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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
7/240

七節、不思議な女の子

違和感がして目を開けると、窓の外が明るくなっていた。

差し込んでくる朝日に目を細めながら、上半身を起こす。

とそのとき、自分に掛けていた毛布から妙な盛り上がりが見えた。

下半身の隣。何もないはずのそこが、もこっとしている。

ゆっくり毛布をどかしてみる。そこにいたのは昨夜の女の子だった。

目はつぶられ、横向きのまま寝息を吐いている。

「…んん…?」

目覚めたばかりの意識をはっきりさせつつ、昨日のことを整理する。

「ダイン坊ちゃま、女の子の姿が見えないのですが…」

ドアをノックし、ダインの返事を待たずに部屋に入ってきたのはサラだった。

「どこかに行った…」と、彼女はダインと同じベッドで眠っていた女の子を見つけ、言いかけた言葉を切る。

「ダイン坊ちゃま…」

そのときダインに向けられた彼女の目は、普段以上に細く、どこか冷ややかなものだった。

「もしや昨夜その子を連れ帰ってきたのは、文字通りのお持ち帰りの意図があったということでしょうか」

「あ〜待て待て待て。俺は何もしてねぇし、変な意図もねぇよ」

ダインは咄嗟に弁明する。

「お前の部屋に運んで寝かせて、そのまま俺も自室に帰って寝ていま起きたところだ。ちゃんと見てただろ」

「それはまぁ…夜中気配もありませんでしたし」

サラは「しかし」とベッドに近づき、眠り続ける女の子を上から眺める。

「いつの間にここへやってきたのでしょう」

「さぁ…」

ダインも女の子に目を向ける。もう彼女の寝顔は昨日出会ったときのような苦しそうな様子はなく、子供らしい可愛い寝顔だ。

「ん…んん…」

そのとき女の子から声が漏れ、ゆっくりと目が開いていく。

ダインとサラが「お」と声を出している間に、女の子の目がぱっちりと開き、次に飛び上がるような勢いで体を起こした。

そのまま周囲を見回している。本人は困惑してるのかもしれない。だが、元気そうな様子にダインもサラもホッとした。

「おはよう。体調はどうだ?」

ダインは笑顔で話しかける。

「…!!」

女の子の目がダインに向けられ、その瞬間彼女の目と口が大きく開かれた。

「何から説明しようか迷うが、とにかく落ち着いて聞いて…」

「だいんっ!!!」

説明を始めようとしたダインに、女の子が突然突っ込んできた。

彼の腹部に女の子の小さな頭が激突し、その衝撃でダインの台詞は中断され代わりに「んごっ!」という声を漏らしてしまう。

「だいん、だいんっ!!」

舌足らずに何度もダインの名前を叫びながら、しがみつく勢いでダインに抱きついている。

胸の辺りに頭を押し付け、そのままぐりぐりされ、ダインの背中に短い腕を回し、足まで絡めてくる。

「…違うからな、サラ」

余計なことを言いそうになったサラに、ダインは先手を打って否定した。

「だいん、だいん〜!!」

かなり興奮した様子の女の子の頭に手を置き、「分かった分かった」ととにかく落ち着かせる。

「とりあえず話すことがあるから、一旦離れよう。これじゃ話しづらいよ」

笑いながら言うと、言葉は理解できるようで彼女から「うんっ」という声が返ってきた。

素直にダインから離れていき、座ったまま二人を見上げる。

「とりあえず元気になったようで良かったよ」

話す態勢になってくれた女の子に向けて言うと、彼女は子供そのものの笑顔になった。

「だいんとさらのおかげだよ!」

何とも嬉しいことを言ってくれるが、サラが意外そうに口を開く。

「私たちの名前を知ってるのですか?」

女の子はまた元気よく「うん」と頷く。

「きのうのこと、おぼえてるよ?」

空腹の余り意識がなかったわけではないらしい。

「あのすーぷ、おいしかった! だからげんきになったよ、ありがとう!」

素直にお礼を言ってくれるのが可愛くて、サラは「それは良かった」と女の子の頭を撫でる。

「じゃあ自分の名前は分かるか?」

ダインが尋ねる。

「るしらはね、るしらだよ!」

女の子は笑顔のまま言った。

「ルシラ…ルシラか。他に名前はないのか?」

ダインはカールセン、サラはシーハス。

そういう意味で、ルシラに分かるように他の名前はないかと尋ねたつもりだが、彼女は不思議そうに首をかしげる。

分からない様子だったので質問を変えた。

「じゃあ自分の家がどこにあるか分かるか?」

「いえ?」

「ああ。お家。お家に誰がいて、どんな人なのかとか。親の名前とかさ」

「おうち…おや…?」

ダインの言葉を繰り返すものの、疑問符を浮かべるだけで明確な答えが返ってこない。

ルシラの出自がどこか分からないが、言葉が通じるのだから彼女の年齢を考慮しても家や親といった単語の意味は分かるはずだ。

だがルシラはしきりに首をかしげるばかりで複雑そうな表情をしている。

その様子から本当に分からないようで、彼女の挙動を見ていたサラは結論付けた。

「軽い記憶障害かもしれませんね」

「障害…?」

「ええ。事件か事故かはまだ分かりませんが、飛ばされた衝撃で記憶が飛んでしまったのかもしれません」

確かにルシラの境遇を考えれば十分にあり得る話だ。

彼女は昨日発見したときのまま、茶色がかったワンピースを着ている。

靴はなかったし靴下すら履いてなかった。その身なりから推察しても、それほど裕福な家庭ではなかったのかもしれない。

それどころか育児放棄の疑いも濃厚になってきた。

「おい…どうする? さすがにガーゴに引き渡すか、病院に連れてった方がいいんじゃねぇか?」

すでに寝起きの混濁した意識でなくなったダインは、サラにこっそりと昨日の話を持ち出す。

何だったら学校を休んで付き添っても良い。それほど心配していたダインだが、サラは少し考えただけで首を振った。

「見たところ大きな怪我もないようですし、意識ははっきりしております。時間が経てば何か思い出してくれるかもしれません。それまでここに留めておきましょう」

混乱してはいないようだし、確かに留めておくのもありだろう。

