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途中からイルク王国の王子視点になります。
その後、何とわたしを探すためだけにイルク王国に来たというレオナルド様は、国王陛下に挨拶だけしてすぐさま帰る準備を始めた。小さな応接間で告げられた陛下と殿下は驚きつつも、レオナルド様の探し人が見つかって良かったと安心したようだった。
「それで、優秀なアストレン王国の王子殿下の心を掴んでいたのは、どんな方なんです?」
殿下がその端正な顔に好奇心を隠しきれないように尋ねる。レオナルド様は一度目を瞬かせると、少し笑った。
「そんなに気になりますか?」
「ええ、一人の方を想い続ける所が私とそっくりですので」
おや、これは……側近達の噂、本当だったのね?それにしても殿下の想い人ってどんな方なんだろう、すごく気になるなあ。
部屋の隅で気配を消しつつ会話を聞いていたわたしは、レオナルド様に呼ばれた事で我に返った。
「…リア、こっちにおいで」
うう、この前はレオナルド様の勢いに押されてしまったのと、わたしの昔の事を聞いて衝撃を受けたので何とも思っていなかったけれど、陛下と殿下の前で愛称で呼ばれるのはちょっと……いえ、かなり恥ずかしいわ。
わたしはドキドキする胸を押さえ、ゆっくりと前に出ると丁寧にお辞儀をした。レオナルド様が立ち上がってわたしの腰に手を回す。そしてどこまでも優しい声でわたしを紹介したのだ。
「…顔を上げて。この者が長年探していた私の婚約者、ティアリアです」
言われた通り顔を上げると、案の定怪訝そうな顔をした陛下と殿下が目に入った。
「しかし、その娘は一介の侍女じゃないか。とてもそなたが話していたような娘には見えないが……?」
陛下がそんなはずないだろうと暗に言う。しかしレオナルド様は間違いないと言い切り、ごめんねと言うとわたしの頭の布に手をかけた。
「えっ?………ちょっ!?」
「これが、その証拠です」
「「……なっ!?」」
いきなり布を取り去られて慌てるわたし。そして、そんなわたしを見て驚く陛下と殿下。レオナルド様だけはこの状況を楽しんでいるように見えた。
わたしは涙目になってレオナルド様を少し睨んだ。この髪、あまり見せたくないのよ。学園でされたらしいことに結びついてしまうから。
「……取るなら取ると、先に言ってくださいませ」
「ごめんよリア」
「そんな…ここにいるだなんて……」
陛下は頭に手をやると、沈痛な面持ちになった。
「気づけずにすまなかった。何度も特徴は聞いていたと言うのに……」
「いえ、あ、あの……?」
陛下に謝られてわたしは軽く混乱状態にあった。そんないっぱいいっぱいのわたしはさらに手を引かれて訳が分からなくなっていた。
「そうか、あの時の子は君だったんだな。ずっとお礼がしたいと思っていた。………道を教えてくれて、ハンカチまで貸してくれて、ありがとう」
「え……えっ?」
確かに一度だけ王都に来た時にそんな事があった気もするけれど……少なくとも今混乱している状況では細かい事が全く思い出せない。
混乱のし過ぎで動けなくなってしまったわたしは、手を引かれて殿下の方を向いたまま固まった。白く滑らかな殿下の頬にほんのり赤みがさしていく。そしてその顔が一瞬悲しげにゆがんだ。
「リア」
レオナルド様に空いている手を引かれると、殿下はそっと手を離してくれた。
その後わたしが落ち着きを取り戻している間に陛下とレオナルド様が話し合っていた。結果わたしは表向きには引き抜きにあったという事になったらしい。社交界ではよくあることで、旦那様にもそのように伝えられた。
お姉様にだけは、少しだけ本当の事を言った。
「実は、わたしの家族が見つかったみたいなの」
「まあ、本当?良かったわ」
嬉しそうに、しかし寂しそうに笑ったお姉様に思わず抱きついた。この家で、穏やかに暮らせてこれたのはきっとお姉様のおかげ。学園に行った時もわたしを庇ってくれた。
「どこへ行っても、お姉様はお姉様ですわ」
「…ありがとう、アリアナ」
暫くそのまま抱き合っていた。
☆☆☆☆☆☆
叶わないと知っていた。どう足掻いたところで決して届くはずがなく、そしてあの男の執念深さというのはよく知っていた。だが、それでも──
「もう一度だけ、話がしたい………」
────それは忘れもしない、十歳の頃だった。イルク王国の王子である私は、その時剣術の先生から逃げていた。
手近な部屋に飛び込み、その辺の木箱に潜り込んでやり過ごそうとしたのだが、運悪く……いや、今考えれば運が良かったのかもしれないが、やって来た誰かに鍵をかけられ、閉じ込められてしまったのだ。
そしてそのまま持ち上げられ──
気がついた時には、王宮の喧騒などは全く聞こえず、静かでなんの気配も無いようなところにいたようだ。
流石に焦りだす。このまま見つからなければ、私はどうなるのか?
