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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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百七十七節、存在しない正義

「結局依頼元が誰かは分からなかった、というわけか」

ジーグが湯飲みを回しながら呟く。「少々気になるところではあるが…ま、最悪の事態を防げただけでも良かったよ」

あと数時間もすれば夜明けという、真夜中の時間だった。

部屋の中も外も静まり返っており、虫の音すら聞こえない。

狭い書斎にはジーグ、シエスタ、サラの三人が集まっていた。

「ダインはもう寝たの?」

ジーグと真向かいでかけていたシエスタがサラに尋ねる。

「はい。我々の会話に混ざりたかったようでしたが、眠気には抗えず…同時に“成長の魔法”の効果も切れたようです」

シンシアたちと一緒に寝ていると伝えると、「そう」、シエスタは頷いて息を吐いた。

「あの子たちには大仕事が控えているものね。万全な状態でいてもらわないと」

「仰る通りです」

「で、オニワシュウ…だっけ? どうするの?」

シエスタは夫であるジーグに顔を向けた。「“お礼”、するの?」

「前回で懲りたと思ったのだがなぁ」

顎に手を添え、ジーグは唸る。「通常であればお返しをせねばならんところだが…」

判断に悩む彼に、「恐らく単独行動かと」とサラがいった。

「多額の報奨金に目が眩んで、独断で当屋敷にまで忍び込んできたものだと思われます」

「根拠は?」

シエスタの質問に、「周囲に彼ら以外の気配はありませんでした」、とサラは答えた。

「仮に上からの命令なら不測の事態に備えて“予備”と共に行動していたでしょうし、何より私が訊ねた際、“知らない”ではなく“話さない”といっていましたからね」

「なるほど」

サラの説明に納得した様子を見せるジーグ。

「でも単独であっても、いち組織の人でしょ?」

シエスタがいった。「例え裏の世界…いえ、裏の世界の住人だからこそ、連帯責任というものは重要になってくるんじゃない? だからお礼は必要だと思うけどね。何しろ私たちの娘が狙われたわけだし」

サラと同じく、シエスタもまた、“オニワシュウ”の蛮行に憤っているようだった。

「今度こそ徹底的に、完膚なきまでに叩き潰すべきよ。また狙いに来る可能性もゼロじゃないのよ?」

報復は必要な処置だと、シエスタはジーグに訴えかけている。

だがその報復が後々にどのような悪循環を引き起こすのか、ジーグは分かっているだけに簡単に頷くことはできなかった。

「直接相対したサラはどう思うのだ?」

サラの話をよく聞いてから考えようとしたようだ。

「私は向こうの出方を待ってからでもいいと思いますよ」

二人のカップに新しく飲み物を注ぎ足しつつ、サラはいう。「我々に手を出したらどうなるか、頭目でしたら痛いほど分かっていると思いますし、実行犯には軽いお灸を据えておきましたから」

何を以てして“軽い”のか。

サラから暗殺者二人に下した鉄拳の詳細を聞いていたジーグは、軽く身震いした。

「やはり女というものは怖いものだな…」と呟いてしまう。

「何かいった?」

「いっ、い、いや、それより、問題はオニワシュウをどうするかということだけではない」

咳払いをしてジーグは話を進めた。「ルシラを狙っている者がいて、それが誰かということを調べねばならん。元を断たん限りは、またこうして別の組織が狙いに来る可能性がある」

「その通りですね」

頷くサラは、「ですが目星はついております」と意外なことをいって二人の顔を上げさせた。

「レギリン教です」

彼らに向けて断言した。「ルシラのことを知っているのは限られた人たち。反社会組織にガーゴが人攫いの依頼をするはずがないですし、消去法で考えればレギリン教以外にありません」

その彼女の言葉は的を射ていた。

もしかしたら、ガーゴの中にも強引に物事を推し進めようとする人物がいて、誰でもいいからと反社の人間に依頼するという可能性もなくはない。

が、仮にその事実が明るみに出たら、ガーゴという組織の信用は地の底にまで落ちる。そんなリスクを冒すとは到底考えられなかったのだ。

「…となると、そのレギリン教のトップの人物が最も怪しいか」

ジーグは腕を組む。「モルト卿か…」

「真に“お礼”をすべきは、そのレギリン教かもしれませんね」

サラはそういうが、「でも証拠がないのよね」とシエスタ。

「せめてさっき襲いに来た人たちから言質を取られれば良かったんだけど…そううまくはいかないか」

「そうですね。あちらもなかなかのやり手ですし」

対応策を考えているところで、「とはいっても、一番気がかりなことは別にあるのだけれど…」、とシエスタがいった。

「気がかりなこと?」

ジーグが尋ねる。

「どうしてこのタイミングでルシラを攫いに来たのか、ということよ」

そこでサラもジーグも押し黙る。同じ疑問を抱いていたようだ。

シエスタは続ける。「“向こう”にも色々あってなかなか実行に移せなかったのかもしれない。でもそういった事情を抜きにしても、ルシラを攫うチャンスなんていくらでもあったはずよ。なのに七竜討伐作戦の最終日前夜にこうして強行策に出てきた。何故かしら?」

