二十節、勉強会
書斎と言う名の通り、その部屋は四方全てが本棚に囲まれた場所だった。
どの棚にも隙間なく本が詰め込まれており、共有スペースであるためジャンルも様々だ。
部屋の中央には読書用の大きなテーブルと椅子が置かれており、サラに案内されたシンシア達は「お好きな場所に」と言われたとおり各々椅子にかけていく。
講義の準備はすでに済ませていたサラは、人数分の飲み物をルシラと一緒に配り、次いでやや古い新聞記事もシンシア達の前に並べていった。
ヒューマ族の新聞記者が、種族の特性についての最新の情報だとまとめたものだった。記事の一番端に、レア種族としてヴァンプ族という記載がある。
「ではまず初めに、ヴァンプ族という種族がどのようなものか、改めてご説明させていただきます」
それからサラは、その記事を元に淡々とした様子でヴァンプ族の生態をシンシア達に講じた。
魔法力が極端に低く、代わりとして身体能力が高く、際限なく力がつけられること。
どのような魔法も受け付けない体質で、レギオスが暴れまわっていた混乱期、唯一その軍勢を防いだこともあるとサラが言ったところで彼女たちは驚いていた。
次に説明したのは吸魔という特殊能力で、信頼関係がきっかけになっていること、効率よく吸魔するために肌触りが進化したことも説明する。
同族、同性にはあまり効果がないことも説明し、最後に吸魔衝動として触手が出てしまうということも教えてくれた。
「この辺りのことは、これまでダイン坊ちゃまと接されていたお三方ならすでにご存知のことかと思われます」
基本的なことは以上ですね、と小休止をはさみつつ、サラはここで質問はないかとシンシア達を見回す。
「あの…」やや遠慮がちに手を上げたのはティエリアだ。
「吸魔衝動についてなのですが」
「はい、どうぞ」
「仮になのですが、吸魔衝動に陥ったとして、長時間誰からも魔力がいただけなかった場合はどうなるのでしょうか?」
そう尋ねるティエリアの表情は不安げだ。似たような状況になった場合、ダインが深刻な状態に陥ってしまうのではと危惧しているのだろう。
「他の種族の方と同じ状態になると思いますよ」
サラは安心させるような口調で答えた。
「体が動かなくなったり、思考が鈍ったりしますね。ヴァンプ族の場合はそれに加えて意識を失ったりもしてしまいますが、障害が残ったりすることはまずないかと。とは言いましても、今までそのような状態に陥ったケースがないので断定は出来ませんが」
「しかし深刻な状態に陥るということはないと思います」というサラの説明を聞いて、ティエリアは「そうですか…」と安心したように息を吐いた。
「周りに誰もいなくても、親しい人に空間を超えて触手が伸びるから、吸魔衝動に駆られたままっていうことはないってことだね」
シンシアがニーニアにそう話しかけている。「そうだね」とニーニアは頷き、サラも「その通り」と言った。
「さて、ちょうど触手の話になりましたので…」
サラはおもむろに手のひらを天井に向け、胸の辺りで止める。「分かりますか?」そういってきた。
「え? 何がですか?」尋ねるシンシアに、サラは「いま、私の手から触手が出ています」と答える。
シンシア達はこぞってサラの手元を凝視する。が、三人とも不思議そうに首をかしげていた。
「何も見えませんけど…」
シンシアの言うとおり、彼女たちにはサラの出す触手が見えてない。ちなみにダインにも見えなかった。
「そうです。普段、ヴァンプ族が出す触手はどの種族でも見ることはできません」
「見えない…?」
「はい。見ることも、もちろん触れることも」
サラがそう言ったとき、シンシアが何かに気づいたような顔をする。
「そ、そういえば、この間のときも、部屋にお姉ちゃんがやってきたけど何も見えてないようだったよ」
「え? そうだったの?」
初耳だったらしいニーニアがシンシアに顔を向ける。
「う、うん。ちょうど触手に囲まれてるときで、お姉ちゃん退魔師だからどうしようって思ってたんだけど…」
当時の様子を思い出したのか、口ごもりつつ顔を赤くするシンシア。
「それが通常なのです」サラは説明を続けた。
「本人以外が視認できる条件は、触手の対象者…少々悪い言い方をしますが、触手の捕食対象者だけが視認することができ、そして触れることが出来るのです」
「はぇ〜」と納得した様子を見せるシンシアに、ニーニアも「そうだったんだ」と呟いている。
ダインも初めて聞く話だったが、隣にいるルシラだけはリアクションが少し違っていた。
「うねうねしてるね?」
彼女の目には、サラが出す触手が見えているようだ。
「…まぁ、例外もいたようですが」
サラは内心驚いたようだが、ルシラは様々な意味で特異だ。ルシラのことはさておいて、サラは続けた。
「この触手は己の分身でもあります。これは過去の実験から得たことなのですが、触手に傷がつけば自分の体にも傷が出来てしまうのです」
触手の感覚が共有できている時点で、そうじゃないかと思っていたダインは「だろうな」と呟いた。
「相手の考えていることまで分かっちまうんだろ?」
「全てではないですけどね。あくまで感覚です」
サラは答え、触手を引っ込めたのか手を下ろす。
「触手は、馴れれば本人の意のままに操ることができ、変形させたり何本も出すことが可能です」
「べ、便利…って言って良いのかな」
触手を使って色々なことが出来ると思ったのか、ニーニアが言う。確かに触手を自在に操ることが出来れば、かなり便利だろう。
だが、サラは「いえ」と首を振った。
「先ほども述べましたように、触手は捕食対象者以外からは見えませんし、触れることも出来ません。それは無機物にも言えることで、触手を使って遠くのものを引き寄せたり、武器にするといったことは出来ないのです。対象者から魔力を吸うためだけの器官に過ぎません。離れたところから吸魔できるという意味では確かに便利なのですが」
ヴァンプ族の触手は、実体があってないようなものだとサラは言う。
「以上のことから、様々な問題もございます」
シンシア達は「問題…?」と顔を上げる。
「主に見た目の不気味さですね」サラは尚も淡々と答えた。
「捕食者が意識してない場合、触手は文字通り触手の形をしていますから。ヴァンプ族の特性を知らずに恋人関係にあった別の種族の方が、その触手を見た瞬間気味悪がってしまい、そのまま振られてしまうというケースがこれまでにもいくつもありました」
