四十六節、その瞳に映るものは
ミーナの身を案じるあまり、ディエルは凄まじいスピードで校舎を駆け抜けていた。
靴を履き替える時間すら惜しんで上履きのまま外に出て、一切の躊躇い無く闘技場の中に入り、ラビリンスへの階段を駆け下りる。
モニターの映像を思い出しながら生徒とモンスターが戦っている間を一直線で突き抜けていき、立ち塞がるモンスターは躊躇のない強力な攻撃魔法をぶつけ押しのける。
力に身を任せたような戦い方はまさに鬼気迫る勢いで、巨大なモンスターを引き裂きその間から飛び出してくるディエルに、近くにいた生徒から悲鳴が上がった。
そんな声すらディエルには全く届いてなかったようで、脳裏で最短ルートをあぶり出しながらとにかく目的のフロアへ向かう。
やがて記憶にある景色が飛び込んできて、見覚えのある生徒達がいるフロアへやってきた。
「はぁ、はぁ…」
呼吸を整えつつ辺りを見回す。映像で見ていた通り、壁に布を覆った手前でヒューマ族の女生徒たちが座り込んで休憩を取っていたのが見えた。
ハイクラス五組の連中だ。ディエルはそのまま呑気に談笑する彼女らの元へ向かい、立ち止まる。
「どいて」
鋭い視線を向けたまま声を発するが、会話を中断しこちらに顔を向けた彼女たちは、「は?」、威圧的な態度をとってきた。
「誰よあんた」
目つきの鋭いその女は、ディエルをじろりと睨みつける。
「見ての通り休憩してるんだけど」
突然やってきたディエルを訝しがるような目だ。
「この先は何も無いのに、どいてって何?」
別の女もディエルを睨みつけている。
「押し問答してる時間はないの。いいからどいて」
ディエルは有無を言わせぬ気迫で詰め寄るものの、女子連中は怯まない。
「いきなり来て何なのよあんた。どこの誰…」
いいかけて、その女はディエルの全身を見て何かに気づいたような顔をする。
「あぁ、あなた、副会長のディエルとかいう奴か。メガクラスからのろまクラスへ転落した」
初対面にもかかわらず、女はどこか馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「罰則受けて謹慎中だって聞いてるんだけど、どうしてこんなところにいるの?」
そこで隣の女も口の端を歪めて笑う。
「隠れて点数稼ぎ? それとも不正の手助けかしら? どちらにしろジーニ先生に連絡を…」
「いいからどけっつってんでしょッッ!!!」
フロア中に響き渡るほどの大声を張り上げ、そのあまりの声量と迫力に女たちはびくりと全身を飛び上がらせた。
思わず息を呑む彼女たちに、「連絡したきゃ好きにしなさいよ」、憎悪すら感じるような眼光で睨みつける。「でもその中にいる子が取り返しのつかないことになっていたら…あなた達、ただじゃおかないわよ」
固まる女たちにさらに一歩踏み込み、間近からドスの利いた声色で続ける。
「あらゆる手段を使って追い込んであげる。あなた達の“お友達”のやり方が、温いと思えるほどの非道なやり方で。絶望程度じゃ済まさないわよ」
思わず震え上がっている女たちに、追い打ちをかけるようにディエルは全身に魔力をたぎらせた。「その覚悟はあるんでしょうね?」
このまま五組の女たちごと“壁”を破壊しかねない雰囲気に、女たちはみるみる顔を青ざめさせていき、そそくさと立ち上がって別のフロアへ逃げるように立ち去っていく。
彼女たちには目もくれずディエルは布をどかそうとしたが、ご丁寧にもその布には防御魔法が仕掛けられており、手で押しただけではびくともしない。
「ちっ」
ディエルは自分の拳にありったけの魔力を込め、「ふんっ!」、気合と共に打ち出し、布ごと扉を打ち抜いた。
前方から派手な音がして、布は引き裂かれドアが崩れ落ちる。
隠されたフロアが現れたが、開けた瞬間大量のモンスターがディエルのいるフロアに流れ込んできた。以前ラビリンスでバグ騒ぎがあったときのように、すし詰め状態で奥が見えない。
「はあああぁぁぁぁ!!」
ディエルは再び全身に魔力をたぎらせ、思いつく限りの攻撃魔法を前方にばら撒き、押しのけるようにして奥へ進んだ。
数十、いや数百体はいたかもしれない。
強引に、とにかく前へ突き進んでいると、やがて倒れるミーナの姿が視界に飛び込んできた。
「ミーナ!!!」
ディエルが大声で呼びかけるが、返事が無い。手足すらピクリとも動かない。
そんな彼女に、側にいた巨大なモンスターがやけに興奮した様子で、両手を広げミーナに覆い被さったのが見えた。
その姿が目に映った瞬間、ディエルの瞳が燃えるような赤色に染まる。
全身までもが真っ赤に輝き、そのオーラが衝撃波となって周囲のモンスターをなぎ払った。
ディエルの本来の種族であるエンド族は、魔族の中でもかなり上級の位置にある。
かつては第一級の討伐対象にされたこともあるほど危険視されていたその種族は、とにかく高魔力なことで恐れられていた。
その血筋を引くディエルだが、高魔力は感情が極致に達したときにしか発揮されない。
ディエル本人には意図的に操れない力で、感情が出来上がってない幼少期にはふとしたことがきっかけでよく暴発させていた。
とてつもなく強大なその力は見た者全てを怯えさせるような威力があり、だからこそディエルが孤立してしまったこともある。
それがまさにいま、炸裂していた。
気付けば、広いフロアの中はディエルとミーナを除く全てが真っ赤な炎に包まれており、辺り一面からモンスター達の阿鼻叫喚の声が聞こえる。
その悲鳴が収まったときには全てのモンスターが真っ黒に炭化しており、粉となって地面に落ちていった。
ディエルは一瞬何が起こったのか分からず立ち尽くしていたが、前方にミーナの姿を確認した瞬間、走り出す。
「ミーナ!! 大丈夫!? ねぇ!!」
駆け寄ってすぐに抱き起こすも、それでも彼女は反応が無い。
全身から血の気が引いていくディエルだが、「うぅ…」、その口元が僅かに開き、薄目が開けられる。
「ミーナ!!」
