表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
61/240

六十一節、狙われたダイン

突然作業部屋に入ってきたのは、小型だがメイド服を着た一体の角々しいロボットだった。

キャタピラの駆動音と共にダイン達のところへやってきて、彼らを見上げるように頭が動く。

『いやいや、先ほどは失礼した』

角張った頭部にはスピーカーでも仕込まれてあったのか、そこからしわがれた声がした。ギベイルの声だろう。

『お詫びといってはなんだが、孫娘のニーニアから聞いていたものを持ってきたので、これで許して欲しい』

そのロボットは両手にお盆を乗せており、そのお盆の上には一冊の分厚い本があった。

素材白書だ。

まさかこんなに早くに見れると思わなかったダインだが、恐らく自分にではなくニーニアへの罪滅ぼしに持ってきたのだろう。

後で話がある、とニーニアにいわれたのはよほど堪えたらしい。

「いいんすか? こんな簡単に…」

大事なものなんでしょうとダインがロボットにきくと、『孫娘の数少ない友人だ。出来る限り応えてやりたい』、ギベイルの声でそう返してきた。

『閲覧に際して特に機密事項もないから、自由に見てくれ。それでは』

ダインが本を受け取ったところでロボットは一礼し、再び駆動音を鳴り響かせたまま退室していく。

「ごめんね、ダイン君」

そのとき何故かニーニアが謝ってきた。

「悪いと思ってるなら、ロボットじゃなくて直接渡しに来れば良いのに…」

ギベイルのやり方に不満そうにしているが、「照れくさいんだろ」、ダインは笑っていった。

「男の友達だから、接し方が分からないんだよ、きっとさ。それに爺さんも親父さんもドラゴン対策で忙しいんだろうし」

ギベイルに気遣いを見せながら、ダインは早速『素材白書』と書かれた本を閲覧しようと、まずは目次を開く。

が、辞典だけに如何せんページ数が多い。流し読みしたとしても、結構な時間を費やしてしまいそうだ。

どうしようかと考えているところで、ダインの隣にニーニアがやってきた。

「まずは当りをつけて閲覧したらいいと思う。序盤のページはみんな知ってるような素材ばかりだから」

椅子に座るよう促され、かけたダインは作業台の上に本を置き、ページを開いた。

その素材白書は、さすがドワ族が作ったものだと思ってしまうほどに、素材の紹介の構成にこだわりが感じられた。

素材の一つ一つに図解が描かれており、解説までつけられている。

文字も手書きではなく機械で印字されたもののようで、非常に読みやすかった。

おまけにどこでその素材が入手できるか、どういった場所に群生しているか、細かく明記されており地名から逆引きもできる。

思わず見入ってしまいそうになったところで、シンシアたちの視線も感じた。

彼女たちもダインの後ろに立ち、素材白書を覗き込んでいた。どうやら一緒にルシラの居場所を探してくれるつもりのようだ。

しかしいくら大きな本とはいえ、それを四人で見るのは手狭だ。

「俺はここで見てるからさ、みんなは街に出てきたらどうだ?」

暇だろうとダインはいった。「せっかく都市部に招待してもらったんだし、本を見てるだけじゃもったいないって」

トルエルン大陸地下都市は、最先端の技術が結集しているだけあって旅行客が多い。

訪れる人が多い分ファッションもグルメも流行りモノで集中しており、街自体が数多くの媒体で注目されている。

特に都庁の近くにあるモール街は多数のファッションブランドが本社を構えており、デザイナーを志す奴や旅行客であれば必ず一度は立ち寄りたい場所だ。

シンシアとティエリアも例外ではなかったようで、早速シンシアが「どうする?」、とティエリアとニーニアに相談していた。

「も、モール街には行ってみたいのですが…」

ティエリアの視線はちらちらとダインに向けられている。彼を作業室に一人置いて出て行くことに抵抗があるようだ。

「あ、じゃあ私たちで下見に行きましょうか」

シンシアがいった。「面白いお店をチェックしといて、後でダイン君を連れてみんなで見て回るっていうのは」

「それいいね!」

大賛成とばかりにいったのはニーニアだ。「一人じゃ入りづらいお店もあったけど、みんなとならなんとか入れそうだし…」

