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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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百七十節、『シンシア・エーテライト』

ヒューマ族が統治するオブリビア大陸には、はっきりとした四季が存在していた。

現代に例えるなら暦は七月に突入した辺りで、数週間前まで新緑だった木は大きく葉を広げ、並木道は鮮やかな緑色で埋め尽くされている。

その広い並木道の中央には、一本の巨木“オソザキザクラ”がどんと頓挫していた。

初夏から花を咲かすその巨木は遠目からでもよく目立ち、そのためよく待ち合わせ場所に選ばれる。

特に休日ともなれば、その周囲は某犬の銅像のように待ち人で埋め尽くされていた。

とはいえさすがに朝から晩まで人ごみというわけでもなく、早朝は待ち人はほぼ皆無といってもいい。

賑やかな昼間と全く違う少し閑散とした中、老人が犬を散歩させていたり、ランニングしている男がいる。

ちらほらと存在する通行人を窺いつつ、シンシアはその桜の木の前に立っていた。

時折髪を弄りつつ、俯いて携帯の時計から時間を確認しようとしたとき、

「あれ、早いな」

後ろからそんな声がして、シンシアはびくりとして振り向く。

「あ、ダイン君!」

彼の姿を確認するなり、シンシアの顔はたちまち笑顔になっていった。

が、すぐにその顔は申し訳なさそうなものに変わる。

「ごめんね、休息日のはずなのに、ダイン君だけ大変なことさせて…」

と、そういった。

「いや、それはいいんだ」

ダインは笑って手を振る。「“これ”がお前たちの望むことなんだったら、俺はどこまでも付き合うよ」

前日、シンシアたちがダインに提案したこと。

それは、今日という一日をかけて、ダインと“個別デート”がしたい、というものだった。

午前の部、午後の部に分け、ダインはこれから時間刻みでシンシアたちと二人きりのデートをすることになっている。

一日で五人とデートをするなど、よほどの浮気者や女好きで無い限りなかなかないことだろう。

大半の“まともな”思考を持つ女性たちにきかれれば大顰蹙をかってしまうところであったが、シンシアたち本人が望むのであれば、ダインとしては断る理由は無い。

明日はダイレゾの救出作戦が控えている。ダイン一家の個別な問題に彼女たちを巻き込むことになるので、五連続デートなど少しも苦ではなかった。

「でもシンシアも大変だったろ?」

逆にダインがきいた。「いま結構朝早い時間だし、今日は無茶苦茶早起きしたんじゃねぇか?」

「そ、それはまぁ…」

「おまけに朝錬もしてきたようだしさ」

「え!? わ、分かるの!?」

シンシアは驚いたようにダインを見上げる。

「若干呼吸乱れてるし、汗は流してきたんだろうが、髪が少しな?」

彼の指摘によって、シンシアは慌てて手櫛で髪形を整えだす。

「ご、ごめんね。せっかくのデートなのに、こんなところ見せちゃって…」

「はは、何で謝るんだよ」

ダインは笑いながらいった。「頑張ってる証拠じゃん。俺は好きだよ、そういう頑張ってる子」

「え…」

「何だったら胴着のまま来てくれても良かったんだけど」

「そ、それはデートとしてどうかなって思うけど…」

「くく、冗談だ。胴着のまま来られたら俺もさすがに戸惑う」

そういったダインは、シンシアに笑いかけたまま「可愛いよ」といった。

「か、かわ…!」

「そのふわっとした白いワンピースはシンシアらしいと思う。黒髪が映えるようで、見た目にも涼しげだ。その麦わら帽子もさ?」

「あ…あぅ…」

早くも真っ赤になってしまったシンシアは俯いてしまった。

彼女が持っていたバスケットを隙を見て奪い取り、「ほら」とダインは手を差し出す。

