。だが的確に表現できない。鬱憤はついにフォルの足を突き動かした。
「あっ、おい!!」
制止する昴の言うことも振り切って、外に飛び出していく。
ばたばたと足音が遠くに走っていく。慌てて昴がそれを追いかけていった。
治安が良いところとはいえ、夜中に女の子ひとりで歩き回っていい場所じゃない。
追いかける昴の足跡も遠くなった頃、はぁと溜息を吐いてサイハがリーゼロッテをねめつけた。
「言い過ぎじゃない?」
「あ? 間違ってたかよ」
「いいえ」
善意を信じるのはいいが、そればかりを見て善人と決めつけるのもよくない。
善人の幻影にとらわれてしまった少女の目を覚まさせるにはちょうどよかっただろうが、言い方の問題だ。
あんな言い草では到底受け入れられないだろうに。
「帰ってきたら謝りなさいね」
「あ?」
「言い方を、よ。主張自体に賛成だもの、私」
***
どうしてあんなひどいことを言うのだろう。
にじんだ涙を拭う。ひどい。あんなに突き放すようなことを言わなくたっていいのに。
リーゼロッテだって、伯珂たちの言うことに助けられたことはあるはずなのに。
「アラ? アラアラ? ルッカジャナイ?」
知らない路地にうずくまっていたフォルに、不意に頭上から声がした。
涙で少し赤くなった目元をこすって顔を上げると、金色の光がそこにあった。
精霊だ。そうか、塔の維持をつとめるから下層にも現れるのか。
「ルッカダ! ルッカダ! ドウシタノ?」
「泣イテル、カワイソウ」
驚いて涙が引っ込んだフォルの周りを金色の光が飛ぶ。
くるくる、くるくる。円陣を作るように周囲を飛び交っていく。
「ドウシタノ? イジメラレタ?」
「あの……いえ……大丈夫です……」
精霊は人間と同じ価値観を持たない。
ここでもし、リーゼロッテが心無いことを言ったせいで飛び出してきたのだと告げたら、精霊はフォルの味方をして報復をするだろう。
そしてその報復は絶対にろくでもない。人がやすやすと死ぬことをイタズラ感覚で仕組んでくるのが精霊というものだ。
素直に告げたらリーゼロッテの身が危ない。フォルは原因について沈黙を貫くことにした。
「笑ッテヨ! ホラ!」
「楽シイコトヲシヨウ!」
「ネェ、一緒ニ遊ボウ!」
「え、ちょっと!?」
くるりくるり。この回り方は、エレメンタルが魔力を練って魔法を打ち出す予備動作に似ている。
否。似ているのではない、そのものだ。
回る。魔力を練る。術式を編む。まさか。
「あ……」
「……フフ、オヤスミナサイ」
「楽シイトコロニ連レテ行ッテアゲルネ」
「ズーーーット、遊ボウネ!」
***
「フォル……!!」
追いかけた。走り回った。見つからない。
ぜぇぜぇと肩で息をしながら周囲を見る。だがフォルの姿はどこにもなかった。
いったいどこに。顎に伝って落ちていく汗をぬぐって見回す。だが夜の暗闇しかなかった。
「……あら?」
からん、とベルが鳴った。音に振り返れば司書のヴェルダがいた。
散歩だという彼女にフォルの行方を聞いてみる。知らないと返ってきた。
「図書館から東の大通りに沿って歩いてきたけど、人とはすれ違わなかったわね」
「そうですか……」
気落ちした様子で肩を落とす昴に、ヴェルダはそっと言い添える。
「探し人ならイルートをあたるといいわ」
「イルート?」
「守護者よ」
守護者というのは、魔物や精霊の特性を利用して戦いや生活に役立てる者のことを言う。
人と人ならざるものの間の境に立ち、その境を守護することからそう呼ばれる。
探索者ではないが、探索者と同じく戦う力を持っている。
「彼女は精霊の守護者なの。精霊なら塔のすべてを把握しているから、精霊の力を借りられれば……」
「ありがとう! 行ってみる!」
「えぇ。行く道に幸あれ」
イルートは中層にいる。精霊峠の精霊たちが町に来た時にそれを仲裁する役目を負う。
白い石の物見塔が目印だ。彼女はそこで町の全体を眺めて悪さをしている精霊がいないかを見張っているという。
「今日はもう遅いから明日にしなさい。こう暗くちゃ探し人も見つからないわよ」
「でも……」
もし、この夜の間にフォルがどうにかなってしまっていたら。
翌朝死体で発見されたなんてことになったらと思うと。
そう思うといてもたってもいられない。焦る昴を宥めるようにヴェルダが言う。
「昨日スカベンジャーズが『掃除』したから大丈夫だと思うわ。こうして私が散歩できるくらいにはね」
大規模な摘発があったのだという。
そのせいで1階と2階のならず者の類は掃討されたらしい。
だから女一人で夜道を歩いていても殺されるようなことはまずなくなったという。
「もし見つけたら保護しておくわね」
「ありがとう」
「えぇ」
だから今夜は帰りなさいなと宿屋へ促される。
頷いて帰路についた昴の背中を見、ヴェルダはそっと息を吐いた。
「いい人材が見つかるかと思ったんだけど……難しいわね」
いやはや難しい。いなくなっても困らなさそうなものはもう掃除されてしまったし。
出会うものといえば精霊くらいしかいないし。
建物の影でひらひらと様子をうかがっている金色の光を見やりながら溜息を吐く。
「キャッ! 蛇ガ見タワ!」
「怖イ怖イ!! 隠レナキャ!」
「秘密ノベールで隠サナキャ!」
きゃぁきゃぁ騒ぐ声を聞きつつ、静かに静かに溜息を吐いた。
この世は本当にままならないものだ。