「いやでも…良いのか? ガーゴに見つかったら面倒なことになんねぇか?」

正式な手続きをとらず、記憶のない子供を預かっている。傍から見れば誘拐していると見られてもおかしくない。

そうダインは懸念していたが、サラは「大丈夫ですよ」と言ってのける。

「目立った特徴はなく見た目は私たちと何ら変わりませんし、如何様にも誤魔化せます。念のためだんな様と奥様には連絡しておきますが」

「サラがそう言うなら…」一応納得してみせるが、ダインのサラを見る目は疑問に満ちている。ガーゴに引き渡したがらない理由が分からないからだ。

サラは言った。「混乱していたり、訳の分からない環境に怯えているようなら私もそうしていましたよ」

「ですが」と続ける。

「すでにこの環境に順応できているようですし、何よりダイン坊ちゃまに激しく懐いているようですからね」

ダインは思わずルシラに顔を向ける。

ずっと考え込んでいたルシラだが、ダインと目が合った瞬間笑いかけてきた。

再び彼の胸に飛び込もうとしたようだが、その前に彼女の小さな腹から音が為る。

「あう…おなかへったよぉ…」

お腹を押さえ、困った表情のまま言う。

そういえば昨日はスープしか飲ませてなかったんだ。

「そうですね、いい加減朝食にしましょう。ちゃんとしたもの食べさせませんと」

「あ、るしらもてつだう!」

ベッドから飛び降り、キッチンへ向かうサラの後に続く。

サラの言うとおり、ルシラは全く困惑してないようだ。彼女にしてみれば、空腹で意識が混濁としている間に知らない誰かに連れられ、知らない部屋で目が覚めたというのに。

単純にルシラの順応力が高いのか、それとも意識が混濁としながらも、自分を助けてくれたダインとサラに感謝の念を抱いているのかは分からない。

とにかく今日はルシラの自由にさせてやろう。今後のことはサラや親に相談しながら決めれば良い。

ベッドから降りて手洗い場へ行きつつ、ダインは遅めのあくびを漏らしていた。



「あ、だ、ダイン君、ニュース見た?」

登校するダインを発見するなり、ニーニアは挨拶をしつつそう切り出してきた。

「ニュース?」

「うん。トルエルン大陸の西側で、ドラゴンが復活したって」

「ドラゴン…?」

レギオスが使役していた七竜のことだとダインが思い出したのは、やや間を置いてからだ。

「マジなのか? あのドラゴン?」

「う、うん。映像見た限りじゃ、ドラゴンの輪郭がぼやけているからまだ実体じゃなくて幻影だろうって話らしいけど…」

そう話すニーニアの表情は不安げだ。そういえば彼女はそのトルエルン大陸に住んでいたはず。

「大丈夫なのか?」

遠い国の話だろうと思ったが、友達が住む大陸でのことなら心配しないわけにはいかない。

「誰かが退治してくれたってニュースの中で言ってたから、大丈夫だとは思うけど…」

「そうか…」

エレンディア創世記の話は御伽噺ではない。大昔、現実に起こったことなのだ。

レギオスと七竜はそのエレンディア自らの体を使い、何者にも打ち破れない強力なバリアで封印されているはず。

エレンディア創世記から今日まで、復活騒ぎ自体はフェイクや噂や悪戯では色々あったが、映像として出てきたのは今回が初めてだ。

だからニーニアも不安がっているのだろう。周囲の学生たちも同じような話をしているのが聞こえる。

「トルエルン大陸のドラゴンって、確かドワ族の管轄だったよな?」

封印されているドラゴンの管理は、種族それぞれに割り当てられている。

「封印の方は大丈夫だったのか?」

「まだ調査段階だけど、問題はないらしいよ。歪みもずれもないって」

「問題ない、か…。ドラゴンの映像自体が幻ってことはないのか?」

別の視点で疑問を向けるが、ニーニアは首を振った。

「あの映像は間違いなかったよ。確かに輪郭はぼやけてたけど、合成してるようにも見えなかったし」

ものづくりに才能があるニーニアだ。分析力もある彼女が言うことだから見誤ることはないだろう。

だがそれならそれで不安が残る。例え幻影でも復活したのは事実ということになるのだから。



「ニュース見た?」

ニーニアと考えながら教室に入ると、早速シンシアが近づいてきた。

自然とダインの机に集合し、ダインは「朝ばたばたしてたから見てないが、ニーニアから聞いた」と椅子に座る。

「ちなみに何のドラゴンなんだ?」

七竜のことは知ってるがそれぞれの名前は知らなかったダインは、ふと気になって尋ねる。

「トルエルン大陸のドラゴンだから、確か…ヴォルケインだったかな? 炎のドラゴンだよ」

シンシアは答えつつ、携帯で検索済みだったのかドラゴンの画像を見せてくる。

ゲームによく出てくるような姿形だ。画面内だと小さいから弱そうに見えるが、現実に目の当たりにしたら相当な脅威に感じるだろう。

「七竜の中にも強さの順位みたいなものがあってね、このヴォルケインは上から二番目の強さだったはずだよ」

「おお、マジか」

幻影とは言え相当に強かったはずだ。

「退治したって話だけど、誰が倒したんだろうな」

純粋に気になって言うが、ニーニアは「強い誰かがって言ってただけで分からないよ」と首を振る。

「すごかったって言ってたよ、お姉ちゃんが」

と、シンシア。

「ん? もしかして退治したのって…」

「お姉ちゃんだよ」

「え、そ、そうなの?」ニーニアは驚いて聞いた。

「あ、でも一人じゃないけどね」シンシアが補足する。

「もう一人いてね、その人がすごかったんだって。なんでもものすごく大きなドラゴンを掴んで…」

両手を振り上げ、投げるジェスチャーをした。

「こう、ぶん投げたんだって」

「なんじゃそりゃ」

深刻な話がいきなりコメディっぽく聞こえ、ダインは椅子の背にもたれかかる。

「相当でかいはずだろ? 投げれるもんなのか?」

「それは分かんないけど、お姉ちゃんが言ってたことだからなぁ…。びっくりしたまま話してたから、嘘じゃないとは思うけど」

「あ、でも実体じゃないから、まだ弱かったのかも。復活したばかりっていうのもあるかも知れないし」

ニーニアの話の通りかもしれない。

投げ飛ばした人物が誰なのかシンシアの話から推理を始めようとしたとき、いつの間にかディエルも会話の輪に入ってきた。

