百八十六節、砂上の楼閣
そろそろ深夜を回った時間だろうか。
二階建ての大きな建物、『ルインザレク歴史館』の館内はとっくに開館時間を過ぎており、ほぼ全てのフロアが暗闇に覆われている。
人の気配はなく、まるで時が止まったかのようだが、二階の右奥にある資料室のフロアだけは、ぼんやりとした明かりが点っていた。
静寂に包まれた館内のそのフロアから、分厚い資料を捲くる音が木霊している。
「…そろそろ寝たほうがいいんじゃないか」
ロドニーは熱心に資料を読み漁りながら、あくびをかみ殺そうとしていたクレスにいった。
「まだ序の口ですよ」
クレスはそういって自分の両頬を叩き、カフェインのきつい栄養ドリンクを飲み干し、再び資料の閲覧に当たる。
「館長のご厚意で貸し切らせてもらったんですから、せめて何か見つけないと」
資料室内にある大きなテーブルには、分厚い歴史書や新聞、辞書や数々の文献が散乱していた。
その数は二百ほどに及び、それらの資料は全てガーゴに関するものばかりだ。
ガーゴの設立理念や歴代最高責任者の名前、幹部たちの顔ぶれに、これまでにガーゴが成し遂げてきた実績等々。
気になる部分をピックアップしてはそれをテーブルの上に広げたまま置いて、ホワイトボードにも書き出していった。
オブリビア大陸に存在する国々を、ガーゴというたった一つの組織が成り立たせてきたのだ。
そのためどの文献にもガーゴの文字が出てきており、調べれば調べるほど資料が増えていく。
その作業がようやく終わりを見せたのは未明の時間で、現代の歴史書を読み終えたと同時に、ロドニーとクレスは大きく息を吐いて天井を見上げた。
「どれだけ手広くやってるんですか、ガーゴは…就職した俺がいえたことじゃないですけど…」
思わずクレスは愚痴ってしまう。「病院、学校、商業施設に、福祉まで…これほど多方面に運営していたなんて」
「そもそも、当時の国王が肝いりの政策としてガーゴ組織というものを立ち上げたからな」
眉間を押さえつつロドニーはいった。「創立はいまから数千年も昔。イシュタル歴が終わった直後のことだ。当時は人口が少なく物もなく、どこの国も無法地帯だった。それらを取りまとめるために、当時の国王…七英雄とされるヒューマ族の一人が、エレンディア様より役割を与えられ、ガーゴ組織というものが作られたらしい」
ホワイトボードに視線を移し、かき集めた情報の総括を始める。
「法を整備し、その法を執行するための役人を雇い入れ、隣国から建築のノウハウを教わって焼け野原だった場所に家を建てた。学者を呼び寄せて医療の研究を進め、平行して学校を建てて人材育成にも心血を注いだ。ガーゴ組織がこの国を創り上げたといっても過言ではないだろうな」
「そのようですね…」
同じくボードを眺めながら、クレスがいう。「遊興施設の運営に、飲食業にまで手を出している。多数の雇用を生み、税収も上り調子。経済面から見ても、ガーゴが成し遂げた功績はとてつもないようです」
「ああ。あくまで表向きの情報だが、見た目には何の落ち度もないな」
そう話しながら、ロドニーの視線はホワイトボードに書き込まれていた、“主要犯歴”の部分で止まった。
「所々で幹部の脱税や薬物、反社との繋がりなど、長期運営の宿命である腐敗の形跡も見られるが、世の中を震撼させるほどの大犯罪のようなものはない」
「そういった情報は秘匿しがちですからね。身内に甘いのはどこも同じですよ」
忌々しそうにクレスがいう。「ガーゴの歴史の中で一番の闇とされる、“プラス計画”のことについてはどの資料にも触れられてません」
プラス計画とは、人類のためといいながら、人を攫って実験と研究を繰り返していた事件のことだ。
「プラス計画は、いまもガーゴ内ではタブー視されてるからな。他所の大陸では沢山指摘があったらしいが…」
「もう少し捜査の範囲を広げてみませんか?」
クレスがきいた。「やはり自国内の情報だけでは限界がありますよ。客観的に事実を捉えていた他国の資料も並べてみたほうがいいと思うんですが…」
「それは俺も思うが…」
ロドニーはジッとボードを見つめている。
「しかし…不思議だな」
と、彼は続けた。「ガーゴの最高責任者である“ファースト”の歴代就任人物に共通点がある」
クレスも歴代の“ファースト”として書き並べられていた箇所に視線を止め、「そういえば」と声を出した。
