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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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三節、それぞれの特殊能力

『一年、ノマ科の出席番号28番、ダイン・カールセン。生徒会室まで』

早めに登校し、同じく早くに学校に来ていたシンシア達と談笑しながら予鈴を待っているときだった。

教壇の上にあるスピーカーから、ダインを呼ぶ女の声が教室中に鳴り響く。

「え…な、何かな?」

知った名前だったためか、ニーニアは自分のことのように驚いている。

彼女だけでなく、その教室内にいる全てのクラスメイト達が何事かとダインの方を見てきた。

「あ〜…もしかして、昨日のあれかな?」

心当たりのあるシンシアは、こそっとダインに尋ねてくる。

ダインも同じく心当たりがあったため、「多分な」と言って椅子から立ち上がった。

「ちょっくら行ってくるわ」

「ど、どうしたの? 昨日のって…」

困惑するニーニア。

シンシアに説明してもらうよう言って、彼はそのまま教室を出て行った。

誰が呼び出したんだろう。ラフィンか…?

早くも言い訳を考えながら、通りがかった適当な先生に生徒会室の場所を尋ねつつ目的地まで向かう。

校舎二階の西側一番奥。

他とはまるで違う重厚な門構え。

こげ茶色の扉の上に、『生徒会室』というプレートがあった。

「来ましたけど…」

そのドアにノックをしつつ声をかける。

(あ、あ…ど、どうぞ…!)

何故か呼び出した張本人から緊張するような声が、扉向こうから聞こえてきた。

扉の取っ手に手をかけ、開ける。そこから中を覗いてみると、教室の半分ほどはありそうな広い部屋が飛び込んできた。

大きな本棚に大きな机。

手前には応接用なのか小さめの机とソファまである。

まるでドラマか何かで出てくる社長室のような部屋の中、中央にその部屋にはとても不釣合いに見える人物がいた。

「ど、どうぞ、こ、こちらへ…」

二日前の交代劇の主役の一人、ゴッド族の先輩だった。

ダインを見るなり椅子から飛び降り、小走りでこちらまでやってくる。

「失礼します」

ダインはそのまま生徒会室へ入室し、先輩に勧められるまま応接用のソファに腰掛ける。

どうかしたのかと尋ねる前に、先に彼女が謝ってきた。

「す、すみません、このような朝早くに呼び出してしまって…わ、私が伺うべきだったのですが、目立ってしまうので…」

「いや、それは別にいいんすけど…」

再び周囲を見回し、先輩を見る。

「先輩はまだ生徒会長…でいいんすよね?」

結局ラフィンと交代したのかどうか、暗に尋ねてみた。

「そ、そうですね。今週一杯はその予定です」

「今週一杯…? あ、やっぱ交代するんすか?」

先輩の視線が下に落ちる。「は、はい…」

「よく通りましたね。先生連中の反対もあったんすよね?」

どうやって説得したんだというダインの問いに、先輩は申し訳なさそうな顔のまま答えた。

「あ、ある先生の方が、生徒の自主性が大事だと仰ってくださったので…」

「自主性っすか。確かにそうっすね。無理やり生徒会長を任命されて、さぁみんなの前に立てって言われても困るだけっすからね」

「は、はい…。今週は、ラフィンさんに引継ぎの手続きをしている段階なので…来週には…」

ぽつぽつと話す先輩は始終暗い表情をしている。

無理やり任されたとはいえ、生徒会長の責務を放棄することに後ろめたさを感じている、そんな表情をしていた。

「良いんじゃないすか」

先輩とは反対に、ダインは明るい調子で言った。

「先輩だって俺ら一般生徒と何も変わらない。普通に学生生活を謳歌する権利はあるんだから。代わりが見つからない中での辞退なら問題だろうけど、幸いにも生徒会長をやりたいって言ってきた奴がいるんだから、そいつと交代するのもありだと思いますよ」

「そ、そう、でしょうか…」

「そうっすよ。でもまぁ、ゴッド族の先輩が生徒会長っていうのは学校側としてはこれ以上無い配役とは思いますけどね」

先輩はとんでもないと首を振る。

「わ、私なんかそのような大役、本当に向いてません。口下手で、人前に出ると緊張してしまって、知らない人がいるとすぐに逃げて隠れてしまうので…」

なかなかに厄介な部類の人見知りのようだ。

「それが良いって奴もいるんすけどね」

そのときダインが思い出していたのは、先ほどシンシア達と会話していた内容だ。

交代劇は未だに生徒たちにそこかしこと騒がれていて、交代が決まったと知らされて無いのにどちらが生徒会長に相応しいかの議論にまで発展していた。

実際に本人と話したことも無い連中の議論だから、どちらが相応しいかというよりは、半ばイメージだけで判断している内容が大半だった。

人気は完全に二分化している。

ラフィン派は、綺麗。かっこいい。ちゃんと仕切ってくれそう。

そんなイメージのみが先行し、先輩派の意見は、可愛い。ゴッド族だから。先輩だから。

全てシンシアから聞いた情報だが、早速友達が二桁になりそうだというあいつの言うことなら間違いないだろう。

「先輩の続投を望む声も少なく無いと思いますよ」

「そ、そんな…! わ、私なんて、全然…ラフィンさんの方が、よっぽど生徒会長らしいと思いますので…」

大きく首を振った後、遠慮がちな視線がダインに向けられる。

「だ、ダインさんも、そう、思いませんでしょうか…?」

意見を求められたダインは、「う〜ん」と腕を組みつつ天井を見上げる。

「まだ先輩のことそんな知らないから、あんまり適当なことは言えないっすけど…でも、この学校を良くしたいって思ってることは伝わった…かも」

え、と驚く先輩に笑いかけ、ダインは続ける。

「今まで親と色んな大陸に行ったりしたけど、この学校ほど種族間で仲良くしてるところは見なかったっすから。他所は他所で仲良くしてるんすけど、どこか余所余所しいんすよね」

もちろん先輩一人の力でこの学校を動かしているわけではない。生徒会長とは言ってもそこまでの権限は無い。

だが、他の大陸で色々見てきたから分かる。この学校に通う先輩たちは笑顔が多い。

向上意欲が高くプライドも高い奴もいるだろう。だが交友関係を大切にする先輩も多そうに見えた。

「まだここに来て三日目なんで、見たままの感想しか言えないんすけど…でもまぁ、他種族が通う学校にしては良い雰囲気だなと思います。そんな空気というか、環境を壊したくないから、先輩は無理をしてでも壇上に立ち、多くの視線を浴びながらでも声を出していた。この間の入学式のスピーチを見て、なんとなくそう思いましたね」