「あー」とシンシア達は納得したように声を出す。何を見て気持ち悪いと思うかは人それぞれだが、触手に対しては生理的嫌悪を抱く人が比較的多いということは彼女たちも理解しているようだ。
「化け物といわれたり、気持ち悪いとストレートに言われショックを受けた方もいます。その辺りのことは完全に感性の問題ですし、その方が悪いわけでもないですから、ですから難しい問題なのです」
憂えた表情で視線を下げていたサラはふと顔を上げ、シンシア達を見回す。
「あなた方は…」こちらを見返してくるシンシア達の眼を見て、サラは小さく笑った。「問題ないようですね」
ダインの吸魔衝動を受けたのに、友達のままでいてくれている。こうして説明を聞きに訪れてくれた時点で、触手に対する嫌悪感はないに等しい。
いまさら尋ねることもないと思ったサラは、そこでヴァンプ族の特性に関する講義に一区切りつけた。
「他に細かいことはありますが、留意するようなことはないと思いますので割愛させていただきます。何か質問などはございますでしょうか」
サラが尋ねたとき、ニーニアがそっと手を上げてきた。
「ニーニア様。どうぞ」
「は、はい」
別に堅苦しいものでもないのに、すっかり授業を受けている気分でいたのか、ニーニアは立ち上がる。
「あの…ダイン君は、いままで触手がどういったものか良く分かっていなかったようなんですが、これまでにダイン君が触手を出したことはないということなんでしょうか?」
ダインが生まれて十数年、吸魔衝動に駆られたことはないのか。
衝動は気を失ったときに起こっていたため、ニーニアはダインではなくサラに聞いたのだろう。
「ああ、そうでしたね。その辺りの説明はまだしていませんでした」
思い出したかのようにサラは言い、テーブルの端に置かれていた四角形に折られた紙を手に取る。
それはオブリビア大陸全土が印刷された地図のようで、テーブルの中央にそれを広げていった。
「結論から申し上げますと、ダイン坊ちゃまはこれまで吸魔衝動に陥ったことはございません」
「一度も…ですか?」
「はい。理由は、我々が住むこの土地にあります」
と、サラが地図の一角を指で指し示す。
「このあたりは周囲に何もない森の中で、あまり光の届かない場所で色々と不便なのですが、それでも我々はここに住み続けていました。容易に引越しが出来ない事情があるのです」
「事情、ですか?」尋ねるティエリアは、サラが指し示す箇所をじっと見ている。
「この地は他にはない特殊な土壌に恵まれています。お三方には微量過ぎて分からないかもしれませんが、この土壌には若干の魔力が込められているのです」
「魔力…あ、ここは」シンシアが何かに気付いたのか、指である場所を指し示す。
そこはオブリビア大陸の西側。ガトレア森林の側に広がる、広大な平野だ。その平野部の名は『聖地アガレスト』
「そうです。創造神エレンディアが降臨した地とされる場所です」
サラは頷き、その聖地をペンで囲む。
「この聖地に影響してか、ここガトレア森林区の土壌には何ものにも染まってない純粋な魔力が循環しているのです。この土壌のおかげで、我々ヴァンプ族はどれだけ魔力を使おうとも枯渇することはなかった。この土壌で育った作物のおかげで、吸魔衝動に駆られることもなかった。ダイン坊ちゃまも例に漏れず、です」
「あ、それでこのお家の周りには畑が…」合点いったのか、ニーニアは顔を上げた。
「吸魔衝動は親しい人物に迷惑をかけてしまう、少々厄介なものですからね。可能な限り衝動に駆られないようにする必要があった。ですからこの地を離れるわけにはいかなかったのです」
「皆さん、お優しい方々なのですね…」
どこか嬉しそうに言うティエリアだが、サラは「単に人前に出たがらない方が多いというのもありますが」と身も蓋もないことを言い出す。
「あれ? でもダイン君、セブンリンクスに入学する前はご両親と各国を旅してたって…」
シンシアが疑問を口にする。初耳の説明が続き驚きっぱなしだったダインも、そういえばとサラを見た。
「親から魔力の供給を受けた覚えはないんだが…」
「外食はあまりしませんでしたでしょう?」サラは言う。
「奥様の手料理が多かったはずです」
「…ああ、そういや確かにそうだったな。金がないんだと思ってたんだが」
「それもありますけどね。ですが魔力を枯渇させないために、あえて奥様が手料理を振舞っていたのです。私が定期的に届けていた、この地で採れた作物を使って」
「そういうことだったのか…」
納得するダインの隣では、ルシラが熱心に地図を睨んでいる。
地図自体初めて見るものだからか、かなり興味があるようだ。
「しかし今回ダイン坊ちゃまが通われた学校は、魔法が主体の学校です。授業で魔法を使う機会が多いわけですから、いくら食事で魔力を補充していても間に合うものではなかった。いずれ魔力が枯渇し、吸魔衝動に駆られ他所様にご迷惑をかけてしまうのではないかと、だんな様も奥様も憂慮しておられたのですが」
「そういうことは、入学前に説明して欲しかったものなんだけど」
不満を口にするダインに、サラは「説明したところで、簡単に防ぐことは難しいですから」と言ってきた。
「吸魔衝動というのは名の通り生理現象に近いので、いくら理性を強く持ったとしても耐え切れるものではありません」
「そりゃ身を持って体験したけどさ…」
テーブルの上に両腕を置いたまま、「はー」とシンシアが嘆息している。ヴァンプ族の生態というものを改めて説明され、その特殊さに驚いているようだ。
「ほんと、すごい特殊な種族なんだねぇ。種族辞典からヴァンプ族っていう存在自体は知っていたけど、そこまで特殊なんだとは知らなかったよ。聖地の側にこの村があるっていうのも知らなかったし」
確かにシンシアの言う通り、エレイン村に訪れる旅行客は少ない。
見るものがなくこれといった特産品もないからだが、エレイン村、ひいてはヴァンプ族が目立たない最も大きな要因があるとサラはいった。
「冒険者や旅行客がオブリビア大陸を訪れる主な目的は、ほとんどが巡礼ですからね。聖地アガレストはエレンディア創世記の始まりの場所とされていますから、ここが見向きもされないのは仕方のないことです」
「確かになぁ…」
ダインは腕を組み、天井を見上げる。
ジーグの頑張りにより、村はある程度潤ってはいる。
