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absorption ~ある希少種の日常~  作者: 紅林 雅樹
15/240

十五節、グラハム・シーカー

「だいん?」

目を開けてすぐに飛び込んできたのは、ルシラのアップになった顔だった。

彼女は仰向けで寝るダインの上に乗っている。

どうやらいくら揺らしても起きないから馬乗りになってきたらしい。

「…ルシラ…か…」

ぼやけた意識の中、ダインはそのまま声を出す。

彼の脳裏には、つい先ほどまで見ていた例の“夢”のことを思い出していた。

以前に見た夢と同じ、ルシラに似た女に抱きつかれている夢だった。

しかし今回は前回ほど曖昧なものではなく、女の声がはっきりと聞こえたような気がする。

始めは「また逢えた」と喜んでいたようだったが…不意に申し訳なさそうに謝ってきたのだ。

何に対してなのか分からず、尋ねようとしたそのタイミングだった。夢の中なのにやたら脱力感に襲われたのは。

「また私が…」と言ったところで意識が途切れ、たったいま目が覚めたところだ。

「…う〜ん…」

ルシラに手を引っ張られ上半身を起こしつつ、ダインは考え込んでしまう。

夢の中で感じた脱力感。あれは夢ではないように思う。

そう確信を得るに至った“証拠”が、彼の中にあったのだ。

「今度はシンシア…か…」

温かで柔らかな聖力を感じる。シンシアから聖力をもらったときと全く同じ感覚だ。

ほぼ間違いなく、自分が寝ている間にシンシアに触手が伸びてしまったのだろう。

夢の中で感じた脱力感から察するに、寝ている間に“誰か”に枯渇状態に陥るほど魔法力を吸われたということになる。

この屋敷には現状三人しかいない。状況証拠から考えて、その“誰か”は…。

「ん?」

ルシラと視線がぶつかり、彼女は不思議そうにこちらを見てくる。

よくよく考えてみればおかしな話だった。

これまで幾度かシンシア達から魔法力を吸わせてもらっていたが、いつも寝て起きたときには魔力は元に戻っていたのだ。

ダイン達ヴァンプ族にとって、他者から得た魔力はある意味で消耗品だ。魔法を使えば無くなる。

使わないままでいたらずっと貯蓄できているはずなのだ。なのにダインはこれまでろくな魔法を使ってないのに、翌日まで吸収した魔法力は残ってない。

そして起きたときにはいつもルシラが側にいる。真夜中にダインのいるベッドに潜り込んできている。

「なぁ…ルシラ。お前さ、もしかして…」

ヴァンプ族なのか? と尋ねそうになったが、彼女は異質な魔法を使う。

魔力でも聖力でもない、特異な魔法力の持ち主なのだ。それも、どういうわけかダイン達が何度試みても吸魔することの出来ない、極めて特殊な。

そのことから、ルシラがヴァンプ族ではないのは分かる。しかし、彼女から吸魔されていたのは疑いようがない。

「なにー?」

「いや、なんでもない。行こうか」

「うん!」というルシラを抱き上げ、ダインは足早にリビングへと向かった。



「シンシア様に襲い掛かってしまった…?」

朝食を食べながらダインが報告すると、さすがのサラも驚いた様子でパンにバターを塗る動作を止めた。

「寝てる間のことだから記憶は曖昧なんだけどさ、いま明らかに体内でシンシアの聖力を感じてるんだよ」

「…確かに、そのようですが…しかし一体何故…」

考え込む彼女に、ダインは最近見始めた不思議な夢のことを正直に告白した。

緑髪の美少女と戯れている夢。思えばその夢を見ている間、いつも不思議な脱力感に襲われる。

「緑髪の女性、ですか…」

そのキーワードを聞いたと同時に、彼女の視線は同じ緑色の髪をしたルシラに向けられる。

ルシラは焼きたてのパンを口いっぱいに頬張り、何とも幸せそうな顔でバターまみれの口を動かしている。

テレビアニメに夢中のようで、こちらの会話は届いてない。

「恐らく…いや絶対そうなんだろうが、ルシラには吸魔してるって自覚はないだろうな」

「私でも気付かないほど自然にダイン坊ちゃまのお部屋へ向かっているようですからね。その間のことも無自覚なのでしょう」

「そういえば」と、これまでのルシラのある言動に疑問点があったサラは言う。

「ダイン坊ちゃまが誰からか魔法力をいただいて帰ってきたとき、この子は決まってお腹が空いたと言っていましたね。直前におやつを食べていたにも関わらず」

「確かに…」

「この子にとっては、魔力も食料の一つということでしょうか」

「それはさすがに分からないが…」

だがお腹が減ったと言っている以上、そういうことなのかも知れない。

「我々とは違う特異な魔法力を宿しつつも、我々と同じ吸魔能力を備えている…」

