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白い紫陽花 まとめ  作者: 有馬裕太
3/6

彼岸花 まとめ1

今回は命を大きなテーマとして掲げています。特に人の死について深く考えられるような作品にしました。

新しい登場人物と主人公である寛、さらに真心の心境にかなりの変化があります。それは本縁よ呼んでいただくとありがたいです。


彼岸花


ヒガンバナ科ヒガンバナ属

開花期 7月から10月

花言葉 情熱、悲しい思い出、また会う日をたのしみに


俄雨。ゴールデンウィークの中頃の梅雨前、気分も天気も何かはっきりしない。五月病が流行りだす時期。天気もこんなだと流石に気が落ち込むのもわかる。ただでさえ新しい環境でストレスが溜まっているこの時期に雨ばかりだと辛い。アメリカなどでは9月スタートのことが多いらしいがそうしたら五月病のような症状は出なくなるのだろうか。そうなったらなったで十月病が流行りそうだが。この時期は愛と父さん以外は元気がない。他はもれなく偏頭痛持ちだからだ。低気圧が来たり、台風が来るとどうも頭が痛くなる。一番ひどいのは真心で3日間は苦しむ。ひどい頭痛と吐き気が襲って起き上がることも困難になる。自分はそこまでひどい方ではないがどことなく体がだるい。頭痛薬を飲んでようやく行動できる。偏頭痛はストレスがかかる環境下に長い間置かれたり、遺伝だったりで発症するらしい。母さんと真心は後者で、自分はおそらく前者。光や音、匂いで症状がひどくなったりもする。最近では天気と偏頭痛は関係ないという説が有力らしいが痛いもんは痛い。今日も日本海側で大きな低気圧があるため絶賛偏頭痛中だ。幸いにも土曜日だったため仕事場には迷惑はかけずに済むし、真心の面倒が見ることができる。

「真心、大丈夫?」

骨折の痛み止めのためにもらった薬を服用して、一番心配な真心のところに向かった。カーテンは閉めきっていて、光が入らないようにしていた。真心の看病は主に自分がする。父さんは忙しくて看れない、元看護師の母さんも偏頭痛持ちのためあまり体調は良くはない、愛は少し声が高くて頭に響くらしい。あと、少し雑。消去法で自分しかいなくなるわけだ。まあ、料理も作れるし、力もあるからある意味適任ではある。

「大丈夫じゃない。」

真心から返答があり、ベットの横に着く。持ってきた頭痛薬と水を飲ませて、少しだけ体を起こす。

「吐き気はない?」

「まだ大丈夫。汗かいて気持ち悪い。体拭きたい。」

要望に応えるため、タオルとぬるま湯、それと着替えを用意する。骨折して1週間、かなりこの生活にも慣れてきた。まだ不便なところがあるとすれば、物を支えられないことくらい。ものを安定して支えるためには左手の助けが必要だと骨折して知った。骨折している左腕にタオルと着替えをかけ、右腕に桶に入れたぬるま湯を持った。部屋に戻ると真心はまだ服を着ていた。

「どうしたの服脱がないと体拭くことできないじゃん。」

顔を赤くして、脱ぐのをためらっている。

「熱でもあるの?触った感じはないけど?」

「違う。恥ずかしいから自分でやる。」

あぁ、そういうこと。なるほどね。

「そうか。なら外で待ってるから、終わったら呼んで。」

そういって自分は部屋から出た。一応家族なんだから別に恥ずかしがらなくてじゃんと思っていたが、母さんいわくそれとこれとは訳が違うらしい。だから、あんたは2人以外にモテないんだよと笑われた。別に自分は真心と愛がいればいいのでノーダメージだ。

「終わった。」

扉の近くで真心が声をかけてきた。今回はあまり酷くはないみたいだ。立って動けてる。まだ足元は少しふらついているが。

「何か食べる?」

「食べる。」

真心を器用におぶって1階のソファーに座らせる。流石に骨折した状態で包丁を持つのは危険なので冷凍保存したご飯を解凍して沸騰したお湯の中に入れ、卵を回し入れて簡単なタマゴ粥を作った。体調の悪い時はただのおかゆより、卵を入れたほうが栄養価が高く、体にいい。あとは、梅干しと少しの塩。簡単なので10分くらいでできた。

「できたよ。自分で食べれる?」

「食べさせてほしい。」

真心は2人の時と、体調が悪い時はいつも以上に大胆になる。いつもだと何も言わずに、他の人から見ればクールでミステリアスな女性に見える。仕事もできるし、行動も早い。だが、そう見えるのは一生懸命で我慢しているだけ。愛がいればお姉ちゃんとして、会社では上司としての役職に忠実に従っているだけ。自分と2人の時は我慢の制限が切れてだいたいこうなる。真心は愛にバレていないと思っているらしいが正直我慢しているのがバレバレのため近い人には気づかれている。頑張って我慢している姿が可愛いと真心の部下の中では癒しの対象になっているらしい。自分が月に一度出勤すると真心の部下から色々と話を聞く。真心の仕事は父さんのマネイジメントとモデル。うちのブランドの服はほとんどうちの社員がモデルを務める。モデルさんのスケジュールを気にすることないし、内部の人間がやることでコスト削減にもなる。後、世にいるモデルの人はあまりにもスタイル、ルックスが良すぎて服を買うときの参考にならない。一般の会社員が着ることで親近感を持ってもらう。うちのブランドでは最初はモデルとして雇うわけではないが、自分が目をつけた人にだけモデルの仕事も併用して行ってもらっている。もちろんモデルの仕事が増える分、普段の業務は減らして、給料も上げている。真心はスタイルもルックスもいいのでモデルには適任である。無口でミステリアスな雰囲気があるためかなかなか好評だ。たまに自分が顔を出すと笑顔を見せることがあり、それが撮影現場ではえらく好評で、撮影の邪魔にならないように真心の部下も後ろからスマホで真心のことを撮っている。

茶碗一杯のタマゴ粥をフゥフゥと冷やし、真心の口に運ぶ。体調が悪いにも関わらず、今できる全力の笑顔で自分に応えてくれる。半分ほどを食べ終わった頃に食べ物の匂いを嗅ぎつけた母さんが姿を現した。

「美味しそうね。私も食べたい。」

「だったら作るから少し待ってて。真心、はい。」

少し浮かない顔をしていていた。

「大丈夫だよ。もう自分で食べられる。」

真心は自分で食べ始めた。真心の気持ちを察した自分は真心の頭を撫でたあと、母さんの近くに行った。すると母さんが小声で、

「なんか邪魔しちゃった?」

「そうだね。真心が人前で甘えられないの知ってるくせに。」

「悪いことしちゃったわね。」

「いいよ。作るからそこに座ってて。」

母さんは少しシュンッとしていた。母さんも真心の性格はわかっているため、少し反省しているのだろう。まあ、食べ物を出せばある程度機嫌がなおるので問題ない。真心も家族なんだから気を使うこともないのにとは思うが自分にしか見せない顔があることに少しだけ優越感を感じることもある。

