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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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四十二節、不意な出来事

七不思議の一つ、『幸せの魔法』は、面倒な手順でも要領さえ掴めば簡単なものだった。

ディエルの号令により集められた放課後探検隊は、前回の経験を活かし手順を進め、特に滞りなく秘密の場所が見つかったのだ。

そこは体育館倉庫の裏にある空き地だった。

一見何の変哲も無い空き地だったが、そこには不可視のバリアが張られており、ホムンクルス化した人形が空き地に入った瞬間、そのバリアが解かれた。

「お、おぉ…」

もやが晴れるように周囲の景色が鮮やかになり、空き地の中央に一体の大きな銅像が姿を現す。

「すごい…ほんとにあったんだね」

ニーニアは驚いた表情のまま、その銅像を見上げていた。

「うん…」

シンシアも目を丸くさせている。

「私の住む町にも銅像はあるのですが、ここまで精巧なものは初めて見ます…」

ティエリアもまじまじと銅像を見つめている。

確かに、ダインも世界各国を旅しているときは町や村の様々な場所にエレンディアの像があったのを見かけたが、ここまで丁寧な造りをしたものは初めて見る。

その姿はヒューマ族と変わらず人型だが、背中にはゴッド族のような大きな翼を広げている。

手足はモデルのようにすらりと長く、服装はロングスカートのワンピースだ。

ストレートの髪は腰に届くほどの長さがあり、杖を携え遠くを照らすような仕草をしたそれは、表情に優しげな笑みを浮かべている。

エレンディアがどのような姿形をしていたか、文献には残ってないので真相は分からない。

なので伝聞を頼りに建てられているため、場所によって姿形は様々だ。

人型ですらないものもある中、いま目の前にあるエレンディアの像は現実に見てきたかのように精巧で綺麗だった。

「なんか…懐かしいな…」

ダインは思わずいってから、「懐かしい?」、自分自身に疑問を投げかけてしまう。

不思議だった。その銅像は初めて見た気がしないのだ。

偶然似ていた絵か何かを見ていたのだろうか…?

疑問に思っている中、周囲にいたシンシアたちはダインに気付く様子もなく、エレンディアの像に両手を合わせている。

何をしてるんだろうかと思ったが、その像がそもそもの七不思議だったことを思い出した。

幸せの魔法は、そのエレンディアの像がかけてくれるのだ。

真偽のほどは分からないが、やっておいて損は無いだろう。

ダインもエレンディアの像に向かって両手を合わせ、目をつぶる。

ルシラの居場所が滞りなく見つかるよう願い、目を開けた。

シンシアたちはまだ願い事をしているようだ。

もう一分ほどは過ぎてるかもしれない。何をそんなに熱心に願うことがあるのだろう。

聞き耳を立ててみる。強く願うあまりか、声が漏れてしまっている。

「みんなともっとずっと一緒にいられますように…」

そう願っているのはシンシアだ。

「ダイン君がもっと甘えてきてくれますように…」

ニーニアの願い事は名指しだ。

「みなさんともっと仲良くなれますように…」

ティエリアはさらなる密接な関係を望んでいる。

シンシアたちの願いは可愛らしいものばかりで、ダインは微笑まずにはいられなかった。

どうにか笑いを堪えているところで、銅像の周囲をディエルがぐるぐる回っていることに気付く。

手に携帯を持っており、様々な角度から銅像を撮っているようだ。

「何してるんだ?」

ダインが尋ねると、「噂の真偽はさておき、全人類が崇めて止まない銅像がこんな目立たないところにあるのはおかしいじゃない」、ディエルは不自然な状況を指摘した。

「どこの町や村にだって、目立つところに銅像は置かれているわ。由緒正しいセブンリンクスこそもっと目立つ場所に置くべきなのに」

「…確かにそうだな」

見たところ銅像が破損してるようには見えないし、修理中でも清掃中でもなさそうだ。

それに精巧な造りなのでかなりの製作費がかかったはずだ。なのに不可視のバリアで隠すように保管しているというのはおかしい。

「何かあるわね。デビ族の勘がそう告げてるの」

確信を持って銅像を携帯のメモリーに残し続けるディエルに、「へぇ。例えばどんな?」、声がかかる。

「夜中に勝手に動き出すとか、特別な魔力が込められていて、触れるとレベルアップするとか。さらなる秘密の入り口に続いてるとも考えられるわね」

そう答えるディエルは、撮影に夢中なのか周囲の状況に気付いてない。

「秘密を知ってどうするのよ」

その声がダインのものでないことにも気付いてない。

「地元の学校新聞に売るわ。セブンリンクスのこと知りたがっていたし、これはなかなかのスクープになるでしょ」

「これで絶版になった漫画は私のものに…」、くくく、と欲望を丸出しにしていたディエルに、誰かの手が伸びる。

制服の襟首を掴み、「はいアウト」、ディエルの背後にいた女はいった。

「え?」

振り向いたディエルは、そこにラフィンがいたのを見て、「なぁッ!?」、全身を飛び上がらせる。

「ら、ラフィン!? ど、どうしてここに…!」

「立ち入り禁止エリアに入っていくのが見えたから」、ラフィンは涼しげにいう。「入るだけならまぁ目をつぶっておこうと思っていたけど、そんな企みが露見した以上は見過ごせないでしょ」