しばし考えた後、彼女は言う。「ヴァンプ族以外で、吸魔能力を持つ種族などありましたでしょうか?」

「世の中は広いから、探せばあるかも知れないが…」ダインは記憶を巡らせながら首を振る。「俺ら以外にそんなことできる奴は見たことも聞いたこともないな」

ふぅむ、とサラは再び顎に手を添え考え込んでいる。

「ま、探す範囲が絞られたって考えようぜ」

時間があまりないことを伝えると、「ああ、そうでした」と数十種類の野菜をミキサーにかけたスムージーを出してくれた。

「ん〜、おいしいね!」

もはや大好物になりつつあるミルキーキャベツのスープを飲み、ルシラが笑いかけてくる。

「朝から良い食いっぷりだよ、相変わらず」

ダインは笑いながら彼女の頭を撫でた。

「さらがつくってくれるごはん、ぜんぶおいしいもん!」

「そうだな」

ルシラとそうして笑い合っている中、サラはまた深刻そうな表情で考え込んでいる。

「これは早急な対策が必要かもしれませんね…」

再び食事とアニメに夢中になり始めたルシラを横目に、ダインは「どういうことだ?」と尋ねた。

「これまでのことはたまたま運良く枯渇状態に陥らなかっただけで、昨晩のようなことがまた起きる可能性があるということです。最悪、毎晩ということも考えられます」

毎晩、シンシアかニーニア、そしてティエリアに触手で襲い掛かってしまうかもしれない。

寝込みを襲うだけでなく、動けないほど魔法力を奪い取ってしまう。

彼女たちは気にしないと言っていたが、しかし毎晩触手に襲われ睡眠の邪魔をされるのはたまったものではないだろう。

副作用の問題もあるし、そう考えると確かに早急な対策が必要になる。

「今日中に対策を考えておきます」

そう言ったサラに「頼む」と頭を下げるダインだが、ここ最近ずっと彼女に負担をかけているような気がした彼は「悪いな」と謝った。

ルシラを保護したのは自分なのにその世話を押し付けているし、今回の問題だって対策を考えてもらっている。

ただでさえ、学校関係で色々迷惑をかけてしまっているのに。

諸々のことを含めて謝るダインに、サラは「構いませんよ」と言ってきた。

「以前に退屈していたと言ったではありませんか。面倒ごとは大歓迎です」

一見感情に乏しい顔つきのサラだが、意外に熱血漢なところもある。

「ダイン坊ちゃまは学業や友好関係に専念してください。ダイン坊ちゃまをあらゆる面でサポートするのが私の役目なのですから」

「俺も自分でできることは自分でするよ」

「さしあたって」と、ダインはスムージーを一息で飲み干してから高い天井を見上げる。

「シンシアのフォローだな…」

シンシアのいまの状態が気がかりだ。

何しろ何時ごろシンシアに襲い掛かったのか分からない。寝込みを襲ったのだから回復しきってないだろうし、一睡もできなかったという可能性もある。

最悪、学校を休む羽目になっていたりしたら…。

「連絡を取ってみますか?」

ダインの心情を察したサラが聞いてくる。

「いや、仮に学校に行くのなら今頃ばたばたしてるだろうし、休むほど疲弊してるのなら携帯にも出られないだろ」

休みが分かってから連絡するよ、とダインは言い、そろそろ時間だと口元をティッシュで拭いてからカバンを手に立ち上がる。

「じゃあ行ってくる」

「はい、行ってらっしゃいませ」

「ルシラ、ゆっくり食べてろよ?」

「んー!」

頬をパンパンに膨らませながら、ルシラは手を大きく振ってきた。

そんな彼女に笑いかけ、サラには後片付けを頼んでから屋敷を出る。



一緒に登校するため落ち合おうと決めた場所には、ニーニアしかいなかった。

「あ、ダイン君、おはよう」

ぼーっと空を見上げていた顔がこちらを向いたとき、笑顔になって話しかけてくる。

「ああ、おはよう。シンシアは…」

「まだみたいだよ。珍しいね?」

「そう、だな」

辺りを見回しても、まだシンシアが来る気配はない。

「あー、やっぱ悪いことしちまったなぁ…」

不可抗力だが迷惑をかけてしまったことに違いないと思ったダインは、思わずそう漏らす。

「え、何かあったの?」

表情に疑問を浮かべるニーニアに、シンシアを待つ間にこっそりと昨晩のことを打ち明けた。

「え、しょ…!?」

思わず大声を張り上げそうになったニーニアは、すぐに口元を押さえ周囲を見回す。

誰もこちらを気にしてないことを確認し、小声で「触手が…?」と聞いてきた。

「ああ。証拠はないんだけどさ、朝起きたときに感覚があったんだよ。間違いない」

「そ、そうなんだ。それで…」

ニーニアの顔がみるみる赤くなっていく。自身が襲われたときのことを思い出してしまったのだろう。

