それは混ざりあった世界の中の塔
5階。
――それは混ざりあった世界の中の塔。
そう刻まれている石碑の周りにはいくつかの石像があった。
鳥を模したもの、魚を模したもの。他には四足歩行の獣や鯨、竜、そして大きな木。
それぞれがばらばらな方向を向いている。揃っていたものを誰かがイタズラして向きをずらしたのではなく、はじめからこういうもののようだ。
奇妙なものだ。そう思いつつ先へと踏み込んだ。5階は何の気配もなく、しんとしている。さっきまで大量のエレメンタルに追いかけ回されていたのが嘘のように静かだ。誰の気配もない。他に5階を探索している探索者はいないのではないかと思うくらいだ。
特に何もないので自然と雑談が口から出る。不意打ちで魔物が襲ってくるかもしれないのでそこは警戒しつつ。
「サイハはほんと物知りだよなぁ」
後付けの知識にない知識をサイハが補足してくれることが多い。さっきのスルタン族のこともそうだ。後付けの知識はあんな種族がいることは教えてくれたが、その詳細について教えてくれなかった。
「基礎的な概念は私の世界と同じなのかしらね」
あのような種族がいること、そして武具が日常的に使われていること。そういったことはサイハの知る世界の概念だ。
記憶のないフォルはともかく、昴の世界ではそんな種族も武具もなかったし、リーゼロッテも同様だ。
「種族ってことはアンタもナントカ族っていうのか?」
「そうね、ベルベニ族よ」
リーゼロッテの素朴な質問にそう返す。
スルタン族は成人でも小さな背丈なのが特徴だが、ベルベニ族は鮮やかな髪の色が特徴なのだと付け足した。
「確かに、きれいな桜色ですよね」
確かにサイハの髪は色鮮やかな桃色だ。特に結うこともなく下ろしたままの長い髪はひらりと風に煽られて流線のように流れる。
見事なものだ。黄緑色の瞳の色と相まって、春のうららかな風を体現したかのようだとも思う。
「ありがとう。褒めても何も出ないわよ」
"放浪者による騎行"で迷宮のマッピングしていたサイハがフォルへ微笑む。どういう地形なのかまだわからないので6階までの道のりを案内する光の点は出せないが、これまでの道はすべて記録した。引き返すとなったら光の点が導いてくれるので戻ることは簡単だろう。
「他にも竜族、キロ族、シャフ族、アレイヴ族がいるわね。ぜんぶで6種族。ヒトを合わせて7ね」
つまりは亜人ということだ。ヒトと異なるヒト。亜人といってもそうヒトと変わらない。多少容姿に特徴があり、固有の文化を持っているくらいだ。
「7?」
なんとも奇妙な一致だと、何気なく昴が呟く。
この世界を構成する属性もまたそんなような数だ。ひときわ特別そうな光と闇の属性を抜いて、火風水土樹雷氷の7つ。
「えぇ。私たちはそれぞれ神を信仰しているから」
風神を信仰する種族であるベルベニ族は自由と奔放を愛する。
知識を重んじるスルタン族は溢れ出るイマジネーションを湧き水にたとえて水神を祀る。
そのように、各属性に対応した神をそれぞれ信仰するのだ。
「まぁ……何故か氷神が欠けているのだけど……」
どうしてだか氷神を祀る種族はいないのだ。
聞いたこともない。よっぽど辺境で閉鎖的な場所にでも住んでいるのか何なのか。
そう話を締めくくり、ふと前を見る。直線に真っすぐ伸びる通路の先に扉があった。
「これは……?」
「ちょうどここが迷宮の半分か?」
町や3階、4階と面積が同じならば、ちょうどここが5階の中央付近だ。
迷宮を前後編と分けるかのように、行き先には重厚な石の扉が立ちふさがっている。
「他に道が?」
「いいえ。おそらくは……見て」
放浪者による騎行、とサイハが呟いて、ずっと手に持っていたプレートを皆に見せる。銀の板にはここまで歩いて探索した地図が浮かび上がっていた。
光の点で軌跡を描いて来た道が示され、線で壁が描かれている。分かれ道で行っていない道もあるが、全体図を想像するにおそらくは行き止まりだろう。つまりこの石の扉がこの先への道だ。
「うーん、開かないなぁ」
昴が試しに押してみるが、扉はびくともしない。
天井まである大きな扉だが、開かないのは扉の重さのせいではないだろう。
何か封印がかかっている。そしてその解錠方法は扉の横の壁にあった。
「これは……謎解きか?」
壁の一部が四角くへこんでおり、作り付けの棚のようになったそこに小さな駒のようなものが7つ並んでいる。
底面に彫った溝と噛み合っていて取り外すことはできない。1つだけ固定されているが、回転させて向きを変えることができるようになっている。
そしてその駒の前には触れると色を変える不思議な石がそれぞれはめこんである。
どうやらこれの謎を解かないと先に進めないようだ。やれやれ、迷路探検と思えば今度は謎解きか。
「この駒、見覚えが……」
じっと駒を見つめていたフォルが呟く。
固定されている蛇の駒を除いて、鳥、魚、獣、鯨、竜、樹。見覚えがある。5階の入り口にあった奇妙な石像だ。
「あの石像の向きに合わせればいいってことか」
成程なぁ、と呟いて昴が駒を回――そうとして、手を止めた。石像があったことは覚えているが向きなど覚えていない。
これはいったん戻って確認しに行くべきか。距離はあるとはいえ道中に魔物もいなかったしすぐに行って帰ってこれるだろうが。二度手間を踏んでいるようで何となく癪だ。
「あ? 像?」
