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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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四十一節、影

ダインは真っ暗な中、目が覚めた。

周囲には何も見えない。

一瞬夜中なのかと思ったが、頭部は柔らかい何かに包まれている。

その奥からは小さな鼓動が聞こえ、上から寝息も聞こえる。

どうやら寝ぼけたルシラに頭を抱かれていたらしい。

そっと離そうとしたが、上から「ん〜」、と嫌そうな声が聞こえ、より力を込めてダインの頭を抱きしめてきた。

無理に起こすのも悪い。時間になればサラが起こしに来てくれるだろうし、しばらくルシラの好きにさせてやろう。

そう思い大人しくするダインだが、ふと脳裏にさきほどまで見ていた夢のことを思い出してしまった。

抱きついてきたり、胸を押し付けてきたり、キスまで要求してきた。

体を満足に動かせられない中だったのでどうすることも出来ず、あのまま夢が続いていたらどうなってしまっていたのだろう。

何だか、向こうのルシラは会うたびに行為がエスカレートしていってるような気がする。

このままでは絶対に間違いが起きてしまうだろう。

いや、ルシラにとっては間違いではないのかもしれないが…。



「なるほど、あちらのルシラさんがそう仰っていたのですか」

朝食の席で、ダインは早速サラに夢のことを報告した。

ルシラが中庭に水やりにいった今しかタイミングがないため、若干早口ながらも彼女は全て分かってくれたようだ。

「苦しくて怖くて、逃げ出してしまった私…ですか」

考え込むサラの正面にはルシラが解いた問題集があり、コーヒーを片手に答え合わせしている。

「ルシラは個体ではなく何らかの集合体だった、というのはまたさらなる謎を呼んでしまいましたが…」

“あっち”と“こっち”、二種類のルシラがいたということに彼女は驚いていたようだ。

問題集に次々と赤丸をつけつつ、深く思慮していた彼女は続ける。「時間が解決するというのであれば、その通りにした方がいいのかもしれませんね」

ルシラは自分の居場所を知っている。

恐怖によるショックで忘れていただけなら、いずれふとした拍子に思い出すはず。

そのダインの判断に、サラも賛同したようだ。

「焦らないでいこう。あいつが外に出たがらないのも、何かを恐れてのことだった可能性も出てきたしな」

「では調査は打ち切りで?」

サラの質問に、ダインは「いや、居場所は突き止めておきたい」、ときっぱりという。

「そこから逃げ出したっていうことは、その元いた場所がルシラにとって危険な状況に陥ったっていうことだろ? 居場所を突き止め安全性が確認できたら、改めてルシラを連れて行こうと思ってる」

怖くて苦しいから逃げ出した。そこを重視するダインに、サラも「その通りですね」、深く頷いた。

「先で問題があるのなら、解決の一助になれるかもしれませんしね」

「ああ。できるだけ早急に見つけたい」

珍しく焦ったような表情になるダインに、サラは不思議そうな表情を向けた。

「やばいんだよ…早く向こうのルシラに会わないと…」

「どういうことで?」

「さっきもいったけど、段々向こうのルシラの行動がエスカレートしてきてさ…自制の効く現実世界であいつと会って、落ち着かせたい」

理性の効かない夢の中では、ルシラのエスカレートする行為を止めさせる術が無い。

完全にノーガードで、そこを攻め入られてはどうしようもないのだ。

先の展開を危惧するダインだが、サラは「ああ」、表情を素に戻し採点作業を再開する。

「行き着くところまでいってみては良いではないですか」、サラは平然といった。「所詮は夢の中ですし」

まるで夢の中の行為はどんなものであっても、さしたる問題ではないと言いたげだ。

「いや、まずいんだって」、ダインはすかさず訴える。「夢っつってもリアリティありすぎるから、現実とごちゃ混ぜになりそうでやばいんだよ」

ルシラと出会う前までは…いや、正確には夢の中のルシラに会うまでは、ダインはそれなりに理性は保てていたはずだ。

なのに、最近はシンシア達から吸魔させてもらうたびに妙な興奮を覚えてしまう。

このままではいずれ“問題”が起きてしまう。

そう話すダインを、サラは採点を中断しじっと見ていた。

「ふむ…」

興味深げな表情で、そのまま彼女は「もしや」、ある可能性を示唆する。

「壁をこじ開けようとしているのかも知れませんね」

「壁…?」

「ええ。奥様がダイン坊ちゃまに施された、強固な理性という壁です」、それからサラが語りだしたのは、これまでにも何度も聞いたヴァンプ族の性質だ。

「ヴァンプ族はその性質から興奮しやすい傾向にあります。ですので、理性の鍛錬は我々一族の義務となっているのですが、ヴァンプの血が濃く現れているダイン坊ちゃまには特に強い抑止力をかけていたのです。日々の鍛錬はもちろんのこと、倫理教育から暗示まで用いたこともありましたね」

