百八十七節、対峙
その日の“祝勝会”は深夜にまで及んだ。
ルインザレク城下町の一等地にある料亭を、丸ごと貸しきって行われたその祝勝会は大いに盛り上がりを見せ、ガーゴの上層部たちは満面の笑みを浮かべながら杯を交わしている。
酔っ払った彼らは口々に“ナンバー”の面々を褒め称えており、中には崇めている人もいた。
七竜討伐作戦の成功を受けての祝勝会だった。
ガーゴの最高責任者、『ヴァイオレット』総監が慰労の意味を込めて部下たちに提言し、こうしてほぼ全ての幹部たちが集まってくれたのだ。
広い座敷に顔を並べているのは、どれも名だたる有名人と同じほどの地位と名誉のある連中で、もしいまこの場面がテレビ中継されていたら高視聴率を叩き出していたところだろう。
賑やかでやかましく、笑い声の絶えない彼らはこの上ないほど上機嫌で、テンションも高い。気分が高揚しているのは、ダイレゾの討伐によって民衆のさらなる支持が得られたからに他ならなかった。
まさにどんちゃん騒ぎといってもいいほどで、騒いでいる連中の中にはシグの姿もあった。
ノリのいい彼は気の合う部下とバカ騒ぎしており、それをサイラは呆れたような目で眺めつつジュースを飲んでいる。
「すまなかったな」
幹部との話を終え、ヴァイオレットは隣にいた人物に声をかけた。「カイン君も誘ってみたのだが、まだ仕事が残っているといわれてな」
総監を見上げ、ジーニはハッとしたような顔になり、次いでみるみる顔を赤くさせていく。
「い、いえ…わ、私は別に…こうして呼んでいただけただけでも…」
ジーニがカインのことをどういう目で見ているのか。
その周知の事実はヴァイオレットでも知るところだったので、「近いうちに埋め合わせの場を設けよう」といって笑った。
優しげな笑顔を少し引っ込め、「それとは別に、君に折り入って相談があるのだが…」と彼女にいう。
「相談…ですか?」
意外に聞こえたジーニは目を見開く。
こうしてヴァイオレットから面と向かって相談を持ちかけられたことはない。いつもサイラやシグのついででしかなかった。
討伐作戦が大成功を収め、その功績を称えてようやく自分に目を掛けていただけたのかもしれない。
「何なりと」
出世欲が顔を覗かせ、ジーニは真剣な顔になってヴァイオレットに身体を向けた。
「場を変えようか」
未だどんちゃん騒ぎをしているシグたちを見てから、ヴァイオレットはいった。
「ここで仕事の話をして場を白けさせるのは避けたいのでな」
ジーニを連れてヴァイオレットが訪れたのは、宴会場からやや離れたところにあるバルコニーだった。
大きな料亭の真ん中には公園のように広い庭園があり、明るい灯篭が池や草花をライトアップしている。
「君には、ある場所の監視をお願いしたい」
木の柵に手をかけ、綺麗に手入れされた庭園を見渡しながら、ヴァイオレットはいった。
「場合によっては、所々に“仕掛け”を施して欲しいのだ」
「はぁ…」
疑問に衝き動かされるまま、ジーニは尋ねる。「あの、どこの監視を…?」
「“聖域”だ」
その言葉を聞き、ジーニは硬直した。
「例の聖域へ赴き、“声”を仕掛けて欲しいのだ」
「…何か、あるので?」
意味ありげに尋ねるジーニに、ヴァイオレットは酒を煽った後に「ああ」と頷く。
「これは私の勘に過ぎんのだが、どうにも“別の意思”が働いているような気がしてならなくてな」
酔いはとっくに回っているはずなのに、その横顔は真っ直ぐに前を見据えていた。
「これから先、何があるか分からんからな。だから君には先手を打って行動して欲しいのだ。あの聖域に誰か侵入してくる可能性も考えられる」
「なるほど。仰る通りですね」
総監の先見性については、長年彼の部下として仕えてきたジーニには分かりきっていたことだった。
「“声”の内容については君に任せる。あの場所は立地的に君にはとても有利に働くだろうから、さして難しいことではないと思うのだが」
「はい。お任せください」
はっきりと頷くジーニに、ヴァイオレットは少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「すまんな。大仕事が終わった直後だというのに」
「いえ」
ジーニは真面目な表情のまま、首を横に振った。「七竜の討伐は、ガーゴ飛躍の足掛けにしか過ぎませんから。忙しくなっていくのは当然ですし、むしろここからが正念場かと」
