百四十六節、シークレット・ゲーム
「如何でしょう」
ソファにかけたまま、ガーゴ専任の弁護士、『ハイドル・ヴィンス』は執務デスクにいた男に声をかける。
「何か疑問点などはありますでしょうか?」
尋ねられた男…ガーゴのナンバー“セカンド”のアガレスト正規軍隊長、『カイン・バッシュ』は、デスクに置かれた書類にしばし無言のまま目を通していた。
整った顔立ちは彫像のように変化がなく、ただ無感情にその書類を眺めている。
「来週頭にプノーを討伐。そして次週にダイレゾ。少し性急ですかね」
その書類に書かれていたのは、七竜討伐完了までの工程表だった。フローチャート式に書かれていて、失敗に際したプランが他に三つほど提示されている。
「プノーはいい」
長いブロンドの髪が肩からさらりと流れ、そこでようやく彼は声を出す。「しかしダイレゾの討伐は、この通りに進められるのか」
疑わしげな視線をハイドルに向けた。「流石の君でも、バベル島におわす女王神様とは軽々しく謁見できないと思うのだが」
「それに関しては、ま、どうにかしますよ。私もある程度の交渉術は心得ておりますので」
「どうやって」
カインは懐疑的な視線のままきいた。「仮にもゴッド族の長だ。君の軽々しい発言で我々の立場を危うくさせて欲しくないのだが」
その発言は世間体を気にしてのものだ。
ソフィル・ハイリス女王神とカインは面会したことはないが、しかしエンジェ族という種族的な理由で、ハイドルにあまり勝手なことはして欲しくなかったようだ。
「まぁ交渉は難航するかもしれませんがね。ですが世の中の平和のためには致し方ないこともある」
くくっと笑いを漏らすハイドルは、視線を伏せて呟く。「なかなか面白い情報を仕入れておりますから、そちら様に迷惑がかかるようなことにはならないでしょう」
「どういうことだ」
「世の中、綺麗事ばかりでは無いということです」
そこはどうでもいいとばかりに、「で、どうですか」、と工程について尋ねた。
「何かご要望があればその通りに書き換えますが」
再び書類に視線を落としたカインは、「…いや、これでいい」、そういった。
「討伐隊の選別や必要な装備の用意はこちらが請け負おう」
「お願いします」
爽やかに笑顔を浮かべたハイドルは、「しかしカインさんも大変ですね」、と話題を変えた。
「あの問題児…じゃなかった、シグさんがまた暴れたとか。連絡があり本人確認のため、わざわざ現地まで赴かれたそうですね? 人が多いとそういう輩も出てきますし、その対応に追われ業務がおろそかになる。心中お察ししますよ」
そう話すハイドルに一瞬だけ目をやり、「こちらの問題だ。君にとやかくいわれるものではない」、カインは冷たく言い放つ。
「お互いの利害が一致し、ヴァイオレット総監は君を招き入れた。ただそれだけの関係なのだから、お互いあまり踏み込んだ話はしないほうがいい」
「仰る通り」
ハイドルはニヤつかせながら両手を広げた。「私たちは一時的に協力しただけに過ぎませんからね。今回の作戦が終わればまた敵対関係に戻る。ここで余計な会話をして余計な情報を与えるわけにはいきませんからね、お互い」
モンスターの討伐や犯罪者の取締りを主な業務とする、大国の警護組織ガーゴ。
方や拭いきれない黒い噂にまみれ、数多くの危機管理機関から危険視されているレギリン教。
本来なら相容れない二つだ。警戒心を露にするカインの態度は当然で、しかしハイドルは未だ本心の読めない表情でへらへらと笑っている。
これ以上話すことはないとハイドル本人も認めたはずなのに、彼に退室しようとする素振りは見られない。
「ですがもったいなくもあるんですよ」
