意味深な語りは真実を閉ざす氷の中で
1階。それはかの者の思いつきから始まった。
2階。紡がれた言葉は世界となり、作られた世界は並列に存在していた。
3階。やがて創造主の手を離れた世界は自ら走り始めた。
4階。それはさながら歯車のように噛み合い始めた。
5階。それは混ざりあった世界の中の塔。
6階。繁栄と衰退と荒廃。ならば新興はどこだろうか。
7階。すべてが収束する終息の塔で果ての夢を見る。
8階。神は人に試練を授けた。これをもって受難の開闢とする。
よくもまぁこのような文言を残すものだ。ネツァーラグはそっと本のページを撫でた。
図書館の"辞書"を用いれば、このように階層の違う場所にある文言も呼び出せる。浮かび上がった文字を眺めて嘆息する。
これは世界の真実の一端だ。何について言及しているかが入り乱れているのでそのあたりを整理しつつ、すべて繋げれば答えにたどり着くようになっている。そうして『すべてをみた』ことになる。自分のように。
完全帰還者。何から帰還してきたか。そう■■からだ。はっきりと認識しているのにそれを言葉に出せないのは疎ましい。
この呪いを自覚するたび、声帯を引きちぎってやりたい衝動に駆られる。思うようにセリフが紡げない演者など劇に必要だろうか。せっかく舞台に上がってやったのに、これではあんまりだ。
「上がったんじゃないわ、上がらせられたのでしょう?」
「司書じゃないか」
からん、とベルが鳴った。ドアベルの音に振り返れば司書ヴェルダが立っていた。
闇夜を切り取ったかのような漆黒のワンピースに氷のように白い肌が映える。緩くウェーブした赤毛と、その下から覗く青い目。
「誰も彼も役目に沿って行動しているだけよ。あなたも、私もね」
「でもお互い楽しんでいる。違うかい?」
「まぁ、楽しまなくちゃ損だもの」
図書館。人の人生を物語とたとえ、それを記録して保管する故にそう定義された施設。無限の『本』を眺める司書。
それは表の顔にすぎない。塔の魔女リグラヴェーダ。それが彼女に割り当てられた本当の役職だ。すべてを知り、結末までを記録し続けることこそが役割。話の概要を知っておきながら、結末に至るまでの物語を書き出すことこそが真の司書の仕事だ。
「それにしても。『今週』はずいぶんと優しくないかい?」
「今だけよ。出だしから辛辣にしたってつまらないでしょう?」
撒いた種はゆっくり育ててから刈り取った方が面白いではないか。芽のうちから枯らすこともあるまい。そのうち手のひらを返して極寒に晒してやる。それまでは温室でぬくぬくと育ててやろうじゃないか。
にこりと微笑んだ魔女に完全帰還者はやれやれと肩を竦める。彼女の一族はどうしてこうも足掻く人間を高みから眺めるのが好きなのだろう。『リグラヴェーダ』を名乗る人物と対面したのは3回目だが、3人中2人はこんな嗜好だった。名とともに性格を受け継いでいるのだろうか。
「私たちはそういうモノだから仕方ないのよ。巫女と同じくね」
定められた役割に従ったパーソナリティを用いているだけだ。役割に紐付けられた名前と人格を使用しているからそうなってしまうのだ。『リグラヴェーダ』は他人の足掻きを愉悦の表情で眺める者でなければならないのでそうしているだけ。
悪びれなく答え、魔女は目を伏せた。そう、誰も彼もが役割を背負わされている。
巫女だってそうだ。探索者を塔の頂上に導く役目を課せられたにも関わらず、巫女はその裁定に抗ったので罰を受けてしまった。
魔女が『リグラヴェーダ』ではなくヴェルダと名乗るのは巫女の気概を評価してのことだ。
この世界に生まれ落ちて、リグラヴェーダの名と人格を譲り受け、司書の役割を得た。巫女と同じく役割を背負わされた。だが巫女はそれに抗った。
だから彼女もまたそれに便乗してみようと思ったのだ。反抗の過程と結末をきっちりと見届けさせてもらった証に。
『リグラヴェーダ』の名前は長すぎるからと、愛称というていで新たに名をつけた。
せっかく面白いものを見せてもらったのだから、一枚噛んだっていいだろう。罰を受けない程度に悪さをして、多少引っ掻き回すくらいは許されてもいいはずだ。
ただ淡々と物語を書き連ねるなんてつまらないじゃないか。展開の演出と描写の脚色くらいは許してもらおう。大筋と結末が変わらなければ特に問題なく役割は遂行できるのだから。
