しかし意図を裏切り、人は堕落した
9階。
――しかし意図を裏切り、人は堕落した。
9階は階段から続く足場が高く張り出していて、そこ以外は人の身長よりも高く段差をつけてくぼんでいる設計となっている。
まるで闘技場のような中央には侵入者を察知して殺気立つ数百頭の砂牛がうごめいている。
「っしょ、9階……!!」
9階。意味深な文言が書いてあるいつもの石碑が見えた。メモしなければとフォルが手帳を取り出す。
その前に、ここまで護衛をしてくれた伯珂に礼を言わなければならない。扉が開いた時、自分たちを後回しにしたのは扉が開いた瞬間の隙を狙う悪辣な探索者から守るためだ。背中をしっかりと守ってくれたのだ。
「ありがとな、3人とも」
「いいよぉ~! だいじょうぶ!」
にこにことリリムが手を振る。気にしないでくれと言っているようだ。だって、と言葉を続ける。
「だって、襲ってこようとする人みんな『静かに』させちゃったしね」
「……え?」
なんだか今、意味を理解したら恐ろしくなるようなことを言い放った気がする。
思わず聞き返した昴に、なんてことないようにリリムが言い直す。
「だからぁ、みんな、『しまっちゃった』ってば!」
影から機を窺っていたならず者どもを、だ。まるでおもちゃを箱にしまうように、異次元のゲートの中に呑んで『片付けた』。
「気付かなかったのか?」
鈍いんだなとノルバートが肩を竦める。だから襲撃は最初の1回しかなかったのだ。あとは全部リリムが『片付けた』。
最初の1回を許したのは、昴たちに自分を信用してもらうためだ。本当なら最初の待ち伏せもリリムにやらせることができた。
「ほら、ひとり警戒してるやつがいるからな? ちょっとくらいは点数稼ぎしとかねぇとやりにくいだろ?」
「……ちっ」
目をすがめてリーゼロッテが舌打ちをする。同時に得心がいった。今、すべてがつながった。こいつらが何を目的に自分たちに近付いたかを理解した。そういうことか。あぁまったく。他人を信用するからこういう事態になるのだ。
「え? え? どういうこと……?」
「答えを教えてやるよ」
混乱する昴に冷たく返す。これまでとうってかわって冷徹に言い放つ伯珂の手には銀色のナイフが握られていた。きらめく銀は獲物を待ちわびているかのようだった。
一度うつむき、顔を上げた伯珂の表情には――
「――探索者狩りは、俺らだ」
――下衆な笑みが浮かんでいた。
「……っ!?」
嘘だろう。衝撃で昴が息を呑む。フォルが短い悲鳴をあげた。サイハが身構え、リーゼロッテがやっぱりなと吐き捨てる。
砂牛ボロキア。縄張りに立ち入った人間を蹄で押し潰し角で突き殺すことも厭わないだろう。8階の争いのどさくさに紛れてやるよりも確実だ。主人と認めた者には従順なら、人間と違って裏切らない。
獲物を殺すための絶好の始末場所だ。昴たちのように、目星をつけた獲物を8階の道中で信用させ、そして9階で狩る。背中を守るふりをして先に行かせることで、8階へ降りる階段をふさいで退路を断つ。探索者狩りと暴れ牛で挟んで逃げ道をなくして事に移る。
退路は10階へ駆け込むことだが、数百頭の暴れ牛の群れをかいくぐるのは困難だ。仮にくぐって逃げたとしても、ボロキアに主人と認められている伯珂たちは牛の群れを素通りしてすぐに追いつける。
ほとんど完璧な狩場じゃないか。おそらく、死体はリリムが異次元のゲートを通して適当な階に放り込んでいるのだろう。
「じょ、冗談だよな……?」
自分たちを怖がらせるための冗談だろう。そうでなければ。
震える声で昴が必死に問う。嘘であってほしい。たちの悪い冗談だと、いつもどおりの気さくな笑顔で否定してほしい。しかし、その願いは無惨にも否定される。
「あぁ。そう言われたのはお前で26人目さ」
銀がひらめいて昴へ振り下ろされる。呆然としている昴の脳天を狙って一直線に。
貫く直前、リーゼロッテが割って入った。身を低くして滑り込んだリーゼロッテは伯珂の腹を蹴り飛ばす。容赦のない蹴りで伯珂がもんどり打って倒れた。
「ぼーっとしてんな。現実見ろ」
信じられずに固まっている昴と、そして状況を飲み込みつつあって震えるフォルへ叱責する。
信用した人間に裏切られた衝撃はわかるが、信用する方が悪い。やすやすと人を信用するからそうなる。誰も信じないことが最高の処世術だと学んでいるリーゼロッテはすべてを拒絶する大盾を構える。