「ああ、そうしろ。ここ涼しいし、俺は大人しくしてるよ」

ダインがいったところで、彼女たちは手にしていた荷物から携帯を取り出しそれぞれのポケットに入れる。

「じゃあダイン君、行ってくるね。お昼前には帰ってくるから」

「ああ」、と返事をするダインに、ニーニアは続けて「この部屋にあるもので危険なものはないから、自由に触って大丈夫だからね」、といった。

「ん、好きにさせてもらうよ」

「では…」

「すぐ戻ってくるからね!」

それから彼女たちは部屋を出て行き、どこから見て回ろうかと相談し合う声が遠ざかっていった。

楽しそうだったシンシアたちの顔を思い出しながら、ダインは素材白書に目を通す。

その本は、この世の全ての物を網羅してるのではないかと思うほど、種類が豊富だった。

砂から薬草、水や鉱物、植物に動物、モンスターまで。

同じ砂でも産地によって材質の含有量に違いがあり、亜種や希少種の記述まである。

水の項目だけで数百ページも割かれており、本当に丁寧で抜かりのない内容だった。

見ているだけでも何だか楽しくなってきてしまい、どんどん読み進めてしまう。

次第にその本を持ち帰りたくなったが、ドワ族の英知が詰め込まれた一冊だ。

信用して閲覧を許可してくれたのだろうし、書き写したり写真に収めることはしない方が良いだろう。

それに今回はルシラに関するヒントを得たくて見せてもらっているのだ。知識欲を満たすのは次回に繰り越そう。

そう思いつつダインはページを捲っていくが、しかし一つの素材にこれほど詳細に書かれたものは見たことがない。

一つの知らない素材から全く知らない世界の詳細が分かっていき、見たことのない綺麗な鉱物にはロマンを感じる。

読み進めるたびに世の中の広さを痛感し、風景画像に見とれてしまい、しばしば当初の目的を忘れてしまっていた。



そうして数時間が過ぎた頃だろうか。

開いたページに、上からぽとりと水滴が落ちたのが見えた。

「ん…?」

上を見るが何も無い。周囲にも、水滴が飛ぶような物はない。

自分の額を触ってみると、手に水がべっとりと張り付いていた。どうやらそれは自分の汗だったようだ。

そこでようやく、部屋の温度が上がっていたことに気付く。

「あっちぃな…」

先ほどまでは涼しかったはずなのに。

トルエルン大陸はマグマが地表に近いため、本来であれば地下都市はとても人が住めるほどの状態ではなかったが、ドワ族が開発した強力な冷房装置が上部の至る所に設置されているため、むしろ地上よりも住みやすい場所のはずだった。

冷房装置の種類は複数あって、空冷、水冷、色々あったはずで、さっきまでは暑さなど微塵も感じなかったはずなのに…。

冷却方法を魔法式に変えたのだろうか。

カバンからタオルを取り出し汗を拭う。

完全に溶けたお茶を飲み干してもなお、汗は止まらなかった。

「何か変だな…」

異変を感じつつも、とりあえず何か飲み物をもらおうと作業室を出ようとする。

が、そのドアは何故か勝手に開かれた。

「たっだいまー!」

入ってきたのはシンシアだ。

「お、おお、もう帰ってきたのか」

「うん、そろそろお昼だし…って、ダイン君すごい汗だね!?」

ダインの顔を見るなりシンシアは驚きの声を上げた。

「どうしたの? 運動でもしてたの?」

「いや、妙に暑いんだ。何か急に温度が上昇したようでさ。部屋の冷房が切れたんじゃないかって」

異常をシンシアに尋ねるものの、部屋の空気を確かめたシンシアは「う〜ん…」、首を捻った。

「特に変わってないように感じるけど…快適だよ?」

「んなバカな…」

「外と変わらない気がするけどなぁ」

確かに彼女は汗一つかいてない。

「ってことは、やっぱ冷却方法を魔法に変えたか…」

ダインが呟くと、「冷却装置に魔法式のものはなかったはずだけど…」、とシンシアがいった。

どうしてダインだけが暑いのか真相は分からないが、屋内なのに炎天下にいるようなこの状況では頭も回らない。

「飲み物もらってくる」、とダインが出て行こうとしたところで、「あ、いいのがあるよ」、シンシアはお土産にと買っていたらしい、トルエルン産のレモンティーが入ったペットボトルを差し出してきた。