「できたよ。暑いから気をつけて食べて。」

母さんの分のタマゴ粥を作り終えて、母さんの前に提供する。

「私は食べさせてくれないのね。」

「母さんそこまで体調悪くないでしょ。自分で食べれる人は食べるの。」

母さんの相手を少しだけして真心の元に向かった。真心はもうすでに食べ終わっており、ソファーの前に体育座りして毛布に包まっていた。

「食べ終わった?」

「うん。美味しかった。ありがとう。」

「よかった。少しは楽になった?」

「うん。薬も効いてきて眠たくなってきた。」

確かに真心は少しウトウトし始めていた。ご飯を食べて体温が上がってきたのと、偏頭痛の薬の影響で眠たくなってきたのだろう。

「じゃあまた連れて行くから、後ろに乗って。」

真心の体温を背中に感じながら母さんの方を見た。

「器用に担ぐのね。左手使えないのに。」

「真心が軽いからね。しっかりと自分に体重をかけてくれて安定するから。」

「そう。真心、今日一日寛にしっかりと甘えて、元気になりなね。」

自分の肩の上にある顔の温度が上がった気がした。赤くなっているのだろうか。返事はなかったがさっきよりも腕の力が強くなった。

「じゃあ、寝よっか。」

真心は頷いた。母さんは熱々言いながらタマゴ粥を食べている。少し楽しそうだった。

真心をベットに寝かせ、近くに座る。真心からのお願いでしばらく手を繋いでいた。両手が使えないのでしばらく何もできなかった。真心が寝始めると手を離し、片付けをしに下に降りた。しかし、片付けは母さんがすでにしていた。

「片付けはしておいたよ。怪我人だし、真心にさっきは悪いことしちゃったから。ほらあんたはさっさと真心の部屋に行って面倒見なさい。」

「ありがと。助かったよ。」

洗い物も片手でできることは限られている。真心や愛も手伝ってくれている。自分が骨折して一番負担をかけてしまっているのは母さんだろう。仕事に影響が出てないのが唯一の救いだが明らかに疲れが見える。母さんには感謝しかない。

「怪我人は変な気を使わずにさっさと怪我を治すの。せっかくの休みなんだからこれからのためにいっぱい休みなさい。」

自分が考えていたことを見透かすように母さんは言ってきた。顔にでも出てたのかな。

「そうだね。じゃあ真心のとこ行くわ。」

リビングを後にして、真心の部屋に戻った。真心は壁に背を向け丸まって寝ていた。真心のそばに座り、再び手を握り直した。自分の手を握る力が強くなった。

「おかえり。」

「起きてたか。」

「寝たと思ったらすぐにどこか行っちゃうから。」

手を繋いだまま真心は体を起こして自分の前に座った。

「Tシャツきてくれてるんだね。これはお父さんのやつかな。」

「せっかくおみあげで買ってきてもらったしね。もらった時は驚いたけど。」

このTシャツは真心たちが父さんについていったヨーロッパでのおみあげだ。3人ともいわゆる『I Love Tシャツ』というやつで地名は違ったが、ものの見事にかぶっていた。3人とも相手が何を買っているかわからない状況だったらしく、自分にお土産をあげるときに家族全員で笑った。

「面白かったよね。まさかだった。」

「とてもファッションの仕事している人間とは思えないセンスだったよ。3人とも本当仲良いよね。」

「ここまでくると少し怖いけどね。」

真心との時間はいつもゆっくり流れる感じがする。真心の声のトーンとか、雰囲気がそうさせるのかもしれない。みんなで笑いあって少しうるさくしてしまうのも自分は好きだが、この静かな感じも好きだ。真心と自分にしか作れない空間で、他の人とはこうはならない。真心が自分の足の間にちょこんと座る。

「左手、さわれない。」

「折れてるからね。」

「早く治してね。」

「わかったよ。頑張るね。」

真心は手が好きらしい。手を繋いだり、手のひらに文字を書いたり。自分の近くにいる時は常に触ってくる。大きくて、暖かくて、包まれている感じで安心するらしい。こうして話している最中もずっと触っている。そうしているうちに再び真心はウトウトし始めた・

「眠たくなってきた?今日は午後から病院に行かなきゃいけないからあまり無理しないでね。」

「ギリギリまでこうしてる。もし眠ちゃっても時間までは一緒にいて。」

「わかった。じゃあ後1時間だけね。」

そういうと真心は体も向きを変えて自分の肩に顔をのせた。優しい香りが鼻腔をくすぐる。落ち着く。

1時間はすぐにたってしまい、いつの間にか真心は寝てしまっていた。そのまま真心を布団に優しく寝かせた。自室に戻って、服を着替えた。


母さんに真心のことをお願いし、小雨の中傘をさし病院へ向かった。ゴールデンウィーク中だが病院にはそんなこと関係ない。ゴールデンウィークだからこそ忙しいと日向さんが言っていた。連休にテンションの上がった子供がよく怪我押して運ばれてくるらしい。病院に着くとある男の子が話しかけて来た。

「お久しぶりです。花屋さんはまだですか?」

この子は黒井隼人君。よく花屋に買いに来てくれる常連さんだ。この病院に同級生の女の子が入院しているらしく学校終わりや週末によくお見舞いに来ている。毎回花屋によって一輪だけ花を買っていく。

「手がこの通りだからね。でも結さんが来週には再開するって言ってたよ。」

「困るんだよね。早くしてくれないとさ。せっかく便利だったから。」

「ごめんごめん。早く治すよ。」

花屋を開店させてからずっと来てくれているのでかなり仲がいい。年頃の男の子でもあるので、少しからかうにはちょうどいい。しっかりした子なので他の人の迷惑になることはないし、たまに手伝ってくれる。

「今日もお見舞い?」

「そうだよ。せっかくの休みだから長く話せるしね。」

「えらいな。せっかくのゴールデンウィークなのに、遊ばなくていいのか?」

「いいだろ。こっちのほうが楽しいんだよ。」

律儀で真っ直ぐなところもこの子の良いところだ。後、考えていることがよく顔に出るともからかいがいがある。

「そうだ今度からさここの病院で授業することになったんだけどこない?」

「授業なんかできるのかよ。」

「こう見えても大学でちゃんと勉強して教員免許取ってるんだから。」

「でも今はここで働いていると。」

「それは言わないでくれよ。」

そうこう話しているうちに自分の診察する順番になった。隼人君と別れ、彼は女の子の待つ病室にスキップで向かった。

診察が終わり、経過は良好みたいだ。でもまだ無理はしないようにと言うことだった。帰りに日向さんと鉢合わせした。

「寛くん、この後いいかな?」

「少しなら構いません。真心のあまり体調が良くないので早く帰ってあげたいので。」

「そうだね。今日みたいな日は辛いかもね。」

母さんが日向さんによく相談しているからか、日向さんはうちの健康事情にも詳しい。とは言っても、病弱なのは自分と真心くらい。他の3人は少しうるさいくらい元気だ。愛に至っては風邪をひいたところを見たことがないくらいだ。センチメンタルな自分と元々体が少し弱い真心だけがよく病院にお世話になっている。

「10分くらいで済むから良いかな?時間は取らせないよ。」

「わかりました。」

2人で最上階にある医院長室に向かった。途中でいろいろな人から声をかけられた。自分の存在が病院内に浸透していることが少し嬉しかった。まあ、あんな大きな事故起こして入れば、嫌でも耳に入ってくるだろう。

医院長室に入り、出迎えてくれた佐藤さんの不敵な笑顔に少しゾッとした。自分が猫舌であっついものが飲めないのを知っているくせにぐつぐつ煮えたぎっているようなコーヒーを用意してくれた。嫌がらせなのかな。

「で話ってなんですか?」

「今度から病院内でしてもらうことの確認と理由だよ。まだ話してなかっただろ。君を結に進めて身近において置きたかった理由だよ。」

「そうですね。あの時はあまり時間がありませんでしたし。」

「これから寛くんにはこの病院で授業をしてもらいたいと思っているんだ。ここには本来学校に通わなきゃいけない子も多いし、この子たちの将来のためにもね。一番は学校っていう雰囲気を少しでも体感してもらいたくってね。学年も年齢も違うけど道徳とか君の得意な分野だったらみんなでまとまって一緒に勉強できるだろ。各教科の勉強は他の医師も積極的に参加させるから。」