「……目的は何?」
硬い声でサイハが問いただす。なぜ数ある探索者のうち自分たちに目をつけた。そもそも、探索者狩りなど始めた理由は何だ。何が目的だ。
騙されたのは痛いが、旅には詐欺はつきものだ。これも経験と思って冷静に対処するだけだ。交渉の末に見逃すなら不問にするし、見逃してくれないなら身を守るために戦う。
「仕方ねぇさ。俺はそういう役回りなんだからよ。こうして裏切りを重ねなきゃ生きていけないのさ」
ふるりと伯珂が首を振る。その独白には自嘲の響きがあった。
仕方ない。そう自分の人生を定義して生きていた。だからこれも仕方ないことなのだ。責任を転嫁して伯珂はナイフを握る。
「俺は楽して金が手に入ればそれで」
探索なんて命がけのことはしたくない。かといって探索者の身分を捨てて町人として真面目に働くこともしたくない。金が欲しい時に適当に稼げる職業は探索者しかなかったので探索者に甘んじているだけだ。ランク1でも何回かクエストをやれば町人と同程度の生活ができる稼ぎは得られる。
そんな中で、探索者を殺して金品を奪い取ることができればより稼げるじゃないか。迷宮中を歩き回る植生調査もエレメンタルを狩る結晶集めもしなくていい。隙を突けばあっさりと人間は死ぬ。魔物を狩るよりも楽じゃないか。
まったく悪びれずにノルバートが答えた。その口ぶりは、皆どうしてこんな楽な稼ぎ方をしないのかと言わんばかりだった。
「リリムはねぇ~、楽しかったらそれでいいよぉ!」
悲鳴が楽しい。絶望する顔が楽しい。それだけ。他に理由がない。
裏切られたことを知った時の表情を見るのが楽しい。衝撃、驚愕、恐怖、絶望。あらゆる感情を浮かべる哀れな人間を見下ろすのが楽しい。こんな楽しくて、そしてそこに金までついてくる。最高ではないか。
ね、とリリムが笑う。ひび割れた瞳で虚ろに笑う。この空虚感を満たせるのは他人の絶望の悲鳴だけなのだ。
「嘘……」
「嘘じゃないさ。まぁ嘘だと思っていても構わんが」
抵抗しないならやりやすい。こうなりやすいから右も左も分からない新人探索者を狙うのは楽なのだ。この世界の常識を語っただけで情報通だと思ってすぐに信用してくれるし、戦い慣れていないから戦闘になっても殺しやすい。
「そういうわけでだ。観念してくれ」
呆然としている昴へノルバートが火球を放る。頭めがけて。小さな火の玉は着弾と同時に破裂して頭を吹き飛ばすだろう。
「っ……甘いっつぅの!」
しかし拒絶の大盾がそれを阻む。跳ね返された火球は壁にぶつかって消えた。
「サイハ。アンタは2人を。……こいつらはアタシがやる」
混乱していて目の前のことにもまともに対処できない昴とフォルのことはサイハに任せる。裏切りにあっても平然としているサイハなら攻撃も冷静に対応できるはずだ。
1対3になるが、多人数相手の不利な戦闘なら慣れている。問題ない。1対1を3回繰り返せば勝てる。まずはあのリリムとかいうやつだ。一番小柄だし、そして何より異次元への転送が厄介だ。人をまるごと『片付ける』ことができるなら、リーゼロッテも異次元送りだ。
一番まずいのは、リーゼロッテをすり抜けて昴たちを高台の下に叩き落されることだ。高台の下にひしめいている暴れ牛どもは容赦なく殺しにかかってくるだろう。それを守るためにリーゼロッテも飛び込まなければならないが、暴れ牛の物量に押されて盾はもたない。盾は貫かれなくともそのまま物量で圧迫されて押し潰される。
攻撃のすり抜けがないように戦線を維持しつつ、3人を倒す。武具破壊が狙えるか確証がないので盾でぶん殴って昏倒させるしかないだろう。当たりどころが悪くて死んだら死んだまで。これまでの報いだと思って受け入れてもらおう。
「来いよ。全員やってやるからさ」
「は……っ、偉そうな口叩きやがる」
どんな世界から召喚されたかは知らないが、この世界においてはまるっきり素人。武具を用いた戦闘の経験も知識もこちらが上。負ける要素は無い。粋がっているがすぐに後悔させてやろう。伯珂が構え直した。
昴たちの後ろではボロキアが縄張りを荒らす侵入者へ向けて罵倒するように唸っている。蹄で床を引っ掻き、侵入者を叩きのめすために騒いでいる。――否。
否。これは。侵入者に猛っているというよりも、まるで何かに怯えているような。
「ぁ……っ!!」
ずるりと、影が動いた。