「おお、助かる」

ダインはお礼を言って、そのレモンティーをごくりと飲む。

キンキンに冷えていたおかげで体内の温度は一気に下がり、頭もはっきりしてきた。

落ち着いたダインは椅子にかけなおし、シンシアももう一つの椅子を引っ張り出してきてダインの隣に座る。

「それで、どうしたんだ? ニーニアと先輩は?」

ダインがきくと、「二人はキッチンにいるよ」、シンシアは近くの棚から団扇を取り出し、暑そうにするダインに風を送りつつ答えた。

「ニーニアちゃんすごい張り切りようでね、おばさんとお婆ちゃんでお昼ご飯作ってるよ。ティエリア先輩はレシピを知りたいって張り付いてる」

「で、シンシアは?」

「私も素材白書見たいなーって」

「ああ、じゃあほら」

ダインはシンシアの手前まで本を滑らせた。

「俺はちょっと涼んどくわ」

もう一枚ハンドタオルを取り出し、汗を拭きながらシンシアから団扇を受け取り扇ぎだす。

「ルシラちゃんの居場所に繋がるヒントは見つかった?」

「いや」

ダインは首を横に振って答えた。「ちょっと本の内容が面白すぎてな。素材白書は、ある意味で俺には毒だわ」

「ほほう?」

シンシアは早速素材白書の内容を確認していく。

彼女もその本は見るのが初めてだったようで、ダインのいっていたことに共感できることが多々あったのか、「確かに毒だね」、時間泥棒だよと笑った。

「モール街には何か面白いもんあったのか?」

尋ねると、彼女は「あったよ」、そう答えたが、表情が曇りだす。

「あったっていうか、ありすぎたっていうか…何日あっても見て回りきれないほどだったよ」

「そんなにか」

興味を示しダインが前のめりになると、シンシアも本から目を離し前のめりになって続けた。

「どこもお店がひしめき合っていてね、有名店の本店とか本社とか沢山あって、モール街だけにすっごく広くて」

両手を一杯に広げるシンシアは、モール街の風景を思い出したのか目が輝きだす。

「どのお店もキラキラ輝いているようで、ショーケースに並ぶ服はどれもすっごい可愛くて、流行モノを取り揃えたアクセサリーも全部テレビで見たことあるようなものばかりで、本屋さんも大きな図書館ぐらい広くてジャンルがものすごく多くてね」

