百六十二節、押しかけ乙女
「女にされに来ました」
ダインが玄関の戸を開けた瞬間、そこにいた学校帰りと思しきディエルがいってきた。
彼女の後ろにはいつものメンバーであるシンシアたちがいて、全員赤い顔でこちらを見上げている。
「だからほら、早くあなたの寝室に…」
「帰れ」
ダインは困惑しつつもとりあえず突っ込んだ。「いきなり来て何の話だよ」
「この子たちから昨日のことは聞かせてもらったわ」
シンシアたちを指しつつ、ディエルは続ける。「まさかあなたに抱かれることで数段階もレベルアップできるなんて」
ダインは思わず後ろのシンシアたちに顔を向ける。
三人は赤い顔のまま押し黙っていたが、ダインを見る目は少し申し訳なさそうだ。
「さぁ、早く! 私も強くなりたいの!」
ディエルの目は輝いており、隣のラフィンはもじもじしたまま。
彼女たちの間でどのような会話があったのか。
何となく察したダインは、「とりあえず中に入れ」、といった。
「いま家ん中のリビングで工房の職人たちと親らが会議中なんだ。あんまうるさくしないようにな」
「ええ、秘め事だものね。静かに声を押し殺したままヤリましょ…」
「だから違うっつの」
ダインはディエルの額を軽く叩く。
「あだっ!」
「いいから部屋に来い」
ディエルたちを引き連れ、自室へと案内する。
「あ、あのっ!」
ダインの部屋に入り、そこに保管させてもらっていたリュックを手にしたとき、ティエリアが口を開いた。
「申し訳ありませんが、ここで帰らせていただいても良いでしょうか」
彼女は少し焦った様子だ。
そういえば昨日、“ダイレゾ救出作戦”の日取りを決めるため、ティエリアはソフィル女王神に謁見の打診をするといっていた。
「ああ。先輩、頼む」
ダインがいうと、「はいっ!」、と真剣に頷いた彼女は、シンシアたちに別れの挨拶をしてから足早に部屋を出て行く。
「で、ラフィン、生徒会の仕事は終わったのか?」
人数分の座布団を用意し、そこに座らせてからダインはきいた。「いつも下校時間ギリギリまで学校に居るのに、今日は早いじゃん」
「きょ、今日はそんなにやることがなかったから」
手早く終わらせてきたとラフィン。「ディエルが変なこと言い出すから、いても立ってもいられなくて、その…」
「凄かったのよ、今日のシンシアとニーニア」
ディエルは興奮した様子で、朝のラビリンスでの一件を話し出す。
「シンシアが聖剣出しただけでモンスターが全部消滅して、ニーニアはフロアの半分以上を一瞬で凍らせて、大爆発も起こしていた」
どうやら朝に感じたシンシアたちの違和感は気のせいではなかったようだ。
「昨日はみんな一緒にここに泊まっていたらしいし、翌日の今日、この子たちは覚醒したかのように強くなっていた。あなたが原因なんでしょ?」
事実のため、ここで否定しても仕方ない。
とりあえず説明を始めようとしたとき、部屋のドアがガチャリと開いた。
「お…っとと…」
トレーを手に入室してきたのはルシラだ。甲斐甲斐しい彼女は早速全員分の飲み物を持ってきてくれたらしい。
「お飲み物、どーぞ!」
「あ、ありがとう」
シンシアがお礼をいい、トレーを受け取ってみんなに配っていく。
昼休みの会話以降ずっと興奮していたからか、喉が乾いていた彼女たちはすぐにグラスを口に付けていく。
「ルシラちゃん、こっちこっち」
ディエルはルシラの手を掴み、自身の膝に座らせた。
小さな身体を抱きしめホッと一息ついてから、「大丈夫だった?」、とルシラに向けてきいた。
「ん? なにがー?」
「いえ、昨日ほら、ダインたちと…ね?」
「んー?」
「くんずほぐれつのエロエロ大会を…!」
ダインは無言のまま、即座にディエルの額をぺちりと叩く。
「あいだっ!?」
痛みによって会話が中断され、「落ち着け」、とダインはまた突っ込んだ。
「落ち着いて、まず俺の話を聞け」
ルシラに余計なことを吹き込まないよう監視しつつ、説明を始めた。