ミーナの全身には激しい暴行の跡が残されていた。
メガネは割れ、制服の裾はボロボロで、そこから覗かせる素肌は切り裂かれており、血がダラダラと滲み出ている。
「ディエルちゃ…どう、して…」
ミーナがディエルの顔を確認した瞬間、彼女の口から絞り出すような声が漏れる。
ディエルは彼女の問いかけには答えず、まずミーナの怪我の具合を確かめた。
骨は折れてないか。内蔵は損傷してないか。
医学知識は多少なりとも持ち合わせていたディエルだが、ミーナのあまりに痛々しい姿に冷静な分析ができない。
頭から血を流しているのが見えた瞬間、また気が動転し手足が震えてきた。
「ミーナ…だ、大丈夫だから。いますぐ保健室に…」
ミーナを抱えようとした瞬間、突如フロアの床全体が光りだす。
「え…?」
よく見ると、その床全面には魔法陣が浮かび上がっていた。それが光を放っていて、地面から湧き出るようにモンスターが現れる。
「な、何…これ…」
驚愕している間に屈強なモンスターが次々に湧いて出てきて、フロアの中は再びモンスターで埋め尽くされる。
やはり召喚魔法だ。あいつがやってるのだろう。
「ちっ…まだ邪魔するってわけ…」
ミーナを再び横たわらせ、額の汗を手の甲で拭いつつディエルは立ち上がる。
再び全身に魔力をたぎらせ、こちらに敵意を向け咆哮するモンスター達と対峙したとき、「だ、め…」、後ろからミーナが声をかけてきた。
「また、ディエルちゃ…怖がられ…」
かすれた声でいってくるが、「大丈夫だから」、ディエルはミーナにそう声をかけ、身構える。
ここに来るまで全力疾走しモンスターとも戦ったが、まだ余力はある。
エンド族の“力”は維持できているようだし、まだまだ戦える。
「力比べといこうじゃない」
圧倒的に不利にも見える状況の中、ディエルは不敵な笑みを浮かべた。
「召喚魔法でこれだけのモンスターを沸かせるのは相当な聖力がいるはず。どっちが力尽きるのが先か、勝負よ」
「グアアアアアアアアァァァァッッ!!!」
モンスターが一斉に雄叫びを上げながら飛び掛ってくる。
「はあああああぁぁぁぁッ!!」
ディエルはこれまでの鬱憤を晴らすかのように、その群れへ向けてフロア中を振動させるほどの強力な攻撃魔法を放った。
ディエルの言葉どおり、召喚魔法というものはそれなりの聖力を要する。
相当な術者でもない限りは、無限に湧かせることなどできるはずはない。
セブンリンクスに通う生徒は魔法の素質はある。しかし例外というほどではないので、せいぜい数十体が限度のはずだ。
隣のフロアで目の魔法を使い事の成り行きを見ていたミレイアもその限りではなかったが、しかし彼女は余裕のある笑みを浮かべていた。
壁に向かって「くく」、と笑い声を堪えていた彼女は、振り向いた瞬間笑顔を華やかなものに変える。
「さぁみんな頑張って! ここからが正念場よ!!」
そのフロアにはミレイア含むハイクラス五組の生徒が集結していた。
パーティごとに円陣を組み、地面に描かれた魔法陣に聖力を込めさせている。
『モンスターを延々と沸かせれば、いくらでも点数が稼げるじゃない』
ミレイアの提案だった。
下克祭のルールには、“モンスターを倒した数だけ採点される”としか明記されてなかったので、外部から召喚しまくれば好きなだけ得点を得られるのではないか。
グレーラインだが、ミレイアの言いなりだった担任は許可せざるを得なかったようで、そのため五組は浅い層の一部フロアに集まり全員でモンスターを召喚していたのだ。
もちろんミレイアの真の狙いはクラスメイトには話してない。一部生徒は知っているが、表向きは効率の良い点数稼ぎなので断る者などいなかった。
ちょうどいい塩梅で当フロア、ミーナのいるフロアへとモンスターを仕分けていたので、誰も疑ってすらいないようだ。
ハイクラス五組はいまやギガクラスを超えるほどの得点を得ており、現時点でトップだ。もう何もしなくてもランクアップ確定だと生徒達は喜んでいる。
「まだまだ! もっと頑張れば、二階級ランクアップも可能かもしれないよ!!」
ミレイアはさらに彼らを焚きつけ、召喚魔法を使わせていく。
曲がりなりにもハイクラスの生徒たちだ。並以上の彼らの聖力を持ってすれば、モンスターなどいくらでも湧かせることができる。
タブレットで自分のクラスの点数がみるみる加算されていく状況を見て、生徒達はさらに沸き立つ。
ミレイアの鼓舞もあり、調子に乗ってどんどん強いモンスターを召喚させている。
ミレイアがこっそりミーナのいるフロアに集中して沸かせていたことなど、そのときの彼らは誰も気付いてはいないようだった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
ディエルの息が上がっている。
あれからそれほど時間は経ってないが、“力”の維持には相当な精神力を使う。いくらディエルでもさすがに限界が来ていた。
かなりの数のモンスターは倒してきたはずだ。千体は軽く超えており、湧いた回数でいえば二十巡目に差し掛かったかもしれない。
このまま打ち止めかと思いきや、いま二十一巡目のモンスターが召喚されている。
「くそ…どうなってん…のよ…」
数が明らかに尋常ではない。ミレイアが何かしてるのは明らかだが、疲労のあまりその原因を探る思考も、そんな余裕も無い。
「ディ、ディエルちゃ…逃げ、て…」
そんな危機迫る状況でも、ミーナはディエルの身を案じていた。
ディエルが攻撃を受けるたびにミーナから心配そうな声が上がり、その都度ディエルは「じっとして」、とミーナを気遣う。
ミーナの怪我の程度が分からないが、一刻を争う状況なのは確かだ。
早く治療しなければ、化膿や感染症、最悪後遺症が残ることも考えられる。
「ふっ…!!」
襲い来るモンスターに魔法を放ち、数十体のモンスターをまとめて駆逐する。
次にやってきたモンスターの集団にもどうにか対処できたが、その次の敵は倒しきることができなかった。