身振り手振りで語るシンシアは、かなり興奮した様子だ。

トルエルン大陸、地下都市中央部の巨大モール街。一大テーマパークばりの面積と種類を誇るそこは、噂に聞いていた通りの巨大ショッピング通りだったようだ。

「グルメ街は危なかったよ! お昼時だからかすっごく良い匂いがそこら中からしていてね、ずっとそこにいたら何か食べちゃいそうだったから、急いで戻ってきたんだよ」

とにかく見るところが多すぎて、店の外観を確認して回っただけで帰ってきたらしい。

確かに店の中に入らなくて良かったかもしれない。物欲に支配されがちなシンシアなので、一度店に足を踏み入れたら、今頃すっからかんで帰ってきていたことだろう。

「午後からは俺も付き合うよ」

「気をつけようね!」

ああ、と返事をしつつ、再びこめかみを伝って落ちる汗をタオルで拭う。

「しっかしこの暑さはどうにかなんねぇかな…」

いくら待っても温度が下がる気配が無い。

「おかしいねぇ。最近冷却方法を魔法式に変えたのかなぁ」

「この部屋だけってことはないよな」

「さっき外から来たけど、気温の変化は特に感じなかったよ」

「そうか…」

「ニーニアちゃんのお家の方にいってみる?」

「昼ご飯作ってくれてるんだろ? 邪魔したくないから、ここでもうちょっと待ってるよ」

我慢できる暑さだとダインはいうが、汗はとめどなく溢れてきている。

見かねたシンシアは、立ち上がって試作品を置いている棚まで歩いていった。

「確かこの辺に…あ、あった」

と、彼女が持ってきたのは、手のひらサイズの小さな扇風機だった。

プラスチック製かと思いきや、全体的に青々とした色をしており、シンシアが触れた部分の内部では波紋のようなものが広がっている。

「これ、水を特殊加工で固めただけの扇風機らしいよ。素材が全部水」

「え、マジ?」

「うん。使用者の魔法力が動力源だからコードもスイッチも要らないもので、試作段階だけどすごいよね」

扇風機をダインに向けたまま、シンシアが集中し始める。

すると扇風機の羽が独りでに回り始め、水冷された空気がダインへ向けて流れていった。

「おぉ…涼しい…」

団扇で扇ぐよりも涼しくて、海水で作られたものだからかうっすらと潮の匂いもする。

目を閉じれば海辺にいるような気分だ。

それだけで十分満足だったのだが、「確かもっと強く集中すれば…」、シンシアは目を閉じ、むむ、と声を発する。

突然羽の回転力が増し、風量も大きくなった。

「おお、強弱もできるのか」

「驚くのはまだ早いよ!」

扇風機をよく見てて、とシンシアがいう通りに凝視していると、なんとその水で作られた扇風機が白く変色していった。

全体に白いもやのようなものが立ち上っている。どうやらそれは凍り始めているらしい。

「す、すげぇな!」

これにはさすがのダインも驚いた。「どういう原理なんだ?」

「説明してもらったけどよくわかんなかったよ」

氷を介しての風は、水冷よりも段違いで涼しい。

ダインの汗は一気に引いていき、クーラーの効いた部屋に入った瞬間のような息を吐いてしまった。

「マジで天才だなあいつ…商品化すればすぐ売れるんじゃないか?」

画期的なアイテムのように思えるダインだが、シンシアの反応はやや難しそうだ。

「こういう体温調節系のアイテムは、他にも沢山あるからねぇ」

そうだった。保冷シャツやカイロブーツなど、世の中には魔法を織り込んだ体温調節系のアイテムは沢山開発されていた。

ダインは魔法の効かないヴァンプ族なのでその恩恵を受けることは難しいが、扇風機以上に使い勝手の良いアイテムはどこの国でも売られている。

つまり扇風機の商品化は難しい。ニーズがあってこその商売なので、少数派に向けたアイテムというのは滅多なことでは出回らないのが世の常だ。

「これだけでもニーニアに売ってもらって…いや魔法力がないと動かないのか」

はぁー、と残念がるダインの気持ちを察したシンシアは笑い、「とにかく涼めているのなら良かったよ」、といった。

「負担じゃなければ、そのまま扇風機頼んでいいか?」

「うん、全然問題ないよ」

シンシアが快諾したところで、ダインは引き続き涼ませてもらうことにした。

そのままシンシアは素材白書に目を通す。

ダインがいっていた通り、その本は見てるだけで心が躍ってしまうような楽しいものだった。