真っ暗で何も見えない箱の中で迫り来る恐怖に怯えていると、小さな、本当に小さな物音がした。そっと耳をすませると、やがて澄んだ、可愛らしい声が聞こえてきた。
「どうしよう……」
その瞬間、何かを考えるより早く言葉が口をついて出ていた。
「………誰かいるのか?」
ピタっと、微かな物音が止まった。ああ、待って、置いていかないでくれ。私はもう一度声を上げた。
「奥だ、閉じ込められているんだ」
「…………どこ?」
小さなその声にほっと一息つく。きっとまだ信用はされていないだろうが、それでいい。少しでも探してくれるなら、それはこの暗闇に差した一筋の希望の光なのだから。
遠くから物音がする。そして、それに合わせてまたしても声が届いた。
「どこにいるの?」
「こっち……ええと、ここだ」
こっちだと言おうとして、それでは何も伝わらないことに気がつく。結果として、私は入っている箱を叩いて大きめの音を出し、居場所を伝えようと努めた。
そしてそれからどれほど経っただろうか。
「ねえ、ここにいるの?」
すぐ近くで聞こえたその声と共に、私の入っている箱が叩かれる。すぐさま叩き返した。
「ああ、それだ。頼む、開けてくれ」
ガサゴソと何かをいじる音が続いた後、ギィィ、という音と共にゆっくりと蓋が開けられた。そしてその奥に誰かのシルエットがぼんやりとして見えた。
「大丈夫………ですか?」
「ああ、ありがとう」
薄暗かったとはいえ、ずっと真っ暗な場所にいたせいで視界がぼんやりする。かろうじて見えた伸ばされた手を取って、私は立ち上がり、やっとのことで箱を出ることが出来た。
ようやく視界がはっきりしだして、私は助けてくれた女の子の方に顔を向けた。途端に目を見開く。
彼女は私より一回り小さく、私を見上げて驚きの表情を浮かべていた。がしかし、私を驚かせたのはそこではなく………
驚きに見開かれた瞳、そして本来であれば美しいであろうその髪、そのどちらにも、宗教的に忌み色とされる青が入っていたからだ。
その色を持つ子は”忌み子”とされ、不運、災害など悪いことの象徴とされているが………
「あ、あの、ごめんな…さいっ。まさかこんなに、大きい人だと、は、思って、ませんでした……」
今にも消え入りそうな声に、はっと彼女を見る。そこには泣き出しそうなほど瞳を潤ませ、ぎゅっと手を握りしめる女の子。それに、私を助けてくれたじゃないか。不運と言うより、むしろ幸運を運ぶ天使だ。
「いや……こちらこそ怖がらせてすまなかった。それと助けてくれたこと、感謝する」
「………っ、良かった……」
それまで握りしめていた手を胸の前で合わせ、彼女は安心したように微笑んだ。そして私を見て何かに気がついたように口を開けると、ハンカチを差し出してきた。
「あの……顔に、汚れがついているので……」
このハンカチで、拭った方がいいと。幼子の好意を無下にはできない。受け取って見ると、まだ新品同様で真っ白かった。
「しかし…使ってもいいのか?」
「はい。家に持って帰っても、すぐ失くすか汚れるかですから」
ああ、つまりそういうことなのだ、と分かった。この娘は、どこかは知らないがその家で疎まれているのだと。彼女自身は、こんなにも優しいのに。
だというのに彼女は笑っていた。聞けば、今だけは妹でいられるから、と。
「妹……?」
「今日は、お姉様と一緒に………あっ、そうだったわ!お姉様の所へ行かないと!」
「……途中まで、一緒にいいか?」
気がつけばそんなことを言っていた。あっと思う間もなく了承した彼女について、私はやっと大通りに出た。
というか、ここは王都だったのか。帰ったら相当怒られるんだろうな……
「あの、そちらに騎士様がいらっしゃるので、そこまででも良いですか……?」
「構わない」
少女の言う通り歩いていくとすぐに騎士を見つけた。私を見た騎士が慌てて駆け寄ってくる。
「で、殿下……!よくぞご無事で!……おい、いらっしゃったぞ!」
騎士が大声を上げ、改めて少女に礼を言おうと思った時には、もう既にそこにはいなかった。すぐに辺りを見回せば、少し離れたところに青い髪が揺れた。
「お姉様……!……………っ」
「…………、………」
彼女の姉の姿は見えなかったが、辛うじて一言だけ聞こえた。
──アリアナ、良かった──と。
☆☆☆
数年が経ち、私も父上のように様々な王族としての義務を果たしてきた。視察や外交、社交など。だが、一つだけ果たしていないものがあった。
それは、隣国の王子との約束。十年前にいなくなってしまったという、彼の婚約者について。
何度も手紙を交わすうちに、彼の想いは痛いほど伝わってきた。父上からも賞賛される彼の行いは、その想いに基づくものであると彼本人から聞いて知っていた。そして、その婚約者の容貌についても。