「巫女はまだ罰を受けている最中なのかい?」
「えぇ。可哀想なことに」
役目に逆らったが故に罰を受けてしまった哀れな子。あんな堂々と正面切って反抗してしまうからあぁなるのだ。本当に可哀想だとヴェルダは巫女を思う。
巫女の慈悲の心は切り刻まれてまるでボロ雑巾のよう。今でさえ痛々しいのに、この先には終焉しか待っていない。しかも神はその引き金を引かせるつもりなのだ。
ひどい話だ。熱砂の砂漠を水なしで歩かせるようなもの。体は焼け付いて乾ききってしまうだろう。それだけでも十分罰なのに、さらには流砂に蹴落とそうというのだ。
そして司書には、巫女が流れる砂に爪を立てて必死に足掻くさまを見て記録しろというのだ。悲鳴も苦悶の表情も書き留めろと。楽しいので大いに結構。
「しかしまぁ、僕も噂の巫女を見てきたけど、あれが本当に巫女なのかい?」
「えぇ。間違いなく。あぁなってしまっても権能の一端は健在ね」
曲がりなりにも神の眷属。神は自らが力あるゆえに力のない存在を作れなかった。この世界専用に作り出された巫女の権能をすべて奪い取ることは不可能だった。
巫女は今、かすかに残る権能でどうにか生き繋いでいる。それが苦痛を長引かせるというのに。
「やれやれ……本当に……本当に哀れだ……まったく、■■■が■■■■■■で■■■■――……■■■■? ■■■■■■?」
「ちょっと? 聞いてるかい? ……かしら? 言語崩壊ってるわよ」
今までまともに言葉が紡げていたのに、急に言語崩壊が来た。
否。ここまでよくまともに言葉を紡いだものだ。呪いに抗う確固たる意志がなせる行為だろう。
そう、彼もまた神の裁定に抗っている。だからこそ帰還者に成り果てた。それでも理性と自我を保って完全帰還者として君臨している。
それならばと言葉を呪われても、言語崩壊を起こそうとも語り続ける。どこまでも神に抗おうとしている。
よくもまぁそこまで抗う気概があるものだ。ネツァーラグがどうにもならなくなったら、その時はその気概を評価して、なにか名残のようなものを残しておいてやろう。文章に仕込む暗号のように。
「もう帰ったら? 私、真実には通じているけれど……あなたの言葉がわかるほど何もかもを把握していないの」
「■■? ■■■■■!」
「はいはい。もう何も聞こえないから帰りなさい。私は帰還者に呑まれちゃったあの子を掘り起こさないといけないんだから」
***
探索者編成所の再建築は順調に進んでいるそうな。ただしそれは建物の話だ。人の用意は終わっていない。
「編成所は無事に建つんでしょうか?」
「建ってもらわなきゃ困る」
編成所でのランクアップは探索者にとって死活問題だ。レベルで実力が証明できるとはいえ、やはりランクは必要だ。
こうして自分たちはレベルによって人並みの人権は得ているが、本来のランクは人権なしの0。色々あって忘れているが、そうなのだ。
「どうだろうな、建物は用意できても人は用意できていないみたいだし」
なにせ編成所の職員は全員ダレカによって『どうにか』なってしまったのだから。何も知識のない人間を業務ができるよう教育するノウハウもすべて吹っ飛んだ。
編成所の機能で一番肝心な部分である、ランクを制定するために探索者の踏破状況を確かめる方法もわからない。
「せめて編成所の所長がいればな……再興は楽だったろうに……」
「所長だけでも残ってればすぐに編成所を興すこともできただろうに……」
同じように、編成所の建設を憂う探索者からはそんな溜息が聞こえてくる。
建物は用意できても、そこで働く職員の準備ができない。人も技術も記録もすべて消えてしまった。たとえ人をかき集めたとしてもノウハウがないから動かしようがない。
なにせこのような事態は初めてなので誰もどうしていいかわからない。建物を建てている大工だってそれを指示している技術者だって、建ったあとのことはわからない。箱だけ用意したところで何になるのだろう。
「ま、とりあえずは探索の準備に行こうぜ。考えていたってしょうがねぇ」
「そうだな。今度こそは11階に行きたいし」
「伯珂さんたちも助けられたらいいんですけど……」
そう会話をしつつ、探索の準備に取り掛かるべくカフェを出た。




