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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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三十八節、破魔一刀流の掟(下)

「ん? 何かあったんすか?」

もしやシンシアの身に何かあったのかと心配したダインだが、ゲンサイは鼻を鳴らし持っていたものを見せてきた。

「うぬの目的の品だ。リィンから聞いて持ってきた」

月明かりに照らされたそれは古めかしく分厚い本で、遠目からでもそれが『全人網羅の書』だということが分かる。

「え、いや…わざわざ持ってきてくれたんすか?」

ダインは驚いて聞いた。いまも道場はごたごたしているはずなのに。

それも門下生に頼むならまだしも、師範代自ら単独で持って来てくれるとは。

「一応、うぬには迷惑をかけたことになるしな」

謝罪の意味を込めて持ってきたとゲンサイはいうが、その割りには彼の全身から研ぎ澄まされた気配のようなものを感じる。

「助かります」

ダインが早速それを受け取ろうとしたとき、「だが」、ゲンサイはその本を懐に戻した。

「迷惑ついでにひとつ頼まれてはくれんか」

鋭い眼光はダインを捉えたまま離さない。

「結局、あのときはシンシアとリィンがぶつかり合ってしまい、うぬの実力は分からずじまいだった。うぬは一方的にやられ、体面上は破魔一刀流としての面目は保たれたように思うが…」

風が吹き、ゲンサイの白髪混じりの髪を揺らす。その長い髪からも白い揺らぎのようなものが見えており、まるで溢れ出る闘志を全身に滾らせているようだ。

「あのときは手を抜いていたのであろう?」、方眉を上げ、ゲンサイはいう。「シンシアの迷いを懸念したリィンが此度の計画を実行した。それぐらいは分かる。あやつの思惑通りに事が運び、終結したが…しかしワシはうぬの本当の実力が見たい。知りたいのだ」

ゲンサイはなおも続けた。

「創立時それほど着目されてなかった破魔一刀流は、いまようやく最強の座に君臨することが出来た。魔法、剣術の融合を目指し、それが完成しようやくいまの地位に立てた。末代まで続くよう願っていたのだが、ワシの子等はどちらも女であるが故、強い子孫を残すためにはその婿も強くなくてはならん」

それは、ゲンサイがいまも強さに拘っている理由だった。

道場のこと、ひいては孫のことまで考えていたのだ。

「シンシアもリィンも特に強さに拘ってはおらんようだが、武道の道を歩んでいる以上高みは目指さねばならん。弱き者は守るべきだが、我が一族には不要なのだ。その種は少しでも排除せねばならん」

微動だにしないゲンサイは、彫りの深い目の奥からさらに強い眼光をダインに放つ。

「うぬは魔法力がほぼないと聞いておる。だからワシは不安なのだ。孫が弱き者なら、周りの目に耐えられんのではないか。破魔一刀流の看板が廃れてしまうのではないか。強さを周囲に知らしめること以外、家族を路頭に立たせぬ手立てをワシは知らん。だから不安なのだ」

「分かってくれるな?」、そう語るゲンサイの言葉に偽りはないようで、表情には道場の信頼が第一なのだという気持ちが見え隠れする。

確かに最強という触れ込みほど強力なアドバンテージは無い。だがそれを維持し続けるのは大変だ。

敗北した、弱くなったという噂が少しでも出回れば、途端に信用は失墜し、再浮上は厳しくなる。

仮にダインが弱く、そのままシンシアと一緒になったとしたなら、道場を経営する上でネックになるとゲンサイは考えたのだろう。

つまるところ、彼は家族を守りたいのだ。

「性格や家系、その地位など二の次で良いのだ。とにかく強ければ良い。良い奴かどうかなど、娘が気に入っている時点で考えずとも分かっていることだ」

ゲンサイの台詞やその雰囲気から、もはや最初のような嫉妬心は見られない。

彼が語っていることは全て本心のようだ。

「頭の固い爺ですまんな。しばし付き合ってくれるか?」

半身をこちらに向け、深く腰を落とすゲンサイ。

丸腰だったはずの彼の手に、シンシアやリィン以上にはっきりとした輪郭の聖剣が出現し…さらに彼を取り囲むように無数の剣が現れた。リィンも似たような技を使っていたが、その本数も大きさもまるで違う。