「考えられる理由はいくつかあるが…」

ジーグがいう。「一番考えられるのは、我々が反撃する可能性がいまならば“低い”と思ったからかも知れん。いや、もしかすると、我々が反撃できなくなるようなことが近日中に起こるから…とか、か?」

「反撃できなくなるようなこと、ですか…」

サラはまた考え込んでしまう。

「…ねぇ、サラさん。この後はもう寝ちゃう?」

シエスタがきいた。「もしこのまま起きてダインたちを見送るつもりなら、息子に伝えておいてくれないかしら? ダイレゾを助けた後、すぐにここに戻ってくるようにって」

「構いませんが…それは一体どういうことで?」

「嫌な予感がする…何もなければいいんだけれど」

シエスタがそう話すこと自体、サラには珍しく映った。

「しーちゃんの嫌な予感は大体的中するからなぁ」

ジーグは困ったようにいい、「しかしダイレゾはどうするのだ?」ときいた。

「確か、ゴディア殿にダイレゾが討伐されるまで見届けるとダインは約束したはずなのだが…」

「それについては心配ないわ。討伐隊は、ダイレゾを確実に仕留めるはずよ」

シエスタがそういいきった。「最後の討伐なんだからマスコミを沢山読んで大々的に宣伝するでしょうし、そんな中で醜態は晒せないでしょ」

「確かに…な」

「だから何としてでも成功させるはずよ。何があろうとね」

どこか含みを持たせたシエスタの台詞に、書斎の中はしばし静まり返る。

「何はともあれ、目の前のことを順次解決していくという我々の方針に変わりは無いということだな」

ジーグがいった。「ルシラのため、あの子の笑顔を守るために、我々でできる精一杯のことをこなしていくだけだ。例え我々がいなくなろうとも、意思を引き継いでくれるであろう仲間が沢山できたのだから」