初めて聞いた時は、何の心当たりもなく知らないとだけ返した。しかし、その後自室で独り考えていたところ、ふと思い出した人物に私はそんなまさか、と呟いてしまった。
それは忘れもしないあの日、あの時出会った、”幸運を運ぶ天使”、アリアナ。王都で私を助けてくれた、青髪、青瞳の心優しい少女。
何度も思い出してはあの笑顔を心に刻み、定期的に調べては助けようとしていた。青は忌み色、ただそれだけで彼女は虐められてしまう。それを和らげようと、ここ数年はかなり尽力したのだが……
ああそうか、彼女は、彼女が、噂の婚約者だというのか。あんな環境にいて、それでも前を向いて笑う強いアリアナは、隣国の王子の婚約者……
それに気がついた瞬間に湧き上がった想いに、自分でも驚く。アリアナを渡したくないだなんて……元々、彼の婚約者なのに……
とりあえず彼に手紙を書こうと机に向かうも、どうしてもペンが進まない。伝えないといけないのに、心が全て拒否してしまう。
その日は散々悩み、彼と自分の想いの狭間で苦しみ、出した結論は……
『私が探しているのは”アリアナ”で、彼の婚約者は”ティアリア”である』という一点。これを理由に私は彼にこの事を伝えなかった。
こんなもの、彼女が名前を変えていれば何の理由にもならないというのに、私はそれに縋った。だが頭ではきちんと理解していた。そんな都合のいいことがあるわけがない、二人は同一人物だと。
つまり私は、気がついた時にはもう取り返しがつかないほど、確実に失恋すると分かっているアリアナに対して、どうしようもなく恋い焦がれていたのだ。
☆☆☆
「それで、優秀なアストレン王国の王子殿下の心を掴んでいたのは、どんな方なんです?」
ああ、私はどうしてこんなことを言っているのだろう。彼がここにいて、見つけたと言ったのだから、私に勝ち目はない。いや、元からそんなものはなかったというのに。
こんな醜い感情を隠して聞いた質問に、彼は心の底から安心したような笑みを浮かべた。ああ、そんな所まで彼女と似ているなんて。
「そんなに気になりますか?」
「ええ、一人の方を想い続ける所が私とそっくりですので」
でもまさか、その相手まで一緒だとは思わないでしょう。私が七年かけても見つけられなかったアリアナを、彼はいとも簡単に──たった一日で──見つけてみせたのだ。その想いの強さは比べようがない。
そんなことを考えていると、彼は部屋の隅に立っていた侍女を呼んだ。
「…リア、こっちにおいで」
なぜ愛称で……いや、このタイミング、まさか……っ!?
丁寧にお辞儀をしたその侍女に、彼がそっと寄り添った。
「…顔を上げて。この者が長年探していた私の婚約者、ティアリアです」
言われた通り顔を上げた彼女には、七年前の彼女の面影が残っていて。彼女、アリアナに会えた喜びと、こんなに近くにいたのに気づけなかった自分への失望で、私は何も言えず固まってしまった。
その隙に父上が彼らに疑いの目を向ける。
「しかし、その娘は一介の侍女じゃないか。とてもそなたが話していたような娘には見えないが……?」
「いいえ、間違いありません」
彼が間違うはずがない。しかし彼は何を思ったかアリアナの頭の布に手をかけた。
「えっ?………ちょっ!?」
「これが、その証拠です」
「「……なっ!?」」
慌てたアリアナも可愛いけれど、彼のその行動に驚きが隠せなかった。何せアリアナはその青髪で虐められていたから隠していたのだろうに、それを遠慮なく取り去るなど、私なら絶対にしないのに。
案の定アリアナは瞳を潤ませて彼を睨んでいたが……あれは逆効果だろうな。彼の顔がどんどん緩んでいっている。
「……取るなら取ると、先に言ってくださいませ」
「ごめんよリア」
「そんな…ここにいるだなんて……」
それでも優しい彼女は許してしまう。そんな二人を見て、父上は呆然としていた。
そして気を取り直すと彼らに謝罪を述べた。
「気づけずにすまなかった。何度も特徴は聞いていたと言うのに……」
「いえ、あ、あの……?」
一国の王に謝られるという滅多にない機会、アリアナは彼と違って落ち着かないようだった。しかしきっとこれが最後の機会。私はそっとアリアナの手を取った。
「そうか、あの時の子は君だったんだな。ずっとお礼がしたいと思っていた。………道を教えてくれて、ハンカチまで貸してくれて、ありがとう」
「え……えっ?」
さらに混乱させてしまった申し訳なさは、その結果によって吹き飛ばされた。そう、アリアナは私を見たまま固まったのだ。
その頬に触れたい、ずっとその瞳に私を映していて欲しい、アリアナを抱きしめたい。でもそれは、決して叶うことのない願い。それに……彼女にはもう、彼女専用の騎士がいるのだから。
「リア」
ほら、今だって。彼女に害をなすようなものからは、このとんでもなく拗らせた彼女の騎士が彼女を守り通すのだ。
だけどこれだけは譲れない。
──きっと、幸せになれよ、愛しの天使。