「多少の怪我は覚悟して欲しい。手加減が苦手なのでな」

そういった瞬間、ゲンサイはダインに向け突進を始めた。

ダインが瞬きをした一瞬の間に彼は目の前にいて、周囲には無数の剣が迫ってきている。

「ふんっ!!」

ゲンサイが聖剣を振った瞬間、ダインが立っていた場所が激しく光り、凄まじい爆発音が鳴り響く。

地面が大きくえぐれるほどの威力だったが、そこにダインはおらずゲンサイの背後に立っていた。

「避ける才能だけは認めよう!」

ゲンサイはすかさず後ろに聖剣を振り、身をかわしたダインに向かって連続で切りかかる。

「風身連斬撃ッ!!」

その素早さもリィンの比ではない。本当に荒れ狂う嵐のようにその姿が見えない。

彼が剣を振るたびに周囲に浮かぶ聖剣も連動してダインに切りかかってきて、まるで何百人と相手にしているようだった。

暴風に似た風音は鳴り止まず、舞い上がる枯葉や小石すら、彼の無数の聖剣によって粉みじんに砕け散っていく。

それでもそれらすべてをかわしきるダインだったが、ゲンサイは攻撃の手を緩めない。

「避けてばかりでは終わらんぞッ! こちらも体力には自信があるのでな!!」

無数の剣が一つにまとまり、ゲンサイの何十倍にも巨大化する。

魔法によって創り出された聖剣なので、どれだけ巨大化しようとも重みはないらしい。軽々とダインに切りかかってきた。

一振りごとに暴風が吹き荒れ、背後の森全体を大きく揺らす。

あまりの威力なのか空間が切り裂かれたように何度も歪み、大地にはいくつもの亀裂が走った。

「ぬんっ!!!」

ゲンサイが足踏みをすると、地面がまた大きくへこんだ。

ダインの足元を歪め動きを封じるのが狙いだったようで、体幹を崩したダインめがけて巨大な聖剣を振り下ろす。

さすがに避け切れなかったダインはその聖剣を両腕をクロスさせ受け止めるものの、そこでゲンサイはにやりと笑った。

「光身爆炎陣ッ!!」

ダインの足元に大きな魔法陣が浮かび上がった瞬間、聖剣が光を放ち大規模な爆発が巻き起こる。

大気が振動し、また森全体が激しく揺れた。

ダインがいた地面は掘り返されたように地盤がむき出しになっており、並みの威力ではないことが窺える。

その攻撃すらダインは大きく飛び退いてかわしていたが、突如彼の体が揺れる。

ダインの腹部には、ゲンサイの拳が深々とめり込んでいた。

「捕まえたぞ」

低くいい、ゲンサイは次々に高速の連打をダインに浴びせていく。

「いまでこそ剣の道を歩んでいるが、若い時分はこっちの方が得意だったのでな!!」

まさしく目にも止まらぬ連撃だった。

秒間で二十は超えるほどの打撃音がダインから鳴り響き、途中で強烈な一撃を放ちダインを大きく吹き飛ばす。

吹き飛ばされた先にもゲンサイは高速で移動しており、間髪いれず凄まじい連続攻撃をダインに浴びせていった。

彼の全身には分厚い壁に似た強固なバリアが張られており、そのバリアを武器に変えダインに拳を繰り出している。

防御しつつ相手に一方的な攻撃を浴びせる。かつてゲンサイが“魔人”と恐れられていた際によく使っていた、誰にも破られたことのない技だった。

「体が硬いだけで力は弱いのか、うぬは!!」

これほどの攻撃を直撃させてもさほどダインにダメージが見られない。

これならばどうだと技を繰り出していく彼に向け、ダインは━━

「…攻撃してもいいんすか」