「そうですね」

サラは頷く。「面倒を押し付けるようで申し訳ない気持ちもありますが、あの方々でしたら必ずや我々が成し遂げたかったことを引き継いでくださることでしょう」

「うむ。我々が亡き後も、な」

「はい」

頷き合う二人を見て、「ちょっと」シエスタが突っ込んできた。

「その変なフラグみたいなの立てないでくれる? 縁起でもない」

憤る彼女に、「しーちゃんが嫌な予感がするだのいうからだろう」とジーグは笑った。

「フラグを立てたのは奥様ですよ」

サラまでそういい、「ええ?」とシエスタは心外そうな表情になる。

「さて、冗談はそれぐらいにして、私はそろそろ寝ることにするよ」

立ち上がったジーグは、シエスタの手を取って立ち上がらせた。

「サラよ、すまないがこの後のことはよろしく頼んでいいか?」

「お任せください。いまからお嬢様方のご朝食の準備をいたしますと、ちょうど朝方になると思いますし」

「ごめんなさいね、サラさん。残業代と、後で休息日をちゃんと設けるから…」

「ほぼプライベートのようなものですし、構いませんよ」

お休みください、とジーグとシエスタを書斎から追い出し、食器を片付け始める。

が、彼女はふと動きを止めて椅子に座りなおした。

「…フラグか…」

まだ夜明けの気配がない空を見上げつつ、彼女は呟く。

「まさか…ね…」




━━━━




「夜遅くまでご苦労なこった」

執務室に響いた誰かの声が耳に入り、デスクに向き合っていたカインはペンを止めた。

「…君か」

入室してきたのがシグであることを確認し、彼はすぐさま作業に戻る。

真夜中ともなればガーゴ本部のどこにも人の気配はなく、廊下は静まり返っている。

ほんのりとカインの執務室だけ明かりが漏れており、シグはふらりと部屋に訪れていた。

「就寝しなくていいのか」

執筆を続けつつ、カインはいった。「最終作戦で君は重要な役割を担うことになっている。失敗でもされたら私にも迷惑がかかるのだが」

「へっ、心配すんなよ。この後ちゃんと寝させてもらうよ」

シグは笑って手を振り、ソファにかけた。

「んなことより、ダイレゾはちゃんと討伐できんだろうな」

笑顔も一瞬で、少し訝しがるような表情に変わる。「今回の作戦で直接“アレ”とやりあうのは俺の部下だ。一応有能な奴らなんだし、こんなことで失いたくはねぇんだけど」

「問題ない」

カインは感情のない表情で答える。「準備はきっちり済ませてある。どのような事態に陥ろうと失敗はない」

自信に満ちた言葉だった。が、シグはつまらなさそうな表情になって口を開く。

「俺は部下を失いたくないっつったんだけどな。作戦の成否なんざ、ぶっちゃけ俺にとってはどうでもいいことなんだよ」

ペンを走らせるカインの手がピタリと止まった。目だけがシグに向けられる。

「ま、でもあんたがいるなら大丈夫か」

シグはすぐに人懐っこい笑みを浮かべる。「“オールキラー”のあんたも最終作戦に同行するんだし、野暮な質問だったかも知れねぇな」

「こんな夜更けにわざわざ尋ねに来たのは部下の心配だけか?」

カインはジロリとシグを睨む。「いいたいことがあるならはっきりいいたまえ。“誰か”に“何か余計なこと”を吹き込んで悪戯に私にちょっかいをかけられても困るのでな。“この間”のように」

何を指していっているのか、シグはすぐに理解してニヤリと笑みを浮かべる。

「もったいないと思ってな」

ソファの背にもたれ、足を組んだ。「この間“そいつ”と会って色々と遊んだんだけど、滅茶苦茶面白い奴だったよ。敵同士じゃなけりゃ、仲良くできてたんだと思うんだがなぁ」

「…鞍替えするつもりか?」

カインは疑わしげにシグを見る。

「まさか」

表裏のない笑顔のまま、シグは両手を上げた。「命令とあらば従うさ。懸賞金がかかったモンスターを殺して回ってたハンター時代の俺を、金回りのいいガーゴに引き抜いてくれたのはあんただし。さんざっぱら楽しい思いさせてもらってるんだ。裏切るようなことなんかするかよ」

義理立てのいいシグは、「だからこそ」と、執務作業を再開しようとしていたカインの目の前までやってきた。

「あんたのことは一目置いてる。だからこそ尋ねてぇんだよ。…あの作戦、マジで実行すんのか?」

真剣な問いかけだった。

カインはすっとシグを見上げる。が、その表情には相変わらず感情というものが宿っていない。

「アイツが発案したやつなんだろ? いくらなんでもこれはやりすぎだとは思わねぇのか?」

そう尋ねるも、カインは再び顔を下げて書類に文字を書いていく。

「ハイドル君の意見は、総監の意見でもある」

抑揚のない声でそういった。「私に恩義を感じてくれている君と同じように、私も現在の地位にまで抜擢してくれたヴァイオレット総監に恩義を持っている。あの方の期待には全身全霊を持って応えねばならない」

「それが他人を犠牲にするものでもか?」

シグがさらに身を乗り出した。「あんたが…いや、あいつ等がやろうとしていることは排外主義思想そのものだ。人命をなんとも思わないあいつ等に加担してるようなものなんだぞ」

そういっても、カインの返事は淡白なものだった。

「総監のご命令に従うまでだ」

そういったきり、彼から何か発せられることはない。

シグは、はぁ、と息を吐いた。

「相変わらず自分の意見っつーもんを持ってねぇんだな…」

これ以上の説得は無意味だと悟ったのか、「邪魔したな」、とシグは執務室を出て行こうとする。

「シグ」

そんな彼の背中に、カインが声をかけた。「“彼”の人となりを理解し情が湧いてしまったようだが、君には他に考えなければならないことがある」

シグは足を止めた。

「七竜討伐作戦が終わった後が本番だ」

カインは続ける。「“彼女”のこと、よろしく頼むよ」

「…ケッ」

短い返事と共に、シグは執務室を出て行った。

廊下から響く足音が遠ざかっていく。

執務作業を再び中断したカインは、顔を上げて何もない虚空を見つめた。

「…自分の意見、か…」

そういえば、友人のコーディにも同じようなことをいわれていたことを思い出す。

普段から表情に感情が出にくく、そのため何を考えているか分からないときがあるらしい。

がしかし、分からないという表現は合っているのかもしれない。

カイン自身も、自分の気持ちというものがよく分かっていなかったのだ。

自分の芯というものを持たず、ただいわれるがままに仕事をこなしてきただけ。

淡々とやっているうちに総監の目に止まり、“ナンバーセカンド”という地位を与えられた。

いつの間にか部下に命令を下す側に立っていたのだが、そこでも結局は上からの命令を下に流しているだけだ。

どの地位にいたとしてもカインの役割というものは変わっておらず、昔もいまも、彼は聞き分けのいい操り人形といっても遜色ないのかもしれない。

与えられる仕事に疑問を抱かず、ただ淡々と機械のように任務を全うする。

こんな自分が、いまさら自分の意見を持つなど…自我に目覚めるなど…

「…どうでもいい」

そう呟き、彼は再び執務作業に没頭し始めた。

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