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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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十七節、追跡2

森の中を男が二人駆け抜けていた。

道なき道を走り、草薮をかき分け、目の前に迫ってきた大木を咄嗟に避けては転がった岩石を飛び越える。

黒いコートをなびかせた中年の男と若い男はどちらも必死の形相をしており、疲れからか何度も躓き転びそうになっていた。

「な、何で…」

ぜぇぜぇと呼吸を繰り返し、顔面からどっと汗を流していた若い男が叫ぶ。

「何で俺たち追われてるんですか!」

「し、知らん!」少し前を行く白髪混じりの男は、若い男以上に汗をかき疲弊した様子で答えた。

「あんな勢いで迫ってこられたら誰だって逃げるだろう!」

大木を避けきれず肩に衝突し、バランスを崩し倒れそうになる。

若い男がすぐさま彼の手を掴み、再び補助魔法を使い走るスピードを上げた。

二人の背後からはものすごい音がしていた。

辺りの木々が倒れ、枝葉が台風のように舞い上がっており、地響きと共に周囲にいた動物やモンスターが逃げ出している。

男二人がいる地面は常に揺れており、何度も補助魔法を使い相当なスピードで走っているというのに、背後の物音は遠ざかるどころか徐々に距離が縮まってきている。

背後の“何か”は障害物を避けることなく、何もかもをなぎ倒しながら一直線にこちらを追ってきているようだった。

それはまるでとてつもなく巨大なモンスターに追われてるようなもので、男二人にとっては恐怖でしかない。

「目くらましも鈍足の魔法も効かないし、何なんですかあれは!?」

そろそろ限界だとばかりに若い男が叫ぶ。「だから知らん!」と中年の男も悲鳴に似た声で答えるものの、若い男は叫び続けた。

「後をつけて家を突き止めるよう言われていただけなのに、なんでこんなことに…!」

そのとき、背後からめきめきという大きな音がした。

大木が何本も折れるような音がしたと思ったら、男二人の頭上に自分の何十倍もありそうな大木が空高く浮かび上がっていた。

「え」

浮いていた大木はそのまま通り過ぎていき、彼らの進行方向を妨げるように地面に落ちる。

「うわぁッ!?」

地鳴りと土煙に二人は目をつぶり、このままではぶつかると思い大慌てで立ち止まった。

転びそうになりながら周囲の煙を払っているそのとき、すぐ目の前から「なぁ」という声がする。

追ってきていた人物がいつの間にか目の前にいた。驚いた若い男は、「ひぃっ!」と悲鳴を上げつつも防衛反応を出してしまう。

咄嗟に魔法を詠唱し、目の前の人物に攻撃魔法をぶつけてしまったのだ。

多数の光の矢が学生服の男に命中し、そのまま爆発する。

「しまった」という顔をする若い男だが、直撃を受けたはずなのに平然とそこにいる男子学生を見てさらに驚愕した。

「なぁ」

状況を飲み込めず混乱した様子の男二人に向かって、ダインは再び声をかける。

「な…な、なな、なんだ!?」

身構えながら反応したのは恰幅の良い中年の男だ。

「俺に何か用なのか?」

ダインは怪訝そうな表情のまま問いかける。

「な、何のことだ?」

「とぼけたって全部分かってんだよ。俺を待ち伏せしてるって」

「な、何を…」

隣にいた細身の若い男は、ダインの顔を改めて確認して「あっ」という声を上げる。

「黒がかった銀髪で色白、悪人面…間違いないです」

そう話しかけられた中年の男もダインを再確認し、「そ、そうか、こいつが…」と咳払いをしつつ乱れた衣服を整える。

中年の男は逡巡し口を開こうとしたが、ダインが「その前に」と片手を突き出してきた。

「あんたたち、ガーゴの関係者なんだよな?」

コートの肩部分にガーゴのトレードマークであるガーゴイルの絵を指差すと、「そうだが?」と男は簡単に認めた。

「俺に何の容疑がかかってんのか知らないけどさ、仮にも一般市民である俺にあんな出会い頭で危害加えるようなことしていいもんなのか?」

若い男を軽く睨みながらダインは言った。

その男は少々気まずそうな表情を浮かべており、事実のため反論はない。

「たまたま外れたからいいものを、もし直撃して致命傷になったらどうしてたんだよ?」

種族隠しのため嘘を混ぜたが、ガーゴに攻撃されたということが重要だ。

本来なら、ガーゴは市民を守る立場だ。危害を加えるようなことはあってはならないはず。

「そっちの組織のこと詳しくは知らないけど、正義のためなら他人を傷つけてもいいって決まりでもあるのか?」

「ち、違う!」若い男が素早く顔を上げた。

「咄嗟に出てきたから驚いただけで、自己防衛訓練の名残でつい体が動いてしまっただけなんだ」

「だからって一般市民攻撃していいってことにはならないでしょ」

ダインの言うことは最もだと思ったのか、若い男は再び俯き、そのまま「すまなかった…」と小声で詫びてくる。

ガーゴ組織がどういうものなのか、彼らの対応如何によって見極めようと思っていたダインは、無感情に謝罪を受け止めながら「それで」と口を開く。

「何の用すか?」

尋ねても、中年の男と若い男、どちらからも返事はない。

互いにしきりに視線を交し合っており、走っていたためなのか何度も汗を拭っている。

二人の表情には明らかな狼狽の色が浮かんでいた。

尾行する予定であったはずのダインが、全く予想外の方法で接触を図ってきたのだ。

仮にも自分たちはガーゴに属する者。特殊訓練を受け、その辺のゴロツキやBクラスのモンスター程度なら相手にならない。

この目の前の男子学生は、魔力が低く実力のない、ノマクラスでゴロツキ以下の雑魚だと聞いていた。

なのに特別な魔法を使ったわけでもないのに、ありえない速度で追いつかれてしまった。

木々をなぎ倒す怪力。魔法を受け付けない身体。

一体何者なんだ、こいつは━━

「答えられないんすか」

この場をどう切り抜けようか。そんな心理状態を見抜いていたダインは言った。

「強気に出てこないってことは、俺に何か容疑がかかってるわけでもないってことっすね」

未だに男たちから返答はない。ダインは続ける。

「他の生徒にばれない場所で俺を待ち伏せしてたってとこから推測すると、尾行でもして俺の家なりなんなりを突き止めるのが目的ってところか」

男たちの反応に注視しながら思ったことを述べていると、予想通り彼らの表情から僅かな動揺の色が浮かんだ。

図星だと踏んだダインはさらに持論を展開する。

「いままでガーゴっつー組織のことはあんま知らなかったし関わったこともない。今回突然接触してきたっつーことは、昨日の視察団メンバーの誰かが俺の何かに気付いて、あんた達に俺を調べるよう命令したってところか」