と、何度も直撃を受けながらいった。

「できるものならな!!」

ゲンサイはダインから距離をとり、再び巨大な聖剣を創り出す。

「これで終わりだ!! 奥義…!!!」

ダインに向け一直線に駆け出し、奥義を繰り出そうと剣を振りかぶった瞬間だった。

間近で大砲を撃ったかのような、とてつもない轟音と衝撃がゲンサイを貫く。

ゲンサイの突進を一瞬で無にするほどの音と衝撃で、気付けばゲンサイの手元にあったはずの聖剣が消えていた。

「お…お…?」

ゲンサイから離れた場所では、ダインが彼に向け拳を突き出していた。

そしてその姿が消え、ゲンサイですら目視できないほどのスピードで彼との間を詰める。

速い━━! そう思ったときには、ダインはゲンサイの腹部にもう一撃を放っていた。

すると先ほどの轟音より大きな爆裂音がして、ゲンサイをまとっていたバリアが音を立てて崩れていく。

「なっ…あ…!?」

一瞬何が起こったのか困惑する彼に向かって、ダインはさらにもう一撃を放とうと足を踏み込んだ。

踏み込んだ足から大きな地響きが鳴り、大地を割く。

バリバリという派手な音が鳴る中、ゲンサイに向け大きく胸を逸らしていたダインは後ろに振りかぶっていた拳を前に放つ。

聖剣を砕き、強固なバリアをも破壊したダインの一撃がゲンサイの顔面に迫り…ぶつかりそうになった寸でのところで、彼の拳は止まる。

拳を突き出した衝撃波はゲンサイの顔面を抜け、背後から巨大な爆弾が落とされたかのような爆音が鳴り響く。

彼の背後では、地面が超広範囲に渡って放射線状にえぐれていた。

そのままダインは動かない。ゲンサイは目を見開いたまま、尻餅をついてしまう。

「な…に、が…」

気付けば聖剣もバリアも砕け散っている。

未だ何が起こったのか分からなかったゲンサイは、しばらく放心状態でいた。

「き…貴様…!」

しかしすぐに負けず嫌いの虫が騒ぎ出し、こんな名も知らぬ青年に遅れをとるわけにはいかんと、ダインから大きく飛び退く。

気力を振り絞り再び全身にバリアを纏い、聖剣を創り出した。

「は…ッ!!!」、足を踏み込もうとした彼だが、それよりも速くダインは目の前にいた。振りかぶっていた拳が眼前まで迫っていたことに気付き、ぎょっとする。

一瞬その拳が巨大なものに見えた瞬間、またダインの拳はゲンサイに直撃する寸前で止まる。

当たってないにもかかわらずゲンサイの全身に重い衝撃が走り、背後から何かが崩落する音と共に、彼は「うぐ…!?」、とうめく。

彼の空振りのパンチたった一発で、全身をまとっていたバリアと聖剣が再びかき消されてしまったのだ。

同時に聖力も何もかも吹き飛ばされたように感じたゲンサイは、また力なく地面に尻餅を着いてしまう。

「き…さま…一体、何を…」

ゲンサイの目は驚愕に見開かれている。

髪を乱し、搾り出すようにいった彼に向け、ダインは姿勢を自然体に戻しつつ、「え? いや、何もしてないっすけど…」、といった。

「そんなわけがあるか! バリアも聖剣も打ち砕くなど…!」

どんな魔法だ? まさかこいつも壊魔のような技が使えるのか…? しかし魔法力が薄いはずでは…。

ダインの強さについて頭の中がぐちゃぐちゃになってきたゲンサイ。

ダインは難しそうな顔で頭をかいていた。

「あー、まぁ、そういう種族だとしか…俺自身、仕組みとかよく分からないから説明できないんすよ」

何だ、何を言ってる?