「他の教科はおそらくですけど他の先生方にはかないませんよ。自分で言うのもなんですが勉強自体あまり得意ではなかったですし、大学で主に学んでいたのは教え方でしたから。英語や数学なんてもうほとんど残ってません。」

こっちは文系の教育学部であっちは理系の医学部。優劣をつけるわけではないが一般的には医学部の人の方が優秀だという認識がある。医学部はかなり勉強をしなければ入ることすら難しい。教員免許と違って単位を取ればもらえる資格とは違い国家試験もある。勉強と言う面であれば自分はかわないだろう。

「その教え方が大事なんじゃないか。僕たち医者はどちらかと言うと勉強ができた人だからできない人のことをわかってやれない。君はおそらく僕らと一緒なんだろうけどわからない人のこともわかってやれる。君は人に対しての理解が普通じゃないからね。」

「わかりました。高校生レベルはさすがに無理なのでお願いすることになるかもしれませんが。」

「そこは大丈夫だよ。うちにいる子たちは自分で勉強できる子たちだから。君には主に内面的なものをお願いするから。学校の雰囲気作りだけで良いから。そうしても、今のうちに体験させてあげたい子がいてね。」

日向さんの顔が少し悲しげになった。

「うちにね、白血病で入院している子がいてね。実はその子に頼まれたんだ。その子中学校に入ってから学校に行けてなくてね。学校自体好きで成績も優秀で学校に行けなくなった今でも自主的によく勉強している子なんだよ。どうしても叶えてあげたくて君に頼んだんだ。」

話している最中も日向さんはあまり浮かない顔だった。自分的にはもうすでに了承しているのに。表情から読み取るにその子の状態を自分は察した。

「わかりました。でもその子のことは自分には教えないでください。その子ばかり気になってしまうので。学校なら平等に接したいですしね。」

「君のそう言うところは尊敬するよ。でも君ならみたらわかってしまうとは思うけど。とりあえず頼むよ。どうしても叶えてあげたいんだ。」

最後に手を握られて頼まれた。その手の力はかなり強かったが、暖かかった。帰る準備をしていると、

「あら、コーヒー飲まなかったのね。」

「自分が猫舌なのを知っていて、熱いのを出したからですよ。とてもじゃないですがあの温度は飲めません。」

「そうなら今度からアイスコーヒーにするわね。」

「もしそうなったとしても、あなたなら真冬にキンキンに冷えたのを出しそうですけど。」

会話中、終始ニヤニヤしていた佐藤さん。何か楽しんでいるようにも思えたが、自分にとってはいい迷惑なのでできればやめて欲しい。

「随分と佐藤君と仲がいいんだね。」

日向さんにはそう写っているみたいだが、おそらく両者とも何かあった時のために牽制し合っているだけ。佐藤さんと自分は似ているところが多々あるからこそ、怖さをお互いに知っている。また、お互いに利用できるとも思っているからだろう。前回の一件で自分には利用価値があるのだと佐藤さんは思ったのだろう。認めてもらっていることは少し嬉しかったが少し距離が近い。できればもう少し自分としては佐藤さんのことを見定めたいところだがこうも距離が近いと調子が狂う。

「では、またよろしくお願いします。今度は愛を連れて来ます。愛の卒論も終わりそうなので。」

「今時期にもう終わるのかい?随分優秀な子だね。」

「愛は自分とは比べ物にならないくらい優秀ですよ。基本的に成績を落とすこともなかったですし、就職先はもうすでにうちで働くことが決まってますから。就活も必要ありません。2年時にはすでにほとんどの単位取ってしまってましたから、学校に行く必要もありませんからね。」

「そうか。会うのが楽しみだね。君と佐々木さんにはよく会うけどそのほかは会ったことなかったからね。」

「そうですね。では予定を合わせてなるべく早く挨拶に向かいます。」

もうすでに結さんには挨拶は済ませたがお父さんにはまだだった。結さんとも問題なく話せていたから少し安心した。一家の中で最も社交的で人に好かれる愛だが、自分が関わると少し当たりが強くなる。結さんがあらかじめ自分たちの関係を知っていたからなのか、今回はそれがなかった。愛はおそらく家の中で一番頭がいい。いろいろなところに目がいき、気付き、解決する力が高い。対人は少し苦手のようだが計算高いところがある。昔、愛が話していた。『社交的なのはその方が生きやすいから。人に好かれるのははっきりしているから。その方が味方が増えてお得でしょ。』と言っていた。

「楽しみにしてるよ。予定が決まったら連絡くれるかい。」

「わかりました。ではここらへんで失礼します。」

そうこう話しているうちにすでに30分が経っていた。少し急ぎ目に医院長室を後にしようとしたが佐藤さんに止められた。

「かなり急いでるみたいね。そのくらい心配なのかしら。偏頭痛なんでしょ。」

先ほどまでの少しおちゃらけていた佐藤さんとは違い、威圧感を前面に出して話しかけて来た。

「心配ですよ。大切な人ですから。」

「そう。あなたは2人のためにどこまでできるのでしょうね。」

「愚問ですね。前も話しましたけどどんなこともしますよ。あの2人のためなら。それはあなたも同じでしょ。あなたたちの関係性はいまいちわかっていませんけど。」

「そうね。気になっただけよ。別に深い意味はないわ。ただ結ちゃんのことならどこまでしてもらえるのかなってね。」

「そうですね。自分が助けられるのも限度がありますから。それは真心と愛のためのものです。ただ自分の手の届く範囲だったらなんとかするとは思います。結さんも自分にとって大切な繋がりですから。もちろんその中でも優先順位はあります。」

「そう。優しいのね。ならこれからもよろしくね。結ちゃんのこと近くで見守ってあげて。それと真心ちゃんにお大事にって。」

「もちろんそのつもりです。では。」

佐藤さんに少し足止めをくらったが、予定よりも早く家に着くことができた。真心もまだ寝ているみたいだった。

家では来週に迫った新人のための講習の準備をしなければならない。月一だけの出社だが与えられる仕事のほとんどが入社一年目の社員の教育係だ。まあ、自分が採用した人たちなので自分で責任を持って教育しなければならない。とは言っても全体の説明が終わってしまえば、後は各部署に丸投げなのでさほど大変じゃない。たまに例外としてモデルの仕事をしてもらいたいと思う子は真心に見てもらう。今年はその例外がいる。その方が自分に近いところで見ることもできるし、真心経由で詳しいことも知れる。もともとモデルになりたくてこの会社に入っているわけではないのであまり強制はしないようにしている。

仕事の準備をしていると、真心が起きて来た。

「頭痛は大丈夫?」

自分の顔を見て少しうなずく。自分が仕事をしているのを見て、邪魔をしないようにしているようだが、逆に気になってしょうがない。こうなったらもう仕事は手につかなくなるので、さっさと切り上げて真心にかまう。そろそろ愛が帰ってくる時間なので、真心に構うことのできる時間は短い。膝に頭を置いて、手をいじる。いつもならもう片方の手で頭を撫でるのだが折れているためそれはできない。たまに頬を摘んだりしていちゃつく。この時に見せる満面の笑みがたまらなく好き。

「ただいまぁ。」

少し幼い感じの大きな声が玄関から聞こえた。愛が帰って来たみたいだ。真心はそれを聞いて、すぐに起き上がろうとしたが、自分はそれを力尽くで抑えた。真心はもがいているが、真心くらいの力なら片手で抑えることくらい問題なくできる。すると、後ろから愛が抱きついて来た。