「シンシアたちが覚醒状態…? ってのになったのは、昨夜の“魔法力循環”が原因だ」
そういった。
「循環?」
ラフィンが不思議そうな顔をする。
「みんなで俺の触手で繋がって、魔法力を循環させたまま寝たんだよ。それが直接の原因かどうかは分からないけど、要因の一つにはなってると思う」
「きもちかったよ!」
ディエルの膝の上で、昨日のことをぼんやり覚えていたルシラはきゃっきゃと喜んでいる。「ゆらゆらでふわふわで、すっごくきもちかった!」
抽象的な表現だが、とにかく気持ちいいということだけは伝えたかったらしい。
「き、器用なこと、できるのね…」、とラフィン。
「エッチしたわけじゃないの?」
ディエルはまだ疑っているようだ。
「当たり前だろ」
ダインはきっぱり否定する。「シンシアたちには、プノーの件で埋め合わせのために来てもらったんだ。そんなことするわけないだろ」
「なーんだ」
ディエルは明らかに残念そうだ。何かあって欲しかったのだろうか。
「男だったらまず間違いなく襲い掛かるシチュエーションのはずなのに…何をすればダインはケダモノになってくれるのかしら」
「あのな…俺はそんなに単純じゃねぇよ」
そう会話してるところで、「というか、あなた…恥ずかしくないの?」、とラフィンが間に入ってきた。
性的な言動に対するディエルの遠慮のなさに、単純に疑問に思ったようだ。
「ダインが倒れた“あのとき”だって、あなた最初こそ躊躇っていたけどすぐに裸になってたし…」
「私たちデビ族にとってはね、エッチなことは別に後ろめたいことでも何でもないって認識なの」
ディエルは笑いながらいった。「気持ちいいってことは身体に良いってことだし、スポーツみたいな感覚、といっていいんじゃないかしら。ま、私はしたことないから分からないけど」
何ともデビ族らしい考え方だ。
「だからあなたに強くしてもらおうと思って来たのよ? みんなもそのつもりでついてきてくれたんだし。ね?」
ディエルはシンシアとニーニアを見る。二人は赤い表情ながらもコクリと頷いていた。
強くしてもらう。イコールエッチなこと。
明らかに強くなれることよりも、“そっち”を目的にしているような気がしていたダインは、「悪いが応じられない」、ときっぱり断った。
「え〜なんで〜?」
「倫理観の問題だ。一応は俺は節度を持っているつもりだし。それにな…」
言葉を切り、彼女たちを見回す。
「それに、何よ?」
「あ〜、その…もっと自分を大切にしろ」
説教臭いと思ったのか、彼は照れたようにいった。「自分を大切にっていうか、時と場合をちゃんと選んでくれ」
まさかダインからそんなことをいわれるとは思ってなかったのか、「え」、とやや驚いたようにいった後、ディエルはからかうような笑みを浮かべる。
「なーに? あなたって意外とロマンチスト?」
ダインをもっと照れさそうと思ったようだ。
「そう思ってもらっていい」
しかしディエルの意に反して、ダインは真面目な表情を崩すことなく返す。
「繰り返すが、お前たちはみんな可愛い。本当なら、俺には釣り合わないほど可愛くて優しい奴らなんだよ」
これまた予想外な台詞だったのか、にやついたディエルの顔が驚愕に変わる。
ダインは続けた。「それでも俺のことを想ってくれるってんなら、俺だってそれなりのことはしてやりたいって思うのは当然じゃん。“こういうこと”は、流れで、とか、ノリで、みたいに適当なもので済ませていいことじゃない。ちゃんと思い出として残るような形にしたいんだ」
やや真剣に、ダインは自分の考えというものを彼女たちに伝える。
「女が女として輝けるときは一瞬だって、何かで見たんだ。若くて元気な学生時代が一番輝けるケースが多いって書いてあった。もちろんいつまでも綺麗で輝いてる女性は世の中に沢山いると思うが、若いうちから将来も輝けるなんて誰も分からない」