「全員がエンジェ族…ですね。このオブリビア大陸は、元はヒューマ族しか住んでなかったはずなのですが」
十名ほど名を連ねる歴代ファーストは、一人も漏れることなくエンジェ族で統一されていた。
「不思議なことに、創設者までもがエンジェ族となっている。発案はヒューマ族の国王のはずなのに」
そこに違和感を抱いたロドニーは、腕を組んだ。
「当時は、どの種族も差別意識がいまよりももっと強かったはずなのだが…」
そう、よくよく考えてみればおかしな話だった。
エンジェ族は総じてプライドが高く、そのため差別意識も根強い。数多ある種族の中で、ゴッド族に次いで自分が二番目だという自負があった彼らが、わざわざ他国に出向いてまで自分を犠牲にして統治したがるとは思えなかったのだ。
「規則や規律を守ることが好きで、そのために統治を申し出たということも考えられなくもないが…だが好きだからという理由だけで、一つの大陸を治めたいと考えるだろうか」
「当時は…いや、いまもその傾向はありますが、肩書きや魔法力を重要視しがちだったヒューマ族からお願いしたのでは?」
クレスがいった。「ヒューマ族側からすれば、エンジェ族は目上で敬うべき存在だった。ゴッド族には恐れ多くて頼めなかっただろうし、だから自身にも他人にも厳しいエンジェ族に自国のことを任せようと考えたのでは」
確かに、それは当時のオブリビア大陸の荒れ模様から考えると、なくはない話だ。同族より目上の存在が統治してくれるのなら文句をいいづらいだろうし、無条件で従う人も多かったはず。
が、仮にそうだとすれば別の疑問が生じる。
「エンジェ族の誰が、そのような頼みを聞き入れたのだろうか」
ロドニーは沸き起こった疑問をそのまま口にする。「中には優しくて謙虚なエンジェ族もいたと思う。が、どれほど優しくて献身的なエンジェ族がいたとしても、大陸を治めてくれと頼まれて、簡単に聞き入れる奴はいないはずだ。ヒューマ族側としても、エンジェ族なら誰でも良いというわけではなかったはず」
「人選ですか…」
ボードに書き込まれた歴代責任者の一覧を眺めながら、クレスは唸った。
「現“ファースト”のヴァイオレット総監の前任は元企業家で、さらにその前任は宣教師…あまり繋がりはないように見えますが」
「いや、注目すべきは初代だ」
ボードの一番上を指差しながら、ロドニーはいった。「この初代がガーゴの設立理念を打ち立て、何世代も後の我々にまで波及させた。この初代エンジェ族が当時のヒューマ族に何をいわれ、そして“どのような条件”を提示されて許諾したのか。我々が知るべきはそこだ」
「条件…?」
「ああ。聖人君子かよほどのお人よしでもない限り、何の見返りもないまま、自身とは何の繋がりもない大陸を統治しようなどとは思わないだろう。先ほど話に上がった“プラス計画”は、ガーゴが創立されて間もなく執行された大悪事だ。それほど狡猾な初代が、統治の依頼に際して見返りをつけないはずはない」
「…“ヴァリエント・シュールイス”」
クレスが初代最高責任者の名を読み上げた。「ガーゴ創設の父、といわれていた方のようですね。何しろ何千年も前のことなので、名前以外の情報はないようですが…」
「…情報か…」
ロドニーは、顎を撫でながら天井を見上げた。
「ヴァリエント…ヴァリエント…」
思慮に耽る彼は必死に何かを思い起こそうとしているようで、突然、「ん?」と声を上げた。
「そういえばその名前、どこかできいたことがあるな…」
「え、本当ですか? 当時の入社試験に出てきたとかではなく?」
「ああ。割と最近で…私の家で…」
「家?」
「確か…一番下のチビに…寝る前に…」
彼の口から次々と情報っぽいものが出てくるが、どれも全く繋がりを感じられず、クレスは首を傾げてしまう。
が、「ああ、そうだ!」とロドニーは突然膝を叩いた。
「絵本だよ!」
「え、絵本?」
「そう、絵本だ。エンジェ族に関する御伽噺がまとめられた絵本の中に、その名前がでてきたんだった」
「御伽噺って…」
クレスはガクッと肩を落とす。「創作じゃないですか。ヴァリエントなんて名前は他にもいるでしょうし、たまたま被っただけなんじゃないですか?」
「いや、その絵本は史実に基づいて作られたフィクションなんだよ。だから話自体は創作だが、登場人物は全て実在していたものだ」
「それだって同姓同名なだけっていう可能性は捨てきれないんじゃ…」