「くっ…な、何様のつもりよ!!」

食って掛かるディエルだが、全てを知られた以上それは虚勢でしかない。

「生徒会長様よ」

相変わらずの冷たい口調だ。「不可視のバリアが張られているには理由があって然るべきって分からないのかしらね。そんな中で撮影なんてできると思うの?」

すぐに携帯をポケットに入れようとしたディエルだが、すかさずラフィンが取り上げ、ディエルから「あっ!?」、という声が出る。

「これは没収。データもちゃんと消させてもらうわ」

「ぐぅ…!」

万事休す。そう思われたが…、

「…ふふ…甘いわ。甘いわね」

ディエルは俯きながらも口の端に笑みを浮かべる。

「ん?」

「その通信機は最新のもの。プロテクト方法も一新され、所持者の意思によってしか解除できない優れものよ」

「は…?」

「解除できるものならしてみなさいよ」、勢いを取り戻したディエルは胸を張った。「ま、時代遅れの携帯しか持ってないあなたにできるとは思えないけどね!?」

手の甲を口元に当て、まるで高飛車なお嬢様のような仕草で笑い声を上げるディエル。

「面倒ねまったく…」

ラフィンは色々携帯を弄るものの、画面は真っ暗なままだ。確かにプロテクトは頑丈なようだ。

だがそのとき、「あ、それ私のところで作ってる…」、ニーニアがぽつりという。

「え? そうなの?」

「うん」、と頷くニーニアに、「じゃあプロテクトの解除方法とかは…」、ラフィンは期待を込めた表情で尋ねる。

「分かると思う。確か緊急時とかに、誰でも解除できる方法が設定されてあるはずで…」

「ちょ、に、ニーニア、余計なこと教えない!!」

慌ててディエルが割り込むものの、ラフィンが押しのけた。

「ディエルを懺悔室に連れて行くから、良かったらニーニアもついてきてくれない?」

「う、うん。いいけど…」

ラフィンはディエルの首根っこを再び掴み、そのまま引きずっていく。

「ちょ…! な、なんで…どうしてこんなことにいいいいぃぃぃ…!!!」

ディエルの声が遠ざかっていき、三人の姿は校舎の中へと消えていった。

「だ、大丈夫なのでしょうか」

始終和やかなムードだったはずだが、ティエリアだけは緊張した様子だ。

昼間にラフィンからディエルのことを聞いたせいだろう。何か険悪なことにならないかと心配している。

「気になるなら追いかけていくか? 別に来るなっていわれてないし」

「そ、そうですね」

ダインも向かおうと思ったが、狭い懺悔室にこの人数は多すぎる。

それにあまり人が多くてはディエルはさらに騒ぐかもしれないし、これ以上は首を突っ込まないほうがいい。

「例のところで待ってるよ」

「あ、はい。私達も終わり次第すぐに向かいますので」

そういって、彼女は小走りでラフィンたちを追いかけていった。

ちなみにシンシアはさっきからずっと無言だった。

銅像に両手を合わせたまま、彼女自身もまるで銅像になったかのように動かない。

「随分と熱心だな」

ダインはそうシンシアに声をかけた。

「そんなに叶えたい願い事があるのか?」

笑いながらいったところで、シンシアはようやく終わったのか顔を上げ、「あはは」、と笑う。

「まぁ色々と。みんなとずっと一緒にいたいとか、進路のこととか…」

そこでシンシアの表情に迷いが過ぎったのをダインは見逃さなかった。

エーテライト家との一件のことを思い出したダインは、「俺らは先に行ってようか」、シンシアの足元にあったカバンを拾い上げ、彼女に差し出す。

「あ、う、うん」

それからシンシアと一緒に学校を出た。



「…ふぅ」

公園のベンチに座り、早速ダインが淹れてきたハーブティを飲んだシンシアは、満足そうに息を吐いた。

「これ、クールミントかな? 頭がすっきりして美味しいよ」

笑いかける彼女に、「良かったよ」、とダインも同じく笑顔で返す。

ニーニアたちが座るであろうベンチの砂埃を払ってから、ダインはシンシアのすぐ隣に腰を下ろした。

それから一言二言今日の授業のことを笑顔で話し合い、会話が途切れたところで、「でさ、余計なお世話かもしれないけど」、ダインは改まる。

「その後どうなんだ? 家の方は」

と、シンシアに聞いた。

「相変わらずだよ」、さらにもう一口紅茶を飲み、彼女は笑う。「大会が近いみたいだから、みんなすごく気合入れて頑張ってるよ」

「そっか」

「うん…」

頷く彼女は、ちびちび紅茶を飲みながらもダインにちらちらと視線を送っている。

何か言いたげな様子だったので待っていると、「あ、あのね」、意を決したように口を開いた。

「改めて聞きたいんだけど…」

「ああ」

「この間のこと、半分は私のせい、なんだよね…」

彼女は申し訳なさそうにいった。

この間とは、もちろん彼女の家にお邪魔したときのことだろう。門下生たちとの連戦に、リィンとの模擬戦。ダインは無傷であったが服はぼろぼろだった。

シンシアを心配したリィンが計画して実行したことだ。

その詳細を聞かされたシンシアは、門下生や父を責め立てながらも内心自分が迷っていたせいだと思っていたのだろう。

「私がもっとしっかりしてたら…」

「いや、違うよ」、続くシンシアの台詞を遮り、ダインは首を横に振って見せた。

「シンシアの悩みと親父さん達のことは別だ。親父さんや門下生の人たちは純粋にシンシアのことが心配だったから、俺を呼びつけただけに過ぎない」

「で、でも、きっかけを作ったのはお姉ちゃんなんだよね。私の迷いをどうにかしたいって思ったから」

「それはまぁ…そうだな」

認めると、「うぅ、ごめんなさい…」、シンシアはまた申し訳なさそうに謝ってくる。

「もうそれはいいんだって」

ダインは笑顔でいってから、「で、迷いはまだある感じか?」、と聞いた。

「それは…」、ダインから視線を逸らすものの、すぐに戻して「正直にいって、前よりは…」、俯いてしまう。

それから彼女は俯き加減のまま、ダインに向けて迷いの正体を打ち明けた。

それは以前から彼女が言っていたことで、リィンが危惧していたこととほぼ同じ内容だった。

強くてかっこいい姉に憧れを抱き、その背中を追いかけるように退魔師への道を目指したシンシア。

しかし退魔師というものは、凶悪なモンスターや重罪を犯した指名手配犯を退治するのが主な仕事だ。

他者の命を奪うということへの葛藤。

自分にできるのかという不安に、命を奪う資格が自分にあるのだろうかという悩み。

セブンリンクスに通い、色んな種族の人と出会い、シンシアの迷いはさらに大きなものになってしまったらしい。

「お姉ちゃんにあそこまでやってもらって、ダイン君にも迷惑かけちゃったけど…でも、簡単には決められないよ」

困り顔で俯いたままのシンシアに、ダインは再び笑いかける。

「まぁでも、あの人はシンシアとやりあって少しは安心したんじゃないか?」

「え?」

「お前は強い。単純な力比べじゃ、そこらの実力者とされる奴ら相手にもそう簡単に引けをとらないと思う。退魔師としての素質なら、十分にある。相手に情けをかけても、お前ならどうとでもできそうだ」