ソファにもたれ、足を組んでハイドルはいった。「このような機会は二度とないわけですから。お互いの領域に踏み込まない程度のお話はしてみたかったんです」
楽な姿勢のまま友好的な口調でいうが、「私は特に君と話したいなどとは思ってないのだが」、カインの反応はどこまでいっても無機質だ。
「そもそも、尋ねたところでまともに答える気などないだろう」
「いやいや、ちゃんと答えますよ。もちろん質問の内容にもよりますが」
とハイドルがいうも、カインは興味を示さずそのまま執務作業に戻った。早く出て行けといわんばかりだ。
「カインさんもきっと知りたいことがあるはずですよ」
カインの態度など気にも留めず、ハイドルは続ける。「例えば━━“ある種族”の上手な排除方法とか」
そこで、書類にペンを走らせるカインの手の動きが止まった。
「排除…?」
そのまま顔を上げる。ハイドルは相変わらず気持ちの悪い笑顔を浮かべたままだ。
「あれこれ嗅ぎ回られて、いい加減邪魔になってきたんじゃないですか?」
せせら笑うように、彼は続ける。「魔力のない下等種なのに、上級種である我々に抗おうとする…早々に潰したほうが良いですよ」
と、ハイドルは乱暴なことをいってのけた。
「もうパンドラ生成の手段も確保できましたし、奪われた“鍵”の必要性も低下した。役に立たないことが判明したばかりか、放置すれば邪魔をしてくる懸念も予想される。であれば、諸々をまとめて処分すべきではないですか」
カインは反応がない。ハイドルは続けた。「“彼”は退学となり、約束も破棄された。ゴミは早くどかさないと、足元を躓かせてしまいますよ」
丁寧な口調のわりに表現は乱暴で、カインは正直にいって最初の頃からこの男に対する拭いきれない嫌悪感を感じてはいた。
いまさらに一段とその嫌悪が増したが、しかし彼のいうことも一理あると思ったカインは、
「何か方法があるのか?」
と、きいた。
そこでより一層表情を怪しく歪めたハイドルは、彼の質問に答えずソファから立ち上がる。
デスクに座るカインの前まで近づき、そして彼の手元に一枚の書類を滑らせた。
その書類に目を通したカインは、徐々に目を見開かせていく。
「この案を採用するかどうかは、カインさんにお任せします」
カインの反応を面白がるような目のまま、「いい案とは思うんですがね」、とハイドルはいった。
「この案を採用するにしろ破棄するにしろ、邪魔者は排除せねばなりません。放置すれば、必ず我々の前に立ちはだかる壁となることでしょう」
黙考するカインから返事はない。彫刻のような、変化がない整った顔立ちに向け、ハイドルは続けた。
「不安因子は取り除くべきです。お互いの正義のためにね」
「お疲れ。じゃあ帰ろうか」
カインの執務室から出たハイドルは、控え室で待っていた秘書の男に声をかけた。
「はい」
メガネに短髪のスーツ姿。いかにもインテリ風の若い男は、歩き出したハイドルの後をついていく。
「いかがでしたか」
カインとの密談の感触について、秘書はハイドルにきいた。
「まぁ採用するしかないでしょ。あれ以上の方法があるのなら、ぜひ聞かせてもらいたいね」
あくびを漏らしながら答えたハイドルは、続けて秘書にこの後の予定を尋ねる。
「正午にハマト衆院議員との会食と、午後からはナハテ大使館で講演会。夜は経済番組への出演があって、その後はウェルクリア補佐官らとパーティがございます」
「忙しいねぇ」
そういうハイドルは、忙しいという割りには嬉しそうにしている。
「今月だけで、ざっとみて五百万…といったところかな」
脳内で今月の収入を暗算した彼は、満足そうに頷く。「うん、いい感じだ」
「やはりお金ですか」
秘書の男は顔をニタニタさせたままきいた。「お金は命より大事だと、以前仰られていましたよね」
「当たり前じゃないか」