「あれ、お姉ちゃんいたの。いいなぁ。」

「今日頭痛で辛かったからもう少しこのままにしておこうかなった思ってね。」

真心は自分の手を掴んだまま顔を隠していた。見た目からも、温度からも赤面しているのがわかった。愛と顔を合わせた後で、愛は自分の部屋に戻った。

「そんなに恥ずかしいものか?もういい加減見られても平気じゃない?」

真心は首を横に振り答えた。

「そっか。じゃあ慣れてもらわなきゃいけないね。これから、長い間一緒にいるわけだから。」

そう言って自分は顔を隠していた手をどけ頭の下に手を置き顔にむけて前屈して唇に触れた。

その日の夜、父さんは会食でいないため、自分が後ろで見ながら、母さんと料理初心者の2人で夕食を作ってもらった。決して上手というわけではなかったが美味しかった。夕食後真心は早めに寝た。1人自分の部屋にいると愛がきた。

「今日で論文書き終えたから。来週の頭から結さんのところでお世話になるね。」

結さんと愛はいつの間にか連絡先を交換していて、仲良くなっていた。何度か自分の知らないところであっていたみたいで何度か結さんから愛との写真が送られて来た。愛にとったらもう1人お姉ちゃんができたみたいで嬉しかったみたいだ。結さんと真心はなんとなく雰囲気が似ているので愛にとってもなつきやすかったのだろう。

「あまり迷惑かけないようにな。」

「大丈夫。骨折して店に出れない人よりは迷惑かけないよ。」

ニヤニヤしながら答えた。

「来週の頭以降はちゃんと俺も出るからな。それと今度愛にもモデルの仕事頼むからよろしくな。歳の近い子も参加させる予定だから。」

「本当に。やったね。仲間が増える。誰かな。」

そういえば、愛は研修についていっていたな。

「あくまで予定だからな。」

少しテンションの高い愛を抑えつつ、愛の提案で某世界的キャラクターの某レースゲームをすることになった。愛はゲームの最中、あぐらをかいている自分の足の間に入り、ここは私の特等席と言わんばかりに座っていた。愛は身長が低いので問題なく画面は見えていたが、ゲームも運転も苦手なのと、片手で操作していた自分は一度も愛に勝てることなくコテンパンにされた。勝ち誇った顔で自分を見ている愛に少しイラッとしたが楽しそうにしているのを見て少し愛おしかった。


体を休めることに徹したゴールデンウィークも終わり、愛は初めて花屋に出る。初日だが自分は出勤しなければならないので一緒にはいけない。心配している自分をよそに、愛はスキップしながら初出勤に向かった。結さんには何かあったら連絡をくださいと、メッセージは送ったが、愛のことだからおそらく送られてくることはないとは思う。愛のことも心配だがそれよりも心配なのは自分だ。いつもなら完璧に準備をしてから行動するのが自分のスタイルだったが、今回は片腕しか使えないこともあり、どこか準備不足のような気がしてならない。真心の体調がよくなかったこともあり、打ち合わせの時間も少ない。正直不安な要素が満載だ。

出勤の時間になり、真心の運転で会社に向かう。うちの会社は大通りから少し中に入ったところの静かなところにある。父さんが目立つのが嫌いで、創作は静かなところだからこそ捗るらしいからこう言った立地になった。幸い駅は徒歩10分以内にあるし、少し出れば大通りで飲食店も多々ある。働く環境は悪くはないと思う。会社につき、久々にあった社員たちと挨拶を交わす。人数的には30人ほどの会社だが、個人個人がかなり優秀なため、仕事の効率も生産性も高い。ここにいる人をほとんど雇ったのが自分であることがちょっとした自慢だ。そこに新しく仲間が増えるので今日は失敗できない。10人ほど入る会議室に新入社員6人は集まっていた。緊張しているのか、かなり静かだった。自分が入室すると目線が自分に集まった。

「採用試験以来だね。そんなに硬くならずに楽にして聞いて欲しいのだけど。そのために社長と真心、愛と一緒に研修旅行に行ってもらったんだけどな。」

真剣に聞いているのと、緊張して静かにしているのは違う。緊張しているということは様々な事柄が頭の中でごちゃごちゃになっていて、話は頭に入ってはこない。だからこそ、うちでは勤務開始を1ヶ月遅らせてでも、緊張感を軽減させるために、トップである社長たちと旅行に行かせている。

「緊張するのも無理ないか。今日が初日みたいなものだからね。僕とは歳の近い人たちばかりだから仲良くして欲しいんだけど。」

自分と同じで大学卒業してまもないか、専門学校を最近卒業した人ばかり。アルバイトとしては働いた経験はあるにしろ、実際に雇われて仕事するのでは、責任の重さが違う。

「真心はのこと知っていると思うけど、まずは僕が誰なのか説明しないとね。渡邉寛、22歳。年齢は近いけど一応君たちの上司になるから。」

他にも、真心との関係性や、会社にほとんどこないことなどを説明した。もちろん、あまり踏み込んだことは話さない。最初は驚いた表情もあった。毎年同じような反応をされるので慣れている。まだ今年はいい方だ。昨年までは、自分よりも年上の人がいたためなんとなく気まずかった。

「一通り僕のことも知ってもらったことだし、本題に入るね。まずはプレゼントを配ろうかな。」

そう言って部屋の外にある段ボールを取りに行った。

「全社員に配っているけど大事にしてください。これ結構高いから。」

段ボールの中身は少し大きめのタブレットとこのためだけに父さんが作った特注のカバー、それとカバーの中に入るメモ帳だ。特注のカバーは入社時期によってデザインを変えている。

「これは自由に使ってもらっていいけど、タブレットには色々と制限をかけさせているから変なことはしないこと。手書き用にメモ帳も用意してあります。これからはいろいろなところでメモを取ることがありますけど、少しずつでいいから慣れていってください。気になることや気づいたことがあったらメモをちゃんと取れるように。疑問点などがあればタブレットの中にある連絡先に僕と君たちのこれから行く部署の上司のアドレスがあるからそこに送ってください。できるだけ答えられるようにするから、積極的にコミュニケーションとってください。」

すでに何かメモを取っている様子もあった。

そこから色々と説明を始めた。給料や休日のことなど、会社全体に関わることだけ。最初はメモを取っていいなかった人も周りを見てからメモを取り始めた。期待できるかな。そんな中自分は終始噛み噛みだった。

「これで全体の説明が終わりです。最後に僕に敬語は結構です。僕もこれ以降は敬語を使わないようにします。そのほうが話しやすいでしょ。これから、どうぞよろしくお願いします。」

自分は深々と頭を下げた。

「これから各部署の人が迎えにきてくれるから。名前を呼ばれたら、その人についていってね。」

会議室に続々と人が入って来た。新入社員らしく緊張した面持ちで自分の名前を呼ばれるのを待っている。次々と名前を呼ばれる中で1人だけ会議室に残っている女性がいた。

「はい。じゃあ、君だけ残ったことを説明するね。沢村めいさん。」

少し戸惑っているようだった。

「基本的にうちは希望した部署についてもらっているけど、例外がいてね。君はその例外になってもらいたいんだよ。強制はしないし、嫌なら嫌って言っていいよ。これは僕からのお願いだから。」

真心がめいさん用の資料を手渡しした。

「その資料に詳しく書かれているけど、僕からもしっかり説明するね。君にはモデルの仕事をしてもらいたいんだ。希望では事務課だったけど、事務課に所属しながら同時にモデルとしても仕事をしてもいいし、モデルとして真心の下についてもらうことも可能だよ。どうかな?」