なおも男たちは声を出さない。呼吸は戻ったはずなのに、汗はとめどなく流れている。

「あ、逃げるのならどうぞお好きに」

若い男が何かの魔法を発動しようとしたのを察知したダインはすかさず言った。

「ただ、ガーゴ関係者ってことは分かったし顔は覚えたんで。録画もしてます」

携帯を見せたところで、若い男は「ちっ」と舌打ちして魔法の発動を中断させる。

未だに男たちからまともな返答は得られてない。しかしその顔つきはダインが喋るたびに変化している。

動揺、焦り、苛立ち、そして恐怖。

このダイン・カールセンという得体の知れない男子学生を推し量っているような視線を感じる。

ダインもまた目の前のガーゴ関係者である捜査員二人に疑念を向けつつ、「何も言わないんすね」と言った。

「いや、言えないのか。視察団の連中、やけにプライドの高そうな奴らばっかだったからなぁ」

そこで彼は挑戦的な目つきになる。

「あんた達末端っぽい連中に、いちいち目的を教えるはずもないか」

男たち、特に若い男のほうの顔つきが変わったような気がしたが、ダインは構わず言った。

「ガーゴの本部ってところに案内してくれないっすか」

「…は?」

そこで初めて男二人は反応を示す。ダインの台詞が意外なものに聞こえたのだろう。

「あんた達が俺を尾行するよう命令した目的が知りたい。このままじゃ気持ち悪いじゃないっすか」

「バカなことを言うな」

中年の男がダインを見据える。

「一般市民がそう易々と入れる場所ではないんだぞ。守秘義務の観点からも教えられるはずがないだろうが」

「でもあんた達は俺を尾行し、家を突き止めようとした」

ダインはすぐさま反論した。

「プライパシーを侵害しようとした。なのに俺が同じ事をするのは駄目だっていうのはずるいんじゃないすかね?」

ぐっと言葉に詰まった男は、搾り出すように言う。「捜査のためだ」

「何の?」

「それは…聞いてないが」

ダインの目の奥が光る。穴の開くほど目の前の中年の男を凝視していたが、彼が嘘をついているようには見えない。

「上層部が言うからには、必要なことなのだろう」

何も知らされてないことを男は素直に認めたものの、それは返ってダインの疑惑を深めることにしかならない。

「だったらその上層部に当事者の俺が目的ぐらい聞いてもいいじゃないすか。特に容疑をかけられてるわけでもないのに、捜査のために俺の家調べるって意味分かんないすよ」

まさしくその通りだと、捜査員の男二人も思っていたのだろう。また押し黙ってしまう。

「案内してくださいよ。できればあんた達に命令した直属の上司まで」

「だからできるわけがないだろう!」

中年の男は突然声を荒げた。

「君なんかに付き合ってる暇などないんだ! ジーニ様はいまも研究棟に…」

ずっとダインを睨んでいた若い男が、あっという顔をする。

中年の男も自分が口を滑らせたことに気付き、慌てたように口を閉じた。

「そいつがあんた達にそう命令したのか」

ようやく聞きたいことが割り出せたと思ったのか、ダインは口の端に笑みを浮かべる。

「とりあえずそのジーニって奴に当たってみりゃ何か分かるかな」

独り言を呟いたダインであったが、ずっと堪えるようにしていた若い男が怒声を上げる。

「さっきからそいつとかあんたとか、お前は無礼が過ぎるぞ! 何様なんだお前は!!」

ダインの言葉遣いが気に入らなかったのか、それとも尊敬するジーニのことをそいつ呼ばわりされたからか、若い男は激昂した。

「俺たちは市民を危険から遠ざけ平和を守るガーゴだ! 誰もが羨み感謝される我々組織に対して、その口の利き方はないだろう!! 市民の意思によって成り立った我々に歯向かうと言うことは、市民に歯向かうということにもなるんだぞ!」

若い男が人差し指を突き出してくるが、ダインは平然と反論する。

「俺もその市民の一人なんすけど。ガーゴって組織は大勢の平和のためには市民一人が犠牲になってもいいっていう考え方でもあるんすか?」

「そういうことを言ってるんじゃない! 年上の我々に向かってその無礼な態度が問題だと言ってるんだ!」

「それ相応の態度を取ってるだけっすよ」

どれだけ怒声を浴びせられても、ダインの声も表情も冷静だ。

「他人を尾行しようとしたり、出会い頭に魔法ぶつけてきたり、無礼なのはどっちっすか。質問してもろくに返さないし、途中で逃げようともした。そんな連中に丁寧に対応する奴がどこにいるんすか?」

正論だった。どうにか誤魔化そうとしていた中年の男は策を見失い、若い男は再び押し黙ってしまう。

もうこの二人から得られることは何もない。そう結論付けたダインは、ふぅっと息を吐く。

「もういいっすわ。あんた達と話しても埒が明かねぇ」

背後に倒れていた巨木を片手で掴み、軽々と持ち上げる。

邪魔にならないよう適当な場所に突き立てると、男二人は口を開けたまま固まっていた。

「話し合う気があるのならそうしましょうよ。忙しくて会えないって言うんなら、時間が出来たときそっちから来てくれって連絡しといてくれないっすか」

「も…目的を知ってどうするんだ」

中年の男はダインの底知れない力に身を震わせたが、どうにか気力を振り絞って声を出す。

「組織の意向は変えられないぞ」

「変えられなくても何でも良いから、目的は知りたい。仮に協力できることがあるのなら、協力するつもりではいる」

その台詞はダインが譲歩したからでも、心変わりしたからでもない。

ルシラが目的だとしたならば、ガーゴの幹部連中はルシラの正体を知っているはずなのだ。

ルシラの親族探しが手詰まりないま、どんな相手でも良いから情報は欲しい。そう思った上での発言だ。

「だから機会があるのなら、話しといてくださいよ。今後もこうしてこそこそしてくるのなら、こんなやりとりが延々と続くことになる」

一瞬表情を柔らかいものに変えたダインであったが、すぐに険しいものに戻し捜査員二人を睨みつける。

「次もまた尾行しようとしても無駄っすよ。もしそちらが会う気がないのなら、無理やりにでもこっちから出向くことになるっすから」

「そのときは不法侵入で罰せられることになるぞ」

負けじと若い男が言ってくるが、ダインは全く動じない。

「どうぞお好きに。こっちは何もしてないのにプライパシー暴かれようとされてんだ。あんたら裏でこそこそ何かやってるっぽいし、それ関連で今回俺の尾行を命令しただろうとこまでは分かってる」

半分カマをかけたつもりだったが、若い男はぽかんとしていたが中年の男は目が泳ぐ。

尻尾を掴んだと思ったダインは、中年の男に狙いを定め下から覗き込むように背を屈めた。

「世間に知られちゃまずいことを企んでるんすよね? もしそっちが今後もこうしてちょっかいをかけてくるんなら、俺は何が何でもあんた達ガーゴ組織の秘密を暴く。危険だろうと迫害されようと、何が何でも。どんな手を使ってもだ」