「ドラゴン復活はなかなか面白い話よね」

興味津々といった様子だ。

シンシアの話はニュースでは語られなかったことなので、あれこれと質問を始める。

一通り話を聞き終えたと同時にチャイムが鳴るが、去り際にディエルが言ったことがやけに引っかかった。

「でも、どうしてこのタイミングで復活なんてしたのかしら」







昼休み、早めにいつもの集合場所にやってきたダインは、同じくいつもの場所を陣取っているシンシアとニーニアにやや困惑した視線を向けていた。

「はぁ…ふぅ…」

2人はいま、コンクリート仕立ての階段に背中を預け呼吸を繰り返している。

その顔はどちらも赤く、手は弁当を包むハンカチにあるものの、動かない。

つい先ほどまでやっていた、体育の授業中のことである。

ラビリンスに入る予定だったらしいが、閉鎖中であるため運動場で得意魔法のお披露目をしようと体育教師が言い出したのだ。

そこまではいい。魔法の披露なんて適当でよかったんだから。

だが、魔法力をどちらからもらおうか考えたところで問題が起こった。

シンシアもニーニアも、率先してダインに魔法力の提供を申し出てきたんだ。

魔力が少ないニーニアに配慮してシンシアから聖力をいただいたんだが、選ばれなかったニーニアはどこか残念そうな顔をしていた。

空気を読んでニーニアからももらい、すると今度はシンシアが残念そうにしたからシンシアに、そしてまたニーニアに。

気付けば彼女たちの半分以上もの魔法力を吸ってしまっていたようで、吸いすぎだと気付いたのは彼女たちが真っ赤な顔でぐったりしているのを見たときだ。

シンシアもニーニアも問題ないと笑っていたが、吸魔相手に選ばれなかったときのあの残念そうな顔は、悲しいというよりも物欲しそうな顔だった。

あれは気のせいではないはずだ。シンシアもニーニアも、吸魔の副作用として生じる快感の虜になりつつあるのではないか…。

未だ動けない様子の2人を見ていると、心配しか感じない。これは早急な対策を講じる必要がある。

「はー遅れた遅れた」

ようやく動けるようになり弁当を食べ始めようとしたところで、ディエルが空からやってきた。

「す、すみません、体操服の着替えに手間取ってしまいまして…!」

やや遅れてティエリアもやってくる。

「あはは、大丈夫ですよ〜」

そう笑いかけるシンシアは、顔の赤みはなくいつもの表情に戻っていた。

必死で押さえ込んだのか、ニーニアも普段どおりの笑顔で弁当箱を広げている。

「んじゃ食べるか」

ダインも自分の弁当を広げ、早速おかずに箸を伸ばす。

ホイコケッコウの玉子焼きに、薄紅豚のしょうが焼き。どれも上出来だ。

うまそうに食べるダインを、菓子パンをかじりつつディエルが見ている。

「前から思ってたんだけど」そのまま彼女は言ってきた。「ダインのお弁当もなかなか美味しそうよね」

ディエルはいつもパンだから手弁当に興味があったのだろう。

「使用人か誰かの手作りなんでしょ? 盛り付けとか上手よね。元は料理人とか?」

そう質問を寄せるディエルに、ダインは「あ〜」と言いつつ手を止める。

「笑わないか?」

彼女は何のことか分からないようだったが、それでも「うん」と頷いてくれた。

「これ、俺の手作りなんだよ」

「えっ!?」という声が、ディエル含め周囲の女子連中から聞こえる。

「だ、ダインが作ってる? 嘘でしょ?」

男が料理するというのは、彼女たちの国では珍しいことだったのかもしれない。

一斉にダインに視線が集中するが、彼はやや顔を赤くさせながらも「実は」と正直に告白した。

「家庭菜園が趣味でさ、弁当もその延長線だ」

そういえばいつもシンシア達から話を聞くばかりで、自分から趣味の話をしたことはない。

だがシンシア達には気になっていたことなのだろう。全員がダインに体を向け、質問の態勢に入った。

「家庭菜園ですか? とても良いご趣味だと思います!」

「な、何を育ててるのかな? 野菜…だけじゃなくて、お花とかも私も好きだから」

「ダイン君のお弁当も美味しそうだなって気になっていたんだよね〜。料理の仕方ってどこで習ったの?」

思いもよらない食いつきだ。ダインは頭をかきつつ、彼女たちの質問に一つ一つ答えていく。

「はいはいはいっ!」

ディエルが手を上げたのは、ダインが一通り答え終えた頃合を見計らってからだ。

「男の手料理って興味があるの! 食べてみたい」

正直に言ってきた。「俺ので良いのか?」とダインが聞くと、ディエルは大きく頷く。

「明日作ってきてやっても良いぜ」

「おお、言ってみるもんね! お願いね?」

嬉しそうなディエルを見ているシンシア達は、かなり羨ましそうだ。

そこでもダインは空気を読んでいった。

「お前らも食べたいんなら作ってくるぞ?」

「え、で、でも大変なんじゃ…」

遠慮がちにニーニアが言う。

「材料は家庭菜園してるし沢山あるからな。作る手間だって大したもんじゃねぇよ」

そうまで言ったところで、シンシア達は「じゃあ」と嬉しそうな顔になった

「いや〜楽しみね!」

ディエルはもうわくわくしている。

「そこまで期待されるようなもんじゃねぇぞ? お前んとこで普段どんなもん食ってるのか知らないけどさ」

一応ディエルはお嬢様だ。昼はいつもパンのようだが、家ではさすがに手作りで豪勢な夕飯を食べているんだろう。

「昼は別よ。いつもパンだし」

「弁当はないのか」

「いえ、本当は今日、いつも忙しいメイド達が特別にお弁当作ってくれる予定だったんだけどね」

何かを思い出したらしく、「はぁ」と憂鬱そうに息を吐く。

「何かあったのか?」

「ドラゴンの復活騒ぎよ」やれやれとした顔のまま言う。

「復活の原因究明のための研究チームが管理者間で作られてね、その会議場所を不動産もやってるスウェンディ家が提供することになって、いましっちゃかめっちゃか」

肩をすくめ、またパンをかじる。

「会議予定地の清掃に備品の調達、研究者達の宿泊ホテルの手配に食事の準備。メイドも駆り出されることになって、私のお弁当作ってる場合じゃなくなったって、さっき通信があってね。それで、ついさっき慌てて購買部でパンを買ってきたってわけ」