市街化も進んではいるものの、現状としてはっきりとした活性化にはまだ至ってない。
決め手にかけるのだ。農作物はどこでも買えるようなものしか育ててないし、名産品もこれといったものはない。
旅行客がわざわざ訪れて見るような絶景ポイントもないし、旅館のような宿泊施設もない。
そろそろ自分も何か村の役に立つようなことを見つけるべきではないか。
そう思っていると、地図を見ていたはずのルシラがダインをじっと見ていることに気がついた。
「ん?」
顔を向けたダインに、ルシラは「だいんはしょくしゅ出せないの?」と聞いてくる。
「え、触手か?」
「うん。さらみたいに、にゅーって」
興味が地図から触手に向いたのだろう。
ダインはそれまでの考え事を切って、「う〜ん」と頬をかく。
「出し方が分からないからなぁ」
任意に出せることはサラが証明してくれたが、未だ慣れてないため出し方が分からない。
「簡単ですよ」
ダインに向け、サラが言った。
「初めはコツが分からず難儀しますが、一度出し方が分かればいつでも出し入れが可能になるはずです」
どうなんだろう、というシンシア達の視線を感じる。
「自分にもう一本腕が生えるようにイメージすると良いですよ」
サラのレクチャーどおりに、ダインは腕が生えることをイメージした。
すると、肩の辺りから軽い衝撃が走る。誰かに叩かれたかと思ったが、誰も近くにはいない。
見ると、自分の肩から透明な管のようなものが現れていた。
「うお、出た」
本当に出ると思ってなかったダインは驚く。
「おー! にゅるっと出たよ!」
ルシラはきゃっきゃと喜んでいる。
「手から出るようにイメージしたんだが…」
「最初は勝手が分からないため出現場所も予測できませんが、ダイン坊ちゃまならすぐに慣れますよ」
触手による吸魔衝動の経験済みだから、簡単に出せたのだろうとサラがいう。
「まぁ、自由に使えるとは言ってもあんまこれに頼りたくはないんだがな」
ダインが話してる間に、ルシラが触手に触ってくる。
ルシラから吸魔してないのに触ることもできる彼女に驚いたが、触れられる感覚がなんともいえないものだったので、やけに全身がぞくぞくしてしまう。
そんな彼を遠巻きに見ていたシンシアとニーニアは、何故か顔を赤くし黙りこんでいた。
ティエリアはそんな二人に疑問符を浮かべながら見ている。
彼女たちの一連の様子を見て何か気付いたのか、サラは「ああ」と声を出した。
「そういえば、一度でも咬まれれば捕食対象者にならずとも視認できるようになるんでした」
そういって、サラはシンシアとニーニアに尋ねる。「ダイン坊ちゃまの触手は確認できているのでしょうか?」
「は、はい」答えたのはシンシアだ。「形が、あの時と全く同じで…」
シンシアと同じくニーニアも体をもじもじさせている。テーブルの上で組まれた両手は忙しなく動いており、どう見ても恥ずかしそうだ。触手に絡まれたときのことを思い出しているのだろうか。
「ふむ…お二方の様子を見る限り…深度は五、の辺りでしょうか」
妙な数字が出てきたことに、ダインは「深度?」と疑問を向ける。
「これはダイン坊ちゃまにも留意していただきたいことなのですが」
そう前置きし、サラは触手による吸魔についての説明を始めた。
「触手による吸魔の際、触手が咬んだ箇所から多少の“甘毒”なるものが対象者に流れ込むのです。それは対象者の体を流れる魔法力に作用し、力を抜けさせ心地よい状態にさせるもの。対象者から魔法力を吸いやすくするために備わった機能ではないかと言われております」
「甘毒…」
「毒という名の通り、ある種麻薬に似た作用がありますので中毒に陥りやすく、深度の度合いによっては治療を要する場合がございます」
それはダインにとっては驚愕すべき事実だった。
「それ、結構重要なことなんじゃ…」
最優先事項として知っておくべきことなのではと抗議しようと思ったが、先読みしたサラが「奥手なダイン坊ちゃまには縁遠い話だと思いましたので」などと言ってくる。
「過ぎた話だからまぁいいけど…いや良くはねぇけどさ。深度が五ってのはどうなんだ?」
ダインは不満を残しつつも、シンシア達の症状は重いのか軽いのか尋ねた。
サラは再びシンシア達の様子を窺う。
「中程度でしょうかね。深度が大きいと触手を見ただけで全身の力が抜けたりしますが、そこまでは至ってないようですので」
とサラが話してくれているが、シンシアもニーニアも顔の赤みは抜けてない。その視線は未だにダインが出した触手に向けられているようで、どこか惚けているようにも見える。
「しかし一度咬まれただけなのに、ここまでの症状に陥らせるとは…」
シンシア達を興味深げに見ていたサラは、その視線をダインに移した。
「やはりダイン坊ちゃまはヴァンプ族の血がかなり濃いようです。さすがカールセン家のご長男です」
「いや、褒められるようなことじゃないと思うが…」
ダインはシンシアとニーニアに顔を向け、「そんな状態になってるとは思わなかった。悪い」と詫びた。
「う、ううん、大丈夫だよ」
シンシアは笑って首を振る。
「だ、ダイン君はそれで助かったんだから、私は嬉しいよ」
ニーニアも優しい言葉をかけてくれる。
相変わらずな二人に礼を言ってから、ダインは再びサラに顔を向けた。
「で、治療法は? 確か薬があるって言ってたよな?」
以前の話を思い出し問いかけるものの、サラは「薬?」と小首を傾げる。
「いや、前に話してたじゃん。症状を和らげる薬があるって」
「ないですよそんなもの」
「おい」
ダインは思わず突っ込んでしまう。
「そもそもシンシア達を招待したのは、中毒症状を取り去るためだったじゃねぇか」
何となく怪しい気がしていたが、やはり嘘をつかれていたのか。
さらに言及しようとしたとき、サラが「まぁ、正直に言いますとあるにはあるのですが」といってくる。
「ですが最近調合に成功した試薬ですので、副作用の方がまだ良く分かってないのです。若い時分から薬に頼るのもどうかと思いますし、自然治癒で収まっていくものですしそうするのがよろしいかと」
確かに、薬に頼りすぎるのは良くない。試薬だったらなおさらだ。
「自然治癒だとどれぐらいで完治するんだ?」
「深度とその方の抵抗力によりますね。とは言いましても一番重い症状でも、大体一ヶ月あれば元に戻りますので、中程度でしたら数週間で完治するかと」