「まぁ聞け。そのヴァリエントっていう登場人物はな…」
話し出そうとした途中で、ロドニーは動きを止めた。
「そうだ。確かこの館内に絵本コーナーがあって、そこから借りてチビに読み聞かせしていたんだ」
彼はおもむろに立ち上がり、資料室を出て行く。
そして数分後、「あったぞ」といって戻ってきた。
クレスに差し出した絵本は、いかにも幼児向けの可愛らしい表紙をしていた。
題名は、“えんじぇぞくのすごいところ”。
無名の作家が作ったものらしく、読み聞かせする大人へ向けたメッセージ欄に、『誤解されがちなエンジェ族は、本当は優しいということを知って欲しくて作った』と書き残してある。
内容は題名の通りエンジェ族の紹介をしているようなもので、ヒューマ族の男の子とエンジェ族の女の子が一緒に世界各国を回っていくという話だ。
その優しいストーリーの冒頭に登場人物の名前が記載されており、そこには確かに“ヴァリエント・シュールイス”という文字がある。
まだ確証はない。同姓同名だという疑惑も捨てきれない。
が、そのヴァリエントの肩書きを目にした瞬間、クレスの疑惑は確信に変わった。
「側近…ですか」
「そうだ」
頷いたロドニーは、ヴァリエントの文字から隣を見る。
「あの時は注意深く見ていなかったんだが、このヴァリエントは誰の側近だったのか…」
彼の指先は、ある人名のところで止まった。
そこには、エンジェ族の“女王”の名前が記されていた。
━━『クィンセス・ホワイト』
その紹介文には、エンジェ族の“始祖”と書かれている。
「…始祖…」
クレスは顔面に驚きを貼り付けながら呟く。「ガーゴとエンジェ族には、密接な関係があった…ということですか」
「そういうことか」
ロドニーは深く頷いた。
「当時のヒューマ族の国王は、当初はエンジェ族の女帝であるこの“クィンセス”に大陸の統治をお願いしたんだろう。だが女帝は自国の統治に当たらなければならないため、代わりの者を寄こした」
「それが側近のヴァリエント…ですか」
「ああ。つまり、ガーゴの代表を務めるにあたってヒューマ族側に要求した“もの”とは、エンジェ族の始祖であるクィンセス女帝が望んだものだということだ」
「…お金ではないんでしょうね」
クレスがいう。「当時は物がなく人も少なかった。エンジェ族の人もいまよりももっとプライドと意識が高かったでしょうし、金銭を要求したとは考えにくい」
「そうだな。このクィンセス女帝がどのような人物かは分かりかねるが、恐らく金ではない、もっと重要なものを要求したように思える」
「重要なもの…」
「それこそ長い年月を要するような…な」
ロドニーは再びホワイトボードに目を向けた。
「今日に至るまで、ガーゴの“ファースト”は歴代のエンジェ族が務めている。これは私見に過ぎんが、どうも女帝が求めた“もの”はいもなお続いているような気がするんだ。そしてファーストを務めていた彼らは、エンジェ族の始祖である女帝の望みを叶えるため、この大陸の国王と同じ権力を存分に発揮しつつ、秘密裏に“何か”を遂行していた」
「秘密裏に?」
「いや、もしかしたら“大々的に”なのかも知れないな」
含みを感じたクレスは、「どういうことですか?」と尋ねる。
「クレス、ガーゴの設立理念は何だ」ロドニーはそう尋ね返した。
「え? それは世界平和の実現では…」
ホワイトボードに目を向けてから答えると、ロドニーは頷いた。
「そうだな。世界平和だ」
そういって、「では平和とはどういうものだ?」と続けて尋ねた。
「それは…争いのない、脅威のない世の中のことでは…」
いいかけて、彼はハッとしたような表情になる。
「まさかクィンセス女帝の望みは、人類の脅威である七竜の排除…!? 七竜討伐作戦は、ガーゴ設立のときから考えられていたということですか!?」
驚いて尋ねるクレスに、
「いや、違うな」
ロドニーはゆっくりと首を横に振った。「その先だ」
「先…? 先ってなんです?」
「クレス、先日のダイレゾ戦を思い出せ。あの時何があった」
ホワイトボードからクレスに目を向けた。「あの時、ダイレゾが“パンドラ”によって強化される直前、ある存在を仄めかすような“演出”がされただろ?」
空に浮かんだ“文字”のことを思い出し、クレスは思わず立ち上がってしまう。
「…レギオス…」
ボードを眺めながら硬直した。「クィンセス女帝の真の狙いは、混沌の神…レギオス…?」