先輩の顔が赤くなっている。

ダインの台詞で照れてしまったのか、入学式のときのことを思い出し赤くなったのかは分からない。

「生徒会長に相応しいかどうかで聞くのなら、先輩は先輩で相応しいと思いますよ。現にノマクラスで一生徒でしかない俺を覚えててくれたんだし。だから先輩は…」

そこまで言って、ダインは思い出す。

「あれ、そういや先輩の名前聞いてなかったな」

「ああっ!! そ、そうでした!!!」

さきほどまでの小声とは打って変わり、先輩は大声と共に跳ねるようにソファから立ち上がる。

「も、申し訳ございません! こちらから名乗らずに、ダインさんの名前だけを知ってしまって…」

「いや、生徒の代表者の名前を知ろうとしなかった俺の方が問題で…」

とんでもありません、と大きく首を振ってから、彼女は赤い表情のまま名乗ってくれた。

「ティ…ティエリア・ジャスティグと言います」

「ティエリア先輩っすね。というか、先輩なんだから後輩の俺には普通で良いと思うんすけど」

「こ、これが私の地なので…だ、ダインさんの方こそ、私には普通に接してきてくださって構いませんので…その…お、お友達、の、よう、に…」

後半にいくに連れ、先輩の口調がたどたどしくなっていく。

顔が先ほどよりも真っ赤になり、完全に俯いてしまった。

「お…お友達…の、よう…に…」

気分が悪くなったのかと思ったが、同じ台詞を繰り返したということはそうではないのだろう。

まだ確証は無い。

だが先輩の様子を見ていると、お友達のように、というのはきっと…

「後輩で、ノマクラスの俺で良いのなら」

再び「え」と見上げた彼女に向かって、ダインは笑いかけた。

「良いっすよ。友達」

「あ、あ…」

突然動いたかと思うと、そのままソファの後ろに隠れてしまった。

逃げられてしまった。

そう思ったのも束の間、ソファの背もたれから少しだけ顔を出してくる。

「ほ、本当、なのです、か…?」

こちらを覗く顔は朝日よりも真っ赤になっていて、ダインには彼女の表情がとても可愛らしく映った。

「本当だ。よろしくな、先輩」

言葉遣いをフランクなものに変え、ティエリアにまた笑顔を向けるダイン。

ティエリアは一瞬嬉しそうな顔をするものの、またソファに隠れてしまった。

「す、すみません! ほ、本当は、ヴァンプ族のダインさんに何か困ったことがないかお聞きしようと思っていまして、その上でお友達になれたらいいなと考えていました!!」

ソファ裏から早口で言う彼女の本心が聞こえてきた。

衝撃的な内容に、ダインは思わず「えぇ…?」と言ってしまう。

「あ、あの〜先輩? どうして俺がヴァンプ族だってこと…」

「き、昨日、ラフィンさんとディエルさんが言い争ってる場面が『目』と『耳』の魔法で見えてしまって…駆けつけようとしたところで、ダインさんがやってくるのが見えて…」

つまり昨日の一連の出来事が、先輩にばっちり見られてしまったということだろう。

先輩は生徒会長の務めとして、任意の場所を目視したり聞いたり出来る魔法を使い学校を監視していたようだ。

「す、すみません、本当に…! このことは、誰にも言いませんので…!!」

先輩が隠れてしまったのは、覗き見していたという後ろめたさもあったのだろう。

「いや、別に先輩なら知られてもいいっすよ」

心の中でサラに詫びながらダインは言う。

「とりあえずよろしくな、先輩」

「あ…こ、こちらこそ、ふ、不束者ですが…」

先輩はまだ隠れている。

悪戯心が湧いたダインは、こっそりと先輩が裏で隠れているソファに移動した。

背もたれから裏側を確認する。

隠れていた先輩とばっちり目が合い、真っ赤な顔のままだった彼女は大きく驚いて尻餅をついてしまった。

「あー悪い、先輩」

笑いを堪えながら謝ると、先輩は「い、いえ」と座りなおす。

「改めて、よろしくな」

可愛い人だな、と思いながら彼女に手を差し出すダイン。

「は、はい…」

先輩と握手を交わすが、その際またシンシアのときのように、先輩から聖力を吸ってしまった。







午前の授業が終わり、シンシアとニーニア達と机を囲んで昼食を済ませ、トイレに行ってから教室に戻ってきたときだった。

教室のドアを開け、中に入ろうとした瞬間上で何かが動く。

そのこぶし大の何かは、そこを通過しようとしていたダインの背中に滑り込み、制服の中に入ってきた。

「うひょうっ!?」

思わぬ冷たさを背中に感じ、飛び上がってしまう。

「な、なんだ!?」

「にはははは!!」

驚いてるところで、前方から楽しげな笑い声が聞こえてきた。

何が入ってきたのか背中を探りつつ前を見ると、そこには見覚えのある女生徒がダインの机の上に足を組んで座っていた。

コウモリのような羽に黒いショートヘア。ディエルだ。

「お、お前…!」

犯人がそいつなのは間違いなさそうなので、文句を言いつつ背中に侵入していた何かを取り出す。

それは氷の塊だった。

「あははっ! いや〜、ただ水道水を凍らせて仕掛けたものなんだけど、あなたも良い反応するじゃない」

ダインのリアクションに満足したのか、上機嫌のまま言ってくる。

傍にいたニーニアとシンシアは困惑したような顔で彼女を見ていた。誰なのかという表情だ。

その困惑は彼女たちだけで無くノマクラス全体で感じていたようで、クラス中がディエルを遠巻きに見ていた。

どうやらダインがトイレに行ってる間に忍び込んできて、ドアの上に氷を仕掛けてきたらしい。

「昨日はどうもね?」

そう言いながら机から飛び降り、ダインの近くまで寄ってくる。

「昨日のこと黙っててくれると助かるんだけどなぁ…お互いに、ね?」

表情こそ笑顔だが、ダインを見るその目は笑ってない。

普段はちゃらけているが、ときには狡猾になるデビ族らしいその視線に、ダインはため息と共に返す。

「黙っといてやるって言ったろ…」

どうやらディエルにまで俺の正体に気付かれているようだ。

はっきり言われてないので種族までは分からないのかもしれないが、少なくとも俺がヒューマ族とは思ってないのだろう。

「そ♪」

彼女はまた笑顔になり、ダインが自席に戻るところを着いてくる。

「だ、ダイン君、この人は…」

シンシアが聞いてくる。

「あ〜っと、見ての通りデビ族で、昨日知り合ってな…」

「ども、メガクラス2組、ディエル・スウェンディでーす! ダインが校舎で迷ってたみたいだから、私が案内してあげたの」

ディエルが名乗ったところで、教室内が少しざわつく。

「スウェンディだって」という声がそこかしこから聞こえてきた。

「なんだ、お前んとこも有名なのか?」

クラスの反応そのままをディエルにぶつける。

「ん〜まぁそこそこね? デビ族が治める大陸の、次期国王は私のところになりそうな…程度かしら?」

「滅茶苦茶お嬢様じゃねぇか」

「いやいやそれほどでも」

謙遜する素振りを見せるディエルだが、その表情はとてつもなく自慢げだ。

「で、そのメガクラスの次期王女様がノマの俺に何の用だよ。釘刺しにきただけか?」

クラスメイトのディエルに対する興味が薄れてきたところで、ダインは尋ねる。

「いえ、それだけじゃないわ。一応、知りたいなと思ってね。あなたはどっち派なのか」

「何の話だ?」

「生徒会長のことよ。あなた、朝呼ばれてたじゃない」

あ、とシンシアとニーニアが声を出す。

そういえば内容を聞いてなかったという顔で、ディエルとダインの間に入ってきた。

「現場見てないから何を話したのか分からないけど、派閥に入ってくれとかお願いされたの?」

「んなもん無ぇよ。ただ普通に話しただけだ。ティエリア先輩とは入学式当日に知り合ってたからな」

「ふ〜ん? 極度の人見知りに見えるあの人が、放送使って呼び出すなんてよっぽどのことだと思ってたんだけど」

もちろん別の理由があったのだが、こんなところで正直に話すわけにはいかない。

「じゃあどっち派なの? あの高飛車バカエンジェか、ロリロリゴッドか」

「素直に名前で呼んでやれよ…俺はどっちでもねぇよ」

交代はもう済ませてあるし先輩の気持ちも聞いたのでラフィンと言いたいところだが、言うとディエルが嫌な顔をしそうなのであえてはぐらかせた。

「大体何でどっち派なのか聞きたがるんだ?」

「いえ、実は私も近々生徒会長に立候補してみようかなって思っててね」

あまりに想定外の発言に聞こえたのか、シンシアとニーニアが「えぇ!?」と驚いた声を出す。

「あのバカエンジェが立候補して、それが通りそうだって話なんだもの。だったら同じ新入生の私が立候補しても良いじゃない?」

ラフィンへの敵対心からそんな行動に出ているということは、昨日の闘技場でのやりとりを思い出したら考えなくても分かる。

「だから、ダインがこっち側についてくれればいいなと思ってね」

どうも勧誘の目的もあり、昼休みにわざわざダインを訪ねてきたらしい。

彼女の来意が分かったダインは、軽く手を振りながら断りの意思を示した。

「誰にもつく気はねぇよ。ただでさえこのクラスの委員任されたっつーのに、これ以上の面倒ごとはごめんだ」

「それに」と彼はディエルを覗き込むように姿勢を変えながら続ける。

「なんでノマクラスの俺にそんなこと頼むんだよ。俺がお前の派閥に入ったところで何も変わんねぇだろ」

「いや、それは…あなた悪人面だし? その強面で人集まらないかなって」

「逆に寄り付かなくなるだろ。顔だけじゃどうすることもできねぇっての」

「ん〜、本当はそれだけじゃないんだけど…」

そう言いながらスピーカーの上にある時計を見る。

何か用事があったのか、「まぁいいか」と言いながらダイン達に背中を向けた。

「また誘いに来るわね〜」

ひらひらと手を振りながら、開けっ放しの窓から外に飛び出していく。

外から体育館がある場所まで飛び去っていくのを見ながら、ダインは呟く。

「なんだったんだあいつは…」

勝手に来て勝手に帰っていきやがった。自由奔放な、なんともデビ族らしい奴だ。

「す、すごいね、ダイン君…あのディエルさんって人、メガクラスなんだよね? あんな人と知り合えるなんて…」

シンシアはしきりに驚いている。

階級制度のあるこの学校では、基本的に別の階級同士でつるむことはあまりないらしい。

「知り合ったっつーか、一方的に振り回されてるだけのような気もするけどな。しかもそれを言うならシンシアもそうだろ。毎回このノマクラスに来て…良いのか?」

「私はそういうの気にしないから。別の階級同士が友達になっちゃいけないって校則なんてないし。好きな人と、好きなだけ一緒にいるだけだよ」

と、またニーニアに抱きつく。

「あ、あの人も、多分そういうの気にしない人なんだろうね」

抱きつかれたニーニアは、くすぐったさに笑いながら言った。

「気にしないのはいいんだけど、わざわざ俺んとこに来なくても…とは思うけどな」

村長の息子だが平民と変わらないし。