優勢だったが圧倒的な物量によって劣勢に転じ、そうなったときにはディエルはモンスターに囲まれてしまっていた。
彼女が再び気合を入れて魔法を放とうとする。
が、ついには魔力切れを起こしてしまったようで、その手からは小さな炎しか出せなかった。
「そんな…」
力の維持も出来なくなり、そんな彼女に向けてモンスター達が攻撃を繰り出してくる。
ディエルは咄嗟に腕でガードするものの、その衝撃に全身が震え、「ぐ…!」、と呻いてしまった。
モンスターはここが好機と思ったのか一斉に飛び掛ってきて、連続してディエルに腕や足を使っての攻撃、体当たりをぶちかましてくる。
「ぐぁ…!」
大きく弾かれたディエルは壁に背中を打ちつけ、そのままずるずると崩れ落ちてしまう。
魔力も体力も切れおぼろげな視界の中、また新たなモンスターが追加されたのが見える。
ディエルがいくら倒してもモンスターまみれの状況は変わらず、離れた位置にいるミーナにモンスターが襲い掛かろうとしているのが見えた。
「ぐ、ぅ…!!」
気力を振り絞り、ありったけの魔力を使い風を発生させ、ミーナの元へ駆け寄って周囲のモンスターを押しのける。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
視界が霞む。足はがくがく震え、腕すらもはや上がらない。
「く、そ…こんな、奴ら…に…」
悔しそうに歯を食いしばっているところで、「ディエル、ちゃ…」、背後からミーナの掠れるような声がした。
彼女もまた疲労困憊だった。血は未だに流れ続けており、地面にどんどん広がっていっている。
その匂いにつられたのか、隣のフロアにいたモンスターまでもがディエル達のところへ集まり始めていた。
視界にはモンスターしか見えない。天井まで埋め尽くすほどの数だ。
「ミー…ナ…」
そのときディエルの脳裏に浮かんだのは、ミーナとの楽しい思い出だった。
出会いは幼年期に通っていた学校で、当時からスウェンディ家の長女としてそのプライドを滲ませていた彼女だが、誰もがディエルの家柄やその広い交友関係に目をつけ擦り寄ってきた中、ミーナだけはそういう隔たり無く接してきてくれたのだ。
有名人に合わせてやろうかというとディエルと遊びたいと断り、高価な食べ物を送ろうとすると一緒にご飯を作ろうといってくる。
朗らかで優しくて、上辺しか見てなかった友人とのやり取りで神経をすり減らせていたディエルにとって、ミーナの存在は何よりもの癒やしだった。
物心ついたときからいじめられがちだったミーナをよく助けていて、いじめの内容によってはディエルは感情を爆発させ“力”を暴発させてしまったこともあった。
その度にディエルの周囲にいた友達は彼女を恐れ一気に離れていき、ミーナ以外友達と呼べるものはいなかったのだ。
『もう私に関わらないで』
優しいミーナは自分のせいでディエルが友達を失っていくのが耐え切れなくなり、辛さを我慢してディエルを突き放した。
相次ぐ友達の裏切りによって心に余裕がなくなっていたディエルは、ミーナの真意に気付くこともできず言葉のまま受け取ってしまったのだ。
それが現在にまで尾を引き、案の定ミーナはクラスメイトにいじめられ、結果としていま命の危機に晒されている。
もっと早く仲直りしていれば。ミーナの気持ちに気づいていれば。
ボロボロになるまでミーナを放っておいた自分が情けなくなり、一瞬泣きそうな表情を浮かべたディエルは、そのままミーナに覆いかぶさった。
「ディエル…ちゃん…?」
不思議そうな声を出すミーナに向けて、「大丈夫、だから…」、ディエルはそういって彼女を精一杯の力で抱きしめる。
今度こそミーナを守り通す。もうミーナに悲しい思いはさせない。
そんな一心で、ディエルは「大丈夫だから…」、そう何度もミーナに言い聞かせる。
「だ、駄目、だよ…!」、自分を庇ってきたのだと分かったミーナは叫ぶ。「どいて…逃げ、て…!」
重なるミーナとディエルに巨大な影が覆い被さってくる。大量のモンスターが距離を縮めてきたのが見えた。
恐怖でしかない光景なのに、「ちゃんと、守る、から…守れる、から…」、ディエルはうわごとのように呟いている。
「ディエルちゃん…!」
ミーナがいくら叫んでもディエルは動かなかった。
彼女はミーナを守ることしか考えてなかった。
これ以上の怪我はさせない。自分に何があっても、どんなことをされても、ミーナが無事ならそれでいい。
「ディエル、ちゃん…!!!」
ディエルがあらゆる衝撃、痛みに覚悟を決めた。
その瞬間だった。
突然、フロア全体が激しく振動した。
凄まじい爆発音が間近から聞こえ、それきりモンスター達の声も気配もなくなる。
「…?」
何が起こったのかと、ディエルは恐る恐る顔を上げると…まず眩いばかりの光を感じた。
その光が剣を形作っていたのに気付き、それを携えていた人物が話しかけてくる。
「大丈夫!? ディエルちゃん!!」
そこには見知った顔。ノマクラスのクラスメイト、シンシアがいた。
「ディエルちゃん!!」
遅れてニーニアが駆けつけてきて、すぐにディエルとミーナの怪我の状態を確認してくる。
「…うん、そんなに怪我は深くないみたい」
安堵するニーニアに、ディエルは不思議そうな表情を向けた。
「ど、どうして…あなた達…」
聖剣を構え、周囲を警戒しながらシンシアが「ダイン君から連絡受けたの」、笑いかけてくる。
「すぐに向かってくれっていわれたんだけど、少し迷っちゃって…ごめんね」
そういわれても、あまりに突然のこと過ぎてディエルはすぐに理解することは出来なかった。
「あなたは、えと…ミーナさん、だよね?」
ディエルが固まっているところで、ニーニアがミーナに話しかけている。
同じく驚愕したままゆっくりと頷くミーナに、「これ飲んで。少しは怪我も魔力も回復すると思うから」、回復ドリンクを差し出していた。
「ディエルちゃんも、ほら」