周囲に誰もいないことを確認して、ハイドルも笑顔を浮かべる。
「世界平和やモンスター討伐なんてくだらない。あんなものは金持ちの道楽に過ぎんよ」
「道楽ですか」
「正義だのなんだの、生活に困窮してない奴らしかいえないことだろ?」
秘書に見せたのは、紛れもないハイドル・ヴィンスという男の本性だった。
幼少期、両親の経営する個人商店が、競合他社の謀略によって倒産という憂き目に遭わされたことがある。
極貧時代に経験した、いじめからの挫折感、敗北感はハイドルを歪んだ性格に捻じ曲げ、金の亡者に仕立て上げた。
儲けるために必死に勉強し、弁護士という職業に就けたまでは良かった。
しかし元から歪みきった性格だった彼は、報奨金次第ではどんな難事件も無理やり解決に導いていたのだ。
賄賂、接待、特には凶悪犯を“雇って”証人を消したりもした。
金によって人を動かし、金によって思い通りに自分の人生をも操ってきたハイドル。
その結果莫大な資産を手にすることができた彼だが、今後の展望を思い浮かべるその目には、金への執着心が未だにこびりついている。
「レギリン教の弁護士に引き抜いてもらってよかったよ。おかげでこんなでかい仕事にありつけた」
くくっと笑うハイドルの隣で、秘書の男も下卑た笑みを浮かべている。
「その手腕、勉強させていただきます」
「いいぞ。真似できるならな」
ハイドルにとって、他人というものは利用するものであり、信用するものではない。
信じられるのは金だけ。この秘書の男もそうだ。
七竜討伐という、このでかい案件。
ここから次の金儲けへ繋げるには、どうすればいいのか。
廊下を歩きながら思案を巡らせていたときだった。
通路の半ばほどにあった部屋のドアが開き、そこからハイドルの見知った人物が現れる。
「あら、ハイドル先生」
居合わせたのは、ガーゴのナンバー“フォース”、防衛第一部隊隊長のサイラだった。
「おお、サイラ君か」
「どうされたのですか。今日は“本部”にいらしたのでは?」
「ちょっと所用でね」
秘書を出入り口で待っているよう告げたハイドルは、「何か飲もうか」、と近くにあった休憩室を指差す。
ガラスで区切られた誰もいない休憩室へ二人で押しかけ、
「でもあのときは悪かったね」
ハイドルは自販機から紅茶とコーヒーを選び、紅茶をサイラに手渡した。「ヴァイオレット総監より推薦されたとはいえ、私はこのガーゴの中では新人も同然。少々差し出がましいマネをしてしまったようだ」
前回シグやジーニと揉めたことをいっているのだろう。
「いえ、お気になさらず」
反省するハイドルに、サイラは穏やかな笑顔を向ける。
「ハイドル先生であれば、此度の作戦をより円滑に、確実に成功へ導いてくださると思っていますので」
いただきます、と紅茶を飲んで口元を潤してから、サイラは続ける。「何よりも成功させなければならない任務ですし、多少の小競り合いは致し方ないかと」
「そうかい?」
「ええ。七竜討伐作戦の実行が決定したはいいものの、進行に色々と不備があったことは否めないんですもの。それをハイドル先生は円滑に進めてくださったではないですか」
エンジェ族が管理するアブリシア。
フェアリ族が管理するディグダイン。
そしてヒューマ族が管理するダングレス。
各国ごとに討伐申請の手続きに違いがあり、許可が下りるまで相当な時間を要するはずだったのに、それを一週間のうちにやってのけたのは、国際弁護士ハイドルの手腕のなせる業としかいいようがない。
「プノーの討伐許可も下りたそうで、そのお手際の良さには感服いたしますわ」
尊敬の念を込めていったサイラに、「久々に腕が鳴ってしまってね」、とハイドルも笑顔で返した。