返答はなし。無口なのは、真心から聞いていた。一通り資料に目を通してもらった。

「めいちゃん。無理して今決めなくていいよ。寛は待ってくれるから。」

珍しく、真心から話しかけていた。

「大丈夫です。もう決めました。資料の通りなら本当に真心さんの下で働けるんですよね?」

「そうだね。君には真心についてもらうかな。まずは、マネージャーじゃないけど、裏の仕事を覚えてもらうのと同時に、真心と他のモデルさんを見て勉強して欲しいからね。」

「わかりました。なら、やらせてください。」

めいさんは真心の方を向いて答えた。

「よし。なら、こっちは君が一人前になれるように全力でサポートするから。そんな君に早速頼みたい仕事があるけどいいかな?」

これからの日程と仕事内容について自分から説明した。すでに決まっている仕事は、愛とのモデル業くらいだが他の人とは全く異なった仕事内容になる。もちろん給料についても詳しく説明した。後は、真心に任せても大丈夫だと判断し、自分は会議室を出た。

「お疲れ様。あの子だったんだね。君がモデルに推薦したのは。」

父さんだった。会社の中ではなぜか自分のことを君と呼ぶ。ある程度距離を置いて自分を見たいかららしい。ここまで距離を置かなくてもいいのにと少し寂しい。

「そうです。意外でしたか?」

「いや、研修旅行中もあまり話さない子だったから。でも真心には懐いている感じだったかな。」

「自分も驚きました。真心から話しかけていたし、真心の下につけることでモデルの仕事も決断したみたいなので。」

「君にはあの子がどう映ったかな?」

「初めてこの子の写真を見たときにうちのモデルにはいないタイプだと思ったので。経歴から見ても真面目で堅物。少し真心に似ているところもあるとは思っていましたが、内面は全く別ですね。真心は自分の中の感情を隠すことが苦手ですが、めいさんは完全に心をロックしてしまっている感じです。まあそれは後々解錠していく予定ですがあの子の本質はおそらく。」

「ああ、もういいよ。なんとなくあの子に似合う服のイメージはできたから。モデルとしての初仕事は愛とだろ?」

「そうです。そのためのデザインをこれからお願いに伺う予定だったのですが。」

「それなら問題ない。これからすぐに取り掛かるよ。できたら君に色付けを頼もうと思うんだ。2人分ね。」

「わかりました。でも、撮影は4ヶ月後になるので、ゆっくりで大丈夫です。自分の腕の状態を見て詳しい日程を決めるので。」

初めての撮影は自分も立ち会うようにしている。カメラマンの人にこの子のイメージを伝えながら撮影するため。写真のイメージは自分に任せられているのでチェックは怠らない。モデルの子の要望にも基本的に答えることにはしている。父さんの考えで『服は人が来て完成するもの。服は人を変える道具でしかない。』と言うことを会社全体で大切にしているので服のデザインはそのモデルにあったものにする。だからこそ性格もスタイルも違う様々な人が必要となる。完成した写真も自分がその子のイメージに合わなければ服から作り直す。あくまで服メインではなく人メイン。その人の人柄などが出ていなければ意味はない。だからこそ、自分が現場に必要になる。基本的に新人教育後の月一出勤時の自分の仕事は撮影のことが多い。

「愛との撮影にするのだろ?」

「そうです。いつも通りに愛の力を借りて、現場の緊張感を少し和らげてもらう予定です。自分ではそれはできませんから。」

「愛のことだけど来年うちに入って来たら、君の下につけるから。僕の下には真心がいるし、そろそろ仕事が増えすぎて首が回らなくなってくる頃だと思うから。」

「助かります。それも後々お願いしようとしていたことなので。」

「そうか。そろそろ終わりにするか。今日は家に帰るから。」

そう言うと父さんは自分に背中を向けて進んでいった。

「今日何か食べたいものは?」

「なんでもいいよ。まだ自分では作れないだろ。」

そう笑っていってしまった。

各部署に顔を出して本日の仕事はこれでおしまい。時刻は5時。真心の仕事を終わるまで待つ。30分後には、真心も終わり、真心の運転で帰った。途中スーパーに寄ってもらい、夕飯の買い物をした。家に帰る頃には6時を回っていた。

家に帰ると愛の声が響いた。

「おかえり。」

愛が出迎えてくれた。今朝あった時よりも元気に。

「メッセージ来てなかったけど迷惑かけなかった?」

「心配御無用。初日ながら完璧にこなして来ました。」

言い方が腹たつ。あとで結さんに確認したら、自分が来ている時よりも活気があって良かったと言われた。

「今日、父さんも帰ってくるから、2人も手伝って。愛、母さんは?」

「部屋で仕事。」

母さんには悪いが少し切り上げてもらうしかない。2人に任せるのは不安でしかない。味噌汁が鉄の味がするのは嫌だ。

「愛、母さん呼びに行って。その間に着替えておくから。」

普段着ないきっちりとしたスーツをできるだけ早く脱ぎたい。息苦しくてたまらない。

愛が呼びに行った母さんだが、寝ていたらしくなかなか起きてくれなかった。結局自分が起こしに行く羽目になった。

「寛、今日のメニューは何?」

今日のメニューはサバの味噌煮。たまたま今日、サバの切り身が安売りしていたので父さんの好きな味噌を使った料理にした。母さんに味噌汁を任せて、料理のできない2人と一緒にサバの味噌煮を作った。生姜と味噌、みりんにお酒、隠し味にちょっとだけチューブのニンニク。ニンニクを入れると味にパンチが出ていい。ちょうど出来上がるときに、父さんが帰って来た。基本的になんでもおいしいと言って食べてくれるので3人の顔はニヤけっぱなしだった。


数日後、日向さんに挨拶も済ませ、自分も花屋に復帰することになり3人での営業が始まった。少し気になるめいさんのことは真心に任せるので心配はない。最初の1ヶ月はほとんど雑用みたいなものしかしないし、何かあったら随時報告してくれることになったいる。めいさんの方からもちょくちょくメッセージが来るようになった。その内容は仕事のことではなくほとんどが真心に対することで、直接本人に聞いたらと返信したら、聞けたら自分にはメッセージを送らないと返信があった。個人的にはしっかりとコミュニケーションをとって欲しいところだが真心に聞いても、仕事に関して問題はないらしいのでまあいいか。

今日は日向さんに前々から頼まれていた授業をする日だ。授業すると言っても自由参加なので1人も来ない可能性だってある。小中高と年齢もバラバラなのであまり専門的で知識的なことはできない。後々、分けてもらおうとは思うが愛が慣れるまでは一括りにしてもらうしかない。結さんの許可も要る。難しすぎる内容はひとまず避けるようにしないと。

子どもたちとは何度も顔を合わせているから緊張はない。準備も完璧にしたはず。午後になり、お昼のピークを過ぎた頃、

「じゃあ、行って来ますね。」

結さんと愛にお店を任せて病院の最上階に向かった。今日が土曜日と言うこともあってか初回にしては結構いい人数が集まった。さらに見たことのない顔がちらほら。後ろには保護者の方もいた。その保護者の人の中に紛れて1人よく見たことのある顔も見つけた。

「なんでここにいるんだよ、隼人。」

「いいじゃんか。お見舞いのついでに来てやったんだよ。と言うより最初に俺のこと呼んだのはあんただったろ。」

確かにそんなこと言ったような気はする。ここ数日いろいろと忙しくて忘れていた。隼人の隣には車椅子に乗った女の子がいた。自分は隼人を呼び、耳元でささやく。

「あの子がいつも必ずお見舞いに行く女の子?」

「悪いかよ。」

「いや可愛い子だなってさ。彼女?」

「・・・違わない。」

小さくて聞こえなかったが反応を見る限りそうらしい。うぶな反応が少しうらやましい。

「じゃあ、俺も頑張るから、よく彼女のこと見ておくんだよ。たまに助けてもらったりもするから。よろしくな。」

そう言ってニヤニヤしながら隼人の頭を撫でた。隼人は少し照れているようだが少し頷いていた。予想していなかった人数と保護者の登場も隼人のおかげで少しだけリラックスできた。