「今すぐに治したいというのであれば、試薬を用意いたしますが」サラはそう続けてシンシアとニーニアに顔を向ける。
「自然治癒でいい、かなぁ」
シンシアは言い、ニーニアも「わ、私も」と便乗する。
二人ともそれほど深く考えて返事をしなかった。どうも副作用が怖いから薬に頼りたくないと言っているようには見えない。
「ぷにぷに〜」
ちなみにルシラは未だにダインの触手で遊んでいる。
「あ、あ〜ルシラ、そろそろいいか?」
彼女に触れられるたびに全身にぞくぞくとした感覚が走り、じっとできない。
「もうちょっと!」
「いや、ちょっと話に集中できなくてさ…今度ちゃんと遊ぶからさ、な?」
「ん〜、しょうがないなぁ」
ルシラの了解を得られたので、ダインはすぐに触手を引っ込めた。
と同時に、シンシア達の顔の赤みも若干薄まっていく。
「お二方には見えるのですね…ダインさんの触手…」
そう呟くティエリアは、見るからに落ち込んでいるようだった。
どこか羨ましそうなその様子に、サラは「ふむ」と一人頷く。
「なるほど。ティエリア様は“まだ”というわけですか」
何事か察したサラは言い、ティエリアは「はい」と肩を落としたまま頷く。
「ど、どうにかならないでしょうか」
望みをかけるようにサラを見るが、サラは顎に手を添えたまましばらく考え込んでいる。
「はっきり申し上げて、それは些か難しいかもしれません」
まさか難しいといわれるとは思わなかったのか、ティエリアは一瞬「え」と声を出し固まる。
「な、何故ですか?」尋ねる顔にはショックの色が浮かんでいた。
「単純な問題です。大雑把に分けますと、我々ヴァンプ族は魔族に分類されますから。魔力と聖力は本来相反するものですし、通常であれば魔族である我々ヴァンプ族が聖力を取り込むことはできません」
サラが話しているのは、この世の摂理に等しいことだった。聖族と魔族は相反するもの。大昔に巻き起こった種族戦争のきっかけも、その二つの種族のぶつかり合いによるものだ。
「特にゴッド族ともなるとその聖力は甚大なものですし、ティエリア様は普段そう意識してらっしゃらないようですが、全身を包むバリアは相当に強力なものですよ。触手が入り込める余地はないほどの」
ティエリアに限らず、ゴッド族は普段から全身がバリアに包まれている。
体に収まりきれない聖力があふれ出しているためなのだが、魔族にとっては眩しく、種族によっては近づくことすらできない者もいるらしい。
「過去の事例から見ても、ヴァンプ族がゴッド族から触手による吸魔ができたという記録は残ってませんし、容易ではないどころか不可能かもしれません」
「そ、そんな…」
ティエリアは見て分かるほどに落胆していた。
「申し訳ございません。できることなら私も協力したいのですが…」
そう言うサラは本当に申し訳なさそうにしている。
シンシアもニーニアも落ち込むティエリアにかける言葉が見つからないようだ。
すっかり沈んでしまった空気の中、「いや、あの…」ダインは遠慮がちに声を出す。
「吸魔ってのは緊急用で、やむを得ない場合にすることだからな? あんなこと、無い方が良いに決まってるんだからな?」
そもそも論を述べるダインだが、その場にいる誰もが聞いてない。
「るしらもなにかできればいいんだけどなー」
ルシラまでそんなことを言う始末だ。
なおも落ち込んでいるティエリアに近づき、よしよしと頭を撫でている。
「しかし皮膚接触による吸魔は奇跡的に可能なのですから、いまはそれで絶え凌いでいただけますか? 触手の方法はこちらでも模索しておきますので」
「は、はい…お手数おかけします…」
「いや、だから…話聞いてる?」
「おーい」と呼びかけても誰も反応してくれない。
それどころか、「ダイン坊ちゃま」とサラがやけに改まって顔を向けてきた。
「おん?」
「そろそろ、この書斎を男子禁制にしたいと思います」
一瞬サラの台詞の意味が分からなかったが、すぐに彼女が言わんとしてることを理解し「ああ」と立ち上がった。
「じゃあ俺はいつものとこで水やりでもしてくるよ」
不思議そうにするシンシア達に笑いかけてから、「ルシラ」と声を出す。
「中庭で遊ぼうぜ」、そう言っても彼女は椅子から降りない。
「るしらもまだここにいていい?」そんなことを言い出した。
「いや、話ばっかでつまんないだろ?」
ダインが言うが、ルシラは首をぶんぶん振って「おもしろいよ!」と返してくる。
「まさか…理解できているのか?」
確かに大人しく話を聞いていたようだったが…。
「ルシラは天才ですからね」
サラは満足そうに頷いてから、ルシラに「良いでしょう」といった。
「ルシラも女の子ですしね」
「やったー!」
「いや、でも…良いのか?」
色々な意味を込めてサラを見るものの、彼女は「問題ありません」という。
サラが言うのだから間違いないのだろう。しかし不安もあったダインは、「あんま変なことは吹き込むなよ」とだけ伝え、書斎を出て行った。
ダインを見送ってから、さて、とサラはシンシア達を見回す。
「これよりご説明いたします内容は、ダイン坊ちゃまには些か居心地が悪くなるだろう内容だと思いましたので、席を外してもらいました」
「そうなん…ですか?」
なおも不思議そうに尋ねてくるシンシアに、サラはこくりと頷く。
「吸魔による副作用についてのご説明です」
広げた地図を折りたたみながら続けた。
「皆様方は一通りダイン坊ちゃまによる吸魔の経験をしたと思うのですが、どのように感じましたでしょうか?」
感想を尋ねたが、誰からも返事はない。
「か…感じた…」
皆一様に俯いており、顔を赤くさせている。
「どうしたのー?」
ルシラだけはシンシア達の様子に不思議そうにしていた。
恥ずかしそうな彼女たちの反応で答えが分かっていたサラは、シンシア達に代わってルシラに説明する。
「大変心地の良い感じ、とでも言いましょうか。ルシラも、ダイン坊ちゃまに触れられているときは心地よく感じるでしょう?」
「うん!」ルシラは笑顔になって大きく頷いた。「だいんのだっこ、すき! きもちー!」
「そう。その気持ちいいが、もっともっと強くなる感じ、と言った方がいいかしら。まだ子供には分かりにくい感覚かもしれませんね」
「へー?」
いまいちよく分かってなさそうなルシラにサラが笑いかけていると、おずおずとした様子でシンシアが手を上げる。