「そうだな」
ヴァイオレットは笑顔を見せる。「任せたよ」
短く「は」と頷いたジーニだが、「ところで」と表情を不思議そうなものへと変えた。
「ハイドル氏の姿が見えないのですが…あの方も別件が?」
尋ねられたヴァイオレットは、「ああ、彼は…」少し遠い目をしていった。
「契約満了を迎えたんだ」
「満了…?」
「君たちにはまだ詳細を話していなかったのだが、彼とは討伐作戦の完了までという契約を交わしていてね」
「あ、そうなのですね」
ジーニは少し視線を伏せる。「そう…ですか。満了で…」
その表情に、何か別の感情が横切ったようだった。
「気になるか?」
彼女の考えていることを見透かしたように、ヴァイオレットがいう。
「彼は君に関する“ある重大な過失”を知る人物。そんな人物がどこで何をしているか分からないとなれば、君が気が気でないのも分かる話だ」
はっきりと動揺を浮かべる彼女に、「心配いらんよ」とヴァイオレットは笑顔を見せた。
「あれは仕方のなかったことなのだ。証拠などどこにも残ってはおらんし、あの件はどちらにとっても有利なことにはならない。ここまで君が多大なる功績を挙げてきたことは事実だし、その輝かしい功績の前には、どのような密告も足かせにもなりはしない。だから君が案ずる必要はないのだよ」
「は、はい…」
「なに、いざとなったら私が動く。君は心置きなく、聖域の監視に務めてくれたらいい」
「ありがとうございます」
腰を曲げるジーニに、ヴァイオレットは酒の入ったグラスを掲げて背を向けた。
「少し酔いが回りすぎたようだ。私はもうしばらくここで夜風に当たっておくよ」
「あ、はい。では失礼致します」
もう一度ヴァイオレットに頭を下げ、ジーニは宴会場へと戻っていく。
「…まだまだ、やることは沢山あるな…」
宴会場からは、未だに騒がしい笑い声が聞こえてくる。
「世界防衛部隊の編成に、討伐作戦の後処理にと、枚挙に暇がない」
誰にともなく語っている…というわけではなかった。
「なぁ…そうは思わないか?」
顔を前に向けたまま、ヴァイオレットは意識を後ろに向けた。
彼の背後。ジーニが立っていた場所に、別の“誰か”が立っていたのだ。
足音も気配もなく、突然現れた、その誰か。
「いつの世も、有名人というものは忙しいものだ。そうだろう?」
その“闖入者”へ向けて、驚く様子もないヴァイオレットは話しかけていた。
「━━随分と派手にやってくれたよ」
その人物は、呆れ返ったような声でいった。
「あれだけの被害者を生んでおきながら、宴会騒ぎとは。開き直った悪人ほどタチの悪いものはないな」
ヴァイオレットはゆっくりと振り返る。
そこには、彼と同じぐらい大きな体躯をした、エル族の老人━━セブンリンクス現校長、『グラハム・シーカー』が立っていた。
彫りの深い顔面にさらに皺を寄せた表情で、彼はいう。
「討伐作戦の成功についてのインタビューには応じているようだが、ある村が壊滅したという取材については一切無視しているそうだな」
無防備に立っている彼からは、ヴァイオレットに直接危害を加えようとする気配はない。
が、その全身から漂わせているのは、明確な怒りだった。
グラハムはいう。「件の事実についての声明も一切なし。貴殿は守るべき住民の命について、どのような見解を持っているのだ?」
酒を手にしたまま、問われたヴァイオレットは柵にもたれかかる。
「…あれは不幸な事故だったのだよ」
彼はいった。「あの時あの瞬間、私の部下が攻撃を加えなければ、我々が現在立っているこの場所と多くの市民の生命が失われるところだった。仕方のない選択だったのだよ。それに、“奴”の攻撃があのような場所へ逸れるとは思ってもみなかったのだし」
「カイン君、だったかな。空に浮かんだ地図に、彼が指し示していた場所に攻撃が向かっていくのをしっかりと確認したのだが、狙い撃ちをしたのではないか?」
すかさず切り返したグラハムに、「まさか」ヴァイオレットは肩をすくめた。
「相手はあの七竜だぞ。しかも原因不明の強化を受け、大暴れをしていた。制御不能だというのは誰が見ても明らかだった。カイン君が指摘したのは、誘導ではなく予測だ。彼も危惧していたのだよ。そして危惧していた通りになってしまった」
ヴァイオレットの説明は、しつこく理由を問い質す記者への回答そのままだった。
予め用意されていたかのような回答を聞いて、グラハムは怒りの表情のまま嘆息する。