中年の男の頬が引くついたところで、ダインはいつもの笑顔に戻った。

「ま、そういうことなんで。そのジーニって上司に伝えといてくれ」

男たちに背を向け、そのまま来た道を戻っていく。

捜査員の彼らは、それからしばらくの間固まったままだった。







「ほ、本当に行ったの…? 何考えてるの、ダイン…」

生徒会室の窓際で、ラフィンは小さく呟く。

時間は少し遡り、ダインが窓から飛び降りた直後のことだった。

相当なスピードで駆けていったのだろう。彼の姿はあっという間に見えなくなったが、土煙がまだ舞っている。

「言ってくれればこちらの正体が分からないように問い詰めることもできたのに…」

相手は巨大組織のガーゴだ。あらゆる業界に根深く存在し、国家規模の兵力と資金を備えている。

最近では権力まで持ち始めたその組織に、下手に刺激すればどんな仕返しが待っているのか分かったものじゃない。

「まだ様子見してた方が間違いなく得策なのに…」

心配そうに言うラフィンに向かって、シンシアは笑顔で言った。「迷惑かけたくなかったんだよ」

「どういうこと?」

「私たちに迷惑かけたくなかったから、手っ取り早く決着つけようとしたんだと思うよ」

「そうですね」同じく笑顔のまま頷いたのはティエリアだ。

「ダインさんはお優しいですから。ダインさんらしいやり方です」

ニーニアも何度も頷いているが、ラフィンの心配は晴れない。

「詳細は分からないけど、ガーゴの上層部に目をつけられたってことでしょ? ひとまずは抵抗せず相手の出方を窺った方が良かったじゃないの」

「嘘とか騙しとか、ダイン君そういうの嫌いだから」

シンシアはあっけらかんとした様子だ。

「嫌いって…学校にガーゴから抗議文送られたりして、ダインが窮地に立たされる可能性もあるのよ?」

「そういうの、ダイン君は気にしないから」

ニーニアが言う。

「気にしないって…」

「ダインさんはピンチとは無縁な方ですからね」

いまダインと捜査員でどんなやりとりが行われているのか分からないのに、シンシア達三人は少しも心配そうにしていない。

彼のことを信頼しているからこそ、ダインなら大丈夫と言ってのけられるのだろう。

だが信用しているからこそ心配もある。

本当に大丈夫だろうかとラフィンが再び窓の外へ視線を向けていると、後ろからガタガタとなにやら音がし始めた。

「ティエリア先輩、良いんですか?」

「ええ、お二方はゆっくりおくつろぎになっていてください。準備は私がしますから」

「あ、じゃあ私は飲み物を」

ティエリアは本棚の奥からティーカップを取り出し、ニーニアは水筒を、シンシアはお菓子の入った四角い容器を取り出している。

ラフィンが「え」と声を出している間に、あろうことか彼女たちは生徒会室でお茶会の準備をし始めたようだ。

「ちょ、ちょちょちょ…!」

全く予想してなかった行動に、さすがにラフィンは慌てだす。

「何やってるの! 何出してるの!」

「何って、いまから学校出てダイン君部するのも遅いから、もうここで始めちゃおうかと」

と、シンシア。

「ここって、生徒会室よ!? 一番模範を求められる中枢で校則違反するなんて駄目でしょ!」

「でもティーカップあるよ?」

「あ、あるけど、それは特例だし、こんなところ誰かに見られようものなら…」

「大丈夫です!」

そういったのはティエリアだ。

「この生徒会室には何人たりとも入れないよう、幾重にもバリアを張りましたし、防音障壁もつけましたから問題ありません」

元生徒会長からのまさかの援護射撃だ。いつの間にか部屋全体が淡く光っているのに気付き、ラフィンは思わず「えぇ…?」といってしまう。

「ささ、ラフィンさんもどうぞこちらへ。幸いにもラフィンさんの分の茶菓子もご用意できそうなので」

ラフィンの手を取ってソファに座らせようとしてくる。

普段から引っ込み思案であるはずなのに、今日のティエリアはやけに積極的だ。

事実ティエリアはテンションがこれまで以上に高まっていた。

ずっと笑顔で動作の一つ一つに嬉しさがあふれ出している。自身を包むバリアにもその感情は伝播し、眩い光を放っている。

シンシア、ニーニア、ラフィン。

これだけの友達と談笑するいまこの瞬間がとても貴重なことのように思え、こみ上げる嬉しさが止められなかったのだ。

「シンシアちゃんはキャラメルティーで良かったよね?」

ニーニアは手馴れた手つきでお茶の用意を始める。

「うん!」

シンシアは人数分の紙皿を並べていく。

「ティエリア先輩は何にします?」

「あ、私はミルクティーで」

「じゃあ私も同じのにして、それで…」

ニーニアの視線がラフィンに向けられる。

シンシアは自然な動作でラフィンの分のティーカップを用意し、ティエリアは笑顔のままラフィンを見つめている。

どれもとても澄んだ目をしており、無邪気な子供のような笑顔だ。

何だか周りにいる全員が、外面を一切気にしないダインのようだ。そう思った彼女は、短く嘆息すると共に「ジャスミンティーがあれば」と言った。

「はい!」とティエリアはより一層の笑顔になり、嬉々とした様子でティーカップにパックを入れ、ニーニア持参の湯沸し魔法瓶からお湯を出し注ぎ入れていく。

「共犯だね」

んふー、と笑顔のまま言ってくるシンシアに、ラフィンは「仕方なしよ」とつんと横顔を向ける。

淹れてくれたお茶を飲もうとしたとき、ソファに座りかけたティエリアが突然「ああっ!」と声を張り上げ立ち上がった。

「な、何…ど、どうしたんですか?」

驚いたラフィンはすぐさま彼女を見上げる。

「忘れてました、ラフィンさんはこの方々とは初めてですよね!? す、すみません気が回らなくて…」

と、ティエリアはラフィンの正面で隣り合って座るシンシアとニーニアの後ろに回る。

「えと、こちら、シンシアさんです。シンシア・エーテライトというヒューマ族の方でご実家の方では道場の運営をしてらして…」

早速紹介を始めるティエリアだが、ラフィンは動揺を落ち着けながら「知ってます」といった。

「え、そうなのですか?」

「はい。まともに話すのは今回が初めてですけど…」

「あ、で、ではこちらの方はニーニアさんです。ニーニア・リステンというドワ族の方でご実家は…」

「あ、それも知ってます」

ラフィンはそういってティエリアの続く言葉を遮る。

「あなたはあの七英雄の武器を作ったと言われるリステン家の一人娘…でしょ?」

ラフィンの視線を受けたニーニアは、少し緊張した面持ちで「は、はい」と頷く。

「…もしかしてラフィンさん、生徒の方々のことを把握してらっしゃるのですか?」

信じられないといった様子のティエリアの言葉に、彼女は「まぁ、はい」と頷いて見せた。

「風紀委員の手伝いで校門前に立つことも多いから、自然と…でしょうか」

「す、すごいですね…」

天才肌気質のラフィンは当然記憶力もあり、一目で相手の特徴を掴む技術を先天的に持っている。

書類仕事もてきぱきとこなし、難題案件にも臆することなく解決へ導く。

生徒会長としての気質があることは、もはや疑いようがなかった。

ラフィン自身にもその自覚はあり、人に厳しくする分自身も厳しく律しようとしていた。

そんな彼女だからこそ、たかが飲み物とは言え一応は校則違反であるお茶を飲むことに抵抗はあったのだが、一度口をつけてしまえば後は同じだ。

「ほら、このクッキー美味しいよ? ニーニアちゃんとの合作なんだ」

紅茶を飲むたびに、彼女たちの笑顔を見るたびに、自分自身に課した重い鎧が剥がされていく。

ダインと二人でいたときのように、素の自分が出てしまいそうになる。

「い、いや、食べ物はさすがに…」

「大丈夫です。自身が使える最高の幻視バリアを張りましたので。校長先生にすら見られないはずです」

自信を持って言ってくるティエリアの後押しに、自分を着飾れるものはついに跡形もなく消し去られてしまった。

