受難を越え、恐怖に直面せよ。果てには奇跡
8階。そこまでの道中、何もなかった。
ダレカもいないし当然伯珂たちもいなかった。さぁ、ここから鍵探しだ。
「またこの前みたいにあっさり見つかってくれるといいけど……」
「奪い合いも想定しねぇとな」
気を引き締めていこう。まずは鍵探し。誰かが持っているのか、それともどこかに隠されている段階なのか。できるだけ争いたくないので後者の線を想定したいところだ。
「マッピングは終わっているからしらみつぶしにいきましょう」
「さすがサイハ。……ん?」
誰かが何かを引きずりながら歩いている音が聞こえる。
音を察知した昴が顔を上げる。あの曲がり角から誰かが来る。
「くそ……っ、おい死ぬな、パウリヌス!」
「きゃっ……!!」
角から現れた人影にフォルが息を呑む。
無理もない。生きているのが不思議なくらい重傷の男と、それを肩に担いで引きずりながら進む青年の姿があった。
青年は昴たちを見て顔色を変えた。
「誰か、誰か薬を持っていないか? 頼む、俺にできることなら何でもするから、だからどうか相棒を助けてくれ!」
このままでは死んでしまう。いや、もう死んでいてもおかしくない。どうにか気力でもっているようなものだ。
早くしなければ。もう一刻の猶予もない。治療手段を求めて7階の転移装置に向かっているが、これでは7階への下り階段を降りる前に気力さえ尽きて死ぬ。
誰か治療してくれ。そうでなければ道を開けてくれ。でなければ相棒が死んでしまう。
必死に青年は言い募る。
「ひどい怪我……」
「フォル!」
「はい! 今すぐ治します!」
フォルがペンダントをかざし、青年に担がれたままの男へと"メディシナール"の癒やしの力を注ぎ込む。
ここから9階、10階と越えていくのだから力は温存せねばならないのだが、こんな瀕死状態を見たらそうは言っていられない。できる限りの力をもって彼を癒やしてやらねば。
そのままではやりにくかろうとリーゼロッテが青年から瀕死の男を引き剥がして床に転がす。その横に座り込み、フォルは全魔力を使う勢いで瀕死の重傷を癒やしていく。
「……ふぅ……!!」
少し時間はかかったが、傷は癒しきった。血の気も失せて真っ白だった肌に赤みがさしていく。
なんとか一命はとりとめた。ほっとフォルが息をつく。
あとは少し横になって休めば、7階の転移装置から町へ帰還して宿屋でぶっ倒れるくらいの体力は戻るはずだ。石畳の上で申し訳ないが、彼をその場へ横にする。
「これで何とか……傷は癒せました」
「すごい……まさか……こんな……!!」
額の汗を手の甲でぬぐい、にこりと微笑む。そんなフォルの横にはだいぶ良くなった血色の相棒。付き添っていた青年はまるで信じられないものを見る目で見る。
そして、はっとしたかのようにその場にひれ伏した。
「本当に……感謝してもしきれません。あなた様は命の恩人だ。この身、何でも尽くさせていただきたい」
「そ、そんな!! 顔を上げてください!」
ひれ伏して恭しく礼を言われることではない。やれることをやっただけだ。
慌てるフォルに青年はさらに深々と頭を下げる。頭を下げすぎて床に陥没するのではないかと心配するほどに。
「俺……いえ、私が持っているものをすべて捧げさせていただきます」
「えっ、いえそんな……」
「どうかこちらを。……鍵でございます」
青年が懐から出したものは、金色の鍵だった。
間違いない。9階への階段に続く扉の鍵だ。
「で、でも、それならあなたたちは……?」
「いいえ。私は相棒が生きていただけでもう……それに、この状態では進めません。ですから、どうかあなた様に」
「わ、わかりました……ありがとうございます」
くれるというならもらっておこう。鍵を探していたのは事実だ。受け取り、ポケットにしまう。
「それと、不要でなければ、どうかこちらを」
「これは……石?」
青年が差し出したそれは黒い石だった。黒曜石に似ている。だが黒曜石とは違う。
これは、と問うと、それはボロキアリャソフを懐柔できる石だという。
「ボロキアリャソフの群れがあそこに住み着く以前は町で飼われていた家畜だったというのはご存知かと思いますが……」