「いまの状態だけでも知りたいんだけどな。でも夜中に襲ったわけだから寝坊してるか、いま起きてばたばたしてるか、どちらにしろ通信で邪魔したくない」

「そ、そうだね。割と、その…ぐ、ぐったりしちゃうから」

触手の体験者であるニーニアは、顔を赤くさせたまま笑う。

「だよな。仮に学校休むとなれば申し訳なさ過ぎてさ…」

どう取り返しをつけよう。そう言ったとき、おもむろに自分の携帯通信機を取り出していたニーニアが「あ、大丈夫かも」と言ってきた。

「シンシアちゃんからメール来たよ。ちょっと遅れるから、先に行っててだって」

「マジか」

思わず覗き込もうとするダインにその画面を見せ、シンシアからの文章を確認させる。

どうやら学校には行けるらしいことが分かり、ダインはホッと息を吐いた。

「良かったよ」

「ふふ、うん。でも遅刻ギリギリだと思うけど…」

確かに時間的な余裕はあまりなさそうだ。

休みを免れられたのは良かったが、遅刻したならしたでそれも申し訳ない。

いっそのこと自分も一緒に遅刻になり先生に怒られようと思ったが、あの優しいシンシアのことだ。それは許してはくれないだろう。

「シンシアちゃんならきっと大丈夫だよ」

ダインの心配を察したニーニアは言った。

「筋力アップの魔法使えるから、きっと間に合うはず」

「そうだな…」

ちなみに転移魔法での教室への直行直帰は、転移間衝突による事故防止のため認められていない。

学校に張り巡らされたバリア外までなら転移魔法による登校は可能だが、バリアの範囲は意外に広く、学校までの距離はそこそこある。

「祈ろう」

「だな」

そうニーニアと頷き合っていると、周囲から転移魔法で登校してきた生徒たちがそのまま走り出しているのが見える。

走らなければ間に合わない時間になっていることに気付いた二人は、後からシンシアが来てくれることを祈りつつ同時に走り出した。



「はぁ、はぁ、はぁ…ま、間に合った…!」

予鈴数分前のところで、教室のドアが開きシンシアが飛び込んできた。

「シンシアちゃん…!」

不安げにダインと一緒にシンシアの到着を待っていたニーニアは、激しく呼吸を繰り返しながら近づいてくるシンシアに笑顔を向ける。

「良かった。間に合ったんだね」

「あ、危なかったけどね…魔法使わなかったらアウトだったよ…後一歩遅れてたら締め出されるところだった…」

確かにすごい走りだった。シンシアの肩幅ほどまで校門が閉まってきたとき、その隙間をシンシアがものすごい勢いで駆け抜けていったのだ。

ラフィンに見られてただろうし後で怒られるかもしれないが、とにかく遅刻は免れられたのでよしとすべきだろう。

「シンシア、これ」

椅子に座り呼吸を整える彼女に、後ろの席にいたダインが一本の小瓶を差し出す。

ラベルに『超回復Z』と銘打たれたそれは、文字通りの回復ドリンクだ。

「わ! こ、これ、すごく高いやつだよ?」

「気にするな。俺のためと思って飲んでくれ」

昨日の“あれ”は、ダインのもの。

まだ僅かながらに半信半疑であったシンシアだが、彼の台詞によって確信に変った。

「まだ完全回復してないだろ? これで少しでも足しにして欲しい」

「う、うん…あ、ありがと…」

呼吸を整えつつも真っ赤に顔を染め、そのままダインからドリンクを受け取る。

恥ずかしさを隠すかのようにもらったドリンクを一気に飲み干し、「いやぁ」とニーニアに笑いかけた。

「あ、あれってすごいねぇ。ニーニアちゃん、良く耐えたね?」

主語は伏せつつも、同じ経験者ということもあってかニーニアに話を振る。

「う、ううん。私も耐えられなかったよ。後半は気を失ってたから…」

シンシアの体がまだ僅かに震えていたことに気付いたニーニアは、そっと尋ねる。「シンシアちゃんも?」

「ん、ま、まぁ…」

ニーニアも顔が赤くなっており、二人して俯いてしまう。

もしこの場にディエルがいたなら質問攻めになっていただろうが、幸運なことにディエルは別の女子グループと談笑中だ。

「あー、その…わ、悪かったな」

申し訳なさそうに謝るダインに、シンシアは突然「そ、そうだ!」と声を上げた。

「あの…ダイン君、一つ、確認したいことがあるんだけど…」

「ん?」

「あの…“あれ”なんだけど、意思の疎通とかできる…のかな?」

「疎通…」

ダインは首をひねる。

ニーニアのときもシンシアのときも、ダインが気を失っていた間に起きたことなので、触手と意思の疎通ができるのかどうかは分からない。

だが、吸った魔法力に乗って相手の感情が伝わってくるのは分かっている。触手もダイン自身から出ているもので分身と言ってもいい。なので、完全とはいかないまでもある程度のコミュニケーションはとれるはずだ。

