繁栄と衰退と荒廃。ならば新興はどこだろうか
6階。
――繁栄と衰退と荒廃。ならば新興はどこだろうか。
「……何もねぇな」
5階のように、入り口に石像はない。あれは5階だけの仕組みだということか。
そうだろう、と判じて先に進む。近くに魔物の影はないようだ。だが石壁に反響して音がするのでそのうち魔物と鉢合わせるかもしれない。警戒しつつ歩みを進める。
「私の世界はあぁだけど、そっちはどうなの?」
黙って進むのもつまらないので雑談を。サイハが質問を振る。
この手の話はフォルを仲間外れにしてしまうのであまりしたくはないのだが、と思いつつリーゼロッテが返す。何もない世界だった、と。
「退廃した世界だったな」
生きるか死ぬか。明日どころか1分後すらわからない世界だった。盗みや殺しは当たり前。
ゴミ捨て場から拾った新聞紙の破片を見て文字を覚えた。知識は脅して手に入れた。生きる術を奪い取らなければ命をつなぐことはできなかった。
だからこうして食料も水も物資も豊富で奪い合うことなく、人を出合い頭に殺すこともないこの世界が奇妙だとリーゼロッテが付け足した。
「スラムってことか?」
「あん?」
昴の言葉に首を傾げる。その口ぶりは、スラムという言葉の概念がわからないようだった。
リーゼロッテの態度を訳すに、彼女のいた社会は富めるところと貧したところの区別がないということだろう。
スラムと呼んで区別する必要があるほど貧富の差はなかった。悪い意味で。つまりは世界全体、あるいはリーゼロッテの住む社会が貧困に喘ぐ荒廃したものだったということだ。
「そういうテメェはどうなんだよ」
昴はどうなのだ。話を振られて、うーんと唸る。こういうものはどこから語るべきなのだろう。
話し始める取っ掛かりを探りつつ視線をさまよわせる。サイハが話を聞きつつも武具でマッピングをしているのが見えた。うん、話し始めはここからにしよう。
「魔法はなかったな」
魔法というものは、はるか昔にはあったという伝説のものだ。はるか昔にあった未曾有の災害"大崩壊"以前には存在していたという。
はるかはるか昔。神の時代。魔法というものは神が人に与える奇跡だった。その権能の仕組みを解き明かし、神に助力を請うことで使えるようにした。
しかしその仕組みは複雑すぎて一部の賢者しか扱えなかったため、誰もが使えるようにと改良した。複雑な魔術式を覚えることができないのなら、最初から魔術式を刻み込んだ装置を作ればいい。
そうして装置を作ったことで人は魔法を自在に操れるようになった。神が与える奇跡だったはずのものは誰にでも扱えるものに成り下がってしまった。
「それに怒った神様が人間に罰を与えて魔法を取り上げた……それが"大崩壊"」
どちらかというと史実というよりは神話だ。それを裏付ける遺構はあるものの、歴史の授業でやるべきものではない。
サイハが語るようにありふれたものでもなかったし、リーゼロッテのように完全な虚構の存在でもなかった。
「ふぅん……っと!」
記憶のないフォルは除き、本当に3人ともバラバラなんだなと感嘆を口にしたリーゼロッテがはっとして盾を構える。一瞬遅れて雷撃が盾を打った。
危ないところだった。もう少し反応が遅れていたらと思うと。ふぅ、と安堵の息を吐く。
「サンダーエレメンタル!」
追撃が来る。再充填のために回転し始めたエレメンタルが追撃の雷光を放つよりも先に昴が駆ける。右手のブレスレットに魔力を流して剣を呼び出す。
「"ファルクス"!」
まだ技とも呼べないレベルの拙い剣術だが、それでも的確にサンダーエレメンタルの核を両断する。
がしゃん、と砕けて床に転がったサンダーエレメンタルから結晶片が転がり出る。純結晶ほど純度の高いものではないが、戦利品としていただいておこう。拾って、呼び出した鞄の中へ。
「ちょっと急ぐか」
次が来た。ファイアエレメンタルとアースエレメンタル。ウッドエレメンタルまでやってきた。どれも一撃で倒せるとはいえ、戦っているうちにまた次が来そうな予感がする。ここはいったんレストエリアまで走って振り切りたい。
視線で示し合わせていっせいに駆け出す。その後ろをエレメンタルたちが浮遊しながら追いかけてくる。
「次のレストエリアってどのへんだよ!」
「距離的にはもう少しだけど……」
「適当に曲がるぞ!」
分かれ道だ。どれが正解か知らないがとりあえず右へ。
勘でリーゼロッテが進路を取り、角を曲がる。目の前に緑の石の広場が見えた。
「ラッキー!」
