能ある犲は牙を隠す
「8階はな、闘争の階なんだ」
「というと?」
「ほら、これまで謎解きだったろ?」
これまでは、知恵や知識でふるい落とすための階層だった。知で選別が済んだその次は何で選別するか。『力』だ。
「8階には1本だけ鍵がある。そいつが9階に続く階段への扉を開くことができるんだ」
その鍵は一度しか使えない。一度使えば消滅し、そしてどこかで新しい鍵がまた作られる。
9階に登るためには、8階のどこかにある鍵を見つけ出すところから始めなければならない。便乗は不可能だ。鍵を持っているパーティ以外は扉の前の結界で弾かれてしまう。
なので先に進めるのは1パーティだけ。誰がが進めば状況は鍵探しから。だがしかし。
「……奪うこともアリ……か」
腕を組んだリーゼロッテが納得したように頷く。
お行儀よく手順を踏んで探さずとも、鍵を持っている人間から奪えばいいのだ。だからこその『闘争の層』なのだろう。
「それ故に探索者狩りも出るってな……」
奪い合いのどさくさに紛れて狩る。奪い合いの末に殺してしまうのではなく、最初から殺すため剣を振るう。探索者狩りに襲われた人間は金目のものどころか髪や爪、内臓に至るまですべて奪い尽くされているという。そう伯珂は語る。
「ついさっきも1人やられてるのを見ちまってな……どうやら、どさくさに紛れて活動しているようだ」
スティーブから聞いたものよりもかなり凄惨だ。話を聞くだけで血の気が引いてしまう。
「ま、気ぃつけてりゃいいさ。……そこで提案なんだが」
顔色が悪い昴を安心させるように背中を叩く。広くて大きな手は安心感があった。
「提案?」
「あぁ。一緒に行動しないか?」
伯珂の提案はこうだ。次の階まで護衛してやるから、鍵を見つけたら一緒に扉をくぐらせてくれというものだった。
便乗は不可能だが、『鍵を見つけたパーティ』と認識されれば扉はくぐれる。昴たちが伯珂たちのことを身内と認識しているのなら結界に弾かれずに行けるはずだ。実際、それでいけることを確認している。
それに便乗させてほしい。その代わり、鍵を探すどさくさに紛れて襲ってくるだろう探索者狩りから守ってやる、というのが伯珂の提案だった。
「俺はお前たちに賭けてるんだ。……アレを見つけるような豪運の持ち主なら鍵もすぐ見つかるかもしれないだろ?」
リリムから聞いたぞ、と肘でつついでくる。アレというのは神性琥珀のことだろう。
採掘の技量も低いはずなのに、偶然であんなものを見つけ出した。その豪運なら鍵だってすぐに見つけられるかもしれない。
「鍵はまだ見つかってないそうだからな。……まぁ、誰かが隠し持ってるかもしれんが」
「まぁ……そういうことなら……」
いいんじゃないだろうか。特に異論はない。了承する昴とフォルと、それに賛同するサイハ。提案を受け売れてくれたことに感謝を述べる伯珂とノルバート、喜びの歓声をあげるリリム。それらの光景を目をすがめてリーゼロッテが眺める。
――信用ならない。
8階の仕組みについて嘘は言っていないだろう。だが、そうだとして、なぜ伯珂たちは自力で行かないのか。とある目的のために11階を目前に引き返したと言っていたことから、8階を突破する能も力もあるはずだ。
ここで自分たちに力を貸す理由がない。護衛と言ったが、それはつまり他の探索者をしのぐ実力を持っているということ。そんな力があるなら、鍵を奪って先に進むこともできるはずだ。
ここで力を貸す理由がない。同業者に手を貸すなんて何かの狙いがあるに決まっている。それとも底なしのお人好しだとでもいうのか。
――信用ならない。
***
そしてそのままテントを張って休むことになった。
魔力を注ぐだけで展開する簡易テントの中に男女分かれて入る。他の探索者も思い思いに野宿の準備をし始めた。誰かが焚き火で肉を焼き、あたりにいい香りが漂う。余ったとかで近くのパーティにも配りはじめ、乾いた粘土のような保存食しか持っていなかった探索者が喜んでそれを受け取り、お礼に酒を渡す。それを皮切りにささやかな酒盛りが始まり、陽気な探索者が乱入し、そして全体を巻き込んだ宴に発展した。
「ヒュー! 踊れ踊れ!」
「あぁ!? お前らバルに手ぇ出したらその足の間のモンぶった切るぞ!!」
酔った男が肉焼きの串で石壁を打って音を出し、それに合わせて歌い出す探索者がいて、踊りが上手い者がステップを踏む。ちゃっかりおひねりを投げ入れる箱を用意しているのだから抜け目がない。
「ジュワ・マリーニュです! 宴におすすめの飲み物はいかがですか~!」
ジョーヤ・マリーニャの店からの出張まで来ている。いったいどこから商機を嗅ぎつけてきたのやら。
抜け目のない商人に肩を竦めつつ、昴は宴の喧騒から離れる。中心から少し離れたレストエリアの端で、適当なところに腰掛けているフォルの横に座った。
「大丈夫?」
「えっ! あ、はい……だいじょうぶ、です……」
そう言いつつもフォルの表情は明るくない。表情が暗く見えるのは夜だからではない。