「あ、あの、ダイン君にだけ、私たちは特別にそう感じているということでしょうか」
他のヴァンプ族でもそうなるのだろうか。
尋ねるシンシアに、サラは「そうですね」と答えた。
「少し前にもご説明いたしましたが、基本的に同族と同性相手には心地よさはあまり感じません。骨抜きになる感覚も起こらず、異種族、異性相手にその特殊能力が発揮される仕組みになっております。他のヴァンプ族相手にもシンシア様方は同様の反応を出してしまうかもしれませんが、ダイン坊ちゃまほど強烈なものはないと思いますよ」
「そ、そうなんですか?」
ニーニアがはっと顔を上げる。
「はい。元よりヴァンプ族の血の濃いカールセン家の中で、ダイン坊ちゃまはとりわけそのヴァンプ族としての特色が強く現れているようなのです」
「なるほど」、納得した様子を見せるシンシア達に、サラは「いまは女だけなので率直に尋ねますが」と極めて真面目な顔でいう。
「ダイン坊ちゃまの触手に襲われたとき、気を失いそうなほどの性感に翻弄されてしまったのではないですか?」
「せ…!?」
全員が目を見開き、固まる。
次いで見る見るうちに顔を真っ赤にしていき、また俯いてしまった。
またもやその反応だけで答えを得られたサラは「そうでしょう」とうんうんと頷いている。
「一般のヴァンプ族であれば、性感は少なからずあるものの気を失うほどまではいきません。吸われる感覚もそれほど強くないはずで、吸収量も少量程度なのです」
会話が続き喉が何度も渇いたのか、彼女たちの紅茶を飲むペースが速い。
ルシラと一緒に注ぎ足しつつ、サラは続けた。
「私でも気付くほどに、ダイン坊ちゃまは毎回お三方から大量の魔法力を吸収して帰ってきていました。相当量の快感に晒されたとお見受けいたします。触手による吸魔の際にも、きっと大変だったことでしょう」
同情を寄せるサラに、シンシアとニーニアはさらに恥ずかしそうにし、注いでくれたばかりの紅茶を飲み始める。
「そして、ここからが問題なのですが」ルシラを元の場所に座らせ、サラは彼女たちの正面に回った。
「ダイン坊ちゃまも危惧しておられましたが、周囲に人がいるときや、モンスターと戦闘中など、触手に襲われたら危険な場面はいくつもございます。自制が効くのでしたら如何様にも対応できるのですが、突発的に起こる症状なので如何ともしがたい。ダイン坊ちゃまに求められるのは嬉しいですが、いまは困るという場面はございますよね?」
サラの問いかけに、シンシア達は言葉を発しない。顔も赤いままだが、しかし頷く仕草ははっきりとしている。
彼女たちの意思を再確認してから、サラはいった。「そのような局面にならないためのアイテムをご用意いたしました」
と、彼女が背後の執務用デスクから取り寄せたのは白い箱だった。
その蓋を開けると、中には円形状の紙が束ねられているのが見える。
それは中心に魔法陣が描かれた、手のひらサイズのシールだった。
「転移魔法が記されたシールです」
そう説明しつつ、サラはシンシア達にそのシールを束ごと配っていく。
「触手に襲われそうだと思ったら、どのような状況であれ、体のどこに張っても良いのでお使いください。即座に発動できるはずです」
転移魔法による離脱。ヴァンプ族がかねてから悩みの種だった吸魔衝動の、せめてもの対策だった。
「抜本的な対策にはなりませんが、これである程度安全は保障できるはずです」
「た、確かに、これなら…」
シンシアはその手があったかと目を丸くさせる。
魔法で離脱は彼女たちも考えていたことではあったが、吸魔の際に生じる快感によって集中力が阻害されるため難しい。
その上魔法を使えなくなるほど力を奪われるため、転移して逃げる方法は諦めるしかなかったのだ。
「道具なら、ぐったりしてても転移できるね」
と、ニーニア。「ですが」とティエリアは顔を上げた。
「確か触手は、空間を越えて伸びてくる…のですよね?」
「そうです」サラは頷く。
「つまり危険な環境から離脱できるだけで、襲われている状況は変わりません。転移先でも触手は伸びてくるのです」
「な、なるほど…」
シンシアはまた顔を赤くさせていく。どうあってもダインの触手からは逃げられない。どこにいても快楽に包まれ吸い尽くされてしまうという事実に、軽く身震いまでさせていた。
「お渡ししたシールは任意に転移先を指定できる特別製なので、裏面に絶対に安全だと思われる場所の名前を、明確に状況を思い出しながら書いてください。それでそのシールは効力を発揮します」
「す、すごい…そんなのあるんだ…」
ニーニアは興味深そうにシールを眺めている。
様々な魔法アイテムに詳しい彼女でも、転移先を指定できるシールというのは珍しかったのだろう。
「知り合いの賢者に頼んで作成していただいているものです。お付き合いはかれこれ数百年ほどになりますか」
「そ、そんなに昔から…」
「吸魔衝動は、我々ヴァンプ族の長年の悩みでしたからね」
そう話すサラの横顔には、その吸魔衝動によって様々なトラブルの発端となってしまったという憂いが宿っていた。
吸魔されても気にしないというシンシア達は、やはり特別なのだ。どれだけ優しい人でも、触手だけは駄目だという人もいる。力を吸われるのなんて気持ち悪いと思う人もいる。むしろそう感じてる人の方が大半だ。
「とにかく、これで当面の安全は保障できます。もしシールが切れそうならご連絡ください。すぐにご用意いたしますので」
「あ、す、すみません、特別製だというこのシール、お高いでしょうに…」
恐縮するティエリアだが、サラは「ご迷惑をおかけしているのはこちらですから」と小さく笑う。
「さて、ご迷惑ついでにもう一つ注意事項…と言いますかお伝えした方が良いことがございます」
そう続け、真顔に戻っていった。
「先ほど吸魔による副作用の話をしましたが、その副作用は何も相手にだけ起こっているものではございません」
どういうことか分からないシンシアは「というと?」と続きを促す。
「捕食者にとってもまた気持ちよさがあるのです。先ほど説明した通りヴァンプ族が出す触手は自分の分身です。相手の感触や体温が、まるで自分の手で触れているかの如くこちらにまで伝わってくるのです。魔法力が流れ込んでくる気持ちよさ。さらに相手が感じている快感と、感触。全てが」
心で繋がり、感じていること全てを共有してしまう。