「違和感はあったんだよ」
ロドニーはいった。「あの一連の出来事が全てナンバーの方々の演技だったとして、何故わざわざ空に文字を浮かべたり、地図を見せて“混沌の神”がいるということをマスコミを通じて全世界に匂わせたのか。連中は、世界の人々に向け、真の敵はまだいるんだということを伝えたかったんじゃないか」
確信を持って話す彼に、「ま、待ってください。でもそれっておかしくないですか?」とクレスが止めた。
「七竜討伐が実行された当初、多少の批判はありましたが、各国の首脳は討伐の許可を出してくれた。みんなも七竜の存在には困っていたようですし、もっと大々的に七竜を討伐していって、レギオスを最終目標にしていると素直にいえば良かったのでは? レギオスだって七竜と同様封印されているだけかもしれませんし、人類にとって危険な存在なのは変わりない。その排除がクィンセス女帝の望みだといえば、賛同する人も沢山出てきたはずでしょう?」
「そこだ」
クレスに人差し指を差し向けてから、ロドニーも立ち上がった。
「わざわざ世界に向けて七竜を討伐していくと喧伝し、ハイドルはメディアを駆使して七竜は忌むべき存在だと国際世論を導いていった。数千年も前の出来事をほじくり返し、七竜に対する復讐心を募らせ、レギオスの存在を仄めかして討伐論を拡大させていった。ここに秘密があると思うんだ」
「どんなですか?」
尋ねるクレスはかなり興奮した様子で、思慮するロドニーを食い入るように見つめている。「どんな秘密があると思いますか?」
ホワイトボードに『クィンセス女帝』、『ガーゴ』、『レギオス』と単語を書き連ねていき、ロドニーは再び椅子にかける。
しばし返事はなかった彼だが、
「…誰もがそうだとはいえないが、人は追い込まれたとき危険思想に走りやすい」
あらゆることを想像しながら、ロドニーはいった。「プロパガンダに流され、同調圧力にかけられた人々は、その裏でどんな意志が働いているかまで考えが及ばないもの」
「それは…つまり?」
「考える時間を与えたくなかった…んじゃないか」
そのまま、ロドニーは推理を続ける。「気持ちに余裕のある人ならば、その行動や理念に疑念を持ち、調べようとするから」
「…レギオスの討伐に関する動機を調べられたくなかった、ということですか?」
「そうだ。つまり、クィンセス女帝がレギオスを抹殺したかった、世界平和以外の本当の理由というものがあったんだ。だがそこには決して公にできない何かがあり、知られるわけにはいかなかった」
「じゃあ…エレイン村が壊滅させられたのは…」
「彼らはガーゴのことを調べていた。そこから、いずれ真相に行き着くことを恐れていたんじゃないか」
クレスは腑に落ちたような表情を浮かべた。
が、すぐにその表情が怒りに染め上がる。
「どんな理由があったにしろ、人を犠牲にしていいはずがありません」
「その通りだ」
頷いたロドニーは再び立ち上がり、資料を片付け始めた。
「手伝ってくれ。準備して向かうぞ。魔法列車の始発が近い」
「え? どこか行くんですか?」
「コンフィエス大陸だ」
ロドニーはいった。「鍵はエンジェ族の始祖、クィンセス女帝。ならば現地で調べるのが一番の近道だろう?」
「でも列車って…転移魔法で行かないんですか?」
「俺たちはガーゴが抱える闇を暴こうとしている。連中に目を付けられないためには目立たないほうがいい。転移魔法だと聖力痕が残って、転移先がばれてしまうからな」
「なるほど」
納得したクレスはすぐに片づけを手伝い始めるが、途中で笑い声を漏らしてしまう。
「どうした?」
「いえ…ロドニーさんの顔つきが見違えたように見えてしまって」
久しぶり見せた、クレスの笑顔だった。「その顔を奥さんに見せたら惚れ直してくれるんじゃないですか?」
「ぬかせ」
ロドニーも笑顔を見せるが、すぐに真顔に戻る。
「“彼ら”の意思は俺たちが引き継ぐ。そこにどんな真実があって、同僚やその他に迷惑がかかることになろうが、彼らの無念に比べれば大したことじゃない」
「はい」
頷くクレスは、間もなく夜明けだというのに、真剣な表情をしていた。「代替のきく“ネジ”の意地、見せてやりましょうよ」
「ああ」
彼らは手早く資料を片付け、フロアを元に戻していく。
そして颯爽と歴史館を後にしたのだが、そんな彼らを物陰から見ていた人物がいたことに、二人は気付いてない様子だった。