パックのコーヒー牛乳でパンを流し込むディエルは、スウェンディ家の現状に一応納得はしてるものの不服そうな表情だ。

久しぶりの手作り弁当が直前にキャンセルになったんだ。彼女の気持ちはよく分かる。

「そういうことなら、楽しみにしてくれ」

ねぎらうようにダインが言うと、ディエルは笑顔で「ええ」と返してきた。

「よっし、ちょっと軽く運動してお腹減らそうかしら!」

すっかり元気を取り戻した彼女は、手早くパンを食べ終え立ち上がる。

「気が早いな」と笑うダインに「いーの!」と言って、同じく昼食を食べ終え落ち着こうとしていたシンシアとニーニアを立ち上がらせた。

「遊びましょ!」

と、彼女たちは前方の広場へ向かい、魔法を使って遊びだす。

ディエルとニーニアがそれぞれ炎と氷の魔法を使い、その空間をシンシアのバリア魔法で包み込む。

「お〜綺麗だな」

隣でもくもくと食べているティエリアに話しかけるが、返事が返ってこない。

見ると、彼女はどこかぼーっとした様子で口を動かしていた。

「先輩?」

再度話しかけると、ようやく気付いたティエリアが「あっ!」と声を出す。

「す、すみません、少し考え事をしていまして…」

「考え事?」

「は、はい…」

そういえば、昨日セレスから夢のことがどうとか言っていた気がする。

そのことかと考えていると、ティエリアがダインに体を向けてきた。

「あの…ダインさんには、お話します」

そう切り出し、語ってくれた。

「実はこの学校に入学する以前から、同じ夢を見ることが何度かあったのです」

「夢?」

「はい。光の中、誰かの声しか聞こえないという不思議なものだったのですが、《証》を持つ者を集めよ、という声だけははっきりと聞こえまして…」

「証…証って、エレンディアの?」

エレンディアの証というのは、いずれ復活するであろうと言われるレギオスに対抗するため、エレンディアの残滓ともいえる力を与えられた人物のことだ。

その力は七竜を封印した英雄たちそれぞれの種族に分け与えたものらしく、遺伝性があるらしい。

伝播性も持ち合わせているらしく、ある日突然エレンディアの証が現れる、ということも噂程度だがある。

創造神の力は残滓でも相当なもののようで、どんな種族でも覚醒に至ればゴッド族に匹敵する力を得られる…という話だ。

だが長年レギオスに動きはなく、平和が当たり前になった現在はその重要性も薄れてきた。

エレンディアというブランド力はあるものの、誰にどんなきっかけで発現するか分からないランダム性もあり、とりたてて有り難がっているわけではないというのが現状だ。

「最初は気にしないようにしていたのですが、あまりに頻繁に見るようになってしまって…。夢の通りにした方が良いのかもと思い始めたのですが、当初の進学先にはゴッド族の方しかいない小さなところだったので…」

つまり夢の内容に従い、進学先をこのセブンリンクスに変えたらしい。

「そういうことだったのか」

ダインは納得したように背筋を伸ばす。

「セブンリンクスにゴッド族が入学なんて、長い歴史上初めてのことだって聞いてたからさ。そんなとこに、人見知りの先輩がわざわざやってきたのが不思議でならなかったんだよ」

「す、すごい不安でしたけど…今となっては、入学して良かったと思います。証を持つ方は見つかってませんが…」

生徒会長に任命され、行事の度に壇上に上げられ進行の強要。ティエリアの入学後の苦難は察するばかりだ。

それでも入学してよかったと言うのは、ダイン達に出会えたからに他ならない。

「俺もそうだよ」彼女に笑いかけ、「それで」と話を戻す。

「その夢のことを考えていたからぼーっとしていたのか?」

「い、いえ」ティエリアは首を振り、続けた。「今回の復活騒ぎと、繋がりがあるのかもと思っていまして…」

「実際のところどう思う?」

一転して神妙な面持ちになったティエリアは、そのまま首を振る。「分かりません」

水筒を傾けつつ、再び地面に視線を落とした。

「そもそも、何故私にそのような声が聞こえることになったのか…証を持つ方々を集めたとして、その先に何があるのかも」

得体の知れない何かから重圧を掛けられたような不安が、彼女から伝わる。

「仮に此度の復活騒ぎと夢のことが繋がりがあるのだとしたら、文献で見たような混乱期がまた訪れるということでしょうか…」

文学少女であるティエリアは、エレンディア創世記のこともかなり勉強していた。

かつての不条理な出来事を散々見てきた彼女なので、ダインには計り知れない大きな不安を抱えているようだ。

「大丈夫だと思うぞ」

ダインは彼女に優しく微笑みかけつつ言った。

「昔は種族間戦争なんてものもあったようだけど、あの時と今は違うしさ」

彼の視線の先には、まだ魔法で遊んでいるシンシア達の姿がある。

「種族間の隔たりがないということは言い切れないけどさ、昔よりは確実に仲は良くなっているはずなんだから。エレンディアが異種族をまとめあげたときのように、みんな手を取り合い今の技術力を用いれば、レギオスなんざ楽に倒せるはずだよ」

安心させるための適当な言葉ではない。ダインは本当にそう思っていた。

混乱期は、現代でいう中世と同じぐらい物がなく技術力も乏しい大昔の話だ。ドワ族の努力により技術力は目まぐるしく成長を続け、魔法の研究も進んだおかげで強力な魔法を使える人も増えてきた。かつてはできなかったことも、いまなら不可能ではないはずだ。

「何があるか分からない以上、悩んでたって仕方ない。いまはできることをすべきだと思うよ」

「それは、夢に従い証を持つ方を集める…ということでしょうか」

「焦らなくていいと思うけどな。必要性を感じればその通りにすれば良い。俺も協力するしさ」

ティエリアは嬉しそうな顔をするものの、すぐに恐縮する。

「す、すみません、後輩の方に頼るようなことになってしまって…」

今更先輩風を吹かせ始めたティエリア。ダインは笑い飛ばした。

「はっきりいって、先輩は先輩とは思ってないよ」

「え?」

「友達だ。可愛い人だとも思ってる」

「あ…う…そ、その…」

正直に言われたことに、ティエリアはどうリアクションすればいいのか困ってる。

真っ赤にする姿が可愛くて、ダインはしばらく笑っていた。







用事があるから先に帰ってくれ、とシンシア達に伝えたダインは生徒会室の前にいた。

ノックをせずドアを開けてみると、デスクに座るラフィンが積み上げられた書類に目を通しているのが見える。

向こうもこちらに気付いたようで、作業を中断しつつ「入りなさい」と声を掛けてくる。

部屋にはラフィンしかいなかった。他の役員はみんな帰したのだろう。

案内されるままソファに腰掛けると、ラフィンもデスクから立ち上がって彼の正面に腰を下ろす。

「で、話ってなんだ?」

早速話を切り出そうとしたダインを手で遮り、彼女は目をつぶって何かを呟いた。

それは魔法だったようで、ラフィンの全身が一瞬光る。次いで部屋全体が淡い光に包まれた。

「防音の魔法よ」

ダインの疑問を予感してラフィンが答える。

「エル族の精霊魔法よりは効果は薄いけど、筒抜けよりはマシでしょう」

そして姿勢を正し、彼をまっすぐに見る。

「人に聞かれるとまずい話なのか?」

「ええ」と頷くラフィンは、やや視線を下げて話を始めた。

「ラビリンスのことよ。相次ぐバグのことは、あなたも良く知ってることだと思う」

そう言って、分厚い一枚の紙を机の上に広げる。

それはラビリンスの全体図が印刷された地図だったようで、ダインが目を通している間に彼女は続きを話した。

「ティエリア先輩から、ラビリンスの挙動がおかしいというのは聞いていたわ。モンスターの異常な増殖、上層階では出現しないはずの高レベルモンスターの召喚。機材の故障はその通りなんでしょうけど、故障だけでは説明できない異常が起きていたの」