そう言ったが、ニーニアは笑ったまま首を振った。

「ダイン君には、人を惹き付ける何かがあるから…」

「普通にしてるだけなんだけどな」

「しかし厄介そうな奴に絡まれてしまった」とダインは愚痴のようにこぼす。

「あいつ、ノマの俺に何を期待してるのか分かんねぇけど、すぐに見限って願い下げてくるだろうよ」

肩をすくめながら言うダインに、シンシアは

「願い下げられるどころか、増えたりしてね?」

どうしてか意味深なことを言ってきた。







昨日シンシアから聞いていた通り、午後の授業はラビリンスの見学だった。

ラビリンスの入り口である闘技場前ではノマクラス全員が集められている。

いまはダイン達のクラスのみが見学することになっているようで、彼ら以外には誰もいない。

「ここがレギオン・ラビリンスだ」

入り口手前にいたクラフト先生は、生徒たちを見回しつつそう言った。

「地上は闘技場のフロアになっており、実技テストなどは主にそこで行われることになっている。在校生ならば出入り自由で、申請などはいらんから好きに使え」

「入るぞ」という先生を先頭に、クラスメイトの面々が闘技場の中に入っていく。

薄暗い通路を抜け、広場に出た。そこはダインが昨日見たままの景色が広がっており、クラスメイト以外に人の気配は無い。

「ひ、広いね…」

ダインの隣を歩くニーニアが言ってくる。

他のクラスメイトたちも珍しそうに辺りを見回していた。

「なんで地上を闘技場みたいにしたんだろうな」

観客席までつけて。

その疑問の声がクラフトに聞こえたのか、歩みを止め答えてくれた。

「実技テストは魔法を使ったものだからな。自分が今出せる最大の魔法を披露することもあるから、被害の及ばない観客席を設けたというわけだ」

「あ、そうなんすね」

「中にはエンジェ族相当の魔法力を持つ奴もテストに参加するから、外壁とか所々欠けているんだ。近年の生徒は粒ぞろいだから修理が間に合ってないのが実情だな」

確かに外壁はここで激しい戦闘が繰り広げられた後のようにぼろぼろだ。

地面はところどころが焼け焦げた跡のようなものがあり、地面がえぐれている箇所もある。

「す…すごいな…どんな魔法使ったんだよ…」男子生徒の一人が呟く。

破損具合はかなり広範囲にあるので、どれほどの規模の魔法だったか計りかねているようだ。

「しかしこの間見たときよりも損傷が進んでいるな。またテストで誰かが暴れたか」

クラフトが言う。

ダインは心当たりがあるものの、もちろん言えるわけがない。

「進むぞ」先生はさらに奥へ進んでいく。

そこには木の扉があり、開けると地下へ続く階段が現れた。

クラフトに続き生徒たちも地下へ降りていく。

地下10メートルほど進んだところだろうか。

再び扉が現れ、クラフトがそこを開けた瞬間地上とは全く違う景色が飛び込んできた。

足元に壁に天井。全てにレンガが敷き詰められており、天井に一定の間隔でランプが吊るされ白い光を放っている。

まるでゲームで出てくるダンジョンのようで、地下で天候など関係ないはずなのに上からちらほらと雪のようなものが降ってきていた。

「ここがラビリンスだ」

近くの広い空間に生徒を集め、先生がラビリンスの説明を始める。

「景色は洞窟のようだが、不思議な空間に感じていると思う。外壁や天井、全てに敷き詰められているレンガはレンガのようでレンガではない。防音に衝撃防止魔法も組み込まれた特殊素材を使ったものだ。それらが発する聖力が波紋となり、雪のように降ってきている」

「触れても感触も何も感じないだろ」実際に雪のような粒に触れつつ、先生は説明を続ける。

「ちなみにこの階層にはモンスターは出現しない。下から本格的な探索となる。上層は弱いモンスターしか出てこないが、下層に行くほど強いモンスターが出るようになっているが…」

「どこだったかな」先生が壁を見回し、何かを見つけたのか歩いていった。

「しかしこの部屋では模擬戦とデモンストレーション用にと任意のモンスターを召喚できる機械があるんだ。見てみたいか?」

壁にいくつかのパネルのようなものがはめ込まれており、先生はその手前で生徒たちを見回す。

「見たいです!」誰かが言ったので、クラフトは観賞用の弱いモンスターを召喚しようとしたが…少し、意地悪そうな顔をした。

「せっかくだ。少し強めのモンスターを出してやろう」

と、器用にパネルを操作しだす。

何度かボタンを押す機械音が聞こえ、突然フロアの中央に青白い魔法陣が広がった。

その魔法陣から黒い影がせり上がり、明かりに照らされ姿がはっきりしていく。

頭は牛のような形をしており、人の何十倍もありそうな筋肉隆々の体躯をした…巷では強敵モンスターとされるミノタウロスだった。

その姿に女生徒の数人が悲鳴をあげ、慌てたように壁際へ逃げていく。

だがモンスターは追いかけてこない。

荒々しく呼吸を繰り返してはいるものの、そこから一歩も動かない。

「いまは制御してるから安心しろ」

逃げ惑う生徒たちに向けてクラフトは言った。

「幻視を織り交ぜた魔法で召喚したモンスターだから、そこまで危険なものでもない。だがまぁ、完全に安全というわけでもないがな」

そこでまた生徒達がざわつく。

「レベルはハイクラスに合わせた30前後だな。戦ってみるか?」

数人の生徒が顔を引きつらせたまま首を振る。が、

「倒せたらハイクラス編入もありえるかもな」

そう言ったところで、別の生徒達が色めきだす。

「やってやろうか」デビ族の男子生徒が肩を鳴らしながらミノタウロスの前まで歩き出す。

その姿に触発されたのか、ヒューマ族の女生徒と厳つそうな男も名乗り出てきた。

「あんまり多人数で挑むなよ。巻き添え食らうからな」

「では動かすぞ」クラフトが赤いボタンを押す。

その瞬間ミノタウロスを縛り付けていたバリアが解け、持っていた大斧を振り回し咆哮を上げた。

あまりの大声に、挑もうとしていた男子生徒は怯むが、すぐに気合を奮い立たせ身構える。

「い、いくぞ!」

「おう!」

まずヒューマ族の男が強化魔法でも唱えたのか、デビ族の男に青白いバリアのようなものが張られる。

そのまま敵に向かって突進を始め、炎の魔法をぶつけようとしたようだ。

「ブオオォォ!!」

だがミノタウロスが雄叫びを上げながら斧を激しく振るい、炎を払う。

見た目は遅そうなのに攻撃の手は素早く、たった一振りの風圧だけでデビ族の男が吹き飛ばされてしまった。

全身を壁に激突させ、「あふんっ」という声と共に地に伏せる。

「このっ…!」

ヒューマ族の女は敵の足元に光の鞭のようなものを出現させ、全身の動きを止める。

その隙に男が自分自身に強化魔法をかけ殴りかかった。

武道の心得はあったようでいくつか強力な技を放ったものの、モンスターに効いてる様子はない。

その間に束縛魔法が解けてしまい、男と女も敵の攻撃により吹き飛ばされ、壁に背中を打ちつけた。

「えひんっ!」

「あふぅっ!」

二人とも地に伏せ、そのまま動かなくなる。

明らかにダメージを負っている様子に他の生徒達は恐怖心を募らせるが、彼らに向けてクラフトは安心しろと呼びかけた。

「ラビリンス内は入場者に自動的に強力な防御魔法がかかるようになっている。仮にダメージを負ってもすぐに回復魔法もかかるようになっているから、好きなだけ戦え」

「ハイクラスだぞ」そんな先生の声に後押しされるように、恐怖に怯えているだけだった生徒達は勇気を振り絞りミノタウロスに攻撃を仕掛けていく。

だがやはりハイクラスへの壁は厚い。

どの生徒の魔法もミノタウロスには効かず、敵の一撃だけで数人の生徒がばたばたと倒されていく。

「あ…あわわ…」

最後の勇敢な男子生徒が倒されてしまい、とうとう残るは壁際で足を震わせるニーニアとぼけっと突っ立っていたダインのみになった。

「フーッ…! フーッ…!」

戦闘の余波か、ミノタウロスは激しい興奮状態にある。もっと戦わせろと言いたげだ。

標的を探す目が、ニーニアを捉えた。

「ブオオオオォォォォッ!!!」

再び大きな雄叫び声を上げながら、倒れ伏す生徒たちを飛び越えニーニアに向かって跳躍する。

「わ、わあぁ!?」

助けるか、と思ったそのとき、彼女は咄嗟に脇に差していたナイフを取り出した。

それで敵の攻撃を受け止めるつもりのようだ。

だがナイフと大斧では結果は見えている。

ダインが動こうとした瞬間、ニーニアの持つナイフが緑色の輝きを放ち始めた。

彼女の前方に突如として突風が巻き起こり、凝縮するように空気が集まり始め、数秒後には巨大な竜巻となる。

「ブオオオオオォォォ!?」

突然の出来事にミノタウロスは驚きの声を上げ逃げ出そうとするものの、瞬く間にその竜巻に巻き込まれてしまった。

竜巻の密度がかなり濃いものだったのか、数百キロはありそうな巨体が上下左右に滅茶苦茶に振り回される。

地面や天井に何度も激突を繰り返し、あまりの風量に腕がちぎれ、足がもげ、首も取れたところでモンスターは霧状になり掻き消えていった。

同時に竜巻も収まる。

「あわ…あわ…」

ニーニア自身がやったことなのに、彼女は両手でナイフを握り締めたまま固まっている。

半泣きの表情になっているところを見ると、無意識で護身用のナイフを使ったようだが…

「す…すげぇな!」

ニーニアが無事だったことにホッとしたのも束の間、彼女が使ったそのナイフの効力にダインは興味が湧いた。

「ちょ、ちょっと見せてくんねぇか!?」

規模は小さいものだったが、自然災害レベルの強力な竜巻だった。

ダインはすぐに彼女の元へ駆け寄り、へなへなと腰を抜かす彼女からナイフを受け取る。

見た目何の変哲もないただのナイフだ。

刀身は常に緑の光を放っているが、風の魔法が込められているのだろうか。

「ものはちっちゃいのにすげぇ効力だな、これ」

「あ、う、うん。護身用におじいちゃんから持たされてたもので…」

ようやく落ち着いてきたニーニアが言う。

「そうなのか。マジですげぇな。魔法の武器って色々見てきたけど、これほどの威力があるものは初めて見たぞ」

「そういえばニーニアはリステン家の生まれだったな」

先生がダイン達の元へやってくる。

「リステン家は確か七英雄の武器を作ったことで知られる。ニーニア自身の魔力は弱いが、技術力から生み出される魔法は相当なもののようだな」

クラフトはしばし考え込む素振りを見せた。

「“特別枠”での編入なら可能そうだがどうだ?」

と、言ってきた。

「特別枠?」

ニーニアの代わりにダインが質問する。

「この学校は魔法力至上主義はそうなんだが、稀に知識や技術力がずば抜けている奴も現れることがある。そんな奴らのために、特別枠として上のクラスへの編入制度もあるんだよ。一般的に天才と呼ばれてる奴のことを指すんだが、そんな天才が下のクラスにいるというのは学校のイメージとしてもマイナスだからな」