「時間もあんまないんだし、歩こうぜ。行きたいところあるんだろ?」

「あ…う、うん!」

シンシアはダインの手を取って、一緒に歩き出した。

「な、何だか恥ずかしいね」

隣を歩くシンシアは、言葉どおり恥ずかしそうにしている。

「お、おかしいな…みんなといるときはこんなことなかったはずなのに…」

「そりゃ、二人きりっていう場面が滅多になかったからな」

シンシアの歩幅に合わせつつ、ダインはいう。「デートってのはそんなもんだよ」

「で、でもそれならどうしてダイン君はそんなに恥ずかしそうじゃないの? 何だかずるいよ」

ぶぅ垂れるシンシアがまた可愛らしくて、ダインは笑い声を上げてしまった。

「俺は鍛えてるからな」

彼は笑ったまま続ける。「“こういうこと”に平常心を保ててこそ、ヴァンプ族ってもんなんだよ。簡単に理性を崩しちゃ、みんなに迷惑かけちまうからな」

「むぅ…べ、別にダイン君になら、襲われてもいいのに…」

そこで手を繋いでいたダインの手がぴくりと反応する。

「お、お前な、早朝のこんなところでそんなことをいうなよ」

彼の顔がみるみる赤くなっていった。

「あはは。動揺した。仕返し成功だよ」

シンシアは面白そうに笑ってる。

「仕返しも何も、俺何もしてない気がするんだけど…」

そのまま二人は歩き続ける。


木造建築の建ち並ぶ道を逸れ、少し先を歩くシンシアは、「こっちこっち」とダインの手を引っ張り続ける。

誘われるままダインが歩いていくと、やがて記憶にある林道に出てきた。

その“通学路”はダインには見覚えのあるところで、シンシアがどこに行こうとしているのか、ダインは何となく察した。

「ここだよ」

そういってシンシアが連れて来たのは、案の定“ダイン部”で頻繁に利用していた例の公園だった。

当然ながら人の姿はなく、使われた形跡のない遊具が寂しげに佇んでいる。

「ショッピングじゃないんだな」

公園の中に入り、ダインは意外そうにいった。「デートって大抵買い物とか映画とか、賑やかなところに行くものだと思ってたんだけど」

「時間的にまだ早いし、静かなほうが私は好きだから」

シンシアは笑いながらいって、近くのベンチに座ろうと提案してきた。

「ダイン君、朝ごはんはまだなんだよね?」

「ん? ああ」

「私作ってきたよ!」

と、シンシアはテーブルの上にバスケットを置いて、蓋を開けた。

出てきたのは、おにぎりに玉子焼き、小口サイズにカットされた鮭の塩焼きといった、至ってシンプルなものだった。

シンプルだがシンシアの手作りというだけで妙な特別感があって、ダインは早速おにぎりを食べ始める。具はおかかだった。

「どうかな?」

「うまいよ」

即答したダインは、早くも二個目のおにぎりを頬張る。

「お味噌汁もあるよ」というシンシアから保温ボトルを受け取りつつ、「いやぁ」と彼はいった。

「俺も朝はばたばたしてたからさ、結構腹減ってたんだよ」

「あ、そうなんだ」

「今日はみんな泊まりに来るから部屋の掃除と、晩御飯の仕込やら何やらさ。まぁ楽しいから全然いいんだけど」

そう付け加えたダインは、途中で大あくびを漏らす。

「しかしこんなに早起きしたのは久々だから、まだちょっとだけ眠いな」

まだ早朝といっていい時間だ。今日も暑い一日のはずだったが、周囲には朝靄が漂っており、快晴ではあるもののひんやりと涼しい。

早朝で初の二人きりデートの上に、公園で朝食。なかなか経験できることではないんじゃないだろうか。

「ふふ。実は私も少し眠たくて」

というシンシアは、確かに少しぼうっとして見える。

可愛らしくあくびを漏らしながらおにぎりを食べる彼女を眺めつつ、「ごめんな」とダインは笑顔で謝った。

「もっと余裕を持って、ゆったりとした時間を過ごすのが本来のデートのはずなのにさ」

忙しい初デートとなってしまったことにダインは申し訳なさそうにいうが、「あ、ううん、そんな、違うよ」とシンシアは慌てたように首を横に振った。