ニーニアから同じドリンクを受け取るものの、「な、何で来たのよ」、ようやく状況を理解し始め、困惑した表情を浮かべる。
「昨日、あんなこといったのに…」
ディエルがそう疑問を投げかけた瞬間、また地面の魔法陣が光り始めた。
数十、いや数百体はいるであろうモンスターの群れを前に、シンシアは聖剣を構える。
「昨日ダイン君にいわれてね、改めてデビ族について調べてみたの」
シンシアがディエルに笑いかけてる間に、召喚されたモンスターは一斉に彼女たちに飛び掛ってきた。
「ふっ…!!」
不意に表情を真剣なものに戻しシンシアが聖剣を振ると、そのたった一振りで周囲に群がっていたモンスターは全て消滅する。
圧倒的な力を前に目を丸くさせるディエルに、「デビ族は冷静沈着で、目的を最短距離で遂行するほどの効率好きだって分かったよ」、また笑いかけてきた。
「そ、それが何よ?」
このタイミングでデビ族の特性について語られるとは思わなかったディエルは、さらに困惑した顔になる。
「面倒ごとを増やしたくないっていうのはその通りなんだろうけど、いい方を変えれば迷惑をかけたくない、巻き込みたくないっていうことなんだよね」
そんな会話を交わしてる間にまたモンスターが湧き出てきて、シンシア達を取り囲む。
一度に湧く数がさらに増えてきたようだが、それでもシンシアが振るう聖剣の前では数など無意味だった。
一振りごとに聖力が込められた衝撃波が発生し、波でさらっていくかのようにモンスターが次々に霧散していく。
「素直じゃないけど、大切だからこそ厳しいことをいってしまう傾向があるって、種族の図鑑に載ってたよ」
再びディエルに顔を向けるシンシアは、にんまりとした笑顔だった。
「私たちのことが大切だから、迷惑かけたくなかったからあんなことをいったんだよね?」
差し迫った状況だというのに、ディエルの顔にさっと赤みが差す。
「そ、そういうんじゃない…わよ…」
力なくいうだけで、それ以上の否定はしてこない。
そのリアクションだけで図星だといっているようなものだった。
「ディエルちゃん、私たちのこと友達だっていってくれたから」、シンシアは嬉しそうに笑う。「だから迷惑なんてどんとこいだよ!!」
また足元の魔法陣が光る。次に湧いたモンスターも相当な数だ。
その頻度から考えて、召喚者がかなり慌てているということが窺い知れる。
フロアを埋め尽くすほどの物量を前にしても、シンシアは笑みを崩さない。
「ニーニアちゃん!」
聖剣を構えたままシンシアが叫ぶ。
「うん!」
ディエルとミーナの介抱を終えたニーニアは立ち上がり、シンシアが持つ聖剣へ四元素を込めた魔力を放った。
聖力と魔力が相反し震えだす聖剣を地面に突き立て、目をつぶったシンシアはダインの名を呟く。
聖力と魔力の融合技。いつだったかシンシアが編み出したそれは進化を遂げ、いまや言葉を交わさなくとも発現できるようになっていた。
ダインの触手によって一瞬だけ聖剣が吸われ、すぐにシンシアの手元に返されたそれは、群がるモンスターが怯むほどの強い光を放っている。
丸い光を剣の形に変えたシンシアは、「いっくよーー!!」、元気にいいながら、
「カタス…トロフフィーーーッ!!」
振り上げた聖剣を思い切り振り下ろした。
モンスター達は逃げる間もなかった。
大地が揺れバランスを崩すと同時に風の力で壁際に押しやられ、まとめて炎に焼かれ氷で固められる。
その氷が聖剣のような光を放った瞬間爆発し始め、フロア中から炸裂爆弾のような衝撃と音が鳴り響きだした。
ディエルは思わず「きゃぁっ!?」、と悲鳴を上げてしまい、無意識にミーナを庇ってしまう。
その間にも凄まじい爆発と衝撃、地響きは続いており、気付けば辺りは大量の金粉をばら撒いたかのような光の粒に包まれていた。
光と音が止み、ディエルがゆっくりと目を開けると、地面に白い粉が大量に落ちているのが見えた。
モンスターの残骸だろうか。とにかくすごいとしかいいようがないほどの威力だ。
あらゆる衝撃に耐えられるよう特殊加工されたラビリンスだが、床は大きく窪んでいる。
魔法陣にも亀裂が生じており、機能しなくなったのかそのまま色を失い消えていった。
「ふぅ…こんなものかな」
安全は確保されたのか、シンシアは戦闘状態を解く。そのままディエルの側まで移動した。
「じっとしててね、回復するから」
へたり込んだままのディエルに笑いかけ、彼女の傷口に手を当て回復魔法を使い始める。
始終きょとんとしたままのディエルだが、「よ、余計なことして」、と、また強がりをいい始めた。
「私一人で大丈夫だっていったじゃない」
責めるような口調だが、ディエルの本心に気付いていたシンシアは「うん、そうかもね」、と笑うだけだ。
「ディエルちゃんもすごい強かったね」
彼女の戦いぶりはダインから聞いていたのだろう。
「私の領域に踏み込んでこないでっていったのに」、ディエルの口撃はまだ止まらない。「このままでいたかったら必要以上に接してこないでっていったのに。浅い関係のままが一番楽なのに」
「ディエルちゃんはそうかも知れないけど」、シンシアは笑顔のままだ。「少なくとも、私とニーニアちゃんの友達の定義はもっと深いものだから」
なおも回復魔法を使い自分の傷を癒やしている彼女を見ながら、「…怖くなかったの?」、ディエルは静かに尋ねた。
「ダインからさっきの私のこと聞いたんでしょ? 真っ赤になった私の姿のこと…」
過去に何度も恐れられ、疎遠のきっかけともなったディエルが血の力を発現した姿。
シンシアとニーニアは直接見てはいないもののその詳細をダインから聞いていたようだが、それでも彼女たちは「怖くないよ?」、笑いかけてきた。
「真っ赤に光って強い魔法が使えるようになっただけでしょ?」
「だけって…」
「怖いぐらい強い人なんて、私の周りにも沢山いるし」
シンシアがいっているのは自身の道場の人たちのことだろう。
「私も、すごく大きくて強い魔法機械たくさん見てきたから慣れてるよ」
ミーナの血をハンカチで拭っていたニーニアも笑う。