「できる、と思う。詳しい奴から聞いた話だと、そのときの状況や考えていることなんかも伝わってくるらしい」

「らしい…っていうことは、ダイン君は…」

「どっちも気を失ってたからさ。起きてたら状況が見えていたかもしれないが…」

そう答えたとき、シンシアもニーニアも胸に手を当て深く息を吐いた。

「そ、そうなんだね。うん。分かったよ」

思わず何か触手が失礼を働いたか尋ねそうになったが、彼女たちの反応を見る限り公然と口に出来る内容ではなさそうだ。

聞かない方が良さそうだと判断したダインは、「とにかく悪かったよ」と再び謝るだけに留めた。



「あう〜」

一時間目の授業が終わり、休憩時間に突入してもシンシアはまだぐったりしていた。

回復ドリンクの効果は出てきたようだが、まだ元通りになるには時間がかかりそうだ。

授業中もしきりにあくびを漏らしていたし、上半身がふらふらと揺れているときもあった。

寝不足の影響もあるのだろう。彼女はほとんど授業に集中できてない。

自分が原因なのは間違いないので、シンシアの回復手段についてダインも一緒に考え出す。

「目が覚める魔法とかってないのか?」

「あるにはあるけど…」

あくびをかみ殺しながらシンシアが答える。「回復系統の魔法はそんなに得意じゃないんだよね…」

「ん〜そうか」

再び腕を組み方法を考えるダイン。同じく思案をめぐらせていたニーニアは、「そういえば」と普段から腰からぶら下げている道具袋からペンダントを取り出した。

「身に着けると体が冷えるっていうアイテムなんだけど…」

淡い水色をした、水晶の原石にそのまま紐を通したようなシンプルなペンダントだ。

「ほんとはね、火の耐性をつけたいときとかに使うものなんだけど、体を冷やす効果もあるから目が覚めるかも」

「つけてつけて」と興奮気味に言うシンシアに、ニーニアはそのペンダントを装備させた。

「あー、きもちー」

見た目には変化はないが、いまシンシアの全身には冷気がまとわりついたらしい。

「今日はちょっと暑かったからちょうど良かったよ〜」

確かになんとも心地良さそうな表情で、ダインとニーニアは「良かった」と笑う。

「眠気はなくなりそうか?」

「ん? ん〜どうかふぁ…ふ…」

話しながらシンシアはあくびを漏らす。途端に目がとろんとした目つきになった。

「ちょうどいい温度で…余計、眠たく…」

体が揺れ始め、まずいと思ったニーニアがすぐにそのペンダントを取り去った。

「ん〜、眠いよ〜」

「いっそのこと保健室で仮眠でもとってくればいいんじゃね? そんな状態じゃ、授業なんて頭に入ってこないだろ」

ダインの提案に、シンシアは眠たそうに首を振った。

「眠気さえなければ授業に集中できるから…ドリンクのおかげで体力は回復したはずなんだし…」

「あ、じゃあこれはどうかな」

ニーニアが別のアイテムを差し出してきた。

「風を感じるブレスレット。物理的な刺激があれば、眠気は遠のくはずだよ」

「おー」

シンシアはニーニアからヒスイのような綺麗なブレスレットを受け取り、早速腕に装着する。

すると、窓から風はないにもかかわらず、彼女の制服や長い髪がそよぎ始めた。

しかしその風は穏やかなもので、そよ風に近い。

「あ〜、駄目だよ〜。これ、気持ちよすぎるよ〜」

今度こそ寝落ちしそうだ。ニーニアは再び、シンシアからブレスレットを取り上げる。

「そ、そうだった。魔力があんまり込められてないから効果が薄いんだった」

照れ笑いを浮かべつつ反省を漏らすニーニアに、ダインは他にないかと尋ねる。