そういっても、シンシアは「そうかな…」、と、表情は晴れない。迷いはそこではないのだ。

シンシアが優しすぎるからこその悩みだろう。こればかりは個人の価値観の問題なので、ダインが入り込む隙は無い。

「これはアドバイスでもなんでもないが」、そう前置きし、ダインは続けた。

「結局は見方一つだろうな。討伐された方の一族は殺されたと思うだろうし、被害者の方は助けられたと思う。お前が退魔師になったとして、どっちに重きを置くかだ」

「う、うん」

「その点、リィンさんは吹っ切れてるんだろうな」、姉の名前が出てきたところで、シンシアは顔を上げてダインを見た。

「困ってる人がいるから助ける。そうし続けてきたから、いまや大退魔師なんていわれるようになった。モンスターにだって親や親戚ぐらいはいるだろうし、そいつらからは恨まれてるかもしれない。でもそれでも、目の前に困った人がいたり、身内や大切な人を殺され悲しんでいる人がいるのなら、被害を拡大させないために動くしかない」

「リィンさんの仕事は立派だし、誰にも出来ないことだと思うよ」、と続けるダインに向けて、「ダイン君は…」、シンシアは静かに尋ねた。

「ダイン君なら、どうする? 仮に私の立場だったなら、退魔師…目指す?」

モンスターを退治できる力があったとして、その資格があったとして、どうするかと問いかけているのだろう。

「いや」

ダインは即答した。「前にもいったと思うけど、無闇な殺生はしない。どこかで事件があり、困ってる人がいると分かっていても、自分から助けにいこうとはしないよ」

「そ、そうなんだ」

シンシアは目を丸くさせる。意外そうな表情だ。

普段優しいはずのダインが、そんな冷たいことを言うとは思わなかったのだろう。

「キリがないからな」、ダインは彼女に困り顔のまま笑いかけた。

「いまこうしてる間にも、どこかで事件や事故があり困ってる人がいる。それらをできるだけ助けたいだなんて傲慢なことは思わないよ。そこまで器用じゃないし、俺は一人しかいない。余計なことをして被害が広がったりする恐れもあるし、いらない怨恨を招いたりしたら面倒だしさ」

「それは…そう、かも知れないけど…」

腑に落ちてなさそうなシンシアに、「つっても、俺のすぐ近くでそういうことがあれば、すぐに駆けつけるつもりではいるよ」、今度は優しく笑った。

「困ってることがあれば相談に乗るし、力が欲しいのであれば貸してやる。俺の近しい人たちが困っているのなら、全力で助けになる」

恥ずかしい台詞に照れたような表情を浮かべるダインを見て、シンシアは「あ、そ、そっか」、彼の本心が分かり、再び顔を上げる。

「遠くの人たちより、周りの人たちの力になるために、遠くまで助けにはいかないって言ったんだね」

「そういうことだな」

笑いかけてくるダインに、シンシアも「ダイン君らしいね」、同じように笑い返す。

ダインはさらに持論を続けた。

「大事件に首を突っ込んで、解決に長時間かかるようになったりしたら、その間身内や友達に会えないからな。その人たちに何かあってもすぐには駆けつけられない。一番守りたい奴らが不幸になっちまうのだけは、絶対に避けたいからな」