授業の時間は40分程度。子どもたちの体調を見ながら無理のない時間にした。そして、かならず2人以上の病院関係者の人が待機している状況を日向さんにお願いした。何かあったとき自分ではあまりに力不足だから。今日は中村先生とあともう1人の担当みたいだ。今日は初回ということでほとんどが自己紹介で終わった。質問コーナーのようなことをしていたら、時間が過ぎてしまっていた。子どもたちはどこか楽しげで元気だった。ちなみに、隼人の彼女さんは井上さくらというらしい。さくらは自己紹介にもかかわらず何かメモを取っていた。時折隼人と目を合わせて笑っていた。

授業の時間が終わり花屋に戻ろうとすると中村先生が話しかけて来た。

「寛くん、お疲れ様。終わったら医院長室にくるようにって日向先生が言ってたよ。」

と、自分に伝え、笑顔で去っていった。中村先生の伝言通り委員長室に向かった。

「今、終わりました。」

医院長室に入ると少し真剣な面持ちの日向さんがいた。自分に気づくと少し焦ったのか少し表情の固い笑顔で迎えてくれた。

「そうか。お疲れ様。」

「すいません。タイミング悪かったですか?」

「問題ないよ。どうだった?初日は?」

「顔を知ってくれている子が多かったので思っているより積極的で助かりました。積極的過ぎて自己紹介で終わってしまって予定していたものはできませんでしたけどね。それと隼人が来てくれて、少し嬉しかったです。」

「隼人君も来ていたのか。いつもさくらちゃんのお見舞いに来てくれているから僕も知ってたよ。仲良かったんだね。」

「いつも花屋に来てくれますから。男の子ひとりだったので珍しいなと思って声をかけたのがきっかけですかね。」

「さくらちゃん、いつも僕に笑顔で話しかけてくれるんだよ。今回はこの花もらったってさ。でも一番好きな花はお願いしても持って来てくれないとも言っていたかな。」

少し意外だった。隼人の性格上素直に持っていきそうだから。少し気になるな。

「何か理由でもあるんですかね?ちなみになんの花か聞きました?」

「それがさくらちゃんも教えてくれないんだ。2人の秘密っていてね。」

「気になるなら今度隼人に聞いて見ましょうか?」

「いいや、こういうことはほっておくのがいいのさ。2人だけの秘事はそれこそ2人だけのもので他の人が入っていい世界じゃないからね。」

「そういうものですかね?」

「そういうものだよ。思春期の恋愛は特にね。大人になると余計なものが頭の中を駆け巡って純粋に恋愛できなくなるからね。今のうちだけなのよ。純粋で綺麗で真っ直ぐな愛はね。」

自分は真心と愛しか知らないからかよくわからなかったが、授業の前に隼人を見て思ったうらやましいという感情はここから来るのかもしれないと思った。

「もうそろそろ戻ります。」

気がついたら30分は日向さんと話してしまっていた。そろそろ戻らないと愛になんて言われるかわからない。

「そうだね。2人に迷惑かかってしまうし、君を先に雇ったのは結だからね。今度時間があったら見にいくからね。」

正直なところ来ては欲しくないのだがこの病院の責任者としては仕方ないのかもしれない。そんなことを思いながら軽く会釈した。

花屋に戻ると愛にこっ酷く怒られた。いつもなら言い合いになるのだが、こちらに非があるのが明白で何も言い返せなかった。結さんが間に入ってくれてこの時は愛の怒りは治まった。家に帰ってから改めて冷静に注意された。

その日の夜、日向さんからメッセージが届いた。その内容はなるべく早く1度保護者のために説明会を開いてほしいということだった。


初授業から3日後。愛に今日は少し遅れると伝え、病院に向かった。あらかじめ用意されていた会議室の前には中村先生がいた。

「結構人数集まっているよ。3日間しかなかったけど準備大丈夫だった?」

「少々準備不足は否めないですけど、予め何個か授業作っておいて良かったって感じですかね。」

「そうか。僕も後ろで見てるから困ったことがあったら言ってね。もう少しで日向先生も来る予定だから。」

「わかりました。じゃあいきますか。」

話している間に時間になったので中村先生と一緒に会議室に入った。保護者の目線にあまり悪い感じはしなかった。疑いの目ではなくどこか期待されているような感じがした。

「説明が遅れてすいません。自分は渡邉寛と言います。普段はこの病院の駐車場にある花屋で働いています。保護者の皆さんからの質問には精一杯答えていきたいと思います。今日はよろしくお願いします。」

半分社交辞令のような挨拶を済ませて、深々と頭を下げた。第一印象が悪いと後々、話すら聞いてもらえなくなる。体格が良くてただでさえ威圧感が少しあるため、姿勢だけは低く、好印象を持たれることに徹した。

「頭あげてください。別にあなたを問い詰めようなんて思ってません。むしろ私たちはあなたに感謝してるんですよ。日向先生が推薦してくれた人ですから疑う余地はありません。しかもここにいるほとんどの方があなたのこと知っていましたから。子供たちからも人気が高いので心配はしてません。今日ここに寛さんを呼んだのはお願いしたいことがあったからです。」

わかりやすく自分の頭に?が浮かんだ。自分の中ではなるべく早くということだったから説明もなく何をしようとしているのか問い詰められるものだと思った。

「はあ・・・。」

安心した。この歳になって大勢の人間に怒られるのは少々辛いものがある。

「でも一応今後どういったことをしようかの説明だけはさせてください。そこに不安を持っている保護者の方もいらっしゃると思うので。あ、一応自分は教員免許を持ってます。大学での成績は良い方でした。これが信頼の材料になると良いのですが。」

小声だったが保護者側から「なら安心ね。」という声が聞こえた。

「先にこちら側からいいでしょうか?もしこの内容が希望に沿っていれば問題ないですし、問題があれば随時修正したいので。」

あらかじめ用意しておいた資料を配った。少しだけ多めに用意しておいて良かった。2部だけ足りなかったが、中村先生にお願いしてすぐに印刷してもらった。資料には今後のことと、自分の少し詳しいプロフィールを書いた。自分の職業のことについて説明していると驚きより戸惑いの方が大きい感じがした。

質疑応答をしながら、約1時間程度授業について説明をした。自分がやろうとしていることが普通の学校ではあまりやらない内容で、さらに全ての子供達を対象にして行おうとしていることに驚いている保護者もいた。最終的には納得はしてもらえたみたいで良かった。

「今自分が考えているのはこんな感じです。」

説明を終えると保護者側から、

「丁寧にありがとうございます。あなたのプロフィールに少し戸惑ったところもありましたが、納得しました。授業についても同様です。これからよろしくお願いします。」

そういうと保護者全員が立って自分に頭を下げた。

「頭をあげてください。自分はできることをやるだけなんで。ところでお願いはどう言ったことでしたか?一応聞いておきたくて。」

保護者の中の代表のような人が話し出した。

「授業の中で納得してしまったところもありますが、わかりました。私たちの子供は今のところ学校に行くことができない子ばかりです。病気が治った時にまず親が心配するのが再発すること、次に学校や社会に出ることです。長く集団に慣れていないことで人との関わり方をあまり学べない。完治したとしても外に出ることを怖がってしまうことが多い。先生にお願いしたかったことはどちらかというと知識ではなく外の世界で使えること、適応できることを教えていただこうと思っていました。」