印字は読みやすく図解つきで、素材白書という年季の入った名前どおり、紹介されている素材の種類は驚くほど豊富だ。

適当に書きなぐったような“全人網羅の書”とは違い、辞典というよりは図鑑に近いレイアウトをしている。

その素材が何のアイテムに適しているかの補足事項まであって、商品カタログのようにも見えた。

周囲に漂う埃を全て吸い込むスポンジ。絵に描いた通りに物体化する氷の絵の具。何の調理もしなくても、材料を丸ごと放り込めば料理が出来上がる魔法製の鍋。

シンシアも思わず読みふけってしまい、しばし作業室の中は扇風機の音しか聞こえないほど静かになった。

やがて彼女はオブリビア大陸に存在する素材に行き着き、そこで何が採れるのかに興味が湧いた。

モンスターの糞や死骸といった生々しいものから、星型の砂、燃えるような色の鉱物、透き通るような紫の水。

パープルプールという湖のところで目が留まり、興味の引かれたシンシアはそこを指差し、「ねぇダイン君、これ知ってる?」、と尋ねた。

彼と情報を交換しようと思ったのだが、ダインからは返事が無い。

「ダイン君?」

机の上で両腕を組み、そこに頭を乗せたまま、彼は動かない。

覗き込むとその目は閉じられており、口からは定期的な呼吸音が聞こえる。

どうやら眠ってしまったようだ。

汗をかいたからか、部屋が静かすぎたからかは分からないが、シンシアは思わず「ふふ」、と笑い声を漏らしてしまう。

そのまま寝かせよう。

昼まで間もなくという時間だが、ニーニアの張り切りようから考えて、完成まではまだもう少し時間がかかるはずだ。

ダインの眠気をこんなところで消費してしまうのは、野望を抱いているニーニアに申し訳ないが、もう少しだけ彼の寝顔を独占していたい。

シンシアは素材白書を見るのを止め、彼の横顔をジッと眺めていた。

「可愛いな、ダイン君…」

滅多に見れないダインの寝顔に、シンシアはたまらなくなって手を伸ばしてしまう。

頭を撫でようと彼の髪に触れた瞬間、不思議なことが起こった。

眠ったままのダインの全身が、一瞬縮んだように見えたのだ。

「…え?」

異変を感じすぐに手を引っ込めると、ダインの姿が元に戻る。

「…?」

見間違いかと思ったシンシアだが、念のためもう一度彼の頭に触れてみた。

するとまた彼の全身が瞬時に縮まり、驚いたシンシアが手を引っ込めると、またまた彼の姿が元に戻る。

「え…え? え?」

明らかな異常に、シンシアは瞬く間に混乱してきた。

思わず周囲を見回し、異変の原因がどこかにあるのではないかと様々な場所を注視してしまう。

しかし見た限りでは、どの試作品も怪しい挙動は確認できない。

幻視の魔法が仕掛けられている形跡もないし、人の気配も感じない。

とはいえ、まだ断定は出来ないだろう。

これまで何度もニーニアの作業部屋にお邪魔させてもらったシンシアだが、試作品の特徴全てを把握しているわけではないのだから。

つまりそれら試作品が偶発的に何らかの異常を発生させ、ダインに影響が出てしまったという可能性もあるはず。

先ほどやけに暑がっていたのはその前兆ということも考えられる。

だが、そもそもダインにはどんな魔法も効かないはずだが…。

無言でいたシンシアは、再び眠ったままのダインに視線を戻す。

三度、彼の頭に触れてみた。

するとやはり、ダインの全身が音もなく小さくなり始め、まるで子供のような姿になってしまう。

手を離すと元に戻り、触ると小さくなる。

その光景は幻視の魔法ではなく、周囲の試作品が誤作動を起こしているわけでもない。

「わ…私…なのかな…」

シンシアは思わず自分の手元を見た。

強く念じて自身の体に異常が無いか調べてみるものの、異物感や虚脱感はない。

何かしらの状態異常系の魔法がかけられているわけではなさそうだ。

自分ではなく試作品の影響でもない。つまり、ダイン自身に異変が起きているということになる。

魔法が極端に効きにくく、ゴッド族であるティエリアの魔法すら受け付けなかった彼なのに。

「どういう…ことなのかな…」

不可思議としか言いようが無いこの現状に、シンシアは理解が追いつかなかった。

ダインの中でどういう変化が起きているのか、何という魔法の影響を受けているのかが全く分からない。

ひょっとしたらヴァンプ族の魔力なり体質なりが、このトルエルン大陸特有の何かに干渉を受け、奇怪な事態を招いているのかもしれない。

