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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
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百六十一節、密談

「単刀直入にいいます。“絶界メビウス”を解放してくださいませんか」

国際弁護士、『ハイドル・ヴィンス』は、テーブルを挟んだ真向かいで静かにかけていた女性に向けていった。

「世界平和の実現に向け、協力をお願いしたい」

そこはオブリビア大陸の内地にある、『聖地アガレスト』に建てられた神殿の貴賓室。

その一室は、王族や首脳クラスの“ゲスト”と密談をするときにたまに用いられる。

部屋には世界各国から取り寄せた豪華な調度品が飾られており、権威と財力の光がこれ見よがしに放たれていた。

壁には一面金箔が張り巡らされており、見ているだけで目を細めるような“やかましい”光景だが、その中心にいる人物もまた、周囲の光に負けないほどの輝きを放っている。

数多ある種族の頂点に君臨し、さらにゴッド族の中でも最高位の位を持つ人物━━『ソフィル・ハイリス』女王神。

ハイドルの演説のような言葉を聞いていた彼女は、普段の優しげな表情とは打って変わり、まるで調度品のような無機質な顔でハイドルを見据えていた。

「話をしたい」、とエンジェ族の王、『ソハネ・ホワイト』国王を経由してハイドルから密会の連絡があったのはいまから二日前のこと。

親交のあるソハネからの頼みなので断れるはずもなく、彼女はこうして下界に降りて貴賓室にやってきたのだ。

やや狭い一室にはハイドルと二人きり。扉のすぐ外にはソフィルの護衛が控えてはいるものの、ハイドルの欺瞞に満ちた笑顔とタバコの匂いに、ソフィルは顔をしかめそうになっている。

「理由を尋ねてもよろしいでしょうか」

やや間を置いて、ソフィルは尋ねた。「下界を本来あるべき姿に戻すため、七竜討伐計画は実行されたとお聞きします。下界に存在していた六体は倒され、永く続いていた異常気象は計画通り収まりつつある。その上で、下界には何ら影響を及ぼしていない“ダイレゾ”を討伐する理由をお聞かせください」

無益な殺生は必要なのか。ソフィルの疑問はその一点に尽きる。

「我々下界の者たちは、みんな不安なのですよ、ソフィル女王神様」

肩をすくめつつハイドルが答えたのは、いまや世論といってもいいものだった。

「創造神エレンディア様が混沌の神レギオスと七竜を封印し、世界には平和が訪れた。しかしその平和は中途半端なものに過ぎず、七竜は存在し続けていた。世界に悪影響を及ぼし、気の遠くなるような年月を経て、奇しくも下界はその七竜の影響に合わせた自然環境に変容してしまった。“アンバランスな均衡”となってしまったのですよ」

ソフィルが静かに耳を傾けているのを確認してから、ハイドルは続ける。

「テーブルの足を一つだけ切り落とすと、バランスが崩れ上にあるものは全て落ちてしまう。それと同じ理論です。七竜を討伐するなら全て。一体だけを放置すると、どこでどういう歪みが生じるか分かったものではないのですから」

優雅な仕草で紅茶を飲んだハイドルは、「下界の六竜を全て倒しきり、安堵した住民もいるでしょう」、そういって、ソフィルに覗き込むような視線を送った。

「しかし、ダイレゾの存在を気にしている者もまた、存在しているのです。下手に一体だけを残すことにより、ダイレゾが復讐のために下界に降りてくるかもしれない。かつての混乱期のような惨状に見舞われるかもしれない。良く聞く話ではないですか。謀反を起こした者の一族を皆殺しにするのは、下手に恨みを残さないようにするため。これは自衛のためなのですよ」

乱暴なことをさらりといってのけるハイドルに、ソフィルは内心表情を歪めた。

いやらしい見た目そのままの男で、自分とは相容れない。

ハイドルに対してそう感じていたソフィルなのだが、彼女の思いに気付くはずもないハイドルは構わず続けた。

「これは、下界に住まう者たちの総意といってもいいものなのです、ソフィル女王神様」

両膝に手を置き、真面目な顔に戻しつつハイドルはいう。「これまで七竜は畏怖すべき存在だった。世に散在する文献によって、奴らは自然災害そのものなのだと、抗ってはならない巨悪なのだということを我々は植えつけられた。その“常識”を覆すチャンスが、いまなのです」