サラの説明で、シンシアは「え、じゃあ…ダイン君は…」とこれまでの彼の様子を思い出しながらいってきた。
「平気、ではなかったかも知れません」
「ひょっとすれば相当な興奮状態にあったのかも」との台詞に、ニーニアが「で、でも、平気そうに見えましたけど…」という。
「外に出ないよう、押さえ込んでいたと思います。ダイン坊ちゃまは幼少期から理性だけは強く保つよう訓練を受けておられましたから。それは全てのヴァンプ族に言えることでもあるのですが」
吸魔衝動も快感も、全ては理性を保てればやり過ごすことができる。
他人に迷惑をかけないため、避けられないためにと、彼らは昔から理性を保つ訓練だけは熱心に取り組んでいた。
しかし何事にも限界はある。相手のことが好きであればあるほど、未経験なほど、理性など簡単に崩れてしまうのだ。
「留意していただきたいのですが」サラはやや声のトーンを落とし、静かにいった。
「ダイン坊ちゃまはヴァンプ族の特性が強く出ています。それはつまり一般のヴァンプ族よりも強い吸魔衝動に駆られがちで、その快感も他の方より何倍も強いことでしょう。いくら幼少期に特訓していたとしても、ダイン坊ちゃまもお年頃の男子。吸魔衝動だけではない別の衝動に駆られても不思議ではありません」
「別の衝動…ですか?」不思議そうにするシンシア達に、サラは「ダイン坊ちゃまも男の子だということです」と答える。
それだけでサラの言いたかったことが伝わったのか、シンシア達はまた顔を赤らめ俯いてしまった。
それまで静かに聞いていたルシラだけは分かってなかったようで、「どうしたの?」とシンシア達を覗き込む。
「ルシラにはまだ少し早い話かもしれませんね。いずれ分かるかもしれませんが」
「そうなの?」
「ええ」
「ふーん?」といったきりそれ以上追求してこようとしない。気にはなるが乙女達の勉強会の邪魔はしたくなかったのだろう。
相変わらず聞き分けの良いルシラに、サラは小さく笑いながら頭を撫でる。そのままシンシア達に顔を戻した。
「まぁ滅多なことではそうならないとは思いますが、仮に本来の意味で襲われそうになられましたら、突き飛ばすなり転移魔法を使って逃げ出すなりすればよろしいかと」
純潔の危険を感じたら遠慮なく蹴飛ばしてくれていい。そんなサラの台詞に、シンシアは「あはは」と顔を真っ赤にさせたまま笑う。
「だ、ダイン君って、普段から飄々としてるからそんなところ想像もつきませんけど」
「ダイン坊ちゃまが我慢しているのは本当ですよ。男であれば当然の反応ですし、お三方は女の私から見ても可愛らしいのですからなおさらです。ですから、その際には本当に蹴飛ばすなり何なりしてやってください。無理に抵抗しようとしても、ヴァンプ族に魔法は効きませんから追い込まれるだけです」
「良いですか?」念を押すようにサラはいった。「ダイン坊ちゃまから妙な気配を感じたら即座にワープ! です」
「ワープ…は、はい…」
頷くニーニアは今にも消え入りそうな声だ。
俯いた彼女は赤面過ぎるほど赤面しており、きっとダインに襲われている状況を思い浮かべているに違いない。
しかし妄想しているその表情には、嫌がっていたり不安がっている様子は見られない。
つまりはそういうことなんだろう。と、ニーニアのリアクションを見ていたサラは思った。
「まぁティエリア様は何もしなくても大丈夫だとは思いますが。その強固なバリアがある限り、ダイン坊ちゃまに襲われるということはないでしょう」
自分だけは襲われることはない。ダインにとって魅力的ではないと捉えてしまったのか、ティエリアは恥ずかしそうにしたまま小声で反論した。
「で、ですが、ダインさんとは、皮膚接触による吸魔は可能なので…襲われることも…」
触手の被害者になる可能性はあるはずだ。
まだ諦めない彼女に、サラは「芯までは吸われてないと思います」といった。
「芯…ですか?」
「はい。魔法力を宿す全ての存在が持っている、魔法力の結集体とも言うべきものです。コアとも言いますが、ヴァンプ族は相手のコアに触れることができます。そのコアから直接魔法力を吸い上げることが可能で、その際の快感たるや、それはそれは凄まじいもので…」
そう話すサラは、無表情が多い彼女にしては珍しくやや惚けている。
シンシア達の視線を感じ、「ああいや、お年頃の方々に話すことではございませんね」とすぐに表情を元に戻した。
「とにかく、皮膚接触の際でもコアに触れることは可能で、シンシア様やニーニア様もダイン坊ちゃまにはコアに触れられていたと思うのです。お二方はティエリア様とは違って深度が深そうですし」
思い当たる節があったのか、シンシアが「あ、あれがそうだったんだ」と呟いている。
「す、すごかったよね」と、ニーニアも触手で襲われたときのことを思い出したのだろう。また身震いし始めている。
コアから直接魔法力を吸われる。それは体の一番深い場所から力を抜かれるようなもので、意識ごと持っていかれそうな強い快感があったのだ。
「ですが、やはり種族的な相性の問題でゴッド族のコアには何人たりとも触れることはできません。ダイン坊ちゃまが吸えたというのは、恐らく表面的な聖力だったと思います」
確かに、全ての聖力が吸われていたのだとしたら、ティエリアを包むバリアも消えてしまっていたはずだ。
「そ…そんな…」
またティエリアはショックを受けたように顔を落とす。
空気を読んだルシラが再び彼女の頭を撫でだした。
コアから吸魔される話を聞かされても、シンシアは恥ずかしがるか照れるばかりで少しも嫌そうな表情をしていない。
ティエリアはいくらサラから不可能だと告げられても、いまもなおダインに襲われたがっている。
ニーニア様だけじゃなくて、シンシア様もティエリア様もそうなのね━━
リアクションから彼女たちの心を見抜いたサラは、再び小さく笑ってしまった。
「やはりダイン坊ちゃまはなかなかの…」
思わず呟いてしまったとき、シンシアが「でも不思議だな」と感想を述べ始める。
「そもそも、どうしてヴァンプ族は魔力が少ないのかな。進化の過程で他の人から魔法力を奪う能力を得るよりも、魔力を持つように進化すればこんなに悩むこともなかったはずなのに」
独り言に近い台詞だったが、その疑問はニーニアもティエリアも感じていたことだった。
「どうしてと問われれば、そのようになったとしか言えませんが」