保護者の意見を聞く限り、おそらくだが自分が授業をすることが最適解なのだと思う。大学時代もそういった方向で授業を作って来た。今はこういったことが必要だとも思っていた。でも実際の教育実習ではその思考から逃げてしまって無難なことをしてしまった。ここに来て改めて自分がやって来たことは間違ってなかったのかなと思い始めた。

「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。」

思わず感謝の言葉を述べてしまった。保護者の方々には意味はわからないだろうが、教育に関しての思想に自信をなくしていた自分にとっては感謝しかなかった。

保護者との説明会を終えて、中村先生に一礼し、花屋に戻った。

「にぃに、どうしたの?泣いて。」

説明会から戻って来た自分の姿に驚き、心配したのか愛が家にいるときの呼び方で自分のところに寄って来た。

「大丈夫。結さん、少しだけ裏にいていいですか?」

結さんの承諾を得てから控え室に行き、椅子に座った。結さんが自分を心配してなのか愛が自分の後をついてくるように控え室に入って来た。自分に近寄って来た愛を抱き寄せ胸に顔を埋めた。愛は何も言わずにただ頭を自分の上に手を置いていてくれた。

10分くらいは同じ体制でいただろうか。愛が話し始めた。

「何があったか知らないけど寛が泣いてるってことは緊張の糸が切れたか、何かから解放されたってことだよね。寛は悲しいことがあったとしても人前で泣かず1人で泣くもの。良かったね。あとは家で聞くから仕事に戻ろ。」

自分はうなずき、顔をあげた。店頭に出る準備をするために鏡の前に立つ。目は真っ赤に充血していて、長いこと顔を埋めていたため顔に跡が残り、顔は涙が乾いてカピカピになっていた。滅多に人前で泣くことがなかったため少し結さんに会いにくい。

「遅れました。」

控え室からでると結さんが急いでかけ寄って来た。

「大丈夫なの?もうすこし休んでいてもいいんだよ?」

初めてみる自分の弱った姿を見て、気を遣われている事はわかっているが、これ以上迷惑をかけるわけにもいかない。

「問題ないです。さっき全部吐き出しましたから。」

精一杯の笑顔で答えるがまだ結さんの顔は心配しているように思えた。

「大丈夫ですよ。寛手伝って。」

愛に呼ばれる。

「本当に大丈夫ですから。さあ仕事に戻りましょ。」

そう結さんに言い残し愛の手伝いに向かった。


2回目の授業の日。

前回同様、なかなかの数の人が集まっていた。例の如く隼人もいた。さくらと一緒に。今回から本格的に授業に入っていく。自分が保護者の人に提案した授業の内容は『伝える力』と『想像する力』を持たせること。今日は『想像する力』の授業になる。やることは簡単で、誰にでもできる。

「今日から本格的に授業するわけだけど、必要なものはこっちで用意したから。」

そういうと、徐に鞄の中からスケッチブックとボールペンを1人ずつに渡した。もちろん隼人にも。

「いいのかよ。俺ももらって。」

「どうせ毎回くるだろ。さくらに会いに。だったら、ほぼ強制的に参加することになるからやるよ。」

「なんだよ、いきなりさくら呼びかよ。」

「いきなりじゃないもんなぁ。」

隣にいるさくらに同意を求め、目を合わせて笑い合った。実は3日前、愛と一緒に月に一度の館内の花を交換しに行った時にたまたまさくらと出会した。見た目の通り明るくて話しやすい子だった。時間の都合上、あまり長く話すことはできなかったが隼人という共通の話題もあってすぐに仲良くなった。連絡先も交換した。交換している時に隣にいた愛に「浮気?」とからかわれた。「捕まるわ」と反論するとさくらは笑ってくれた。

「2人の秘密だよね。」

さくらに話しかけると笑顔でうなずいた。隼人は少しムスッとした表情だった。

自分の授業は基本的に答えのない問題しか出さない。答えのある問題なんてつまらないし、この世界は答えのない問題の方が圧倒的に多い。子どもの頃から物事について自然に考えられる癖がつくと、リスクマネジメントも勝手にできるようになる。この授業は初歩の初歩。

「じゃあ、これから問題を出すから、配られたスケッチブックに答えを書いてね。書き方は自由だから、何書いてもいいよ。でもみんなに見せるから見やすいように書いてね。」

自分の前には装飾ができるようにいろいろなものを用意した。マジックペンからマスキングテープなど。あえてノートではなくてスケッチブックを配ったのはその方が見やすいということもあるが、自由に書かせるためでもある。人に見せるということを考えて、自分なりに装飾してもらうため。文字の大きさや色使いなどを見て性格を判断することもできる。さらに、これを見返した時に授業の内容を思い出しやすくする効果もある。ノートより圧倒的に利点が多い。

「今日はたった一つの問題を真剣に考えてもらうから。」

本格的に授業に入る。黒板の代わりに病院から借りたホワイトボードに問題を書く。それは「桃太郎の続きはどうなるのか?」ということだ。小学校から中学校高学年までいる子どもが一緒の内容で同じように考えられるものは何か自分なりに考えた答えだった。これは最初の自殺した父親が5歳ごろに自分に行っていた教育法だった。もちろん答えはない。年齢や環境によって大きく答えが異なる。ハッピーエンド、バットエンド全てが考えられる。

「ここにいるみんな知ってるよね、桃太郎。桃太郎は鬼を退治して、おじいさんたちのもとに帰って来て終わってしまうけど、その後ってどうなったのかな?答えはないから自由に考えてみて。わからないことがあったら質問してね。」

なるべく口調は小学校寄りで強い言葉は使わないようにする。こういった問題の場合年齢を重ねれば重ねるほど難しくなる。案の定、小学校低学年はスラスラ書いている。もうすでに装飾に入っている子もいる。しかし、中学年高学年、中学生に至っては全くペンが進んでいない。人は考える能力が高い分迷う。小学校低学年寄りに一見見える問題でだが、どちらかというと学年が高い子向けの内容だ。題材が童話というだけでかなり高度なことを自分は求めている。どうしてもペンが進まないのをみてヒントを出すことにした。

「どうしても書けないって子にヒントね。こういう問題は、桃太郎だけに目がいきそうだけど登場人物はそれだけではないでしょ。視点を変えたり、主人公を変えたりして考えてみて。」

このヒントで何人か書き始めた。それでも書けていない子のところに自分が行き、個別にアドバイスをしていく。何かきっかけを掴めれば、簡単に書き終える。隼人はその頃、さくらと一緒にお互いの答えを見合って笑っていた。別に相談してはいけないとは言っていなかったので、止めることはなくその光景を勝手な親心で微笑みながら見ていた。

粗方全員が書き終えたのを確認した。

「じゃあ自分と年齢の近い子たちとグループになって。保護者の人も自分の子ではないグループに入ってください。できれば自分の子供とは年齢が違うグループに入って来ださい。自分のお子さんとは授業後に見せてもらって復習のつもりでお互いに意見交換するのもいいと思います。」

大概こういった指示を出すとグループにならずに指示が出るまで待っているクラスが多いが、いつも一緒の空間で集団生活しているためか早く動いてくれる。3つのグループに分かれた。各5人ずつ、高学年は隼人を入れて6人。きれいに分かれた。