一応世間体というのも気にしているらしい。

「どうする? 実際にミノタウロスを倒したし、約束は守るぞ」

「え、えと…」

困惑したような視線がダインに向けられる。

意見を求められているのかと思いダインが口を開こうとしたが、急にニーニアが目を丸くさせ驚いた顔になった。

「だ、ダイン君、後ろ!!」

「へ?」

後ろを見ると、壁…いや、壁のような巨大な岩石でできたモンスターが少し先に立っていた。

ゴーレムだった。全身が岩で出来た人型のモンスターで、弓矢はおろか槍や剣すら弾く。

「うげ、またかよ」

クラフトは驚いた様子ながらもすぐに操作パネルまで走っていく。

「最近召喚パネルの調子が悪くてな。操作してないのに勝手にモンスターが沸いて…」

「消去するのはどのボタンだ?」先生がパネルを探してる間にもゴーレムは動き出す。

「せ、先生、はや…早く!」

ニーニアが慌てている。そのゴーレムは、彼女が今まで見てきたものと色が違う。

並みのモンスターよりもレベルが高いというのは、その姿形を見ただけで分かった。

ニーニアの読みどおり、そのモンスターはかなりの高レベルだった。

鈍そうな外見に似合わず一瞬でダインとの間合いを詰める。

巨石のような拳を振り上げ、ダインに向かって…、

「だ、ダイン君、逃げて!」

そう声をかけられても、ダインは動かない。

いや、動けなかった。自分が避ければすぐ背後にいるニーニアに当たってしまう。

他の生徒たちも起きだしてきたので、ここで下手に動いては怪しまれる。

逡巡した結果避けることも即座にニーニアを抱え飛び退くことも出来ず、ついには彼の顔面にその巨石が激しく衝突した。

フロア一帯に響き渡るほどのゴンッという重低音がし、ダインの顔面がひしゃげる様を想像してしまったのかニーニアは両目をつぶる。

「ガアアアァァァッ!!」

だが次に聞こえてきたのはゴーレム側の悲鳴で、不思議に思ったニーニアが目を開ける。そこには奇妙な光景が広がっていた。

確実にダインの顔面を捉えていたはずの、モンスターの拳の方が砕けていたのだ。

モンスター自身も想定外な出来事だったのか、その砕けた腕を振り上げながら驚愕している。

衝撃の余波はまだ広がっていたようで、その岩石の拳がぼろぼろと音を立てて崩れ始めていき、腕から胴体、頭や足にまでひびが広がり、そのまま原形をとどめられなくなったかのようにバラバラになっていく。

ゴーレムがいたはずのところには、もはや小石しか転がってなかった。

確かにダインの顔面に岩石の拳が激突したはず。

凄まじい衝撃音が聞こえ通常ならダインが吹き飛ばされていたはずなのに、彼はその場から少しもずれてない。

ニーニアだけでなく、その光景を見ていた先生やクラスメイトまで声を発さない。

何が起こったのか理解できないといった顔だ。

「あ…」

彼らのリアクションを見て今更まずいと思ったダインは、すぐに顔面を押さえ地面を転がる。

「い、いてええぇぇぇ!」

「え、あ…え、だ、大丈夫? ダイン君」

ハッと自我を取り戻したニーニアが駆け寄ってくる。

「あ、ああ、大丈夫だ。打ち所がよかったみたいだ」

「ほ、本当? 怪我…はないみたいだけど…あ、あんなにおっきい音がしたのに…」

「それよりも」とダインはクラフトを睨みつける。

「何やってんすか先生、ちゃんと消すボタン覚えといてくださいよ。というか魔法で守るなりしてほしかったんすけど」

「あ…ああ、そう…だな。そうだったな」

しばらく固まっていた先生も、ようやく状況を理解し始める。

「それにしてもお前動けるのか? さっきのはメガクラス相当のモンスターだったはずなんだが…」

「あー、打ち所が良かったんすよ。たまたま」

「…あんな巨大な拳に殴られて打ち所も何もないと思うが…」

クラフトは再びパネルを操作し始める。

まだ倒れたままだった生徒たちに回復魔法でも作動させたのか、彼らは次々と起き出した。

「ん…?」

その際、クラフトは別の壁にはめられていたモニターのようなものを眺め、不思議そうな声を出す。

「…そうか、バグか」

そう言った。

「バグって?」ニーニアが起こそうとした手をダインは優しく制し、立ち上がる。

「いや、このモニターからお前等の能力を数値化されたものが見えているんだが、お前の体力の方の数値が減ってない」

「あ…ああ、そうなんすね」

「…しかしこれは…」

他の生徒が覗き込もうとしてきたようだが、クラフトは早々にそのモニターの電源を落とす。

「すまなかったな。悪ノリで強めのモンスターを出したのがバグにつながったみたいだ。ここが出来た当時もバグか何かで怪我する事故が起きたらしいんだが」

「しっかりしてくださいよ」

ダインの突っ込みに、クラフトは反論するどころか小さく笑った。

「くく…そうだな」

どこか愉快そうな顔だ。

「何すか」

何が可笑しいのかとダインはクラフトに不審な目を向けるが、彼の笑みは崩れない。

「いや、なんでもない」

「ただな」倒れていた生徒達が回復するのを待ちながら、彼はダインに向き直る。

「お前も昨日言っていたと思うが、俺もめんどくさい事はしたくない主義なんだよ」

「はぁ…」

一応ダインは返事をしたものの、どういう意図の台詞か分からない。

「それ生徒に向かって言います?」

真面目な顔でもっともな反論をするダインに向かって、クラフトはまた笑った。

「大変だなと思ってな」

「大変?」

「ああ。お前のことだがな」

「は?」

「うまいことやれよ?」

ダインにだけ聞こえるよう言われた。

「くく…型破りな奴が出てきて欲しいとは思ってたが、ここまでとはな…」

そこでダインは直感する。ばれてしまったのだろう。

だがそれについて何も言ってこないのは、先ほど言っていた通りめんどくさい事をしたくないからだ。

クラフト先生と初めて会話したときから思っていたが、この人結構怠慢だな…。だからノマクラスの担任を任されたのだろうか。

そう思ったが、ダインにとっては好都合な話だ。

「お前はずっとノマにいろ。上に行きたいと言っても推薦なぞせんからな」

はっきり言われてしまった。

「え、どういうことすか」

「面倒なことはしたくないと言っただろう」

「いや、でもニーニアにはどうするか聞いたんじゃ…」

「お前は別だ」

「滅茶苦茶だ!」

あまりに理不尽な台詞に、ダインは不満を口にすることしか出来なかった。







『一年、ノマ科の出席番号28番、ダイン・カールセン。生徒会室まで』

HRが終わり、カバンに教科書を詰め込み帰る準備をしていたところだった。

朝聞いた校内放送と同じ台詞が、授業終了のチャイムが鳴り響いたすぐ後に聞こえてくる。

「またかよ…」

ダインはうんざりした顔で言う。帰りが長引いてしまうのが嫌そうな表情だ。

「あ、もしかしてティエリア先輩…かな?」

すでにダインの席までやってきていたニーニアが言う。

「じゃねぇかな」

「だったら行った方がいいよね。何か大事な用事かも知れないし」

隣から聞こえてきた声に顔を向けると、もうシンシアがやってきていた。

「待ってるよ」

「いや、待たなくても…」

「ちゃんとした自己紹介しようって、昨日約束したし」

「ああ、そうだったな」

「手短に済ませる」と彼女たちに言って、ダインはカバンを持たないまま教室を出て生徒会室を目指した。



「来ましたけど」

生徒会室の扉をノックしながら、中に声をかける。

(入りなさい)

ティエリア先輩とは違う声が、その部屋の中から聞こえてきた。

先輩じゃない…?

ダインは不思議に思いながら扉を開け、中に入る。

生徒会室には朝と同じように一人だけがそこにいた。

朝はティエリア先輩だったが、いま部屋の中央で立ってこちらを睨んでいるのは…。

「来たわね」

ラフィンだった。

思わぬ人物の呼び出しに、ダインは一瞬困惑の表情を浮かべる。

「単刀直入に聞くわ」

そんな彼に質問させる間も与えず、ラフィンは口を開いた。

「あなた、何者?」

「は?」

ダインが不思議そうに質問し返してる間に、彼女は手に持っていたファイルを開き読み上げ始める。

「ダイン・カールセン。ヒューマ族」

資料にはダインに関することが書かれてあった。

氏名と種族、地名を読み上げたところで再びダインに険しい目を向ける。

「貴族の出のようだけど、ここに記載されてる住所…架空のものなのはもう調査済みよ」

嘘は許さないという視線がダインを射抜く。

もうちょっとちゃんとやってくれよ…。

ダインは、もう調べたのかというラフィンの行動力の高さに驚くよりも、調べればすぐに架空のものだと分かる書き方をしたサラに辟易とする。

「住所が架空の時点であなたには疑惑しか残らないのだけど、昨日のあの一件を考えると普通のヒューマ族でないことは明白よ」

妥協を許さず真実のみを追究するエンジェ族らしい目つきに、ダインは頭を掻きながら「いやぁ」と返答した。

「あの時はよく覚えてねぇんだよ。勝手に体が動いて、気付けば吹っ飛んでたし」

「その言葉を私が素直に信じるとでも?」

ダインは言葉を呑みこむ。

自身でも引くほどの馬鹿っぽい演技をしたんだ。疑われて当然だろう。

エレンディアの証を持つ自分の一撃と、時期王女と噂されるディエルの一撃を同時に止めた。

どれほど修練を積んだヒューマ族でもできない芸当に、ラフィンのダインへの疑惑は深まる一方だ。

「そう言われてもな…」

正直に話せるはずもないダインはそう言うしかない。

予想通りの反応だったのか、ラフィンは短く息を吐いた。

「白を切るつもりなのね。それはそうよね」

ダインを睨んだままファイルを机の上に置く。

「詐称をしての入学が露見すれば、即退学だものね」

ダインは何も言い返せない。

「私、そういう嘘は許せない性格なの」ラフィンは続ける。

「最初から感じていたけれど、魔力もないくせに無理してこの学校に入学して、何がしたかったのかしら。ご両親は何を考えていたの?」

ラフィンの追求はダインの親のことにまで波及した。

「住所は架空だけれど、どうせ片田舎の出なのは間違いないんでしょう。こんなことしてまで名声が欲しかったの? そんな見せ掛けの学歴を持っても意味がないのがどうして分からないのかしら。全く、あなたのご両親もつまらないことを━」