本当に彼らしい、優しい持論だ。

「あはは。ダイン君にそう思われる人は幸せだね」

笑い声を上げるシンシアだが、そんな彼女にダインは真面目な顔を向ける。

「いや、シンシアのことなんだけど」

「え?」

シンシアは思わず固まってしまう。何を言われたのか分かってなさそうな表情だ。

「ニーニアや先輩もそうだけど、守りたい奴らってのは、お前たちのことも当然入ってるぞ?」

「あ…そ、そうなんだ…」

シンシアの顔がみるみる赤くなっていく。

「いやいや、普通分かるだろ。前からそういってると思うし、現にいまこうして話してるんだしさ」

「そ、そうだったね。あはは」

笑い続けるシンシアはすっかり真っ赤だ。

そんな彼女に優しいまなざしを向けつつ、ダインは彼女の紙コップに紅茶を注ぎ足した。

「ま、シンシアの気持ち一つだな。今後どうするか。考えるにはちょうどいい時期かもしれない。でも退魔師は夢だったんだろ?」

問いかけると、顔を赤くさせたままシンシアはこくりと頷く。

「毎日一緒にいたお姉ちゃんは、どんどん強くなって沢山の人に感謝されて、いつしかその背中しか見えなくなって…だから、私も並んで歩けるように追いつきたいなって…」

「ん、その気持ちがあるのなら、どんな道を選ぼうが大丈夫だろ」

ダインは笑う。

「時間はまだあるし、ゆっくり考えるといい。退魔師になるにしても、姉のようにひたすら強い退魔師を目指すのか、シンシアなりの退魔師としてのあり方を模索するか」

「う、ん…」

考え込むシンシアは、まだ顔が赤い。

彼女の悩みについて一段落したはずだが、シンシアは別のことを思い出しているようだった。

「あ、あのね、ダイン君、ちょっと話が変わって、この前のことなんだけど…」

「この前?」

「お父さんとダイン君がお話していたときのこと…わ、私が、恋愛対象になるって…」

ここでその話が飛び出すとは思わなかったのか、ダインは「あー」、といいながら頭をかいてしまう。

シンシアと同じぐらい顔を赤くさせていく彼に、「そ、その場しのぎでいったんだよね?」、とシンシアは真意を聞いた。

「私、よくぼーっとしてるし、どんくさいし…」

自虐する彼女に向け、ダインは「本心だよ」、照れながらも答えた。

「あんなところで適当なこと言えるわけ無いよ。シンシアが可愛くて性格がいいっていうのは、第一印象から思ってたことだ」

ダインの表情から嘘を言っているようには見えない。

自分をちゃんと女の子として見てくれている。彼からそう言われたように聞こえたシンシアは、「う、嬉しい、な…」、小さくそういった。

「何だよ、今日はやけにしおらしいな」

「だ、だって…」、ダインから顔を逸らし、揺れる紅茶を見つめながら続ける。「あれから何日か経つけど、あの時のこと何度も思い出してドキドキして…」

確かに授業中や休憩時間など、ダインはシンシアの視線を何度か感じていた。

目を向けると真っ赤な顔があり、目が合った瞬間すぐに視線を逸らしていたのだが、あの時のことを考えていたとは思いもしなかった。

「こんなの、私らしくないのに…ダイン君のせいだよ」

とうとう非難までしてきたので、ダインは笑いながら「俺は可愛いと思うけど」、と返した。

「も、もう、またそんなこという」

からかわれていると思ったのか、シンシアはふてくされたように頬を膨らます。

その姿すら可愛らしく見えたダインは、たまらず彼女の頭を撫でてしまった。

「ふやぁっ!?」

無意識に触れてしまったためか思わず聖力まで吸ってしまい、その感覚に驚いたシンシアが全身を震わせ後ろに倒れそうになる。

背もたれの無いベンチから倒れてはまずいと思い、ダインは咄嗟に彼女の背中に手を添えた。

「悪い、思わず…大丈夫か?」、そのままでは紙コップをひっくり返してしまいそうなので、取り上げて離れたところに置いた。

「う、うん…」

シンシアは首を縦に振り問題ないといっているが、吸った量が多すぎたためか体に力が入ってない。

驚かせすぎたようで体は僅かに震えており、落ち着かせる必要があると思ったダインは、そのまま彼女を抱き寄せた。

「ふわぁ…」

するとまたシンシアが体を震わせる。

「いまはこれぐらいしか思いつかなくて…悪い」

謝りつつも、ダインはシンシアの背中を優しく撫で続けた。

「あ…うぅ…ダイン、君…」

「深呼吸しろ、深呼吸」

そういっても、彼女からは「はふ、はふ」、という呼吸のみで全く深呼吸できてない。

それどころかますます力が抜けていっているようだ。

「す、吸われてる、よ…? いまも…」

「え?」、と思わず声を出してしまうダインだが、確かに触れ合う部分からシンシアの聖力が流れ込んできてるのが分かる。

「あ…わ、悪い…」

離れようと思った。だが、どういうわけかシンシアから手を離せない。

顔面だけでなく全身が熱くなり、シンシアと同じぐらいドキドキしてしまっている。

「う…あ…ダイン、く…」

力を奪われていき、弱々しくなっていくシンシアが可愛すぎたからだろうか。

吸った聖力から彼女の想いを感じて、もっと欲しくなってしまったからだろうか。

気付けば自分でも制御できないほどシンシアを力強く抱きしめており、思うままに聖力を吸い上げてしまっている。

ルシラに理性の壁を崩された影響が出てしまったのかもしれない。

早く離れなければ。

しかし危機感を抱いたときにはすでに手遅れで、シンシアの至るところに透明な触手が巻きついていた。

「あ…う、ぁ…」

触手はシンシアに優しく噛み付いており、光る液体が管を伝って流れ込んでくるのが見える。

さすがにまずいと思ったダインは、爆発しそうな欲望を必死に押さえながら、「シール、使え…!」、とシンシアにいった。

サラから緊急避難用にと受け取ったもので、彼女は肌身離さず持っているはずだ。それさえあれば、この場だけでも切り抜けられるはず。

いままさにそのときだと促すが、シンシアは…

「んん…!」

刺激に震えながらも、首を横に振っていた。

どうしてだと聞く間もなく、吸い上げた聖力からシンシアの想いが伝わる。

(ダイン君になら、いいよ…全部、あげる…)

そんな彼女の“声”が聞こえる。

「い、いや、まずいから…色々と…」

そういってもシンシアはシールを使わず、それどころかダインに寄りかかる。

わずかに動かせる腕で彼に抱きつき、彼の耳元で何度も悩ましげな声を上げている。

周りに止めてくれる人はいない。シンシアはこのまま続けてくれといわんばかりに、完全に彼に身を委ねていた。

「し…シンシア…」

聖力から伝わるシンシアの想い。彼女の柔らかさや女の子らしい匂い。

そのときのダインは、どうにかなってしまっていたのだろう。

強めに抱きついたせいでシンシアの制服が少しはだけており、息のかかるほど近いところに彼女の首元がある。

何故だか無性にその首元に触れたくなったダインは、さらに力を込めてシンシアを抱き寄せ、透き通るような白い首に口を近づけていき…、

「だ…ダインさん…」

そのとき、すぐ近くから別の声がした。

ダインはまるで催眠が解けたようにハッとして、動きを止めて前を見る。

そこにはティエリアとニーニアが顔を真っ赤にさせたまま立っており、二人の視線を感じたダインは「うぉっ!?」、と体を飛び上がらせてしまった。

触手は瞬時に引っ込み、吸魔も止まる。

「あ、ご、ごめんなさい、じゃ、邪魔しちゃった…よね?」

ニーニアは謝ってくるが、ダインはシンシアを支えつつ、「い、いや、助かった」、と彼女たちに礼を言った。

「襲ってた俺がいうことじゃないかも知れないけど…マジで助かったよ」

ティエリアの声が無ければどうなっていただろう。本当に危なかった。

安堵しつつ、このままではシンシアもどうにかなってしまうと思い、彼女の介抱をニーニアに任せ、自分は少しシンシアから離れた。

「ダインさん、魔力が枯渇した…のですか?」

近づいてきたティエリアが尋ねてくる。

確かに、先ほどの行為は吸魔衝動に近かった。枯渇状態に陥っても無いのに、そんな衝動に駆られるとは。

「いや、そういうわけじゃなくて…その…なんつーか…」

いいづらそうにするダインに、察したティエリアが「あ、む、無理に仰らなくても…」、遠慮しようとする彼女に、ダインは「いや」、何でも相談し合う仲だと思い直し、正直に話した。