ラフィンは「そ、そうですか? それなら…」と差し出された容器から四角いクッキーを掴み、一ついただく。

「…あ、美味しい」

一口食べ、香りと味が口の中に広がったとき、つい率直な感想が口から出てしまった。

「でしょー?」

嬉しそうに言ったシンシアもクッキーを食べ、頬を押さえながら満足そうな顔で紅茶を啜る。

「な、何なのよ、全く…こんなこと、本当は駄目なのに。由緒あるセブンリンクスの生徒だという自覚はないのかしら…」

そう言いつつもラフィンは次々とクッキーを口に運んでいく。

台詞と行動があってないことにシンシア達はしばらく笑い続けていたが、やがてシンシアはティーカップをテーブルに戻し、「それで」とラフィンに体を向けた。

「ラフィンちゃんに一つ尋ねたいことがあったんだよ」

「…ちゃんって何よ。私、ギガクラスなんだけど」

プライドを滲ませるラフィンだが、シンシアは態度を変えずに反論する。

「学年は一緒だよ。クラスが違うだけでそういう隔たりを作るのは良くないと思う。差別化しろっていう校則もないでしょ?」

「それはまぁ…そうだけど…」

本当に反論の仕方がダインみたいだ。

彼に感化されたのか、初めからそうだったのかは分からないけど…。

「そ、それで何よ? 尋ねたいことって」

呼び方の問答は不毛だと思い聞くと、シンシアは真顔のまま言った。

「うちのダイン君とはどのようなご関係で?」

お菓子談義に花を咲かせていたニーニアとティエリアの動きが止まったのはそのときだ。

二人はティーカップを飲むような動作のまま、とても興味ありげにラフィンに視線を移す。

ニーニアとティエリアにとっても、頻繁にダインを呼びつけるラフィンの気持ちが気になっていたようだ。

「う、うちのって何よ」

ラフィンはまずそこに引っ掛かりを覚える。

「うちはうちだよ。私はダイン君と同じクラスだもん」

シンシアは極めて真面目な顔で言った。

「ほぼ毎日ダイン君を呼び出していたのは、本当にお話しするため?」

それが、かねてからラフィンに抱いていたシンシアの疑問だった。

ダインと接触しているのは、何か別の思惑があるのではないか。

この間のバグ騒ぎのように、ダインに難しい問題の解決を頼るつもりではないのか。

ついこの間までは、ダインとラフィンの仲は決して良いものとは言えなかったのに、どうして急にその仲が改善されたのか。

「本当よ」

ラフィンは表情をいつもの毅然としたものに戻し、答える。

「本当に、会話してただけよ」

「会話。呼び出してまでする大事なお話でも?」

追求するシンシアの目には、生徒会長という権限を使ってダインを独占していることに対する不満感が露になっている。

「まさか世間話するためだけに、放送使ったり生徒会業務のついでで呼び出したりしてるんじゃないよね?」

職権乱用。シンシアが指摘しているのはまさにそこだ。

「だ、だから仕方ないでしょ。私がノマクラスに行ったら目立つし、変な噂が立つでしょ!」

苦し紛れに反論するラフィンだが、シンシアは息を吐きつつ「もう立ってるよ」と言った。

「え?」

「放送なんかほとんどの校内に響き渡るんだからもっと目立ってるよ。だからもう噂は立ってる」

ラフィンは授業中でも休み時間の間であっても、近寄りがたいオーラを放っている。

エンジェ族でエレンディアの証を持ち、大財閥の娘で実家のウェルト家はセブンリンクスの巨額支援者。そんなラフィンにはクラスメイトですら話しかける者はおらず、そのため噂は一切彼女には入ってこなかった。

「ど、どんな…?」

恐る恐るラフィンが尋ねると、シンシアは紅茶で口の中を潤してから答える。

「連日のようにダイン君を呼びつけているのは、態度是正のために激しく叱責してるからだって」

「そ、そんな噂が…!?」

目を丸くし驚くラフィンに、シンシアは困ったような表情で頷く。

「いびられてるとか、魔法の実験台にされてるとか、色々噂が立ってるよ。そんな噂のせいで、ダイン君の評判は下がる一方なんだよね」

品行方正でギガクラスのラフィンに、型崩れ感のあるノマクラスのダイン。噂の内容がどんなものであれ、どちらが正義かは印象だけで考えたら明らかだ。

「そ、そんなこと、私したこともないのに…」

ラフィンは軽くショックを受けているようだ。しかしシンシアの責めるような口調は止まらない。

「ダイン君と実際に話したことがある人なら、噂は嘘だっていうのは分かるんだけど、でも信じてる人の方が大半で、ラフィンちゃんが放送するたびにそんな変な噂が広まってる。ノマクラスに直接行くと混乱するっていうのは分かるんだけど、でも他にやりようがあったと思うんだけどなー」

シンシアの言う通りだと思ったのか、ラフィンは俯いたまま「うぅ」と唸ってる。

「ま、まぁまぁ、シンシアさん、その辺りでお許しになってください」

若干空気が悪くなったのをいち早く感じたティエリアがそう言ってきた。

「ラフィンさんはこう見えて不器用なところもある方なので、今後控えてくださればそのような噂も消えると思いますから…ね?」

シンシアが殊更不満なのは、せっかく昨日吸魔されたのに、ニーニアとティエリアにはあったはずの“なでなでタイム”がラフィンの呼び出しによってかき消されたことに他ならない。

優しいダインならば、頼めばやってはくれるだろう。だが自分で頼んでしてもらうのと、ダインの方からしてもらうのとでは訳が違う。

内心期待していて、そのために今朝は無理をして登校してきたといっても良い。だからこそ、その機会がラフィンの呼び出しで立ち消えになりそうなことがショックだったのだ。とは言えそれは自分の勝手な都合だ。今回の呼び出しは至極まともなものだったし、ダインを心配していたが故のことだ。いつまでも責め立てていては大人気ないし、反省するラフィンにこれ以上の追及は可哀想だろう。

そう思ったシンシアは、表情と口調を柔らかいものに変える。

「呼び出してまでダイン君と世間話をしたかったのはどうしてかな?」

「ど、どうしてって、それは…」

さっとラフィンの顔に赤みが差す。

「た、楽しいから…」

素直に言ったラフィンに、シンシアは「分かる」と頷きつつも「でもラフィンちゃんの方が知識とかいっぱいありそうだよ?」と言った。

実際、英才教育を施されて育ったラフィンには相当な知識があった。

多才でもある彼女には分野ごとの家庭教師がおり、幼少期から常に様々な知識に囲まれて育ってきた。

ラフィンと同学年の生徒には、ラフィンほどの知識を持つ者はいないと言っても過言ではない。男子はつまらないことに意地を張り無知が多く、女子は噂話や恋バナばかりで発展性のない会話しかしない。

ラフィンはその筋のスペシャリストである家庭教師との会話に馴れ、身のない話はつまらないと感じているはず。

「知識欲を満たすための世間話なら、ダイン君じゃなくても楽しめると思うけど」

ラフィンに対するそんな噂話を聞いた上での、シンシアの疑問だった。

大財閥の一人娘であるラフィンに対する尾ひれのついた噂話は、しかし真実も混ざっている。

「ダイン君も特殊な環境で育ってきたから、ダイン君のお話は私は楽しめるけど」

「知識欲とかそういうんじゃないわよ」

紅茶を飲み干し、ラフィンは言う。

「ヴァンプ族っていう彼の珍しい種族に惹かれたわけでも、興味本位で彼と話しているわけでもない。そんな上辺だけでの世間話なんて、私も嫌いなんだもの」

空になったティーカップを見つめながら話す彼女は、まるで自分自身気づいてなかった気持ちに自分自身に気づかされたような表情だ。

「視点が違うなって思ったのよ。私の周りもこの学校の生徒たちも、みんな家柄はどうとか種族は何とか、魔力は聖力はどうとかばっかり気にしてる。けれど、あの人は…ダインは違った。彼は、相手がどういう性格で、どういうことが好きで嫌いなのか。家柄も種族も何もかも無視して、その人物だけに着目して話しかけている。その人物のことだけを見てくれている」