ちょうどいいところにあった。エレメンタルに追いつかれないよう走りつつレストエリアへ駆け込む。
しんがりのサイハが緑の石の線を超えると、エレメンタルは追跡をやめて引き返していった。
「助かった……」
ふぅ、と息を吐く。ここはこれまでのレストエリアと比べて広い。見回せば、他にも休憩をとっている探索者のグループがちらほらといる。思い思いに休憩を取っている探索者たちに、身長よりも大きなリュックサックを背負った人物が話しかけている。おそらくジョーヤ・マリーニャの素材買い取り店からの出張買い取りだろう。
広場の中心には高さの違う3本柱の噴水があり、それぞれの柱の上の穴から水が流れ出している。水は飲めるものらしく、頭に角が生えた探索者が水筒に汲み取っている。
床から一段高くした植え込みにはこんもりと盛り上がるようにベリーが植えられている。摘んで口に入れている探索者がいることからどうやら『嘘つき』ではないようだ。
「ほのぼのしてんなぁ」
代わり映えしない石壁の風景に突如現れた広々とした空間。だからこそ変化が目を引く。ここまで他の探索者と鉢合わせることなく進んできたのでこの光景が余計に印象的だ。
「先を急ぐ人はいないんですね」
皆、焦ることなくのんびりと休憩している。少しでも先に進まねばという焦りは感じない。
この広場の美しい光景がそうさせているのかもしれない。いつ魔物に襲われるかもしれない迷宮の中でこのような明るい空間があったら気を緩めたくもなる。
「わたしたちは先に進みましょう」
休憩の必要があるほど消耗していない。フォルの提案で止めかけていた足を進める。
和やかな雰囲気の広場の喧騒を割ってレストエリアの境界線を越えた。
***
「さぁて、謎解きだ」
道を塞ぐ石の扉の前で立ち止まる。
塔の1階あたりの面積から考えると、これを開けたら7階への扉があるはずだ。
ではこの扉の開け方は何だろうか。
「鍵はこれか」
扉の横の壁がへこんで台座のようになっている。5階と同じく謎を解けば扉が開くはずだ。
台座には3つの溝があり、溝には金属の板が嵌められている。指でスライドさせて動くようになっている金属板は、途中で何度か引っかかってかちかちと音を鳴らす。
「あぁ……もしかして、あれか?」
金属板の長短と何かが対応している。3つ。この階層で3の数字と関連するもの。すぐに思い当たった昴が指を動かして金属板をスライドさせる。
代わり映えしない石壁の中に突如現れた広場。その中央の噴水。その柱の数は3本だった。広場にたどり着いた時に見えた正面からの柱の高低差に合わせて金属板の長短を調節する。
「真ん中が一番高くて……右が短くて……左がその中間……っと」
かち、かち、と長短を合わせると、ぎし、と石の扉が軋んだ。ぎぃぃ、と耳障りな音を立てて開いていく。どうやら合っていたようだ。
「さすが」
「たまたま印象的だったから覚えてただけだよ」
完全に扉が開ききるまで待つわずかな間にリーゼロッテが昴の肩を叩く。
柱の高低と金属板の長短が対応していることにいち早く気付くとは。
「次、7階か」
「こういうのがあるかもしれないから風景とか覚えていかないとな」
サイハがマッピングをしてくれているので流し見してしまっているが、注意深くあたりを観察する必要がありそうだ。特徴的なものは覚えておかないとこの先で詰まるかもしれない。
「わたしがメモしますね」
フォルが手を挙げる。
敵に警戒しつつ先頭を行くリーゼロッテ、現れた魔物を素早く斬り伏せなければいけない昴、マッピングをしているサイハに比べ、フォルの出番はそうない。誰かが怪我をしたら回復するくらいだ。誰も負傷しないのなら出番はなく手持ち無沙汰だ。だったらメモ係を引き受けよう。
ぽん、と鞄を呼び出し、鞄の中から手帳を引き出して鞄をしまう。銀の装飾がされたハードカバーの手帳であるこれもまた武具だ。
"エンキーリディオン"という名の手帳は記入された内容を保存して自在に呼び出す機能を持っている。見た目は薄手の手帳だが、ページは無限大。見返したい内容を思い浮かべながら手帳を開けばそこに望む内容が書かれている。辞書機能も誤字修正機能もある便利な手帳だ。
手帳に挿してあるペンも同様だ。書き味がよく、そしてインクが切れることがないというだけのシンプルな機能だが、これもまた武具である。
「メモしたいことがあったら言ってくださいね!」
ただ歩いているだけしかなかった道中で役に立てそうだ。
気合を入れてペンを握りしめるフォルを微笑ましく思いながら上り階段に足をかけた。