「私たちが勝手に提案したことだし、確かに忙しいけど、こういうのも楽しいよ。早朝デートだなんて滅多に経験できないだろうし」

ダインと同じ感想を漏らした彼女は、「それに」と続ける。

「ニーニアちゃんやティエリア先輩とか、みんなと一緒にいるのもすごく楽しいから。毎日が特別みたいに感じてるよ」

「そっか」

「ま、まぁ、ても…ダイン君と二人っきりっていうのは…もう少しあってもいいかなって思うこともあるけど…」

恥ずかしそうに本音を漏らすシンシアを眺めつつ、彼女が作ってくれた朝食を全て平らげ、「ごちそうさん」とダインは両手を合わせる。

「マジでうまかったよ。和食っつーのはいいもんだな」

「え? あ、う、うん」

「さ、じゃあ次は何するんだ?」

ダインは笑顔のまま彼女に向き直る。「いまはスーパーご褒美タイムだ。シンシアのやりたいことは何でもきくよ」

「え…ほ、ほんとに?」

「ああ。時間がない中での、せめてもの罪滅ぼしだ」

シンシアがおにぎりを食べ終えるのを待ってから、ダインは再び尋ねる。「このまま会話するのでも散歩するのでも、何でも良いぞ?」

「え、えと、じゃあ…じゃあ…」

周囲を見回したシンシアは、突然目を閉じて何やら集中し始めた。

ぼそぼそと詠唱のようなものが唱えられ、次の瞬間、二人を囲むようにして薄い膜のようなものが張られた。

「お? 何かしたのか?」

「不可視の魔法だよ」

ほんのり赤い顔のまま、彼女はいう。「上手にできるか自信なかったけど、成功したみたい」

何故いま、その不可視の魔法を使ったのか。

意図を尋ねる前に、シンシアは続けた。「で、デートらしいこと、お願いしたいな…」

「デートらしいこと?」

「う、うん。その…いちゃいちゃとか…」

彼女は手をもじもじさせている。

「…いちゃいちゃか」

小さく笑ったダインは、「じゃあ…」、と、彼女との距離を詰めていく。

ぴったり寄り添い、腰に腕を回した。

「う、うわわ…」

急な接近に、シンシアの顔がまたさらに赤くなっていく。

ダインはこれでいいかと思ったが、シンシアの望むいちゃいちゃにはまだ程遠いと思い直し、突然彼女を持ち上げて自身の膝に座らせた。

「ひゃわわっ!?」

「うん、これでいちゃいちゃっぽいな」

ダインは笑って、後ろからシンシアをそっと抱きしめる。

「あ、あう…」

また彼女は大人しくなってしまった。いちゃいちゃすることを望んだのはシンシアなのに、いざやられるとしおらしくなるのはいかにもシンシアらしい。

「はは、どうしたんだよ」

ダインは笑いながら、彼女の感触や体温といったものを感じ取る。

すると不思議なことに、吸魔もしてないのにシンシアの感情や想いが伝わってくるようだった。


動作も笑顔もほんわかとしており、見た目そのままの優しさを周囲に振り撒いていたシンシア。

おっとりとした性格で、彼女が怒ったところなど、初めの頃は想像すらできなかった。

将来の夢は保母さんと周囲の人たちに勘違いされていたようだが、ダインも同じことを考えていたのはここだけの話だ。

が、最近は変わってきたように思う。

友達のことをバカにされたときは怒り出し、危害が及びそうになったときは、躊躇いなく聖剣を創りだして間に入る。

「…成長したのかもしれないな」

ダインは呟くようにいってしまう。

「え? わ、私のこと?」

振り向くシンシアに、「覚えてるか? 俺と初めて出会ったときのこと」、とダインはいった。

「入学式のときさ、俺が憂鬱な気分のまま通学路を歩いていると、ベンチでボーっと空を見上げていた奴がいて…」

「あ、あはは。うん、あったねぇ、そんなこと」

シンシアにとってはなかなか恥ずかしいことだったのか、赤いまま笑った。

ダインは続ける。「あのときはお前が聖剣使いだってことがまだ信じられなくてさ。当時のシンシアはモンスターを倒すことに躊躇いがあって、自分の将来にも憂いがあって…って、色々と問題を抱えていたんだよな」