「だからこんなことで怖がったりしないし、友達を助けられるのなら面倒なことになっても気にしないよ」
シンシアとニーニアの気持ちは一貫していた。
ディエルの気持ちがどうこうではない。シンシアとニーニアが助けたいと思ったから、こうしてやってきてくれたのだ。
ディエルの本心が分かったから。だから、今後ディエルから何を言われようが彼女がピンチなら駆けつける気でいるのだろう。
「…何よ…それ…」
そのとき、ディエルはふとダインにいわれていたことを思い出す。
“友達に選んだ相手が悪かった”
思わず彼女は観念したような笑みを浮かべてしまう。
「確かにそうかも知れないわね…」
つい呟いてしまい、「どうしたの?」、尋ねるシンシアに、「なんでもないわ」、と笑顔を向けた。
「ちっ…うぜぇ…」
休憩に入ったクラスメイトを残し、人気の無い別フロアにいたミレイアは忌々しそうに表情を歪めていた。
途中までは完璧だった。予想通りの展開になるはずだったのに、邪魔者が乱入してきた。
計画は失敗してないにしても、理想と違う展開にミレイアはただただ苛立っていたのだ。
「雑魚ばっかのノマクラスのくせに、いきりやがって…」
いまその凶暴な本性を露にさせたミレイアは、肩に下げていたカバンから一冊の古びた本を取り出す。
その本の表紙には至る所に札が貼られ、閲覧できないよう鎖で十字に縛られている。
「くくく…」
見るからに禁書であるその封印を、邪悪に微笑む彼女は魔法で解き放った。
「切り札は最後まで取っておくものなのよ…」
分厚い本を地面に置いた瞬間、その本は自動的に開かれる。
そこには真っ赤な魔法陣が描かれており、禍々しい光が放たれ、そこから黒く巨大な犬型のモンスターが現れた。
禁書に封じられていたそれは、第一級の危険種とされる、魔獣シャドウケルベロス。
その分厚い皮膚は一切の魔法を受け付けず、その咆哮はあらゆる魔法効果を打ち消す。
その強さは先ほどまで召喚していたモンスターが束になったとしても比では無く、エンジェ族やガーゴですら手を焼く相手だ。
魔獣の出現騒ぎがあり、何百人と犠牲者が出たのはつい先日の話だ。
それがこんな学校内で湧いたとなれば、大事になるのは間違いない。
軍隊が出動しなければならないほどの事態で後日犯人探しが行われるだろうが、不具合が相次いでいるラビリンス内ではどんなモンスターが出てきても“バグ”で片付けられる。
「お前等が悪いんだからな…あんま調子乗ってんじゃねぇぞ…」
壁向こうのシンシアたちがどうなっても、“不幸な事故”として処理されるだけだ。
この魔獣シャドウケルベロスなら、あの能天気女の聖剣とやらも効かないだろう。
おまけにみんな警戒を解いている。奇襲を仕掛けるには絶好のタイミングだ。
ミレイアは薄く笑いながら手をかざし、シンシアたちのいるフロアにこっそりと聖力の“渦”を作る。
涎をたらし周囲を見回していたモンスターは突如としてその聖力に反応し、警戒し唸りだした。
魔法力に敏感で、反射的に襲い掛かるケルベロスの習性を利用したのだ。
「グルルルルル…!!」
牙を剥き出しにし、姿勢を低くしている。
フロアの半分ほどもある巨大なモンスターは岩石よりも固そうな筋肉をしており、姿勢を変えただけで足が地面にめり込む。
位置は十分だ。このままモンスターが飛び掛れば、完全に無防備なシンシアたちに襲い掛かる形となる。
訳も分からずケルベロスに襲われ、大怪我をするか…最悪死に至る。
その様を思い浮かべたミレイアはまた口の端に笑みを結び、そのまま、
「やれ」
短くいって壁の向こうを指差す。
さらに地面に体重を乗せたケルベロスは、「グアッ!!」、口を大きく開け、地面を蹴ろうとした。
そのときだった。
突如、ケルベロスとミレイアの背後から突風がやってくる。
何だと思う間もなく、前方から凄まじい衝突音がした。
ドンッというとてつもなく大きな何かが激突したようなものすごい音で、その衝撃に建物全体がグラグラと揺れる。
巨大なものが崩れるような音がし、視界は一瞬にして土ぼこりで真っ白になった。
「きゃあああぁぁぁ!? な、何!?」
突然すぎる物音と揺れに、ミレイアは心底驚き飛び上がった。
何が起こったのかとすぐさま周囲を見回すが、辺りは白くて何も見えない。
やがて土ぼこりは下に落ち視界が戻ったが、目の前に広がる光景がすぐには飲み込めず、ミレイアは「え…」、と声を出したまま固まっていた。
ケルベロスが消えている。どこにもいない。
壁には大きな穴が開いているが、モンスターの気配はどこにもない。
混乱していると、「あーやっちまった」、そんな声がミレイアの背後から聞こえてきた。
「悪い、大丈夫か?」
ミレイアに謝りながら近づいてきたその男子生徒━━ダインは、ばつの悪そうな表情でそこに立っていた。
「モンスターが邪魔だったから投げ飛ばしたんだけど…」
彼は周囲を見回しながら続ける。
「そっちまで吹き飛ばしちまったようだ。悪い」
ケルベロスとミレイアが戦闘していたと思っていたようで、その邪魔をしてしまったと謝っているようだ。
「な、投げ…え…? 投げたのがぶつかっ…え…?」
しかしミレイアは混乱している。未だに何が起こったのか理解できていない。
思考がぐちゃぐちゃなまま足元を見る。そこにはさらに混乱する景色が広がっていた。
ケルベロスの巨大な四つの足だけがそこにあったのだ。真っ白な骨と真っ赤な肉が露となっており、足先だけを残して後は全て消滅したかのようだ。
その足は今頃本体がなくなったと気付いたのか、ゆっくりと横に倒れズシンと音を立てる。
千切れた部分から血が溢れ出し、地面を真っ赤に染め上げていく。
「は…は…? は…?」
なおも状況が飲み込めないミレイアは、その血の量の多さに驚いたのか、腰を抜かしてへたり込んでしまう。
「あ、大丈夫か? どこか怪我させちまったか?」
ダインが心配し近づこうとしたところで、崩れた壁の向こうから声がした。