「悪いが」

やや大きめの声で、ダインがラフィンの台詞を遮る。

「俺は良いが、親の悪口はそれ以上言わねぇでくれねぇか?」

ラフィンは思わず口を結んでしまう。

彼から一瞬ただならぬ何かを感じ、反論の言葉が吹き飛んだ。

だがたじろいだのも少しの間だけで、再び対抗心を燃やし口を開く。

「私が生徒会長になった暁には、嘘や経歴を詐称して入学してきた人達を即座に退学にするつもりよ」

その目はまっすぐにダインを見つめている。

「もちろん、あなたもね。生徒会長としての、あらゆる権限を行使して追い込むわ」

一歩も退くつもりはないという、強い意志を感じた。

その目を見て、今度はダインの方が大きなため息を吐く。

別に感謝してくれと言うつもりはない。

だが、昨日ラフィンとディエルの喧嘩を自分が仲裁しなければ、今頃生徒会長の交代劇どころではなかったはずだ。

なのにこの言われようはなんなのだろう。

初対面の時点から文句を言われ、事故を塞ぐ意味で仲裁したにも関わらず責め立てられている。

「好きにすりゃいいじゃねぇかよ」

もはやどうでもよくなったダインは、そう吐き捨てるように言った。

「別にそこまでこの学校に執着してねぇよ俺は」

え、というラフィンの驚いた顔が見える。

執着してないと言われるとは思ってなかったようだ。

「話はそれだけか? んじゃな」

もういい。

そう思って彼女に背中を向けたが、

「ま、待ちなさいよ。まだ話は終わってないわよ」

少々慌てたような声が後ろから聞こえた。

「何だよ。俺から話すことは何もないんだけど」

苛立ちの目線を彼女に向けると、ラフィンは少したじろぎながらも言った。

「私に協力しなさい。そうすれば黙っていてあげる」

思わぬ台詞だった。

ダインは動きを止め、再びラフィンに体を向ける。

「どういうことだ?」

「事情が変わったのよ」

「事情?」

そこでラフィンは声色を若干柔らかなものに変え、事情とやらを話し出す。

「入学式の後、ティエリア先輩とよく話し合いをさせていただいたの。私の申請を快諾してくださって、順調に行けば来週には私が生徒会長になれるところだった」

「けれど」と、少しだけ声のトーンを落とす。

「あのバカが立候補してきたせいで雲行きが怪しくなったのよ」

あのバカとは、ディエルのことだろう。

昼休みに本人から立候補の話は聞いていた。

「あいつのせいで立候補者が二人になって、ティエリア先輩も交えての選挙制度が導入されることになったの」

「…なるほどな」

そこでようやく、ラフィンが自分を呼びつけた理由が見えてきた。

「お前に協力しろっつーのは、要は俺に票集めに奔走しろってことか。黙秘する代わりに」

要点だけを纏め上げたダインに、ラフィンは再び腕を組みながら頷く。

「悪い条件じゃないでしょう?」

「なんだ、がちがちってわけでもないんだな」

返事をする前にダインは少し笑った。

「典型的なエンジェ族かと思ってたのに」

ラフィンの言動からして妥協や嘘を許さない性格だと思っていたが、黙秘という取引を持ちかけてきたことに内心驚いた。

「世の中の均衡を保つためには、必要悪も認めなくてはならないことぐらい知ってるわ」

大層なことを言う彼女に、ダインは「そうか」と納得した様子を見せる。

その反応がオッケーサインと見たラフィンは「それじゃあ…」と話を進めようとするが、ダインは「いや」と遮った。

「協力する気はねぇよ」

はっきりと言われてしまい、まさかの返事だと思ったのか「な…」とラフィンは固まってしまう。

そんな彼女に向かって、ダインは冷たく言い放つ。

「言ったろ? 俺はこの学校に執着してねぇって。嘘がばれて退学になっても一向に構わねぇんだよ。チクりたきゃチクれ。面倒なことはしたくない」

それが彼の本心だった。

親のことまで馬鹿にされたのに、何故協力しなければならないのか、という思いもある。

「それにお前がこのまま生徒会長になったとして、そんながちがちな学校が楽しいとは思えねぇしな」

ラフィンから理不尽に責め立てられていた鬱憤を晴らすかのように、ダインは続ける。

「お前の支配する学校にいたいとも思わないし、話してて楽しいとも思わねぇ。俺とは合わないんだよ。お前がこっちを見下してる時点でな」

そのとき、ふとティエリア先輩のことが浮かぶ。

引っ込み思案だが、誰に対しても敬語で優しくて、本当に可愛い先輩だった。

今朝あの人に生徒会長に相応しいのはどちらか聞かれたが、いまならはっきりと先輩が良いと言える。

「協力者は俺じゃなく他の奴に当たってくれ。お前、それなりに人気あるようだしさ。んじゃな」

一方的に話を打ち切り、生徒会室を出て行く。

去り際に見たラフィンは呆気に取られたような顔で、部屋の中央に立ち尽くしたままだった。



…少し言い過ぎただろうか。

自分の教室が見えてきた辺りで、ダインはそう考え始めるようになっていた。

あの時は少々冷静さを欠いていたように思う。

ラフィンに理不尽に責め立てられ、脅しとも取られるような発言に苛立ちを覚えたのも事実だ。

だがラフィンが生徒会長になるのを楽しくなさそうだと言ったのはまずかった。

あいつにはあいつなりの考えがあって生徒会長に立候補したのだ。言動はともかく、学校を悪くしようとして立候補したわけではない。

本来ならば、生徒会長なんて重みがあるだけで誰もやりたがらない役職のはずだ。

サラからこの学校の生徒会長は相当なうまみがあると聞かされたが、そのうまみが有り余るほどの苦労があるはずなのだ。

先生方の期待に生徒たちの目。模範としてあるべきだというプレッシャー。

ティエリア先輩が逃げ出してしまうほどの重荷を、ラフィンは背負うつもりでいる。

…やっぱり謝るか。

そう思い直したダインは、踵を返し再び生徒会室を目指す。

扉の前に立ち、ノックをしようとしたが中から何やら物音が聞こえてきた。

(何よ、何よ!! 何なのよ!)

…激しい怒声が聞こえる。

(会話が楽しくないなんて、こっちだって楽しくなんてないわよバカーー!!)

少し扉を開けて中を見てみると、ラフィンが机を叩きながら激しく取り乱している姿が見えた。

「どう話したら楽しくなるかなんて知らないし、他人と笑い合ったことなんてないし、そんなこと今まで習ったことも教えられたこともないのに、いきなり親しくするなんてできないわよバカーーーーーー!!!」

取り乱す様はまるで子供のようだった。

思い通りに行かない何もかもに不満をぶちまけているようにも見える。

「何よ、もう、何よ、何よ何よ何よーーーー!!」

そう叫ぶラフィンの顔が動き、扉の隙間からこちらを覗きこんでいるダインとばっちり目が合ってしまった。

ダインは見てはいけないものを見てしまったような顔をしており、しばしお互い固まってしまう。

「…ぁ…」

ラフィンの開いたままの口から何か発せられるが、短い呼吸によって呑み込まれる。

目は大きく見開いたまま顔がみるみる真っ赤になっていった。

「…あ〜…と…な…」

ようやく声が出せるようになったダインは、再び静かに生徒会室に入室する。

真っ赤なまま全身を震わせていたラフィンは、椅子に座り足を投げ出していた姿勢を即座に正す。

そのまますっと立ち上がり、軽く咳払いをしたときにはもう真顔に戻っていた。

「…何かしら」

取り乱す様をばっちり見ていたというのに、冷静な顔でこちらを見ている。

あまりのギャップにダインは「いやいや」と思わず突っ込んでしまった。

「な、何の用なのよ!」

ダインがつい苦笑したのを見て、ラフィンは再び取り乱し始める。

顔が真っ赤になり、手足も震えている。

そのとき、ダインは何となくラフィン・ウェルトというエンジェ族の根っこが垣間見えたような気がした。

態度こそ高飛車で冷静を装ったように見えるが、内心は不安や恐怖など色々な感情が渦巻いていたのだ。

それを全て押さえ込みたいがために、これまで強気な態度に出ていたのかもしれない。

他人との接し方なんて教えてもらってない。

先ほど漏れ聞こえたその言葉が、いまのラフィンの性格を形成していたのだろう。

要は、こいつは不器用なだけだ。

そのことに気付いたダインは、笑いながら詫びた。

「さっきは言いすぎた。悪かったな。お前に対する認識を間違えてたわ」

急な態度の軟化にラフィンは一瞬驚いた顔をするものの、先ほどの醜態を見られた恥ずかしさで余計にダインを睨みつけてしまう。

「許しを請うなら、跪きなさいよ」

それも羞恥心を隠すための強がりだと見抜いたダインは、また笑って首を振る。「いやそれはしねぇけど」

「く…何なのよ、あなたは…」

ラフィンは悔しがる一方だ。

「ま、選挙云々は協力できねぇけど、頑張ってくれな」

それだけを彼女に伝え、退室しようとしたが、

「ま、待ちなさいよ!!」

また呼び止められた。

「さ、さっきのこと、誰かに言ったら絶対許さないから! 即退学よ、退学!!」

真っ赤なままダインに人差し指を突き出し、その腕を上下に振っている。

本当に子供みたいだ。

「あーはいはい、退学は好きにしてくれ」

ラフィンにとっては退学宣告が最大の武器のはずなのに、ダインには全く通用しない。

「っ…もうっ!!」

彼女はもはや悔しがることしかできなかった。







学校を出てバリア外の近くにある、こじんまりとした公園。

普段でもあまり利用者のいないその公園に、ダインとシンシアとニーニアはいた。

「じゃあ改めて、自己紹介するね」

始めに自分がと、シンシアはベンチに並んで座るダインとニーニアの前に立つ。

「私はシンシア・エーテライト。ヒューマ族。実家は道場を営んでいて、門下生はそこそこいる…のかな。お姉ちゃんのように強い退魔師を目指して修行中だよ。扱うのは聖力で…」