「それは…う、うん…」

「きっかけは何なのか分からないけど、あの頃より成長したと思うよ」

「え…そ、そうかな?」

「ああ。俺を守るためにリィンさんに突っかかったり、恐怖心に苛まれながらもニーニアたちを守るためにジグルに挑んだり、元々お前には勇気も芯の強さも持ち合わせていたんだよ」

ダインは続ける。「それで俺の目論見どおりにシンシアは迷いを断ち切って、それからは成長も早くなって、リィンさんを跪かせるまでになった。大したもんだよ」

「そ、そんなこと…まだまだだよ、私は」

ダインの手に自身の手を重ねながら、シンシアはいう。「まだまだ…ダイン君が安心だっていうまでは、私は強くならなくちゃ…守り通したいもん、みんなを…」

「…シンシア…」

再びシンシアを抱く腕に力を込めたダインは、「なぁ、シンシア」、静かに問いかけた。

「本当に救出作戦に参加する気なのか?」

ダインが知りたかったのは、嘘偽りのないシンシアの本心だった。「今回の作戦に絶対はない。万が一のこともある。無理をする必要は…」

「行くよ」

シンシアは即答した。「ピーちゃんたちのことは私も大好きだもん。救出の手助けができるのなら、私はやりたい」

「危険だぞ?」

「うん」

ダインに笑顔を向けるシンシアは、「ダイン君にだけは分かって欲しいんだけど」、と続けた。

「ちゃんと自分のいまの実力を分かった上で、協力したいっていってるんだ」

「そう…なのか?」

「うん。無謀なことをいってるつもりはなくて、危なくなれば逃げるつもりでもいるよ」

はっきりそういった彼女は、再びダインの手を優しく撫でた。「ちょっと危ない力試しっていってもいいかな…? 今回のことが成功すれば、私はいまよりももっと自信がつくと思うから」

それはシンシアの本心だった。「ダイレゾちゃんを助けたいし、ダイン君の力にもなりたい。今回の作戦ほど、退魔師を目指す者として奮い立つことはないよ」

そう話す彼女の視線は力強く、ダインにはとても頼もしく映った。

「そこまでいうのなら、俺からいうことはないな」

ダインはそういって、またシンシアを強く抱きしめた。「ありがとうな」

「ふふ、お礼は全部が終わってからでいいよ」

嬉しそうにいったシンシアだが、「でも…」、とふとその表情を曇らせる。

「絶対はないっていうダイン君の台詞はその通りだと思う。私だって万が一のことを全く想像しないこともないし、不安がないわけでもないよ」

台詞の通りに暗い表情をするシンシアは、「だから…」ダインの手をぎゅっと握り締めた。

「私の不安を取り除いて欲しいな…」

なかなかに意味深な台詞だった。

「あ、あ〜、それはつまり、え〜と…アレ、か?」

“当時”のことを思い出してシンシアに問うと、彼女はコクリと頷いた。

「だ、だめ…かな…?」

そのときシンシアが見せたもの欲しそうな視線は、ダインの鍛え抜かれた理性を打ち砕くほどの破壊力があった。

「いや、ま、まぁ…スーパーご褒美タイムだからな」

思わずどぎまぎしてしまいながら、ダインはいう。「俺に拒否権はないよ。そもそも、拒否するようなことでもないんだし」

「ほ、ほんと?」

「俺だって男なんだ。可愛いと思ってる女の子を目の前にして、ずっと平静でいられるわけないだろ」

足を広げてその間に彼女を降ろし、座高を下げてから再びその背中を抱きしめる。

「いい匂いがして柔らかくてさ…卑怯じゃん、こんなの…」

「あ、あはは。ダイン君だって、かっこいいし、暖かいし、いつもどきどきして…卑怯だよ?」

言い返すシンシアと笑い合い、ダインが何かいおうとしたところでシンシアの顔が迫ってきた。

そこから先は、もう言葉など必要なかった。

自然と重なり合う唇。と同時に、早朝の涼しい空気を乗せて一陣の風が吹き、周囲の草木と二人の髪を揺らす。

制限時間つきの慌しいデートは、静かな空気と時間の中、ゆっくりとタイムリミットを迎えようとしていた。

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