「ダイン君!!」
そう声をかけつつ駆け寄ってきたのは、シンシアとニーニアだった。
「おお」、返事をしつつ壁穴の向こうを確認し、ディエルとミーナの姿を見た瞬間、「間に合ったようだな、良かった」、笑顔になる。
「ダイン君は持ち場離れて大丈夫なの?」
と、ニーニア。
「大丈夫じゃないだろうが、さすがに見てるだけってのは男としてどうかと思ったからさ」
そう笑っている間に、ダインの背後から誰かが走ってきたのが見えた。
「ダイン…! ちょっと…!!」
息を切らせながら彼らのもとへやってきたのはラフィンだった。彼女のさらに後ろにはクラフトもいる。
「もう、駄目じゃない!!」、たどり着いて早速、ラフィンはダインを咎めた。「謹慎中なんだから、先生に事情説明して許可もらってからじゃないと!!」
相変わらず規則正しさを発揮させるラフィンに、ダインは「悪い悪い」、一応謝るものの、「でもそんなの待ってたらもっと大事になってたぞ?」、といった。
「それは分かるんだが…」
ダインの台詞にクラフトが反応し理解を示すが、目の前に本来あったはずの壁がごっそり吹き飛ばされているのを確認し、しばし口をあんぐり開けた後、大きく息を吐く。
「また派手にやってくれたなお前は…」、指で押さえつける眉間には深い皺が寄っている。「どうするんだこれ…さすがに不備だとはいえないぞ…」
確かにクラフトが苦悩するのも無理は無い。
老朽化が進むラビリンスだが、建築素材には特殊なものが使われている。決して安くはないのだ。
ダインはガラス窓を割ってしまった程度のような表情をしているが、もちろん修繕費はガラス代程度で済むはずが無い。
おまけに、謹慎中の生徒がラビリンスに入り、また建物を損壊させてしまったことも大問題だろう。
いますぐ教職員を集め議題に上げるべき事態だが、しかしその行動はディエル達を窮地から救う目的があったのだ。
ミーナの現状と共にラフィンからその詳細を聞かされ、容易に処理できる問題ではないと思いクラフトは頭を抱えるしかなかった。
そもそもの問題は、クラフトたち教職員側にあったのだから。もっとディエルの声に耳を傾けていれば。ミーナのサインに気付けていれば。
今日はやけに大人しくしていた“ジグル”を注視していて気付けなかったとはいえ、今回の騒動はクラフトの落ち度だろう。
「さすがにまずかったっすかね?」
問いかけるダインは相変わらず飄々としている。クラフトはこめかみの辺りを押さえながら、「とりあえずここからは任せてくれ」、と難しい表情のままいった。
「ダイン…ラフィン…」
遅れてディエルがダイン達のところへやってきた。
彼女はどこか気まずそうにしている。後先考えずラビリンスに突入し、結果として彼らに迷惑をかけてしまい、少なからず反省の色はあるようだ。
「その…」、言いよどむディエルに、「ほんといい迷惑よ」、ラフィンは腕を組み、険しい表情でディエルを睨みつける。
「おかげで謹慎期間の延長は免れないでしょうね」
目的が何であれ、謹慎を無視したことには変わりない。また規則を破ってしまったことが、ラフィンには我慢ならないようだった。
「あなたが慌てなくても、私の魔法であの子を守ることぐらいはできたはずなのに」
「え? そ、そうなの?」
「そうよ。私を誰だと思ってるのよ。なのにあなたがいきなり駆け出すものだからそんな間もなくて…まったく」
憤然とした様子で息を吐くラフィンだが、怒った表情も一瞬のことで、「ま、けど結果として無事ならそれでいいわ」、やれやれとした仕草で肩をすくめた。
「何かあったんじゃ夢見が悪いし」
照れ隠しなのか、そのまま歩き出してミーナの容態を確認しにいった。
「最近素直になってきたはずなんだが、お前の前じゃ相変わらずだな」
ダインは笑いながらいい、ディエルの全身を眺める。
「ん、大した怪我もなさそうで良かったよ。制服が汚れちまってるようだけど」
「ま、まぁ…けど買い換えるから問題ないわよ」
「っかー、金持ちはこれだから」、ダインはまた笑った。「俺のとこだったら制服がびりびりに破れてても裁縫道具渡されるだけなのに」
「あなたのところもそんなに貧乏じゃないでしょ」
そこでようやくディエルは笑顔を見せるものの、「あの…」、顔を俯かせ、なにやらいいたげな視線を向けてくる。
「その…」
きっと言い慣れてない台詞なのだろう。察したダインは、「いや」、と手を振って見せた。
「俺は状況をシンシアたちに伝えただけだ。礼ならそのシンシアたちに言え。俺はいい。昨日からいってる通り、何もするつもりは無かったんだし」
彼の表情がとぼけてるように見えたのか、「嘘ばっかり」、ディエルはまた笑い出す。
「本当にそう思ってたんなら駆けつけてきてないでしょうし、壁に穴も開いてなかったでしょ」
砕かれた壁はまだ上部からぱらぱらと小石が落ちてきている。穴の周囲には大量の血が付着しており、原形は留めてないもののケルベロスのものと思われる肉片が僅かに残っている。
それ以外は衝突の衝撃で全て消し飛んでしまったのだろう。
ダインがしたことだと見抜いたディエルが指摘するものの、「いや、わざとじゃない。たまたまだ」、と彼はいった。
「そうだね。たまたま力んじゃったんだよね?」
ずっとニコニコ顔で会話を聞いていたシンシアが割り込んでくる。
「ものすごい音だったよ」
ニーニアも同じく笑顔のままいってきた。
「いや、ほんとわざとじゃなくてな…」
弁明を始めるダインを、ディエルは珍しく優しい笑顔のまま見つめている。
「一番厄介な友達はあなたかも知れないわね…」
その呟きが聞こえたダインは「どういうことだ?」、顔を向けるものの、「さぁ?」、ディエルはとぼけ、それからすたすたと歩いていった。
彼女が立ち止まった先には、未だ放心状態でへたり込んでいたミレイアがいた。
「…さて」
ミレイアの前に立ったと同時に、ディエルの表情は感情が抜け落ちたかのように真顔になる。
「…こうして話すのは初めてね」