「だから」天井をゆっくりと見上げ、それから視線をシンシアに繋ぎとめ、言った。「そんな彼との会話が楽しいし、面白いのよ。そこに知識欲なんかない」

ずっと静かに耳を傾けていたティエリアは、同じく空のティーカップに視線を落としたまま「そう…そうですよね」と呟く。

「ダインさんだけは、周りから敬遠されていた私に気さくに話しかけて下さった。初めから私をゴッド族として見てはいなかった。私という人物を見ていた」

「そうですね」と同調したのはニーニアだ。

「わ、私も、武器防具の製作で名高いリステン家の子供なのに、アクセサリーばかり作ってたから引け目があったけど、ダイン君は綺麗だって、面白いって褒めてくれた」

今度はシンシアが「そうだねぇ」と漏らす。

「大退魔師のお姉ちゃんの背中ばかり追いかけてきた私を、私なりの強さがあるって言ってくれたよ。ちゃんと強いって言ってくれた」

セブンリンクスは魔法力至上主義が基本の学校だ。魔力の極端に低いダインには、確かにその方針には沿っていない。つまはじきにされてもおかしくない人物だ。

しかし彼の存在そのものが、昔から一般常識でもあった魔法力至上主義というものに一石を投じているのは間違いない。

魔法力が高いからといってその人物が全てに於いて優れているわけではない。家柄が良いだけでその人物が偉大というわけでもない。

現在の在り方に、シンシア達にも少なからず問題意識は持っていた。ダインと出会ったことで、その意識はさらに強いものになったのだ。

ダインはやはり、この学校には必要な存在。

お互いにダインに対する印象を述べているところで、改めてそんな共通認識が生まれる。

「きっとかつての七英雄と呼ばれていた方々も、変に格式ばった方ではなく、ダインさんのようにざっくばらんな方々だったのかも知れませんね」

ティエリアの台詞に、シンシアは「うんうん」と何度も頷く。

「勉強は出来ないけど頭の良い人っていますからね」

「し、シンシアちゃん、その言い方はどうなのかな」

すかさずニーニアが突っ込むと、ラフィンが口を押さえてくすくすと笑いだす。

シンシア達には初めて映るラフィンの笑顔に、彼女たちもつられて笑った。

「でもそっか。そういうことなら仕方ないか」

和やかになった空気の中、シンシアは言う。

「ラフィンちゃんがダイン君を呼びつけるの、特別に認めるよ!」

意味もなく手に持ったクッキーを掲げ、ニーニアとティエリアは「おー」と拍手していた。

「あなたこそどんな立場なのか気になるんだけど…」

ラフィンは思わず呟いてしまったが、とりあえず今後突撃されることはなさそうなのでホッとする。

「でも一つ条件があるよ」

安堵したのも束の間、シンシアが言ってきた。

「条件って…何よ」

尋ねたとき、シンシアはにんまりと笑顔を浮かべる。

「私達もこの生徒会室にお邪魔させてもらうね」

それは今日と同じように、今後ここでダイン部という実質お茶会を始めるという意味だった。

「は…!?」

「いやー、ダイン君部があの公園でしかできなかったのを、どうにかしたいなーって思ってたんだよ」

戸惑うラフィンを差し置いて、シンシアは言う。

「確かにそうだね。屋内だったら天候が悪い日でもできるし」

と、ニーニア。

「そうそう。それにここだと校舎内だから近いし、食器も置いておけるし」

「な、何バカなこと言ってるのよ! 今回は特例で…」

ラフィンが即座に反対の声を上げようとしたときだった。

「お願いします!」

立ち上がり、ラフィンに向けて深々と頭を下げてきたのはまさかのティエリアだ。

「是非とも、是非ともお願いします! 校内でご友人の方々と下校時間まで談笑…夢でした!」

「え、えぇ…?」

先輩が頭を下げている。ゴッド族の彼女が頼み込んでいる。

「バリアは常に張り巡らせておくので! 絶対に何人たりとも進入されないようにしますので!」

「そうそう」と、いつの間にかティエリアの背後に回りこんでいたシンシアは追撃した。

「美味しいお菓子、沢山食べれるよ〜? 今日はクッキーだけだけど、この前はカップケーキだったし、その前はクリームたっぷりのバウムクーヘンだったし。甘いお菓子たくさん食べれて、美味しい飲み物も沢山用意して…」

シンシアの言葉だけで、ラフィンの脳裏には様々なスイーツの映像が浮かぶ。

彼女達が作ったらしいクッキーは、沢山の美味しいものを食べ舌が肥えたラフィンでも思わず「美味しい」と言ってしまうほどの出来だ。今後もこのクッキーと同等か、それ以上に美味しいものが食べれるのだろう。