「謝罪の気持ちは微塵もないのだな。テロ組織と変わらんよ」
そう切り捨てた。「人命を預かっているという意識はないのか? まともな企業であれば、もう少しマシな言い訳をしたと思うのだが」
「ここで私が何をいったところで、事実は変わらない」
テロといわれたことが心外だったのか、ヴァイオレットの表情は少し硬くなる。
「君は何のためにここへ来たのだ? 我々の支援を受けて成り立っている学校の校長が、記者の真似事か?」
威厳を漂わせてグラハムを睨みつけたが、彼は真っ向から跳ね除けた。
「ガーゴという巨大組織のトップに立つ貴殿から、直接エレイン村の件について…いや、人の命というものについての見解を窺いたかった。魔術だけでなく、命の重さを教える教職員という立場として、知りたかったのだ」
グラハムもまた、その全身から威厳を放つ。「だがもうその必要はないようだ」
ヴァイオレットの背後にそびえ立つ、ガーゴという巨大な存在を見据えたまま、彼は続けた。
「貴殿の考えはよく分かった。ここからは、私の好きなようにやらせてもらう。これまでの貴殿の…いや、ガーゴの行動の裏に渦巻くものについて、徹底的に調べさせてもらう」
「ほう?」
ヴァイオレットは方眉を吊り上げ、口元に笑みを結ぶ。「面白い。見せてもらおうじゃないか」
再び酒を口にし、余裕のある笑みのまま続けた。「失敗を繰り返してきた“グリーン機構”とやらの実力をな」
グラハムは固まる。
動揺したように見えたのか、ヴァイオレットはまた小さく笑った。
「数年前、小国同士のいざこざから戦争寸前の状態に陥っても、あのグリーン組織は動かなかったそうだ。人命に関わる重大なことが起きても静観を貫き、干渉を避ける同機関には、存在意義を問いかける民衆の声が多いときく。翻って、七竜討伐作戦を計画し、無事に完了させることのできた我々には希望を寄せる声が続々と集まってきている。そろそろグリーンに切り替わる新しい機関が必要なときではないのだろうか。ちょうど世界防衛部隊も発足したのだし」
それは提案ではなく、もう既にその方向へ向けて動き出しているというメッセージでもあった。
数人の知人から同様の話を漏れ聞いていたグラハムだが、しかし彼は動揺を見せず、「グリーンは関係がない」と言い切った。
「これは私自身の…いや、“彼”に連なる者たちの意思だ」
そういった。「貴殿がしたことは決して許されざることだ。その報いは必ず受けてもらう」
「いいんじゃないか? できるものなら」
ヴァイオレットは据えた目のまま肩を揺らした。「だがあまりに勝手な行動をされると、君が受け持っている大切な生徒たちに迷惑がかかることになるかも知れないが」
挑戦的な表情だった。
「いいのか? 彼らの将来を奪い取るようなことになってしまっても。例えセブンリンクスが潰れても、将来を約束された我々が困ることは…」
「潰したいのなら潰せばいい」
グラハムはいった。「貴殿のような考え方を持つ組織から支援を受けたとて、誰も幸せにはならんし、仮初の栄光に惑わされ将来を決める子供たちが可哀相だろう。そのような組織の支援がないと成り立たないようなところなら、即刻潰れるべきだ」
そのときグラハムが見せた怒りの表情は、普段の温厚な彼からではとても想像できないほど険しいものだった。
が、全て思惑通りに事が運んでいるヴァイオレットには、グラハムの言葉は負け犬の遠吠えのようにしか聞こえない。
グラハムは続ける。「これは宣戦布告だ。そのように受け止めてもらっても構わん」
「長老“グリシス”殿の弟に過ぎん君が何をできるというのか」
ヴァイオレットはせせら笑った。「そういうことであれば、いちいち私にいってこなくても好きにすればいいだろう。手痛い返り討ちにあう未来しか見えんのだが。“我らエンジェ族”に挑むなど、君ほどの老齢になれば、それが如何に無謀であるか分からないはずはないと思うのだがなぁ」
「これ以上の議論は無意味だな」
グラハムはそういって、彼に背を向けた。「ではな。こうして相見えるのもこれで最後だろう」
その体が、闇夜に紛れるようにしてフェードアウトしていく。
「…ふっ」
バルコニーに一人取り残されたヴァイオレットは、薄く笑って空を見上げた。
「…分かるものか」
そういって酒を飲む。
「もう少しなのだ…我らがクィンセス女帝の意思は…我らエンジェ族の意思は、誰にも止められんよ…」