「知りたいんならもう少し続けます? 親父さんの気が晴れるまで何度でもいいっすよ」

その台詞に、ゲンサイの中で再び負けず嫌いが沸き起こる。

立ち上がりそうになった彼だが、ふと気持ちを落ち着け改めて目の前の青年を見てみた。

彼からは魔法力の波といった、そういった波動のようなものはほとんど感じられない。魔法力が薄いのは本当なのだろう。

だが何だろう。月明かりに浮かび上がる青年から、とてつもない気配のようなものを感じる。

異質。異様。

まるで形のない何かを目の当たりにしているような感覚に陥ったゲンサイは、直感的にダインには勝てないことを悟った。

「…隠していたのか、うぬは…その実力を…その未曾有の力を…」

かすかな気力も立ち消えたかのように、ゲンサイは静かにダインに問いかける。

「隠してるっつーか、まぁ…このままの方が楽なんで。面倒ごととかごめんだし…」、ダインも緊張を解きつつ答えた。

「何者なのだ…うぬは…」

「何者も何も、シンシアから紹介してもらったままっすよ?」

そのときダインのポケットから音が鳴る。

通信機に連絡があったようで、「ちょっとすみません」、ゲンサイにひと言断ってから携帯を耳に当てた。

「あー、ああ、終わった。もう帰るから」

サラからの連絡だったようで、短くいってから通話を切る。

「それより足、大丈夫っすか?」

リィンさんから聞きましたと付け足しつつ、ダインはゲンサイの足を気遣った。

「…心配には及ばん」

この男には、障害が無くても果たして勝つことが出来ただろうか。そう思いながら、「それよりこれを持っていくがいい」、懐に仕舞いこんでいた本をダインに差し出した。

「すみません。すぐに返しますんで」

「構わん。長年の調査で、その書物には嘘や間違いが散見されていることが判明した。重要性は無いに等しくなったから、返却はいつでもいい」

「あ、そうなんすか」

軽く中を読み始めたダインを見上げつつ、ゲンサイは未だにショックから抜け出せないでいた。

無理も無い。親と子ほど年の離れた若造に負けたのだから。

後半は手加減無く本気でぶつかっていた。その上で、力でねじ伏せられたのだ。これ以上の完敗は無いだろう。

脱力感から、ゲンサイはそのまま後ろに倒れてしまう。

「え、大丈夫すか?」

「気にするな…しばらくしたらワシも帰る。迷惑かけてすまなかったな」

「それは別にいいんすけど…」

「ワシも年老いたわ」

「いや、十分に強かったっすよ?」

「勝った者にいわれてもな…」

このような形で不敗神話が破れるとは…。

そう思ったゲンサイだが、不敗は公式な試合だけだったことを思い出す。

荒くれ者だった当時は野良試合を繰り返し、彼はそこでも負け知らずだった。

向かうところ敵なしで有頂天だったゲンサイだが、その出鼻を一度だけ砕かれたことがある。あれは確か━━

「…最後に、うぬの名前を伺っても良いか」

仰向けのまま、ゲンサイは帰ろうとしたダインを呼び止めた。

「ん? いや、シンシアから聞いたんじゃ…」

確かにシンシアから男の名前は聞いたような気がする。しかしその男の家に一泊したという事実のみが頭の中を支配していたので、後半のシンシアの説明は全て聞き流してしまったのが本当のところだ。