甘党の彼女にはとても魅惑的な提案だった。思わず「うぐ…」と反対意見を詰まらせてしまうほどに。

「ラフィンさん、お願いします!」

お菓子の誘惑に、さらに先輩でゴッド族であるティエリアの懇願。

「良いでしょ? ラフィンちゃん」

「わ、私もお願い…」

シンシアと、いつの間にかニーニアまでティエリアの背後に回っている。

「う、ぐぐ…ひ、卑怯よ! ずるいわよこんなの! 断れるわけないじゃない!!」

陥落する以外に選択肢はなく、思わずラフィンは叫んでしまう。

「やたっ!」

喜ぶシンシアは、これまた嬉しそうにするティエリアやニーニア達とハイタッチしていた。

「でも、でもよ! 約束しなさい!」

彼女たちに向け、ラフィンは立ち上がって声色を凛としたものに変えて言う。

「絶対にばれないようにすること。そして、生徒会での仕事があるときは諦めること。いい?」

「うんうん。約束できるよ。ダイン君が呼ばれたときだけでいいから」

シンシアは笑顔で言い、「じゃあ、はい」とラフィンの前に移動し片手を差し出してくる。

「…え、何?」

「お世話になりますっていう意味の握手だよ?」

シンシアの説明に納得したラフィンは、「そ、そう」と言いながら彼女の手を握り締めた。

そこでさらに嬉しそうな顔になるシンシア。

「友達だね?」

「…は?」

「ヒューマ族にとっての握手は、握手したらその人とはお友達っていう意味もあるんだよ」

「な、何よそれ。初耳なんだけど」

さらに戸惑うラフィンだが、しかし友達と言われたことに悪い気はしない。

「ま、まぁ別に良いんだけれど…」

「あ、あの、わ、私も…!」そう声を上げたのはニーニアだ。

「あ、え、ええ」

ラフィンはニーニアとも握手を交わし、嬉しそうにこちらを見上げる彼女に照れくさそうに視線を逸らす。

そんな彼女たちとのやりとりを眺めていたティエリアは、誰よりも満面の笑みでにっこにこだった。友達の輪が広がったことがとても嬉しいのだろう。

ティエリアの笑顔を見てさらにテンションが上がったのか、「よーし」とシンシアはラフィンに一歩近づく。

「ラフィンちゃん、次はハグしよ、ハグ!」

「え? はぐ?」

「うん! ヒューマ族ではね、友好の証に握手と同時にハグをする決まりがあるんだよ」

「だから聞いたことないんだけど…」

ラフィンの言うとおり、もちろん嘘である。シンシアは気に入ったものにはとにかく触れたがる傾向があるため、そのための方便だ。

「ニーニアちゃんにもティエリア先輩にもやったし、恒例だから諦めてね」

「いや、ちょ…」

たじろぐラフィンにさらに近づき、問答無用で彼女を抱き寄せた。

「い、一体何なのよこれは…」

戸惑いながらも大人しくするラフィンに、シンシアは「ん〜」と何とも満足げな顔で彼女の感触を堪能する。その途中で「ん!?」と何かに気付いたような声を上げた。

「こ、これは…!」

「な、何? どこか変?」

「ラフィンちゃんの髪…ふわふわすべすべで気持ちいい!!」

やや間を置いてラフィンが「はぁ?」と声を出すが、実際エンジェ族の髪は触る者全てを魅了するほどの手触りの良さがあった。

その感触は最高級の生地“スルツベシルク”をも凌駕すると噂されるほどで、髪の毛一本を高値で取引している一部マニアもいる。

もちろん存在自体が奇跡と言われているゴッド族の髪質に至ってはその比ではないが、しかしどちらの種族の髪も滅多に抜けたりしないので、超高級品とされている。

「はぁ〜、すっごい…すごい…これに包まれて寝たいなぁ…」

シンシアは夢心地だ。ラフィンを抱きしめてはいるが、もはや彼女の髪しか撫でてない。

「な、何言ってるのよ。ちょ…くすぐったいんだけど…」

身をよじりどうにか逃げようとするラフィンだが、シンシアは離れない。

困った表情で隣を見るものの、いつの間にかニーニアとティエリアが近くにいた。

「シンシアさん、それほど良いのですが?」

シンシアのあまりのとろけ具合に二人は興味深々だ。

「はい…ティエリア先輩と同じかも…」

ラフィンを拘束したまま、シンシアは二人を呼ぶ。「ほら、触ってみてください。ニーニアちゃんも」

「あ、では…」というティエリアに、「じゃ、じゃあ」とニーニアも続く。

「あ、あの…わ、私の意志は!?」

そんな彼女の声は誰にも届いてないようで、触れるだけで良いのにニーニアとティエリアまでラフィンに抱きついてきた。

「ほ、ほんとだ。気持ちいい…」

「い、良いですね…」

「あー、このまま眠れそうかも…」

ラフィンの髪の感触だけでなく、ニーニアやティリアまで抱きついてきたことに、シンシアは心から幸せそうだ。

「ダイン君がいないときは、ラフィンちゃんにずっとこうしてようかなぁ」

と、思わず言ってしまう。

「は、え? どういうこと? ダインといつもこうしてるってこと!?」

戸惑いながらも聞き逃さなかったラフィンは驚きの声を上げた。

「ん〜いつもじゃないかなぁ」

間延びした声を出すシンシアだが、「特別なときにね」と続けたところでラフィンはさらに想像を膨らませる。

「と、特別!? 特別って何!? だ、男女交際的な!? 駄目よそんなの!」

「いやそういうのじゃないんだけど…」

ラフィンが取り乱し、シンシアが弁明しようとしたそのとき、

「あ〜、そろそろいいか?」

窓側から声がした。

シンシア達全員が抱き合ったまま顔を向けると、何ともいえない表情でダインがそこに立っていた。

「だ、ダイン!? え? あれ? バリアがあったはずなんだけど…」

ティエリアが本気で張ったバリアは確かにまだある。ラフィン自身でも突破は難しそうなバリアを、ダインはいとも簡単に進入してきている。

「ふふ。ヴァンプ族というのはそういうものらしいです」

未だ抱きついたまま、ティエリアは笑顔で言う。

「ゴッド族の魔法すら退けるの…?」

捜査員とのやりとりの詳細はさておき、彼の特殊能力に驚愕するラフィン。

同じくシンシアもダインに大丈夫だったか尋ねるより、「ダイン君もおいでよ」と彼を手招きしている。

「ラフィンちゃんの感触、すごくいいんだよ? だからほら」

抱きつけと言っている。ラフィンは再び驚いて「ええ!?」と声を上げた。

「いや、その…え、えぇ…?」

激しく動揺し、顔を真っ赤にさせたまま体を硬くさせている彼女だが、その口からは拒絶の言葉は出てこない。

良いとも言ってないが、しかし嫌だと言わない以上まんざらでもないのは間違いない。

そんなラフィンを見上げた後、ニーニアとティエリアは互いに視線を合わせた。

ラフィンさん、もしかして━━

戸惑うラフィンに、何かに気付いたニーニアとティエリア、そして呑気な表情でダインを誘っているシンシア。

それぞれの思惑が渦巻く中、ダインもダインで困った様子で「いやいや」と手と首を振った。

「俺は一応男なんだから、セクハラになっちまうって。仮にも生徒会長のラフィンに正々堂々セクハラする奴なんざいないだろ。今度こそ退学になっちまうよ」

冗談めかして言うダインに、真面目に捉えたラフィンは極めて小声で「そんなこと…」と呟いている。

「まぁお前らずっとラフィンの髪触ってるから、よほど感触が良いんだろうなってのは分かるけどさ」

興味がないわけではない。そういう意味に捉えたシンシアは、気持ちよさを共有したいがために諦めなかった。

「じゃあほら、せめて感触だけでも。ほんとすごいんだよこれ」

ラフィンの髪を束で掴み、ダインの方に差し出す。ラフィンは僅かに体を震わせた。

「だ、だから私の意志は…」

震える声を出すラフィンに、シンシアは「駄目?」と尋ねる。

「べ、別に…ダインなら、良いけど…」

エンジェ族の髪には末端にまで感覚が通っており、だからこそ他人に触られるのはあまり気分の良いものではないらしい。

しかしダインになら良いと言う辺り、予想は間違いないようだ。ニーニアとティエリアは再び視線を交わし、真剣な様子で頷き合っていた。

「ほら、ラフィンちゃんのお許しが出たよ」

「じゃ、じゃあ、まぁ…」

と、やや緊張させながらダインがラフィンに近づいていく。

ダインもシンシア達も、もはやガーゴ捜査員とのやりとりなど完全に頭から抜け落ちたかのようだ。

ダインは少し遠慮がちにラフィンのブロンドの髪に触れる。

「お、おお、マジだ…すげぇな…」

感触の良さに驚いた声を上げるダインだが、同時にラフィンも「ふわ」と間の抜けたような声を上げてしまった。

感覚のある髪越しに伝わる、ダインの手の感触。それはシンシア達とは全く別次元のものだ。

「な、何…これ…」

聖力を吸われたわけでもないのに力が抜ける。

不可思議な感触に身を震わせていると、「ヴァンプ族はね、肌質がすごく良いんだよ」とシンシアが得意げに言ってきた。

「吸魔っていう特殊能力のために進化したものらしいけど、不思議だよね」

「そ、そう、ね…」

魔力がほとんどないのに強くて、魔法力を吸える能力があるのに魔法は利かない。

他の種族にはない特徴が多すぎる。ラフィンは驚くばかりだった。

「探せば他に分かることがあるかもしれませんね」

ダイン自身にも説明の出来ない特殊能力は、ティエリアの言うとおりまだまだあるかも知れない。

「不思議がいっぱいだけど、それがダイン君の良いところでもあるんだよ」

ニーニアは笑顔のまま言う。

「そ、そうね…」ラフィンも同意を示すが、そろそろ限界だ。

「ね、ねぇダイン、も、もういいかしら?」

このままでは本当に倒れてしまいそうだ。そう思って尋ねるものの、彼からは「いや」という声が返ってきた。

「もうちょっと触らせて欲しい。マジで他にはない感触で気持ちいいんだ」

ダインの手はいつの間にかラフィンの頭上にあり、まるで子供を褒めるような手つきで優しく撫でられている。

「あ、う…」

ラフィンの顔は真っ赤を通り越し、そのまま沸騰してしまいそうだ。そんな状態でも彼の手から逃れたり拒絶したりはしない。

ダインの好きにさせていたが、やがて立っていられなくなりシンシアに寄りかかってしまう。

シンシアはさらに笑顔になってラフィンを抱きしめ、支える。

「髪以外もふわふわだね〜」

そう言うシンシアを別の角度から抱きしめていたニーニアは、「シンシアちゃんもふわふわだよ」と言った。