「これ、風の魔法と光の反芻魔法をセイクリッドクォーツに込めたネックレスなんだけど…」

「どんな効果があるんだ?」

「えと、通信機とか音声再生コインとかからヒントを得て作ってみたものでね」

説明するより使ってみるほうが早い。

ニーニアに言われ、差し出されるままダインがつけてみた。

「石を数珠繋ぎみたいにしてる不恰好なものだから、まだデザイン的に改良したいものなんだけど…」

ネックレスを首からかけた瞬間、どこからか声が聞こえてきた。

ぼそぼそと喋っているしわがれたような男の声は、どうもそのネックレスから聞こえてきているようだ。

ニーニアの言うとおり、録音した音声の再生機能つきネックレスらしい。だがその話の内容は…

「これ、ひょっとして怪談か…?」

男の声は、いかにも怖がらせようという語り口調だ。

「おばあちゃん、怖いお話とか好きだったから、作ってみたんだけど…」

「おお、こりゃ良いんじゃねぇか。なかなか怖いし面白い」

「つけてつけて〜」

もはや半分寝た状態のシンシアにネックレスをつけさせる。

「ん〜…おぉ…声が…へぇ…」

座ってはいるが、目はもう閉じられている。

「あはは…そうなんだ…怖いねぇ…」

不意に笑い出したと思ったらまた独り言。どうやら怪談と会話してしまってるらしい。

「あの…シンシアちゃん?」

ニーニアが声をかけてもシンシアから返事は返ってこない。

「すぅ、すぅ…」と、寝息が聞こえてきた。

「ね、寝ちゃった…」

「多分、怪談がぼそぼそ声だったから子守唄みたいになっちまったんだろうな…」

シンシアを起こそうとするニーニアを止めさせ、ダインは言った。

「もうこのまま寝かせよう。授業内容は俺がちゃんと聞いておくし、ノートもとっとくよ」

「で、でも授業中に寝てるところを先生に見られたら…」

「姿隠せるアイテムとかないか? 保健室に行ったことにしたら、怪しまれないはずだ」

シンシアを机に突っ伏させながらニーニアに尋ねると、ニーニアは「あるよ」と金色の指輪を出してきた。

「インビジリングっていって、つけると不可視の魔法効果が得られるものだから、多分これつけたら大丈夫なはず」

「さすがニーニアだ。マジで色々持ってるんだな。全部自作だろ?」

「う、うん」

「天才だな」

「そ、そんなことはないよ」

ニーニアは照れながら眠っているシンシアの手に指輪をはめさせる。

ダインにはぼんやりとシンシアの姿が視認できるが、一応は姿は消せたらしい。

「これで大丈夫だよ」

「ああ」

そこでちょうど休憩時間の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。

「あれ、シンシアは?」

別のクラスにお邪魔していたディエルが戻ってきた。

「体調悪いって保健室いったよ」

「あー、確かに登校したときから気分悪そうにしてたわね」

ディエルはそのまま教科書を取り出す。目の前にシンシアがいるが、全く気づいてないようだ。

問題なさそうなので、ダインはホッと胸をなでおろした。







昼休みに入る直前、ダインはクラフトから呼び出しを受けていた。

「相変わらず面白いことばかりしてくれるよ、お前は」

その台詞で、昨日のことだと直感したダインは「はぁ」と言いながら前を歩くクラフトの後をついていく。

「あの、どこへ?」

「校長室だ」

そこで事の重大さに気付き、ダインは思わず「あ〜」と歩きながら天井を仰いでしまう。

「とうとう俺も退学っすかね?」

ラビリンスでの一件も絡めて尋ねると、クラフトは真面目な顔で「退学になるようなことでもしたのか?」と聞き返してくる。