「話してるうちにシンシアのことがすげぇ可愛く見えてさ、気付いたら暴走してて…」

「そ、そう、なのですか…突然、そのようなことに…?」

ティエリアは驚いているようだ。これまでダインが暴走に駆り立てることなどなかったのだから、当然だろう。

「…正直に話すよ」

ダインはいい、シンシアとニーニアも交えて、暴走したそもそもの要因を彼女たちに説明した。

夢の中で成長したルシラと逢っていること。

積極的な彼女に、理性の壁を崩されかけていること。

今回はその影響がもろに現れてしまった結果なのだ。

そう説明すると、彼女たちは本当に驚いたように固まっていた。

ダインは今後はもっと気をつけるといいながら、ニーニアに介抱されているシンシアに顔を向ける。

ベンチに寝そべり、ニーニアに膝枕させてもらっている彼女は未だに動けない様子だった。

表情は惚けたようにぼーっとしており、呼吸は若干乱れっぱなし。手足はぴくぴく震えており、全身がぐったりしている。

胸を何度も上下させている姿は、少し…いや、かなりエッチに見えてしまい、ダインは再び彼女から視線を逸らしてしまった。

ニーニアはカバンから回復ドリンクを取り出し、シンシアに飲ませている。

「す、すごいね。こんなに…」

シンシアが平常時から一瞬にして骨抜きになった過程を見ていたのだろう。ニーニアもティエリアも驚いたままだ。

「わ、悪い。マジで…」

シンシアに真剣に謝るダインに、ティエリアは顔を赤くさせながらも「謝る必要はありません」、と微笑む。

「ダインさんに必要とされるのは嬉しいことだと、以前からいっているではありませんか。みなさん同じ気持ちなのです」

その通りだとニーニアは笑いかけており、やや回復してきたシンシアも頷いている。

「魔法力が欲しいのでしたら、例え必要でなくてもいつでも差し出すつもりでいますから…」

そういった後、ティエリアは困ったような顔で「ですが…」、と呟く。

「な、何だ?」

「あ、いえ、ですが、このような状態になるのでしたら、せめて人目のつかない場所に移動してからの方がいい気がしますね」

ティエリアのいう通りだろう。もしこんなところを誰かに見られていたら、あらぬ噂を立てられることは必至だ。

それにいまのシンシアのようなエッチな顔を、他人に晒させるわけにはいかない。

「そうだよな…マジでその通りだよな…」

ここまで理性の壁を崩されていたことに、ダインは若干のショックを受けていた。

精神鍛錬は本当に苦行だったのだ。連日連夜シエスタからもサラからも無心になる訓練を受け、専門家による暗示まで施してもらったのに。

なのに数日夢の中でルシラに襲われただけで、こうも容易く壁を崩されてしまうものなのだろうか。

おまけに、どういうわけかシンシアは逃げてくれなかったし。シールを渡し対策した意味とはなんだったのだろう。

問題が山積してきたような気がするが、これはダイン自身の心構え一つであることは間違いない。

いくら夢の中でルシラが壁を崩そうとしてきても、要は現実のダインさえしっかりと理性を保てていれば問題ないはずなのだ。

新たな対策を立てる必要がある。サラに相談してみよう。

ティエリアと緊急時のお勧めの避難場所について話し合っていると、そこそこ回復してきたのか、シンシアがニーニアにお礼を言いながら上半身を起こしていた。

良かった、と微笑むニーニアは、ティエリアと話し込んでいるダインをチラリと見やってから、シンシアに小声で話しかける。

「ど、どう…だったのかな?」

ニーニアの赤い表情からして、吸魔についての感想を尋ねているというのは明らかだ。

「す、すごかったよ…」

シンシアは率直な感想を述べた。「あっという間に力が抜けたんだけど…」

「けど?」、続きを聞きたがっているニーニアに、シンシアは再び顔を紅潮させながら、「ダイン君がね…」、抱くような仕草をする。

「ダイン君が、こ、こう…ぎゅって…ぎゅってしてくれてね、吸魔の感触もそうなんだけど、それ以上に…その…」

その先はいわない。いや、恥ずかしくていえないようだったが、それだけでシンシアの続く台詞がニーニアには伝わった。

気持ちよかったのだろう。きっと、身も心も包まれるような心地よさだったのだろう。

ダインに抱きしめられる。触手に絡まれた上で、彼に撫でてもらえる。

その様を目の当たりにしていたニーニアは、シンシアの感想以上の気持ちよさがあったのだろうと察し、思わず、

「い、いいな…」、といってしまった。

ティエリアと会話中のダインにははっきりと届いており、それが彼をさらに悩ませることとなる。

彼には予感があった。

きっと今回と似たようなことがニーニアとティエリアに起こったとしても、彼女たちは逃げないだろう。

それどころか好きなだけ吸っていいと無防備に体を差し出し、ダインのリアルな理性の壁を崩しにかかってくるはずだ。

今回ニーニアたちがいてくれたから良かったものの、もし誰も止める人がいなかったら本当にシンシアたちに襲い掛かってしまうことになる。

早急に対策しなければならない。問題が起こる前に。

可及的速やかに解決策を見出さなければならない。夢の中のルシラに襲われる前に。

