百九十九節、新たなママ友
━━カールセン邸の離れの小屋で、男たちが真剣に会合を続けている、同時刻。
「…意外だわ」
リビングの一角で固まっていたママ友たちの輪の中に入りながら、シエスタは驚いたようにいった。
「意外よね〜」
小さなチョコ菓子を口にしていたシディアンは、そういって笑みをこぼす。
「驚きました…」
マリアがいい、「お、怒っているのでは…?」と、マミナはハラハラした様子だ。
夕食作りまでの束の間の休息を堪能していた彼女たちは、ヒソヒソ話を続けながらチラリと後ろ側を見た。
窓から日光が降り注ぐ日当たりのいいその空間には、清楚そのものを思わせるような白いドレス姿の、ある一人のエンジェ族の女性がいた。
絨毯の上に正座を崩して座っていた彼女は、同じく日向ぼっこしていたシャーちゃんたちにじゃれられている。
見た目からして可愛らしいシャーちゃんたちに構われては、誰であろうとも笑顔になってしまうはずなのだが…。
その女性…ラフィンの母である『ニーア・ウェルト』は、やや戸惑ったように見慣れぬ彼らと接していた。
が、戸惑ったように見えるだけで、表情に大した変化は見られない。
シャーちゃんが足の上に乗ってきても彼女は動じず、ワンちゃんが肩に突然飛び乗ってきても驚きの声すら上げない。
「確かに、意外ですよね」
遠巻きにニーアとシャーちゃんたちの戯れている様子を眺めていたところに、サラもママ友たちのところにやってきた。
「まさかラフィンお嬢様のお母様が、あのような“無表情無口キャラ”だったとは」
そこでママ友たちが思い出したのは、つい先ほどのこと。ロディが、妻のニーアを連れてこのカールセン邸に訪れてきたときのことだ。
初対面だったのでまず挨拶を交わしたのだが、そこからがもう普通とは違っていたのだ。
そう、“とてつもなく”無表情だった。
おまけに声も非常に小さく口数も少なくて、口元まで耳を寄せなければ聞こえなかったほどだ。
『生まれつきのものだから、気を悪くしないでね』
夫であるロディはそういっていたのだが、ここまで感情が読めないのはシエスタたちにとっては初めてのことだった。
「天才のラフィンちゃんを努力型に仕上げたほどだから、もっと教育ママのようなものを想像していたんだけど…とてもそうは見えないわね」
シエスタの言葉に、シディアンは何度も頷いている。
「私も、昔は感情が顔に出にくいほうだといわれたことはありますが…」
昔のことを思い出したマミナだが、ニーアはかつての自分以上に大人しそうに見えると呟いた。
「ロディさんは生まれつきだっていってたけど、本当は幼少期に何かあったとか…」
シエスタが考察を始め、マリアが興味津々に聞き入ろうとしたとき、
「生まれつきというのは、本当のことでございます」
と、彼女たちの背後から声がした。
そこにいたのは、ニーアと同じくブロンドの髪をした、ウェルト家のメイド長、サリエラだった。
「特製のハーブティーでございます」
シエスタたちの前に爽やかな香りを放つティーカップを置いていき、彼女は続ける。
「ニーア奥様は幼少期の頃から感情が表情に出にくく、口数も少ないお方でした」
「そうなの?」
「はい。ですが大人しい性格に見えるだけで、別に人前が苦手というわけでもございません」
意外に聞こえたシエスタは、また「そうなの?」と問いかけてしまう。
はい、とサリエラはいう。「ニーア奥様も由緒正しい家系のお生まれでして、詰め込み教育を受けすぎた結果、生まれつきの大人しい性格にさらに拍車がかかってしまいまして…」
それで大人になったいま現在でも、あのような静かな性格になってしまったとサリエラはいう。
「何を話しても表情に表れないニーア奥様を見て驚かれる方も多いのですが、しかしご本人様はお話を聞くのがとても楽しいお方でして、誰に対してもお優しく接せられておられます」
「まぁ、性格に難があるようには見えないけれど…ラフィンちゃんがあれほどいい子に育ってるんだし…」
そういったシエスタはニーアの方を眺めていて、視線に気付いたニーア自身も顔を上げた。
お互いの視線がぶつかる。
「…よし」
そこでシエスタは椅子から立ち上がり、彼女の目の前まで歩いていった。
「改めて、こんにちは、ニーアさん」
中腰になって視線の高さを同じにしつつ、挨拶してみた。
「………」
が、ニーアからは反応がない。表情にも変化がない。
まともに挨拶してまともに無視されたかのように一瞬見えたが、ニーアの口元が僅かだが動いている。何かしら喋ってはいるようだ。
「息子が世話になったわね?」
構わずにシエスタがいうと、ニーアは何度も首を横に振ってから、今度はぺこぺこと頭を下げてきた。
お世話になっているのはこちらのほうだといっている…のだろう。
ついでに、ラフィンのことでお礼をいっている…のだと思う。
「シャー!」
ニーアの声をどうにか拾おうとしているシエスタに向け、シャーちゃんは翼をぱたぱたさせながら鳴き声を上げている。
(この人、すごくいい人!)