過去のことを思い浮かべるダインは、確かに母に色々された記憶があった。

教育に暗示といったもののおかげで、ダインはこれまで衝動に駆られることは無く、変に興奮するということも無かったはずなのだ。

「しかし、抑止力が強すぎた」、サラは懸念しているような表情を浮かべ、続けた。「何を見ても興奮しないというのは、一見すれば間違いを犯す心配も無くいい事に思えるのですが、いざ恋人が出来たり恋愛関係を発展させることになった場合には障害にもなりえます。男女間の恋や愛は、味気なく表現すれば性欲ということに他なりません」

断言したサラは、さらに続けた。

「性欲なくしては恋も愛も生まれず、種族の発展も望めない。望む通り強固な理性を持って成長したダイン坊ちゃまですが、強すぎる理性はダイン坊ちゃまの恋愛事情の妨げになるかもしれないと、奥様は危惧しておられました」

確かに、サラの話は分からないでもない。

抑圧のしすぎは、返って不利益を被ることもある。何事もほどほどが大事だということだろう。

「じゃあ、ルシラはその理性の壁を崩しにかかってるってことか?」

「天真爛漫なあの子ですから、狙ってやっているということではないでしょうけどね。結果としてダイン坊ちゃまの壁が崩されているということです」

サラの言う通り、“綻び”は感じていた。

日を追うごとに…いや、例の夢を見るたびに、現実のルシラだけでなく、シンシアやニーニア、ティエリアまで可愛らしさが増して見えていたのは疑いようの無い事実だったのだ。

「夢というものはある種本能が剥き出しになる場所でもありますし、そこに倫理観も暗示も存在しません。完全に無防備なところを直接攻めて、ダイン坊ちゃまの壁を崩しにかかるというのはとてもいい方法ですよね」

まるで他人事のようないい方だった。

「サラはどっち派なんだよ。俺の理性を崩させたいのか」

疑わしげに聞くと、彼女は相変わらずの無表情でコーヒーを一口飲む。

「奥様とだんな様の教育と、ダイン坊ちゃまが本来持っている素直さの賜物により、ダイン坊ちゃまは幼少期からわがままはいわず、驕りや傲慢も無く実直に育ちになられました。何事もそつなくこなし、どのようなトラブルにも奥様譲りの冷静沈着さを発揮し、だんな様譲りの豪傑さで問題を解決したこともある。メイド兼教育係の私も鼻が高いです」