それともダイン自身に何らかの病気が発症し、そのサインとして小型化してしまっているのかも知れない。

事態は一刻を争うような危機迫った状態という可能性もある。

いますぐ医者か彼の親族を呼び、原因究明に乗り出すべき状況かもしれないが…。

「……」

シンシアは再びダインの頭に触れる。

彼の衣服はそのまま、彼の肉体のみが瞬時に小さくなり、子供そのものの体型と顔つきになった。

どうやら触れたままでいると、小型化した体型は維持できるようだ。

ちなみによほど深い眠りに落ちているのか、ダインが起きる気配は無い。

「…ダイン君…」

周囲には誰もおらず、人が入ってくる気配も無い。

目の前には子供になってしまったダイン。その寝顔はあどけなさしかない。

シンシアは未だ状況がよく飲み込めていなかったが、子供になった彼を見ているうちに沸き起こってきたその感情は、もはや抑えることなどできなかった。

彼女はニーニアほど強い世話焼き体質は持ってなかったものの、女性としての母性本能は当然あった。

気になる異性の、それも写真の中でしか見れなかった、ダインの幼少期の姿。

それが目の前に現実としてあったいま、シンシアの母性本能が強く刺激されたのは必然の流れだろう。

「ちょっと…ちょっとだけ…」

眠るダインを起こさないよう注意を払いつつ、彼の両脇を掴む。

普段の姿であれば絶対にできなかったことだが、小型化した彼はシンシアの細い腕でも容易に持ち上げることが出来た。

「お…おぉ…」

持ち上げられただけで感動してしまったシンシアは、内心極度に緊張しつつ、それでも自然な流れで彼を自分の足の上に座らせた。

足に彼の重みを感じ、寝ていて自重を保てないため彼の全身がシンシアに寄りかかる。

「ふわ…」

彼の肌の心地よさは、小型化してもなお残っていたようだ。

思わず体を震わせてしまうシンシアだが、気持ちを奮い立たせ、母が子を抱っこするように思い切ってダインをそっと抱き寄せてみる。

「う…うわ…うわぁ…」

腕の中にすっぽりと収まるダインの体。

シンシアの大きな胸元に、彼の小さな頭部が埋まっている。

ふわふわの抱き心地に温かな体温。

シンシアの脳内は、瞬時に“カワイイ”の言葉で埋め尽くされてしまった。あまりの感触に顔は一気に緩んでしまう。

最初は遠慮がちだったが、次第に力を込めてしっかりとダインを抱きしめてしまう。

もちろんシンシアは母になった経験などない。しかし、いまこの瞬間に母性というものを理解し、その母性が満ち足りたような気分に陥っていた。

「ダイン君…可愛い…ダイン君…」

子供化してしまった同級生を抱っこ。

まず想像すらできない状況だが、シンシアは大満足していた。

このありえない光景が、少しでも長引くように…。

誰も来ないようにと、シンシアは心から願い続けていた。


そんな、シンシアの腕の中。

柔らかすぎる彼女の胸に抱かれながら、ダインの意識は人知れず覚醒していた。

眠って目を開けたら、同級生に抱っこされていた。

彼は困惑の極みにあった。

つい先ほどまで、彼は凍った扇風機の風を心地よく受け、そのまま寝てしまっていたはずなのだ。

体が浮くような感覚がした瞬間に目が覚めたのだが、反応する前にどういうわけかシンシアに抱っこされてしまった。

目を開けていない…というか何となく目を開けてはいけない感じがしたので、いま現在どういう状況なのかよく分からない。

自分を抱きしめているのは、その感触や声から確かにシンシアだというのは分かる。

だがダインはシンシアより背も体も大きかったはずなのに、どうやって膝上に座らせ、頭部を抱きしめることができたのだろう。

魔法でシンシアが巨大化したのだろうか。それともニーニアが作ったシンシアに似せた巨大ロボか何かに抱かれているのだろうか。

様々な憶測が脳内を飛び交い、いい加減混乱してしまいそうになったので、薄目を開けて確認してみると…、

「ん〜…! 可愛いよぉ…! はぁ…ダイン君〜…!!」

シンシアのやけに興奮した声がする。

明らかに彼女の匂いがしており、感触もシンシアで間違いない。

僅かに見えた視界では、自分の服がやけに余っていたのが見えた。手も足もシンシア以上に細く短い。

逡巡した後、シンシアが巨大化したのではなく、自分が縮小化したのだということに気がついた。