シエスタに、シャーちゃんがそういっているように感じた。
そんな彼をニーアがおもむろに両手で持ち上げ、胸に抱く。
途端にシャーちゃんは心地良さそうな声をあげ、ニーアの胸に首と頭を預けだした。
「ワンワン!」
「ガーガー!!」
そこでワンちゃんとガーちゃんが鳴き出す。自分も抱っこしてくれとせがんでいるようだ。
少し焦った(ように見える)ニーアは、順番に彼らを抱っこしていっている。
「懐かれてるわね。可愛いでしょ?」
シエスタがそう声をかけてみた。
そこでニーアは何度も頷き、再び口をぱくぱく動かし始める。
可愛い…といっているのだろう。
「ん…それは良かったわ」
ニーアに笑いかけたシエスタは、再び立ち上がってシディアンたちのところに戻った。
「どう…でした?」
ニーアと対話した感想を求めるマリアに、「う、う〜ん…」と、何故かシエスタは腕を組んで唸ってしまう。
「なんていったらいいのかしら…いえ、優しくていい人っていうのは分かるの。分かるんだけど…」
「けど?」
「声が小さいからかしら…それとも表情が出にくいと分かっているから、かしら…やけに年下に見えてしまうのよね」
「年下に?」
「ええ。見た目のせいもあるかもしれないけど、妙に年下に見えちゃって、それが何だか…」
シエスタはしきりに首をかしげている。ニーアと対話しながら沸き起こってきた“感情”が何なのか、自分でも分からないようだった。
「この気持ち、誰かと共有したいわね」
「じゃあ次は私が話してみるわね〜」
そういったのはシディアンで、未だに子竜たちと戯れているニーアの元まで歩いていく。
「こんにちは、ニーアさん」
いつもの人懐っこい笑みと共に、シディアンもニーアと会話を始めた。
「ニーアさんのお名前って、私の娘のニーニアちゃんとちょっと似てるわよね〜」
というどうでもいい切り口から話題を広げ、会話を続けている。といっても聞こえてくるのはシディアンの声だけで、まるで彼女が独り言を喋っているかのようだ。
「ちょっとごめんなさいね〜」
会話が途切れたようで、シディアンは立ち上がってシエスタたちのところに戻ってきた。
「どうだった?」
尋ねるシエスタに、「面白い子ね〜」といったシディアンは、「あ、“子”っていうのは失礼ね」、とすぐに訂正する。
「年下に見えるっていうシエスタさんの感想、分かる気がするわ」
「でしょ?」
「あ、でしたら次は私が」
といって立ち上がったのはマリアだ。
ゆとりのある普段着をふわりと翻しながら、彼女はニーアの目の前まで歩いていく。
「初めまして、ニーアさん。娘のティエリアちゃんが色々とご迷惑をおかけしてしまったようで…」
話題はやはり娘のことになり、“生徒会長”という娘同士の繋がりを軸に話題を広げようと試みたようだ。
が、ニーアはどこか表情を硬くさせている…ように見える。
口も動いてはいるものの、先ほどよりもかなり口数が少なく、身振り手振りもややぎこちない…っぽく感じる。
「な、何故でしょう…?」
あまり会話が続かなかったようで、戻ってきたマリアは少しばかりショックを受けているようだった。
「私、何かしてしまったのでしょうか…」
落ち込む彼女に、「いえ」とシエスタがいう。
「どちらかといえば、ニーアさん側の問題ね。ちょっと面白いリアクションしてるわよ、ほら」
シエスタにいわれるまま、マリアは振り向いてみる。
シャーちゃんを抱っこしたままのニーアは、声は出ないものの口を開けて「はぁ」とため息を吐いているようだった。
その顔はやや赤く、緊張から解放されたように見える。