乱雑に髪を掻き上げてリーゼロッテが息を吐く。煙草でも吸っているなら煙を吐き出すかのような息の吐き方だった。
覚えてねぇのかとやや呆れたふうに言ったリーゼロッテが駒に手を伸ばす。
鳥は右を向き、魚は後ろ向き、獣は左、鯨は右、竜は正面を向いて、樹は飛び出した枝が左に来るように。まるで今見てきたかのようにくるくると回す。
「おっ、覚えてるんですか!?」
「覚えてねぇの?」
むしろ覚えていないほうが不思議だと言わんばかりの口調でそう返したリーゼロッテの手元で、かちんと何かが噛み合う音がした。駒がある台座の下からだ。これは正解ゆえに解錠しかかっている音か。
「あとはこっちの石か」
つん、と石をつついてみる。ガラスのような結晶だ。エレメンタルの結晶片に似ている。いや、似ているのではない。触った質感は結晶片そのものだ。
「これをエレメンタルの結晶片だと仮定して……」
つんつん。ひとつの石を何度かつつく。
赤、白、青、茶色、緑、紫、水色。火風水土樹雷氷のエレメンタルと色が一致する。ならやっぱりこれはエレメンタルの結晶片だ。
「問題は、どれがどの色か……だな」
駒の数と色の数は一致している。だったら1つの駒に1色だ。まさか重複はしていまい。とりあえず1駒1色ずつ当てはめていこうじゃないか。
適当に色を当てはめていく。しかし、沈黙。駒の時のように台座の下で何かが作動した音はしない。不正解か。
「……私、これわかるかも」
おそらく。おそらくだが。サイハが手を挙げる。
「これ、たぶん私の世界での亜人と信仰の対比だと思うの」
自由を愛するベルベニ族はしばし渡り鳥に例えられる。
その概念に当てはめていくなら。鳥の駒はベルベニ族を指す。ベルベニ族の象徴は風。風属性の魔物であるウィンドエレメンタルの色は白。つまり鳥の駒の前の石の色は白。
サイハが指を動かすと、鳥の駒の下でほんの小さく歯車が回る音がした。合っている。なら。
「魚は水、獣は雷……」
対応したものに合わせて色を変えていく。色の重複はなさそうだから、最後に余った水色は蛇の駒の前にしておこう。
そうしてすべての色を合わせると、がちりと台座から音がして、扉が軋んだ。
「……あ、開きました!」
ゆっくりと、ひとりでに石の扉が開いていく。どうやら合っていたようだ。
よかった。サイハがいなければ石の色は総当たりになっているところだった。そうなっていたらどれほど時間を浪費することになっていただろうか。
「やるじゃねぇか」
「すっげぇ! ありがとな、サイハ!」
開いた扉の先へリーゼロッテと昴が踏み込んでいく。
扉の先もこれまでの道と変わらず何の気配もない静かな迷路のようだった。気を引き締めて行きましょうね、とフォルが背筋を伸ばて踏み出した。
「……蛇の亜人なんて知らないけど……不思議なものね」
首を傾げつつも扉をくぐる。
世界各地を旅して博識になったつもりでも、知らないことはまだあるのだ。
知識欲を満たすためにももっと旅をしたいなと冒険心を疼かせながら、サイハもまたその先に進んだ。
***
進んだ先もこれまでの道中と大して変わらなかった。魔物の気配もない。やはり自然と雑談が始まってしまう。
「サイハさんは旅をするのが好きだって言ってましたけど……これまでどんなところに?」
興味津々でフォルが問う。記憶がない分色んなことに興味があるのだろう。
そういえば元の世界の話というものはお互いしたことなかった。知識を引用することはあっても、話すことはもっぱらこれからの予定だったり食べた料理の感想だったり、この世界のことだ。
元々自分がいた世界というものをすっかり忘れてしまっていた。そのうち、異世界の概念も消え失せてこの塔の世界を『自分の世界』と言うようになるのだろうか。薄ら恐怖を覚えながら、それを振り払うために言葉を紡ぐ。『自分の世界』を思い出せるように。
「いろいろなところに行ったわね。行けるところはどこでも」
一つの国におさまらず、大陸中を旅した。海を渡ったし、各地の島にも訪れた。立ち入りの許可がある場所はできるだけ立ち寄った。もちろんすべてを踏破できるほど世界は狭くないのでほんの一部だが。
「ざっと主要な国はめぐって……ミリアム諸島はだめだったけどね」
あそこは閉鎖的で、と旅の苦労を語る。外部との接触を断って独自の生活をしているアレイヴ族は旅人を突っぱねる。遭難者でも助けず見捨てるくらい外部と接触したがらない。
どれほど排他的なんだと興味本位で渡航しようとしたのだが、彼女らが住む島が見えてきたところで砂浜から何かが飛んできたのだ。
「何だと思う? コココナッツの殻よ」
ひとの頭ほどもある大きな殻に詰め物をして膠で閉じたものを投射機か何かで沖まで飛ばしてきたのだ。あんなもの直撃したら危険だと泣く泣く引き返す羽目になったのだ。
「結局行けなくて…………死ぬまでに1回は行ってみたかったんだけど」
それが心残りだ。何気なくそう言ってサイハは目を瞬かせる。
どうしてこんな言い方をしたのだろう。
「言葉のあやじゃないか?」
「そうね、そうかも。…………次が見えてきたわね」
先への階段を見つけた。よし、行こう。
時間の流れが歪んでいる迷宮で言うのも何だが、まだそれほど日は低くない。壁に開いている採光窓から見える日の高さから考えるに、むしろ今は昼時だろうか。
この調子で行けば6階、7階は今日中に越えられるかもしれない。そう思いつつ、昴たちは上り階段に足をかけた。