やはり気にしているのか。何気ないサイハの一言がこんな禍根を残してしまったとは。これではサイハも気にしてしまうだろう。リーゼロッテは我関せずを貫いているし、このままではいつかすれ違ったまま瓦解してしまう。
「いえ、考えてるのはそれじゃなくて……えっと…………この塔のことです」
「塔?」
「はい。……あの、毎階、階の始まりに石碑がありますよね?」
曰く。あれはこの塔の真実を断片的に語ったことではないかというのがフォルの見立てだった。
『混ざりあった世界の塔』『すべてが収束した』というくだりは、探索者が様々な世界から召喚されてきたことを意味しているのは間違いない。
昴だってリーゼロッテだってサイハだってそれぞれ別の世界からこの世界に召喚されてきた。
「だからこの文言を集めて、読み解けば真実がわかるんじゃないかって……」
3階と4階にも石碑はあった。メモしていないので内容はうろ覚えだったが、生きるために戦えだとか、祝福は至上の報奨であるだとか、そんな内容だった気がする。
そして各階にあるとするなら、1階や2階の町にもあるのではないか。それを足したとしてもまだ少ないが、でもそれを集めていけば。
「いつかは何かわかるのかなって……きっと、他の探索者さんもやってると思うんですけど……」
こんなことくらいで真実にたどり着けるのなら、他の探索者だってやっているだろう。
だからといってフォルがこれを読み解く意味なんてないとは言わせない。フォルにだからこそ見える何かがあるかもしれない。記憶喪失ゆえに『元の世界』の概念に惑わされない何かが。
「いいと思う。……ちなみにフォルの今までの予想は?」
「えっ?」
材料がほとんどない状態で予想を立てろと言われても。目を瞬かせながらも、うぅん、と唸る。
「この石碑は……きっと、巫女の視点で描かれていると思うんです」
「巫女?」
「はい。塔を司るという巫女の…………」
言いさして、フォルの言葉が止まる。聞き返した昴の語調は、それをまったく知らない人間の聞き返し方だった。
まさか。知らないのか。『塔を司る巫女』の概念を持っていないのか。
フォルの知識や概念は、この世界に召喚された時に付与された後付けの知識しかない。だから何を喋るにもそれに従って話している。この後付けの知識は、探索者同士で認識の齟齬がないようにすべての探索者が一様に持っているものだ。だから昴も知っていると思ったのだが。まさか。
「……知らない……?」
「え、待って俺が知らないだけ? リーゼロッテ、サイハ! ちょっと来てくれないか?」
もしかしたら昴が知らないだけなのかもしれない。そう思って2人を呼ぶ。
ざっと経緯を説明して、巫女の存在を知っているか問う。
「はぁ? 知らねぇよ」
「初耳ね」
2人の返事は否だった。巫女など知らないと。そんなもの、後付けの知識にもどこにもないと。
「じゃぁ……もしかして……」
これはフォルだけが持っている知識。後付けの知識ではない。
それならこれは、喪失された記憶の断片と言えないだろうか。
「そ、それは……そう、なのかも……しれませんけど……」
『何か』を思い出したということなのだろうか。だといいが。素直に喜んでいいのだろうか。
戸惑うフォルに昴が頷く。これは喜ぶべきことだ。そうだ、『フォルは後付けの知識しか持っていない』ということを検証していなかった。ひとつずつ知識を照らし合わせていけば、他にもこういったものがあるかもしれない。
「喜んでるとこ悪いが、それで、巫女って?」
それは喜ばしいことだが、しかしその巫女とはなんだ。詳しく聞こうじゃないか。塔を司ると言っていたが、それならなおさら聞かせてもらわなければ。
問うリーゼロッテに、はい、とフォルが応じる。宴の中心から離れた場所で腰を落ち着け直し、それから話し始める。
「塔の巫女……とは、探索者を塔の頂上に導く人のことです」
実力がある者と認めた探索者の前に現れ、塔の頂上に誘導する。迷宮の解き方を教える者ではないので探索部分は傍観者であるが、目標的な案内役であるという。基本的には時々現れるだけだが、時には同行し寄り添うことがあるという。
「そして、この塔の維持管理を行う精霊たちの長でもあります」
この塔が誰によって維持、管理されているか。それは神の眷属である精霊であり、その精霊を統べる存在が巫女である。
探索者の誘導と塔の維持は別の仕事なので巫女と精霊が直属の上下関係ではないが、権能の強さとしては巫女が勝つ。精霊は巫女に命令することはできないが、巫女は精霊に命令することができる。
「そうして頂上へ導いた探索者を……あれ……?」
言いかけて止まる。探索者を、その続きが出てこない。一番肝心な部分であるはずなのに。
言いよどんだフォルの様子を察してリーゼロッテが首を振る。
思い出せなければ仕方ない。こうしてフォルの記憶とも呼べる部分が出てきただけでも僥倖だ。
「さて、寝ましょうか。今日は疲れたでしょう、色々と」
振り返れば、宴もたけなわ。ちらほら自分のテントに帰る姿も見える。自分たちも寝るべきだ。そうサイハが促す。
「そうですね。おやすみなさい、皆さん」
「おう、おやすみ!」