「皆さんがふわふわです」ティエリアはずっと幸せそうにしており、抱き合う彼女たちの周りには沢山のハートマークが浮かんでいるかのようだ。

その渦中にあるラフィンは混乱の極みにあった。

ドワ族、ヒューマ族、ゴッド族と他種族の女性に抱きつかれ、頭にはヴァンプ族の手があり、訳が分からなかった。

冗談抜きでどうにかなってしまいそうであったが、しかし同時に確かな安堵感がある。

物心ついたときから両親は忙しく、こうして触れ合ったことなどこれまでに数えるほどしかなかった。

何でも買ってもらえたし、寂しくないようにと可愛い人形や、付きっ切りのメイドをあてがってもらったり、両親の愛情を感じてはいた。

大切にされているとは思っていたが、やはり触れ合う以上の愛情を感じられる方法はなかなかない。

抱き合い、触れ合うことの大切さをいま身に染みて感じたラフィンは、緊張した面持ちながらも小さく笑う。

面倒ごとは確かに増えた。

これまで誰に対しても模範的な振る舞いで隙を見せなかった自分にとって、世間体や外面を気にしないダイン達との付き合いはあまりにリスキーだ。

もしこの生徒会室でダイン部という名のお茶会をしているところを、俗に言うアンチに見られようものならこれまでの努力は全て水泡に帰すだろう。

ダイン達と今後も付き合っていくつもりなら、そうならないための労力が今後増えることは明らかだ。

だがそれを差し引いてでも、ダインの…いや、ダイン達の笑顔は余りある。

ウェイズ神学校時代でも、聖セラフィエ士官学校時代でも、自分に近寄ってくる人は全て私欲に満ちたものだった。

ウェルト家という肩書きに何かを期待して近づいてくる者がほとんどだったのに、ダイン達は違う。

どれも純粋に自分に触れたがっている。話したがっている。そこには何の裏も感じられない。

「はぁ…もう、何なのよ、全く…ふふ」

ラフィンはつい笑顔を浮かべてしまう。このときほど、はっきりとした笑顔を出せたのはいつ以来だろうか。

「ほら、もういいでしょ。そろそろダインから捜査員とのこと聞かないと」

優しい口調でラフィンが言うと、ずっと忘れていたのかシンシアが「そうだった!」と声を出す。

ニーニアもティエリアもハッとしたような顔になり、ラフィンから離れてダインを見上げた。

「で、何か聞けたの? というか捕まえられたの?」

ラフィンは改まってダインに問いかける。

「ああ、最初こそ逃げられたけどな。どうにか話もできたけど…」

ダインは「う〜ん」と顎に手を添える。いつの間にかニーニアが淹れてくれた紅茶を一口飲んで、息を吐いた。

「結局何も分かんなかったっつーかな」

「どういうこと?」

不思議そうにするラフィンたちに、ダインは顛末を話し始める。

ガーゴの狙いは確かにダインだった。

現在の住所を突き止め、探りを入れようとしていた。

少し真相は掴めたものの、ルシラに関することなので説明が長くなると思ったダインは、「それだけだ」と話を切る。

「これまで一切連中と絡まなかったのに、今日奴らが尾行しにきたってことは、昨日の視察団とのやりとりが発端なのは間違いない」

ダインの予測に、同じ考えだったらしいラフィンが「そう、ね」と頷く。

「そういや、その俺をつけようとしてた連中から、ジーニって上司の名前が出てきたんだが…どんな奴か分かるか?」

全員に尋ねるが、ラフィンを除いたシンシア達は首を振る。

「聖魔犯罪対策課の部長、だったかしら。確かエル族のはずよ」

そのときダインが思い出したのは、視察団とやり合ってる最中、常にこちらを鋭く睨んでいたメガネの女だ。

ラフィン以上に鋭い目つきで、エル族のようだったが蛇みたいな顔つきの刺々しい奴だった。

「もしかしてその人があなたを尾行するように命令したのかしら」

予測を言うラフィンに、ダインは頷いてみせる。

「さっきの奴ら、どうみても下っ端だったからな。自らの意志で動いているようには見えなかった」

「となると、何かを企てているのはそのジーニっていう人…になるのかしら」

「可能性は高いが、しかしガーゴってのは大組織なんだろ? 独断なのか、さらに上からの命令なのかは微妙なところだな」

「一体あなたの何を知りたがっているのかしら…」

考え込むラフィンに、ダインは「まどろっこしいよな」と頭をかく。

「面倒だけど、やっぱ本部に乗り込んで直接聞くしかねぇかな」

手っ取り早く済ませようとするダインに、ラフィンは「言っておくけど」とやけに鋭い声で言ってきた。

「基本的にガーゴのナンバーって言われてる幹部の人達には、一般人は見ることすらできないわよ」

「そうなのか?」

「ええ。視察とか特別なイベントのときに顔を出すことはあるけど、上も下もガーゴは忙しいからね。上層部は本部に篭って指示を出していて、その本部にはものすごく強力なバリアが張ってあって入れない。それ以前に本部自体一般人は立ち入り禁止で、無断で入ろうものなら厳罰が待ってるわよ」

幹部であるカインと親族間での付き合いがあっただけに、ラフィンはある程度ガーゴの内情を知っている。

暴走しそうなダインを止めるために情報を明かしたのだが、ダインは明らかにめんどくさそうな顔になって息を吐いた。

「何だってそんな厳重にしてあるんだよ」

「取り締まり組織っていうのは何かと恨まれることもあるからね。人権派や市民団体、反社会組織とか」

それはガーゴに限った話ではなく、正義を振りかざしがちなエンジェ族全般に言えることなのだろう。

ラフィンも長年生徒会長を務めてきただけあって、反対派や校則無視の不良たちとやりあった経験は沢山あるはずだ。

「あなた自身の問題だから、止めはしないし私にそんな権限もないわ。けれど、あなたはいまはこのセブンリンクスの生徒よ。そこだけは忘れないで欲しいわね」

セブンリンクスとガーゴは切っても切れない関係にある。立場的にも下であるセブンリンクスの生徒が上司であるガーゴに手を出そうものなら、相応以上のしっぺ返しが待っていることは想像に容易い。連帯責任というものもあるだろうし、もし仮にダインが暴走しガーゴ本部に乗り込んだとしたなら、多方面に迷惑がかかる展開も十分考えられる。

当然抗議文などで済むはずもなく、場合によってはガーゴ系列の会社に就職が内定していた学生が、連帯責任の名の下に取り消しになることもあるかも知れない。

ラフィンが言いたいのはそこで、遠まわしにダインの暴走を止めたいという意図もあった。

「あー…そうだったな…」

ラフィンの狙いは見事成就し、ダインは思いとどまったように難しそうな顔をする。

「じゃあいっそのこと…」

「駄目よ」

続きが読めたラフィンは先回りして言った。

「学校の生徒じゃなくなれば、とか馬鹿なこと言わないでよ。そんなの私が許さないから」

あまりにも大真面目に言ってくるものだから、ダインはつい笑い声を上げてしまう。

「何だよ、初めのときは俺を退学に追い込む気満々だったのに」

「あ、あの時はあの時よ。今は違うわ」

やや顔を赤くしてラフィンは首を振った。

「ど、どういうこと?」

ずっと大人しく話を聞いていたシンシア達が詰め寄ってきたのはそのときだ。

「何の話?」

ガーゴ本部に乗り込むとか学校を辞めるとか、単語の端々から事態の重さを感じ取ったのだろう。

始めこそダインにピンチはないと言ってはいたが、二人の会話を聞いていたらさすがに黙ってはいられない。

「いや、俺自身のことだから、お前等が気にするようなことじゃない」

ダインは心配かけたくないとの思いからそう言ったが、シンシア達は不安げな表情のままさらに一歩踏み込んでくる。

「気にするようなことだよ。ダイン君に関わることだもん」

シンシアの台詞に、その左右にいるニーニアとティエリアが何度も頷いている。

「巻き込むようなことはしたくないからさ」

「気にしないよ」

「いや気にしてくれよ。相手はガーゴだぞ? この学校とも深く関わってる」

そう言っても、彼女たちは引く気配がない。

「友達は助け合うものだよ」

何よりも迷惑をかけたくなかったダインも引かなかった。

「相手が相手だ。巻き込んじまった挙句、お前たちの進路にまで影響があったとなれば、それこそ友達でいられなくなるだろ?」

諭すような口調で言うが、真面目な顔のシンシアから「逆の立場だったら引ける?」という返しに思わず言葉を詰まらせてしまう。

確かにシンシア達の誰かがガーゴからちょっかいをかけられたとしたなら、黙ってられないだろう。

解決するために何が何でも関わろうとするし、それで自分に被害が被ろうとも友達のためならば後悔などしない。昨日のように。

力になりたい。ダインを見つめるシンシア達の真剣な表情から、そんな思いが伝わってくるかのようだ。

本当は明日、深刻にならない範囲でやんわりと話すつもりだったんだが…。

ダインは小さく笑い、「先輩、このバリアって遮音の効果あるか?」とティエリアに聞いた。

「あ、はい。そこは問題ありません。外には物音一つ漏れない様にしてあります」

「そうか」

安心したダインは、昨日の一連の出来事をシンシア達に打ち明けた。

「そ、そんなことあったんだ…」

一通り話を聞いたシンシアは驚いている。

「思い返せば、今回の発端はそもそも私にあるのですよね…」

落ち込むティエリアに、ダインは「それはもう終わった話だろ」と笑いかけた。

「あ、じゃあお昼休みの時間に校長室行ってたのは、昨日のことで…?」

察したニーニアに「そうだよ」と頷いたダインは校長室での会話の内容も彼女たちに伝えた。

「グラハム校長がガーゴを怪しんでいる…?」

意外な事実だったようで、ラフィンは目を丸くさせている。

「この際だからぶっちゃけるけど、ラフィンはカインって奴と繋がりがあるから、そこから探りいれてくれって言われたんだよ」

正直に話すダインに、ラフィンはまた驚いた顔でダインを見つめた。

「え、そ、それ本人に言う?」

「いやだって断ったし」ダインは笑った。「友達相手にそういうことするの嫌いだからってさ」

これまた正直な告白だ。

「そ、そう、友達…」

ラフィンはほんのり頬を朱に染める。まだ友達と言われることに照れくささがあるのだろう。

「とは言ってもさ、今日みたいにガーゴの連中に付きまとわれるのはあまり気分の良いものじゃない。目をつけられたのは明らかだし、奴らの素性を知ってはおきたいってのは本心だ」