高貴というには恐れ多いほどの人物相手にも関わらず、ハイドルは口を止めない。

「反撃できる、我々の力でも倒せるのだということが分かり、下界の方々は色めき立っている。七竜によってかつての祖先が苦しめられ、蹂躙されていた事実を怒りとして認識し、七竜の根絶を望む声は沢山出てきました。討伐作戦は確かに拙速かもしれない。危険を顧みない戦い方には批判もある。しかしそのような中でも、“我ら”ガーゴは七竜のうち六体をも討伐できた。もう少しなのです。もう少しで、レギオスと七竜に蹂躙されてきた祖先の恨みや痛みは、復讐という形で成就される。彼らの無念は、いまここにきて晴らされる寸前なのです」

熱を帯びてきたハイドルの言葉を聞いても、ソフィルは同情心を寄せることも、感情を露にさせることもしなかった。

テーブルを見つめるその表情は“無”に近いもので、彼女が何を考えているか、ハイドルからは読み取ることができない。

しかし簡単に返事をしないということは、渋っているということ。決して協力的でないということだけは、ハイドルにも分かった。

「お気持ちは分かりますよ」

口数多く、ハイドルはまた続ける。「長年、バベル島というゴッド族の島を取り仕切ってきたソフィル女王神様なのですから。我々がどれほど危険なことをしようとしているのか、ご心配なのでしょう。何しろ今回の相手はこれまでの比ではありませんからね」

ハイドルをチラリと見ただけで、ソフィルからは相変わらず返事がない。

「ですが、下界の者たちの総意を、あなた様は無視することはできないはずです。アンバランスな均衡を真の均衡に戻す必要もある。いまのまま続けられるとも思ってらっしゃらないでしょう。ダイレゾを生かすか殺すか、どちらが正しいかは考えなくても分かることでしょう?」

そこまで弁を振るっても、ソフィルは何もいってこない。

打っても響かない太鼓のように感じたハイドルは、さすがに苛立っていってしまった。

「それともソフィル女王神様は、“安全より安心”という馬鹿げた理論を振りかざすおつもりですか?」

背筋を伸ばし、彫像のように佇んでいたソフィルの、すらりとした指先がピクリと動く。

「…承服しかねます」

ようやく、彼女は口を開く。「如何なる理由や事情があろうと、あの存在は世に放つべきではありません」

硬い口調でいったのは、まるでテンプレートのような回答だった。

「かつての混乱期に於いて、最も猛威を振るい、人命を奪ってきたのはあのダイレゾです。危険だからこそエレンディア様はダイレゾの封印を我々ゴッド族に託した。天上の神であり、創造神でもあるあのお方とのお約束は絶対で、反故にするわけにはいきません」

「世界が崩壊してもですか?」

ソフィルの反応は予想できていたものだったのか、ハイドルはねじ込むような視線を向けた。「六体のドラゴンが討伐されたことによって、各国では微妙な“歪み”が生じていることはご存知でしょう。空間に亀裂が出てきたところもあると聞きますし、魔界や獄界に繋がっているのではないかと、もっぱらの噂です」

ソフィルの表情に変化はない。ハイドルは続けた。

「あくまで噂ですので真偽のほどは分かりません。が、放っておける問題でもない。歪みに穴が空き、世界の崩壊が始まってしまうという可能性も無きにしも非ずなのですから。あなた様は何か起こるまでは行動を起こさないというおつもりなのでしょうか? 下界とゴッド族は明確に分けられているため関与するつもりはないと?」