口調にも感情は感じられない。だが、その瞳の奥には静かな怒りの炎が燃え上がっていた。
「初めまして。ミーナがお世話になったようで。色々とありがとうね」
ようやく自分に話しかけられていると気付いたミレイアは、それがディエルだったことにも気付いたようで、「は…?」、表情に警戒色を浮かべる。
ミレイアから明らかな敵愾心も感じ取れたディエルは、「色々言いたいことはあるけれど、言ったところであなたは変わらないでしょうし、説くほど私は優しくないの」
ディエルの瞳の色が赤く染まる。瞳だけでなく、彼女の全身が赤い光に包まれた。
まるで怒りの感情をそのまま表したかのような色で、「だから、お礼の代わりに…」、その拳に光が集中する。
「一発だけ、殴らせてね?」
何を言われたのか、ミレイアが不思議そうな顔をした次の瞬間、彼女の顔面はディエルの赤く燃え盛る拳でひしゃげていた。
硬く握られた拳がミレイアの頬にめり込んでおり、ディエルはそのまま彼女の頬を打ち抜く。
頬を張るような渇いた音ではなく、重く大きな鈍器で頬を殴ったような重低音がミレイアの顔から鳴った。
「ぎゃッッ…!?」
ミレイアの顔が思い切り横に振られ、あまりの衝撃に顔だけでなく全身が吹き飛ばされる。
側にあった壁に背中を激しく強打し、悲鳴を上げる間もなく意識を失って地面に伏してしまった。
そのままミレイアは全身をぴくぴくと痙攣させている。白目を剥いているところを見て、「ふぅ」、ディエルは赤いオーラを解き、硬くなっていた表情を和らげる。
「まだやり足りないけど、少しだけすっきりしたわ」
台詞の通り、その表情は晴れやかだ。
「いや…さすがにやりすぎじゃ…」
ダインは少し引いていた。初めてかもしれない。女が女の顔面に本気のパンチをしているところを見たのは。
気を失ったままのミレイアの頬がどんどん膨れ上がっている。あれはニ、三日程度じゃ治らないだろう。
「怪我くらい何よ。あの子は怪我以上に心も痛めつけられてきた。一発程度じゃつりあわないほどにね」
「それはそうだけどさ…」
「え、えぇと、さすがに回復魔法使った方がいいよね…?」
シンシアが遠慮がちにいってくるものの、「いらないわ」、ディエルは手を振って遮った。
「意識戻ったら騒がれそうだし、ほっときましょう」
「そ、そういうわけにも…先生が見てるんだし…」
ニーニアが側にいたクラフトに目を向けると、彼は「あー」、といいながら額を片手で覆いながら下を向いていた。
「お前な…こいつが誰の娘か知らないわけじゃないだろ…?」
ディエルの行動がまたさらなる問題を呼び寄せてしまうことになったのだろう。クラフトは顔に深い苦渋の色を浮き上がらせている。
「どこの誰の娘だろうが、やったことは本人の責任です」
ディエルは憮然としたままいった。
「ミーナがどれだけ辛い思いをしていたのか。どれほど酷い目に遭っていたのか。挙句殺人未遂に近いことまでされた。こいつに同情する余地は微塵もありません」
「それはその通りなんだが…」
「こいつの親からどんな援助受けてるのか知りませんが、守りたければお好きにどうぞ。私は徹底的に戦うつもりですけど」
クラフトにすら、ディエルはそう冷たく言い放つ。
教師という存在こそ信用できないという態度だ。過去に教員がらみで何かあったのだろう。
期待すらしてないというディエルだが、「助ける? そんなことするわけがないだろう」、クラフトの反応はディエルの想定外だったのか、彼女は意外そうに彼を見た。
「俺のクラスの生徒が危険な目に遭ったんだ。懸念しているのは今後やっかんでくるだろう、ミレイアの親への対処だ」
クラフトはため息を吐きながら精霊魔法を使い、壁や地面に散らばったケルベロスの残骸を処理する。
「後日呼び出しは免れないだろうが、ディエルは何もいうな。そういったことは俺の仕事だ」
保健委員を呼び、ミレイアを抱えて保健室へ向かうよう指示し、クラフトは再びダイン達に体を向けた。
「状況説明にお前たちも呼び出しがあるだろうが、正直に話してくれたらそれでいい。ただし、こじれるから私情のないようにな」
それから彼はダインとディエルは持ち場へ戻るよう指示し、ラフィンはミーナが動けるまで回復するのを待ってから、一緒に保健室へ行くよういった。
そのまま職員室へ帰ろうとしたので、「あ、あの、私たちはどうすれば…」、シンシアとニーニアがクラフトの指示を仰ぐ。
「お前たちは下克祭の最中だろう? そのまま続けたらいい」
クラフトはいってから、少し笑みを浮かべる。
「先ほどの騒動のせいか点数がえぐいことになってるが、まぁトラブルを解決した報酬だと思えば良いだろ」
再び帰ろうとしたようだが、「おっと五組のこと忘れてた」、方向を変え、ミレイアの帰還を待っているであろう五組がいるフロアへ向かっていった。
「い、いいのかな?」
シンシアは本当にこのまま続けても良いのか迷っている様子だ。
「担任がいってるんだしいいんじゃないか? とはいえ聖力使いすぎただろうし、少し休んだらいい」
ダインの提案に頷いたシンシアは、早速回復ドリンクを差し出してきたニーニアとその場で腰を下ろした。
ついでだからとダインも一緒に休憩するが、ディエルはやけにそわそわしている。
その視線は壁穴の向こうに何度も向けられていて、ミーナのことが気になっているようだ。
「心配なら見てくりゃいいじゃねぇか」
そうダインがいうと、「い、いや、でも今更どんな顔すればいいのか…」、ディエルは戸惑いだす。
「ミーナがあなたと話がしたいそうよ」
ちょうどいいタイミングで、ラフィンがいいながら戻ってきた。
「うえ!? な、何の話!?」
「さぁ? 動けるようになるまでもう少しかかりそうだし、それまで話し相手にでもなってあげなさいよ」
ラフィンがいっても、「い、いやでも…」、ディエルはまだ戸惑っている。
普段はあれだけはつらつと喋る奴なのに。
見知った関係のミーナ相手には、彼女は弱くなってしまうのかもしれない。