突然褒めてきだしたので、「え〜と、何がいいたい?」、ダインは困惑した表情を浮かべている。「理性は持ってた方がいいってことか?」

「ダイン坊ちゃまは、冷静さを欠くことが無く慌てふためくお姿なども、これまで見たこともございません」、サラの返答は相変わらず要領を得ない。

「私がどのような難題を振っても、偶然を装いダイン坊ちゃまのお洗濯の中に私の下着を忍ばせても、うろたえませんでしたよね」

「あれやっぱりわざとだったのか」

仕事では普段滅多にミスしないサラだったからよく覚えてる。

混ざってたぞ、と普通にサラに下着を返したんだが、そのときに見せたサラの表情は本当につまらなさそうな顔だった。

「普段動揺することの無いダイン坊ちゃまの、慌てるお姿を見ていたいというだんな様のお気持ちは、私も共有しているということです」

「…つまりアレか」、サラの考えが見えてきたダインはいう。「俺がどっちに転んでも構わないと?」

「そうですね」

薄く笑うサラを見て、ダインは肩をすくめつつ大きく息を吐く。

「分かったよ。もうお前には相談しない」

呆れたようにいうダインに、「私はいまもダイン坊ちゃまの教育係です」、そういって彼を引き止めた。

「真摯な相談には意地の悪いことはいわず、ちゃんと答える所存ではおりますよ」

「信用していいのかよ」

「もちろんです。ただ、ダイン坊ちゃまを取り巻くあの可愛らしい方々の邪魔をするつもりはないだけです」

つまり、話は聞くが行動はしないということをサラはいいたかったのだろう。

言葉どおりに、彼女はダインが悩む姿を見ていたいだけのようだ。

それはそれで悪趣味なような気もするが、しかし個人の問題に介入されても困るだけだし、サラの行動は正解といえば正解だろう。

「んじゃ話戻すけど、結局ルシラとの夢のことは…」

「静観するしかないですね。夢の中に介入できれば話は別でしょうけど、私たちに魔法は効きませんし」

「まぁ、そうなるよな…」

次に向こうのルシラと会ったらどうなってしまうのか。

再び深いため息を吐きつつ朝食を食べ終えると、水やりを終えたルシラがリビングに戻ってきた。

「終わったよ!」

そういって、自然な動作でダインの足に乗ってくる。

すっかり定位置となってしまい落ち着くルシラに、サラが採点済みの問題集を返却した。

満点だったそれを見て、ルシラは嬉しそうに笑う。

得意げにダインに見せ褒めてもらいたがっている彼女に対し、子供に対する可愛らしさとは別の感情が沸き起こっていたことに、ダインは内心驚いていた。

ルシラを女の子として可愛く思ってしまっている。これもやはり夢の中のルシラに、理性の壁を崩されてきた影響なのだろうか。

このままではやっぱりまずい。そんな彼の危機感が伝わったのか、「良いではないですか」、サラは落ち着き払った様子でいった。

「どのようなことになったとしても、これほどまで懐いておられるダイン坊ちゃまにされることなら、この子は笑顔を絶やすことはないでしょう」

近づき、ルシラの頭を撫でるサラは優しい表情をしている。

「この子が笑っているのなら、それで良いではないですか。ダイン坊ちゃまの悩み顔も見れますし、私にとってはいい事尽くしです」

「お前は呑気で良いよな…」、呆れるダインに、「姉の特権です」、サラは可笑しそうにいう。

「何の話〜?」

ルシラが不思議そうにダインの顔を見上げてきて、その表情にもダインはどきりとさせられてしまった。

「ルシラは頭が良くて可愛いという話をしています」

「えー? ほんとー?」

「本当ですよ」

サラに頭を撫でられ続けたルシラは、「えへへ」、より一層嬉しそうに笑う。

「さらの手も、だいんの抱っこもきもちーよ!」

サラとダイン、二人のヴァンプ族に触れられたルシラは、夢心地のようだった。

気持ち良さそうなその顔もやっぱり可愛くて、ダインはたまらずにルシラをぎゅっと抱きしめてしまう。

「ん…もっともっと、お勉強がんばらないと…!」

盛り上がった気持ちは、どういうわけか勉強の方へ向いてしまった。

「なぁルシラ、そろそろ何を目標に勉強頑張ってるのか教えてくれてもいいんじゃないか?」

「まだ、もう少しだけひみつだよ!」

外に出ることも、ルシラの目標を教えてもらうのも、まだ時間を要するようだった。







「お前たちの持ち場はここだ」

そう担任のクラフトに案内された部屋には、壁に沢山のモニターが置かれてあった。

やや埃っぽく狭い部屋で、中央には長いテーブルとパイプ椅子がある。

テーブルには放送で使うようなマイクが備え付けられており、それ以外には何も無い。

今日は朝から下克祭の事前説明が行われていた。

ラビリンスの監視を任されたダインとディエルは、本校舎一階西側にある、進入禁止エリア内にある監視ルームに来ていた。

モニターにはラビリンスの全てが映し出されており、その台数は数百にものぼる。

「っはー、これまたすごい数ね…」

そういうディエルは珍しそうに周囲を見回しており、おもむろにポケットから携帯通信機を取り出す。

監視ルームの様子を記録に残そうとしているところで、クラフトが咎めた。

「ラビリンスの内部は機密事項になっている。外部に漏れた場合、生徒であろうと処罰対象になると生徒手帳の規約に書いてあるのを忘れたのか?」

