とりあえず自己紹介と現状確認からだよね
「とりあえず、さ」
「あ?」
「威嚇しないでくれる? 私たち、『仲間』ってタグ付けされてる以上、対立する意味なんてないでしょう?」
「あ、あのっ、自己紹介、しませんか……?」
何はともあれ自己紹介から。
一番手をいこう、とこの集団の中で唯一の男である彼が手を上げた。
「昴。えぇと……武器は剣で……攻撃役、なのかな」
名前以外の部分は後付けされた知識によるものだが。いつの間にか右手首についていたブレスレットを見やる。戦闘時にはこれが剣に変化し、そしてその剣でもって敵に攻撃を加えていくのが役割である、ということが『当然のこと』として頭の中にある。
不思議なことだ。だがその戸惑いはこの場にいる皆にあるのだろう。それぞれが神妙な顔で互いを見ている。
黒髪黒目で中肉中背、極端に美形でもなければ醜くもない。これといって特徴もないことが逆に特徴的な昴は何がしかの学校の制服らしきものを着ていた。だが、それにまつわる記憶は昴の中から脱落している。新しいデータを保存する容量を確保するために不要なデータを消すように、きれいさっぱり抜け落ちていた。
「んじゃ二番手」
くすんだ青色の長い髪を肩に流し、粗雑という言葉を体現したような雰囲気の女性が昴に続いた。
「リーゼロッテ。アタマの中の妙な知識によりゃ盾役だ」
左手のブレスレットを盾に変えて仲間を守るのだと刷り込まれている。奇妙なことに、この知識は、歩いて喋るのと同じくらい『当たり前のこと』として頭の中にあるのに、『ここに来る際に後付けされた』という自覚があるのだ。
見知らぬ初対面の人間を守れというのか。守るというのは背中に庇うことだ。つまり位置関係上、どうしても背中を見せることになる。信用できるかどうかもわからない相手に背中を見せるのは、他人は蹴落とすものだと信じているリーゼロッテにとって到底受け入れられるものではなかった。
だがやらねばならないのだ。それが自分に与えられた役割なのだから。その役目をこなすことが塔の踏破に必要なことだという理解はあった。了解はしかねるが。
「じゃぁ喋った順でいきましょうか」
三番手、と鮮やかな桜色の髪をひとつにまとめた女性が続けた。リーゼロッテとは対極で、柔和な雰囲気を漂わせている。ほんわかとした髪の色と穏やかな雰囲気から呆けたような間の抜けたような隙のある人物のように思えるが、眼帯で覆われた右目と切れ上がった目尻が隙のなさをうかがわせる。
「サイハ・アイル・プリマヴェーラ。本名は内緒。字で呼んで」
砕く羽と書いてサイハという。この場に居合わせた『仲間』が本当に信用できるかどうかわからないので、本名を隠させてもらおう。ちなみにこの仮名は放浪の途中で立ち寄った先の風習によって与えられたものだ。その地では本名を隠して仮名で呼び合う文化があった。
そういう知識はしっかり残っているのに、どうやってこの場に来たのかが思い出せない。歩いてきた、転移魔法、そのどちらでもない。強いて近いものを挙げるとすれば、『召喚された』。だが誰に、どうやって召喚されたのかが思い出せない。そもそも本当に召喚されたのかどうかすら怪しい。
その答えもおいおいわかってくるのだろうか。ともかく、ここで考えていたって答えは出ないだろう。何もかもが材料不足だ。
「えっと……わたしですね、ごめんなさい、言い出しっぺなのに最後で……」
おどおどと委縮しながら少女が口を開いた。白と見間違うほどの銀の髪と、黄金のような蜂蜜のような透き通った金の目のコントラストが目を引く。見た目だけで考えれば、おそらく彼女が最年少だ。
「フォルといいます。……それで…………あれ……?」
おかしい。名前と『後付けされた知識』以外の記憶も知識もない。『この世界の一般常識』として刷り込まれたもの以外の知識がない。ここにいる前は何をしていたのか記憶がない。『これは後付けである』とはっきり直感できる情報以外、何もないのだ。
「おい、記憶喪失か?」
「たぶん……そうです……」
身を乗り出したリーゼロッテに、そうみたいです、とフォルは眉を下げた。
まったく思い出せない。自分は何者だったのだろう。どこの誰だったのだろう。はっきり言えるのは、フォルにとって昴もリーゼロッテもサイハも馴染みのない名前の響きで、服装であるということだ。
「記憶障害は転移魔法にはまれにみられる症状だけど……それかしらね」
これが転移魔法ならば、だが。サイハの呟きに昴は顔を上げた。今、とんでもない単語が聞こえてきたという表情で。
「転移魔法? 魔法だって?」
思わず繰り返してしまった。だがそれほどまでの衝撃だったのだ。魔法なんてはるか昔、世界を襲った"大崩壊"以降失われたものではないか。
「何を言っているの?」
心底驚いた表情の昴の発言にサイハは目を見開いた。魔法が遺物だなんて何を言っているのか。魔法なんて日常生活で使うくらいありふれたものではないか。現に武具を身につけているわけなのだし。ほら、とポケットの中の銀のプレートを昴に見せるが、不思議そうな表情をされただけだった。
「……おい、何の話だ?」
胡乱気に口を挟んだのはリーゼロッテだ。2人は何の話をしている。魔法とは絵本や物語に登場するおとぎ話だろうに。その口ぶりはまるで魔法が実在していたかのようじゃないか。2人はもしや、ファンタジーと現実を混同するタイプの人間なのだろうか。そんな頭のネジが抜けたような人となりには見えないが。