生徒を守る生徒会長として、ラビリンスの異常を独自に調べていたと告白し、さらに続ける。

「あなたも見たはずよ。魔法が極端に効きづらい真っ黒なモンスター。レギオスの残滓」

「ああ、いたな」地図から視線を上げたダインに向け、彼女は声を抑えて言った。「あのモンスター、そもそも設定上出現しないはずなの」

「え? いや、最初に先生から説明受けたとき、出ることもあるって聞いたけど」

「最下層の、指定された一部区域でだけよ」

手を振ってダインの言葉を否定する。

「故障で上層階に出現するバグが出たとしても、自動で安全装置が作動し強制的に最下層に戻されるはずだった」

「その安全装置も故障してたってことなんじゃねぇのか?」

「そっちの故障は確認できなかったわ。動作テストでもおかしな点は見られなかった。生徒の安全には最大限の注意を払っているって教頭先生が言っていた通り、安全装置の機材は最新のものが使われていた」

ダインはソファの背にもたれかかり、腕を組む。

最新の機材が動作不良を起こした原因を考えていると、ふと地震のことが思い浮かんだ。

「そういや、あのラビリンス内だけでの地震がやたら多いって聞いたな…」

ラフィンも同じことを考えていたとばかりに大きく頷く。

「ラビリンス最下層のさらに下、最深部にラビリンス全体を制御する装置があるわ。装置にはあらゆるモンスターデータが組み込まれていて、新種までもが網羅されている。過去のデータもあるけれど、設定するには実際のモンスターの残骸が必要なのよ。欠片程度のものでいいんだけど」

「少し話を逸らすけど」そう前置きして、彼女はダインに尋ねた。「レギオスの残滓のデータは、どうやって装置に組めたと思う?」

「ん? そりゃ地上に湧いてるのを倒して…いや、あいつ等って確か倒したら霧みたいになって消えるのか」

ラビリンスで湧いたときも同じ挙動を目にした。

「引っ張ってきたんじゃねぇのか?」

「レギオスの残滓は、地上に湧いたとしても特定エリアからは移動できないわ。エレンディア様の封印力が働いてるっていう説があるけれど」

「そうなのか」

再びダインは腕を組む。

考え込む彼から答えが出そうにないと思ったラフィンは、もう一つ重要なヒントを出した。

「レギオスが使役していた七竜が、それぞれの大陸にばらばらに封印されているのは知ってるわよね?」

「ああ。大陸の、種族ごとに、なんだろ?」

「ええ。このオブリビア大陸では地獄の竜…ヒューマ族が管理しているダングレスが、地中深くに封印されてるという話よ」

地中。その話を聞いて、ダインはピンと来た。

「まさかそのダングレスって奴から、レギオスの残滓のデータを読み取っている?」

「七竜の封印場所は、余計なトラブルを招かないためにも基本的に管理者以外に知らされてない。暇なマスコミが嗅ぎつけただけの噂程度に過ぎない話だけれど、その噂によるとダングレスの封印場所はこのラビリンスの最深部よりさらに下にある、大空洞内にあるって話らしいわ」

七竜からデータを抜くというのは、並の学者じゃ発想すらできないだろう。だができたとしたなら、かなりリアルにモンスターが再現できているというのも納得できる。

だがそれならそれで別の疑問が湧く。

「でも封印場所には誰も立ち入れないはずだろ? データを抜くなんてことできるもんなのか?」

「管理者の中に協力者がいて、どうにかしてデータを引き抜けるようにしたんじゃないかしら。生徒の育成に役立つとか何とかで」

それはどうでもいいの、と言い捨て、ラフィンは地図に視線を落とした。

「データをダングレスから引き抜いている。そう仮定すると、地震の群発とバグの頻発から二つの可能性が見えてくるわ」

「なんだ?」

真顔で尋ねるダイン。ラフィンは再び背を真っ直ぐに正し、彼を見る。

「一つはダングレスの復活が近いかもしれない、ということ。もう一つは、データの引き抜きに失敗し、予想外の挙動が出てしまっているかも知れない、ということ」

あるいはその二つが同時に起きているかも、という彼女の顔は真剣そのものだ。

「これは先生方と私しか知らされてないことなんだけど、機材のある最深部は今もモンスターが増殖していて誰も入れなくなっているようなの。目の魔法でも分からないほど大量にいて、その中に異常な気配を感じたってゴードン先生から聞いたわ」

「異常な気配…?」

「昨日のドラゴンの復活騒ぎはあなたも聞いたでしょう?」

「まさか…」何事かを察したダインに、ラフィンは「ええ」と頷く。

「あくまでこれらは全て仮定の話よ。でもずっと調べてきた上での判断だわ。最深部か、またはその付近にダングレスの幻影が現れた…そう考えると、これまでのバグの全ての辻褄が合うのよ」