彼女たちに説くように、ダインはさらに続ける。「将来も美しく綺麗で居続けられるかどうかも分からないのに、人生の中で一瞬しかない学生時代の思い出の中に俺を入れてくれた。貴重で大切な時間を俺に割いてくれてるんだから、その想いを蔑ろにするわけにはいかないだろ」
ディエルたちのぼーっとした視線を感じ、ようやくダインは自分が何をいってるかに気付き、赤面した。
「と、とにかくそういうことだから、軽いノリで迫るようなことは止めてくれ。俺だって何も考えてないわけじゃない。いつまでも放っておくつもりもないから…さ」
ディエルたちのことは真剣に考えているつもりだ。
そんなダインの思いが彼女たちにも伝わったようで、しばし惚けていたニーニアはハッとして携帯を取り出した。
そして素早く携帯を操作して何か文字を打ち込んでいる。
「に、ニーニア? 急にどうした?」
「あ、う、うん。さっきのダイン君の台詞、ティエリア先輩にも届けないとと思って…」
「い、いや、恥ずいから!」
ダインがそういってもニーニアの指の動きは止まらず、そのままメールを送信されてしまった。
「だいん…やっぱり、かっこいーな…」
ルシラが呟いている。
「はぁ…全員で迫ってあなたをオトしてやろうと思ってたのに、そんな雰囲気じゃなくなったじゃない…」
ディエルはため息を吐いていた。
「お前な…」
彼女に何かいってやりたくなったダインだが、言葉を飲み込んで彼女たちのグラスにジュースを注ぎ足した。
「分かってくれたろ? じゃあこれでこの話は終わりだ」
一方的に会話を切ったが、「ちょうどいい。俺からもお前たちに話があったんだ」、とダインは話題を切り替えた。
「七竜に関する新情報が入ったんだ。七竜と古の忘れ形見の関連性についてな」
不思議そうにする彼女たちに向け、ダインは静かに説明を始める。
「…レギオスの復活が目的だった?」
一通り説明を受けたラフィンは、驚いた様子だ。
「ガーゴは混沌の神をも倒そうと…?」
ディエルもさすがに目を丸くさせているが、すぐに疑問符を浮かべた。「でも、ガーゴってレギリン教と手を組んでたわよね、確か…」
「ああ」
「そのレギリン教は、レギオスを崇拝してるんじゃなかった…かしら?」
彼女の疑問に、「崇拝、というのはちょっと違うかもしれないよ」、と答えたのはシンシアだ。
「種族を減らすために、レギオスを復活させて利用しようとしていたんじゃなかったっけ?」
「そうだな」
選民思想の成れの果てだと、ダインが継いだ。「手段を選ばずに反社会的な凶行を起こすカルト集団だ。表向きはもっともらしい組織のようだがな」
「え、じゃあ、ガーゴも同じ思想を持っていたってこと?」
ディエルの言葉に、「違うな」、とダインは首を横に振る。
「ガーゴ側の目的は別にあるはずだ。平和のためにレギオスを利用しようなんざ考えるわけがないし、そんな都合のいい存在でもないはず」
「じゃあ、やっぱり、レギオスの討伐を最終的な目標に…?」、とニーニア。
「だろうな」
ダインは頷く。「ガーゴはレギオスを討伐したい。レギリン教はレギオスを利用したい。どちらも“復活させたい”という目的は同じだったから、一時的な共同戦線を張ったってことじゃないか?」
「じゃ、じゃあ、復活が成功したら、その二つの組織はまた敵同士に戻るっていうこと?」
「そういうことだと思う」
そういってから、ダインは少し表情を歪めた。「どっちにしろ、奴らは自分たちの理想のために、世界を巻き込もうとしてるってことだ。こんなはた迷惑な話はないわな」
「まったく、その通りね」
ラフィンが憤った様子で息を吐く。
「それで、その古の忘れ形見の具体的な作用は…」
ダインにさらなる詳細を尋ねようとしたようだが、突然部屋のドアが開かれた。
顔を覗かせたのはシエスタでもサラでもなく、ニーニアの母、シディアンだった。
「え!? お、お母さん!?」
まさか母がいたとは思わなかったのか、ニーニアがビックリして見上げている。