「待って待って。全員認識がバラバラってどういうこと?」
名前はいい。サイハの知っている知識では、人種や地域によって文化が異なり、名前の響きが異なっていた。名乗る際の形式は共通だが、姓も名も文化圏でまったく違っていた。だから昴だのリーゼロッテだのフォルだの、名前の響きがまったく違うことは違和感なく受け入れられた。
だが、魔法の有無でもめるほど常識が異なっているのはいったいどういうことだ。本来持っている知識でも後付けの知識でも『魔法はありふれたもの』として刻まれている。しかしどうやら昴が言うには魔法は遺物だし、リーゼロッテにいたっては空想上のものだという。
「……どういうことなんでしょう……?」
成り行きを見ていたフォルが首を傾げる。後付けされた知識以外の情報が何ひとつないフォルではこの議論に参加できない。後付けされた知識曰く、魔法は『ある』ものなのだから、存在するのだという認識でいる。
いったいどういうことだろう。わかるのは、お互いの『常識』というものにズレが生じているということだ。そこから推測するならば、全員それぞれ別の世界からこの場に呼び出されたということだろう。それが合っているかは今は判断がつかないが、今はそういう結論でいいだろう。
「これって相当厄介なんじゃ……?」
地域や人種、文化どころか世界が違うなんて。住む地域が違うだけで文化や価値観は大きく異なるのに、世界が違うなんて。そうならば互いの価値観の差はどれくらいあるのだろう。
今こうして話し合えるほど言葉が通じるのが奇跡だ。これでもし言葉が通じなかったらとんでもなかった。そこは、自分たちをこの場所に呼び出した何者かが気を使って言葉が通じるようにしてくれたのかもしれないが。
そこまで考えて、ふと気づく。文字。文字はどうだろう。試しに地面に指で自分の名前を書いてみる。問題なく綴れる。だがこれは本当に自分が知っている文字だろうか。言葉同様に、この世界に呼び出された際にこの世界仕様に差し替えられたのではないだろうか。
否、だろうか、ではない。おそらく『そう』だ。字を書いてみた時にわかった。生まれ育った頃から知っているはずの文字なのに、指が書き慣れていない。自分の名前を書く機会など今まで数えきれないくらいある。だから指に馴染んでいるはず。なのに今地面に書いたそれは、初めて綴るかのように歪だった。
「答えはまた今度……かしらね」
この違和感について考えても回答は出ない。推測はできるがその答え合わせはできない。
どこかで情報収集をしなければならない。そしてそのために最適な場所も後付けされた知識の中にある。今自分たちがいるのは床に紋章が書かれた広場。窓もない石造りの空間からひとつの長い廊下が伸びている。この先に窓口があり、そこで受付を済ませてから準備をして塔を登るのだ。
その窓口でどんな手続きをするのかも、準備とは何の準備かも、そのために行くべき場所もすべて『知っている』。
「はぁ……ともかく、進むか」
お互いの情報のすり合わせをするにもまずは場所を移動しよう。粗雑だろうと椅子があれば、こんな石の地べたよりははるかにましだろう。何をするべきかは頭の中にあるのだし、まずはそれに従おう。でなければ話は進まない。いつまでもここで言い合って時間を浪費すべきではない。
リーゼロッテが立ち上がる。つられて皆も立ち上がった。サイハが先頭を行って廊下へと踏み出す。次に昴が続き、フォルが続き、しんがりをリーゼロッテが歩く。沈黙のまま道を行き、足音だけが響く。
「あの……サイハさんは……こういうの、慣れているんですか?」
「呼び捨てでいいわよ。……そうね、慣れてるっちゃ慣れてるわね」
知らない土地を行くということに関してだけは。放浪を愛する性格上、まったく知らない土地を行くことはよくある。だからこうして先頭を歩いていくことに躊躇がない。ましてや今進んでいるここは『すでに知っている』と頭に刻み込まれている。知っている道を歩くことに何のためらいがあろうか。
フォルの問いにそう答え、サイハは壁を撫でる。床から天井まで、四角い石を積んで作った特徴もない石造り。目地や煉瓦に使われた石に覚えがないか触って確かめてみたが、サイハの知識にはないものだった。知っているか、と昴やリーゼロッテに問うても首を横に振られてしまった。
となると、ここは3人のうち誰かの世界の延長ではなく、まったく新規の世界。ここ、サイハの知る世界、昴の知る世界、リーゼロッテの知る世界、少なくとも4つある。フォルも含めれば5つだ。
「ほんと、あとで絶対困るよなぁ…………あ!」
ぼそりと呟き、そして昴は顔を上げた。廊下の出口が見えたのだ。
やった、出口だ。自然と足が速くなる。見知らぬのに『知っている』と定義された違和感から重い足取りだったのが軽くなる。表情にも明るさが戻ってきた。きっと何とかなるという根拠のない自信がわいてくる。
「よし……行きましょう!」
不安からおどおどとしていたフォルもしっかりとした口調で前を見る。リーゼロッテもまた言葉にしないまでもいくらか安堵した表情をしていた。サイハは旅慣れしているからか、特に表情も態度も変えることなく前を行く。
「さぁて、何が待ち受けているのやら……」