ダインからはしばらく返事はない。

顎に手を添え、考え込むような仕草のまま、ラフィンを見つめる目が不意に不思議そうなものに変わった。

「で…なんでそんな重要そうな話を俺に?」

問われたラフィンは、小さく息を吐きながら地図をたたんでいく。

後ろの棚に戻し、そのまま小声で答えた。

「ドラゴン相手だと、さすがに分が悪いのよ」

「そうなのか?」

「ええ」頷きつつ、再びダインの正面に座りなおす。

「ドラゴンは、例え幻影でも魔法が効き難いのよ。実体が暴れまわっていた混乱期、ドラゴンにあらゆる魔法が通らなかったために人々は瀕死に追いやられた」

そういえばそんなことが書かれてあったな、と思い出したのは彼女の言葉を聞いてからだ。

「あなたなら、どうにかできるんじゃないかと思ったの」

ダインは思わずハッとした顔になってしまう。

「どういう心境の変化だよ」

魔力、聖力の強弱がその人物の査定に繋がる。

特にラフィンにはその傾向が強く出ていると思っただけに、そんな彼女が魔力のない自分に頼るとは意外だった。

「別に見た目だけで相手のことを判断してるわけじゃないわ。判断できるほどの経験を積んでないし」

謙遜じみたことを言うのも意外だ。

「ここまで何も見てこなかったわけじゃない。魔力を持たない人だからって無視していたつもりもない。あなたは他のノマクラスの人とは違うように見えたから」

ニーニアやシンシアを守っているところを直接見たわけではないんだろうが、ダインが他とは違うのを感覚で感じ取っていたのだろう。

「いきなり買いかぶられたもんだな」

冗談めかして笑うダインに、ラフィンは茶化すなとばかりに険しい目を向ける。

「それでどうなの? 協力してくれるの、してくれないの?」

「いいぜ」

ダインは肩をすくめてそう言った。

「え、いいの?」

まさか即答してくれるとは思わなかったのか、ラフィンが意外そうに見てくる。

「選挙前のあの時よりも真っ当な依頼じゃん。俺としてもこの学生生活が少しは満足できるものになってきたからさ、それをダングレスだの何だのに潰されちゃ適わないからな」

「ああ、そう…じゃあ…」

彼女は一つ咳払いをする。

「よろしくね」

そのとき、ダインは初めてラフィンの笑顔を見たような気がした。

もちろん満面の笑みではなく口角が少し上がった程度だが、それでもこれまでの印象とはかなり違って見える。

「先生方も対応を検討中のようだけど、早急に対処した方が良いし、早速で悪いんだけど明日の放課後…何よ、突然笑って」

ラフィンは、ダインが含み笑いをしていたことにいま気付く。

彼は笑いを交えながら言った。「いや、笑えるんだと思ってさ」

「はぁ?」

「なかなか可愛いじゃん」

「ばっ!? な…ちゃ、茶化さないの」

顔を赤くさせたラフィンは、明日の段取りを説明してる間も調子が狂いっぱなしのようだった。



カバンを取るために教室に戻ると、夕焼け色に染まった教室の中には予想外の人物がいた。

ニーニアだ。彼女はダインの机に座り、そのまま突っ伏している。

「先に帰るよう言ったはずなんだがな…」

頭をかきながら彼女の元へ近づく。足音が聞こえているはずなのに、ニーニアが動く様子はない。

どうやら待ちくたびれて眠ってしまったようだ。

起こして良いものかどうか迷ったダインだが、そのあまりに気持ち良さそうな寝顔を見ていると起こすのも忍びない。

時間を確認し、下校時間までまだ少し余裕があると思った彼は、隣の席に腰を下ろしニーニアが目覚めるのを待つことにした。

すぅすぅという寝息が聞こえ、ついその寝顔を見てしまう。夕日に照らされた彼女は子供のようにしか見えない。

小さな頬は見るからに柔らかそうで、これまた小さな唇は僅かに開いており、そこから寝息が何度も聞こえてくる。

動いている姿も可愛いが、寝顔も本当に可愛らしい。

見ているだけでは我慢できず、つい小さな頭に手を伸ばし、待っていてくれたことに感謝の念を抱きつつ撫でてしまう。

するとニーニアから心地良さそうな声が漏れ、寝ながらも嬉しそうな顔になった。

それがまた可愛くて、そのまま撫で続けてしまう。ニーニアの髪は細くさらさらで、触っているこちらも気持ちいい。

だが少々調子に乗りすぎたのかもしれない。

「んん…」

くすぐったかったのか、上半身が僅かに震えたと思ったらその目がゆっくりと開いていった。

「あ…ダイン君…」

眠気の残る視線がこちらに向けられる。

「ダイン君…疲れて、ないかなぁ…?」

何を言うのかと思ったら、突然妙なことを言い出した。

「ん? いや、疲れてはないよ」

笑いながら首を振り、「帰ろうか」と声を掛けようとしたが、

「お腹、減ってないかなぁ…?」

また妙なことを言ってきた。

「帰ればすぐに晩御飯だから大丈夫だぞ」

「じゃあ、どこか痛いところとか、辛いところとか、ないかなぁ…」

まだ寝ぼけてるんだろう。だが言ってくることがいちいち可愛いので、ダインは笑いながらもちゃんと返事をする。

「どこも大丈夫だぞ。体調は万全だ」

ニーニアを安心させるために言ったつもりなんだが、どういうわけか彼女は喜ぶどころか眉間に皺を寄せ不満そうな顔になった。

「う〜…ダインくぅん…」

「はは。ニーニアこそ大丈夫…」

近づき、彼女の様子を近くから伺おうとしたときだった。

突然ニーニアの上半身が起こされ、近づいたダインの後頭部に両腕を回してくる。

「おぉ…?」

ダインが驚いてる間に、彼女の胸に抱かれてしまった。

「あ、あの…ニーニア?」

不意に柔らかなものに包まれてしまい、彼は内心ドキリとする。

吸魔してしまわないよう瞬時に自制心を保てたのは、彼にしてみれば相当な進歩だろう。

「癒されたいとかぁ、しんどいとかぁ、思うことがあったら、私に言って欲しいなぁ…」

そのままニーニアは間延びした声で言う。

「私が、出来る限りのこと、するからぁ…ダイン君のお世話…する、からぁ…」

それきり彼女から声は聞こえない。

ダインの頭を抱きしめたまま、すぅすぅと寝息をたて始めた。

「う…う〜む…」

ダインは思わず唸ってしまう。

普段から遠慮がちで積極的でなかったニーニアにこんな一面があったのは、驚き以外の何物でもない。

可愛い以外に言葉は出てこないが…さて、と彼は考えてしまう。

どちらにしろ彼女を起こさなくては帰れない。間もなく下校時間だ。

寝ぼけながらのニーニアの行動だから、彼女に意識はないのだろう。だが、“この状況”をどう始末すれば、ニーニアが恥ずかしがらずに下校できるのか。

ニーニアの腕の中、彼女の慎ましやかながらも確かに頬に感じる胸の感触に、ダインはしばし困惑していた。