「いや、まぁ記憶にはないっすけど…」

「でも」と、続けた。

「ここって、形式とかしきたりとか色々重視してるじゃないっすか」

クラフトは「まぁそうだな」と返す。

「俺、そういうのあまり知らなくて。だから色々やらかしてるんじゃないかって」

そう話しながら担任の横顔を伺うと、クラフトは怒るどころか口元に笑みを浮かべていた。

「だからあの方も入学を認めたんじゃないのか?」

思わぬ呟きに「へ?」と声を出したダインが、続きを聞こうとしたところでクラフトは足を止める。

「ついたぞ」

目の前には大きな扉があった。

上のプレートには『校長室』という文字がある。

「ここに来るのも二度目っすね」

扉を見上げながら言うダインに、クラフトは眉を寄せ困り顔で肩をすくめた。

「模範的な学生でなくとも、校長室に用事のある生徒なんざ普通はいないんだがな。滅多に入れないどころか、一度も入らないまま卒業する奴がほとんどだというのに」

「粋な計らいをしてくれて、嬉しい限りっすよ」

笑みを浮かべるダインに対し、クラフトも「くく…」と笑い声を漏らす。

「本当、お前ぐらいだよ。セブンリンクスの最高位でもあるあの方を前に緊張しない奴など」

クラフトはそのまま扉をノックする。

「連れて来ました」

扉の奥から「うむ」という声がし、ダインに「入るぞ」と声をかけながら扉を開ける。

校長室は以前来たときと同じ内装だった。

赤い絨毯に天井にはシャンデリア。壁には所狭しと本棚が並んでおり、中央に応接用にとテーブルとソファがある。

一番奥には黒の重厚な執務用デスクがあり、一人用にしては大きすぎる椅子に白髪で白髭を大量に生やした男がかけていた。

「ご足労かけてすまないね」

老齢を感じさせるしわだらけの目元は垂れており、しかし通った声が響く。

「失礼します」

クラフトにならいダインも頭を下げ、校長室に入室した。

「ダイン君、君も昼食はまだだろうし手短に済ませたい」

ダインをデスクの前に移動させ、そのまま校長…エル族であるグラハム・シーカーは話し始めた。

「今朝のことだが、昨日のカイン君との一件でガーゴから我が学校に正式に抗議文が送られてきたよ。内容は、この学校の生徒の資質を問うものだった」

言葉こそ叱責するような内容だが、グラハムのダインを見る目は相変わらず優しい。

口調も穏やかで、だからなのかダインは口を滑らせてしまった。

「はぁ…暇なんすかね」

校長の隣に移動していたクラフトがすかさず「おいっ」と咎めるものの、グラハムは髭を揺らして笑う。

「君が失礼を働いたとカイン君から聞いたのだが、間違っているだろうか?」

「いや、間違ってはない…んじゃないっすかね。失礼だと感じたのなら、そうなんでしょう」

「ふむ。では君の意見を伺っても良いかな?」

「意見も何も…」

ダインは逡巡し、首を振る。

「言い訳は特にしないつもりです。生意気だったことは認めますし」

「ほう?」

「ただ、ちょっと理不尽じゃないかって思っただけなので」

詳細を話そうとしないダインに、グラハムが寄こしたのはやはり優しげな眼差しだ。

「君にはつまらない話かもしれないが」

そう前置きし、彼は語りだす。

「ガーゴはこの学校と創立以来からの長い付き合いがあってな。資金面の援助もそうだし、安全の確保や時には昨日のように視察に来ることもある。卒業生の将来まで面倒を見てくれている。そのようなことから、我々は教職員でさえ、ガーゴには立場的に頭が上がらないのだ。いわば上司のようなもので、そこからの抗議とあれば聞かないわけにはいかない」