サラは考え込むような素振りをしたまま、手元にあった新聞記事に目を通す。
「ヴァンプ族の歴史は混乱期より以前からありますが、ルーツを知る人はいませんね」
「しかし」シンシアが持ってきてくれていた種族辞典にも目を通し始め、「何事にも理由というのはございます」とそのまま持論を展開し始める。
「起こるべくして起こる、なるべくしてなる。事象には必ず起因があるのです。それは種族誕生にも言えることで、ものづくりが好きなドワ族は、細かな作業の効率化を追い求める余り現在の小さな姿に進化し、ゴッド族とエンジェ族は元々は天界の住人であったため翼がある。何事もそつなくこなすヒューマ族は猿人時代よりも自由に動けるよう現在の姿形に進化し、古来より森の中に住み狩りを趣味としていた音楽好きのエル族は、音が良く聞こえるよう耳が大きく長くなった」
一般的に知れ渡っている、人類の進化論だった。
ルシラ含め熱心にサラの話に耳を傾けているシンシア達に、「そして我々ヴァンプ族は…」と続けようとしたサラは、ふと台詞を途中で切り、彼女達を見回す。
「ここから先は私個人の仮説です。なので話半分に聞いていただきたい」
ヴァンプ族のルーツは謎で、これから話す内容も妄想のようなものだ。
そう前置きし、サラはかねてから心に抱いていたヴァンプ族誕生の仮説を話し始めた。
「我々ヴァンプ族には、なぜ魔力が無いに等しいのか。それは、一種の呪いのようなものではないかと思っているのです」
彼女たちには意外な仮説だったのだろう。「呪い…ですか?」と尋ねるティエリアは、かなり驚愕した様子だ。
「はい。ヒューマ族に似た容姿、任意に出せる触手。単純に考えて、祖先は二つあったのではないかと推察しています」
「二つ…」
「一つはヒューマ族、もう一つは魔物。それも下等種である触手モンスターではないかと」
それもまた予想だにしない内容だったのだろう。シンシアは目を丸くさせている。
「ど、どういうことですか? モンスターとの混血、ということですか?」
これまでに聞いたことのない話だ。そもそもモンスターとヒューマ族は遺伝子に決定的な違いがあり、どのような方法を用いても交わることはない。
「禁呪を使っても不可能なはずなのに…」
「ええ。それが世の摂理です。しかしそれはあくまでこの世の摂理であって、ゴッド族より上の…一級神とされる天上神に限ってはその範疇にありません」
意味深な一言だった。シンシアもニーニアもティエリアも、ルシラまでテーブルに身を乗り出し、サラの話に聞き入る。
「混血ではなく、融合させられたのではないか、と思っております」
「そ、その一級神の方に、ですか?」
何故…と驚愕しっぱなしのティエリアに向け、サラは「それが呪いではないかと」と答えた。
「太古の昔、ヒューマ族の方が何かしらの大罪を犯したがために、天罰として魔力を持たない下等モンスターと融合させられた。ヒューマ族でもモンスターでもない種族のまま、他者から魔法力を奪うという独自の進化を遂げ、我々ヴァンプ族という種が誕生した…のではないかと。そう考えれば、姿形はヒューマ族なのに、魔力を持たず触手を出せるという奇妙な特殊能力にも説明がつくと思うのです」
シンシア達からは誰も声が出ない。いや、あまりにぶっ飛んだ内容だったので言葉が見つからなかった。
この世の常識から考えて、ありえない話だ。過去の歴史を勉強していたティエリアでさえ、そんな話は誰からも聞いたことはないし、文献で見たこともない。
しかし、ヴァンプ族は様々な意味で特殊だ。魔法力を吸えて触手を出せる種族など他にはいないし、その時点で常識からかけ離れている。
ひょっとすれば、サラの言うことが一番正解に近いのではないか。
そう思い始めた彼女たちは、「融合させられるほどの大罪を犯したって…」と、その内容を考え出す。
「ああいえ、最初に述べました通り、これは私個人の完全なる仮説です」
あまり深く考えて欲しくないと、サラは首を振っていった。
「別の理由でヴァンプ族という種族が誕生した可能性も十分に考えられますし、それらしい書物も記録も残ってないので確認しようもないことなのです」
仕事が暇なとき、そんな妄想をしていただけだ、とサラが説明するが、シンシア達はすっかり信じ込んでいる。
天上神に一番近いゴッド族のティエリアが、その威信にかけて本気で考え込もうとしていた。
「まぁまぁ、いまはそのくらいにしておきましょう。今回はヴァンプ族のルーツを調べに来ていただいたわけでもないですし」
サラはいい、本棚から分厚い一冊の本を取り出してくる。
「で、でも面白かったです。すごく興味深かったし」
そう話すニーニアに、「勉強は終わりにしまして」とサラが差し出した本はアルバムだった。
「お三方にはこちらの方がご興味がおありでは?」
「え、あ、アルバム! まさかこれ、ダイン君の!?」
サラの狙い通り、彼女たちの興味は一気にそのアルバムに向けられた。
「幼少期のダイン坊ちゃまを、魔法映写機で撮り溜めておいたものです」
「ま、魔法は効かないのに、写ることはできるんですか…?」
「ええ。視覚効果のあるものには、我々にも影響ございますよ。現にテレビも見れてるわけですし」
「な、なるほど…」
納得した様子を見せつつ、両脇から身を寄せ合うほど近寄ってきたシンシアとティエリアに見えやすいよう、ニーニアがゆっくりとアルバムを開く。
写真にはダインの小さな姿が映されていた。
ボールを持って走り回っていたり、木の棒を振り回していたり、子供そのままな仕草と笑顔が彼女たちの目に飛び込んでくる。
「かわい〜!」
三人は思わず口をそろえてそう叫んでいた。それほどに、幼少期のダインは可愛らしかったのだ。
どのページにもダインが中心となっており、見ているだけでシンシア達の顔も同じように綻んでしまう。
「本人も自覚しております通り、悪人面の面影はありますが」
サラの小言にも、シンシアは笑って「それでもすごい可愛いです」といってきた。
「ほ、ほんとに可愛いな…お世話したいな…」
ニーニアは早くも世話欲がだだ漏れている。
「こ、このような弟さんがいたら…」
ティエリアは身内にいたら、という妄想をしだしているようだ。
「あはは。かわいーよね!」
そう笑うルシラは、これまでにも何度もそのアルバムは眺めていた。
もはや愛読書といってもいいものだったが、同じ感想をシンシア達が言ってくれたので嬉しいのだろう。ルシラが可愛いと思う色々な写真を紹介している。