そもそも、その歪みのきっかけを作ったのは、七竜討伐作戦を“勝手に”ぶち上げ、実行したガーゴ側にある。

そのことを棚に上げ、ゴッド族が必死に封印を維持し続けていたダイレゾを差し出せというのは、あまりに身勝手な話だろう。

それを分かっていながらソフィルにメビウスの解放を迫るハイドルも失礼極まりない男だが、ソフィルは反論することもなく、彼の言い分というものに耳を傾けていた。

「時間は差し迫っているのです。ひょっとしたら明日、崩壊という名の口が広がってしまうかもしれない。不安がる下界の方々を安心させるためにも、ご決断ください」

そうまでいわれても、ソフィルは押し黙ったまま。

先ほどから彼女の口数が少ないのには理由があった。

ダイレゾのいる“絶界メビウス”の解放はそう簡単に決められないということもあるのだが、密談の場なのに、ハイドルは懐に録音機を隠し持っている。

スーツの胸ポケットから魔力反応が“視えていた”彼女は、この場で下手なことをいえなかったのだ。

このハイドルという男は狡猾な男だ。こちらの言動を隠し撮りし、時と場合によっては自分の都合のいいように編集して公開するつもりでいる。

ゴッド族の長ソフィル女王神といえど、下界との交流を持ち、裁判員の一人としてそういった危険な連中とは何度かやり取りしたことはある。

「どうなのですか。ご自身だけではご判断いただけませんか?」

しかしこの男は別格だ。言葉遣いは丁寧だが、その言動には相手を敬うような様子は一切なく、それどころかこちらの隙を窺っているような、冷たい目をしている。

様々な切り口から隙を見つけ、攻撃するつもりでいるのだろう。

ソフィルは無表情ながら胸の奥底では警戒心を研ぎ澄ましており、そんな彼女を突き崩すために、ハイドルは話を変えた。

「ソフィル女王神様、世の中は変わったのです」

口元を歪めながら彼はいった。「目上の者を敬い、下手に出る時代ではない。上からの命令を聞いているだけでは誰も幸せになれない」

そう話すハイドルの雰囲気が、若干変わったような気がした。

「種族の頂点だから。偉いから。ゴッド族という立場に胡坐を掻いていると、いつ奇襲をかけられるか分かりませんよ?」

「何を仰りたいのですか」

尋ねるソフィル。

ハイドルの両目に怪しげな光が宿った。

「下界の方々は、あなた様に…いえ、ゴッド族に、ある疑念を抱いているようです」

「疑念?」

「ダイレゾは、封印ではなく…“保護”されているのではないかと」

そこで、ソフィルの顔つきが初めて変わった。

これだ、と思ったのか、ハイドルはさらに畳み掛ける。

「アレの力は計り知れないですからね。利用方法はいくらでもある。研究だってできるでしょうし、魔力を転用…応用だってできる。それと、兵器…としてもね」

ソフィルは硬い表情のままだ。なおも彼女から考えていることは読み取れないものの、動揺しているだろうことはハイドルにも伝わった。

「もちろんお優しいゴッド族の方々に限って、そのように考えておられる方はいらっしゃらないのでしょう。危険だから解放できないというのも分かる。しかしこうも頑なに我々の要求を拒否されると、ダイレゾを何かに使うつもりなのではないかという“邪推”をされても致し方ないのではないでしょうか」

その弁論こそが、一国の王や首脳を相手に渡り歩いてきた、ハイドルの常套手段ともいうべきものだった。

相手が抱えている否定しきれない後ろ暗い事実を突き、交渉の材料とする。

自らが作り上げた世論という武器を手に、交渉に応じなければその秘密を白日の下に晒し、自身の立場が危うくなると脅しをかける。

シアレイヴンの件も、アブリシアやディグダイン、プノーのときも、彼は同様の手口で七竜討伐に否定的だった首脳連中に半ば無理やり封印を解かせていたのだ。

誰だって自分の立場というものにはしがみつきたいもの。特に一国のトップである首相クラスであれば、その旨味は計り知れない。

それはこのソフィル女王神とて同じはずなのだ。種族の頂点という立場はなかなか捨てられるものではない。

「ご英断か、ゴッド族に対する信用の失墜か、どちらになさいますか?」

ハイドルからソフィル宛に面会が打診されたとき、彼女の有能な側近が彼のことを調べ上げてくれた。

ハイドルという男の経歴、職歴、交友関係。そのどれもは至極真っ当なもので、脅しをかけてくる割には“おかしな”ところはなかった。

しかしそれは表向きの情報であり、裏の顔というものは未だに見えてこないが…。

「賢明なご判断をお願いします、ソフィル女王神様。疑いを晴らすためにも、メビウスの解放はしたほうがいいと思うのですがね。守人の負担もなくなりますし、ダイレゾという厄介者もいなくなる。いいことずくめではないですか。それともやはり、噂どおりダイレゾを何かに利用するおつもりで?」