「だい〜ん!!!」

玄関を開けると、ルシラの満面の笑みが飛び込んできた。

そのままダインの腹部に飛びついてきたので、靴を脱ごうとした手を止め咄嗟に彼女を抱きとめる。

「だいんっ!」

「良い子にしてたか?」

「うんっ!」

ダインは笑いながらルシラを抱きなおし、片手で靴を脱ぐ。サラが遅れて出迎えてきたが、その顔は珍しく疲れの色が出ていた。

「少々元気すぎますね…」

ずっとルシラの遊び相手をしていたのだろう。ヴァンプ族のサラを疲れさすほどの体力があるとは、ルシラは相当な元気っ子のようだ。

「で、どんな感じだったんだ? 親に連絡したんだろ?」

サラにカバンを渡しながら尋ねてみる。

「ええ。だんな様と奥様には連絡しておきました。そのまま家に置いておくように、とのことでしたね」

「ガーゴに引き渡すなってことか?」

「はい。だんな様側の方でもルシラの素性について調べてみるらしいです。私も朝から色々調べてみましたが…」

言いよどむ彼女から何かを感じ、ダインは「どうかしたか」とダイニングルームへ行こうとした足を止める。

サラは答える代わりに「こちらへ」と別の方向へ歩き出していった。

不思議そうな目をするダインに、彼に抱き上げられたままのルシラが含み笑いを漏らす。

案内された先は中庭だった。

もはや見慣れたものだったはずだが、風景が昨日見ていたものと一変している。

「…これは…」

ダインが育てていた草花。蕾だったものや芽を出したばかりだったはずの花壇が、まるで森のように成長していたのだ。

「ルシラの魔法ですよ」

サラが予想外の事を言い出す。

「魔法だ?」

思わずルシラの方を見てしまう。ダインの胸元にいた彼女は、どこか自慢げな様子だ。

「だいんがそだててるっていってたから、おてつだいしたの!」

「お、お手伝い…? お手伝いでここまで育てた…?」

意味が分からないと混乱するダインに、「みてて!」とルシラは彼から飛び降り、中庭の片隅に置いてあった植木鉢まで向かう。

土が詰められた以外は何もない植木鉢だが、確かミラクルトマトの種を植えていたはずだ。

ルシラはその植木鉢の上に小さな手をかざした。

「ん〜…!」

彼女から唸るような声が聞こえ、何をしてるんだろうと思った次の瞬間、信じられないことが起こった。

何もなかったはずの土から、芽が出たのだ。

彼女が手をかざしている間、まるで早送りしているかのように成長し始め、枝葉がみるみる足元に広がっていき、蕾が生り、花が咲いてトマトが生る。

「ね!」

そこで手を引っ込めると、植物の成長が止まった。

「ダイン坊ちゃまもご存知かと思いますが」固まるダインに向け、サラが話し始める。

「光や闇、精霊魔法など、この世にはいくつか魔法がございますが、何かを成長、変形させるような魔法は存在しないはずです」

聖力を用いた光の魔法には心身を強化する魔法はあるが、それは筋力の限界を引き出すだけで成長ではない。回復魔法も自然治癒力を高めるだけだ。

魔力を用いた闇の魔法は自然現象を操るものだし、精霊魔法は文字通り精霊を召喚し、その力を利用させてもらうだけなので対象を変化させるものはなかったはず。

「見た目はヒューマ族にしか見えませんでしたが、どうも違うようです」

確かにそうだ。植物を成長させるような光魔法は見たことも聞いたこともない。それにルシラが魔法を使っているとき、聖力ではない何か別の力を感じた。

「だんな様にルシラの能力を説明したのですが、他所様にばれるとろくなことがなさそうだから、黙っているようにとのことです」

「あ…ああ、それでガーゴに引き渡すなって言ってたのか」

親の考えが分かったダインは、難しそうな顔をして腕を組んでしまう。

「しかし、このままはさすがにまずいだろ。今頃、ルシラの両親は血眼になって探し回ってるんじゃねぇか」

事件、事故や育児放棄の可能性もある。親がいないということも考えられるが、ルシラが存在している以上関係者がいるのは間違いないはずだ。

「何か分かるようなものがあれば良いんですけどね」

サラも困った様子だ。ルシラは最初から服以外何も身に着けてない。記憶もないとあっては、ヒントが何もないのだ。

「もっとそだてそだて〜!」

ルシラは中庭を駆け回り、手当たり次第に植物を成長させている。

「あ〜待て待て」

ダインはすかさず彼女を呼び止めた。

「手伝おうと思ってくれてるのはかなり有り難い。有り難いけど、家庭菜園には成長過程を見る楽しみっていうのもあるんだよ」

「たのしみ?」

「ああ。芽が出てきたな〜とか、葉が出てきたなとかさ。いきなり育ちきっちまったら、そういう発見ができなくなるだろ?」

目線を合わせそう説明すると、言ってることが理解できたのかルシラは笑った。

「ふふ、そーなんだ。分かった!」

ダインに背を向け、中庭に向かって大きく両手を広げる。

再び「ん〜!」と彼女が念じていると、成長しきった植物たちが今度はみるみる背を縮ませていった。

花は蕾に。枝葉は芽に。早送りが逆再生になったように植物が成長を巻き戻し、昨日見た光景に戻る。

「ん、これでいーい?」

そうルシラが笑いかけてくるものの、ダインもサラもしばらく反応できなかった。

「…すごい…ですね、これは…さすがに驚きました」

ようやく動き出したサラは、確かに珍しく驚いた顔をしている。

「すげぇなんてもんじゃないだろこれ…」ダインはまだ信じられない様子でいる。

植物を意のままに操るルシラ。本当に何者なのだろうか。

懐いてくれるのは嬉しいが…。

ふと彼女の気持ちに考えが及んだダインは、再びルシラを呼び寄せた。

「なぁルシラ」

「ん、なーに?」

「ルシラは、いま不安じゃないのか? 記憶がないままここに連れて来られてさ」

彼女の正直な気持ちを聞きたくなった。

普通の子供ならば、例え育児放棄なんて憂き目に遭ったとしても、やはり親元に帰りたがるものだ。

住み慣れたところが一番良いのではないだろうか。そう思って問いかけたが、ルシラは微塵も不安を感じさせないような笑顔で言った。

「だいんもさらも、やさしいしだいすきだもん!!」

まだ昨日出会ったばかりだ。昼間ダインは学校に行っておりまともに話したのは今回が初めてと言っても良いぐらいなのに、ルシラは少しも疑う様子もなく大好きと言ってのける。

それほど、自分を助けてくれたことに感謝しているのだろうか。それとも一目見ただけで、相手のことが分かっていたのだろうか。

ヒューマ族の子供相手なら「分からないだろ?」と言っていたところだが、種族が不明で特殊な魔法を使えるルシラなら、一瞬で相手を見極める能力を持っていたとしても不思議ではない。