「あー、そうなんですね」、ディエルは悪びれなくいう。「普通じゃ入れないところだから、友達に自慢できると思ったんだけどなー」

「ラビリンスを損傷させた罰でこんなことになってるんだ。また問題行動を起こすのはあまりお勧めしないぞ」

隠し撮りしようとしていたらしいが、クラフトは見逃さなかったようだ。

「ちぇー」、眼光鋭いクラフトを見てようやく諦めたディエルは、渋々といった様子で椅子にかける。

「それにしてもちょっと多すぎる気がしない? いくら二人でも全部を監視するのは難しいような…」

確かにディエルの言う通り、これほど多いというのは聞いてない。

数百とあるモニターは壁紙のように一面に張り巡らされており、その数を二人だけで監視するのは無理があるんじゃないだろうか。

「一応、クラス担任も目の魔法で監視しているから問題ないだろう。見落としで責められることもないから安心しろ」

それからクラフトはダインとディエルにモニターの操作方法を教えていく。

簡単なものだったので数分程度で終わり、他の生徒への説明会が終わったら戻ってくると言い残し、彼は部屋を出て行った。

監視ルームにはダインとディエルの二人だけになり、ディエルは早速けだるそうにテーブルに頬杖を突く。

「あー、良いわねぇ」

モニターの中では下克祭のリハーサルが行われており、モンスター相手に奮闘している生徒たちの姿が見える。

魔法を使って戦う生徒たちはみんな楽しそうで、元気に駆け回っているのをディエルは本当に羨ましそうに見ていた。

体を動かすことが大好きなディエルなのだ。じっとしているのは辛い上に、モニター内で楽しそうに戦闘に明け暮れている様子を見るのも苦痛でしかないのだろう。

「あ、ねぇダイン、昨日の話しの続きなんだけど」

これ以上監視する必要はないと思ったのか単純に飽きたのか、モニターから目を離しディエルが話しかけてくる。

「私も少し気になっていたから、帰った後実家の離れにある書庫に行って資料漁ってみたのよ」

あまり人に聞かれていい内容ではないと思い止めさせようとしたが、密室の監視ルーム内には奴らの聖力は感じない。

目や耳の魔法は仕掛けられてないようだったので、安心してディエルに続きを促した。

「予想通り、未踏の地は全部調べつくされていたわ。昔より危険地帯も減ってきているし、謎はあまり残されてないみたい」

「やっぱそうか」

「でもディビツェレイド大陸の未踏の地が踏破されただけで、まだ誰も足を踏み入れてない場所はあるんだけどね」

そこでダインはモニターから視線を逸らし、ディエルを見る。

ダインに向け、彼女は「ティエリア先輩がいっていた場所よ」、といった。

「断世界ってやつか。未踏の地付近にあるのか?」

「場所については不可干渉協定もあって分からないわ」

聞きなれない単語だった。

「あれ、知らない? 思わぬトラブルを避けるために、七竜の封印場所はそれぞれ守り人と呼ばれる人たちに管理される決まりがあって、その場所については守り人やその種族の一番偉い人しか教えちゃいけないってやつ」

「初めて聞いたよ」

だが確かに、七竜の封印地など極秘にすべき情報だろう。テロ対策はもちろんのこと、悪用する事だってできる。戦争の道具にすら利用しようと思えば利用できるのだから。

「まぁ協定っていっても、線引きが曖昧になっているのもあるけどね。ヒューマ族が管理しているダングレスなんて、どこに封印されてるのかほとんどの人が知ってるし」

ディエルの言う通り、明言されてはいないが、ダングレスの封印地はここセブンリンクスの遥か地下にあるというのは有名な話だ。

ラフィンもそう予測していたし、実際ラビリンスの最下層付近までいったときは幻影が現れたので間違いないだろう。

「ダングレスは七竜の中ではそれほど強くないから、協定が緩いっていうのもあるかも知れないけどね」

「差があるのか?」

「ええ。七竜にはそれぞれに特殊能力がある。やばさランクみたいなのがあって、それに準じて管理方法も違ってるっていう噂よ。デビ族が管理している“プノー”は、そのランキングでいえば相当上らしいから、封印地の情報を知っているのはデビ族の中でも一握りだと思う」

プノーというのは聞いたことがある。確か毒の息を吐くドラゴンだったはずだ。

混乱期ではそのプノーが吐く毒息によって多数の死者が出たと何かで見たことがある。

直接浴びたら即死。浴びなくても環境が破壊され、死の大地となって作物が育たなくなる。ディエルのいうやばさランクで相当上だというのも頷ける。

「シンシアが持っていた本の情報には、未踏の地に新種の魔法力反応ありって書いてあったんでしょ? ひょっとすれば未踏の地のさらに奥のところから検知したかも知れないわね」

「そこには何があるんだ?」

「大陸の果てになるから、その先ってなると海になるわね。そこもデビ族の領地内なんだけど、センタリア海域ってところ」

ディビツェレイド大陸にはダインでもそんなに訪れたことは無い。

未踏の地ですら最近知ったことなので、その最果てというのは想像すらできなかった。

「また遠そうだな」

「まぁそうねー。デビ族ですら管理が行き届いてない場所だから、何があるのかは誰も知らないかもね」

「危険なところなのか?」

「年中大荒れの、誰も近寄れない海域らしいわよ」、ホラー要素でもあるのか、声を低くする。「無謀な船乗りが何人もチャレンジしたらしいけど、帰ってこれたのは一人もいないとか」