「あれ、もしかしてここに写っているのはサラさんですか?」
写真は基本的にダインが中心で、たまに父のジーグや母のシエスタが写っている。
その中で一枚だけ女の子の姿があったのを見つけ、シンシアはサラに尋ねた。
「基本的に私はそういう記憶媒体には写らないようにしていたのですが、だんな様と奥様に強く誘われましてね」
幼少期もサラは感情に乏しい。写真からも彼女の無表情さが伝わってくるようだが、無表情ながらどこか嬉しそうなものにシンシア達には映った。
「サラさんも可愛いなぁ…」
どの写真を見ても、ページを捲る度に、シンシア達の可愛い連呼は止まらない。
ルシラは始終嬉しそうにしており、そんな彼女達を見つめるサラも非常に満足げな様子だった。
長い間カールセン家の屋敷に住み込みで働いていたサラにとって、若い彼女達が集まっている光景はある種刺激的なものだった。
ジーグやシエスタの知人か友人で、この屋敷に訪れる女性はいるにはいる。しかしお年を召した貴婦人が多く、今日のように若い女性が集まったことはこれまでにない。
天井の窓ガラスから陽光が差し込み、笑い合うシンシア達を眩しく照らしている。
いかにも女の子らしい服装と相まってか、まるで満開の花畑を思わせるような光景だった。
「あなた方こそ可愛いですよ…」
そう呟いたサラは、アルバムに夢中だった彼女たちの正面に回り、懐に忍ばせていた小型の魔法映写機を取り出す。
みんな笑顔になった瞬間を狙い、写真に収めた。
「…宝物ができました」
再び呟くサラは充足感に満たされている。思わず頬が緩みそうになったが、しっかりもののメイドというイメージを崩したくなかった彼女は顔を引き締めた。
「プライパシーの問題もありますので持ち出すことは出来ませんが、この屋敷に来て頂ければいつ閲覧していただいても良いので」
といったところで、シンシア達は驚いたように顔を上げた。
「ま、また来ても良いんですか?」
シンシアの問いかけに、「もちろん」とサラは答える。
「ダイン坊ちゃまのご友人ですし、いつでも歓迎いたします」
「かんげーするよ!」
ルシラも笑顔でいい、シンシア達はまた顔面に笑顔を広げていく。
「ありがとうございます!」あまりに嬉しかったのか、そのまま近くにいたルシラを一斉に抱きしめ始めた。
「わぷぅっ!?」
再度のシャッターチャンスをサラが見逃すはずもなく、すかさず写真に収める。
「それにしても…写真の中のダイン君、スープを飲んでるところが多いね」
アルバムも終盤に差し掛かった頃、食事シーンの多さに気付いたニーニアがいった。
「あ、ほんとだね」
シンシアも気付いたところでサラが答える。
「ダイン坊ちゃまはスープが好きなんですよ。煮込み系のお料理が好物なのです」
「へー」といいながら、シンシア達の興味はダインが何を食べているかに向けられた。
魚介類や肉類もそこそこあるが、野菜類の多さが目立つ。吸魔衝動を抑えるために、エレイン村で育てた野菜を食べさせていたというのは本当だったのだろう。
「煮込み料理は素材を丸ごと食べるようなものですからね。効率よく栄養と魔力を摂取できるということで、積極的に作ってきた記憶があります。もちろんそれ以外にも色々作ってきましたが、基本的にダイン坊ちゃまに好き嫌いはありませんので助かっています」
「あ、あの、ダインさ…いえ、ヴァンプ族の方々には、食べてはいけないものとかはあるのでしょうか」
単純に気になったのか、ティエリアが尋ねる。
「特にないですよ。ヒューマ族と味の好みは似ていると思いますし」
「ですが、分類上は魔族…なのですよね?」
「ええ、そうですよ」
「でしたら、薬草や聖草などを使ったお料理は苦手なのでは…」
魔族の代表格であるデビ族は、聖力の宿ったものは食べられない。それどころか肉食が多く、野菜類は嫌いな傾向にある。
ヴァンプ族もそうなのではないかとティエリアは尋ねたようだが、サラは答える前に「そういえば」と別の事を口にした。
「お三方はよくダイン坊ちゃまのお弁当を作っていただいているとか」
「は、はい。そうなのです。ダインさんからはいつも美味しいと言っていただいてはいるのですが、もしかしたら食べてはいけないものも、無理して食べているのではと思っていたので…」
ティエリアがかねてから気にしていたことだった。魔族と聖族ではやはり食べてるものも違ってくるはず。
シンシアとニーニアも気にはなっていたのだろう。アルバムから顔を上げてサラを見る。
「特に問題はないと思いますよ。ここエレイン村でも薬草や聖草は育てておりますし、それらをメインにした郷土料理もございます」
「そ、そうでしたか…良かった…」
ほっと息を吐くティエリアに笑顔を向けてから、シンシアは「ダイン君の味の好みは熟知してるんですね」とサラにいった。
「ええ、それはもちろん」サラは胸に手を当て、やや自慢げにいう。
「何しろダイン坊ちゃまがオムツを穿いてらした頃からお世話しておりましたから。ダイン坊ちゃまのことに関して分からないことはないと自負しております」
その台詞に一番反応を示したのはニーニアだ。
「昔からお世話…!」
音を立てながら椅子から立ち上がり、勉強会に使っていたメモとペンを手にサラのいるところへ回りこむ。
「あの、ダイン君が一番好きな食べ物は何なのか、教えてくれませんか?」
「あ、じゃあ私も!」と同じようにメモを手にサラに近づいたのはシンシアだ。
「ダイン君の好きな柄とかって分かりますか?」
「あの、私は…!」ティエリアは興奮のあまりか、そのまま飛んでサラの元へ向かった。
「ダインさんのご趣味とか、ご興味がありそうなことなど…」
「るしらも! るしらもしりたい!」ルシラに至ってはテーブルに潜り込み、下からサラの正面に立った。
ダインのこととなるとこの飛びつきようだ。よほど彼のことを気にかけているのだろう。
顔だけじゃなく性格まであまりに可愛らしくて、このときばかりは流石のサラも表情を崩さずにはいられなかった。
でへっと、ダインには決して見せられない表情のまま「順番にご説明いたしますね」と、シンシア達の肩に手を回す。
若々しい女の子の匂いに包まれ、笑いあう彼女たちに囲まれながら話すサラは始終頬が緩みっぱなしで、まさに至福のひと時としか言いようがなかった。