「エンジェ族はゴッド族を前にすると、半ば無意識に緊張状態に入っちゃうんでしょ? ニーアさんも例に漏れずっていうことじゃないかしら?」
「確かにそう見えるわね〜」、とシディアンはくすくすと笑っている。
「緊張なされないためにはどうすれば…」
考え込むマリアに、「では私が緊張をほぐして参ります」、とマミナが立ち上がった。
「新しく入ってきた門下生たちの緊張を、私は数多くほぐしてきました。時には仏頂面の夫をイジり倒し、みんなを爆笑の渦に導いたこともございます。必ずやニーアさんを笑顔にさせ、マリアさんと話しやすい空気を作り出してみせます」
なかなかに自信に溢れる言葉だった。
「よろしくお願いいたします…!」
マリアの応援を背に、マミナは静々とした動作でニーアの元まで向かっていく。
「初めまして、ニーアさん。ニーアさんのご実家は、なかなか厳しい家庭だったそうで。実は私の実家にも厳しい掟がございまして…」
“厳しい家庭”という共通点から話題を広げようとしたようだ。
ニーアからは相変わらず返事らしい返事はない。が、マミナがあれほどニーアを笑わせると豪語したので、シエスタたちは彼女の話術というものに聞き入っていた。
「…私の夫がですね、自らが設定した掟を自分で破ってしまうということが起きてしまいまして…」
…と、どういうわけかそこで話が途切れてしまった。
そのまま、ニーアの顔をジッと見つめているマミナ。
「あ…あら?」
彼女の表情に一切の変化がなく、マミナは不思議そうな声を出した。
「?」
当のニーアも訳が分からないようで、首をかしげている。
「あの…お気づきになられませんでしたでしょうか? いま私が、『掟を破ってしまうことが“起きて”』と…」
…どうやらダジャレをいったつもりらしい。
彼女にとっては、それは渾身のものだったのかもしれない。
だが場が場だからか、それともニーアだからなのか、マミナからいくらダジャレの説明を受けても無表情で、どこかしらぽかんとしているようにも見える。
そこでマミナは諦めてしまったようで、とぼとぼとした足取りでシエスタたちのところに戻ってきた。
「マリアさん…お力になれず、申し訳ありません…」
そう謝罪を口にする。
「い、いえ、こちらこそ…」
マリアも恐縮して謝っている。少し微妙な空気になってしまった。
「…ふむ」
停滞した状況を振り払うように、サラが動き出す。「では最後に私が」
と、サラまでもがニーアのところへ歩いていった。
そして表情に変化がなく、反応も乏しいニーアへ向け、サラが淡々とした口調でコンタクトを図る。
シエスタたちが二人のやり取りを眺めているところで、
「お気を悪くされていたら申し訳ございません…」
と、サリエラが本当に申し訳なさそうにいってきた。「ニーア奥様に悪気は一切ございませんことを分かっていただきたく…」
「いえ、その点については心配しないで。私たちの中で気を悪くしている人はいないわ」
シエスタはサリエラに笑いかける。「いま分かったの。あの子…じゃなくてニーアさんって、可愛らしいのよね」
「え、そう…ですか?」
意外そうなサリエラに、シエスタは「ええ」と頷いてみせる。
「こういっちゃ失礼だとは思うけど、どこか不器用に見えちゃってね。声は小さいけど、でも自分の意思をどうにか伝えようとジェスチャーしているところが、何だか見ててたまらなくなってくるの」
実際、ニーアは対面するサラに身振り手振りで何かを伝えようとしている。
相変わらず顔に感情はないが、わたわたと動く姿は確かに可愛らしいものがあった。
「そうそう、可愛いのよねぇ」