途中、何か思い出したのか「あ」と声を出す。

「一応なんだけど、得意技みたいなのはあるよ。見てみる?」

「ほう、魔法か?」

「うん。数ある光魔法の中で、創造魔法にあたるかな」

「す、すごいね」

ニーニアが驚いたように言う。

「創造魔法って、確か限られた人しか使えないものだって聞いたことあるんだけど…」

「あー、そうだね。血筋が大きく関わっているらしくて、私の家系の人達はみんな使えてね。だからお姉ちゃんも強いんだけど…」

「じゃあいくね」と、シンシアは胸の手前に握りこぶしを垂直に重ねる。

まるで剣を垂直に立てるような仕草のまま、彼女は言葉ではない呪文のようなものを呟いた。

その瞬間シンシアの全身が光り、その光が彼女の手元に集約する。

そして飴細工のようにその光が上に伸びていき、本当に剣のような姿に変化する。

光の剣は一定の間隔で周囲に光を放ち、辺りにある木々が光気にあてられざわめいている。

「す…すげぇ…」

あまりの綺麗さに、ダインは思わずそう漏らす。

「か…かっこいい…」

ニーニアも目を輝かせていた。

「私のところではこれを聖剣って呼んでいてね、それぞれに名前がつけられているの。私のこれは、《ムンブルグ》って言うんだ」

魔を払う性質があるとシンシアが言っている通り、ダイン達にはその光は元の光以上に眩しく感じる。

ダインとニーニアが眩しそうにしているのに気付き、彼女はすぐに聖剣を霧散させた。

「以上が、私の自己紹介です」

やや照れたように言い、「次はダイン君だよ」と照れ隠しにか指名されてしまう。

「分かった」立ち上がって彼女たちの前に移動するダインだが、どう紹介したら良いのか一瞬迷ってしまった。

シンシアには本当のことを伝えたが、ニーニアには…。

「良いんじゃないかな」

ダインの視線から考えが分かったシンシアが言った。

「ニーニアちゃんになら教えても良いんじゃないかな。もう友達だし」

そう言って、ニーニアに抱きつくシンシア。

もう何度目にしたことか分からないが、その仲睦まじい様子にダインは笑いながら頷いた。

「俺はダイン・カールセン。ヴァンプ族だ」

「え…ヴぁ、ヴァンプ族?」

初耳らしいニーニアが不思議そうな顔でこちらを見上げる。

「ああ。知ってる奴はいないんじゃねぇかなってぐらいの希少種らしい。見た目ヒューマ族と全く一緒だから、これまでそうしてきた」

そこでニーニアにシンシアと説明したことと同じ内容を伝える。

「今まで隠しててごめんな」

種族を偽ってたことに対し、ダインは彼女に頭を下げた。

ニーニアは真実を話してくれたことに嬉しそうに笑って、確信が得られたかのように口を開く。

「やっぱり、ちょっと普通とは違うなって思ってたよ」

「え、そうなの?」

不思議がるシンシアに、ニーニアは今日ラビリンスであった一件をシンシアに伝える。

事の顛末を聞いたシンシアは、面白そうに笑った。

「やっぱりダイン君、強いんだね」

「特殊なだけだ」ダインは首を振って笑い返す。

「ヴァンプ族がどういうものなのかは追々説明するとして、俺からは以上かな」

次はニーニアだと、立ち上がった彼女に入れ替わってダインがベンチに座る。

「え、えと…ニーニア・リステン。ドワ族で…」

数日一緒にいて緊張も大分解けたものの、ニーニアはたどたどしい口調で自己紹介を始めた。

「家は工房があって、そこで職人さんたちが毎日色んなものを作ってて…あ、わ、私も色々作ったりしてて…」

そこで彼女はカバンを漁り、自己紹介に必要だと持ってきていたらしい自作の装飾品を取り出した。

ブローチに腕輪に、ぬいぐるみをつけたキーホルダー。

どれもかなり手が込んでおり、売られてるアクセサリーと大差ないほどのクオリティだ。

「可愛い…可愛いね…!」

シンシアは目を輝かせそのアクセサリー類を手に取っている。

彼女の言うとおり、ニーニアが作ったのはどれもが可愛らしいデザインのものばかりだ。

「いやすげぇなやっぱ…」

「あ、あの…」感心するダインとシンシアに、改めて体を向けるニーニア。

「あの…あ、ありがとう。お友達になってくれて」

どこか真剣めいた口調に、ダインもシンシアも同時に顔を上げる。

ニーニアの目元から涙が流れているのを見て、二人はぎょっとした。

「ど、どうかしたの?」

「う、ううん。本当に、良かったなって…入学式の日は、不安で仕方なくて…」

そこで彼女はこれまで抱えていた不安を泣きそうな顔のまま吐露し始める。

「前の学校まで、ずっと友達らしい友達もいなくて、家で一人で遊んでることが多くて…このままじゃ駄目だって、お婆ちゃんに今の学校に行くように言われて、それからずっと不安で、どうしたら行かなくて済むのかとか、どうせ続かないとか、そんなことばかり考えてて、友達なんてできないと入学式の前からずっと思ってて…」