まさかこのような形で“初めて”魔法の影響を受けることになるとは思わなかった。

どのような魔法で、そしてどのようなメカニズムで魔法の効かないヴァンプ族の肌を貫通したのか分からない。

だが、“誰が”その魔法をダインにかけたのかは何となく分かる。

ルシラだ。

これが、ルシラの“サプライズ”だったのだろう。

確証は無い。断定できるほどの情報もないが、夢の中でルシラがいっていた通りの展開に、いまなっているのだから。

まだ困惑はある。突然の展開に追いつけてはいないが、同時にチャンスだともそのときダインは思った。

いまルシラから明らかな干渉を受けている。魔法の“元”を辿れば、ルシラの居場所を突き止めることが出来るはずだ。

そう思い、ダインは集中しようとしたが…できなかった。

注意力があちこちに散乱してしまい、意識が混濁する。

「ん〜…!」

その原因がシンシアだった。

彼女は力いっぱいダインを抱きしめており、思う存分ダインの感触を堪能している。

それは同時にダインにもシンシアの感触が分かるということで、その柔らかさと体温に全身が熱くなってきたのを感じる。

特に集中力を削がれたのが、その豊満な胸の感触だ。

シンシアは恐らく無意識なのだろうが、強く抱かれたことにより顔が全て胸の中に埋まってしまっている。

あまりに柔らかなその感触によって、胸だけではなく全身までドキドキしてきてしまって、全く集中できない。

ダインを抱きしめる腕、押し付ける胸、座らされる足。シンシアはどこも優しい柔らかさで、暖かかった。

女性らしい見た目そのままの感触で、香水なのか部屋の匂いなのか、甘やかな匂いに包まれ、緊張感すら散らされてしまう。

サラの施した精神鍛錬によって、ダインはまだ耐えている方だったのだが…シンシアの優しさは、耐え凌ごうとするダインの気持ちをも包み込んできた。

ダインは思わず身をよじってしまい、シンシアから「ん」、と声が漏れる。

「ダイン君、胸、ほんとに好きなんだね…おばさんがいってた通りだな…」

そんなシンシアの独り言が聞こえる。

そしてまたぎゅっと抱きしめられた。

もう呼吸すらままならないほどの強い力だったのだが、包まれるその感触は本当に心地よくて、体が子供化したせいなのか、途端にまどろみに襲われる。

ルシラの居場所を調べなければならないのに。集中するため、シンシアには離れてもらわなければならないのに。そんな気持ちすら、シンシアは許してくれなかった。

次第に思考力が低下していき、意識も落ちそうになる。

少しぐらい、いいか…。

甘い誘惑に抗えなくなり、再び眠ってしまいそうになったとき、

「ちょ、直接の方が、いいのかな…」

またシンシアが気になる独り言を呟いた。

「胸が好きなんだったら…ちょ、直接の方が、も、もっとよく眠れるはず、だよね…」

直接…?

どういう意味かダインはすぐに分からなかったが、すぐに胸のことだと気付く。

シンシアは直接…つまり胸元をはだけ、直でダインに押し付けようと考えているのだ。

それはもちろんいやらしい意味などではなく、単に子供化したダインを前にして母性本能が爆発してしまったが故の暴走なのだろう。

さすがにまずい。いくらなんでもそれはやりすぎだ。

そう思ったダインだが、いまここで起きるわけにはいかない。

シンシアはダインが起きないと踏んで抱っこしているわけだし、ここでダインが起きてしまうと気まずくなることは避けられない。

かといってこのままシンシアを暴走させては、さすがにダインは耐え切れなくなってしまう。

少しでもシンシアが離れてくれれば、その瞬間に起きるリアクションを取れる。

そのタイミングを窺うダインだが、もちろんシンシアは子供化したダインを離す気などない。

ダインを抱っこしたまま上着の裾に手をかけ、ゆっくり捲り上げようとする。

薄目を開けたダインの視界の中では、シンシアの服が捲れ上がっていき、真っ白な腹部が見え…、

(まずいまずいまずい…!!)

どうにかしようと脳内をフル回転させるダインは、しかしこれといった案が浮かばず硬直するのみで、さらにシンシアの上着は捲れ、腹部から鳩尾が見え…、

ついに下着に包まれた大きな胸の下半分が見えた、そのときだった。

「シンシアさん、ダインさんはどちらに…?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