グラハムのその台詞は、昨日カインから聞いたこととほぼ同じ内容だった。

とはいえ昨日ほどダインに反抗心が生まれず素直に聞いているのは、彼の語り口が柔らかいものだったからだ。

「以上のことから、何かしらの形で君を処罰しなければならない。ここまでは理解してくれるね?」

ダインの中に一定の理解が芽生えたと思ったのか、グラハムが笑いかけてくる。

「まぁ、はい」

ダインは素直に頷いた。

その反応に満足そうに頷いたグラハムは、デスクに置いていた書面を手に取り内容を読み上げた。

「君には原稿用紙十枚分の反省文の提出と、一週間の校庭の環境整備を任せる」

そこでダインは明らかにめんどくさそうな顔になった。

校長と担任が目の前にいるにもかかわらず、「はぁ」とため息を漏らしてしまう。

処罰を受けるつもりではいたが、やはり面倒だという思いの方が強く出てしまったのだ。

クラス委員を任され、ラビリンスの入場は制限され、下克祭の裏方に、挙句反省文の提出と庭掃除。

昨日はラフィンたちに辞めるつもりはないと言ったが、いっそのこと自主退学してしまおうか。

なんで俺ばかり…と明らかに不服そうな表情を浮かべる彼に向かって、グラハムはまた髭と肩を揺らした。

「そのようにしたと、カイン君には伝えておくよ」

「え?」と、ダインは聞き返す。

「このような身なりだが、私はこの学校の校長だ。プライベートに触れない範囲で、可愛い生徒たちのことは見てきたつもりなのでな」

そう話すグラハムは始終優しい顔をしている。

ダインを見る目も語り口も穏やかなものであったが、その目の奥には全てを見通すような眼力があった。

━━見られていたのか。これまでのことを。

伊達に校長先生をやってない。そう思ったダインは、改まって姿勢を正す。

グラハムは書面を置き、静かに両手をデスクの上で組んでダインを見つめなおす。

「その代わりと言っては何なのだが…君に一つ、頼みたいことがあるのだ」

意外な台詞に聞こえたダインは、思わず聞き返す。「頼み…っすか?」

「うむ。本来であるならば、一生徒でしかない君にこのようなことを頼むのは筋違いだとは思うが…」

一呼吸置き、グラハムは続けた。

「もし、ガーゴ組織について何か知っていることがあれば教えて欲しい」

「ガーゴ?」

「これは学校業務には全く関係のないことなのだが」

前置きを挟み、グラハムが話した内容は確かにこれまでとはまったく別のものだ。

「いまは詳細を明かせないが、ガーゴ組織が裏で何かをしているらしいという情報を掴んでね。いま、私と彼と…他何名かで調べている最中なのだよ」

グラハムは隣に控えていたクラフトを見る。

「幹部クラスであるナンバーと言われる連中の動きがどうも怪しくてな」

グラハムに代わってクラフトが話し始めた。

「世界情勢調査隊と銘打ったガーゴ関係者の、他国への頻繁な干渉。価値のないはずの遺跡を手当たり次第に買い漁ったり、世界各国に支部を建てている動きもある。用途不明の建築物を非公開のまま乱立させたり、魔法学や知識学に詳しい専門家の引き抜きもしている。どうもきな臭いんだよ」

「他には」とクラフトが言いかけたところで、「ちょっといいすか」ダインは思わず手を挙げて話を止めさせた。

「ガーゴが怪しいってのは分かったんすけど、どうして先生方がそれを?」

疑問を口にしたとき、クラフトはグラハムと視線を合わせた。

「それについては話が長くなるから、時間が出来たときにでも話そう。セブンリンクスがガーゴと繋がっているから、そうせざるを得ないとでも思っていてくれ。いまはな」

「はぁ」と、ダインはとりあえず納得した様子を見せる。

「でも、ガーゴなんてつい最近知ったことだから、そんなに情報持ってないっすよ」

「そもそも何で俺にその話を?」というダインの問いに、グラハムが答えた。

「君は他の生徒たちと違って、クラス階級や種族の違いなど気にせず人と接することが出来る。この学校には近親者にガーゴ関係者を持つ者や、近親者でなくとも繋がりのある者も数多くいてな。確かにいまの君にはガーゴに関する情報をそれほど持ち合わせてはいないだろうが、今後そうした情報を多く得られると思ったのだよ。君ならば、ね」