特殊な種族で魔法力が薄いということだけは覚えていたから、どうせ弱い奴なのだろうと、そのような奴を覚える必要はないと遮断してしまった。

結局は、最強だという驕りがあったということだ。

弟子から尊敬され、要人から崇められ、そこで満足してしまった。生涯精進といいながら、そこが終着点だと思ってしまった。

まだまだ、修行が足らん。

「うぬから名を聞きたいのだ」

夜空を見上げながらいうと、「はぁ、まぁ…」、ダインはとりあえずといった様子で名乗った。

「ダインっすよ。ダイン・カールセン」

それじゃあ、と今度こそ帰ろうとしたダイン。

「…待て」

ゲンサイはすかさず止めた。

「いま、何といった?」

思わず体を起こした彼は、驚愕に目が見開かれている。

「へ?」、不思議そうに聞き返す彼に、「何といったか聞いておる」、ゲンサイは驚いたまま尋ねる。

「何とって、名前…ダイン・カールセンって…」

ダインが再び名乗っても、ゲンサイはしばし反応しなかった。

驚愕したまま固まっていた彼だが、次第に顔面を歪めていき、「くく…くくく…」、ぼさぼさの頭と肩が震えだす。

「はっはっはっはっは!!!」

ついには大声で笑い声を上げ始めた。

「はっはっは!! そうか…そうか!! 道理でな…!! くく、世の中は広いようで狭い…!!」

「えと…だ、大丈夫っすか? どっか頭とか打ったんじゃ…」

予想外のゲンサイのリアクションに戸惑うばかりのダインだが、「案ずるな」、ゲンサイはなおも可笑しそうに笑いながらいった。

「うぬよ…いや、ダインよ。一つ教えてやろう。確かにワシは足を怪我した。後遺症の残る怪我をした。だがこれは事故ではない。完全にワシ自身のせいだ」

「え?」

「若かりし頃はワシも血気盛んでな、世界中を飛び回り、強い奴を探しては挑んでいた。百戦錬磨だったがたった一度だけ、ある男に敗北したことがある」

「はぁ…」

「当時もそこそこ名を轟かせていたワシを歯牙にもかけぬ男でな、腹の立ったワシはその男に付き添っていた女にちょっかいをかけたのだ。男を怒らせ野良試合に持ち込めたのだが、一瞬にして負けてしまった。ワシの積み上げてきたプライドや自負の何もかも、一撃で粉砕された。そのときにできた傷なのだ。深いもので治癒魔法も効かん」