「ふーん」、ダインはやや興味なさげに返事している。話が脱線してるばかりか、ルシラと関係なさそうなので覚える必要はないと思ったのだろう。

だがディエルはすぐに、「いやいや、ここからが肝心なのよ」、と独自に調べた情報をダインに打ち明ける。

「その無謀な船乗りから、過去に一度だけ通信でコンタクトが取れたことがあったらしくてね」

「ほう?」

「その船乗りがいうには、大荒れのうねりの中、孤島が見えたって」

「孤島?」

「ええ。その孤島の中心には大きな穴が開いていて、それがどこまで続いてるのか分からないほど真っ暗な穴らしいわよ」

「う〜ん…」

確かに冒険心をそそられる話ではある。

しかしやはりルシラとは関係なさそうな情報だ。

「周りは毒沼だっていっていたらしいから、そこがプノーの封印地なんじゃないかって噂が立ってるわ。そこは未踏じゃなくて未開の地になるんだけど」

「未開か…」

世界は広い。ティエリアはこの世界は調べつくされているかもしれないといっていたが、やはりまだ発見されてない土地、種族はいるのだろう。

「封印場所には入れなくても、その周囲に何かヒントぐらいはあるかも知れないな」

ディエルからさらなる情報を聞き出そうと思ったが、彼女は何故かモニターに顔を向けたまま固まっていた。

「どうした?」

尋ねても返事は無い。

何か異常を発見したのだろうかとダインも同じ画面を見るが、特に目立った変化はない。

モニター内では女生徒が一人、フロア内でうろうろしていた。

見たところパーティとはぐれてしまったようだ。周囲には同じクラスと思われる生徒が何人かいるが、誰も気付いてる様子はない。

いや、あえて誰も話しかけないようにしているようだった。迷った女生徒を遠巻きに見ていたクラスメイト数人が、彼女を指差しくすくす笑っている。

「…どこの学校だろうが、似たようなことはあるもんだな」

無音で映像のみだが、女生徒が置かれている状況を瞬時に理解したダインは、眉間に皺を寄せる。「何が由緒ある学校なんだか。やってることはそこらの悪ガキと一緒じゃん」

そういいつつ、その女生徒に若干の見覚えがあったのを思い出し、ダインは「ん?」、と声を出す。

放課後、たまにディエルが教室の窓から外を睨むように眺めていたのだが、そのときいつも視線の先には女生徒がいた。

毎回、両手に沢山の飲み物を抱え走っていた奴なので覚えていたんだが、モニターに映る女生徒はまさにそいつだ。

ディエルは彼女の姿を目で追いかけていたようなのだが…。

「相変わらず…ね…」、と、不意にディエルが声を出す。

いつもの軽い調子ではない、感情を消したような声だった。

「知り合いか? 見たところデビ族のようだが」

尋ねたものの、「知り合いというか…ま、いいじゃない」、というのみだ。

珍しく歯切れが悪かったが、彼女の全身から追及するなという空気が漂っている。

明らかに触れて欲しくなさそうだ。

察したダインは、別の話題をディエルに振る。

彼女はすぐにいつもの調子に戻って受け答えしてくれたが、胸の引っかかりは結局最後まで取り払われることは無かった。



昼休み前、ダインはクラスメイトから集めたアンケート用紙を持って、職員室へ向かおうとしていた。

廊下の曲がり角に差し掛かったとき、そこからいきなり女生徒が飛び出してきて、焦っていたのかダインに気付かずぶつかりそうになる。

「きゃぁっ!?」

悲鳴をあげそのまま後ろに倒れそうになったので、ダインがすかさず支えてやった。

「大丈夫か?」

「あ、あ…す、すみませ…」

その女生徒はメガネをかけ、黒い髪を三つ編みにしたデビ族だった。

記憶にある姿で、彼女がディエルが気にしていた人物だとすぐに気付く。

再び声をかける前に、彼女から「ああっ!」、という声がする。

見ると、手に財布を持っていたのか、廊下に硬貨をぶちまけてしまったようだ。

「ああ悪い、手伝うよ」

ダインはいい、「そ、そんな…」、遠慮する女生徒を手で制しつつ、散らばった硬貨を集める。

その間彼女は何度もダインに謝っており、謝り過ぎだと指摘するとさらに謝り倒してきた。

「す、すみません、本当に…」

見たところ同学年のようだが、上履きや制服には汚れが目立っている。

皺も多く一見だらしなさそうに見えるが、顔つきは利発そうだ。

「大丈夫か?」

もう一度そう尋ねると、女生徒は恐縮そうに「はい」、といって集めたお金を財布にしまう。

急いでいるようで、「ほ、本当に申し訳ありませんでした」、最後にまたダインに頭を下げ、背中を向ける。

「え、と…たまごパンと焼きむすびと…あ、飲み物もあった…」

ぶつぶつ呟きながら走り出す。

廊下は走ってはならないはずだし、走るとまた誰かにぶつかるかも…と注意する間もなく、その姿は曲がり角で消えた。