「ガーゴのことで何か知らないか?」とラフィンに尋ねると、彼女は唸りながら腕を組む。

「う〜ん…悪いんだけど、一般的に知られてるようなことしか知らないわ。確かにカイン様とは面識はあるけど、守秘義務もあるし内部情報を漏らすような方じゃない」

どう見ても口が堅そうなカインの顔を思い浮かべたダインは、「確かにな」と返した。

「カインって奴から情報を聞き出すのは無理だな」

「そう、ね…昔はあんな感じじゃなかったんだけれど」

ラフィンから気になる一言が飛び出し、ダインは「昔はどんな感じだったんだ?」と聞いた。

「厳格で自分にも他人にも厳しい方だったのは昔も同じだったんだけど」

ラフィンは昔を思い出しながら話し出す。

「迷子を見つけては相談所に届けたり、転んで怪我してる人に治癒魔法使ったり、人里に下りてしまった動物を本来の住処に帰したり、厳しい反面優しいところもあったのよ」

意外な過去だった。ダインと同じくカインに対し冷たい印象を抱いていたシンシア達も驚いた様子だ。

「学生時代まではそんな場面をよく見てたんだけど…」

「ガーゴに入ってからその優しさが無くなってしまったと」

続きを言うダインに、ラフィンは考え込んだまま頷く。

「ガーゴに入ってお忙しそうにしてらしたから、目にする機会が減っただけで、冷たくなった印象を私が勝手に持ってしまっただけかも知れないけれど…」

確かにその可能性はあるだろう。だが、昨日その本人とやりあったダインだから分かる。カインという男は冷たくなった。ガーゴに入ったのがきっかけなのは明らかだろう。

「どうにかコンタクト取れたらいいんだけれど…」

そういったラフィンに、ダインは即座に「いや」と止める。

「ガーゴを刺激するような行動は絶対にするな。そういうことは俺がする。俺の問題なんだから」

「でも昨日の一件がきっかけなんだから、私にも…」

「いいんだって。俺が言ってるのは迷惑かけたくない気持ちが一番だが、下手に刺激して向こうのガードが固くなったら調べにくくなる意味もあるんだから」

ダインの言うことは最もだと思ったのか、口を開きかけたティエリアとニーニアはそのまま引っ込んでしまった。

「とりあえず今回は話だけで終わろう。今後奴等がちょっかいかけてきたり、何か分かったことがあったらその都度俺たちで共有するからさ」

「ええ、分かったわ」

「絶対だよ?」

シンシアの真剣な顔にダインははっきりと頷いた。

そこでガーゴに関する会話は一段落し、ダイン達はソファに腰を降ろしていく。

「でも…さっきの会話で気になることができちゃったんだけど」

紅茶を淹れなおすシンシアが言ってきた。

「ラフィンちゃんって、あのカインさんと知り合いなんだ?」

ダインにとっては今更な疑問だが、しかしカインがどれほど有名か知っているシンシアにとっては興味のある話題なのだろう。

「昔から親族間で付き合いがあったのよ」

これまたシンシア達には思いもよらない事実だったようで、ティエリアが「そうなのですか!?」と驚いている。

「もしかして婚約者…だったり?」

女の勘を働かせたシンシアに、ラフィンは小さく息を吐きつつ「元ね」と答えた。

「ええ!?」

これにはシンシア達全員が驚愕し、一斉にラフィンに顔を向ける。

「す、すごいねラフィンちゃん! カインさんって、この学校内でもファンクラブがあるほどの人気の人だよ?」

「昨日のデモンストレーションのとき、目が合ったって言ってた人が倒れてたの見たよ…」

「私のクラスメイトの方は、声だけでチャームの魔法がかかったかのように静止してました」

口々にカインの人気っぷりを話すシンシア達。

「婚約者だなんてすごいね!?」

これまでにも何度か騒がれたのか、ラフィンは飽き飽きとした様子で紅茶を飲んだ。

「お家の事情みたいなものだし、私もあの方も望んだことじゃないわ。それに元だから、いまはもう疎遠に近い状態だしほとんど他人のようなものよ」

うろたえず淡々と説明するラフィンに、シンシアは余裕のある女性に映ったのだろう。

「はえ〜…ラフィンちゃんって、本当にお嬢様なんだねぇ」

「何を今更…」そういった後、彼女が浮かべたのは余裕綽々とした笑顔だ。

「自慢してもいいのよ? この私と友達だなんて」

冗談のつもりか、相手の優位に立ちたがる“仮の”姿を見せるラフィンだが、シンシアは屈託なく「うん!」と頷く。

「言って良いんならすっごい言いふらすよ! ラフィンちゃんは髪も体もすごい気持ちいいって!」

「自慢していいって言うのはそういうことじゃないし、その言い方は誤解しか生まないから止めて!」

すぐさま突っ込むラフィンにダインは笑い、打ち解けあったような彼女たちのやり取りに「仲良いんだな」と言った。

「いつの間にそんな感じになってたんだよ?」

これまでにも何度か顔は合わせたが、昨日まではどちらも初対面に近かったはずなのに。

「いつの間にって…ま、まぁ流れで…」

ラフィンが照れくさそうに言うと、シンシア達は笑顔のまま頷く。

そういえばシンシア達がこの生徒会室に突撃してきて、そのまま彼女達を置いて自分は捜査員を追いかけたんだ。

ニーニアとティエリアは人見知りなので、積極的に話しかけたのはシンシアなのだろう。

捜査員二人とやりとりしているその僅かな間に、シンシアの誰とでも仲良くなれるスキルが発動しラフィンまでをも取り込んでしまった、ということなのかも知れない。

「ダイン君部の活動もここでしていいって言ってくれたんだよ?」

そんなところにまで発展してたとは、ダインも驚きを隠せない。

「マジか。ラフィンのことだから絶対認めないと思ってたんだけど」

視線を向けると、予想通りラフィンは迷惑そうな顔のまま紅茶を飲んでいた。

「認めるなんて言ってないわよ。黙認よ、黙認」

黙認する側がそんなことを言っている自体、容認しているようなものだ。

シンシア達との友好関係の構築に、ダイン部の容認。昨日はわざわざ思い出して咎めてきたくせに、いまは平然と紅茶を飲みつつクッキーを食べている。

校則厳守、違反は絶対に許さないという当初のイメージとかけ離れてきたことに、ラフィンを見つめるダインは思わずにやついてしまう。

「堕ちていく一方だな、ラフィン。堕天しちまうんじゃねぇか?」

エンジェ族は悪い行いを重ねると、羽が取れてデビ族になってしまう。

もちろん御伽噺だが、素行が悪くなってきたエンジェ族を正す際に使われる常套句だ。

エンジェ族の子供には相当な効果があり、実際ラフィンの眉がぴくりと動く。

「今回だけよ。もう次はないから」

最初に出会ったときのような冷たい表情に戻っているが、彼女の性格を知ってしまったいま、その台詞にそこまでの真剣さは伝わらない。

「生徒会室での飲食は相当なもんだろ。これ以上の校則違反はないんじゃないか?」

茶化すようにダインが言うと、ラフィンは目をカッと開いて紅茶を置いた。

「だ、だってしょうがないじゃない! シンシアが脅しかけてくるんだから!」

やや取り乱すラフィンとは対照的に、シンシアはクッキーを食べながら「んふ〜」と笑みを浮かべている。

事情を知っているらしいニーニアとティエリアも笑顔だ。

「あ、あんなのずるいんだから…断れないわよ…」

呟きながら再び紅茶を飲み始める。その口元はクッキーの粉にまみれていた。

…お菓子と先輩で釣ったか。

推理したダインが視線をシンシアに向けると、アイコンタクトで伝わったのか彼女は正解だとばかりに笑い返してきていた。

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