シンシアたちと別れるまで、ダインは身も心も引き締めていた。



「なるほど、なかなか面白いことになっていますね」

夕食後、ダインは早速サラに相談を持ちかけるものの、彼女の返事は何とものんびりとしたものだった。

「割と真面目な話なんだけど」

家事手伝いがすっかり板についてきたルシラは、いまはキッチンで食器を洗っている。

木箱を台にしている姿はなんとも微笑ましいが、サラに相談するチャンスはいましかない。

「何とかならないか」

頼み込むダインに、タブレットで世界情勢を確認していたサラはそのまま肩をすくめて見せた。

「あの可愛らしい方々が構わないと仰っているのでしたら、どなたも不幸な目に遭ってないではないですか」

そのまま突っ走れというサラに対し、「いや駄目だろ」、ダインは至って真面目にいった。

「あのまま暴走したらまずいだろ、色々と。あいつ等を巻き込むようなことはしたくない」

焦燥感を漂わせるダインを見て、ある程度彼の気持ちを察したサラは「まぁ確かに」、ハーブティを飲みつつ平然と話す。

「学生の身分である以上、勉学よりも性行為に勤しむようになられては、色々と問題がありますしね」

「はっきりいいすぎだ」

すかさず突っ込むものの、「事実ですから」、相変わらず無表情でサラはいう。

「吸魔の快楽のまま行為に及んでしまうのは、ヴァンプ族の間では定番となっておりますから」

「定番なのか…」

「ええ。はっきり申しまして、ダイン坊ちゃまはよく耐えられているなと思っておりました」

注目するニュースは無かったのか、タブレットの電源を落としサラはダインに向き直る。

「何とかしたいんだよ。早急に」

ルシラはまだ戻ってくる様子はないので、ダインはそのままサラに訴えた。

「多分…いや絶対に、今回と同じようなことがあってもあいつ等逃げてくれないと思うんだよ」

「ま、それは薄々感じてましたけどね」

さらりといってから、「そうですね…」、サラはようやく対策を考えだす。

浮かんだことを話す前に、「しかし新たな問題も明確になってきました」、といってきた。

「何だそれ?」

「かねてより懸念していたことです」、サラは続ける。

「ダイン坊ちゃまはヴァンプ族の特性が強く現れている。状況によっては、あのお三方に触れただけでみなさん倒れられた。不躾ないい方をすれば、ダイン坊ちゃまの甘毒は中毒性が強すぎるのです」

サラのいう通り、思い当たる場面はいくつもある。

彼女の話によれば、触れただけで相手が倒れるというケースは他のどんなヴァンプ族でも滅多になかったことらしい。

「もし、仮にですが、行き着くところまでいってしまったら…、ぶっちゃけた話、最後まで性行為を致してしまったら、他種族であるあのお三方はどうなってしまわれるのか。精神に何かしらの影響が出てしまわれないか。その辺りがやや心配ではありますね」

その行為に及ばないための相談をしていたはずだったのに、サラはさらに突き抜けた心配事を考えていたようだ。

そんなことするか! と突っ込みそうになったダインではあったが、しかし彼女の懸念は全く無いことではない。

今後起こりうる可能性がある以上、ダインも考えなければならないことだ。

「強い快楽は、その分精神に負担を強いてしまいます。中毒性のあるものは薬物のように後を引き、ずっと“あちら”へいったまま戻って来れないこともある。定期的にその強い快楽が続けば、より深みへはまってしまうことは明らかですし」

ダインは唸るしかない。学生の身分でする会話ではないかもしれないが、サラの話し方が微塵も卑猥さを感じられないので、ダインもすっかり真面目に考え込んでいた。

「他のヴァンプ族の方々ではそこまでの強い症例はこれまでになかったのですが、ダイン坊ちゃまの場合に限りましては何か対策を講じる必要があるのやも知れませんね。それに魔力が枯渇して無いにも関わらず、吸魔衝動に駆られたという此度の件も、これまで聞いたことがありませんし」

「マジか…」

「暴走の果てにどうなるのかは、私にも見当がつきません」

「やべぇじゃん」

「いえ、とはいいましても好意が昂ぶった上での暴走なので、相手に危害を加えたり精神を破壊したりということは決してないと言い切れますが」

そうサラはいうが、安心は出来ない。

「なおのこと俺の自制心が重要になってくるんじゃないのか?」

いっそのこと道具でも何でも使った方が良いのでは。

サラは真剣な表情でダインを見つめていたが、突然ふっと頬を緩めた。

「深刻なことにはなりそうにないでしょうし、愛ゆえの暴走というのも見てみたい気がします。良いではないですか。行き着くところまでいってみては。それであの方々がどこまで乱れるのか、非常に興味がありますし」

「…涎出てるぞ」

呆れたように指摘すると、「おっと失礼」、サラは口元を拭いながら表情を引き締める。

「考えすぎないことが一番です」、真面目に話を戻してきた。「無意識でもダイン坊ちゃまは相手のことを気遣っている。そのお気持ちがある限り、お相手の方の精神に悪影響が出たり過剰な負担をかけることはないと思いますよ」