「そう…だったんすね」

何の話をしてるのかと、未だに困惑した表情でいたダイン。

そんな彼に、ゲンサイは笑ったまま続けた。

「強かった。あの男だけは、どうやっても勝てぬと思った。喧嘩を吹っかけたのはこちらなのに、怪我したワシを心配してくれたあの男…」

笑っていたゲンサイはどこか懐かしそうな顔をしており、そのままゆっくりと夜空を見上げた。

「一瞬であったが、あの男との勝負は忘れもせんよ…」

そのときゲンサイから発せられた名前は、ダインを驚愕させた。

「ジーグ・カールセンという男のことはな…」



「知っていたのか?」

夕食の席で、ダインは早速目の前でワインを飲んでいた父にそう問いかける。

「何のことだ?」

質問の意味が分からなかったジーグは、グラスを置きながら口元を拭う。

「シンシアの親父さんだよ。ゲンサイっていう武道家」

そこでダインが出先で何を聞いてきていたのか理解したジーグは、「あー」、と少しばつの悪そうな顔をした。

「話してくれたのね」

ジーグの隣に座っていたシエスタは何故かやや嬉しそうな顔で、全人網羅の書に一通り目を通している。

どちらも訳を知ってそうな表情だ。シエスタの横に張り付いて本を覗き込んでいたルシラは、「何の話ー?」、不思議そうにダイン達を見回している。

「お行儀が悪いですよ、ルシラ」、サラは注意しつつ自分の席にかける。「本なら後で一緒に読みましょう」

「はーい!」、素直なルシラはすぐにダインの隣までやってきて、子供用の椅子に腰掛けた。

「それで何の話?」

ダインに関することだから気になっていたのか、夕食を食べながらルシラが再び聞いてくる。

「俺の友達にシンシアって奴がいただろ?」、うん、というルシラの返事を待ってから、「そいつの親父さんと俺の親父が知り合いだったって話だ」、と続けた。

「パパが?」

「知り合いというほどのものではない」

ジーグはどこか神妙な面持ちでいった。「ただ昔一度やりあっただけだ」

「ああ、聞いた。怪我したこともな。後遺症が残ったらしくて、結果的にそれが武道家としての道を断念するきっかけになったらしいな」

野菜炒めを口にしながら話すダインだが、その台詞に非難の意味が込められているとでも思ったのか、ジーグは食べる手を止め、「いや、まぁ、それは謝るしかないのだが…」、申し訳なさそうにいってくる。

「あのときの怒りようはすごかったわね」

シエスタが割り込んでくる。スープを飲む表情には笑みが浮かんでおり、どこか嬉しそうだ。

「どうして怒ったの? 何かされたの?」

ルシラは純真な眼差しをジーグに向ける。

「何かされたというわけでは…いや、されたのか…」

そう答えるジーグはずっと俯き加減で様子がおかしい。

彼には負い目があったのだ。怒りに身を任せてしまい、結果として相手に後遺症の残る怪我を負わせてしまったという負い目が。

「あの時は愛に溢れていたものね」

ジーグとは正反対に、シエスタは可笑しそうにいう。

そういえば、ゲンサイはジーグを煽るため付き添っていた女にちょっかいをかけたといっていた。

その女とは、もちろんシエスタのことなのだろう。ジーグは一途だと過去に彼女から聞いたことがある。

「ゲンサイさん、私に絡んできたのよね」、シエスタは続けた。「付き合いたての頃だったから、あなたはすぐに怒ってあの人の挑発に乗ってしまった」

過去を暴露するシエスタに、「し、仕方が無いだろう、あの頃はワシも若かったのだ」、ゲンサイは小声で反論する。

「隣にワシがいるというのに、俺の女になれだのなんだの口説いてくるから…」

ジーグにとっては恥ずかしい過去なのだろう。忘れ去ろうとするかのようにキャベツ菜のサラダを頬張り始める。

「だんな様にもピュアな時代があったのですね」

「ええ。あの頃は手を繋いだだけでも顔を真っ赤にさせていたわ。あの時代はもう戻ってこないのかしら」

「パパ、かわいー!」

女三人が笑い合っている。

面白おかしく過去を突付かれているように感じたのか、ジーグは大きな図体を小さくさせながら、せせこましくスープを飲んでいる。

少し彼が可哀想に思えてきたダインは、「俺が聞きたいのは怪我させた理由じゃなくてさ」、笑いながら話を戻した。

「親父は最初からシンシアの親父さんのことを知っていたのかってこと」

「ああ、まぁ…」、ジーグは頷く。「エーテライトという名前はこの大陸では一つしかないからな」

「なんでシンシアに言わなかったんだよ?」、ダインはすぐにそう切り返す。「話のタネになったはずなのにさ」

「いや、喧嘩して怪我をさせてしまったなどと言えるわけが無いだろう」、ジーグは顔を上げながら手を横に振る。「それにゲンサイ殿も事故として扱ってくれといっていたしな」