「これから発表してもらうけど、それには司会者決めないとね。低学年と中学年は先生方に入ってもらって、高学年は隼人に任せるからよろしくお願いしますね。」

隼人に睨まれた気がするがこれから授業に参加するなら他のこと交流することも必要になってくるから無視した。

「他の人の意見で気になった言葉とかキーワードがあったら積極的にメモを取るようにしてね。」

各グループで発表が始まる。自分は携帯でメモを取りながら各グループを回る。発表が終わっても話は尽きてなかった。

「発表も終わったことだし、じゃあみんな前向いて。」

予めホワイトボードに書いておいたグラフを見てもらう。

「実はこの問題は年齢ごとに答えが大きく違ってくるの。大きく分けると4つくらい。」

自分はグラフの右側に書いたものに注目させた。

「1つ目は、桃太郎が主人公のままでハッピーエンドのもの。帰って来た桃太郎がその後幸せになって暮らしたっていう終わり物語。これは低学年のグループに多かったかな。」

保護者と先生がうなずいていた。子供たちは自分がどの分類に入るのか自分の書いた物語を見ていた。

「2つ目は、桃太郎が主人公のままでバットエンドの物語。鬼ヶ島から持って来たお宝をめぐって争いが起きるとかそんな感じの物語。これはどの学年にも多い傾向があるね。」

様々なところで声が上がる。自分はどうなのか他の人のものを見て比べていいた。今までは、低学年に体を向けて話していたがここからは体の向きを変えて話す。

「3つ目は別の何かに視点を移してハッピーエンドのもの。桃太郎の視点ではなく、鬼や犬、猿とかキジの立場になってもう一つの物語が進んでいくもの。なおかつそれがハッピーエンドで終わるもの。これは、年齢を重ねるごとに書きやすくなる。ここでいうと中学生くらいの子たちがそうなるかな。僕は視点を変えてとヒントを出した。このヒントでだいぶ書きやすくなったんじゃないかな?」

うなずく子もちらほら。自分がグループを見に行った時、中学生のグループのほとんどが視点を変えて書いていた。

「最後に4つ目。視点を変えてバットエンドのもの。今日はいなかったけど実は僕がこれね。実はハッピーエンドかバットエンドかはその人がどちらの方が書きやすいかの違いだからそれほど重要じゃない。視点を変えるか否かでその人が何を見ているかがわかるんだ。」

低学年の子たちはキョトンとしている表情で自分を見る。

「ごめんね。今はお兄さんたちに向けての話だから、ちょっと我慢してね。」

低学年の子たちには少し早い内容であることはわかっていた。正直、年齢が自分から離れていれば離れているほど授業するのが怖い。自分の発言が直接影響を与えそうで。

「説明に戻るけど、高学年になればなるほど、ヒント後の方が書きやすくなったのはシンプルに見ている世界が年齢によって広がってくるから。選択肢が増え、いろいろなことについての感情も増える。人間として複雑になってくるんだよ。若い時には見えていなかったこと、気にも止めてなかったことが気になってくる。一番は自分以外の人間のことが気になり始めるんだ。自分が1人で生きていけないってわかってくるから。」

保護者はうなずいていた。

「桃太郎の物語はさまざまな登場人物がいる中で桃太郎以外になかなか焦点が行かない。もともと児童書として普及したものだから仕方ないところもあるけど高学年になると物足りなくなる。自然と物語のバックグラウンドが気になってくるんだよ。そうなってくるとこうも思ってくると思うんだ。桃太郎の行動は正しかったのかなって。」

ここからが本題。静かに聞いてくれているし、メモを取る子もちらほらいる。

「改めて桃太郎の行動を考えてみようか。産まれたところは飛ばして、鬼退治に向かう理由は何だったっけ?」

今まで1人で話していたのに、いきなり質問をされて戸惑っているようだった。

「村の人を困らせたから?」

1人がぼそっと言った。

「そう。一般的には財宝を盗んだってことになっている。本当は鉄を奪いに行くためだという説が今は有力らしいけど、これは別の話。じゃあ、財宝をとった鬼はどうなった?」

「桃太郎に退治された。」

今度は複数の箇所から声が聞こえた。他の発言もあったように思えたが聞き取れなかった。

「今の絵本では平和的な解決になってることが多いけど、一昔前までは普通に鬼を退治、殺されたってことになってた。財宝を盗んだだけでここまですることは正解かな?確かに悪いことをしたのは鬼の方だけどあまりにも罰がきつすぎないかな?」

きつい問題なのは重々わかってる。保護者の人も黙ってしまっている。

「じゃあ、最初やったみたいに視点を変えてみようか。今度は鬼になって考えてみようか。鬼の立場になって考えると書かれていないけどいろんなことが想像できるよね。鬼に家族はいたのかなとか、もしかして人から盗む以外に生きていく術を知らなかったのかなとか。」

用意されたホワイトボードに考えられるパターンを書いていく。

「視点を変えるだけで桃太郎がやったことがかなり残酷なことに見えてこない?僕は4つ目って言ってたでしょ。視点を変えてバットエンドで終わる。実は僕もね5歳くらいの時に同じことを父親に聞かれていてね。あの時は1つ目だったかな。でも今は年齢を重ねて当時とは違う考えなんだ。今の僕が考える桃太郎の続きは鬼の視点になって、退治された鬼の子供が大きくなって桃太郎に復讐しにいく物語。一般的に言われている負の感情の方が強い意志に変わること、負の感情は連鎖してどんどん大きくなることを僕は人生経験の中で知っているしね。これもまた別の話かな。桃太郎の中で鬼は悪者として登場するけど鬼にも鬼の主張があって当たり前だよね。鬼にとって桃太郎はいきなり自分たちの領域に入って来て自分たちの命と宝物を奪っていったやつだからね。」

少し話しすぎたかなと思ったが子供たちは真剣にメモを取っていた。子供たちだけでなく保護者の人まで。低学年の子たちは飽きて来たのか落書きをしていた。まあ仕方ないかな。低学年の子たちは考えるだけで意味があるし、もともと低学年の子向けに作ってはいない。大きくなった時に再び考えてもらえればいい。

「後もう少しで終わるから我慢してね。鬼の行動にも意味があって、それを正しいことだと疑わない。もともと絶対正しいことなんてないのかもしれない。見方を変えれば180°意見が変わることなんてざらでしょ。」

気付けばそろそろ授業が終わる時間になっていた。予定ではもう少し喋れると思っていた。そういえば教育実習の時も色々と話しすぎて時間がなくなって注意されてたっけ。

「それを知っている知ってないで世界が違って見えてくる。無限に世界が広がっていくんだよ。昔の有名な学者さんでアルベルト・アインシュタインって人がねこんなこと言ってるんだよ。」

自分はホワイトボードに書いていた文字を全て消し、大きく書き始めた。

『常識とは18歳までに積み上げられた先入観の堆積物に過ぎない』

「みんなはまだ18歳ではないけど今まで生きて来た中で経験したことや言われて来たことで当たり前だと言われて納得したことがあると思う。今の世の中はこれがないと生きづらくてたまらないからね。当たり前は身につけなきゃいけない。でも、それに縛られちゃ人間ダメになる。桃太郎が正しくて鬼は悪者。これが世間一般的にいう当たり前で常識だ。でも今回、この授業で全く別の視点、鬼側の気持ちを少しでも考えたことによって、この当たり前っていう認識がいかに不完全だってことがわかったよね。これから僕の授業ではこういったこと、みんなが当たり前、常識だと思っていることに疑問を投げかけていくから自分なりに考えてみてね。僕の授業の目的はみんなの視野を広げてより大きくのものを様々な視点で見ることができるようにすること。だから疑問に思ったことは何でも聞いて。一緒に考えようね。じゃあこれで今日は終わり。時間があれば自分なりにもう一度考えてみてね。」

最後駆け足で終わってしまい、さらに時間は少しオーバーしてしまったが、愛に怒られる時間ではないだろう。ホワイトボードを片付け、花屋に戻る。


よんでいただきありがとうございます。

このまとめは寛が最初の授業を終えるまでをまとめたものです。

続きはこの後すぐにアップされるのでそちらお読みいただけると幸いです。

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