曰く。家畜として飼われていた頃、飼い主の牧夫から餌として与えられていたのがこれだ。
特別な日にだけ食べさせていた石で、ボロキアリャソフからすれば特別な日のごちそうというわけだ。
あぁして9階に住み着くようになってからは食べていないものでもある。だからこれを与えれば、亡き主人を思い出して静まるかもしれない。
群れのリーダーがおとなしくなれば他の暴れ牛もおとなしくなるはず。そうすれば、軽々と10階に行けるだろう。
「どうしてそれを知っているの?」
「相棒の曽祖父はその牧夫だったのです」
牧夫の子孫として、9階の暴れ牛の群れは絶対にどうにかしなければならないものだ。
あんなに可愛がっていた家畜たちが今や討伐されるべき魔物だなんて、曽祖父は死んでも死にきれないじゃないか。
そう思って探索者になり迷宮に飛び込んだはいいものの、こうして9階を目前にして重傷を負ってしまった。
「いいのか? アタシらはとんでもない悪人かもしれねぇぞ?」
「構いません。あなた様がたが悪人だろうと善人だろうと、こうして相棒が生き繋いでいるのなら」
「はっ、そうかよ」
そこまで傅かれると落ち着かない。白けたようにリーゼロッテが肩を竦める。
まぁ、こうして鍵を手に入れたのだから何も問題はない。話もついたしさっさと先に進みたいところだ。
「行こうぜ」
「そうだな。……えぇと、じゃぁ俺たちはこれで」
「はい。ご武運を」
***
9階。
――受難を越え、恐怖に直面せよ。果てには奇跡。
いななきが聞こえる。相変わらずの暴れ牛っぷりだ。
階段からつながる高台から飛び降りたらひとたまりもないだろう。
「群れのリーダーはどれだ?」
「あれじゃないか? 一番でかいやつ」
群れの奥に居座るひときわ大きい体躯のやつ。昴が群れの奥を指す。
魔物と成り果てているからか、本来のボロキアの体つきの何倍も大きい。間近で対面したら首が痛くなるほど見上げる必要があるだろう。
「それで本当に懐柔できんのか?」
「さぁ……とにかく、あげてみますね」
さっきもらった黒い石を取り出す。ボロキアリャソフに見えるように持ち上げて大きく振る。
侵入者を注視していたボロキアリャソフが1歩動いた。山のような体躯が群れを割って進み出てくる。
「でか」
昴たちは高台にいて、ボロキアリャソフはそこよりずっと低い地面に立っている。高低差は何メートルもある。
そんな位置関係なのに、目の前まで歩いてきたボロキアリャソフの頭は昴たちの目の高さにある。
いったいこいつの体高はどれだけあるんだ。成程。これは確かに正面から戦って制圧するのは無理だ。
「えぇと、わかりますか? これ……」
ずいっと顔を出したボロキアリャソフの鼻先に、おそるおそるフォルが石を差し出す。
ボロキアリャソフは動かない。ふんふんと嗅いでいるようだ。鼻の穴は人間の頭くらいある。
そして。
「うひゃっ!」
「あ、食べた」
ばくり。器用にフォルの手から石を舌ですくい取って口の中へ。
飴を転がすようにもごもごと口を動かした後、数秒。ボロキアリャソフは不意にくるりと背を向け、高台に寄り添うように肩を押し付けてくる。
「何よ?」
「乗れ、ってことじゃないかな?」
懐いた。という解釈でいいのだろうか。
戸惑う昴たちに、早くしろと言いたげにボロキアリャソフが尻尾を揺らす。
どうやら、10階への階段に接続されている高台へと運んでくれるようだ。
「訳すなら、『石の礼だ、載せてやる』……かな?」
「そうでいいだろ」
よっこいしょ。リーゼロッテが一番に背に飛び乗った。
背に乗っても振り落とす気配はないから本当に載せていってくれるつもりだろう。
安全を確認したリーゼロッテの手招きに従って昴が乗り、続いてサイハが飛び移る。
「ほらフォル」
「い、いきますっ!」
差し出された昴の手を掴み、フォルが決死の覚悟と言わんばかりの表情で飛び乗る。
もしかしたら今までの何よりも緊張したかもしれない。
噛み砕いた石を吐き出して群れの砂牛たちに分け与えつつ、ゆっくりと歩き出したボロキアリャソフの背でほっと安堵の息を吐いた。
高いところは、苦手だ。