「だから」見上げてダイン達を見るその顔は、泣き顔ながらもとても嬉しそうだ。

「だから、ありがとう。友達になってくれて」

と、最後に笑いかけてくる。

「ありがとうなんて、そんな…」

シンシアが立ち上がる。たまらずといった様子で、ニーニアをまた抱きしめていた。

「私の方からもありがとうだよ。本当に…」

力いっぱいニーニアを抱きしめている。

頬擦りして「ん〜!」と何とも幸せそうな声を出していた。

「抱き心地も最高だし、ドワ族だからじゃなくて、ニーニアちゃんの体が気持ちいいよっ!」

「あ、あはは」

シンシアの台詞に緊張が解けたのか、涙を拭ったニーニアは笑顔だ。

「誤解されそうな発言は止めた方がいいぞ」

ダインも笑いながら、一応突っ込む。

「え〜、ダイン君も分かってくれると思うんだけどなぁ。ニーニアちゃんってふわふわしててすごい気持ちいいんだよ?」

「同意を求められても、抱きついたことはないしなぁ」

「ほら、こっちきて」

シンシアが手招きしてくる。ニーニアに抱きついてみろと言いたいのだろう。

「い、いや、俺一応男だぞ? また意味合いが変わってくるだろ」

ダインは顔が熱くなってくるのを感じながら首を振る。

「それにまだ吸魔に馴れてねぇんだ。触れた瞬間魔力吸っちまうだろうし」

懸念を口にするものの、シンシアは「それなら」と名案が思いついたかのような表情で言った。

「経験がないからうまく制御できないんなら、私たちで練習して馴れればいいと思う」

まさかの申し出に、ダインは難しそうな顔で腕を組んでしまう。

「練習相手になってくれるのは滅茶苦茶ありがたいが、なぁ」

吸魔とは、文字通り相手から聖力なり魔力なりを吸い取ってしまうということ。

つまり、相手に多少なりとも負担をかけるということだ。

ダインが躊躇っているのは、相手に負担をかけたくないからに他ならない。

だが躊躇う彼を後押ししたのは、シンシアに続きニーニアもだった。

「こ、これから、そういう機会が沢山でちゃうかも知れないし、それでダイン君の種族がばれちゃったら大変だから、隠す意味でも制御できるようになった方がいいと思う」

「それはまぁその通りなんだけど…」

「わ、私なら大丈夫だから…ダイン君になら…す、吸われても…」

ニーニアはみるみる顔を赤くしていく。

友達がいないと言っていたので、それこそ異性と触れ合うことなど無かったのだろう。

「ほら、私たちが良いって言ってるんだから」

「う…う〜ん…」

「まずはお試しで。ちょちょいって、ほら」

シンシアはまた手招いてくる。「可愛いよ?」

まるで犬猫に触ってみろと言ってるかのようなノリだ。

シンシア達が良いと言ってるのなら、ダインがこれ以上遠慮する必要はない。

それに練習相手になってくれるというのも、彼にとってはこの上なくありがたいことだ。

「じゃ、じゃあ、お試しで…」

「うん、はい」

シンシアはニーニアを解放し、ダインの前に差し出してくる。

ニーニアは始終顔を赤くさせたまま、両手を胸の前で組んでこちらを見上げてきている。

先ほどまで泣いていた名残なのか、その目は潤んでいる。

確かにシンシアの言うとおり、小さな彼女は可愛らしいとしか言いようが無かった。

「い…いくな?」

「う、うん。ど、どうぞ…」

触れるだけという単純な行為であるはずなのに、やけに緊張する。

相手が女の子というのが一番大きいのかも知れない。

だがここまでお膳立てされて断るのも、彼女たちに失礼だ。

ダインは意を決し、まずはニーニアの両肩に触れ、そっとこちらに引き寄せた。

「あ…」

そしてその小さな背中に腕を回し、力を込めすぎないよう、努めて優しく彼女を抱きしめる。

「ふあ…あ…」

瞬間、触れ合った部分から暖かい何かが体内に流れ込んできたような感覚があった。

その暖かい何かが体中を駆け巡り、緊張はしつつもとても穏やかな気持ちになったような気がする。

「あ、う…あ…」

ニーニアの体が震えている。

「だ、大丈夫か?」

「う、うん…」

体を支えることすらできなくなったのか、ダインの胴体に腕を回してきた。

「ん…っ」

体の震えは収まらず、ダインを抱く腕の力が徐々に抜けていく。

このままはさすがにまずいと思い、彼はすぐにニーニアから腕を放した。

「っと」

ふらつく彼女をシンシアが受け止める。

「は…はふ…」

シンシアに支えられながら、ぐったりした様子のニーニア。

「わ、悪い、吸いすぎちまったみたいだ」

そう謝ると、ニーニアはぐったりしながらも笑顔を向けてきた。

「ど…どうだった? ダイン君」

ニーニアをベンチに寝そべらせながらシンシアが聞いてくる。

そういえば、ニーニアの気持ち良さを共有したくて抱きしめろと言ってきたんだった。

「あ、いや、ま、まぁ…女の子なんだなって…」

「気持ちよかったでしょ?」

「そりゃ…うん…」

顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。

胸の奥はずっとドキドキしており、こんな緊張感は今までに体験したことがない。

吸魔の気持ちよさだけではなく、ニーニアという女の子の感触を知ってしまったのもあるだろう。

「そう…だよ、ねぇ…」

シンシアは言い、未だ肩で呼吸を繰り返すニーニアを見やる。

笑顔だったその顔が、何を思ったのか徐々に真顔になっていき、やがて頬を赤くさせていった。

ついには恥ずかしそうな表情に変わってしまい、その表情のままダインの方をちらちら見てくる。

「あ…あの、ね」

「ん、な、何だ?」

「あの…私の聖力も…す、吸ってみない?」

「え?」

ニーニアだけで終わったと思っていたダインにとって、シンシアも名乗り出てきたのは意外だった。

「ほ、ほら、馴れるため、だから。こういうのは、経験がものを言うから。聖力もちゃんと吸ったことないんでしょ?」

「そ、それはまぁ、な」

「だからほら、ね? 必要なら定期的に聖力あげるよって約束したんだし」

確かにシンシアとの約束が最初だった。

ダインは納得し、両手を広げたシンシアに近づいていく。

「え…えいっ!」

思い切ったように、シンシアの方からダインに飛び込んだ。

制服の上から触れた体は思いのほか筋肉質だったのに気付き驚くが、思い切りついでに彼の広い胸に頬を押し付けてみる。

ダインの心臓の音が早鐘を打っているのが聞こえる。

戸惑いながらも、優しく受け止めて背中に腕を回してきたのが分かる。

「ん…んふふ〜、ダイン君〜…!!」

シンシアにとって、気に入った相手に触れるというのは彼女なりの愛情表現だ。

ニーニアはもちろんのこと、家に帰ったら母や、姉がいたらまず抱きついてお帰りなさいと言う。

幼い頃は父にもしていたが、思春期以降はめっきり異性に触れることはなく、こうして男性に抱きついたのはいつ以来か覚えてない。

そのせいかどうか分からないが、自分から抱きついたにも関わらず、シンシア自身の心音も大きくなってきたのが分かった。

「あ、あ〜その、さ、吸魔は触れるだけでいいから、毎回こうして抱き合う必要はなくてな、手を繋ぐだけでも良かったんだが…」

そうだった。ニーニアには感触を共有して欲しいから抱きついてもらったが、自分の場合は単純に吸魔が目的なんだった。

抱き合う必要がないのはその通りだと思い、シンシアは照れ笑いを漏らす。

「ご、ごめん、そうだよね」

胸元から彼を見上げるその顔は、ニーニアに負けず劣らず真っ赤だ。

同じく顔を赤くさせていたダインも、つられたように笑う。

「はは。でもシンシアの体も気持ちいいよ。あ〜変な意味じゃなくて…いや変な意味になっちまうのか」

どう表現すれば良いのか困ってる間も、シンシアを抱きとめる腕は優しいのに力強い。

余計にシンシアの胸はドキドキしてきてしまい、不意打ちのように力を抜かれる感覚に襲われた。

「ふや…」

触れ合った部分が熱くなったのが分かる。

力が抜けていく感覚は彼に触れている限り続き、その都度自分では意図してない声を上げてしまった。

「っと、大丈夫か?」

この辺りで止めておこうと判断したダインは、彼女を離しベンチの端に座らせる。

すっかりぐったりしてしまったシンシア。やはりまだ経験が足りないようで、想定以上に彼女から聖力を吸い取ってしまったらしい。

ニーニアも未だ動けそうになく、二人して顔を赤くさせたままぐったりしている様は、妙な色っぽさがあった。

「う、う〜ん、まずいねぇ、これは…」

ようやく体力が回復してきたらしいシンシアが呟く。

「まずいって?」

「その、なんていうか、吸われる感覚が…ね…」

吸う側のダインには、シンシアの言いたいことが今ひとつ分からない。

「な、なんだ、痛いのか?」

「う、ううん、全く逆だよ」

「逆…? 気持ちいい、とか?」

シンシアは頷く。

「気持ちよくて、その…な、何だか、ちょっとだけ…そのぉ…」

また顔を赤くさせていく。

そこで彼女の言わんとしてることが何となく分かった。

と言うより、吸われているときの彼女たちの反応を見れば察しがつく。

「え、エッチな感じが、しちゃうというか…」

そうはっきりと言ってきた。

ダインは思わず考え込んでしまう。

「そうか…エロい感じか…」

実のところ、ダインはこれまで吸魔についての説明を両親からもサラからも受けてなかった。

経験が無いと言うのは言葉どおりで、今まで異種族と触れ合ったことはほとんどない。

意図的に避けてきたわけではなく、知り合える機会がほぼなかったからだ。

両親と世界中を回っていたときは常に両親の間に挟まれていて、遊ぶときも親と、勉強するときも親といた。

今になって思えば、異種族に触れ意図せず吸魔してしまうことを両親にガードされていたのかもしれない。

シンシアとニーニアは平気だと言ってくれたが、力を吸い取られるなんて気味悪がられるのが普通なのだから。

「あ、で、でも魔法、使えるようになったんじゃ…」

シンシアが言ってくる。

そう言えば、とダインは手のひらを上に向け、そこから火が出るのをイメージしてみた。

すると彼の手から本当に炎が出現し、ごうごうと音を立てて燃え盛っている。

「お、おぉ…」

「す、すごいね、やったね」

シンシアは喜び、ようやく魔力が回復してきたニーニアも体を起こしながら笑いかけてくる。

「これだったら、本当に学校の授業乗り切れそうだね」

「う、う〜ん、それはそうなんだけど…」

炎を消し、ダインは再び腕を組んで赤くなり始めた空を見上げてしまう。

シンシアとニーニアから魔法力を提供してくれるのは、正直言ってかなりありがたい。

授業を乗り切れるのもそうだし、怪しまれる心配もなくなる。

だが吸魔によって相手に負担を強いるだけでなく、エッチな感覚まで伴なってしまうというのはまずいだろう。

「エロいのはまずいよな…さすがに…」

懸念材料が一つ増えてしまった。

考え込むダインに、ニーニアは言ってくる。

「が、我慢するから、大丈夫だよ」

両手を握り締め、気合を入れるポーズを見せてきた。