「それはそうかも知れないけどさ…」

正直にいって、ダインの気持ちはまだ定まってない。そんな中、問題を起こしていいはずがない。

いまはシンシアたちとの関係は非常に良好なものなのだ。毎日楽しくて、シンシアたちの笑顔に毎日癒やされている。

ここでダインが暴走なりなんなりしてしまったら、その良好な関係が崩れてしまうのではないか。

それだけはどうにかして避けたいダインだから、これほど必死にサラに相談していたのだ。

とにかく卒業するまでは…いや、せめてルシラの問題が解決するまでは、何事もないままでいたいとダインはいった。

だがサラは、「気持ちというものは単純ではありません」、という。

「人の想いや感情は、いくら律しても抑えきれないことがあるのです。抑圧すればするほど肥大する性質もある。あのお三方はまさにいまそのような状態なのでしょう」

「それは…」

「客観的に見た感じでは、夢の中のルシラだけでなく、あの可愛らしい方々もダイン坊ちゃまを順調に攻略しているように見えますね」

「んなゲーム感覚でいわれてもさ…」

頭を掻くしかリアクションできないダインに、「ですがまぁ、確かにダイン坊ちゃまの仰る通りですね」、サラはようやく同意を示す。

「宙に浮いたルシラの足を地につけさせる方が最優先です。ガーゴに狙われている現状、ダイン坊ちゃまのガードが崩されては少々面倒ですし」

「わかりました」、サラはそういって椅子から立ち上がる。

「こちらも対策を講じましょう」

なんとも頼もしく聞こえたダインは、「本当か?」、期待を込めた視線で尋ねる。

「対策っつっても、あいつ等の気持ちを無下にするようなのはなしだぞ」

「もちろんでございます。私もあの方々の悲しむ姿は見たくありません。要は、いくら攻略してこようと動じない、強固な精神力を持っていれば良いということ」

悠然とダインを見据えるサラは宣言した。「ダイン坊ちゃまの精神力を再度訓練し、理性のさらなる強化を図りましょう」

そういって、彼女はダイニングを出て行く。

サラと入れ替わるようにして、ルシラがキッチンからダインのところへ戻ってきた。

「終わったよだいん!」

「ああ、お疲れ。今日もルシラは良い子だな」

労うように頭を撫でてやると、ルシラは「えへへ」、と屈託の無い笑顔を浮べる。

そのままダインの足によじ登り、またいつものように彼の太ももの上で落ち着く。

ダインの目の前にはプリントがあり、「なに見てるのー?」、ルシラは不思議そうにそのプリントを眺めていた。

「文字がいっぱいある…だいんもお勉強?」

「ああ。そうだな。宿題だ」

「おー! これがうわさの…」

「何の噂だよ」

ダインは笑いながらプリントに答えを書き込んでいく。

ルシラはダインの手の動きとプリントをじっと見つめている。ちなみにいましている宿題は計算問題なので、ルシラにはまだ分からないようだった。

「う〜ん、まだむずかしいなぁ…」

彼女なりに問題の答えを考えていたのだろう。それでも分からなかったようで、音を上げた。

「これはさすがにルシラにはまだ早いかもな」

そう答えるダインはいつもどおりに振舞ってはいるが、内心ルシラの感触と匂いにドキドキしていた。

公園での吸魔騒ぎが尾を引いているのは明らかだった。

夢で理性の壁が崩れかかってきたところに、念押しのようにシンシアに襲わされてしまい、ほぼ半壊状態なのだ。

早く再構築する必要がある。

そう思っていると、両手に数冊の本やノートを抱えたサラが戻ってきた。

「とりあえずこれまでの復習から始めましょう」

心理カウンセリングの参考書が数冊、シエスタが独自に編み出した精神鍛錬の指南書がさらに数冊。

ダインにとっては見慣れた本を確認していると、覗き込んでいたルシラは不思議そうな目をしていた。

「先ほど奥様にご連絡したところ、再強化の許可をいただけましたので、明日より実践に移させていただきます」

「頼む」

「なになにー? なにかするの?」

ルシラは興味津々とした様子だ。

そんな彼女に向け、サラは「ルシラも参加してみますか?」、といい始める。

「心頭滅却すれば火もまた涼し。己を鍛えてこそ、未来は切り開けるのです」

「おー! よくわかんないけどやるー!」

とりあえず参加すると、ルシラは大きく手を挙げた。

「おいおい、ルシラには少し酷だろ」

ダインは難色を示す。修行は決して緩いものではなかったのだ。

「簡単なものにしますよ。瞑想とか」

「つってもルシラには難しくないか? ジッとするタイプじゃなさそうだし」

「構いませんよ。この子にそこまで本格的なものをするつもりはありませんし。それにダイン坊ちゃまにとってもルシラは側に置いておいた方がいいでしょう」

「どういうことだ?」

「癒やしというものは、辛い局面ほど心の支えになるものなのですから」

つまりそれほどダインにきつい特訓を課すつもりだということだろう。

「特訓は久々ですし、腕が鳴ります」

クールな見た目に反して熱血漢なところもあったサラは、早速どの特訓から始めようかノートを開いて考えている。

「これ、なんかにんじゃみたいだね。にんにん!」

ルシラは手書きの絵に興味が出たみたいで、真似してポーズをとっている。

「あんまきつそうなのは勘弁な…」

そのときダインが思い出していたのは、サラとの特訓の日々のことだ。

“じごく”と書かれた鉢巻を頭に巻いたサラは、本当に地獄のような特訓をダインに課していたのだ。

ヴァンプ族ですら音を上げる特訓だ。一般人であればとっくに理性どころか精神を破壊させていただろう。

「どれもおもしろそうだよ?」

「そうですね。この中でダイン坊ちゃまが泣きそうな顔をしていたのは…」

嬉々としてノートの内容を見る彼女たちに、ダインは若干の不安を感じずにはいられなかった。







「まぁ今日のリアクションは、30点といったところかな」

黄色やピンク色の入り混じった部屋の中、勉強机の椅子にかけていた女の声が木霊する。

彼女の耳には携帯通信機が当てられており、誰かと通話中のようだった。

「ちょっと最近マンネリ化してきたよね。もっと過激なものにした方がいいのかしら」

そこは若い女の自室だった。男性アイドルのポスターがドアに飾られており、机の上にはその男性とのツーショット写真が立てかけられている。