確かにシンシアもリィンも、ゲンサイの怪我の詳細は知らないようだった。

真実を隠したのは汚点を避けるためなのか、ジーグの負い目を少しでも軽減させたかったのかは分からないが。

「それで、その…元気そうだったか? ゲンサイ殿は」

ジーグはやや遠慮がちにダインに訊いた。彼も頭の片隅にゲンサイのことを気にしていたのだろう。

「そうだな。ひと暴れできるくらいには」

ダインは嘆息しつつそう答えた。

「…何かしたのか?」

一気に不安げな表情を向けてくるジーグに、「今回俺がどういった理由であそこに呼ばれたのか考えてもらえれば」、と返す。

「そ、そうか。そうだったな」、詳細を知っているジーグは、「…まさかまた怪我させてはいないよな?」、また不安そうにダインに訊いた。

「諸々の理由で俺の実力を知りたがっていたからちょっと見せただけで、怪我は無いよ」

ダインが笑いながら答えるも、負い目があるだけにジーグは疑わしげだ。

「本当か? 何かの弾みで転んで傷が出来たり…」

「大丈夫だって。親父さんの気持ちも分かっていたから、感情的になって何かやらかしたりはしていない」

もっと詳細な説明をしないと納得してくれないだろうかと思っていると、意外な人物が助け舟を出してきた。

「こう、しゅぱぱーっておじさんを大人しくさせたんだよね?」

ルシラだった。空中で小さな拳を突き出している。

「ん? ああ、そうだけど…」

「おじさんへたり込んで、そのあと笑ってたよ」

まるで見てきたかのようないい方に、ダイン含め全員が不思議そうな顔をする。

「そこまで詳細に話した覚えは無いんだけど…なんで知ってるんだ?」

「え? 見えたからだよ?」

「あの場にいたのか?」

「ううん。お家にいたけど…なんかね、見えたの」

「…どういうことだ?」

ルシラは目の魔法が使えるということだろうか。

考え込んでいるところで、「そういえば」、サラが口を開く。

「ダイン坊ちゃまが帰ってくる直前まで、ルシラはお昼寝していましたね」

ルシラのアリバイを証言するサラだが、つまり夢の中で見てきたということを彼女はいいたいのだろうか。

確かに似たような魔法は存在するが、しかしルシラはまだはっきりとした魔法は使えないはず…。

「つくづく不思議な娘だ」、ジーグは笑う。「しかしどうして遠くにいたダインのことが見えていたのか、理由は何となく分かるがな」

気になる言い回しだったが、シエスタも笑顔のまま頷いている。

「休日の今日は、本当ならダインと一日中遊ぶ予定だったものね」

「なるほど、そういうことですか」

何故かサラまで納得してしまう。

「想いの力は、時にありもしない力を生み出すこともある。規格外のルシラなのですから、不可能は無いのかもしれませんね」

ヒントのつもりだったようだが、結局ダインには何のことか分からなかった。



「ダイン、ちょっといいかしら」

入浴後リビングでテレビを見ていると、シエスタが隣に座ってきた。

その手には全人網羅の書が持たれている。

「ルシラのこと何か分かったのか?」

テレビを消しつつダインが訊くが、「いえ」、シエスタは首を横に振る。

「ざっと目を通した限りじゃ、ルシラの特徴に似た種族はいなかったわ」

念のためダインもその本に目を通してみる。

が、信憑性の薄いものも含めて、ルシラに繋がるような種族のことはどこにも書かれてなかった。

「ヒューマ族の三大宝典をもってしても手がかりなしか…」

残念がるダインに、「そうでもないですよ」、と声をかけてきたのはサラだ。

人数分の紅茶をテーブルの上に置き、自身も腰を降ろす。

「最後のページに気になる記述を発見しました」

サラが本を捲り、一番最後のページで止める。

「種族に関するものではないのですが…」

そこには、その書物を書いた人物がどこを辿りどんな種族がいたのかが簡易的にまとめられてあった。

ドワ族が主な居住地としているトルエルン大陸。フェアリ族が多く住んでいてほぼ森しかないエティン大陸。

ダインでも知っているような大陸と種族のことが書かれてあったが、一番最後に『場所不明』と書かれてる箇所があったことに気付く。

「前人未踏の地あり…未確認の魔法力反応を検知…」

そこで文章は途絶えていたが、新種がいるであろうことを予感させるような文言だ。

「この文章の直前までの軌跡が、ディビツェレイド大陸です」

サラが補足を続ける。「世界で最も広大な大陸ですし、この奥地に関することなのは間違いないでしょう」

デビ族が多くいるそのディビツェレイド大陸はかなりの面積があり、種族間戦争時代には主戦場となったところだ。

激しい戦いの爪痕はいまもまだ残っているらしく、そのため誰も近づけない場所もあるらしい。

ルシラはまさかその前人未踏の地からやってきた…?