「世間から大注目されている案件だからね。この作戦が成功した暁には、私の将来も安泰となる。ヴァイオレット総監に推薦してくれた君には感謝してるんだよ」
「ふふ、もったいないお言葉ですわ」
笑い続けるサイラに、「ところで…」、ハイドルは少し彼女との距離を詰める。
「“調子”のほうはどうなんだい?」
こっそりときいた。
「ええ、おかげさまで」
笑顔のサイラは、どういうわけか右腕の裾を捲り上げ、その内側を彼に見せる。
そこには黒いアザのようなものがあった。そのアザはただの斑点のようにも、何かの紋章のようなものにも見える。
「このまま進めば、受け入れる準備は滞りなく終了するかと」
「ほぉ」
ハイドルは驚いてから目を細める。
「さすが、“元”天才と噂された魔法学研究員だねぇ。ガーゴ専属の兵器開発部の部長なだけある」
「趣味の延長線上なだけですわ」
答えるサイラは、愛しげにそのアザを撫でた。「魔法にはまだまだ解明されてないことが多いですから。運用、転用次第では、“このようなこと”も造作ないのです」
「聞けば“パンドラ”や“強化ダイス”を開発したのも君だそうじゃないか。頼もしい限りだ」
コーヒーを飲み干したハイドルは、「で」、と紙コップをゴミ箱に捨てつつ、サイラに向き直る。
「最終的に、君はどちら側につくつもりでいるのかな?」
尋ねられたサイラは動きを止める。
「そう、ですね…」
思案する彼女は、「始めの頃は、戻ることしか考えてませんでしたが…」、突然肩を揺らしだした。
「“こちら”の方々もなかなか面白い方が多くて、迷っているというのが正直なところです」
「ふむ。誰かめぼしい人物が?」
「ええ」
頷くサイラは、ハイドルが歩いてきていた方向に顔を向ける。
「様々な思惑渦巻くこの組織の中にいながら、気高く、凛々しくあろうとする…同じエンジェ族として、尊敬に値する方です」
そこで彼女の両目に妖しい光が宿った。「あの“方”を従えたらと思ったら、少しぞくっとしました」
…カインのことか。
脳内で該当する人物を思い浮かべたハイドルは、「どうせなら両方取ればいい」、と笑いながらいった。
「君がどちらに転んだとしても面白そうだし」
「少々贅沢すぎではないでしょうか」
「私はいいと思うよ。君の頑張りを考えれば贅沢でもない」
くく、と笑い続けるハイドルに、今度はサイラが尋ねた。
「ハイドル先生は如何なさるので?」
「私はどちらにもあまり長居するつもりはないよ」
肩をすくめ、彼はいった。「今回の大仕事を終えたら、片田舎の土地でも買ってしばし隠居するよ。金は十分に貯まったし、今回の作戦が終了したら、当面の間“世間”は混乱してるから仕事どころではなくなってるだろうしね。だから高みの見物でもさせてもらおうと思ってる」
「そうですか」
「“あれ”で終わりだと思ってる人たちの驚く反応を早く見たいよ。七竜討伐後の世界経済の流れを予測してる学者が沢山いるんだけどさ、どれも楽観過ぎて笑いを堪えるのに必死だったよ」
「私も“人選”を考えることが楽しくて、最近では毎日夜更かししてしまってましたわ。早く“その日”が訪れないかと、いまもわくわくしております」
サイラの言葉にハイドルも上機嫌になるが、「ああ。だから…」、と不意に表情が真面目なものに変わった。
「ここからが踏ん張りどころだ。お互い油断しないでいこう」
「そうですわね」
「ガーゴにとっても、そして“君たち”にとっても、今回のことは悲願だろうから」
「…はい」
神妙な面持ちで頷くサイラ。
「それじゃ、私はもういくよ」
ハイドルはぱっと笑顔に戻り、彼女に背中を向けた。
「作戦が完了する前に、一度くらいは“あの人”に顔を見せてやってくれ。寂しがってる」
これまた小声で、ハイドルは続けた。「何しろ君はモルト卿の希望なのだからな」