「楽しくお話してるところ悪いんだけど、ニーニアちゃん、そろそろ時間よ?」
笑いかけるシディアンは、そのまま部屋に入ってニーニアの学生カバンと着替えが詰め込まれたリュックを取った。
「いい加減帰ってこないとね? あなたは私の娘なんだもの」
「も、もう少し…駄目かな?」
ニーニアはまだダインたちの会話に混ざっていたかったようだが、「ここに来れるのは今日だけじゃないでしょ?」、とシディアンは柔らかく笑ったままいった。
「明日も明後日もあるんだから、今日ぐらいは早く帰らないと」
確かに、ここ最近週末はいつもカールセン邸に入り浸っている。
ニーニアとはもはや家族ぐるみの付き合いなので、入り浸ること自体はそれほど問題ではないのだが、しかし度が過ぎて迷惑をかけてしまっているのではないかという親心もあったのだろう。
「だからほら、帰りましょ? 今日の会議もすごく有意義に進んだし」
上機嫌にシディアンはいい、その優しい笑顔につられ、ニーニアは立ち上がる。
「じゃ、じゃあ…」
「みんなもまたね」
シディアンはダインたちに手を振り、ニーニアを連れて帰ろうとしたが、
「シンシアちゃんも、そろそろ帰ってあげたほうがいいんじゃない?」
と、シンシアに向けていった。「私たちはいいけど、お父さんたちは寂しがってるはずだしね?」
「あ…」
シディアンの言葉によって、シンシアはようやく父の顔が頭の中に浮かんだらしい。
さすがに今日もカールセン邸にいるのはまずいような気がして、会話を中断して渋々といった様子でカバンを手に立ち上がった。
「…帰るよ」
玄関先でそう呟くシンシアは明らかに寂しそうだ。
「そんな顔するなよ」
ダインは笑って彼女の頭を撫でる。「俺はいつ来てもらっても良いから。いつでも“ここ”にいるからさ」
彼の手の感触で機嫌が直ったらしい。シンシアとニーニア、シディアン親子は笑って帰っていった。
「よし、じゃあ残った私たちで昨日の埋め合わせでも…」
ディエルが諦め悪くダインに迫ろうとしたとき、彼女の制服のポケットから音が鳴った。
携帯を取り出して画面を見た彼女は、「うげ」、と嫌そうな表情になる。
「あと五分で帰ってこなかったら迎えに行くって、ラステが…」
「だったらお前も早く帰ったほうがいいな」
昨日のことを思い出し、ダインは笑う。「また連れ帰らされるぞ」
「ぐっ…でもギリギリまでならなんとか…?」
まだ粘るつもりでいるようだ。
「俺は別に逃げたりしない。今日は素直に帰っとけ」
ディエルの頭をぽんぽん叩きながらいうと、「し、仕方ないわね…」、ディエルは素直に従ってくれた。
靴を履いて玄関から飛び立とうとするが、
「ラフィン、抜け駆けは許さないわよ!」
そう捨て台詞を残し、「な…!?」、とラフィンが反論しようとしたが、彼女はそのまま飛び去っていった。
「ぬ、抜け駆けって、何いってるのよあいつは…」
腕を組んだ、最近のラフィンでは珍しい高飛車なポーズで彼女は呟く。
少し動揺しているようだが、そんな彼女が可愛らしく見えていたダインは、「ラフィンは昨日みたいな出迎えはないのか?」、と笑いながらきいた。
「え、ええ。いつもは下校時間まで学校に居るから、それまでは迎えが来ないことになってるの」
「そっか」
その下校時間までは、あと一時間ほどある。
お前も帰るか? といいそうになったダインであるが、赤い顔でもじもじしていたラフィンは彼をちらちら窺っており、まだ彼と過ごしたそうにしている。
察してしまったダインは、「あー、じゃあ…」、後頭部を掻きながら、彼女にいった。
「良かったら散歩でもしてくか?」
「え? 散歩?」
「ああ。いつも生徒会の仕事頑張ってんだからさ。そのご褒美…になるかは分かんねぇけど、少し悪いことしようぜ」
「悪いこと…」
まったく検討もつかなさそうなラフィンに、ダインは悪戯っぽい笑みでいった。
「この時間帯だと近所のスーパーでお菓子の叩き売りやってるはずだ。買い食いしよう。俺の奢りだ」