これ以上彼の勝手な論説を聞いていられなくなったソフィルは、「…ひとつ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」、静かに、しかし響くような声でハイドルにいった。

「どうぞ」

「どのようにしてダイレゾを討伐するおつもりなのでしょうか」

ソフィルが気にしている点はもう一つあった。「あの存在が世に放たれると、被害は甚大なものになることが予測されます。他の住民の方々へ説明しなければなりませんし、避難場所も確保しなければならない」

「その点についてはご心配なく」

ハイドルは簡潔に答えた。「メビウスを絶界から現世に呼び戻してくれるだけでいいのです。封印もそのままにしてください。我々ガーゴの力にかかれば、“外”に被害が起きないように討伐することは造作もないことですから」

その言葉はどこまで信用できるものか、未来視のできるソフィルでも分からなかった。

しかしバベル島の近海に大挙するガーゴの軍勢は確かに視えていた。ここでソフィルが何を選択したとしても、その未来は変えられないことなのかもしれない。

こちらを見据えるハイドルと視線を合わせ、しばらく経った後にソフィルは小さく息を吐いた。

「…検討させていただきます」

ここで拒絶すれば、ハイドルは民衆に向けてゴッド族に対するネガティブキャンペーンを開始する算段でいるのだろう。だから“後ろ向きに”賛成するしかなかった。

「絶界メビウスの呼び戻しについては、私の一存だけでは決められないようになっております。各町長の方々に説得しうるだけの論証を揃えて議題に上げなければいけません」

「分かりました。説得のための資料についてはこちらでご用意いたしましょう」

自分の提案がようやく採用されそうだと思ったのか、ハイドルは満足そうにいった。

「プノーが討伐されたことにより、世間の機運は高まる一方なのです。ダイレゾを討伐できれば世の中には真の平和が訪れる。下界の我々のために、どうかよろしくお願いしますよ」

高まる機運も世論も、ハイドルや彼の仲間がプロパガンダを仕掛けたものに過ぎない。

そのことをここでソフィルが突いても良かったのだが、ゴッド族が下界のことに絡んできたとハイドルが騒ぎ立てることは目に見えている。

「お話は以上でしょうか」

「ええ」

「ではこの後会議がありますので、私はここで」

これ以上の会話は不要だと判断し、ソフィルは用意された紅茶も飲まずに立ち上がる。

「お忙しいですね。さすが女王神様といったところですか」

立ち上がって見送ろうともせず、ハイドルはソファにかけたまま「ああ、そうそう」、とソフィルの背中へ声をかけた。

「ソフィル女王神様。全てが終わった後、私が指定する場所へ来ていただけませんか。“マスタエル裁判所”まで」

「…マスタエル?」

意外な場所だったのか、ソフィルはやや驚いて振り返った。

「時期についてはまだ決まっておりませんが、七竜討伐作戦が終了し、諸々の処理が終わりましたとき…我々は“ある行動”を起こします」

「何を…」

「“カラー大裁判”ですよ」

目を見開くソフィルを無視し、ハイドルは続けた。「その舞台上で、私はある“法案”の提出をさせていただきます」

「法案…ですか」

カラー大裁判の中での法案提出ということは、全世界、あらゆる種族に影響を及ぼす法案だということ。

その審議に出席するのはソフィル含む、各国の首脳陣。そして公平中立な視点を持つ三大族長といった面子になる。

「まだ案を練っている段階なので、詳細については伏せさせていただきますが…しかし、これは“エレンディア様のご意思”ということだけは覚えていただきたい」

「どういう…ことでしょう」

「分け隔てなく、全ての種族を守り、愛する。混乱期を終わらせた、かの大英雄様のご意思を実現したいだけなのです」

その言葉の真意はどこにあるのか。

図りかねるソフィルに向けたハイドルの笑顔は、まるで作られた仮面のように不気味なものだった。

「理想の世の中を創るために、必ず成し遂げなければならないことなのです。ソフィル女王神様も必ずやご理解いただけるはず」

結局彼は何一つ本心を語ることはなく、密談は静かに終わりを迎えた。

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