何より、大好きと言ってくれたその太陽のような笑顔に疑う余地はない。

「ルシラがいたいって言うのなら、いくらでもいていいよ」

彼女の頭を撫でながら言うと、ルシラは「ほんと!?」とさらに笑顔になって飛び跳ねた。

「これも何かの縁だしな」

「わーい!」

再び両手を広げ全身で喜びを表現し、そのまままたダインに抱きついてくる。

ダインは笑ってしまいながら、彼女を抱き上げた。

「晩御飯は何にしましょうか」普段滅多に表情を崩さないサラも笑顔だ。

「ルシラは何が食べたいんだ?」

「おさかな!」

「魚か」

そのまま3人はキッチンへ向かう。全員で手伝い合いながら料理に取り掛かることにした。



「ダイン坊ちゃま、ルシラのことは本当にご存じないのですか?」

風呂に入りリビングのソファでくつろいでいると、就寝前の紅茶を持って来つつサラが言ってきた。

「ダイン坊ちゃまに対する懐きよう…感謝だけではないような気がするんですよね」

サラはそのままダインの隣に目を向ける。

彼の隣には、さすがに遊び疲れたんだろうルシラが足を放り投げながら寝息を立てていた。

むにゃむにゃと口を動かし寝やすい姿勢を探しながらも、その小さな手はダインの指を握り締めている。

「確かに今まで親父たちに連れられ世界各国回ったが…」ダインは天井を見上げ、過去のことを色々と思い出しつつルシラに関する記憶を探る。

「ルシラとは出会ってないな。そもそも他人と接する機会がほとんどなかったんだ。断言できる」

首を振りつつ言うと、サラはやや残念そうに「そうですか」と返す。

「見た目だけでしたらヒューマ族にしか見えないのですけどね…」

「種族的な特徴も見られなかったのか?」

サラの鋭い観察眼に期待して聞いたものの、彼女はゆっくりと首を振る。

「様々な食材を見せてみましたが避けている様子はなく、日光も平気。お風呂に入れた際も確認しましたが、身体的な特徴はありませんでしたね。独特な言動も見られませんでしたし、習慣じみた行動やクセもありませんでした」

お手上げとばかりにサラが肩をすくめる。

「残す手段は、内臓や血の色を見ることぐらいですが…」

いきなり物騒なことを言い出しダインはぎょっとするが、ルシラの寝顔を見たサラはまた首を振る。

「このような可愛らしい子に傷をつけることなどできませんしね」

「いや、そりゃそうだろ」思わず突っ込んでしまう。

「この外見だけで内臓の位置なんて大体分かるだろ」

医学知識も持ち合わせているサラだ。案の定彼女は「そうですね」と言った。

「ただ特殊な魔法を使えるだけで、やっぱヒューマ族なんじゃねぇのか?」

「ダイン坊ちゃまもお気づきでしょう。ルシラに宿っている力は聖力ではありませんよ」

確かに彼女の言うとおり、ルシラからは聖力どころか魔力すらも感じない。

「その種族として生まれた瞬間、聖力か魔力が宿るのはこの世の絶対的なルールです。例え聖族と魔族の混血児が生まれたとしても、そのどちらかの魔法力が宿るものなのですから」

「それは知ってるけどさ…」

だがそうなるといよいよルシラの素性が分からなくなってきた。

「まぁ、ルシラがこの家にやってきてまだ一日目ですからね。性格的な特徴やクセなど、一緒に過ごしていけば見えてくるのではないでしょうか」

「そうだな」

ダインは頷きつつ、再びソファにもたれかかる。

「見た目だけで判断するなら、ヒューマ族かドワ族ぐらいにしか見えないんだけどなぁ…」

真横でサラと話し合っているというのに、ルシラは一向に起きる気配がない。

「可愛いドワ族と言われても納得してしまいますね」

サラがルシラの頭に手を添え、優しく撫でている。彼女からくすぐったそうな笑い声が漏れた。

「ドワ族か…」

そのとき、ダインの脳裏にふと放課後での出来事が蘇った。

ダインの机に突っ伏し、待ちくたびれて眠ってしまったニーニア。

寝ぼけたまま抱きつかれ「世話する」なんて言われたんだ。

今も頬に彼女の感触が残ってるような気がして、徐々に顔が熱くなってきてしまう。

「どうされましたか?」

そんなダインの変化に、サラはいち早く気付いたようだ。

「ん、いや、大したことじゃないんだけどさ…」

親が留守中は、学校でのことは包み隠さず世話係のサラに報告すること。

母から言われたことを今頃思い出しながら、ダインは正直にニーニアとのことを彼女に報告した。

普段引っ込み思案で遠慮がちだった彼女から抱きつかれた。

細かいことは省きつつ説明すると、サラは「そのようなことが」とやけに興味深そうな顔で頷く。

「いきなり来られたから焦ったよ。寝ぼけたらあんな感じになっちまう奴なのかな」

「そうではないかも」と顎に手を添えながらサラが言ったのは、数秒考えてからだった。

「喜ぶべきことかもしれませんね」

「どういうことだ?」と尋ねるダイン。サラは再び彼の隣に移動し言った。

「ダイン坊ちゃまは、そのニーニア様に気に入られたということです」

「はぁ…、は?」

なおも不思議そうにする彼に、サラが説明したのはドワ族の特徴についてだ。

「ドワ族が創作が得意な種族というのはダイン坊ちゃまもご存知の通り。彼らはものづくりに対して余念がなく、妥協もしない。そして自身が作り上げたものには愛着を持ち使い続ける。修復に手間隙かけてでも、できるだけ長持ちさせようとする。その性格は、対人関係にも現れるというのがドワ族のもう一つの特徴なのです」

「愛着?」

「はい。愛着…つまり気に入った相手には、何かと世話を焼きたがり、尽くしたがる傾向にあるようです」

それはダインも知らなかったことだ。

「あの可愛らしい見た目で世話好きですから。とある番組で実施された、愛くるしい種族ランキングではドワ族は一位を維持し続けていましたね」

そのランキング報告は、いまの彼には届かない。

ニーニアに気に入られた。愛着を持たれた。

サラの説明によりその事実に気付いたダインは、また顔を赤くさせてしまっていた。

「ですが、一つ注意するべきところがございます」

サラは不意に真面目な顔に戻る。

「世話好きは良いのですが、少々頑張りすぎるところがあるのです。人を駄目にする種族という別名もございますし、ある程度は抑制していただかなくてはなりません」

人見知りで引っ込み思案なニーニアだが、自作だというニーニアのアクセサリーには努力の証が随所に見受けられた。

頑張りやなのは間違いないだろう。サラの言うとおり、こちらが引き止めない限りいくらでも頑張ってしまうかも知れない。

「注意して見ておくよ」

「それが良いでしょう」

性格の違いは種族にも現れる。

ドワ族だけじゃない他の種族にも、隠された違いがあるのかもしれない。

「種族の違いがあるからこそ、この世は成り立っているのです」

サラのその言葉は、ダインの中にすとんと落ちたようだった。





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