部屋の隅にはブランド品のバッグや服が乱雑に置かれてあり、その上にはセブンリンクスの制服がハンガーでかけられていた。

「何かいい案は無い?」

通話相手であるクラスメイトの女に尋ねる彼女は、始終意地悪そうな笑みを浮かべている。

けだるそうに足を組み、机の上に広げられていたノートに目を通しつつ、「んー、それもそろそろ飽きたわね」、ノートのある部分にバツ印をつけた。

『計画』と題名がつけられたそのページには、下部に様々な悪戯の方法が書き込まれてある。

「見てる私たちも楽しめるようなものがいいわね」

そういって数秒熟考した彼女は、「そうだ!」、と声を上げる。

「近々下克祭があるじゃない? ラビリンスに入った後さ、あいつを誘導して…」

ある“思いつき”をクラスメイトに伝えた後、携帯の向こうから不安そうな声が返ってくる。

「大丈夫だって」

女は明るい調子でいった。

「いくらでも誤魔化せるって。いざとなったら、私のパパに頼めばいいんだし」

「どうとでもなるから」、と女は続け、「だから…」不意につり目がさらに細くなる。

「あなたも協力してね?」

低い声に、今度は怯えたような声が携帯の向こうから聞こえてきた。

女の父親は有力な政治家だった。

マスコミを味方につけた父は情報操作に秀でており、世論を如何様にも操ることができたのだ。

それはつまり彼の口利き一つで店の評判を上げたり下げたりすることが可能ということでもあり、経営者の子供が多数通うセブンリンクスでは、彼女の独壇場といっても遜色なかった。

“提案”を賛同してくれた者には“アメ”を。反対した者には“ムチ”を。

パパに言えば売り上げが伸びる。経営が軌道に乗る。その女の台詞は真実で、だから彼女はほとんどの生徒を意のままにできていたのだ。

つまらない宿題はやってくれるし、欲しいものは相手の実家から取り寄せてくれるし、“悪戯”と称したいじめの代行もやってくれる。

たまたま担任が宿泊施設を運営する社長の息子だったので、教師すら掌握できたのだ。

同調者を作ることも反発者を排除することも、全て政治家である父の名前を出せば一発だった。

そんな彼女が最近暇つぶしとして始めたのは、あるクラスメイトへの“いじり”だ。

始めはおちょくったり嘘の情報を教えたりと、女にとっては可愛げのあるものらしかったのだが、何でもいうことを聞いてくれるのでその欲求はエスカレートする一方だ。

最近では買出しもしてくれるようになった。

女にとってそのクラスメイトは、いじり甲斐のあるおもちゃでしかない。

髪を引っ張ったり足をかけて転ばしたりと色々遊んでいたのだが、それも最近飽きてきた。

もっと刺激が欲しい。もっと楽しませて欲しい。

ヒューマ族のその女はさらなる“ドッキリ”を思いついたようで、その計画をノートに書き込んでいたのだ。

「ええ。そうね。ひょっとすればモンスターに襲われて、そのまま…ってこともあるかも知れないわね。召喚するモンスターって、一応危険種らしいから」

平然といってのける彼女に、携帯からまた不安そうな声が上がる。

「それも大丈夫だって。後でいくらでも処理できるから」

父の影響か、その遺伝子ゆえか、悪事に関する想像力だけは誰よりも逞しい。

いや、悪事だけではない。その悪事を実行する手段も、その事実を隠蔽する手段も、彼女は瞬時に思いついていたのだ。

意のままに操れる生徒、担任。彼らのおかげで、女はこれまで実行犯として注目されたことは無い。

女は模範的で人当たりのいい生徒を演じられていたのだ。

気に入らない生徒にどんな“不幸なこと”が起こったとしても、まず女に疑いの目は向けられない。

隠れ蓑などいくらでも用意できるのだから。

早くもノートには半分ほど『計画案』で文字が埋まっており、なおもペンを走らせながら、「それに、見てみたくない?」、ふとその手が止まる。

「そのとき、あいつがどんな顔をするのか。多数のモンスターに蹂躙されたときの絶望の顔とか、悲鳴とか…聞いてみたくない?」

愉快そうな表情のまま、女は続ける。

「醜悪な行為の果てにあいつの悲鳴が嬌声に変わるかもしれないし、うまくいけばモンスターとの子供が出来ちゃったりするのかも」

ごくりと生唾を飲み込む音が携帯から聞こえ、反対に女は可笑しそうに笑った。

「例のモンスター、生殖能力が高くてメスなら見境が無いらしいからさ、ひょっとしたらそういうことも期待できるんじゃないかな」

若干引いているような声も聞こえるが、女は意にも介さない。

「だってあいつ考古学者目指してるんでしょ? ちょうどいいじゃない。モンスターとの間の子だなんて。新しい種族の発見よ。人類の神秘ね」

完全に他人事の女は、その計画を実行に移すための手段をノートに書いている。

「いやーいいの思いついたわ。あなたも楽しみにしててね?」

携帯の向こうからは、どうしてあの子にそこまで入れ込むのか、という困惑混じりの声がする。

「ん〜」、やや考え込んだ女は、天然を装ったような表情のままいった。

「だって、うざいから?」

笑い声を上げ、「魔力も無いくせに同じクラスだなんて、何か気持ち悪いじゃない」、と続ける。

「頭が良いのか何なのか知らないけど、劣等種は早々に排除すべきよ。あなたもそう思うでしょ?」

そうだね、という声に満足そうな顔をした女は、そのまま「じゃあ明日学校でね」、といって、通話を切った。

笑顔だった女は瞬時に真顔になり、持っていた携帯をベッドの上に放り投げる。

「…ま、こんなものか」

手段を書いたノートを切り取り、それをドアの隙間に差し込んだ。

すると切り取ったノートの切れ端はすっと奥側へ引っ込む。

「今週末だから」

ドア向こうの気配へ声をかけると、「はい」、若い男の返事が聞こえ、足音が遠ざかっていった。

女は短く息を吐き、高級ベッドに全身を放り投げる。

その脳裏には、差し迫った下克祭のことが浮かんでいた。

あるデビ族を陥れるための作戦。

今回もうまくいくだろう。

「…ふふ…」

そのときの女の顔は、邪悪な笑みに満ちていた。

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