「そうだよ」とシンシアも続く。

「エッチとはいっても、何とか我慢できるレベルだし、そうしなきゃダイン君は魔法使えないままだよ?」

「それはそうなんだけど…」

まだ不安そうにするダインに対し、シンシアとニーニアは「本当に大丈夫だから」と笑いかけてくる。

確かに現状では彼女たちに頼るしかない。

「…分かった。できるだけエッチな感じにならないようにするからさ」

そう言いながら、セクハラまがいの発言をしていることに気付くダイン。

「が、頑張る」

気合を入れなおすニーニアに、シンシアも「うん」と顔を赤くさせながらも真剣に頷く。

ダイン達の間に妙な結束が出来上がった。







「旦那様と奥様がお帰りですよ」

公園から家に着いて、出迎えてきたサラが言ってきた。

「頼む」

ダインは返事をする代わりにサラにカバンを渡し、靴からスリッパに履き替えずかずかとリビングへ向かう。

「あら、お帰りなさい、ダイン」

リビングでは、長旅からようやく帰ってきた母シエスタが紅茶を手に椅子に座ってくつろいでいた。

後頭部で纏め上げた髪を結いなおし始めた彼女の奥には、大量の箱や紙袋がある。

「お土産よ。今日の夕飯はあの中から選びましょう」

ダインは「ああ」と返事をしながら顔を動かす。

「帰ったか」

声がした方を見ると、長髪で顎に髭を蓄えた大柄の男…父ジーグがソファで新聞を眺めていた。

視線だけをこちらに動かし、再び新聞に戻す。

「親父…」

何よりもまず父に言いたいことがあったダインは、上着のボタンを緩めながら父の前に立つ。

「話がある。ちょっと表に出ようぜ」

ダインの台詞は予見していたものだったのか、新聞を眺めたままのジーグの口元がにやりと笑った。

「良いだろう」

新聞をテーブルの上に置き、彼も私服のボタンをいくつか外す。

「あんまり暴れるんじゃないわよ」

そんな母の声を背に受けながら、父と子は靴に履き替え家の裏にある広場へ向かった。



「それで、話というのは?」

日が落ちて暗くなり始めた夕暮れの中、ジーグは息子と対峙しながら口を開く。

夕焼け色に浮かぶ彼の風貌は全体的にごつごつしており、体格はラビリンスで見たモンスターよりも小さいが、その全身から発せられる気配は何よりも巨大だ。

「聞かなくても分かってんじゃねぇのか?」

ダインは肩を鳴らしつつ上着を脱ぎ捨て、袖をまくった。

父を見据え、構える。

「まずは何で俺を魔法力至上主義のセブンリンクスへ入学させたか説明しろ」

「ふ…そんなもの…」

ジーグは愉快そうな顔で言った。

「お前が慌てふためくのが面白そうだと思ったからだ」

その瞬間、ダインの姿が消えた。

ジーグは手のひらを顔面の前に持っていき、同時にその手にダインの拳が命中する。

夜空に轟くほどの乾いた音が鳴り響き、ダインの拳を受け止めた衝撃が波となって周囲の木々を揺らす。

「真面目に聞いてんだけど」

「ワシも真面目に答えたつもりだ」

その表情は始終愉快そうで、面白がっているようにしか見えない。

ダインは拳を引っ込め、即座に回し蹴りを放った。

目にも止まらぬ速さの蹴りをジーグは腕で受け止め、その音と衝撃が再び周囲の木や地面をも揺らす。

「少し見ない間にまた腕をあげたな」

息子の成長を喜ぶジーグだが、相変わらず本気を出していない。

ダインは短く舌打ちをし、地面が大きくへこむほど足を踏み込み正拳突きを放った。

ジーグは再び受け止めようとしたが、彼の拳が手のひらに触れた瞬間轟音に似た衝撃音と共に、巨体が数十メートル後ろまで吹き飛ばされる。

「ほう…? この力はもしや…」

ジーグが意外そうな顔でダインを見る。

してやったりといった顔のダインは、口元を歪めて笑った。

「俺にも仲間ができてな。良い奴らなんだよこれが」

ダインは再び足を踏み込んで拳を突き出す。

標的のジーグは先にいたが、突き出した拳の衝撃が彼にまで達し、またその巨体をさらに後方までずり下げた。

「ぬぅ…!」

「その良い奴らに負担を強いることになった。良い奴らが故に、だ。親父のせいでもあるんだぞ」

ジーグの姿が消える。

ダインがすぐさま飛び退くと、彼のいた地面にジーグの太い腕が突き刺さっていた。

岩が割れるような音と共に広範囲に地面がへこみ、地表に亀裂が走る。

「心得よダイン。吸魔とは負担を強いるのではない。信頼の証なのだ」

ジーグは地面から腕を抜き、再びダインに向き直る。

「本来は目に見えぬはずの証が形となって感じ取ることが出来る。我々ヴァンプ一族にとっては喜ぶべきことなのだ」

「負担強いてることには変わりねぇじゃねぇかよ!」

ダインが再び拳を突き出し、空気圧の波動をジーグに放った。

だがジーグはすぐさま両手を前に押し出すようにし、その波動を弾き返す。

返された波動をダインは大きく跳躍してかわし、そのままジーグの後頭部めがけてかかとを振り下ろした。

頭を捉えそうになった瞬間ジーグの姿は幻のように消え、ダインの足が地面に突き刺さる。

ジーグの時のように地面が大きく窪み、地表が割れた。

父が避けた先を読んでいたダインは即座に彼の目の前に移動し、秒間にして数十発もの拳を浴びせる。

ジーグはその全てを受け止め、最後の一撃とばかりに放ってきたダインの拳を掴み、ダインごと後ろに放り投げた。

ダインは空中で体をひねり、地面に着地する。

「初吸魔記念だ。今日は本気度を30%まで引き上げてやろう」

ジーグは大地に足を踏みしめ、全身に力を込める。

遠目からでも分かるほどに彼の全身の筋肉が隆起したのが分かった。

「良いぜ。じゃあ俺は20%にしといてやるよ」

ダインも再び腰を落として構え、筋肉を隆起させる。

「おお、そうだ」

再び殴り合いを始めようとしたとき、ジーグが口を開く。

「お前の制服姿は初めて見るな。なかなかに似合っておるぞ」

「今更それ言うのかよっ!!」

突っ込みと同時にダインは地面を踏みしめ、ジーグめがけて突進する。

楽しげに笑うジーグは応戦し、彼の拳の軌道に合わせて自分の拳を打ちつけた。

二人の拳がぶつかり合った瞬間、硬いもの同士が激しく衝突する音と共に衝撃波が円状に広がり、地面の小石や木々の若葉を吹き飛ばしていく。

二人の姿は消え、そのまま至るところから衝突音が鳴り響き始めた。



「…あんまり暴れないでって言ったのに」

切り株に腰をおろし父と子のやり取りを見ていたシエスタは、ため息と共に言った。

「久方ぶりの再会ですからね。お互いはしゃいでいらっしゃるのでしょう。それにダイン坊ちゃまは“外”では魔力を用いた攻撃をしないという約束をお守りしておられますし」

シエスタの傍にいたサラは、手にしていた紙袋を彼女に見せる。「それでこちらは村の方々に?」

「ええ。他にも色々あるから、配るのは明日にしましょう」

「畏まりました」

頷くサラに笑いかけ、シエスタは再び楽しそうに拳を交し合う親子に視線を戻す。

「まぁ、今のところあまり問題はなさそうだから安心はしてるけど…」

言葉どおり、シエスタはどこか安堵したような表情だ。

息子を初めて学校に通わせる。

母として、ヴァンプ族として、出張中は息子のことが気がかりで仕方なかった。

毎日サラから報告を受けていたから途中で帰ってくるようなことはしなかったが、ダインの元気そうな姿を目の当たりにしたいま、ようやく落ち着ける。

「今後諸々の問題は出てくるでしょうが、ダイン坊ちゃまのことです。そつなくこなせることでしょう」

「そうね」

「お友達も順調に増えているご様子ですし、魔法力の提供までしてくださって良い方々です。ダイン坊ちゃまは見る目があります」

「私の息子だもの」

どこか自慢げに言うシエスタ。

満足そうだったが、不意にその顔が真面目なものに変わった。

「ああ、そうそう、サラさん。明日からまた出張があるのよ」

しばらく落ち着けると思ったサラが、意外そうな顔になる。「連日ですか?」

「ええ。隣の大陸でちょっとした事件が起こったらしくてね」

「隣…と言いますと、トルエルン大陸でしょうか?」

「そうね。詳細は追って話すわ。まだ私たちも細かいことは聞いてないのよ」

「ふむ…」

サラは考え込むような仕草のまま、シエスタに言った。

「村の特産物の宣伝のために事件解決の協力というのは、やはり割に合わないですね」

エレイン村の近況を懸念する気持ちはシエスタも同じで、やれやれとした表情のまま答える。

「こうでもしないとインパクトにならないのよね。村の特産物はシンプルなものばかりで人の印象に残りにくいから」

「やはり新商品の開発を進めた方が良いのでは…」

「それは追々ね。それに、今回起きているらしい事件では少し気になることもあるのよ」

「気になること、ですか?」

シエスタは少し申し訳なさそうな顔でサラを見る。

「サラさんにはまた少し負担をかけることになるかもしれないけれど…」

「構いませんよ」

サラは問題はないという表情で首を振る。

「お屋敷の掃除にダイン坊ちゃまのお世話だけでは手持ち無沙汰でしたし」

「ごめんなさいね。本来はあなたの仕事じゃないんだけれど…」

「今はそうですが、かつては“こっち”が本来のお仕事だとお母様からも聞いております。むしろやらせて欲しいところですよ」

「頼もしいわね」

そこでようやくシエスタは笑った。

「その分お給金は弾ませてもらうから」

「いえ、賃金アップはいいので、よろしければ珍しい武器辞典などがございましたら」

「ああ、ええ、そうだったわね。探しておくわ」

「それと、もしよろしければなのですが、来月はお母様がカールセン家に仕え始めた記念日がございますので…」

「ふふ。分かってるわ。お茶会でしょ? 準備は進めてるから楽しみにしておいて」

満足そうな様子で、サラがシエスタに一礼する。

二人は笑い合い、再び遠くで激闘を繰り広げるジーグとダインに視線を移す。

二人の戦いは熾烈さを帯びてきており、早くも山の一部が欠け始めていた。

「…何が良いかしらね、サラさん?」

山の木々まで倒れているのを見てから、シエスタがサラに何事かを尋ねる。

「そうですね。この間は奥様の必殺でこピン地獄でしたから、今回はシッペ地獄などはいかがでしょう?」

「シッペか…」

「ダイン坊ちゃまは腕で、旦那様は内腿のあたりで」

二人が話しているのは、あまり暴れるなと言ったのに山の一部が欠けてきたことによるお仕置きの内容だ。

「よし、それでいきましょう」

シエスタは手を叩き、切り株から立ち上がる。

「手伝います」

サラは腕をまくった。

「まずはどっちから狙いましょうか?」

「同時にいきましょう。不意打ち気味だと痛さも倍増です」

「良いわね」

二人は笑い合う。そしてその姿が突如消えた。

戦闘音しか響かなかった裏山だが、数秒後には鞭で肌をひっぱたくような音と共に、ダインとジーグの悲鳴が夜空一面に響き渡っていた。





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