「忙しい奴だな…」

ぽかんとするダインに向け、「相変わらずね…」、後ろから声がかかる。

振り向くと、そこにいたのはラフィンだった。

ダインと女生徒のやりとりを偶然目にしていたのだろう。

「どうしてああなっちゃったのかしら…」

先ほどの女生徒が走り去った先を見ながら、ラフィンはいう。

「さっきのってお前の知り合いか?」

尋ねると、「そう、ね。一応、知り合いっていうことになるのかしら」、やや微妙そうな返事だ。

「いまは全く交流が無いから」

「へぇ。身なりとか動作とか、独特な奴だよな」

女生徒の印象を述べると、「学者気質だから」、意外な答えが返ってきた。

「両親とも考古学者で、本人もそれを目指してるみたい」

「そうなのか」

「頭が良いのは確かだからハイクラスまでいけてるんだけど、如何せん魔力がないから、昔からああして苛められがちなのよね…」

過去のことを思い出しているのか、ラフィンは渋そうな表情をしている。

「じゃあ、いつもあんなに急いでんのはパシられてるってことか」

「この時間、いつもここを走っていってるわよ」

ラフィンの表情はふいに真剣なものになる。

「そろそろ見過ごせない段階まで来てるかもしれないわね」

危惧するラフィンだが、その表情には戸惑いの色合いも兼ねていた。

「でもあの子が何かいってきそうだし…」

さっきから気になることばかり呟いている。

ダインの表情から察したラフィンは、昼食はいつもとは別の場所にしないかと提案してきた。

「もっと目立たない場所で。あまり聞かれていい話題じゃないから」



「ミーナ・レィンス。親は種族の成り立ちから進化論までを確立させた、著名な考古学者よ」

今日は闘技場の物陰にいつものメンバーが揃っていた。

それぞれ弁当箱を広げ、食べ始めたところでラフィンが説明を始めるが、シンシアは「ミーナちゃんがどうかしたの?」、と不思議そうに聞いてきた。

「あれ、知ってるのか?」

「知ってるも何も、最初のクラスにいたとき一緒だったよ」

そういえばシンシアは元はハイクラスだったのだ。

ミーナと繋がりがあったことに驚きつつ、ダインは「いや、ちょっと不憫そうな奴に思えてきてな」、と言葉を濁す。

「半分以上はいじめの段階に入ってるわね」、ラフィンは包み隠さずいった。表情には怒りが浮かんでいる。「毎日パンを買いに行かせるだなんて、いつの時代なのかしら」

短い会話だが、それらの情報だけで状況を飲み込めたティエリアは深刻そうな表情だ。

「い、いじめ…ですか…」

ティエリア自身も人見知りな性格をしているので、他人事とは思えなかったのだろう。

「だ、大丈夫なのかな」

同じく人見知りだったニーニアも憂えた顔をしている。

ともすれば自分も同じような状況に陥っていたかもしれない。ティエリアとニーニアは不安がっているようだ。

そんな二人に、ダインはそのミーナが決まった時間、決まったものを両手に抱え廊下を走っていたことを説明した。

「シンシアは気付かなかったのか?」

いじめの気配は無かったのかとシンシアに問いかけるものの、「う〜ん」、と考え込む彼女は困惑顔だ。

「お互いが馴染む前に、ノマクラスに移籍したからなぁ…」

確かにそれならシンシアが気付かないのも無理はない。誰しも、初対面の相手にいじめをしようなどとは思わないはずなのだから。

「でもミーナちゃんのことは何となく知ってるよ」、シンシアはいった。「ずっと難しそうな本を読んでて一人のときが多かったけど、良い子だよ? 教科書見せてくれたり、授業で分からなかったところとかも教えてくれたりして」

「そんないじめられるような子には見えなかったけどなぁ」、そう語るシンシアに、「昔からそうなのよ」、といったのはラフィンだ。

「勉強熱心で、集中すると周りが見えなくなるタイプだから、よくからかわれたり教科書とか私物を隠されたりしてね」

集団生活の中において、個性が強く出ている奴は弾かれやすい。

いじめの標的にもなりやすく、ミーナもその類なのだろう。

「世界各国から秀才や天才の子達が集う学校だし、規則や規律も厳しくしているところだから、そういったことはないものだと思っていたんだけれど…」

ラフィンの表情には濃い落胆の色が出ていた。

みんな何かしらの英才教育を受けてセブンリンクスに来たのだから、常識は持ち合わせているものだという期待があったのだろう。

「魔法力が高かったり何かの才能に秀でたといっても、所詮はガキの集まりだ」、ダインはいった。「どんな学校であれ、実情は似たり寄ったりになっちまうんだよ」

逆にそういった奴らの方が、無駄にプライドが高くてマウントの取り合いになると続け、名高い学校だからこそいじめの温床になりやすいという持論に、シンシアたちは深く頷いた。