ミーナとの親密さを感じながら、ダインは「事情はよく分からないが、仲直りしたいと思ってるんならいま以上のチャンスはないだろ」、と声をかけた。
「そ、そんな、よく知りもしないで…」
「ああ知らねぇ。だがうじうじしてるのはお前らしくない」
「らしくって…」
「いいからとっとといけ」
ダインはすぐさまディエルの背後に回り、その背中を強めに押した。
「きゃあぁッ!? ちょ、ま…っ!!」
絶妙な力加減だった。
ディエルはそのまま弾き飛ばされ、着地した先には座り込んでいたミーナがいる。
どこか嬉しそうにディエルを見上げているミーナに、後頭部を掻きながら気まずそうにしているディエル。
「ラフィン、邪魔が入らないよう念のためあいつ等の周りにバリアか何か張ってやってくれ」
側にいたラフィンにそういうと、「あ、ええ、分かったわ」、彼女は素直に従ってディエルとミーナにバリアを張る。
そのバリアの中で、二人は静かに会話を始める。どちらもぎこちなさそうだが、彼女たちの間に流れる空気は穏やかだ。
「ったくさ、あんな世話のかかる奴だとは思わなかったよ」
肩をすくめていうダインに、「あはは」、とシンシアが笑う。
「ダイン君は最初から分かってたんだね。ディエルちゃんの本当の気持ち」
ダインの一連の言動を思い起こしシンシアがいうと、「まぁ」、ダインは素直に認めた。
「デビ族っつーのは何かと本心を隠しがちだからな。とりわけややこしい奴らなんだよ。良くも悪くもさ」
「不真面目に振舞ったり冗談多かったり、何を考えてるのか私には分からないわ」
ラフィンは理解できないと肩をすくめていた。
「ノリが悪いとかそこは突っ込むところでしょとか、私に求めるのは間違ってるわ」
めんどくさそうな顔だ。ディエルだけでなく他のデビ族にも色々とちょっかいをかけられていたのだろう。
「でも一緒にいたら楽しいよね」、シンシアはいった。「私の知り合いにも一人いるんだけど、いつも笑わせてくれるよ」
「悪い人は見たことないよ」、そう話すニーニアも笑顔だ。
しかし彼女たちの笑顔を見ても、ラフィンはやれやれとした表情だ。
「規律は破るし、素直に言うこと聞かないし、私にとっては迷惑でしかないんだけれどね」
デビ族に対する認識は相変わらず良くはないようだが、嫌いというほどでもなさそうだ。
ラフィンもディエルほどではないが分かりづらいところがある。ある意味でディエルと似ているのだ。
そのことに含み笑いを漏らしつつ、「にしても」、ダインはシンシアとニーニアに向き直った。
「せっかく深いところまで潜れてたのに、戻す形になって悪かったな」
シンシアとニーニアペアはかなりいい線までいっていた。メガクラスがいる階層まで降りていたので、彼らは驚いたようにシンシア達を見ていたのだ。
余力はまだまだあったようだし、もし今回のことが無かったらさらに下層までいけていたはず。
「成績なんかどうでもいいよ。後でいくらでも取り返せるし」
シンシアはいい、ニーニアも頷く。
「シンシアちゃんとのペア狩りが楽しくて、気付いたら下の方までいっちゃってただけだから」
だから気にしないでというニーニアに、「そっか」、ダインは笑いかけた。
そんな彼らのやり取りを見て、「ほんと、あなた達のこともよく分からないわ」、ラフィンは困惑したように口を挟む。
「あなた達ならメガクラスぐらいいけそうなのに、望んでノマクラスにいるなんて」
確かに実力主義の思想を持つ奴ならば、シンシアたちの行動は理解できないだろう。
「まぁ色々あってね。何も考えてないわけじゃないよ」
シンシアの言葉に、隣のニーニアも何度も頷いている。
「別に強制することじゃないから好きにしてくれてもいいんだけれど…」
そんな話をしているところで、会話が終わったのか隣のフロアからディエルとミーナがやってきた。
ミーナはおぼつかない足取りで、ディエルが彼女を支えているように歩いている。
ダインの前で立ち止まり、「もう大丈夫なのか?」、彼がそう声をかけると、ミーナがこくりと頷いた。
「あの…ご、ご迷惑をおかけして申し訳ございません…」
同学年なのに丁寧口調で謝ってくる。
「お前が謝る必要はこれっぽっちもない」、ダインはいった。「無事…とはいかないだろうが、ま、良かったよ」
ダインが笑いかけると、また彼女は恐縮したように頭を下げた。
メガネは割れたまま、制服も破けており、見るからに痛々しいが、しかし傷口はシンシアとラフィンのおかげで塞がっているようだ。
「ねぇラフィン」、ミーナを支えなおしながら、ディエルは口を開いた。「先生に保健室に行くよういわれてるけど、アイツいるんでしょ? 別室でいい?」
アイツ、とはミレイアのことだろう。
確かに同室に押し込めるわけにはいかないと思い、「それもそうね」、ラフィンは頷いた。
「他に休める場所がないか、探して許可とってみる」
「お願い。じゃあ…このまま歩ける?」
ディエルがミーナに尋ねると、「う、うん」、と頷く。
二人の表情はどこか清々しい。何を話していたのかは分からないが、どうやらお互いの間にあったわだかまりは少しは解けたようだ。
そこでシンシアたちも休憩を終え、立ち上がる。
「あーあ、このままダイン君たちとラビリンスの探索できたらなぁ」
名残惜しそうだ。ニーニアも残念そうな顔をしている。
確かにこのまま別れるのはもったいない気がする。同意見だったダインは、「じゃあさ、点数気にしてないんなら出口までサポート頼んでもいいか?」、そういった。
「ミーナはまだ満足に歩けないし、守りながら地上目指すのはなかなか苦労しそうだしさ」
ラフィンとディエルがいるので苦労するはずはないが、少しでもシンシアたちといるための理由付けだ。
ダインの考えがシンシアたちに伝わったようで、みるみる笑顔を広げていく。
「分かった、任せて!」
それから、限定的ながらシンシアとニーニアが思い描いていた、ダインたちとのダンジョン探索が始まった。