シディアンが笑顔で追従した。「同年代とは思うんだけど、すごく年下に見えちゃうっていうか…何かしてあげたくなっちゃうの」
それを、ドワ族で小柄なシディアンがいうのは少し可笑しいような気もするが、マリアもマミナも同意見らしく笑顔で頷いている。
「…ふむ、なるほど」
そのとき、ニーアと会話“のようなもの”をしていたサラが、静かにいった。「つまり、みなさんともっとお話をしたいと?」
そこでニーアの目が少し大きく開かれる。
シエスタたちからも、「え」という声が上がった。
「サラさん、分かるの?」
サラの話し声を盗み聞きしていたが、ニーアが何を考えているかまでは読み取れてなかったはず。
「まぁ、そうですね」
シエスタたちに顔だけを振り向かせながら、サラはいった。「感情が表情に出にくいという点では、私も似たところがございますからね。そのおかげかどうかは分かりませんが、ニーア様が何をお考えになられているのか、言葉を交わさずともお顔を見ただけで大体のことは分かります」
「ほ、本当ですか?」
驚いて尋ねたのは、どういうわけかサリエラだった。「私でも、ニーア奥様のお考えをお顔だけで読み取るのに一年はかかったのですが…」
恐らくその一年は、かなり苦心した上での一年だったのだろう。なのにサラは、今日が初対面にも関わらず、分かるという。
「ちなみに、いま何を考えてるか分かる?」
シエスタが問いかけると、サラは再びニーアの顔を見て、
「ここは日当たりが良く、とても落ち着ける場所だと仰られております」
とサラは答えた。
「…せ…正解です」
サリエラがいい、ニーアも手を小さく叩いている。
サラは続けた。「シャーちゃんたちが大変可愛らしく、写真に収めたいとも仰ってますね」
「あ…当たり、です」
「ついでに、奥様方が飲まれているハーブティーを自分も飲みたいと…」
サラが話している途中で、突然ニーアが動き出す。
目の前にいるサラに、正面からぎゅっと抱きついた。
「…この行動は流石に読めませんでしたが」
やや驚いたサラだが、「どうやら“分かる人”が増えて嬉しいご様子です」、と真顔のままシエスタたちにいった。
ニーアは何度も頷いている。本当に嬉しかったのだろう。
「懐かれてしまいました」
サラは堪えきれない笑みを口の端に結んだ。「ニーア様のお心を掌握できたようです」
その彼女の一言は、余計なものだったのかも知れない。
「…聞き捨てならないわね」
シエスタはゆらりと立ち上がる。「ニーアさんを取り込めるのは私よ」
「い〜え、私よ」
シディアンまで立ち上がった。その手には、いつの間に持っていたのか色が変化するボールがある。ルシラのオモチャだ。
「私はリベンジです…!」
そういったマリアは両手に沢山のお茶菓子を持っており、
「絶対にニーアさんに笑顔を…!」
マミナは、“ダジャレ帳”と書かれたメモを持っている。
そのまま、じりじりとニーアに近づいていくシエスタたち。その目は妖しい光を放っており、まるで狙いを定めた捕食者のようだ。
「あ、あの、あまり激しいことは…」
やや心配そうにいうサリエラだが、こうなっては誰にも止められないことを知っていたサラは、静かに嘆息した。
「ニーア様、お覚悟を」
未だに、自身に抱きついていたニーアを見る。「この邸宅にお越しいただいた時点で、ニーア様の運命は定まってしまったのです」
オモチャにお菓子にダジャレ帳。
様々なアイテムを手ににじり寄ってくるシエスタたちを見て、無表情でいたニーアも流石に“危険”を察したらしい。
「お…お手柔らかに…」
サラにしか聞こえない声量でいい、彼女の頬には汗がたらりと落ちていた。