「いってしまえば魔法力の高さでクラス分けされてる時点で、ノマクラスは学校からいじめを受けてるみたいなもんだしな」

その彼の持論は極論だろう。だが、ラフィンはその通りかも知れないと深く考え込み始めた。

「差別はいけないわよね…生徒会長として…いえ、エンジェ族として是正すべき問題だわ…」

彼女の雰囲気から実行に移しかねないと思ったダインは、笑って「真面目に受け止めるな」、と声をかける。

「明確な線引きがあるからこそ、やる気にも繋がる。それを狙ってクラス分け制度があるんだろうし、全部が全部駄目だとは言い切れないって」

「そうだけど…」

話が脱線しそうになったところで、ティエリアが修正を図ってきた。

「いじめの気配があるのなら、止めさせるべきかもしれません。そのミーナさんという方のこと、何とかできるのなら私が…」

そこでダインは「いや」、と彼女を制する。

「やめた方がいい。これこそデリケートな問題だし、場合によっちゃ余計なトラブルを招きかねない。ミーナと俺たちは知り合いですらないんだから」

黙り込むシンシアたちに、「しかし知ってしまった以上、放ってはおけないよな」、ダインはラフィンに顔を向けた。

「ああいうのは身近な誰かに協力してもらった方が解決しやすい。誰かいないのか?」

「あの子、友達らしい友達はいないようなの」、ラフィンは難しそうな表情で答えた。「いじめてる主要メンバーが幅を利かせてるらしいから」

ミーナの現状を魔法で視たのか、ラフィンは続ける。

「主導者っぽいのがいて、どうもその主導者の親が有名な政治家らしいから、誰も口出しできないようなのよね」

「なんつー典型的な…」

ダインは呆れたように空を見上げる。

親が偉いから、その遺伝子を引き継ぐ自分も偉いと思い込んでいる。その威光も自分の力だと勘違いしている。ありがちな話だ。

「一人のときが多くて友達もあまりいないみたいだから標的にされたみたい。昔も同じことがあって、私やディエルが何度も助けてたんだけど…」

「え? ディエルちゃん?」

意外な登場人物に思ったのか、シンシアが顔を上げる。

「お三方は昔からお知り合いだったのですか?」

ティエリアも驚いたような表情だ。

「あ、はい。初等と中等部時代は同じ学校に通っていましたから」

「同じ学校…?」、シンシアが疑問符を浮べる。「エンジェ族とデビ族なのに?」

そういえば、よくよく考えればおかしな話だ。エンジェ族とデビ族は昔から相容れないはずだったのに。

「ああ、いえ、一部の学生だけの…まぁいってしまえば交換留学みたいなものね」

その仕組みについて、ラフィンは説明を始めた。

「エンジェ族とデビ族の仲の悪さはみんなも知っての通りだと思うんだけど、いつまでも仲違いしたままじゃいけないってそれぞれの重役の方々も思ったみたいでね、種族間の関係改善計画というものが打ち出されて、その一環として交換留学制度みたいなものが始まったのよ」