そう考えたダインだが、近づけない場所というのは、つまり誰も住めない場所ということだ。

未確認の魔法力反応があったというのは気になるが、普通に魔法の影響を受けるルシラが、その誰も住めない場所にいたとは考えにくい。

そもそも危険性が高いため立ち入り禁止区域が多い。大陸の奥地に行ける場所は限られているはずだ。

「過度の期待はすべきではありませんけどね」

サラも同じ事を考えていたのか、疑心の込められた目線を本に向ける。「著者は執筆作業に飽きたか、ディビツェレイド大陸にあるカジノに溺れてしまったために、書物の続刊が無いという噂がありますし」

「ですが、調べてみる価値はあるかと」、他にヒントが無い以上、それに頼るしかないとダインとシエスタに話す。

「まぁ、そうだよなぁ…」

ダインは腕を組み、考え込む。

確かに他に当てがない以上、本に書かれている場所に行くしかない。

だがそこは立ち入り禁止区域だ。しかも他所の大陸なので、諸々の手続きや問題も出てきそうではある。

「立ち入り許可の申請はもちろん必要なんだろうが…確かその際に目的を伝えなきゃならなかったはずだよな…」

「そうですね。その上ダイン坊ちゃまは未成年ですし、親の同意書も必要になるかもしれません」

「申し訳ないんだけど」、シエスタが本当に申し訳なさそうな表情で割り込んできた。

「私も協力したいのは山々なんだけど、明日からまた数日家を空けることになりそうなのよ」

「え、そうなのか?」

「ええ。例のドラゴン事件に動きがあったようで、トルエルン大陸にね」

両親も両親で何かと忙しいらしい。

「だからまた家のことをお願いしてもいいかしら?」

「まぁ、それはいいけど…でもできるだけ早く帰ってきてくれよ」、下を見ながらダインはいった。「ルシラが寂しがる」

ダインの膝上にはルシラがおり、すやすやと寝息を立てている。

一緒にテレビを見ていたが、いつの間にか眠ってしまっていたのだ。

完全に熟睡しているはずなのにダインの腕を掴む力は強く、抱きなおすとくすぐったそうに笑う。

「分かっているわ。私だって娘の顔は早く見たいもの」

ルシラの寝顔に癒やされて数分後、シエスタはいった。「立ち入り許可の申請だけでも済ませておきましょうか?」

その提案に、ダインは「いや」、と首を振る。

「申請には理由も必要だろ。ルシラのこと正直に話すわけにはいかないし、かといって虚偽は厳罰の対象だ。ルシラの情報が確実にそこにあるって分かってから、申請だの何だのは考えるようにしようぜ」

「そう。分かったわ」

「で、親父は? まだ誰かと通信してんのか?」

「ええ。明日の打ち合わせよ」

シエスタはそっと立ち上がる。「そろそろ着替えの用意してくるわね」

「ああ、私も手伝います」

サラも立ち上がり、一緒にリビングを出て行った。

眠るルシラと二人きりになった中、ダインはふと開かれっぱなしだった全人網羅の書に目がいく。

前人未踏の地。未確認の魔法力。

これがルシラの出自を解き明かすものになればいいが…。

「もう少し待っててくれな、ルシラ」

ダインはそういってルシラを抱く腕に少し力を込める。

懐いてくれて、大好きとまでいってくれたルシラ。

彼女が幸せになれるのなら、どんな難関にも立ち向かってやろう。

そう覚悟を決め、ダインは再び最初のページからその書物を読み漁り始めた。

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