グラハムの話は確かで、ガーゴに憧れを抱く以前に身内がそこに勤めているから、自然とセブンリンクスに入学する者は多い。

表向きは魔法に特化した学校なので、シンシアやニーニアのように魔法の実力をつけたくて入学してきた奴もいるが、しかしそれらは少数派なのが実情だ。

「些細なことでも良いのだ。情報を聞き出すことができれば報告して欲しい」

「って言われても…」

ダインは頭を掻く。

「俺の交友関係なんて狭いもんすよ。ただでさえノマクラスなのに、誰も相手してくれないと思うんすけど」

ノマクラスの扱いは、校長だからこそ知るところだろう。クラフトと同時に静かに笑い出すグラハムだが、そのまま「一人、有望な生徒がいるではないか」と言ってきた。

「え、誰すか」

「ラフィン君だよ」

「あいつが?」

「うむ。カイン君とラフィン君は互いに面識がある」

それはダインにとって衝撃の事実だった。

情報を処理しきれない間に、グラハムはさらに続けた。

「親族間での交流もあったようだから、そこから探りを入れて欲しい。このことはあまり公にできん内容だからな。君ならば聞き出せるのではないかと」

それが本題だったとばかりに姿勢を屈め、ダインを覗き込む。「どうだろうか?」

「探り…っすか」

「カイン君はナンバーセカンドだ。彼ならばガーゴの内情は何もかも知っているはずだし、ラフィン君にうまく情報を引き出させるようにすれば真相に一気に近づけるはずだ」

「う〜ん…」

そこでダインは腕を組む。

「友達を利用するようなことはしたくないっすね」

難色を示した彼は、きっぱりと言った。

「そういう遠まわしに探りを入れるようなこと、俺嫌いなんすよ」

嘘。だまし。姦計。詐取。

両親と世界中を旅していたとき、未遂だが幾度となくそういったことがあった。

人の醜い部分や冷酷な部分を多く見てきた彼は、いつしかある信念を抱くにまで成長していた。

陰湿に人を騙すようなことはしない。人の心を弄んだり、利用するようなことはしない。

そんな信念を抱く彼だからこそ、いくら校長の頼みでも聞き入れることはできなかった。

「悪いんですけどできないっす。ラフィンを利用して情報を引き出そうとするぐらいなら、反省文書いたり草むしりした方が良いんで」

ダインがそう言ってから、校長室には僅かな静寂が訪れる。

今度こそ怒られるだろうかとダインが身構えていると、突如としてクラフトが笑い出した。

「そう言うと思ったよ」

ダインの反応は予測していたことだったのか、彼は笑いながらグラハムに顔を向ける。

「先生。こいつはこういう奴なんです。スパイみたいなことはできない、不器用な奴なんですよ」

呆気に取られていたような表情でいたグラハムも、同じように肩を揺らし笑い出す。

「そのようだな。良い目をしている」

ひとしきり笑った後、「訂正しよう」そう言ってひとつ咳払いをした。

「調べて欲しいとは言わんよ。もし、何かのきっかけでガーゴについて分かったことがあったのなら教えて欲しい」

「…それって、結局俺は何もしなくていいってことにならないっすか?」

「そうなるな」

グラハムは笑ったまま「だが」と続ける。

「ガーゴが何か図っているということは、頭の隅に入れておいて欲しい。ちなみにこの話は、君の信頼がおける仲間内でなら共有してもらって構わん」

「は、はぁ…」

戸惑い気味に頷くダインには、そんな重要そうな話を何故自分に、という疑問がにじみ出ている。

ガーゴに関する情報を知りたいのなら、学校外でいくらでも集めることが出来るはずだ。

なのに、ノマクラスにいてガーゴのことも最近知ったばかりの自分に頼るのは、どう考えてもおかしい。

裏があるのでは、と思ったが、グラハムもクラフトも何か企んでいるようには見えない。

いや、企んではいるのだろうが、彼らの表情や口ぶりから察するにそれは悪いことではないような気がする。

「詳細については、今度話す。それは約束しよう」

ダインの表情から考えていることを読み取ったのか、グラハムは言った。

「君の都合で良い。ふと我々のことを思い出してくれたのなら、その時点で知り得ていたことを教えてくれれば」

「まぁ…それで良いのなら…」

「よし」と、クラフトが手を叩く。

「少し時間がかかってしまったな。もう良いぞ。腹も減っただろうし戻れ」

「あ、ああ、じゃあ…」

ぺこりと頭を下げ、退室する間もダインは顔に疑問を貼り付けたままだった。

「…ここから、事が大きく動き出しそうだな…」

ダインの姿が見えなくなってから、グラハムは静かに呟く。

「そう、ですね…何しろ見られてしまいましたからね」

「まぁ、遅かれ早かれ見つけられてはいただろうが」

ゆっくりと天井を見上げる彼の横顔には、どこか物憂げな感情が漂っている。

「彼も気の毒だよ。あのままでいられれば良かったものを…」

残念がるように続けるグラハムに、クラフトは「大丈夫ですよ」と鬱屈な空気を振り払うように言った。

「あいつのことだ。どうにかなるでしょう。警戒心は植えつけられたんですし」

「しかし目をつけられてしまった以上、何をしてくるか分からないのだぞ」

「それでもですよ。あいつなら大丈夫です」

何のことはないと言うかのような表情でいるクラフトに、グラハムは表情を緩める。

「ずいぶんと信頼しているのだな」

「信頼、と言いますか…何でしょうかね。あいつを見ていると、何となくそんな気になるんですよ。出来心で難問振っても答えてしまうし、上位クラスの奴らから陰口叩かれても気にもしてない。ラビリンスで強敵を湧かせてしまったときも、あいつは慌てる素振りすら見せず対処した。今後どんなことが起ころうとも、あいつなら涼しい顔でやってのけられそうな気がするんですよね」

クラフトはグラハムに向き直る。「今日改めて話してみて、先生もそう感じなかったですか?」

問われたグラハムは、再び顔と視線を扉へ戻す。

「そうだな…」

彼の横顔は、いつしか元の優しげなものに戻っていた。「面白い生徒だよ」

齢千九百歳。永く生きてきた彼の皺には、ひとつひとつに歴史がある。経験と勘から未来予知まで可能となった彼の側には、彼が“調停の長”にまで上り詰めた“証”が飛び回っていた。

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