だから小中一貫の学校がディエルと同じところだったとラフィンは続ける。

「留学とはいっても、卒業までずっとそこにいるんだけどね。私が通っていた学校にディエルと他何名かのデビ族が来ることになって、そのときにミーナとも知り合ったの」

「そういうことか…」

頷きつつ、ダインが思い出していたのは、モニターに映るミーナを険しい表情で見つめていたディエルの顔だ。

「ディエルとそのミーナってのは、友達だったのか?」

「幼馴染だったみたい」、これまた意外な情報が飛び出した。「私と知り合う前から友達だったみたいだし、よく一緒にいたのを見かけたわ」

幼馴染だった。友達だった。

ラフィンの台詞の端々に過去形が目立ち、「あのさ」、ダインは神妙な面持ちでラフィンを見る。

「こんなこと、お前に聞くのもどうかと思うが…」

ダインの表情から質問の内容が分かったのか、「そこまでは私も知らないわ」、先回りして、いま現在のディエルとミーナの関係について答えてくれた。

「気付けばどちらとも顔を合わせなくなっていた。何かあったのは間違いないんでしょうけど」

「そうか」

確かに、ディエルは好き嫌いがはっきり分かれている。

何かのきっかけでミーナとの関係に亀裂が入り、それが現在にまで尾を引いているのだろう。

ラフィンの悪口はよく言うディエルなのに、ミーナのことを言及すらしないのは、心から嫌っているからということも考えられるが…。

しかし、あの二人の亀裂にはそこまでの深さは感じられない。

険しい表情でモニターを見つめていたディエルだが、その目にはどこか心配そうな思いも感じられたのだ。

とはいえディエルとミーナの問題なので、ダインやシンシアたちが入り込む隙はないだろうが。

「いくら仲が良くても、ふとしたことがきっかけで関係が壊れることなんて、ざらにあるしね」

経験談なのか、ラフィンはそういって大きな弁当を食べ始める。

ニーニアは一気に不安そうな顔になり、同じく不安げなティエリアと視線を交わしていた。

自分たちは大丈夫なのかと、その顔が問いかけている。

「私たちは大丈夫だよ!」、二人の不安をかき消すように、シンシアが宣言する。「どんなことがあっても、ニーニアちゃんもティエリア先輩も嫌いになったりしないもん!」

両脇にいたニーニアとティエリアを抱き寄せた。二人から「ひゃっ!?」、と驚きの声が上がる。

「こんなに可愛くて、性格も良くて、抱き心地が良いし…!!」

二人の頭に頬擦りまでしだして、何とも満足げな表情だ。

「もちろんダイン君も、ラフィンちゃんもだよ?」

シンシアの台詞に、両隣の二人も真剣な表情で頷いている。

「私たちの友情は何物にも変えがたい!!」

盛り上がる女三人に、「は、恥ずかしいこといわないでよ」、ラフィンは顔を赤くさせている。

そのままニーニアとティエリアの感触を堪能し始めたシンシアを横目に、ダインは話題を戻してラフィンに話しかけた。

「ディエルもミーナもお互いのことが嫌いになったのか?」

「う〜ん…分からないけど…でも、多分嫌いにはなってないと思う。ミーナは誰かを嫌いになったりするようなタイプじゃないし」

昼間の印象から、ラフィンのいっていることは確かだ。見るからに気弱そうなミーナなので、苦手意識は持つだろうが誰かを嫌ったりはしない。

「ディエルだって、ミーナをそこまで嫌悪してるようには見えなかった。お互い、一定の距離を保ってるように見えたわね」

「それに…」、いったきり、ラフィンは箸を止め中空を見つめる。

「何となくだけど、ディエルがこの学校を選んだのは私を追ってじゃなく、ミーナが心配でついてきたような気がするのよね…」

そこでシンシアたちはやや驚いたようにラフィンを見る。

ダインも不思議そうな視線を彼女に送っていた。

「え…な、何?」

「いや、何だかんだいいながらよく見てるなって」、ダインは笑う。

「やっぱりお前さ」、いいかけたダインの台詞を、「ち、違う!!」、ラフィンは大慌てで遮った。

「た、たまたま目に入っただけよ! やたら絡んでくるし鬱陶しかったから、警戒するために見ていただけ!!」

弁明するものの、顔は真っ赤なままだ。

慌てふためく様がたまらなかったのか、シンシアはすぐに彼女の元へ移動し抱きついた。

「ん〜かわい〜!」

「ちょ…! も、ま、また…!」

髪を撫で、頭部に頬擦りしている。まるで動物の毛並みを堪能するようにもふもふしている。

ニーニアとティエリアまで続いてきて、あっという間にラフィンはシンシアたちに囲まれてしまった。

「も、もう、何よ…何なのよこれは…!」

女性陣のやり取りにダインは笑いつつ、ふとディエルのことに考えが及ぶ。

何となく、ディエルのことが分かってきた。

人当たりのいいディエルは友達が多く付き合いも良さそうだったが、あれは別の顔だったということだ。

心の奥底では誰も信用してなかったのだ。他人はいずれ裏切るものだという意識が根底にあるのかもしれない。

ミーナを見ていたときの横顔。あれが、ディエル本来の姿だったように思う。

ディエルとミーナの間に何があったかは分からない。

しかしその何かが、ディエルの“表面上の”人当たりのよさに繋がったということだろう。

ミーナとのことが発端なのかは分からないが、なかなかややこしい性格をしているようだ。

とにかく現状は静観するしかない。

「み、見てないで助けなさいよ、ダイン!」

とうとうラフィンが助けを求めだした。

「ん? 俺も抱きつけって?」

冗談っぽくいうと、「は、はぁ!?」、驚くラフィンと違って、「どんとこい!」、シンシアは手を招く。

「だ、駄目よ! 駄目に決まってるでしょ! 倒れちゃうじゃない!」

さらに慌てだすラフィンだが、彼女以外は受け入れる気満々だ。

「ど、どうぞ、ダインさん。私たちごとでよければ」

「あ、こ、こっち、ここ空いてるよ」

「よーし」

「だ、駄目だったら!!」

ノらなければいけない空気に逆らえずラフィンたちに抱きついてしまったわけだが、ラフィンは恥ずかしさなのかヴァンプ族の肌質にやられたのか、「ふひゃぁ!?」、情けない悲鳴と共に本当に倒れてしまった。

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